その日の艦内は非常に盛り上がっていた。
壁には規則的にポスターが貼られ、それをにやにやと見ている男性クルー。
そして、これより行われるイベントに心を躍らせる女性クルー。
この機会を利用し、アキトに自分の魅力を再度見直して貰おうという魂胆だ。
さて、女性クルーの大半が狙う件の人物はと言うと……、

「は、はははははは……」

と虚ろな笑みを浮かべ力無い足取りで通路を歩いていた。
その視界に入るポスターを見ては虚ろな笑みを浮かべ、壊れた笑い声を上げている。

「プロスさん……恨みますよぉぉぉぉぉぉ…」

口から魂が出ていそうな程に死んだ声のアキト。
半ばプロスに騙された形で今回のイベントの賞品となってしまったからだ。
さらには芸能界デビューという嘘のような話。
その事を聞いた女性クルーに対し、イベントの事を断るという言うことは……、

「お仕置きは嫌だぁああああ!!」

となるわけである。
木連、地球連合と敵味方限らず恐れられるテンカワアキト漆黒の戦神
そんな彼をもってしても恐れるお仕置き。
それがどんな内容かは彼の名誉の為に触れない。
彼の恐れるお仕置きであるが、もう一つ彼が恐れるモノがそのイベントに現れるなど、神ならぬ身では知る由もなかった……。

 

 

 

 

派手に装飾されたナデシコ艦内。
招かれざる客たる、優華部隊と他二名の登場により騒動があったりしたが一人を除き、恙なくイベントは行われようとしていた。
今、この時までは。

「さあさあ、皆さんが待ちに待ったこの日が遂にやってきました!!」

普段より生き生きとしたプロスが身振り手振りを交え言う。
その周囲ではイベントの開催を今か今かと待つクルー達。
妙に目をギラギラとしているのが整備班である。

「うむ」

といつもと変わらずいまいち表情の読めないゴートが相づちを打ったときだ。
一部の人間にとって見慣れた光が舞台の上で輝いたのは。

「あれは……!?」

真っ先に反応したのはエリナだった。
ガタン、と化粧品が置かれたテーブルを倒しながら青ざめた表情で舞台へと目を向ける。
普段の凛とした表情は消え失せ、ただその光を見る。
突然のボソンジャンプの光に、ざわめいていた皆は声を潜め静かに見守る。
何者が現れるかを、静かに見ている。
そして光が消えたそこには……。

「テンカワ君っ!?」

アキトが倒れ伏していた。
生活班を表す黄色い制服ではなくパイロットを表す赤い制服を着たアキトが。

「アキトさん!!」

と真っ先に飛び出してきたのはルリ。
続けてユリカ達。
皆、思い思いの衣装を着て、華やかな事この上ない。
だが、今はその華やかさに目を向ける者は居なかった。
女性クルーのみならずナデシコのクルーにとっても様々な意味で大切な存在である、アキトが倒れている事に目が向いていた。

「アキト!!」

ユリカがアキトを抱き起こす。
死人の様に土気色の表情をしたアキトを。

「艦長!私がアキトさんを介抱します!!」

ユリカの手より奪おうとメグミが叫んだ。
それを機にそれぞれの女性達が騒ぎ出す。
誰がアキトを介抱するかを。
ただ一人、ラピスを除いて。

「違う……」

女性達が騒ぎ、男性クルーが視線で人を殺せたらとアキトを見る中でもその声は不思議と良く響いた。
まるでそのアキトに恐怖を抱いているかのようなラピスの表情。

「え……?」

と呟いたのは誰か。

「違う……アキトじゃない」

もう一度ラピスが呟いた。
一歩、下がる。

「ラピス?」

ルリが訝しげな表情をして名を呼ぶ。
答えを求めて。

「そいつはアキトじゃない!アキトはここには居ない!!」

叫ぶラピス。
皆がざわめき始める。
ラピスの言葉に。

「……ラピスちゃん、アキトは……呼べる?」

艦内に警報を鳴らし、主要なメンバーを呼ぼうとするユリカ。
すぐさま、ナオが飛び込んできた。
その背に百華がしがみついているのは誰も見ていない。

「どうしたっ!?」

突如響いた警報に、百華に捕まるのも気に入らずこの場へと急行したのだ。
そしてサングラス越しに見た光景にガクンと肩を落とす。

「なんだ……なにかと思えばアキトがいるだけじゃないか」

はあ、と息を零し言うが誰もその言葉に賛同しない。
ナオの方を見ずに、じっとアキトを見ている。
ざわめきはやんでいる。
誰も言葉を発することなく、静かに立っている。
しん、と静夜の様に。

