幾度かの戦闘、パイロットとの合流、ヤマダジロウの死。
火星へ至るまで幾つもの出来事があった。
時には笑い、時には哀しむ、ナデシコのクルー達。
様々な感情が入り乱れる中、常に静かだったユリカ。
それは思い出の地である火星を目の前にしても変わらなかった。
彼女は火星を目の前にした時、静かに涙を一筋、流しただけだった。
●
グラビティブラストをもって火星で待ち構える敵を排除しナデシコは漸くその地へと降り立とうとしていた。
大気圏を過ぎると光輝くナノマシンの洗礼。
それは夢のように美しく、夢のように儚い光景。
もはやその恩恵を得るものがいなくなってもそれらは静かに光輝いている。
「ユリカ…」
ジュンが目の前に立つユリカに心配げに声をかけた。
普段は屹然とした姿しか見出す事しか出来ない彼女が、今このときだけは弱弱しく見えたからだ。
「大丈夫よ、ジュン君」
振り向く事無くユリカが言葉を返す。
ジュンが見せられたのは拒絶の意を示す背中。
その背中に躊躇いながらも言葉を掛けようとして……掛けれない。
小さく息を呑み、中空で手が止まる。
ユリカはそれに気付いているのかいないのか、ただ静かにウィンドウに映る惑星をみている。
そしてナデシコは火星へと辿り着いた。
荒涼と広がる大地。
生ける者が全く見当たらない大地。
「でも……私には懐かしい地」
広がる荒涼の地を見つめながらユリカはそっと呟いた。
その呟きを聞くものは誰もいない。
ユリカにとってその時間は長かったのか短かったのか…。
寂寥とした地を見つめるその瞳からはもうどんな感情も窺えない。
普段と同じ表情――冷たさが見え隠れする表情へと戻っている。
「今後の動きは?」
静かにユリカがプロスの方を向く。
火星へと至るまで、そして戦闘はユリカの指揮であるが、火星でなにを行うか、どこへ向うかはプロスのいやネルガルの方針による。
「もし…時間があるのなら、エステを借りたいんですが…」
え?と誰もが目を見張った。
見た事の無いユリカの姿。
ほんの数瞬前の冷たい表情をしたユリカはそこにはいなかった。
縋るような眼差し、凛々しい姿でなく弱々しい姿。
その場にいた皆が言葉を失った。
最初に言葉を取り戻したのはゴートだった。
「艦長が艦を空ける気か!?」
ユリカの言葉に思いの他、もしくは当然として厳しい言葉を投げる。
その言葉を投げられたユリカから反論の言葉はでない。
彼女自身、自分の言葉がどれほど無茶なのかを分かっているからだ。
それでも…、
「ユートピアコロニを見ておきたいんです……」
小さな声を漏らす。
独り言と捉えられそうな小さな言葉。
そんな言葉だというのに不思議と明瞭に響いた。
「行って来たまえ」
「提督!」
ユリカの言葉に反応したのはフクベだった。
たった一言、その一言が全てだった。
信じられないといった風情でフクベを見るゴート。
「誰にでも故郷を見る権利はある!」
皆が注目する中でフクベはそう言いきった。
そんなフクベにユリカは静かに一礼をし、ブリッジを出て行った。
「提督、何故ですか!?」
ユリカの後姿を見送る事となったゴートはその姿がドアの向こうに消えた後、フクベに詰め寄る。
理解できないといったゴートの形相を見る事無く、フクベは静かにシートに腰掛けている。
「提督!」
二度目のゴートの言葉。
一つ息を零し、フクベが口を開いた。
「贖罪……と言えば君は満足するかね?」
「ッツ!」
フクベの言葉にゴートは息を呑む。
ユートピアコロニーの、フクベの行いの真実を知るものの一人だからだ。
動きの止まったゴート。
静かに火星の大地を映し出すウィンドウを見ているフクベ。
その二人を離れたところより見ているプロス。
誰にも聞かれることの無い声で彼は呟いた。
(彼女が邂逅のはきっと彼なんでしょうね…)
そして彼女は邂逅する。
