ニューヨークに住むその少女にとって、その日は週に一度のお楽しみの日だった。
 午前中から自分と母と父と、三人で車に乗って買い物をし、昼になったら行きつけのレストランで食事をする。最近そこでビーフステーキばかり食べている父は、この一ヶ月で体重が5キロ増えた。
 そんな一家の休日は、何の前触れも無く、突然に暗転した。
 ニューヨーク湾の方から幾筋もの飛行機雲が伸びてくるのが見えたのは、食事を終えて帰る車の中での事だ。なんだろうと思った次の瞬間、空から降ってきた無数のミサイルは振り下ろされる猛獣の牙の如く彼女たちへと襲い掛かった。
 ミサイルの一発が車の間近に落ち、熱波と爆風が容赦なく彼女たちを襲った。父が毎朝愛情込めて洗車していた愛車はオモチャのようにひっくり返り、建物の壁面に叩きつけられた。
 上下が逆さまになった車の中で、彼女はエアバッグを掻き分けるようにして外に出た。自分と父は自力で車から脱出できたが、変形した車体に体を挟まれた母はそうは行かなかった。必死に助け出そうとしたけれど、そこへまたミサイルが跳んでくるのが見え――――父は一瞬の逡巡の後、彼女一人を抱えてその場から逃げた。
 泣き叫ぶ自分の目の前で、母が車もろとも粉々にされたその光景を、彼女ははっきりと目に焼き付けた。
 燃え上がるニューヨークの街中を、銃を持ったテロリストに追われ、父に手を引かれて逃げ回って――――
 そして今、逃げ込んだホテルの中で、父と一緒に震えている。
「ママ……ママぁ……」
 母の消える瞬間が何度もフラッシュバックし、むせび泣く彼女。それを胸に抱く父もまた、震えて嗚咽を漏らしていた。
 二人が物陰に身を隠している廊下の向こうからは、銃声や爆音、そして悲鳴が何度となく聞こえてくる。
 火星の後継者のテロリストたちがここまでやってきて、隠れている人を片端から殺して回っているのだ。しかもそれは、だんだんと近づいているようだった。
 怖くて逃げ出したくなるけれど、そんな彼女を父は懸命に抱きしめていた。逃げ出せば、その場で見つかるからだ。
「声を出すな……大丈夫だ。パパが絶対に守ってやる」
 自分も怖くて震えているのに、父は懸命に彼女を守ろうとしていた。
 一番近い部屋が乱暴に蹴り開けられ、恐ろしい銃声が響く。中から甲高い断末魔の悲鳴が聞こえ、ひっ、と小さく声を漏らす。
 途端、その反対側の部屋から誰かが悲鳴を上げて飛び出してきた。恐ろしさに耐え切れなくなった知らない誰かは、一番近い非常階段――つまり彼女たちのほう――へ逃げようとし、後ろから頭を撃ち抜かれた。
 どちゃっ、と湿った音と共に、頭を半ば吹き飛ばされた人が目の前に倒れこむ。恐怖とおぞましさに怖気が走り、喉の奥から酸っぱいものがこみ上げてきた瞬間、眩しい光に目が眩んだ。
「誰だ!」
 見つかった! 今度こそ悲鳴を上げかけた瞬間、「逃げろ!」と父が彼女を突き飛ばした。
「子連れか!?」
「問答無用だ、撃て撃て!」
 銃声が耳をつんざく。
 振り返った彼女が目にしたのは、銃弾を浴びて血煙を吹き、倒れようとする父の姿。
「嫌あーっ! パパ、パパ――――っ!」
 叫び、全身を撃ち抜かれた父の亡骸に駆け寄る。自分でも訳の解らない叫び声を上げ続ける彼女の頭に、こつっと熱い銃口が押し付けられる。
 恐怖と絶望、悲嘆と諦観の中で、彼女は唯一出来る抵抗を、声の限りに叫ぶ。

「助けてっ、誰か助けて――――――――っ!」



 機動戦艦ナデシコ――贖罪の刻――
 第十五話 血と憎しみの釜の中で 後編



 ニューヨークが燃えていた。
 ビルディングの合間を無数の虫型兵器が飛び交い、眼下の町へと灼熱の雨を降り注ぐ。機械ゆえに情け容赦の欠片もない彼らの猛攻を受け、悠然と聳え立っていたビル群が苦悶の悲鳴に似た鉄の軋み音を上げ、吐血の如きバックドラフトの炎を吐きつつ、息絶え崩れ落ちていく。
 上空を飛ぶヘリの中からは、その様がより鮮明に見える。あたかも町全体が血を流し、悲鳴を上げているような光景が見渡す限りに広がっている。
「なんてこと……ここまでするなんて……」
 ブラックフット大型輸送ヘリコプターの機内から外を見て、和也は蒼白な顔で呟く。
 和也たちを乗せたヘリの周囲には、他にも十数機のヘリとエステバリスが飛んでいる。この状況に対処するべく、サンディフック基地から急遽出撃した部隊だが……ニューヨークの広さと敵の数を見れば、その数はあまりに少ない。
『早く空からの応援を寄越せ! このままじゃ皆殺しにされる!』
『ブルックリンの警察署と連絡が取れない! あそこはもう制圧された!』
『市民を安全な場所に避難!? 言われないでも解ってる! でもどこに行けば安全なんだよ!?』
 市内で抵抗を続ける警察や、軍の無線が通信回線に幾つも交錯している。内容は聞き取れないところも多いが、それだけで下がいかに混乱しているかが解る。
『ナデシコBより『草薙の剣』! 状況は!?』
 自分たちを呼ぶ声。ナデシコBのブリッジから『草薙の剣』をオペレートしてくれている澪の声だ。和也は眼下の光景から目を離せないまま答える。
「ニューヨーク市内は、もう混戦状態だ! 虫型兵器、敵兵、多数確認できる! 市内全体で火災が起きてて、まるで札幌空襲の記録映像のようだ……僕たちはどうすればいい!?」
『とにかく民間人の救助と、敵の掃討が最優先です。『草薙の剣』の受け持つエリアはブルックリン南地区。適当なところに降下して、以後はそちらの判断で行動してください』
 和也の求めに、ルリのウィンドウが現れる。着替える暇も惜しんだのか私服のままだ。
「了解。念のため確認しますけど、ニューヨーク市議会には向かわなくていいんですね?」
『はい。そちらには既に先発した部隊が向かっていますけど……どうせそこに湯沢はいません』
 ああもこれみよがしに、『自分はここにいるぞ』とアピールして見せたのだ。あの放送はまず間違いなく録音で、向かった部隊を待っているのはニューヨーク市長の遺体と罠だけだろう。
「このままだと、湯沢に逃げられてしまうんじゃ……」
『それについては、……こちらに策があります。コクドウ隊長たちは民間人を助けることに専念してください。状況が変わり次第追って指示します』
 策? どんな策だ、と和也は訊こうとして――――
 突然、近くを飛んでいたヘリが火を噴いた。テールを吹き取ばされたヘリが、中の人間共々回転しながら墜ちていく。
「地対空ミサイル! どこから!?」
「あそこです! あのホテルの中に敵兵!」
 妃都美が指差した先には、煙を上げるホテルの建物があった。そこから再び白煙の尾を引いてミサイルが飛来し、狙われたヘリが欺瞞弾フレアをばら撒いて危うく回避する。
 あそこは潰す必要があると判断した和也は、パイロットへ屋上に寄せるよう指示。開いた後部ランプドアからロープを垂らす。
「ホテル内の敵を制圧するよ! 全員降下!」
 和也を先頭に、『草薙の剣』メンバー七人が垂直ロープファストロープ降下でホテル屋上へと降り立つ。
 ドアを蹴り開けて一気に中へ突入。最寄階の廊下へ出ようとして――――ふと足を止め、和也は訊いた。
「美佳……敵はいる?」
「……少なくとも、この階に敵はもういないようです……ですが……」
 答える美佳の顔色は悪い。その理由を、和也は概ね察していた。
「みんな、心の準備はしておいて……」
 そう皆へ言ったのは、和也自身が心の準備をするためだったのかもしれない。
 出来るなら、この先を見たくない。
 それでも、ここでじっとしてはいられない。
 気を落ち着かせようと一つ深呼吸し、意を決して廊下へ踏み込む。