「どう、したんだ?」

さすがにナオも異常事態ということに気づく。
いや、アキトが倒れているのにルリ達がなにもしないという時点で異常だ。
そして再びボソンの光。
皆が光が生まれている場所より離れる。
光が消えて現れたのは、アキトと北斗……いや枝織。
ラピスの言葉を受け、ボソンジャンプをして戻ってきたのだ。

「どうしたんだ!?」
「ねえ、なにかあったの?」

鋭い声で訊くアキト。
それとは対照的にどこかぽややんとした声で訊く枝織。

「アキト……」

ユリカが縋るような目で後から現れたアキトを見る。

「アキトさん……この人が……」

ルリもまた縋るような目でアキトを見る。
赤い制服を着たアキト。
何者なのか?それを誰もが知りたがる。
だが、その答えを持つ者は居ない。

「俺……だと?」

おそらく誰よりも驚愕したのがアキトだろう。
目の前に倒れ伏している、自分自身に。

「テンカワ君……ええと、こっちのテンカワ君はボソンジャンプで……」

エリナが迷いつつ現れた状況を説明する。
ボソンジャンプの一言でアキトはなにが起きたかを知る。

「どきなさい!」

鋭く発したのはイネス。
他の皆が騒いでいる間に医療班へと連絡を取っていたようだ。
水着の上に白衣を着込み、倒れ伏している方のアキトを医療室へと運ぶよう指示する。
担架に乗せられ運ばれていくアキト。
そのもう一人のアキトを複雑な目で見ている、『こちら』のアキト。

「アキトさん……」

不安げな表情でアキトの名を呟いたルリ。
それはどちらに向けられたのだろうか。

 

 

 

 

「……ッツ」

電灯の眩しさに触発されてか、目覚めた彼。
目を開いた先に見えたのは見慣れた――という訳ではないが幾度か見たことのある天井。

「ここは……ナデシコか」

なぜか忌々しげに呟く。
そしてポケットを探る。
普段、煙草を入れているポケットを。
だが、そこにお目当ての物は入っていなかった。
チッ!と舌打ちをし、別のポケットを探るが結果は同じだった。
気怠げに髪を掻き上げ、診療台より降りる。

「部屋にまだ残っていたな……」

ぼそり、と呟き自室へと向うために一歩を踏み出そうとした。

「お目覚めのようね」

と声が響く。
声のした方へと彼が目を向けるとそこに立っているのはイネス達。
変わらず水着の上に白衣を身につけた姿で目覚めたアキトに優しげな目を向ける。

「イネスか……」

と彼が呟くとイネスが頬を赤らめ、その後ろに立っていたルリ達が夜叉の形相をする。
例え、別のアキトといえど誰かを名のみで呼ばれるなど許せないのだろう。

「なにをしてるんだ?」

見たことの無い、彼女たちの表情に彼は訝しげな表情をした。
少なくとも彼の周囲でそんな表情をする女性はいなかったからだ。

「ええと、みんな……ちょっと席を外してもらえるかな?」

少しばかり怯えた表情でアキトが言った。
彼は驚いた。
自分と同じ顔をした男がそこに居たのだから。

「大丈夫なんですか?」
「アキトォ、なにかあったら呼んでね」
「テンカワ君、私が力になるわよ。……いざとなったらネルガルの力で隠蔽しちゃうからね」
「アキト……」
「ほらほら、みんな出て行きなさい」
「……イネスさんは?」
「……私はドクターだからこの場に居る義務があるわ」
「……イネスさん、貴方もです」

それぞれに口を開き名残惜しそうに部屋を出て行く。
ちなみに男性クルーはもともと部屋に入れてもらえなかった。
同じように優華部隊と他二名も部屋の外で待機している。
そして、最後まで残りたがっていたイネスをなんとか外に出したアキトは、

「一つ……訊いて良いかな?」

と彼に口を開いた。

「ああ、俺も訊きたいことがあるからな」

彼の声は、同じ人間でありながら全く異なった響きをしていた。
錆び付いた声。
長いこと動かしていなかった、機械を動かした様な声。
アキトはその声を聞き眉を顰めた。
その声と似た声を知っている。
かつて自分が持っていた声。
だが、彼のは違う。
より深く、より昏い声だ。
それを意識的に無視し、

