カトンボの思考ルーチンは初期戦果を確認し、攻撃続行の判断を下した。
 有力な脅威となる反撃は無い。攻撃範囲内に友軍の姿も無い。大破した友軍車両には、いずれも生体反応は確認できない。
 問題となる要素は何も無い。第二次攻撃を開始しようとして――――
 瞬間、射線上に友軍艦艇の存在を確認した。
 人間より冷徹で容赦がなく、それゆえ合理的なカトンボの思考ルーチンは、友軍相撃を避けるため即座に攻撃を中止した。



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十話 たった一つの望んだ生き方 後編



 カトンボが楯身たちもろとも地上を薙ぎ払おうとする寸前、もう一つの艦影がカトンボと地上の間に割って入ってきた。
「ナデシコB……!」
 妃都美は呆然と、その艦の名を呟く。両舷に巨大なブレードが張り出した、独特のフォルムは見間違えようが無い。
 ハーリーの連絡を受けて、急遽発進してきた? それにしても到着が早すぎる気が……何はともあれ、ナデシコBがカトンボの射撃軸線に割り込んでくれたおかげで、楯身たちは助かった。
 ナデシコBの後部デッキから、三つの影が飛び出す。一緒の輸送機で持ってきたバッタだ。内二機がジョロを胴体下に吊下げ、計五機が三角隊形でこちらへ降りてくる。
『こちらはナデシコBです。これより虫型兵器を展開して、そちらの援護に当たります』
 コミュニケから、いっそ憎らしくなるほど冷静なルリの声が聞こえたのを合図に、バッタから切り離されたジョロが妃都美たちの傍へ降り立つ。同時にバッタも低空にホバリングし、テロリストへ向けて機銃掃射を始めた。頼もしいが、下手をすれば楯身たちを巻き込むのではあるまいか。
「気をつけてください! 二号車の中には、まだ他の人たちが!」
『ハーリー君から聞いています。虫型兵器は私が制御していますから、心配は要りません』
 ルリの言った通り、バッタは敵の殲滅を優先した強引な攻撃はせず、周囲に余計な被害を出さないよう的確に加減した射撃を行っている。敵の攻撃が来れば踊るような螺旋軌道でそれを回避し、次の瞬間には別の機体が反撃している。その動きにはまさに生き物を思わせる躍動感があった。
 あれ一つ一つを、ホシノ中佐が一人で直接制御している……しかもナデシコBの制御と並行して? 人間技じゃない。いくら高性能なコンピュータの力を借りても、並の人間には到底不可能な芸当だろう。
「凄い……」
 妃都美は感嘆の呻きを漏らす。
 あれが、電子の妖精の力……いや、あれさえも彼女の力の、ほんの一端に過ぎないのか。
『敵は虫型兵器が引き受けます。そちらは二号車の救出を。タカスギ少佐とハーリー君はナデシコに戻ってください。バッタで回収します』
「了解!」
「え、回収ってちょっと、わわわわわ――――!」
 バッタの一機がサブロウタを足に掴まらせ、ハーリーを釣り上げてナデシコに戻って行く。それを見届けた妃都美は和也と共に二号車へ走った。その周囲をジョロが並走し、機銃で敵を牽制してくれる。悔しいが頼もしいと思った。
『二号車周辺のスキャンが終わりました。トラップの類は無し。接近に危険はありません』
「ご丁寧にどうも……!」
 ここまで差を見せつけられると、いっそ清々しくなってくる……
 二人は二号車へ飛び着き、焼け焦げたドアを開けようとするが、爆発でどこか歪んだのか開けられない。
「大丈夫ですか!? 楯身さん、美佳さん、美雪さん!」
 ドアを叩いて呼びかける。なんとか無事だけでも確認したかった。
「奈々美! 烈火! 生きてるなら返事しろ!」
「……そんなでかい声出さなくても、生きてるわよ」
「その声は奈々美? 大丈夫なのか!?」
 和也の声が明るくなる。声からして、少なくとも奈々美は無事のようだ。
 バキバキと中からドアがこじ開けられ、打ち身や切り傷を作りながらも無事な奈々美が出てくる。
「よかった……無事だったんですね」
「まあ、美佳のおかげであたしたちは、ね……」
「……道路にIEDが仕掛けられているのに気が付いたので、私がハンドルを切りました……何とか、直撃は免れたようです……」
 続いて美佳が這い出てくる。彼女も無事だった事に妃都美も安堵したが、
「……ですが、烈火さんと美雪さんが……」
 中から聞こえてくる苦しげな呻き声に、妃都美と和也ははっとした。全身血塗れで横たわる烈火と、手足に大きな切り傷を負ってうずくまる美雪。この二人は、明らかに他より重傷だった。
「……二人は、爆発の起こった側に座っていましたから……烈火さんは私を庇って、美雪さんも……」
「あのIED、ご丁寧に金属片がぎっしりだったわ。防弾ガラスも突き破られてこのざまよ」
 よいしょ、と奈々美が運転席のドアをこじ開ける。そこからは楯身が、頭から血を流しながらも這い出してきた。
「かくいう我々も今の今まで気を失っておりましてな。先刻目が覚めたばかりなのです。……状況は?」
「一時はかなり危険だったけどね。ガンシップ型カトンボの攻撃と、ナデシコBの援護で逆転した。敵はもう逃げ出し始めてる。……美佳。二人の怪我の具合はどう?」
「……意識ははっきりしていますが……思ったより傷が深く、出血が多いです……戦闘は不能。すぐに治療が必要と判断します……」
「ホシノ中佐。聞いての通りです。レベル2から3の負傷者が二人。医務室の準備と、救命艇の発信をようせ……!」
 和也がそう言った刹那、頭上を飛び交うバッタ目掛けて、いくつものミサイルが白煙を引いて飛翔していった。バッタは回避行動を取るも、一機が避けきれずにミサイルに食いつかれ、爆発する。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
 落下してきた残骸を慌てて避ける。ミサイルの飛んできた方向に目を向けると、太い円筒形の発射機を担いだ男が数人、民家の屋根上で歓声を上げていた。
「あれは……携行型の、対機動兵器ミサイル!?」
 テロリストのくせに、あんな物まで持っているなんて……やはり、火星の後継者からの武器給与か。
『敵は周辺に散らばりつつ、建物の中や蔭から抵抗する構えのようです。まだ逃げてはくれないみたいですね』
「まだ抵抗する気なのか……怒らせてしまったかな」
 そう、和也。
『まあ、好都合ですね』
「……好都合?」
『こちらの話です。とにかくミサイルの脅威がある場所へは、救命艇は出せません。敵を掃討して、周辺の安全を確保してください』
「了解! ……ふん、言われるまでも無いさ」
 通信が切れたのをいい事に、和也は悪態をつく。そこへ『……ああ、言い忘れていましたけど』と再びルリのウィンドウが現れ、和也はぎょっ、とのけぞった。
『援軍が必要なら言ってください。すぐにタカスギ少佐のエステバリスを出しますから』
 今度こそウィンドウが消え、通信が切れた。
 言ってくれれば援軍を出す。逆に言えば、要請しない限り援軍は出さない。それはつまり、
「僕たちを試そうって事か……? 上等だよ。みんな聞いたね? 敵を掃討して、周辺の安全を確保! 助けられっぱなしで終わらせないで、ホシノ中佐の鼻を明かしてやろう!」
「承知であります!」
「上等! そうこなくっちゃね!」
「……あまり時間はかけられません。早期に、片をつけます……」
 和也の命令に、皆が威勢良く応じる。
 しかし妃都美は、すぐに返事が出来なかった。
「妃都美? どうした」
「あ、りょ、了解しました!」
 慌ててそう答える自分が、酷くもどかしい。