「…………っ!」

 踏み込んだ途端、和也の嗅覚に忌まわしい鉄の臭いが入り込んだ。
 妻を伴った男性が、
 車椅子に乗った老婆が、
 スーツを着たサラリーマンが、
 何人もの人たちが、等しく血を流して倒れていた。和也たちは人々に駆け寄って脈を確かめるが、皆悲痛な面持ちで首を横に振る。
 部屋の中を覗き込めば、そこには元が誰だったのかも解らないほど損壊した遺体があった。隠れていたところへ手榴弾を投げ込まれたのだろうそれには、人としての尊厳など微塵も残されてはいなかった。
「何の責任も無い……武器も持ってない人たちに向かって、こんな……」
 和也の背中に嫌な汗が浮き、手首から先が小刻みに震えていた。
 ついさっき堪能したBLTバーガーをぶちまけてしまいたかったが、それをしたところで何一つ状況はよくならない。むしろ体力を消耗するだけ不利だと思い、喉の奥からこみ上げてきた酸っぱいものを無理矢理に飲み込む。
 ここには、一片の正義も無かった。
 ここには死しかない――――
「生存者一名! こっちだ!」
 不意に聞こえた烈火の声が、和也を現実に引き戻した。
 駆け寄ると、見守る烈火の前で一人の少女――まだ小学生くらいか――が、男性の遺体にすがって泣いていた。
「お父さん……か?」
「でしょうな。さすがに奴らも、幼子までは手をかけられなかったと見えますな」
 完全に狂っているわけでもないのか――――そう思い、和也は僅かながら安堵した。……そして、自分が安堵した事にはっ、とした。
 憎むべき敵に、和也は救いを見出そうとしていた。この阿鼻叫喚を現出させたのが、自分と同じ木星人である――――その事が、和也には何より耐え難かったのだ。
 しかし烈火は、「それで罪が軽くなるかよ……」と唸り声を漏らした。
「父ちゃんも、多分母ちゃんも殺したくせに、ガキ一人見逃して情けをかけたつもりか? 残されたガキがこの先どんな思いで生きてくと思ってやがる……!」
 オレは許さねえぞ、と憤怒の形相で下へ向かおうとする烈火を、和也は肩を掴んで止めた。
「待て、烈火」
「何で止めんだよ!? あいつらぶち殺して――――!」
 烈火の肩を掴む手に、握り潰さんばかりの力を込める。その裏に秘めた爆発寸前の感情が伝わったか、烈火も足を止める。
「気持ちは僕も同じだよ……だから置いていくな」
 殺してやりたい。それは和也も同じだった。
 烈火の怒りが生い立ちに起因するものなら……
 和也のそれは、木星の名をまた汚された事に対する憤怒。
「隊長……とにかく彼女を保護しましょう」
「……解ってる。ブレードリーダーよりナデシコBへ。生存者一名発見、保護します」
「さあ、ここは危険よ。私たちと一緒に来て」
 妃都美が勤めて優しい態度で、少女へ避難を促す。
 しかし少女は、ふるふるとかぶりを振った。
「パパと一緒がいい……ずっとパパと一緒にいるの……」
 幼い少女は、目の前の現実を直視できないでいた。
「無理もない、ですね。いきなりお父さんを殺されたのでは……」
「とはいえ、ここじゃいつ流れ弾が当たるか。……置いて行けないよ」
 その言葉と共に、和也は目配せする。
 無理矢理にでも連れて行け、との無言の命に頷き、妃都美がスタンガンを取り出す。「ごめんなさい」と一言詫びて、スイッチに指をかける。
 その時、個室の中からガシャ――ッ! と破砕音が響いた。振り仰いだ和也たちの目に映ったのは、壊された窓の外でホバリングするバッタ。赤く光るカメラアイに和也たちの姿が映り、機銃に初弾が装填される。
「しまった! 身を隠せ!」
 和也が叫び、全員が反射的に物陰へと飛び退く。そこへ容赦のない機銃掃射が始まり、赤熱した機銃弾が驟雨の如く降り注ぐ。
「あっ……!」
 瞬間、和也が見たのは、銃撃が始まってもなお父の遺体から離れようとしなかった少女が、機銃弾に貫かれる場面だった。機銃弾は少女もその父の遺体も等しく粉々に打ち砕き、一つの赤い霧へと変えていく。
「そんなあ!」
「くそったれ、血も涙も無い虫型兵器が!」
 妃都美と烈火が悲痛に叫ぶ。
 助けられた命のはずだった。なのに助けられなかった。
「くそ……! ブレードリーダーよりナデシコBへ、近接航空支援を要請! 窓の外にいるバッタを排除して!」
『ナデシコB了解。少しだけ耐えて!』
「……和也さん、敵が……下の階からこちらへ向かってきます……!」
「解った。バッタが排除され次第行動開始、敵を排除しながら外に出る! ……容赦するなよ、あいつらは同じ木星人だけど、だからこそしてはならない事をした!」
 木連軍人とは、木星人を守り、敵である地球人に対しても正当な理由なしに民間人へは手を出さない事を矜持とする。
 それを破った火星の後継者はただのテロリスト――――そう思ったから、和也たちは戦うと決めたのだ。
 なら戦うことに躊躇は要らない。
「テロには応ぜず、テロには屈せず、テロリストは殲滅すべし、だ! あの木星の面汚しどもを――――殺せ!」