「君は……というのも変だけど、まあ取り敢えずはこう呼ばせてもらうよ。…君は、『火星の後継者』を知ってるか?」

訊いた。
それに対し彼は、

「……お前もか」

感慨深げな声で返した。
それが意味することは、今彼とアキトが居る場所を含めて……。
時を遡った事を意味していた。

「そう、か……」

アキトは疲れた声で呟いた。
その姿を無感情な目で見ている彼。
自分の姿だというのに、その目には全く感情がこもっていない。

「すまない……」

とアキトが言った。
何に対してか。

「……俺からも訊いて良いか?」
「あ、ああ……」
「お前は、今、幸せか?」

何を確認しようと言うのか、彼はそんな事を訊いた。
その目に浮かぶ光は――だ。
その光にアキトは気づかない。

「ああ、色々大変だけど……幸せだよ」

嬉しそうに、女性達を魅了した笑みを浮かべ答えた。
それが何を意味するかも分からず。

「そうか」

それでなにをもたらすのか悟らせず。

「ところで、なんでここに現れたんだ?」
「さあな。ランダムジャンプだろう」

さして興味なさげに彼は答えた。
実際興味がないのだろう。

「ところで、俺の持ち物はどこにある?」
「あーイネスさんが確か……」
「そうか」

姿は同じ、声も同じ、だがなにかが根本的に異なっていることが良く分かる。
それはきっと彼とアキトを隔てるもの。
同じであり異なる存在がもたらすものはただ……怖い。

 

 

 

 

場所は変えて食堂。
コン、と音を鳴らしグラスを置く。
観衆が見る中でも気にせず二人は座っている。
アキトが注文したのはフレッシュジュース。
彼が注文したのはウォッカ。
その点でも彼とアキトが違う存在というのが良く分かる。
イネスより私物を受け取った彼。
私物の中には銃と予備マガジンがあり、その為一悶着あったのだが、

「いつ、戻ることになるかわからんだろう?」

という彼の一声により無事返された。
そして問題なく返された私物の中にあった煙草を一本取り出し火をつける。
静かにはき出される紫煙。
その姿を見て、

「なんか、ワイルドなアキトも良いかも」
「アキトさんってあんな姿も様になるんですね」
「渋いわねえ」
「ハードボイルドってやつ?」
「ふーん、なかなかに」
「アキト……」

等々、好き勝手喋る女性陣。
そんな雑音を無視している二人。

「君は煙草を吸うのか……」

なんとなく違和感を覚えるアキト。
自分自身が吸わないので、より違和感があるのだろう。

「ああ。……それと『君』はよせ。背中が痒くなる」

彼にとって君と呼ばれるのは慣れないものなのだろう。
グラスを傾け、琥珀色のそれを嚥下する。
喉を灼くような感覚に満足そうに微笑み、グラスを置く。

「で、お前は何をやってるんだ?」

と煙草を銜えながら彼は口を開いた。

「何を……って何を?」
「後ろでこっちを見ている女達の事だ」

誰よりも興味津々の表情で二人のアキトを見ている女性陣。
どうやらナデシコの運営はこの二人の会話というイベントに比べればどうでもいいことらしい。

「いや、別に、その……なにも」

照れた様な表情で頭を掻きながら答えるアキト。
彼はそんな表情を冷めた目で見ながら言った。

「何もしてない、か。……あいつらにしてみればお預けだな」
「お、お預けって!?」

顔を真っ赤にし立ち上がるアキト。
それとは対照的に落ち着いた表情で紫煙を吐く彼。

「言葉通りだ。なんなら俺があいつらに手ほどきしてやろうか?…同じ『テンカワアキト』だ」

冷笑を、いや嘲笑を浮かべながらそう言った。
その嘲笑に、嫌悪の情が浮かんできそうになるのを必死に押さえアキトは言葉を返す。

「やって、みるか?」

ざわり、と皮膚が泡立つ感覚。
今までの純情な青年はどこへ消えたのか、彼に近い声を出す。

「ふっ」

小さく鼻で笑う彼。
面白いものを見る事ができたと言わんばかりに。

「冗談だ」

嘲笑をそのままに言う。
その空間が凍り付いたかの様に寒い。
周囲で見ていた人間は一歩下がり、自分の身体を抱きしめる。
ただ一人、北斗を除いてだ。

「……」
「……」

沈黙が……危険な沈黙が二人の間にある。
キリキリと弦を引くように高まっていく緊張感。
それが増す程にある音が響く。
誰かが歯を鳴らす音が。
ガチガチと恐怖に震えている。
北斗が笑みを浮かべている。
獰猛な笑みを。

「……やめておこう。俺ではお前に勝てないしな」

おどけた表情で彼は言った。
降参と両手を上げて。
それで危険な空気は霧散した。
そしてアキトが口を開く前に彼は立ち上がった。
残ったウォッカを呷り、笑みを向ける。

「精々護ってみせろ。後悔の無いようにな」

コン、とグラスを置き出口へと向う。
その背を睨み付けながらアキトは静かに立っていた。

 