「ま、マキビ・ハリ中尉、ただ今戻りましたっ!」
 息せききって、ハーリーがブリッジに走り込んできた。それにルリは椅子を回して、ウィンドウボール越しに言う。
「遅いですよハーリー君。早く席についてください」
「すみません……それで、状況は?」
「優勢ですよ。……まあ、当然ですけどね」
 正面に展開するウィンドウの一つに目をやる。体勢を立て直した『草薙の剣』が虫型兵器と共に反撃を始める様子が、高みから見下ろした視点で映っていた。
 ――それでいいんです……せいぜい頑張ってくださいね。
 敵は駆逐する。テロリストは殲滅する。そのために、彼らには頑張ってもらわないといけない。たとえいつ何時寝返るかもしれない、大きな危険性を孕んだ連中であってもだ。
 実際『草薙の剣』はよく戦っている。敵は次々銃弾を受け、朱に染まって倒れていく。
 彼らは火星の後継者ではない。それに利用され、使われているだけの哀れな現地人テロリストだけど……同情は、しない。胸の痛みも、感じない。
『こちらタカスギ。スーパーエステバリスの準備完了、いつでも出れますぜ』
 ウィンドウボールの中にもう一つウィンドウが開き、サブロウタの声がした。ルリは正面を向いたままで言う。
「了解。そのまま待機していてください」
「え?」
『待機?』
 怪訝そうに、サブロウタとハーリーが訊き返してくる。
「敵性機動兵器がいない現状、エステバリスではオーバーキルですし、下の人たちの能力を把握するいい機会ですから。コクドウ隊長にもそう伝えてあります」
『お前らの力を見せてみろって? 艦長もまた人が悪い』
 サブロウタは苦笑するが、一方でハーリーは心配そうに言ってきた。
「危険じゃないんですか? 戦力の出し惜しみはしない方が……」
「相手は素人が武器を持っただけのテロリストです。このくらいは自分たちで切り抜けてもらわないと困ります。それができないというなら、ここで助けてもどうせいつかは死んじゃいます」
「それは……」
『いや、これは艦長にも一理あるぞ、ハーリー』
 サブロウタにまでそう言われ、さすがにハーリーは押し黙った。
『もう状況はだいぶ好転したんだ。これでまだ自力で何とかできないなら、艦長の言う通りあいつらはすぐに全員死ぬさ。あいつらだってそれを解ってるから承諾したんだろうし、なにより助けられっぱなしじゃ気分が悪いだろう』
 あいつらは助けてくれなんて言っちゃいないんだ。信じてやろうぜ――――そう言うサブロウタに、ハーリーも納得したようだ。
 ――あの人たちの力は、ここで把握しておきたい……それに、
 二人には言わなかったが、ルリが『草薙の剣』にこれ以上の援護をしない理由はもう一つある。
 ――コクドウ・カズヤ軍曹……部隊を率いる隊長……
 たった七人の小隊とはいえ一つの部隊、それもかなりアクの強そうな連中を率いる小隊長。そんな人間がこの状況下でいかに部下の士気を高め、戦闘を有利に進めるのか、ルリは見ておきたかったのだ。



 二号車のトランクから武器を回収し、『草薙の剣』は戦闘態勢を整える。二機のジョロが両前足に盾を構えて歩み出、和也と楯身、妃都美と奈々美がそれぞれ二人一組でその両脇に付いてジョロが掲げ持つ盾の影に入る。
 ジョロ一機に歩兵二人が一組になった分隊が二つ出来上がり、二号車の前と後ろに出て遊激戦の態勢に入る。美佳は二号車に残り、負傷した烈火と美雪の手当てをしつつ、レーダーで周辺の敵の動きを探る。さらに上空ではバッタ二機が上空援護を続けてくれている。
 今度はこっちの番だ……! 和也は皆に号令をかける。
「百倍にして返してやれ!」
『草薙の剣』と虫型兵器の銃火器が一斉に火を吹いた。皆が負傷している烈火と美雪の分もと、今までに倍する勢いで弾をばら撒く。
 対する敵……現地人テロリストの集団も、負けじと機関銃やライフルを乱射してくる。ガンガン! とジョロの盾に銃弾が爆ぜ、派手に火花が散ったが、それは盾の表面に浅く傷をつけただけだった。
 エステバリスの装甲板と同じ、複合ルナニウム合金の盾。虫型兵器と歩兵との連携を考えて最近開発された歩兵防護盾だ。内向きに角度が付けられて前と左右の広い角度をガードし、ライフル弾程度なら軽く弾き返す。一方それに守られた和也たちは、盾の銃眼から安全に射撃ができる。
 乗り捨てられた車を盾に機関銃を乱射してくるテロリストの一人へ、和也はアルザコン31の狙いを定めて三連バースト射撃。赤く灼熱した弾丸が、テロリストの額へ吸い込まれ――――男がのけぞって、倒れる。
 一度和也たちの銃が火を噴くたび、テロリストは一人、また一人と地に伏し動きを止める。所詮は素人が武器を持っただけのアマチュアテロリストだ。まともな戦法も知らずに銃を乱射してくるだけで、銃を持っていない者などは愚直にも雄叫びをあげて突っ込んでくる。狙いやすい事この上ない。建物の間や物陰に隠れて攻撃してくる者がいても、美佳がレーダーで『視て』いるのだから不意打ちにもならない。
 正しく、一方的な戦い。……だというのに。
「どうして、こいつらは向かってくるんだよ……!」
 テロリストたちには諦める気配が無い。一人が倒されても、もう一人が落ちた銃を拾って撃ち返してくる。目の前で仲間の頭蓋が弾け、脳漿が飛び散っても逃げようとしないのだ。一体、何がこいつらを動かしているのか。
『彼らは、戦って死ねば天国で無上の幸福が与えられるという、彼らの宗教観を信じています』
 不意に、ルリの声が聞こえた。
『戦死が幸福に繋がると信じているから、彼らは死を恐れないんです』
「……本当にそれだけですか? そんな確かめようのない迷信であそこまで?」
『さあ。どちらにしても、彼らはそう簡単には降伏しません。片っ端から射殺するか、無力化してください』
「簡単に言ってくれるよ……!」
「隊長!」
 楯身の叫び声。前方右手の民家の上――――先ほどのミサイルが、再装填を終えてこちらを向いている!
「下がれっ!」
 和也と楯身を盾にしがみ付かせ、ジョロがローラーダッシュで急速後退。同時に対機動兵器ミサイルが三発、白煙を引いて飛んできた。ジョロが背中からグラビティ・チャフ・ディスペンサーを射出し、二発がそれに騙されて空中で爆発したが、残る一発が和也たちに向け飛来してくる。
「チッ……!」
 ――二番起動! 叩き落としてやる!
 舌打ちし、入れっぱなしにしていた『ブースト』の二段階目を起動。ビデオのスロー再生のように動く世界の中、飛来するミサイルを狙って片手で撃ちまくる。がつっ、と当たった弾丸がミサイルの軌道を逸らし、ミサイルは地面に激突して至近で爆発した。
「おのれ!」
 楯身が反撃の火線を伸ばす。しかしテロリストたちはさっと死角に隠れ、弾は民家の外壁を傷つけただけに終わる。
「チ……やっぱり高い所を取られていたら厄介だね……」
 呟き、頬に痛みを感じて手をやると、少し出血していた。ミサイルの破片で切れたようだ。楯身が和也を見ずに言ってくる。
「またミサイルを撃たれると危険でありますな。その前に排除すべきでしょう」
「解ってるよ。……ホシノ中佐。こいつに戦闘行動パターンS−16を取らせてください」
『了解。振り落とされないでください』
 ルリが応じると同時に、ジョロがローラーダッシュで突撃。和也と楯身は武器を持ったまま、片手と片足で必死にジョロへしがみ付いて堪える。
 気が付いたテロリストが、民家の上から射撃を始めた。ジョロがそれを避けようと右へ左へと激しく蛇行し、振り落とされそうになった和也は「ひゃああっ!」と思わず情けない声を上げてしまった。気のせいかもしれないが、ルリの鼻で笑う声が聞こえた気がした。
 ジョロはテロリストたちがいる民家の前へ。勢いを殺さずに壁に足をかけ、垂直に駆け上がって――――敵と目線が交錯した一瞬に、和也は驚愕に見開かれたテロリストの眼へと弾丸を叩きこんだ。そのままジョロの体躯と一緒に、和也と楯身は空中に投げ出される。
 残りは四人。これなら十秒で片を付けられる。和也はそう思って――――ミサイルの一機が、自分たちを向いているのに気がついた。
 ――まずい!
 空中で一時的に身動きが取れないジョロに、ミサイルが容赦なく食らいついた。ジョロが爆発四散し、その余波で和也と楯身も吹き飛ばされる。
「うわっ!」
「ぬっ!」
 悪くした事に、和也と楯身はテロリストたちがいる屋根の上に背中から転がり落ちた。急いで体勢を立て直すが、敵がそれを待ってくれる訳も無い。すぐさまテロリストが武器を手に手に襲い掛かってくる。和也は倒れた体勢のまま応戦しようとして――――右手にさっきまで握っていたアルザコンが無い事に気が付いた。
 ――しまった、ふっ飛ばされた時に落とした!
「死ねえ!」
 ぶおっ、と風を薙いで振り下ろされるのは、装填の間に合わなかったミサイルの発射機だ。本体重量十キロを超えるそれなら、人間の頭蓋を叩き割るくらい簡単だろう。戦慄し、何とか致命打を避けようと体を捻る。
 ゴシャッ――――! 物が砕ける鈍い音。
「く……!」
 頭のすぐ横に、ミサイルの発射機がめり込んでいた。即座に身を起こそうとするも、テロリストの男はそうはさせまいと再び発射機を振り上げ――――「ギャッ!?」と血の飛沫を撒き散らして倒れた。
「ごめん、楯身!」
「礼には及びませぬ!」
 言い交わし、先ほど奪ったシャムシールを腰のベルトから引き抜く。テロリストたちが銃を構えるのを見て、それを目の高さで水平に構え、両足をバネのようにたわめる。弓矢を引くように、力を込める。