 急接近しつつ機銃を撃ってくるバッタの攻撃を、サブロウタは最小限の回避機動で避ける。そのままスーパーエステバリスの機体を半回転させ、飛び去るバッタの後ろへラピッドライフルの弾を叩き込もうとした。
 しかし照準が合った瞬間、バッタは殆ど垂直に近い角度で急降下し始めた。反射的に照準はそれを追って動くが、バッタの逃げる先に地上を逃げ惑う民間人の姿が見え、サブロウタはトリガーを引き損ねる。チッ! と舌打ちした瞬間ミサイル接近警報が鳴り響き、グラビティ・チャフ・ディスペンサーを放出して危うく回避した。
「こそこそと……! タカスギより各機! 虫型兵器こいつらは明らかにセッティングされてる! 二機一組でお互いの背中をカバーしろ!」
 数分の交戦で虫型兵器の動きの違いを見て取ったサブロウタは、臨時にチームを組んでいる北アメリカ連合軍海兵隊のエステバリス隊に注意を喚起する。
 敵側の虫型兵器は、思考ルーチンを市街戦用にセッティングしてあるらしい。民間人が未だ残るビルの合間を縫うように飛び回り、民間人への誤射を恐れるエステバリス隊は効果的な応戦ができていない。いやらしい戦い方だと思った。こちらの嫌がるところを的確に突いてくる。
 そこへさらに数機のバッタが襲い掛かってくる。サブロウタが応戦の態勢を取ったところへ、ナデシコBの澪から通信が飛んできた。
『ナデシコBよりタカスギ機へ! 『草薙の剣』が虫型兵器の攻撃を受けてます、排除してください!』
「あー……悪い、こっちも交戦中で手が離せない! 誰か代わりに向かってくれ!」
『私が行きます! BK2カバーして!』
『了解!』
 海兵隊所属の、エステバリス空戦フレームが二機名乗り出た。サブロウタは即座に『草薙の剣』の位置情報をデータリンクで転送する。
『――こちらBK3! ナデシコBからの注文を受け取ったわ! これより外のバッタを排除する、至近弾着に注意しなさい!』
 ホテルの中にいる『草薙の剣』に警告を発し、エステバリスがラピッドライフルを正射。数機のバッタが叩き落され、寸前で回避運動を行った一機は遁走する。海兵隊の女性パイロットはそれを許さず、逃げるバッタに向けてさらに連射する。
 20ミリ砲弾の猛射を受けたバッタが砕け散り、その破片は自然、重力に引かれて地上へと落ちる。その先には、何人ものニューヨーク市民が逃げる先も知らずに逃げ惑っていた。
 バッタの破片は熱せられた刃となって人々の手足を切り裂き、ラピッドライフルの空薬莢は鈍器となって頭蓋を叩き割る。自らの戦闘行為の巻き添えとなって、何人もの人々が倒れ伏して動かなくなるその光景を、女性パイロットはエステバリスのカメラ越しに見てしまった。
『え……ちょっと、何で動かないの? 冗談でしょ、やめてよ……』
『BK3! 止まるな!』
『えっ!? きゃあ――――――っ!』
 動揺し、動きを止めたエステバリスにバッタが体当たりを仕掛ける。避けることもできずにそれを食らったエステバリスは、バッタともつれ合いながらビルの壁面に突っ込み、爆炎の中に消えた。
『リリア――――ッ! よくもやりやがったなあっ! 人殺し共め!』
 仲間を失ったエステバリスが、怒りの咆哮を上げてラピッドライフルを乱射する。しかし怒りに判断力を低下させたパイロットは、後ろから接近する別のバッタに気付いていない。
『バカ野郎落ち着け! 後ろだ!』
 サブロウタの警告は、届かなかった。