 

 

 

誰よりも見えない様に、酷薄な笑みを浮かべ通路を歩く彼。
カツーン、カツーンと響く靴音。
無慈悲な時を刻む時計の針の様に規則正しく。
カツーン、カツ……ン。
靴音が止まる。
その身体が止まる。
なにを待ってか。

「……何の用だ?」

顔の向きはそのままに彼は口を開いた。

「別に。大した用など無いがな」

彼を追いかけてきたのか、北斗が僅か数メートルの距離を挟んで立っている。

「なら、なんだ?」

振り向く彼。
笑みはそのままに。

「……」

北斗は答えない。
ただ冷然とした目を向けている。
鳶色の瞳を彼に向けている。
美しいその容姿に相応しいと言うべきか、それとも相応しく無いというべきか、冷然とした目を。

「似ているな…」

ぽつり、と北斗は呟いた。

「お前は……親父に似ている」

その言葉に、にぃ、と唇を歪める彼。

「俺に似ている『親父』など碌な親父でないだろうな」
「ああ、最低な親父だ」
「なら……どうする?お前がその気になれば俺など簡単に殺せるぞ?」
「あの親父に似ているから殺す。……一々そんな面倒な事などしてられるものかよ」
「そうか」

つまらなそうに返事を返し、再び歩き始める。
その背を見送る北斗。
が、それも少しの間。
鮮血の様に鮮やかな髪の毛を翻し食堂へと戻っていった。

 

 

 

 

アキトにとっては幸運な事にコンテストは中止となった。
だが、代わりに獅子身中の虫とも言うべき存在をその内にすまわす事となった。
その虫はただの虫ではなく猛毒を持った虫であろう。
彼らにとっての不運はその虫の存在に最後まで気づけなかったことだろう。
が、虫はまだ虫に非ず。
危険な雰囲気を持った『テンカワアキト』として認知されていた。
僅か数時間の間に。

「内装は同じか」

ブリッジへと来た彼。
さすがに数時間も過ぎれば通常業務へと戻っている。
コンテストの中止に女性陣は残念がっていたがさすがに状況が状況なので従うしかなかった。

「なにか用ですか?」

固い声でメグミが訊いた。
僅か数時間の間にメグミは彼に対し、嫌悪の情を抱いていた。
アキトとは違う。
それがはっきりと分かった。
相手の神経を逆なでする発言。
なにもかもを嘲笑うその表情。
アキトとは正反対なのだ。
そして、アキトと同じ姿というのがより嫌悪を深める。
それを彼も分かっているのだろう。
嘲笑を浮かべ、

「そんなに嫌わないで欲しいな、メグミちゃん」

とアキトを真似て言った。

「貴方はっ!!」

その声、その姿、それ故に吐き気がする。
憎悪とも呼べるほどに昏い目をし、彼を睨むメグミ。
それを誰も止めようとしない。
彼より目を背ける。
アキトと同じでありながら異なる彼より。
その光景に笑いがこみ上げてくる彼。
だが、これから行うことを考えればそれを抑えるのは簡単だった。
煙草を取り出し火をつける。
紫煙が立ち上り、薄く靄が浮かぶ。

「ブリッジは禁煙です!!」

メグミに代わってルリが叫んだ。
苛烈な声で彼女は叫んだ。
だが、彼女は気づくべきだったのだ。
今目の前に立つ『アキト』は彼女たちが相手をする、女性に弱いアキトではないことを。
その報いは、

「すぐに……気にならなくなる」

の言葉と共に響いた銃声。

「え……?」

理解できないといった表情でその音を聞いたルリ。
脚より駆け上ってきた痛みも理解できないままに。

「あ……あああああああ!!!」

そして猛毒の虫とならん。

 

 

 

 

突然の惨劇に誰もが動けなかった。
漂う硝煙と血の臭い。
誰も動けない中で彼だけが動いた。
銃を片手に、笑みを浮かべ、ルリに近づく。
血が溢れる右足を手で押さえ、痛みを堪えるルリの目の前に立つ。

「言っただろう?すぐに気にならなくなるってな」

足を下ろした。
ルリが押さえている場所へと。

「ひぃあああああ!!」

小さな身体を振るわせ、か細い悲鳴を上げるルリ。
その声を神韻と聞くのか、より笑みを深め踏みつける足に力をこめる。

「あんた!なにしてんのよ!!」

ミナトが叫び彼を引き離そうとする。
だが、彼は、

「殺すぞ?」

とまるで明日の天気を訊くかの様な気軽さでルリの頭部に銃を押しつけた。
それにはさすがに動きを止めざるをえないミナト。

「…れか……誰か来て下さい!!」

ナデシコ中に通信を開き、叫ぶメグミ。
それを止めようともせずに嗤っている彼。
懐よりもう一丁銃を取り出す。
先に取り出した銃より、それは凶悪な雰囲気を持っていた。
まるで鉄塊とも呼べる拳銃。
ハンドキャノンとも呼ばれるそれ。
それを同じようにルリの頭部に押しつける。
少女の小さな身体にはあまりに惨すぎる光景。