 ――木連式抜刀術、突きの中段、牙突――――!

「ふうっ!」
 気合いの声と共に、和也は矢のように飛んだ。テロリストの銃弾が頭上数センチを通り過ぎ、次の瞬間には和也のシャムシールがテロリストの体を貫いていた。仲間を一瞬で殺されたテロリスト二人が悲鳴とも雄叫びともつかない声を上げて左右から和也を狙うが、それより早く和也の88型拳銃の抜き撃ちと、楯身の射撃がそれぞれ一人を撃ち倒したのはほぼ同時――――
「ふう……これでミサイルは制圧できたな」
「後は妃都美たちと虫型兵器が制圧するでしょう。残るテロリストも逃げ出し始めております。勝敗はほぼ決しましたな」
「妃都美……ね」
 呟き、和也は妃都美の方を見やる。ジョロと奈々美と一緒に、確実にテロリストを追い詰めているが。……どこか、いつもの覇気が感じられないように見える。
「何か問題でも?」
 楯身が横から聞いてくる。それに和也は、「少しね」とだけ答えて、残る敵を掃討すべく下へ降りた。



 ガンッ――――! とジョロの盾に銃弾が爆ぜ、妃都美はびくりと身を竦ませた。
 ――狙撃!? どこから!?
『銃弾の弾道を計算しました。ポイントB−47、民家の窓に狙撃手を確認』
 ルリの声が示したポイントを『鷹の左目』で見る。見えた人影は二人。こちらに狙撃銃を向ける男と、その前に泣きながら立つ女――――
『制圧しま――――』
「待ってください!」
『っ!』
 ルリの驚いた声が聞こえ、攻撃態勢に入っていたバッタが方向を変えて飛び去る。
「あの狙撃手は――――人質を盾にしています!」
「何ですって!?」
『……確認しました。本当です』
 ド卑怯者ーッ! と奈々美が自慢の大声で罵るが、それでどうなるわけも無い。ジョロの盾には歯が立たないと悟ったか、狙撃銃がその矛先を変える。
 ――いけない。あの向きは……!
「美佳さん、そっちを狙っています! 危な……!」
 妃都美の警告は、長く尾を引いた銃声、そして「ああっ!」という美佳の悲鳴に遮られた。
「美佳ッ!」
「ホシノ中佐、ジョロに二号車をガードさせてください!」
 急いでジョロを射線に割って入らせ、盾で二号車を守らせる。それに一足遅れて妃都美と奈々美も二号車へ駆け寄った。
「美佳さん、大丈夫ですか!?」
「……私も、二人も大丈夫です……ただ、パソコンが破壊されました……」
 美佳の愛用していた視覚障害者用ノートパソコンに、ぽっかりと穴が開いていた。危険に気付いて咄嗟に盾にし、貫通はしたが弾道を逸らす役には立った、といったところか。とにかく美佳が無事だった事にほっと胸を撫で下ろす。
「よかった。ノートパソコンくらい、いくらでも代わりはありますよ」
「まあね。それよりどうするの? 撃って届かない事は無いと思うけど、人質に当てないよう必中させるのは無理だわよ」
 忌々しげに奈々美が言った。
 狙撃手との距離は、『鷹の左目』で計測したところ、およそ200メートルと少し。狙撃というにはいささか近いが……二階建ての民家の窓からはこちらが丸見えで、良い撃ち下ろしポジションではある。加えて人質を盾にされているのでは、通常の銃火器では狙えない。……そう、通常の銃火器では。
 陰険な奴だと思った。こちらが手出しできないのをいい事に、狙撃手は受け持ちの敵をほぼ片付けて戻ってきた和也と楯身をいいように弄んでいた。
「駄目だ、いったん死角に隠れろ!」
 和也と楯身は堪らず狙撃手の死角になる場所へ身を隠す。安全だが、こちらからも手が出せない……和也がコミュニケへ叫ぶ。
「ホシノ中佐、バッタの機銃で狙撃手を狙い撃てませんか!」
『無理です。これは一発撃ちができません。どう撃っても確実に人質を巻き込みます』
「……じゃあ、こっちも狙撃しかないか」
 ちら、と和也が妃都美を見た。その視線に妃都美は、きゅっと胃のあたりが締め付けられる感じがした。
 ……確かに、これは私が一番適任だ。狙撃銃であの狙撃手を打ち倒す。それも人質に当てないように。なんて事はない、訓練でも幾度となく経験してきたシチュエーションだ。
 ――でも、もし“また”失敗すれば、あの人質は死ぬ。それどころか私も、和也さんたちも……
「二号車のトランクに、確かアカツキ狙撃銃があったね? 妃都美はそれを持って、あいつを狙える位置に移動して」
 妃都美の気の迷いなど知るよしも無く、作戦は組み上がっていく。
「他はあいつの気を引きつけて、妃都美を援護する。いいね?」
 了解! と全員が唱和する。
 しかし妃都美だけは答えられなかった。……全員の視線が、妃都美に注がれる。
 ――いけない……黙っていたら怪しまれる。どうしたら……内心で激しく動揺する妃都美に、奈々美が声をかけてくる。
「妃都美? どうしたの」
「い、いえ……なんでもありません……」
 なんでもないわけがない。まして内心の動揺を隠し通せるような腹芸を、妃都美はまだ会得していなかった。奈々美が剣呑な声音で言ってくる。
「妃都美……あんた、まさかビビって」
『怖気づいたんですか? マヤヒトミ上等兵』
 いきなりルリのウィンドウが二人の間に現れ、驚いた奈々美が「わっ!?」と大きくのけぞった。
『こんな肝心な時に怖くて何もできないようなら、クビにされても文句は言えないのは解っていますよね?』
 ルリは今までと変わらない、抑揚の無い口調で言うが、その裏に相当な苛立ちがあるのは妃都美にも想像が付いた。それに対して妃都美は何も言い返せなかった。そもそも言い返す余地が無い。
 学校の屋上では、撃つのがコンマ数秒遅れたせいで足を撃ち抜かれた。
 メガフロートでの演習では、相手であるオールウェイズ中佐との力量差に混乱した挙句、あっさりと撃ち殺された。
 また狙撃に失敗すれば、今度こそ死ぬかもしれない……戦場では至極当然のそれは、いつのまにか今の妃都美にとって心と体を縛るに十分な恐怖となって、妃都美を苛んでいたのだ。
『……これはもう駄目ですね。コクドウ隊長、マヤ上等兵はバッタで回収しますから、二番目に狙撃が上手な人を――――』
「待ってください!」