 背後からバッタの機銃をまともに受けたエステバリスが、機体を四散させる。その姿はホテルの中で戦い続ける『草薙の剣』にも見えた。
「ああ、また墜とされた!」
「そんな、どうしてこんな簡単に!」
 頼っていた友軍の散華に、絶望の声が上がる。
「高空支援はあまり期待できそうにない! 敵歩兵と接近戦に持ち込め! そうすれば虫型兵器からの機銃掃射は出来ない!」
「了解! ブレード4ナナミ、スタングレネードを投げろ!」
 楯身の指示に従い、奈々美が戦闘服のポーチから閃光音響手榴弾を取り出し、ピンを口で抜く。
 現在和也たちは3・4人づつに個室へ隠れていて、敵が通路の向こう側から撃ってきている。そこへ目掛けて奈々美はスタングレネードを投擲。気付いて逃げようとした火星の後継者兵たちの傍で炸裂する大音響と閃光が、彼らの聴覚と視覚を奪う。
「前衛突撃! 後衛は援護しろ!」
 烈火、妃都美、美佳の援護射撃を合図に、和也、楯身、奈々美、美雪が矢の如く走る。体勢を立て直して反撃を試みた火星の後継者兵が蜂の巣にされて倒れ付し、生き残った二人ほどが足をもつれさせながら個室内へ逃げ込むのが見えた。
 ――逃がすか……!
 火星の後継者兵の逃げ込んだ個室の中へアルザコン31短機関銃を突き入れ、隠れ撃ちの要領でフルオート射撃。弾幕で敵が奥へ引っ込んだ隙に楯身たちが突撃――――しようとしたところで、「待ってくれっ!」と声が聞こえた。
「と、投降する! 撃たないでくれ!」
 個室の奥から、両手を挙げて恐る恐る出てきた火星の後継者兵が二人。その姿を見て――――
「ぬがあああ――――ッ! この野郎どもッ!」
 突然前に出た烈火が、雄叫びを上げて火星の後継者兵の胸倉を引っつかんで床に叩きつけ、その上に馬乗りになって顔面を何度も何度も何度も殴る。常人を超える烈火の腕力で繰り返し殴打され、何事かを喚いていた火星の後継者兵がぴくりとも動かなくなる。
「ひっ、ひいいいいっ! やめてくれっ! 命だけは助け――――っ!」
 失禁し、涙を流して哀願する火星の後継者兵。なおも命乞いの言葉を喚くその口に、和也は銃口をねじ込む。
「そうあんたに言った、武器も持ってない人に向かって、あんたはどう答えたっ!?」
 躊躇無く引き金を引く。
 崩れ落ちる火星の後継者兵を前にして、楯身が苦い表情をしていた。和也はそっと楯身に耳打ちする。
「楯身。捕虜を取ってる暇なんてない。この状況はもう綺麗事では済まされないんだよ。……気持ちは解るけど」
「……いえ、民間人をも手にかけた暴挙の報いに、同情は感じませぬ」
 ならいい、と肩を叩き、敵がもういないことを確認して外への階段に向かう。
 熱くなっている、と和也は自覚していた。火星の後継者の行いを前に、感情が高ぶっていた。
 だがそれを止める気はない。



「サジタリウス4の撃墜を確認、パイロットを戦死KIAと認定! ……エステバリス隊の損耗、拡大しています!」
「バッテリー・パークからの民間人救出は難航中! 救出用ヘリが撃墜されたとの報告が入っています!」
「マディソン・スクエア・ガーデンが、敵の攻撃を受けています! あそこには多数の民間人が避難しており、警察と民間人が応戦中! 至急救援を求めるとの事です!」
 ナデシコBのブリッジには、澪やハーリー、その他部隊のオペレーターたちの焦燥感に満ちた報告が響いていた。
 既にナデシコBを始めとする艦隊もサンディフック基地を発し、ニューヨーク上空へ達していた。そこからはもう、エステバリス隊の苦戦する様子が肉眼でも確認できた。
「タカスギ少佐。まもなくニューヨーク上空に達します。そちらの戦況は?」
『よくないですね! こっちは民間人を撃たないよう、流れ弾にも気をつけなきゃならない。その上多勢に無勢で、所属も指揮系統もバラバラだから統制も取れてない! 既に損害は少なくないですが、このままだとジリ貧だ!』
 あのサブロウタの声に余裕が無い。それだけでも状況がいかに切迫しているかが解る。
「ハーリー君、援軍が到着するまであとどのくらい?」
「フィラデルフィア基地からの援軍は、先発隊はがあと一時間弱、ノーフォーク基地からの統合軍艦隊は二時間以上掛かる見込みです!」
「それまでは私たちだけで何とかするしかありません。エステバリス隊はフォーメーションを崩さず、低空から虫型兵器を高空へと追い込んでこちらのグラビティブラストの射程内に……」
 ルリが言い終わらないうち、甲高い警報がルリたちの耳朶を打った。
「ミサイル接近警報アラート! 対艦ミサイル四発――――真下から!?」
 ハーリーの悲鳴じみた報告に、ルリも息を呑んだ。
 ナデシコBのほか、艦隊の真下から、何発ものミサイルが白煙を引いて垂直に駆け上がってきていた。その光景はあたかも、ルリたちを地獄に引き込もうと手を伸ばす亡者の群れのよう。しかもそれは、すでに迎撃兵装の“最小”有効射程の内側に飛び込んでいる。
「緊急回避間に合いません! 着弾まで後五秒!」
「ディストーションフィールド出力最大! 艦内総員、衝撃に備えてください!」
 直撃を避ける手は無い。その上で出来る限りの手を尽くし、ルリはオペレーティングシートの肘掛けを握り締めて身構える。
「2……1! 直撃しますっ!」
 ハーリーが叫んだ瞬間、今までにない衝撃がブリッジを襲い、何人かのオペレーターが悲鳴を上げた。  ナデシコを襲ったミサイルのうち、一発は精度に問題でもあったか上空へ飛び去り、二発はフィールドに阻まれ爆発。残る一発が、ナデシコに食いついていた。
「ダメージコントロール、損害状況は?」
 ――――左舷フィールド発生ブレードに被弾。
 ――――ディストーションブロック正常に作動。
 ――――フィールドジェネレーター16番から21番まで停止。フィールド出力一割弱低下。
 ――――該当エリアは無人のため人的損害ゼロ。衝撃により少数の軽傷者が出ている模様。
 ――――目下、戦闘行動に支障なし。
 次々現れる損害報告のウィンドウに目を走らせ、最後の一文を見てひとまず安堵の息をつく。
 それもつかの間、ハーリーからの報告が飛んでくる。
「僚艦からの被害報告です。駆逐艦プリムローズ中波、自力での航行は可能。戦艦ポインセチア小破、重力波ビーム発生装置に損傷。所属する機動兵器小隊へのエネルギー供給を本艦に譲渡――――」
「く……プリムローズ、洋上への退避を許可します。ポインセチア、機動小隊へのエネルギー供給ルート確保しました。以後は――――」
 思った以上に大きい艦隊の被害に、さすがのルリも苦しさが顔に現れるのを止められなかった。
 それでも臨時の指揮官として役目を果たそうとするルリに、ハーリーがさらに絶望的な報告を告げてくる。
「ああ、駆逐艦赤椿、被害甚大です!」
 その声に、ルリは左側へと目を向ける。ブリッジの窓の外――――ナデシコBから数百メートルの間隔を置いて航行していたサクラ級駆逐艦が、先のミサイル攻撃で負ったと思しい破口から黒煙を吹いていた。
 艦中央への直撃。あれではそう長くは持ちそうにないが、艦がまだ生きている証拠として消化剤が噴射されているのが見えた。
 戦闘艦艇の撃沈――――水上艦なら海に沈むだけだが、それが空中で、それも都市の上空で起こればどうなるか。それが解っているから、赤椿の艦長たちは救命ボートを兼ねたブリッジを切り離さず、クルーもまだ脱出せず、艦を延命させようと奮闘している。
「赤椿へ通達。洋上への退避を許可します。機動兵器部隊の指揮権委譲後、洋上にて総員退艦を――――」
 ルリが退避を通達したその矢先、赤椿が再び炎を吹き上げた。
 クルーの奮闘も空しく、艦が断末魔の悲鳴を上げているのだ。火を噴きながらも空中に浮かんでいた艦体が、徐々に前のめりに傾き始める。
「赤椿の重力波反応、急速に減少中! 重力波フローターが停止した模様――――傾斜増大しています!」
「お願い! 早く、早く退避して!」
 澪が泣きそうな声で叫んでいたが、ルリには解った。
 もう墜落は避けられない。
「ツユクサ上等兵、地上部隊に警告を!」
「あ! な、ナデシコBより地上部隊全軍へ! 駆逐艦が墜落します、爆発から身を守ってください!」
 この状況でも役目は忘れていなかった澪の通達から数秒――――
 赤椿は艦首から、ほぼ垂直にニューヨーク市内へと墜落した。ぐしゃっ! と艦体の半分ほどを道路にめり込ませ、次の瞬間それは巨大な火球へと変じた。
 宇宙でクルーが生存するための圧縮された空気、ミサイルなどの弾薬、相転移エンジンが生み出した膨大なエネルギー。戦闘艦艇の中には大量の可燃物とエネルギーが内包されている。それらが一瞬のうちに開放され、爆発となって噴出した。爆心地近くのモノというモノが枯葉のように空へと舞い上がり、衝撃波で周辺ビルのガラスがダイヤモンドダストのように割れて散る。
 この瞬間、この戦闘によって生じた犠牲者の長いリストに、さらに数百の名前が付け加わった。