「やめてぇええええ!!」

ユリカが叫んだ。
その声が彼の動きを止めたのか、それともブリッジへと飛び込むように来た者達が止めたのか、彼は止まった。

「貴様ぁ……」

アキトが血を吐くように声を漏らした。
目の前に広がるのは脚より血を流しうずくまるルリ。
血を流す脚を踏みつけ、銃を突きつけているもう一人の『自分』

「てめえ!なにしてやがる!!」
「なによこれえ!?」
「シャレにならないわね」

怒り心頭のリョーコ。
驚愕するしかないヒカル。
顔を僅かに青ざめさせているイズミ。

「ルリさん!!」
「ホシノ君!!」
「何事だ!!」
「おいおい!なんなんだ!?」
「どうしたんですか!?」
ハーリーにアカツキ、シュンにウリバタケにカズシ。
皆がメグミの恐怖した通信を聞きブリッジに集まってくる。
そして目の前に広がる光景に我が目を疑う。

「ちっ!今度はなにが起きた!!」
「アキト!!」
「ふん、やはりな」

ナオが、ラピスが、北斗が、

「なんて事を……」
「医療班を待機させて!!」
「どうしたんですか!?」
「ひっ!!」

エリナがイネスが、アリサが、サラが、
皆が集まってくる。
ブリッジの入り口はその人数を受けきれない。
だが、漂う硝煙の臭いが、血の臭いが惨劇を知らせる。

「……ずいぶんとギャラリーが集まってきたな」

集まった者達に嘲笑を向ける彼。
その銃口は変わらずルリに向けられている。

「なんの……つもりだ」

アキトが訊いた。
隙あらばすぐに飛びかかって彼を殺さんとしながら。

「なんのつもり?分からないか?俺?」
「分かるわけがないだろう!!」

嘲笑に射殺さんという目を向ける。

「本当に、わからんのか?」

撃鉄を……。

「なら、教えてやるよ。俺」

銃口を……。

「俺がなんなのか」

引き金を……。
メグミに向って!
再び響く銃声。

「……!?」

肩より血が舞う。
悲鳴を上げることすらできずに崩れ落ちるメグミ。
痛みに声すら出せない。

「やめろぉおおおおお!!」
「これをか?」

銃口を再びルリの脚に向ける。
銃弾を受けていない方の脚に。
そして引き金を引く!

「……!!」

痛みに暴れ回ろうとするが彼がそれを許さない。
より踏みつける足に力をこめ、動きを押さえる。

「ああああああ!!」

苦鳴をもらし、涙をこぼすルリ。
悲鳴が上がる。
誰が上げたのかもはや分からないほどに多くの。

「は、はははは……はははははは!!」

その悲鳴を聞き笑い声を上げる
楽しそうに、本当に楽しそうに。

「……ろしてやる」

小さく声が響いた。

「なんだ?聞こえないぞ?」

聞こえているだろうに彼は言った。

「殺してやる……」

歯を軋らせアキトは声を零す。

「足りんなあ。それでは足りんなあ……」

残念そうに言う。
そして、

「なあ、ルリそれにレイナード。お前達が撃たれた程度では俺はそれほど怒れんらしい。……なら誰なら良い?」

ルリに押しつけている銃。
ルリに向けられている銃。
その向けられている方の銃をゆっくりと動かす。
次の獲物は誰だと、探るように。

「ミナト、お前ならどうだと思う?」

乾いた音が響いた。

「あ……」

そんな呆気ない声を漏らし自分の脚を見下ろした。
それは音に合わせたかのように小さな孔。
音もなく溢れてくる鮮血。

「貴様ぁあああああ!!」
「ふっ」

アキトの激情を鼻で笑い、銃口を動かす。
引かれる引き金。

「やめろぉおおおお!!」

その声も虚しくエリナが鮮血を溢れさせる。

「やめるわけがないだろう?」

楽しそうに嗤いながら引き金を引いていく。
痛みを耐えるイネス。
血の臭いが強まっていく。
笑い声が響く。
動けない。
ルリに突きつけられている銃が無ければ、誰もがそう思っている。