 妃都美は、もう“使えない”――――至極あっさりと、それでいて迅速に判断したルリがそう宣言した時、和也は「待ってください!」と慌てて叫んだ。そのまま撃たれないよう身を低くし、妃都美の元へ駆け寄る。
 妃都美のメンタルバランスは確かに崩れている。このまま戦闘に参加させすぎるのは危険だ。ルリの判断は、指揮官としては決して間違っていない。
 ――でも、このままじゃ確実に、ホシノ中佐は妃都美をクビにしてしまう。
 そんな事をさせるわけにはいかない。『草薙の剣』は七人揃って、初めて一振りの剣になるのだから……!
「妃都美……一体どうした。撃てないのか?」
「…………」
「昨日まではちゃんとやれただろう。なのにどうしてこの大事な時に」
「だ、駄目です……怖くて……」
 ――完全に委縮してる……戦闘神経症シェル・ショックか? 違う。だったら戦うどころじゃないはずだ。さっきまでは本調子でこそなかったようだけど、何とか戦えていたはずだ。
 じゃあどうして撃てないなんて言うんだ……! 苛立ち任せに怒鳴りつけそうになり、和也はかろうじて踏みとどまった。
 今はそうするべき時ではないと、判断したからだ。

 ――――いいか。部隊を率いる隊長たるべき者、言う事を聞かない部下や戦う気力を無くした部下に対し、どのような処置を取るべきだ?
 ――――やっぱり、僕も部下も軍人ですから、殴ってでも命令は聞かせます。
 ――――そうするのは容易い。実際それも選択肢の一つではある。しかしそれは、成功には繋がらぬ。
 ――――部下には甘くするべきだという事ですか?
 ――――そうは言っておらぬ。部下の感情は隊長が制御するべきだという事だ。強制は所詮強制。言う事を聞かせる事は出来るが、反感を買い、士気を下げれば、それは時に失敗を招く。かといって部下に侮られる程度の者に隊長は務まらぬ。飴と鞭の使いどころを知り、戦意を削ぐものを見つけ、それを取り除き、部下の精神状態を最良に保って戦いに臨ませろ。それが部隊を率いる者の役目の一つなのだ。
 ――――はい。教官。

 ――今の妃都美が、何かに戦意を削がれてるなら、それを取り除いてやるのが僕の……隊長の役目。その手段として殴ったり怒鳴ったりするのも一つの手段だけど、それだけじゃ勝ちは取りに行けない……そうでしたよね、教官。
 僕こそ落ちつけ。そして今の妃都美を動かすのに何が一番最適か考えろ。
 少し前の妃都美の様子を思い出す。不審車両とのカーチェイスの時から、何か様子がおかしい節はあったように思える。ロケット弾に攻撃された時も、狙撃すれば阻止する余地は十分あったと思う。なのに妃都美は、逃げるよう促した。
 ――狙撃する事への躊躇い……か。
「妃都美……狙撃すれば、またミスするかもって思ってる?」
 妃都美は俯いたまま、ぴくっと肩を震わせた。――ビンゴ……かな。
 ミスへの不安。それが招く結果へのプレッシャー。……そういう物に弱い所がある子だと、和也は何となく察している。訓練時代にも、似たような事は何度もあった。……今回は今までになく重症のようだが。
『ミス? この事態下で今さらそんな物を怖がって動けないなんて、あなたは本当に軍人なんですか?』
 ――少し黙れ! 高見の見物決め込みやがって!
 流麗な声で、耳障りな野次を言ってくるルリを、和也は声に出さずに罵倒した。
 ……僕に言わせれば、動揺してる部下を詰るしかできないあんたこそ本当に指揮官なのかって言いたいんだけどな……!
 和也はそっと、妃都美の肩に手を置いた。……まずは、動揺している妃都美を落ち着かせないと。
「いい? 落ち着いて。あいつを倒さないと救命艇も降りて来れないし、烈火と美雪の体力も心配だ。人質の事もある以上、これは妃都美にしか任せられない」
「解っています……解ってはいますが、体が動かないんです…………」
「解ってるってんなら、何を悩む必要があるってのよ!」
 奈々美に怒鳴られ、妃都美はびくりと肩を竦ませる。和也は「おい奈々美、今は……」と咎めたが、奈々美はすっと声のトーンを落として、
「と、いつもなら言うとこなんだけどね。……どうせまたやられるかもって思うと、怖くて何もできないんでしょ? 解るわよ、それ」
「……奈々美?」
「奈々美さん?」
「あたしも、メガフロートでパワードスーツに追っかけ回された時は、怖くて何やっても駄目って思えてどうしようもなくて。……リョーコにケツ叩かれるまで何もできなかった。悔しいけどね」
 ふう、と奈々美は一つ嘆息して、
「とにかく、やればやれるもんなのよ。尻込みしてたらやれるもんもやれないわよ、妃都美」
「……ええ。そうですね……」
 そう言ったのは美佳だ。
「……妃都美さん、あなたは戦いに恐れを感じていた私に、あなたには戦う理由があると言いました……そして励ましてくれました。だから、私は今こうして戦えています……理由があるなら、戦えるはずです……」
「そうそう……美佳さんの言う通りだぜ……」
 弱々しい声に、妃都美ははっと振り向く。IEDの金属片で全身ズタズタに切り裂かれた烈火と美雪までが、妃都美を励まそうとしている……
「敵の狙撃手ったって、どうせシロートだろ……妃都美が……痛てて、負けるわけねえじゃねえかよ……」
「妃都美さんがミスするだなんて……痛ッ……少なくともわたくしは、露ほども思っていませんわよ」
「そうだな、我々は全員、妃都美を信じている」
 楯身のウィンドウが、妃都美の目の前に現れた。
「自信を持て妃都美。月並みな言い方だが、お前なら成功する。必ずだ」
「皆さん……私は……」
 ――よし。みんなの励ましが効いてるはずだ。妃都美の気持ちは上向いてる。
「聞いたろ妃都美? 僕らは全員妃都美がミスなんかするはずないと信じて、疑ってなんかない。後は妃都美が自分を信じるだけだ」
「でも……私はあの時」
 ここで少し、語気を強くする。妃都美の背中を、強く押す言葉を練って言う。
「メガフロートでの演習で、オールウェイズ中佐に負けた事を引きずっているのか? だったらそのまま行けばいい。あいつをオールウェイズ中佐だと思って、脳天に弾丸ぶち込んでやれ!」
 はっ、と妃都美が顔を上げた。――良かった、正直あまり自信の無い推測だったけど当たったみたいだ……
「僕らだってあの人とその部隊の連中には借りがある。ならそれを返してやるのが僕たちのやり方だろう!」
 美佳が持ってきたアカツキ狙撃銃を受け取り、それをずい、と妃都美に押しつける。……妃都美は、じっとそれを見詰めている。
 ――妃都美、頼む、銃を取ってくれ……士気を高めてやろうと格好をつけてみたが、内心では不安で堪らなかった。これで妃都美を動かせないならもう打つ手がない。
 数秒の黙項の後――――妃都美は、ふっと微笑った。
「和也さん……お見通しだったんですね、最初から、全部」
「……う、ああ、そうだよ。僕は隊長なんだから……」
 妃都美は一つ、深呼吸をする。そして狙撃銃を手に取る。
「すみませんでした和也さん。私が撃ちます。私にやらせてください!」
 ――やった! 和也は内心で歓声を上げる。
「よし! みんな、さっき指示した通り、妃都美を援護する! 妃都美は狙撃ポイントに走れ! ずっと止まっていた分、倍速で走れよ!」
「はい!」
 妃都美が狙撃可能な場所へ向け走っていく。それを見送った和也は、ふう、と安堵の息をついた。
 ――あれでよかったのかな。
 やれるだけの事はやった……妃都美もなんとか気力を取り戻してくれた。後はやれるだけやってみるだけ……そう思ったその時、通信を繋いだままずっと沈黙していたルリが口を開いた。
『大丈夫なんですか? あの人』
「隊員の能力等を考慮し、一番成功率が高いと判断した結果です。彼女なら絶対に成功させてくれます」
『その判断には、あなたの希望と願望が混じってないですか、コクドウ隊長』
 ……和也は一呼吸、押し黙った。
 違う、とハッキリ言う事はできない。悔しいがルリの言う事にも一理ある。
「……ええ。そうかもしれません。ですが妃都美は優秀な狙撃兵です。僕たちの命を預けるに十分な兵士だと信じています」
『麗しい友情は結構ですけど、なあなあで甘い判断はしない方がいいと思いますけど』
 ――……うるさい。だったらあんたが代わりにやってみろ……!
 強固なディストーションフィールドと分厚い装甲板に守られて、なおかつ弾の届かない空の上からでかい口を……! 思いっきり言い返してやりたくなるが、それでも楯身が「隊長、ここは我慢を」と無言で訴えてきている手前、堪えるしかなかった。それが無ければとっくに罵倒の一つも返している。
 しかし、もう限界だ……和也が爆発しかけた、その時。
『そこまででいいでしょ、艦長』
 と、不意にサブロウタが通信に割り込んできた。ルリの眉が一瞬動いたのは驚いたからか。
『お叱りは、事が終わってからにすればいいでしょう。今はいたずらにそいつらの士気を下げなさんな』
『……そうですね。いい結果を期待してますよ、コクドウ隊長』
 ルリのウィンドウが消え、和也ははあっと息をつく。
「すみませんタカスギ少佐。こんな時に……」
『気にすんな。部下の心情把握や激励ってのは、こういう時こそ大切だからな』
 しかし、とサブロウタはきっと表情を引き締め、
『艦長の言ってる事も本当だぞ。ハッキリ言って勝算はあるのかよ?』
「勝算が無いならやりませんよ。……まあ、危ない賭けには違いありませんが、僕は……僕たちは、妃都美を信じてますから」
『そうか。ならこれ以上は何も言わんさ。全力を尽くせよ』
 通信が切れる。サブロウタに内心で手刀を切りつつ、よし、と和也は手にした銃を握り直した。
 ――ホシノ中佐……あんたは確かに優秀な人だよ。ああ、僕たちでは及びもつかないさ。悔しいけれど認める。だけど……個人としていかに優秀でも、あんたには艦長として、指揮官として、部下を率いる者として大切な物が欠けてる! 妃都美は使い捨ての駒じゃない。使い捨てになんかさせるものか!