 和也たちがホテルから出ると、そこにも多くの民間人が右往左往していた。
 避難しようとしつつもどこに避難すればいいか解らず、ただ逃げ惑っていた人々の目が、軍の戦闘服を来た和也たちへと向けられる。 「駅へ! 地下鉄の駅へ逃げて! 軍は地下鉄による救助作戦を展開しています!」
 嘘ではない。しかし連絡によれば地下鉄の路線内にも虫型兵器が入り込み救助は難航していると聞くが、今は他に示す道もない。
「地下鉄駅へ向かってください! そこまで行けば警察か軍が助けてくれます!」
「早く行って頂戴! 足手まといだから!」
 混乱でなかなか言葉が通じない民間人へ、皆は懸命に呼びかける。
 そこへ、コミュニケから電子音が大音量で鳴り響き、受信ボタンを押すより早く回線が開いた。

『な、ナデシコBより地上部隊全軍へ! 駆逐艦が墜落します、爆発から身を守ってください!』

 地上部隊への緊急連絡――――澪の声で告げられたそれを聞いて、和也たちの顔が蒼白に転じる。
「総員、対爆防御! 急げ!」
「和也さん、民間人が……!」
「くそっ……みんな、建物の中に入ってください! 戦艦が墜ちます! 建物の中へ早く――――!」
 必死に呼びかけた和也たちの声は、一体何人の人に届いただろう。
 瞬間、周囲の銃声や爆音をかき消してしまうほどに巨大な爆発音が轟き、西の空が眩く光った。それに一拍遅れて襲ってくる強烈な熱波。
「うわっ――――!」
 熱波に足元からすくい上げられ、和也の身体が浮き上がる。転がりながら数度路面にバウンドし、街灯にしがみついてなんとか耐えた。
「ああああああああ――――――――!」
 狂風の中に響く悲鳴。逃げられなかった民間人が悲鳴を上げながら、なすすべなく爆風に吹き飛ばされ、和也の横を飛び去っていく。反射的に手を伸ばすが、それは空を掴むばかり。
 そこへ爆心地の方角から、光り輝く何かが飛んでくるのが目に入る。一瞬幻想的に見えたそれの正体は、駆逐艦の爆発で割れ飛んだ無数のガラス片。おまけにその後ろからは乗用車、イエローキャブ、そして路線バスなどの車両までが放物線を描いて飛んでくる。
 ――う、嘘、だろ……!?
 咄嗟に両腕で頭を庇う。和也たちは防弾防刃繊維の戦闘服とプロテクター、ヘルメットを身に付けているが、身を守る物が何もない民間人にとって、それは行く手にある全てを切り刻んでいく刃の嵐だった。
「ぎゃああああっ! 腕が、俺の腕があっ!」
「兵隊さん、助けてぇっ!」
 鮮血が盛大に舞い、沸きあがる悲鳴が車両に叩き潰されて止まる。
 殺戮の現場を見慣れた感のある和也たちをして目を覆いたくなる阿鼻叫喚の中で、人々が助けを求めて和也たちへと手を伸ばす。
「うあああああ……!」
 助けを求める人たちを前に、和也たちはなすすべも無い。
 数秒にして永遠のように感じられた狂風が過ぎ去り、後にはその傷跡だけが残された。
 ガラスの嵐を浴びた人たちが血だらけになって道路に転がり、車の下からは下敷きになった人の手足が見え隠れしている。そして西の空には、天まで届かんばかりの黒々としたキノコ雲が彼らを見下ろしていた。
 まさに、この世に現出した地獄――――
「みっ――――みんな、無事か!? 無事なら早くこの人たちを手当てして! 一人でも生かせ!」
 他のメンバーたちが、無事を知らせて手を振ってくる。そちらに指示を出して、自らも手持ちの医療キットで手近な人に応急処置を施しながら、和也はナデシコBの澪へ連絡を入れる。
「こちらブレードリーダー! チームは全員無事ですが、駆逐艦が墜落した余波で付近には民間人の重傷者多数! 大至急救援を!」
『りょ、了解!』
 とはいえ、この状況では救援なんていつになるのか……絶望的な気分で手当てを続ける和也に、さらに絶望的な知らせがルリの声で入った。
『こちらはホシノ中佐です。コクドウ隊長。すぐに付近にあるジャミング装置の破壊に向かってください』
「はあ!? 何ですかそれ!?」
『敵はニューヨーク一帯にジャミングを張って索敵を妨害しているようです。駆逐艦が落とされたのも、エステバリス隊の苦戦もそのせいだと思われます。ハーリー君がおおよその位置を掴みましたので、そちらは……』
「待ってください! こっちは、人が……!」
 和也たちの周りには、数え切れない数の怪我人が苦痛に呻き声を上げている。その中には一刻も早く治療が必要な重傷者も数多いのだ。
 怪我人たちは、和也たちに助けを求めている。
『草薙の剣』メンバーたちは、和也を注視している。
 しかしルリは、冷徹に言い放つ。
『そちらは後から来る救助部隊に任せてください。ジャミングを排除しなければ私たちだけじゃなく、後から来る増援部隊もやられます。また艦が落とされたら、さらに大勢の死傷者が出ます』
「しっ、しかし……!」
『命令ですコクドウ隊長。これ以上は命令違反と見なして厳罰も覚悟してください』
 ぎりっ、と和也は奥歯が折れそうなほど強く噛み締める。
 これでは、自分たちは何のためにここへ来たのか……
「了解……しました……! 畜生ッ! みんな行くぞ!」
 ――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!
 心の中で何度も謝り、和也は助けを求める人々に背を向けて走り出した。
 見捨てないで、と背後から哀願の声が追ってくる。それさえも振り切って走る和也たちの前に、再び火星の後継者兵が姿を現す。