「……何人撃たれればお前は元に戻るんだ?撃つ対象が悪いのか?」
「……黙れ」
「なあ、いつまでもくだらない馬鹿騒ぎにつきあっていて本当に満足なのか?」
「…黙れ」
「あの時の様にただ殺戮をしてみたいとは思わないのか?」
「黙れ」
「なら……」
「黙れぇえええええ!!」
「……あの時の様にお前はユリカを護れない」

アキトがユリカの腕を引くより早く、引き金は引かれた。
白い制服に赤い花。
そんな風にアキトは思った。
腹部より徐々に開いていく花弁。

「あ…」

それを呟いたのはユリカでなくアキト。
崩れ落ちるユリカの姿がゆっくりと見える。
護れなかった……。
そんな、想いがアキトに浮かんできた。
護りたかったのに……。
そんな想いがアキトに浮かんできた。
腕の中に落ちたユリカは軽かった。
息はしている。
それでも、それでもそれは護れなかったのだ。

「あああああああああああ!!!!」

絶叫するアキト。
ユリカをその胸に抱き。

「全員下がれっ!!」

北斗が鋭く叫んだ。
その鋭さに反応する前に皆は下がった。
恐怖に、心の底より浮かんでくる恐怖によって。

「ああああああああああ!!」

絶叫するアキト。
目より溢れるのは鮮血。
この身よ、この心よ、壊れよ。と叫ぶ。
喉が張り裂けようとどうでも良かった。
ただ、護れなかった、その後悔とすら呼べない絶望が支配する。
そして……絶望が……顕現した。

 

 

 

 

「ふふふ……ははははは……ははははははははは!!」

嗤っている。
誰もが真に恐怖を感じる中、彼だけが嗤っている。

「そうだ!そうでなくってはな!!それでこそ俺だ!!」

黒い光を纏うアキトを身ながら彼は笑っていた。
嬉しそうに、楽しそうに、面白そうに。
腹を押さえ、身体をくの字に折り曲げ笑っていた。

「っがっは!はっははははあはああっはあああはははぁあ!!!」

唾をまき散らし、息をすることすら忘れて笑い転げる。
黒い光が消える。
否、そのあまりの早さに見えないだけ。
大砲の音もかくやと言わんばかりの轟音が響いた。
彼の身体をコンソールに押しつけるアキト。
あまりの力にコンソールがその台ごと歪む。
それでも彼は笑っていた。
声すら出ないと言うのにそれでも。
大口を開けて。
ブンッと腕の一振り。
彼が壁に打ち付けられた。
へこむ壁。
血反吐を吐く。
それでも……

「そう…だよ……それで…こそ…俺だ……」

そして彼を黒い光が生物の様に蠢き捉える。
否、喰らう。
腕を、脚を喰らう。

「殺すか……俺を……だろうな……」

死に瀕するというのに彼は笑う。
それは嘲笑でなく、目的を達した者が最後に浮かべる笑い。

「どれほど否定しようと……それが……お前だよ……テンカワアキト……」

喰らわれていく。
黒い光に。
鳥が啄むように徐々に喰らわれていく。
誰かが嘔吐する音が響いた。
誰かが倒れる音が響いた。
この惨劇に。
虐殺とすら言えない、あまりに惨たらしい光景に。

「俺は……お前だよ……」

食い尽くされた。
その一言を最後に肉の一片も、骨の一欠片も、血の一滴も残さずに。
それでも黒い光は消えなかった。
いや、より深くなった。
喰らった存在が深めたように。
それはより黒くなった。

 

 

 

 

「今の内に……撃たれたクルーを……運びなさい!」

息も絶え絶えにイネスが命令した。
この絶望の光景のさなかにありながら言葉を発することが出来るその精神は凄まじい。
近くに居る者から運ばれていく。
ブリッジ下層に居る者は……アキトの存在があまりに脅威だ。

「……俺の出番、と言うべきか?」

北斗が前に出る。
そして朱金の光を纏う。

「北ちゃん!」

零夜が叫んだ。
引き留めようと。
だが、北斗は、

「アイツを……本気、いや全てを殺し尽くす気のアイツを相手にできるのは今ぐらいだ……」

獰猛な笑みを浮かべる。
ただ、目の前に立つ存在と闘いが故に。

「くっ。笑えよ零夜。今のアイツを前にすると身体が震えるぞ。この俺が恐怖を感じている」

そう、見てみると北斗の身体は小刻みに揺れている、震えている。

「だが、だからこそ……闘い甲斐がある!!」

朱金の光がその光度を増す!
より強く、より大きく。
目の前の存在が纏う闇に負けないほどに!!

「行くぞ!!テンカワ!!」

その姿が消える!
あまりの速度に残像すら残さない!