「幻惑撹乱陣を仕掛けるぞ! 先陣は楯身! 間違っても人質に当てるなよ!」
「承知!」
 和也の号令一過、『草薙の剣』が一斉に動いた。先陣を切るのは楯身。隠れていた建物の蔭から飛び出し発砲。もちろん人質に当てるわけにはいかないので、本気で狙い撃つわけにはいかない。牽制だ。
 当然、狙撃手はその瞬間を狙って撃ち返してくる。マズルフラッシュが光り、楯身が殴られたように背中から倒れ――――そのまま転がって射線から逃れる。
 これは予想された攻撃だ。一番最初に来るだろう狙い澄ました一撃を避けるのは難しい。その一番危険な第一撃を、楯身は文字通り体を張って受け止めたのだ。
 ――これであいつの注意がこっちに向いた……! 僕が撃ったら、次に奈々美が撃て!
 和也はすかさず次の攻撃を指示。声には出さず、アイコンタクトと簡単なサインでメンバーにそれを伝達し、理解した旨の頷きを確認して飛び出す。
 走りながらのバースト射撃。気付いた狙撃手は和也に矛先を変えて撃ってくる。いや、撃ち返そうとしてくるが、その時既に和也は死角に飛び込んでいる。
 数秒前に和也がいた空間を弾丸が通過するのと、奈々美の放った弾が狙撃手のいる窓の枠に当たって爆ぜたのはほぼ同時。それに対して帰ってくる銃弾もまた、奈々美が少し前までいた地点を通っていく。
 ――後はこのまま、あいつの注意を拘束し続ける。教官方相手の訓練より、ずっと簡単だ……!
 さらに美佳が、ジョロの盾から狙撃手へ向けて撃つ。応戦してくる狙撃手、また奈々美が撃つ、撃ち返してくる。次は楯身が撃つ。撃ち返してくる……どちらも傷を負う事も無く、ただ銃弾だけが無駄に消費されていく。
 一人が撃ち、狙撃手がそちらに反撃しようとする瞬間、別の一人が撃って混乱を誘う撹乱戦法。当然ながら攻撃の順番は不定期で、パターンを先読みさせるような真似はしていない。
 狙撃手は他のテロリストと同じで、そう高度な訓練を受けてはいないのだろう。撃たれれば即、そちらに応戦してくる。人質を盾にしているのだから撃たれるはずが無いと解っているだろうに、弾が飛んでくる恐怖に反応せざるを得ないのだ。それを見越して、和也はこの戦法を選択したわけだが、
 ――そう長くは、続かないだろうな。
 狙撃手は、いずれ弾の飛んでくる恐怖に慣れるだろう。いくら変則的な攻撃を仕掛けてもいつかは終わりが来る。対してこちらは、妃都美が狙撃を成功させなければ永遠に狙撃手を倒せない。
 この戦い、一見『草薙の剣』の有利に見えて、その実は恐ろしく不利な……危険な賭け以外の何物でもあり得ないのだ。
 ――頼んだよ、妃都美……!