●
荒涼と吹きすさぶ風。
目に入る限りに地平が広がる。
赤い大地は寂寥としており生ける者を感じさせない。
「ここが火星か……」
そんな地に佇むのは亡霊。
風を防ぐ為にバイザーと外套を纏い広がる地平を見ている。
風に揺れる外套を押さえながら彼は歩き始めた。
一歩一歩を確実に踏みしめ歩く。
細かな砂が混じる風をその身に受けながら。
寂寥とした地、静かに空に輝くナノマシンが幻想を創り上げる。
その世界を歩く彼はまるで異世界の住人のように思えた。
静かな時に鳴り響く無粋な音。
「……こちら亡霊」
通信機を取り出し応答をする。
『七曜の3だ。亡霊、相転移式の戦艦より機動兵器が一機出た。行く先はユートピアコロニーと思われる。至急向え」
「了解した、これより向う」
通信機を仕舞いこみ歩く先を変える亡霊。
「ネルガルの研究所へと向うよりは近いか」
小さく笑みを浮かべる亡霊。
「だが、なぜ一機だけなんだ?」
訝しげな表情をする。
さしもの彼も個人的な感情で動くものがいるとは思いつかなかった。
思いついたのはユートピアコロニーに生存者がいるだろうということだけだ。
そして彼は邂逅する。
●
エステを駆り、ユートピアコロニーへと向うユリカ。
徐々に近づきつつあるその跡地に目を細める。
色褪せる事の無い思い出が蘇る。
辿り着いたユートピアコロニーは凄惨な場所へと変わり果てていた。
大きく抉られた大地。
突き立つのはチューリップ。
どれほどの事がここにあったのだろうか?
死の風が吹き、鬼哭の音が響く。
エステより降りたユリカが手近な建造物のなれの果てに手を乗せた。
その途端、止まっていた時を思い出したかのようにボロボロと崩れる
砂となったそれを胸の前で握り締め、彼女は言った。
「アキトッ……!」
あの時以来流れる事の無かった涙を流して。
風が静かに彼女の髪を揺らした。
思い出を示すものは衝撃と灼熱の中に消え失せ、残されているのは手を触れれば崩れる砂の記憶。
追憶するにはあまりに儚いそれを握り締め慟哭するユリカ。
泣き声に混じり、足音が響いたのはその時だった。
「誰!?」
流れる涙を拭い振り向くユリカ。
そこに立っているのは亡霊。
バイザーを身につけ、外套を纏った姿。
「……」
無言で外套の中に手を入れる。
引き戻された手が握っているのは武骨な拳銃。
「……ッツ」
悔しげに舌を鳴らすユリカ。
対抗する手段など持っていないからだ。
向けられる銃口。
亡霊が今まさにその引き金を引き、無慈悲な弾丸を放たんとした時、
「アキト……」
ユリカが呟いた。
ザワリ…
何かが亡霊の中で蠢いた。
頭が割れそうなほどに痛みを発する。
耐え切れず銃を落とし膝をつく。
「ッグウ!」
両手で頭を押さえ、苦鳴を漏らす。
目を閉じ、死を与える弾丸が迫るのを諦めの表情で待っていたユリカが驚きながらも走る。
亡霊の脇を抜け、エステへと乗り込む。
頭を押さえ、苦しみながらも銃を拾い直し再び銃口を向ける亡霊。
震える手で引き金を引くが、それより早くコクピットが閉じる。
虚しく弾かれる弾丸。
そんな弾丸ではエステの装甲を貫けないと分かっているだろうに彼は引き金を引き続ける。
エステが走り去って行こうともその背後に向けて。
虚しくシリンダーが回転しても止まらない。
ガチ、ガチ、と硬い音が鳴っても引き金を引く。
エステが亡霊の視界より消え失せて、漸くその行為も止まった。
銃を落とし、膝をつく。
荒く息を吐き、拳を地面に打ちつける。
「なんだ…なんなんだ!あの女は!!」
込み上げてくる吐き気を我慢し叫ぶ。
ギリギリと締め付けられるような痛みがある。
「ッグウ!」
再び苦鳴を漏らし彼は外套の中へ手を入れる。
激しい動きに外套の中でガチャガチャと金属音が鳴り響く。
幾丁もの銃器が触れ合っている。