「畜生どもっ……お前たちさえ、ここに来なければ――――――ッ!」



『草薙の剣』が、地上で必死の戦いを続けている頃、上空でも激戦が続いていた。
 地上からのミサイル攻撃を警戒して高度を上げた艦隊には、虫型兵器が多数群がり肉薄攻撃を仕掛けていた。高速で接近しては機銃弾やミサイルを叩き込み、反撃しようとすれば市街へ逃げていく虫型兵器の攻撃から、艦隊の各艦は対空レーザーやミサイルをばら撒いて賢明に応戦する。だが所属する機動兵器の大半を地上に回している艦隊は徐々に被害を増していた。
 ナデシコBもまた虫型兵器の攻撃に晒され、フィールドに着弾するミサイルの衝撃が時折艦を揺らす状況の中、ルリは艦を操り、指示を出し続ける。
「ツユクサ上等兵、大至急救助部隊を赤椿の墜落地点付近へ向かわせるよう連絡してください」
「え、は、はい。ですが、現状回せる部隊なんてどこにも――――」
「もうすぐ、第557歩兵中隊がヘリからの降下を終えます。空いたヘリ部隊にメディックを乗せて、臨時の救助ヘリとして使うんです。その間の援護は、一番近いUSA州軍の第515機動兵器小隊に任せます。民間人の重傷者多数との備考も付けてそう伝えてください」
「了解! こちら――――」
「艦長、サンディフック基地司令部からです!」
 そう、ハーリー。
「市街の状況悪化を鑑み、残留部隊の一部を増援として回すとの事ですが……」
「…………」
 ルリの表情が、密かに険しさを帯びる。この状況ではやむを得ない判断かもしれないが、これでただでさえ心細い草壁の守りはさらに少なくなった。
 やめろと言いたくても、権限で言えば向こうが一段上だ。ルリに口出しする権限は無い。
 ――最悪の事態を想定して、私たちも動いたほうがいいですね。
「ハーリー君。『グングニル』は何発ありますか?」
「『グングニル』ですか? 前の戦闘で使った残りが四発ありますけど……何に使うんですか?」
 ハーリーが懐疑の目でルリを見る。
『グングニル』は頑強な施設目標への攻撃を想定した大型対地ミサイルだ。弾頭は地表貫通式の遅発信管で、敵の地下施設やシェルターの破壊に用いられる。
「VLSの一番から四番に『グングニル』を装填。いつでも撃てるようにしてください。……必要になった時のため、です」
 ルリの言葉は真意をオブラートに包んだ言い方だったが、恐らくハーリーには解ったはずだった。
 草壁元中将の身柄……奴らに奪われるくらいなら、いっそ殺してしまったほうがいい。