 私は弱いな……と妃都美は思った。
 弱い心をなんとか奮い立たせて、妃都美は集合住宅の階段を駆け上がっていた。
 ――私が臆病なばかりに、皆さんの足を引っ張ってしまった……
 家、家族、友人、時間、楽しみ、思い、願い、目的、願望、プライド、恋、色、そして人生……母のような軍人になりたい。そのために何もかも捨てて、その果てに何もかも失った。
 空っぽになった妃都美にとって、残された仲間はかけがえのない物だった。失うのは、何より耐え難かった。
 だから、失敗して仲間に危害が及ぶのを恐れた。狙撃銃の引き金も引けないほどに。今までに経験した失敗が、私を臆病にしたのだろうと妃都美は思う。
 そんな事、隊長の和也はとっくにお見通しで――――それでも、妃都美なら成功させられると、言ってくれたのだ。
 正直に言えばまだ怖く、両手に担いだ狙撃銃はひどく重い。だけど……他のみんなは妃都美を信じて、敵の狙撃手の射線に身を晒しているのだ。
 なのに、私だけ弱音は吐けない……そう強く思って階段の踊り場に差し掛かった、瞬間。
「ワアアアアアアアァァァァァァッ!」
 耳をつんざく奇声。そしてぶおん、と空気を薙いで振り下ろされる銃床。
 腰を落とし、身を低くしてそれを避けられたのは幸運の産物だ。そのまま前へ抜け、振り返って身構える。
 ――敵!? よりにもよってこんな時に……!
 妃都美は手にしたアカツキ狙撃銃をテロリストに向ける。この地方の人間らしい、髭を生やした男だ。ライフルを持っているけれど、鈍器代わりに使ったそれを振り抜いた男は無防備。脳天に向けて引き金を引けば――――
『待て、撃つな!』
「ッ!?」
 いきなりコミュニケからサブロウタの声が響き、妃都美は引き金を引こうとした指を止めた。
『そいつはテロリストじゃないぞ! そこの住人、民間人だ!』
「民間人!? しかし銃を持って襲ってきて……」
 そこまで言って、ここに来る前、日本で説明を受けた時――――中東では武装した民間人も珍しくは無い事、よって民間人と現地人テロリストの区別には細心の注意を払うようにと言われていたのを思い出す。
 ただでさえ間近で起こったテロに怯えていたのに、そこへ見知らぬ人間が家に近づいて来れば、過敏に反応するのも無理は無い。
「待ってください、私は地球軍の者で、あなたたちに危害を加えたりは……!」
 無駄だった。
 妃都美の制止も聞こえていないのか、男は再び銃床で殴りかかってきた。振り下ろされる銃床の一撃を、妃都美は狙撃銃の腹で受ける。
「完全に、錯乱状態になってしまっている……これじゃあ!」
 ごとり、と階段上に、殺気を孕んだ人の気配を感じた。横眼で探ってみると、若い男が階段の上から拳銃を持って妃都美を狙っている。震える指はすでに引き金に掛かっていて、今にも暴発しそうな様子だった。
 警告を発しようとしたが、あの形相からして、恐らくは目の前の男と同じような状態だろうと思ってやめた。そういえば顔立ちもどことなく似ていて、親子かもしれないと思う。
『武器は使うな、無力化させるんだ!』
 簡単に言ってくれますね……! と妃都美は内心でサブロウタを罵る。
 無力化自体は容易い。しかしそのために要する幾ばくかの時間が、今の妃都美には途方もなく重い――――!



 呼吸を整え、和也は地面を蹴った。狙撃手のキルゾーンを横切る形で全力疾走しつつ、手にしたアサルトライフルの銃身を肘で支えてフルオートで撃つ。
「ふ……っ!」
 弾着は確認せず、一点射を終えたと同時に前へ飛び、建物の陰へ転がり込む。すぐさま楯身、その次は奈々美が攻撃するようサインを出し、空になったマガジンを交換する。
 攻撃開始からどのくらいの時間が経ったか、時間が随分と長く感じられたが、実際は一分から二分がせいぜいだろう。
 みんな、よくやってくれてると和也は思った。訓練時代でもここまで完璧に息を合わせられた事は何度あったか。
 前の演習で散々に負けた教訓から、今日までの数日間チームワークを高める訓練をしてきたけれど、ここまでにはならなかったと思う。ともすればホシノ中佐への反発が、みんなの心を一つにしてくれたのかもしれないなと、背信的な事を考えた。
 ――後は妃都美さえ成功すればいい。僕たちはこのまま、あいつを押さえるだけだ……! 和也はここで初めて、勝ちを意識した。
 それに水を注したのは、和也や誰かのミスでも、狙撃手の銃弾でもなく、
「ウオオオオォォォォォォォ―――――――――――――!」
 突然和也の背後から響き渡った、獣のような雄叫びだった。
「な……!」
 驚いた和也が半ば反射的に振り向くと、それこそ手負いの獣のような姿の男が目に入った。銃弾を受けたのか腹から夥しい両の血を流し、それが余計に怒りを掻き立てるのだと言わんばかりの恐ろしい形相で大ぶりのナイフを振りかざして襲い掛かってくる。
 ――まだ残ってる敵がいたのか!? 美佳の奴どこを見てたんだ……! 和也は索敵役のミスを内心で罵ったが、後で思えばこれは無理からぬ事だったろう。腹に銃弾を受けて死んだと思っていたテロリストが実は気絶していただけで、まだ生きていたなんて美佳のレーダーでも探知できない。
「く!」
 腰のベルトに差しておいたシャムシールを左手で抜刀し、繰り出される刃を弾く。返す刀で首を狙うが、テロリストの男は突っ込んできた勢いのまま和也にタックルを食らわしてきた。
「うわっ、たっ――――――!」
 体格で勝る相手の体重が乗ったタックルは止められない。必死に後退して転倒を防ぎ、再度首を狙いに来るナイフを左手のシャムシールで受ける。そこから反撃を狙う和也の耳朶を、コミュニケから聞こえてきた誰かの怒声が打った。
『何をしているんですか!? 早く逃げてください!』
 一瞬誰の声かと思ったが、それが今までなく逼迫したルリの声だと解った。それで和也は致命的なミスに気が付いた。

 ――ここは――――狙撃手のキルゾーンだ!

「こいつ――――――!」
 すぐにこいつを切り倒すか、腹を蹴り飛ばして逃げるか、一秒の何分の一かの時間考え、どっちにしても逃げきれないと判断した和也はあえて右手のライフルを捨て、左手のシャムシールを傾ける。力を受け流されたテロリストがつんのめり、それを利用して木連式柔の要領で男の右腕を掴み、後ろ手に捻り上げる。ぎゃっとテロリストの男が悲鳴を上げ、ナイフを取り落とした。これでこの男は和也の盾だ。
 悪い真似をするみたいで癪だけど、これなら撃てないはず――――このまま安全地帯に退避をと思った和也の目論見は、盾にしたはずの男が全身から血飛沫を噴いた事であっさり崩れた。
 ――嘘だろ、味方ごと撃ちやがった!?
 苛立ち任せに乱射された銃弾は盾にしたテロリストをたちまちボロ雑巾にし、何発かがそれを貫通して和也に突き刺さった。脇腹が灼熱し、「うぐ!」と苦悶を漏らして和也はその場にくず折れる。「隊長!」と楯身の悲鳴が聞こえ、駄目だと思ったらしいルリがバッタに攻撃態勢を取らせる。それを見た和也は、コミュニケに向かって叫んだ。
「まだ撃たないで!」
『でも、このままではあなたが』
「大丈夫……です! まだ……!」
 銃声が二度、響く。
 和也は……生きている。