が、取り出したのは銃器ではなくメディカルキット。
無針注射器を取り出しアンプルを付けて使用する。
「ッハ!」
汗を流し、大きく息を吐く。
漸く落ち着き、エステが消えた方向へと目を向ける。
広がるのは地平のみ。
最早影も無いというのに亡霊はそこをあたかもいるかのように呟いた。
「誰なんだ…お前は?」
再び出逢った彼と彼女。
火星の地のみがその邂逅を見ていたのだった。
●
映し出される地平も目に入れずユリカはただ考えていた。
先ほど出会い、銃を向けた男の事を。
「あれは…誰?」
浮かんできた感情は銃を向けられたときの恐怖、そして郷愁とも呼ぶべき懐かしさ。
「どうしてこんなに胸が騒ぐの?」
あの時以来騒ぐ事の無かった胸が騒ぎ出す。
あの髪を見た時に、あの姿を見た時に騒ぎ出した。
バイザーの奥に隠された顔を見たい。
ユリカは痛切にそう思った。
そうすればこの胸のざわめきが収まるかもしれない……。
そう思った。
●
血臭が漂っている。
硝煙の臭いが漂っている。
薄暗い地下に静かに。
「こちら亡霊。生き残りをユートピアコロニーで発見。人数が多い、でかいのをまわしてくれ」
「七曜の3、了解」
通信を行う亡霊に好機と見たのか襲い掛かる男。
その周りには血を流し苦鳴を漏らすものが転がっていると言うのに。
「ゲェッ!」
鉄パイプを振りかざさんとした時に腹部より来る衝撃。
重圧を憶えそうな程に巨大なライフルが押し付けられている。
重さは数十キロを超えるだろうそれを片手で持ちあげている亡霊。
「……機動兵器用の爆裂鉄鋼弾を人間が喰らうとどうなるか教えてやろうか?」
ぐい、とより押し付け訊く。
その言葉に憎々しげに亡霊を見る男。
「……そうか」
冷たく言い放ち、彼は引き金を引いた。
轟音とともに吹き飛ばされる男。
上半身は原型を留めておらず肉片が散らばる。
「余計な事はしないことだ」
無感情の目でかつて人間であったものを見ながら言った。
悲鳴も、嘔吐する音もなにもかもが遠い。
「俺は今、最悪の気分なんでな……小さな事も気に障る」
改めて巨大なライフルを立ち並ぶ者達に向けて告げる。
(あの女に会ってからな…)
ギリッと歯を噛み締める。
この上なく不快な感覚がある。
まるで脳をかき回される感覚。
迎えが来る今一時、その感覚に付き合わなければならない事を考えると憂鬱な気分になりそうだった。
「最悪な任務だ……」
その一言に全てをこめて彼は呟くのだった。
●
亡霊が火星で苦悶しているころ木連では……。
「もういいです!!」
勢い良くドアが閉められる音が響いた。
怒り心頭な表情で千沙が歩いていく。
その表情に擦れ違う誰もが道をあける。
「どうしたんだ、各務は?」
暇つぶしに舞歌の執務室を訪れた北斗が頭を押さえている舞歌に訊いた。
暫し無言の後に溜息をつき舞歌が答えた。
「なんでも自分は『千沙』だから印刷所で働かないといけないとか言い出して…」
「……なんでまた?」
「分からないわよ…」
再び溜息を吐く舞歌。
「あれは目がやばかったな。……舞歌、お前千沙をこき使いすぎだ」
「う……」
北斗にまで言われ言葉に詰まる舞歌。
以前北辰にまで言われた事を言われ、自分が極悪な人間に思えてきた。
知る人間であれば口をそろえて極悪だと言うだろうが。
「ふっ…北辰にまで千沙を休ませろと言われたのはショックだったわ」
遠い目をして言う舞歌。
「北斗…私はそんなに酷い事してる?」
「親父が各務に同情したくなるくらいにな」
舞歌撃沈。
こうして漸く千沙は休暇を手に入れることが出来たのだった。
元に戻れるか!?各務千沙!!
後書き
皐月、一生の不覚ぅううう!!
翡翠萌え萌えバスタオル入手するの忘れてたぁあああ!!
代理人の感想
アイタタタタタタタタタタタタタタタタ。
それはさておき……千沙憐れ。