「全員!ブリッジから……いや、ナデシコから脱出しろ!!」

ゴートが叫んだ。
走り出すクルー達。
閉まったドアの向こうで響く轟音。
闘いは始まった。

「はぁあああああ!!」
「……」

裂帛の気合いの下、アキトに向う北斗。
なにもかもを喰らう闇は朱金の光を喰らおうとするが……喰らえない。
彼らの腕の一振りがナデシコを破壊していく。

「テンカワァアアアア!!」

好敵手を相手に北斗はただ叫んだ。
朱金の光が闇を祓う。
それを補おうと、闇が増す。
ブリッジは僅かな時間の間にその原型を留めていない。

「この程度か!テンカワ!お前の本気というのは!!」

身体の震えは止まっていた。
朱金の光が増していく。
音すら間に合わない速度の蹴り。
凄まじい音を立てアキトに迫る。
闇が光を止めようとするが足りない。
祓い、当てる。

「……」

ざわりと蠢く闇。
触手の様にジリジリとなにもかもを喰らいつつせまる。
それを紙一重で避ける北斗。
右より左より上より下より、様々な方向より迫るそれを避ける。
避けつつ肉薄し、朱金の一撃を食らわす。
その度に削られていく闇。
削られていくたびにその動きが洗練されていく。
より鋭く、より的確に。

「そうだ!そうでなくってはな!!」

だがその鋭さも、その的確さも北斗にとっては喜ばしいことだった。

「お前の過去に何があったかは知らんがなっ!」

目に捉えることの出来ない速度で放たれる一撃一撃を、時には避け、時には受けながら叫ぶ北斗。

「過去を受けれる事のできない程度の奴に俺を倒せると思うな!!」

裂帛の気合いで北斗は一撃を放った!
それはブリッジのドアを突き破り、通路の端までアキトを吹き飛ばす。
もうもうと塵が舞い、視界を奪う。
朱金の光を纏い神速で通路を疾駆する北斗。
目当ての人物は……いた。
通路の端で薄らいだ闇を纏い立っている。

「……そう言うお前はどうなんだ……」

彼の様に錆び付いた声を出し、アキトは訊いた。
北斗が足を止める。

「なにがだ?」

訝しげな表情をし聞き返す北斗。

「枝織という異なる人格を抱えて……お前は全てを受け入れているのか?」

アキトが床を蹴り、北斗に肉薄する。

「枝織など関係ない!!」

激昂し叫びながらもアキトの一撃を避ける北斗。

「関係…無いね」

薄闇の向こうに見えるアキトの嘲笑。
まるで彼のように。

「なら、お前も無様な存在だ」

にぃ、と嗤うアキト。

「なんだとっ!?」

怒りにその動きを鈍らせた北斗の足を掴み、壁に叩き付ける。
へこむ壁。
がっ!と肺の中の空気を吐きだす北斗。

「お前も……俺と同じだよ。抱えるものが異なっているだけで……」

彼のように嘲笑いながらアキトは北斗を追いつめていく。

北ちゃん!

「黙れ!枝織!!」

響く声。
北斗にしか聞くことの出来ない声。
その声は北斗に隙を作るには十分だった。
頭部を掴まれ、壁に押しつけられる。
ギリギリと締め付けていくアキトの手。

「結局お前も変わらんよ。女であることを受け入れられずに中途半端に生きているだけだ……」
「キ…サ…マ……」

歯を食いしばり声を発する北斗。

北ちゃん!!

再度枝織の声。

「だまれ……」
「ああ、そうだ。黙れ。そして惨めに殺されろ。……寂しさを抱えたまま惨めにな?」
「さび……しさ…だと」
「ああ、そうさ。お前も枝織も結局同じ存在さ。哀れなまでに滑稽な、北辰達の人形だ」
「貴様ぁ……」

アキトの腕を掴む手。
それに力がこめられていく。

北ちゃん!こんなアー君なんてやっつけちゃえ!

「お前に言われるまでも無いんだよ…」
「で?言われるまでもないがどうしたんだ?」

北斗が力をこめればアキトはそれ以上に力をこめた。

「だまれ……」

切り裂くような声で言う北斗。
だが、アキトの手は身じろぎもしない。
今、この時ほど自分が無力に感じたことなど無かった。
絶対的な力。
これほどまでに差があったのかと、思った。

これが、俺の、本気、なのか?

一度も感じたことのない不可解な感情が心を覆っていく。
それは絶望と呼ばれるモノ。
朱金の光が薄らいでいく。
アキトの闇も薄らいでいるとは言え、昂気の守護が無くば闇に喰われるだろう。

これが、俺の、限界、なのか?