「遅いぞ……妃都美」

 見上げた妃都美の姿は、後光を背負って女神のように美しく見えた――――



 何とか間に合った……妃都美は内心で、ほっと安堵の息をついた。
 途中に立塞がってきた錯乱した親子は二人とも、あの状況で妃都美ができた最小限の攻撃で無力化した。
 殴りかかってくる父親に向かってあえて踏み込み、銃床の一撃を狙撃銃の腹で受け流しつつ、その力を利用して後頭部を一撃。
 階段上から拳銃で妃都美を狙っていた息子は、父親と密着した状態の妃都美を撃てない。妃都美は狙撃銃から弾倉を外して投げつけ、それが額に当たって怯んだ隙に一気に階段を駆け上がって、首筋に手刀を叩き入れた。
 要した時間は十秒足らず――――それが上等と言えるのかは、正直解らない。
 無力化した親子はとりあえず放置し、妃都美は狙撃ポイント――――つまり屋上へ駆け上がった。そこで撃たれて怪我をした和也を見て、牽制の弾丸を二度放った。
 結果として、和也は助かったが――――当然、狙撃手の銃口が妃都美へ向いた。
『あ、危ない! 逃げてくださいっ!』
 コミュニケから聞こえたのは、ハーリーの裏返った声だ。解っているから集中を乱さないで――――そう言ってやろうとしたが、『よせハーリー。邪魔になるぞ』とサブロウタが回線に割りこんできて、そちらに任せる事にした。
『し、しかし!』
『大丈夫だ。敵は真矢上等兵を撃てない』
 そう。ここは集合住宅の屋上。妃都美は太陽を背にする形で狙撃手と対峙している。狙撃手からすれば、妃都美を狙うには太陽を狙撃スコープ越しに直視しなければならない。当然そんな事をすればレンズで凝集された光で目が眩み、最悪失明しかねない。
 狙撃の位置取りに加え、太陽の傾き加減、建物の高さを吟味した、その結果がこの位置だった。敵が入光量制御機能付きの高級品を使っていれば通用しないアナクロな手だが、素人のテロリスト相手には十分だったと見える。……そう、相手は素人だ。
 ――素人で、人質を盾にしないと戦えないような卑怯者……そんな奴を相手に私は、みっともなく怖がって、皆さんの足を引っ張って……!
 情けなさに、妃都美は歯を折れそうなほど強く噛み締める。
 狙撃を成功させる秘訣は、すなわち心の持ちようだ――――そう妃都美に教えたのは、確か妃都美を生体兵器の候補に選んだあの男だったと思う。
 あの男が妃都美に邪な感情を抱き、肉体が成熟するのを待っていた事は知っていた。手足が伸び、胸が膨らんでくるごとに怯え、常に短刀を肌身離さず持っていたほどの、恐怖。何度逃げ出したいと思った事か。
 そうしなかったのは、そもそも逃げるなんてできる訳が無かった事もあるけれど……それより、肉体が奪われる危険を犯してでも、妃都美はあの男に教えを乞いたかった。何故って、軍人になりたかったから――――

 ――ああ、そうだ。

 大切な事を、忘れていた。
 妃都美は木星のため――――母のような強い軍人になろうとしていた。そのために身も心も鍛え抜いてきたはずだ。
 それなのに……今の私は、こんなにも弱い。
 ――撃たないと、いけませんね。
 自棄を起こしたか、滅茶苦茶に弾が飛んできた。ひゅんひゅんと飛来する弾丸が空気を切り裂く。死の恐怖を喚起するその音を意識の外へ追いやり、ぐっと力を込めて引き金を引く。
 初弾は外れ。弾は向かって右側の窓枠を抉った。
 ――右にコンマ2度……
 ばちっ! とすぐ傍の床に弾が爆ぜた。飛び出しそうな心臓を飲み込み、再度引き金を引く。……また外れ。狙撃手の後ろの花瓶が割れた。
 ――下に1・2度。
 と、交信が繋がったままのコミュニケから、小声で言い交わすハーリーとサブロウタの声が聞こえてきた。
『あ、当たらないんじゃないんですか……?』
『落ちつけハーリー。あれは……』
「今までのは弾道を確認しただけです。調整もしていない銃でしたから」
 答えつつ、スコープの照準を調整。人質を盾にされている以上、確実に当てないといけない。
「ご覧になっていてください。この一発で、仕留めます」
 ふっと息を止める。思考がクリアになる。腕の震えが、嘘のように治まる。
 びゅん! と弾丸の擦過音が走り、右頬に鋭い痛みが走る。切れたか、とどこか他人事のように思いながら、狙撃スコープと『鷹の左目』で狙撃手を捕らえる。脳天に、照準を合わせる。
 あんな奴はただの的だ。本当に撃つべきは、奴の背後にいる――――仲間を信じてやれないほど臆病で、自分さえ信じきれないほど惰弱な、自分自身!
「弱い心を、ここで――――断ち切らせて、貰いますっ!」