 正午ごろから空を覆い始めた鉛色の雲は、いつしか雪を降らせ始めていた。
 戦火に赤く彩られたニューヨークに降る雪は、目に映る全てを白く染め上げる優しい雪ではなかった。戦闘による爆発と火災によって舞い上がった煤煙が雲と結び付いて生じた毒々しい黒い雪が、もう動かない人々の上に降り積もっていく。
 まるで世界の終末のような、下手な悪夢より悪夢的な光景が広がる中で、『草薙の剣』は懸命に抗おうとしていた。
「また上から来るぞ、気を付けろ!」
 地上を舐めるように火線が走る。高速で急降下してきたバッタが、和也たちの頭上を通過しながら機銃を浴びせてくる。
 即座に横へ飛び退いて銃撃を避けた和也の横で、烈火が対機動兵器ミサイルを発射。追尾を逃れようと上下運動を繰り返すバッタの背にミサイルが食い付き、爆発。バッタが粉々に砕け散る。
「みんな、広がって! 固まると空から狙われる!」
 和也は残り少なくなったアルザコン31の弾倉を交換。ひっくり返った車に身を隠しつつ向こう側の様子を伺う。
 目的のジャミング装置は距離だけならそう遠くはない。だが眼前には多数の歩兵と虫型兵器が立ち塞がっていた。
「……虫型兵器の新手を確認しました。水式……『ゲンゴロウ』です。数はおよそ十。敵の防衛網、厚くなっています」
「みんな、残弾はあとどのくらい!?」
「私は狙撃銃の予備マガジンが二本です!」
「オレは一本半だ!」
「自分はこれが最後の一本であります!」
 返ってくる返事はどれも頼りない。これ以上は戦えないと思った和也は、ナデシコBへ通信を繋いだ。
「ブレードリーダーよりナデシコBへ! これ以上は進めません! 機動兵器による援護が必要です! 虫型兵器を退けないと、目標へ辿り着く前にやられます!」
『ナデシコB了解! 近くにいる州軍部隊に支援を要請してる! もう少し待ってて!』
 お願い! と一言添えて通信を切る。
 そこへ美雪が「和也さん」と肩を叩いてきた。
「このままでは埒が明きませんわ。わたくしが一人でジャミング装置を壊してきますから、皆様方はここで敵を引き付けてくださいます?」
「そんな危険な……いや、それが最善手かもね。許可する。ただし危険だと思ったら戻れ」
 無論ですわ、と柔和に微笑み、美雪は崩れかけた建物の中へ消えた。
「頼むよ美雪……よし、みんなは――――」
「和也さん!」
 そう切羽詰った声を投げてきたのは妃都美だ。今度は何だ、と和也は怒鳴り返す。
「生存者です! この人、まだ意識があります!」
 目を向ける。建物の外壁に衝突したらしい乗用車の運転席で、一人の男性がハンドルと座席に挟まれ身動きが取れなくなっていた。気を失っていない証拠に、痛い痛いと呻いている。
「……許可する! 奈々美、烈火、あの人を引っ張り出して!」
「あいよ!」
「しゃあないわね!」
 少し逡巡したが、割り切って救助に向かわせた。烈火と奈々美が二人がかりで変形した車体を押し広げ、妃都美が男性の腕を引っ張る。
「ひーっ! 痛い、痛い!」
「もう少しです! 痛いのは解りますから、頑張って!」
 数秒の奮闘の末、男性の身体が車の中から転がり出た。妃都美は男性に言う。
「歩けますか!? 自力で歩けるなら、駅の方へ……」
「待ってくれ、まだ中に妻と息子が……」
 車の中に目を向ける。確かに、中にはまだ助手席に女性と、後部座席に中学生くらいの少年がいた。しかし微動だにしないその身体から生命の鼓動は感じられず、脈を確認した奈々美は首を横に振った。
「ああああっ……! 銃を貸してくれ、撃ち殺してやるっ!」
「あっ!? そっちに行ってはダメですっ!」
 家族の死に逆上した男性は、妃都美の足に提げていた拳銃を奪い取ると敵のいる方へ制止を振り切って走った。次の瞬間、複数の銃口から放たれた弾が彼の身体をズタズタに引き裂いた。
「バカ……! せっかく助けたのに……」
「増援はまだか!」
 歯噛みする和也の横で楯身が叫ぶ。それに「来ました」と答えた美佳の声に重なるように、力強いダッシュローラーの唸りが響いてきた。
 横の道路から飛び出して来たのは、オリーブドラブ色に塗装されたUSA州軍のエステバリス陸戦フレームが二機。和也たちの脇を高速で通り抜けるやラピッドライフルを横薙ぎに連射し、ゲンゴロウが次々に撃ち抜かれて動きを止めていく。
 さらにその後ろからは、ブルックス歩兵戦闘車――中東で見た物とは違う、25ミリ機関砲と対機動兵器ミサイル、兵員輸送能力を備えたバリエーションだ――の車列が颯爽と現れ、乗せていた歩兵を次々降車させる。その姿は頼もしいが、同時に歯がゆさを感じずにはいられなかった。
 ――もう少し早く来てくれれば、あの人も助けられただろうに……!
 そう言いたくなるのを我慢し、黙って弾薬を受け取る。美雪がジャミング装置を破壊するまで、こちらは派手に暴れて囮にならねばならない。
「よし行け! 虫型兵器はエステバリスと装甲車が潰してくれる、歩兵を優先して叩け!」
「うっしゃあ! 100倍にして返してやるわよ!」
「この暴挙の代償は血で支払ってもらいます!」
 増援を得て意気上がる『草薙の剣』は州軍部隊と共に突撃。質量共に上回る兵力となった和也たちの猛攻に、火星の後継者兵の間に動揺が走った。
「テロリストども、僕たちの前から消えろ――――ッ!」
 叫び、アルザコン31を撃ち放つ。数十の銃火気が多重奏を奏で、何人かの火星の後継者兵が血煙を吹いて倒れる。物陰に身を隠した敵兵はブルックス歩兵戦闘車の25ミリ機関砲が遮蔽物ごと吹き飛ばす。虫型兵器はエステバリスと装甲車のミサイルで排除し、それを建物の上からロケット砲で狙った敵が妃都美や州軍のライフル兵に撃ち倒される。
 風向きが一気にこちらへ向いた。不利を悟った火星の後継者兵が「下がれ! 下がるんだ!」と怒鳴り合いながら逃げていくのが見え、このまま押し切れればいけると和也は思った。
 その時、コミュニケから『和也さん、聞こえます!?』と待っていた、しかし妙に切羽詰った声が聞こえた。
「美雪! ジャミング装置は見つけたのか!?」
『それどころではありませんわ! 至急お下がりになってください!』
「ああ!? 何で!?」
『さっき集音マイクで敵の声を拾ったのですけど、皆様の真下には――――!』
 途端、真下から突き上げるような衝撃。
 足元のアスファルトが突然にひび割れ、そこから火の手が上がり、道路が崩れ落ち始める。以前にも見た覚えのある光景に、和也は美雪の言葉の続きを悟った。
 この真下には、地下鉄の線路が――――
 自分たちが罠に誘い込まれたと悟り戦慄する和也の目の前で、右手にあった十階建てのビルがビキビキと不吉な音を響かせて大きく傾ぐ。倒壊の前兆だった。
「罠だ! 全員後退、下がれ下がれ下がれッ!」
 大声で叫び、腕を振り回して後退を指示。踵を返して全速力で走る。『草薙の剣』は全員がそれに続いたが、州軍部隊はそうも行かなかった。
 重く鈍重な装甲車がまず最初に、崩れた道路に嵌り動けなくなった。続いてその周囲にいた州兵たちが足を取られ、巨大なアリ地獄に飲み込まれるように崩落する道路に巻き込まれ、彼らの上げる悲鳴と共に地の底へ消えていく。その上に、巨大な鉄槌のようにビルが落ちかかる。
「巻き込まれるぞ! 逃げろ、早く――――!」
 和也はただ走り、声の限りに叫ぶ。目の前でまた数十の命が奪われようとしていたが、逃げ遅れた州兵を拾い上げる力も、倒れるビルを受け止める力も和也たちにはない。
「畜生っ! 何とかできねえのかよ!」
「やめてくださいっ! もう沢山です、いくら殺せば気が済むんですか!」
 絶叫する彼らの眼前へビルが倒壊――――何人もの州兵が下敷きになり、和也たちの身体は衝撃で宙を舞う。
 どれだけこの惨事を止めたいと思っても、和也たちにはその力がない。どれだけ必死に目の前の人を助けようとしても、誰も救えない。
 まるで風に吹かれる木の葉のように、和也たちは無力だった。