消えていく。
昂気が、魂の輝きが。
もう、おぼろげな輝き。
それが……消える……

そんなの北ちゃんらしくないよ!!

その一声が響いた。
ただ北斗の中に。

まだ負けていないのに!もう負けた気になっているなんて……北ちゃんらしくないよ!!

なおも響く声。
それは鮮烈に響く。

「俺らしくないか……」

呟く北斗。
消えそうな輝き……消えない。

「そう、だな。俺らしくないな……」

輝きが徐々に増していく。
ゆるやかに。だが確実に!

「まさかお前に言われるとはな……」

北斗の口に浮かぶのは苦笑。
枝織に対してなど一度も向けたことがない苦笑。

「枝織…俺は無様だったな。お前に言われなければ気づかないままだった」

朱金の光。
アキトの闇より強く。

「枝織……いいさ、お前を認めるよ。お前の言葉が……俺の、目を覚ましてくれた!!」

眩いほどの光が放たれる!!

「な、に?」

消えかけていた光が突如元に、いやさらに輝きを増した事に驚愕するアキト。

「おおおおおおおおお!!」

あれほどまでに振り解けなかったアキトの手は呆気なく振り解かれた。

「テンカワ!!勝負はこれからだぞ!!」

轟っ!と凄まじい光がアキトを襲う!
それは、呆気なく、アキトの闇を消し飛ばす。

「テンカワ!お前は言ったな!俺はお前と同じだと!!」

朱金の輝きを纏いアキトに迫る北斗。
舌打ちをし、後ろに飛ぶアキト。

「ならばお前も……受け入れて見せろ!!」

床を歪ませ、凛とした表情で言う北斗。
燃ゆる朱金。
その姿はまさに戦女神の様だ。

「……言ってくれるな」

ゆらり、と彼がアキトが立った。
その表情は面白そうに笑っている。

「ああ、全くだアイツの言うとおりだ」

くすくすと笑う。

「連中が苦しみながら死んでいくのが……とても楽しかった」

北斗を見る。
意外なほどに澄んだ瞳だ。
その身に纏う凶気とは裏腹に。

「今更否定する気もないしな。この後ナデシコのみんながどう思うかは……知らん」

構える。
目の前に立つ好敵手を相手にするため。

「だが、和平を目指したいという気持ちも本当だ。狂った俺だが、いや狂っているが故に平和を目指そう」
「ふっ!だが今は……!」
「北斗、それはお預けだ。今は和平を目指す。お前との決着はその後に付けよう。……互いにくだらんわだかまりも無くなったようだしな」
「……言ってくれる。まあ良い。だが決着を付けるのは早まるかもしれんがな」
「その時はその時だ。そうなったら……良い機会だと思うさ」
「一つ訊いておきたい」
「なんだ?」
「お前の今の昂気は何色だ?」

北斗のその問いにアキトは小さく笑い、腕を振った。
轟っと纏ったその昂気の色は、
闇色。
先ほどと似て非なる色。
それは澄んだ闇。
何もかもを優しく包む闇。

「これが、今の俺の昂気だ」

輝く闇ともとれるその色は不思議と美しい。
それを纏いながらアキトは歩き出した。

「どこへいくんだ?」
「……彼女たちに謝ってくるんだよ。…アイツは間違いなく……俺だったんだからな」
「……お前、本当に受け入れているのか?」
「当然だ。でなければ俺はアイツを否定するだけだ」

それ以上語ることをせず、アキトは歩き始めた。
向う先は医療室。
北斗との闘いが思われた以上に広がらなかった為、彼女たちはそこにいるだろう。
恐れられても良い。
避けられても良い。
それで避ける者達であれば必要としない。
必要とする者は、今の彼でも避けない者。
否定していた闇を纏う彼でも受け入れられる者。
誰が残るかは分からないが、ただ突き進むのみ。
彼は静かに歩んでいく。
血塗られた道でも、躊躇うことなく。
さあ、もう一度、始めよう。
絶望も憎悪も悲哀も残虐な心をも受け入れ、今この時から始めよう。

「ナデシコでなくとも、俺はもう構わないしな」

笑みを浮かべるアキト。
その後ろ姿からは独りであることを恐れるかつての青年の姿を見いだすことは最早……無い。

 

 

後書き

 

 

 

 

 

 

 

短編が連載になっちまったよ!!

 

 

 

 

代理人の感想

…………へぇ。

いいじゃないですか。

ちなみに「Antinomy」とは「二律背反」の意味だそうです。

 

 

 

 

ま、なんですな。「足して二で割れば丁度いい」とはよく言いますが、

実際に足してしかもニで割らないのは

実に珍しいでしょう。(笑)