 響く銃声はただ一度。
 それで、全ては決していた。



「……拙い戦い方、でしたね」
 開口一番、ルリはそう言い放った。

 戦闘終了後、盾にされていた人質の無事を確認し、テロリストの遺体収容などの後始末を遅れてやってきた警察や軍に引き継ぎ、『草薙の剣』はナデシコBに帰還した。
 重傷の烈火と美雪を医務室へ運び、軽傷の和也を治療し、落ち着いた所で急に空腹感に襲われて食堂に集まって食事を摂ろうとした、その場での一言だった。
「皆さんの戦闘力が高いのはよく解りました。ですが戦い方……特に敵の狙撃手が現れてからの対応は、あまり褒められたものじゃないですね」
 容赦のないルリの誹り。それを、妃都美たちは目の前の料理にも手をつけず、黙って聞いていた。
「こちらの狙撃兵は肝心な時に委縮して動けなくて、敵の狙撃手への対応が遅れて……おまけにその委縮していた狙撃兵に全てを任せた挙句に、敵の狙撃手を牽制するためだけにわざと射線に身を晒すような危険な真似をしました。……解っていますね、コクドウ隊長。結果はどうあれ、あなたは一つ間違えば部隊を全滅させかねない、あまりに危険な賭けをやりました」
 もっと他にやりようはあったはずです、と厳しい口調でルリは言う。反論などできない。そもそも反論する資格がない。
「で、その足を引っ張ってしまった狙撃兵さんについてですが……」
「それについては」
 と、サブロウタが横から口を挟み、ルリの言葉を遮った。
「48時間の懲罰訓練。あとは今月の給料30%カットって事で手を打とう」
「タカスギ少佐……」
 話の腰を折られ、ルリは半眼でサブロウタを睨む。
「彼らの士気などを考慮した結果です。真矢上等兵は実戦経験も浅ければ四年のブランクもあり、鍛え直せば遠からず優秀な戦力になると判断しました」
 それに、この出向は統合軍と宇宙軍の関係改善のためでもあり、ここで彼女を冷遇するのは反発を招きます、とサブロウタは断言した。
「彼女には今一度チャンスを与えるべきと思いますが」
「…………」
 ルリは視線を落とし、しばし何かを考え込む。
「……じゃあ、それで妥協しましょう」
 ほう……と誰からともなく安堵の息が漏れる。
 これでチャンスを失わないで済む……今度ばかりは妃都美も、サブロウタに心の底から感謝した。
「あなたたちは火星の後継者と戦うために必要な戦力です。編成完結式もまだですが、それでも統合軍が鳴り物入りで創設したカウンターテロ特殊部隊……その名に恥じない活躍を、期待しています」
 全力を尽くします! と唱和し、敬礼。
「さて。話も丸く納まった所で、飯を頂くとしようか。せっかくの料理が冷めちまう」
 そのサブロウタの一言に、一同待ってましたとばかりに緊張を解いて、食事にありつく。
「さあ、食うわよっ。親睦を深めるためには、同じ釜の飯を食うのが良い、ってね」
「ほう。奈々美も上手い諺を知っているな」
「……では、今日を全員無事に乗り切れた事を、この地に於ける異教の神に感謝して……いただきます」
「はい。皆さんの無事に感謝を」
「後で烈火と美雪にも持って行ってあげないと、ね」
 張り詰めていた場の空気が弛緩し、穏やかな雰囲気が流れる。厳しい状況を乗り切った安心感も手伝ってか、いつも以上によく箸が進んだ。
 と、不意に電子音が鳴り響いた。
「はい。タカスギ少佐ならこちらに……はい。解りました」
 ハーリーがコミュニケに向かって二・三応対する。内容は聞きとれないが、どうも外からの電話のようだ。「誰からだ?」とサブロウタが訊くと、ハーリーはなぜか声を潜め、囁くように答えた。
「現地警察の人です。ほら、例の件で……」
 はっ、とサブロウタが息を呑む。……この人のこんなに動揺した顔を見るのは、初めてですよね。
「も、もうちょっと待たせといてくれ。今は手が……」
「空いているでしょう」
 お客さんを待たせるのは失礼ですよ、とルリ。
 確かに今は食事という作業の途中ではあるが、手が離せないような状況ではない。少しの間逡巡したサブロウタは、観念したようにコミュニケを操作。現地警察の人間なのだろう男のウィンドウが現れる。
「ご無事で何よりですや少佐さん。大変な目に会いましたなあ」
「あ、ああ……そうっすな」
「で、結局アクシデントで中止になっちまいましたけど、実地訓練協力の報酬、払ってもらえるんでしょうかね」
「それは……まあ忙しい時に手を煩わせたわけだから……」
 しどろもどろな返事を繰り返すサブロウタ。何故かしきりに視線が動き、こちらを気にしているように見えるのは気のせいだろうか。
「……実地演習への協力……報酬? 話が見えませぬな」
「うん。それにあの警察の人の顔、前にどっかで見たような……」
 ウィンドウに映る、いかついヒゲ面をした警察官の顔を見ながら、和也と楯身が言い交わす。
 そう、ヒゲ面の男の……
 …………
「……和也さん」
 妃都美は、ゆっくりと口を開いた。
「私の海馬体が正常に機能しているのなら……あの警察官の顔は、私たちを追ってきた不審車両に乗っていた、テロリストの一人です」
「なにい?」
 怪訝な顔をする和也。そこで向こうもこちらに気が付いたのか、おお、とウィンドウの中の警察官がこちらを見た。ウィンドウが、妃都美たちに寄ってくる。
「あんたたちも無事だったのか。いやあ、あの時はあっしらだけ逃げちまってすまなかったよ」
「はあ、それは……」
 つまり、それは。
「街中で襲われた時を想定した、新兵の実地訓練に協力してくれって言われたけど、本物に出くわしちまうなんて運のつきだな。まあこういう事もここじゃあありうるから、気を付けろよ?」
「……ご丁寧にどうも。協力に感謝します」
 とりあえずお礼を言い、後ろに振り返る。
 サブロウタは、食堂からこそこそと逃げようとしていた。
「はーいドントムーブ。逃がさないわよ」
 奈々美が出口を塞ぎ、その周囲を残る四人が取り囲んで包囲網を構築。もはや脱出の見込みなしと判断したか、サブロウタはがっくりとうなだれた。
「……説明をお願いします。少佐」
 そう言った妃都美の胸中には、先ほどの感謝の念も霞むほどの疑念が渦巻いていた。
「…………いや、つまりだな。お前たちの力量を把握しておきたかったし、この国ののっぴきならない現状を理解してもらうためにはこのくらいのサプライズがあった方がだな」
 あれやこれやと説明、というか言い訳を並べ立てるサブロウタだが、首筋に隠しきれない冷や汗が流れているのでは何の説得力も無い。
 それで、合点が行った。
 要するにあの実地訓練とやらは、サブロウタが妃都美の気を引くために仕組んだ事なのだろう。
 頼りになる上官を演出して悪印象を緩和し、危機的状況からの脱出を先導する事で好感を得ようという魂胆だったわけだ。そして妃都美は、今の今までそれに乗せられていた……
 熱くなっていた頭が、すう、と冷える。脳細胞の隙間に液体窒素が充填されたような感覚。
 ああ、腹が立つ。姑息なやり方で妃都美の気を引こうと画策したサブロウタもそうだが、それにあっさりと乗せられかけた自分自身にも腹が立つ。
「……失礼します」
 ぷい、と踵を返し、食べかけのざる蕎麦を持ってサブロウタ達から一番離れたテーブルへ移動。他のメンバーもそれに倣う。
 一瞬でも良い上官かもなんて思ったのが、今となっては死にたくなるほど恥ずかしい。いや、実際少しは頼りになりそうな節もあったけど……違う、それは私たちが何もできなかったからで、だから私たちがあんな男に頼らなくていいように――――ああ、そもそも頼りになんかならない。頼りになんかしてはいけない……とにかく、

 ――やっぱり、男は嫌いです。



『草薙の剣』が遠くに移動してしまい、食堂には先ほどとはまた違った意味で気まずい静寂が訪れた。
 外の暑さとは対照的に、どこか冷え冷えとした空気が空間に満ち、それをパチッ、と指を鳴らす音が震わせた。
「くそっ、最後の最後で失敗したか……いいとこまで行ったんだがな」
「だから止めましょうって言ったんですよ、こんなの……」
 巻き込まれる形で協力させられたハーリーは、恨みがましい目でサブロウタを見る。
「しかし、警察の奴らも快く協力してくれたし、新入りの信頼獲得は任務のためにも有益でだな……」
「悪どいやり方で得た信頼に、意味は無いと思いますよ」
 ぐさり、と的確に急所を射抜くルリの言葉の矢。さすがに効いたか、「グハ……!」とサブロウタは胸を押さえて突っ伏す。
「……ふ、ふふふ。悪どいやり方で得た信頼に意味は無いか。上等だよ。だったら正当なやり方で真矢上等兵の信頼、勝ち取ってやろうじゃねえか……」
「まだ諦めてないんですか!? あの人の好感度なんてとっくにゼロですよ!?」
「甘いぞ、ハーリー! 難易度は高いほど攻略のしがいがある!」
 見てろよ……とサブロウタは右手の人差し指と親指を立てて、鉄砲の形を作る。
「彼女のハートを狙い撃つぜ!」
 BANG! と銃を撃つ真似をするサブロウタ。それにハーリーは、はあー、と大きくため息をつくしかない。
「艦長……」
 何か言ってあげた方がいいんじゃあ……と言おうとして、ハーリーはルリに向き直る。すると、
「…………」
 ルリはじっと、憤然と食事を取る『草薙の剣』の姿を見つめていた。その顔は、悩ましげなようで、どこか険しい。
「コクドウ隊長……か」
 その呟きにどんな感情があったのか、その時のハーリーには推し量れなかった。










あとがき

 中東での初戦闘終了と、サブロウタの信用失墜(笑)でした。

 妃都美は以前の失敗の記憶に足を引っ張られながらも、仲間達の激励で何とかへこたれずにやっていく事にしました。今後も彼女にはいろいろ苦悩や葛藤があるでしょうが、温かい目で見てやってください。

 次回は中東で、『草薙の剣』が本格的に活動する話になります。戦闘もありますけど、より現実の特殊部隊に即した、諜報活動みたいなのも描いてみたいと思っています。ドンパチばかりが対テロ戦じゃないと思うんですよね。

 >中東で石油がなくなったら〜
 一部の国じゃその事を考えて観光産業を育てたりしてるらしいですけどね。そのあたりはバビロニア共和国の設定にも反映されてます。
 ただ、この世界じゃ21世紀に一度核戦争が起こってますので、放射能汚染とかの風評が妨げになって財政破綻する国が続出したという事になってます。ツッコミ所は多々あるでしょうがどうかご容赦を。(苦笑)

 それでは、代理人氏や読者の方々に感謝を。











感想代理人プロフィール

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代理人の感想
三郎太、だめじゃんw

にしても特殊部隊が諜報活動もするって、
どんだけ宇宙軍は人不足やねん(びしっ
・・・木連はそんな感じであったような気がしないでもないですけどね。
まぁ諜報活動の内容によるんでしょうが・・・情報収集とかは普通その街に住み着いている専門の諜報員やらがやるもんじゃないのかなぁ?



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