 市内の地下を走る地下鉄の路線が爆破され、所々で建物が崩れ落ちる。それは一箇所だけでなく、ニューヨークの各所で起こっていた。
 ニューヨークは地下鉄路線の多さでも世界有数と名高い。市内を縦横に走る地下鉄は災害時の避難経路やレスキュー隊の通路として大いに活用が期待されていた。
 そこに火星の後継者は目をつけた。地上が攻撃を受ける中、広大な地下鉄路線を全て守るなど物理的に不可能だ。虫型兵器を突入させるのは何の問題もなく成功し、後はそれらに積んだ大型爆弾を起爆すれば、頑強な地下鉄路線とてひとたまりもない。
 突然の地面の崩壊は、地球連合軍の地上部隊を分断。その連携をズタズタに引き裂いた。背後を崩れた建物に塞がれ孤立した部隊はパニックを起こし、そこへ虫型兵器と歩兵が襲い掛かる。
 精強を持って鳴る地球連合軍の兵士たちがなすすべもなく逃げ惑い、狩られる。その凄惨な様子を上空から一機の偵察用バッタが見下ろしていた。

「地下鉄路線の爆破、成功! 敵部隊、動揺しています!」

 その映像を受け取っている火星の後継者の戦艦では、その惨事が華々しい戦果として伝えられた。オペレーターの報告を聞き、ブリッジクルーから割れるような歓声が上がる。
「いいぞ! やってやれ!」
「俺たちの怒りを思い知れ!」
「もっと苦しめ地球人! こんなもの俺たちの苦しみに比べればほんの100万分の1だ!」
 憎い地球連合軍と地球人が苦しむさまは、彼らにとって最高に胸のすく見世物だ。民間人が機銃掃射を浴び、州兵が火達磨になって息絶える、その光景が呼び起こすのは憐憫ではなく爽快感。酒とつまみが欲しいところだ。
 もちろん彼も同じだ。この中で最も状況を味わい、楽しんでいるのは彼だったろう。
「ヒャーッハハハハハハ! まだだまだだ! まだ火が足りねえ、まだ血が足りねえ! 捕まえた地球人を胸まで地中に埋め、飢え死にさせてやれ! そのまま放っておき、食い物を求めて気が狂ったように喚き叫ぼうと一切構いつけるな。助けようとした奴は勿論、たとえいささかでも憐みの心を抱いた者はその罪を以て死刑に処する! 葬儀は一切許さぬ。何人も喪服を着るな。追悼の鐘一つ鳴らしてはならぬ。屍は野に晒し、獣や鳥の餌食にしてやれ! 生前の奴らはまさに獣同然、そこには憐みの情の一欠片も見出せはしなかった。せめて死後は、屍を襲うカラスに憐みを乞うしかあるまいさ!」
 爬虫類じみた相貌を歪んだ興奮に上気させ、哄笑を挙げて詠うのは『タイタス・アンドロニカス』の一節――――繰り返された復讐劇のラスト。それにまた歓声が上がるこの艦内は、完全に血と炎の殺戮ショーに酔いしれていた。
「っと。サンディフック基地より増援部隊の離脱を確認。基地の残留戦力、さらに少なくなっています」
「おお、いかんいかん。危うく大事なものを忘れるとこだ……頃合いだな。上陸部隊に伝えろ。予定通り上陸作戦を開始するってな」
「了解!」
 ――奴らの情報は確かだ、と彼はほくそ笑む。まさか地球連合軍も、自分たちの情報が筒抜けになっているとは思うまい。
 おかげで作戦は順調だった。ニューヨーク市内への戦力の運びこみはうまくいき、陽動は確実に効果を挙げている。
 その結果、サンディフック基地は戦力を無辜の市民を救うために出さざるを得ない。それがこちらの思惑通りだと解っていてもそうせざるを得ないのは、まさに正規軍の泣き所と言うべきだろう。
「愉快痛快だな。さあ、草壁閣下たちを迎えに行くぜ。そうすればいよいよ地球連合に破滅の日がやってくる。奴らの大事な『地球人類』どもは住む星を追われ、宇宙に放り出された先人たちと同じ運命に遭うだろうよ!」
 彼の号令一下、海中に身を潜めていた火星の後継者艦隊が、眠りから覚めた猛獣の如く静かに身じろぎし始める。
 カトンボ級駆逐艦、ヤンマ級戦艦を中核とする無人艦隊。だがその中で唯一の有人艦であるこの四連筒付木連式戦艦は、船体の大半を占めるドラム型カーゴに一個大隊規模の歩兵と二十機の積尸気、無人艦にも多数の虫型兵器が搭載され、その牙を光らせている。戦力の減った基地なら十分攻め落とせるだけの戦力だ。
 作戦は最終段階に達しようとしていた。



「第277歩兵小隊、壊滅! 残存部隊から救援要請が来ています!」
「ブリザード中隊3機損耗! 隷下の一個小隊が、敵に包囲されています!」
「第221輸送中隊の進路上で崩落! 民間人の避難ルート確保できません!」
「クイーンズ地区7番街地下で、民間人を乗せた列車との連絡途絶! 崩落に巻き込まれた可能性があります!」
 地上部隊の窮状を知らせる報告が、次から次へと重なり合って入ってくる。
 レーダー図上ではニューヨークの各所で地下鉄路線が爆破され、それに伴う崩落が地上へ甚大な被害を出しているのが解る。連携の寸断された地上部隊は次々に包囲され、各個撃破されていく。
 ナデシコBにも矢継ぎ早に助けを求める連絡が入り、ルリは地上部隊への指示に追われた。
「第348歩兵小隊は直ちに南へ後退。281小隊と合流して戦力の回復を図ってください。ブルックリン東地区は一時、敵に明け渡さざるを得ません。ですが民間人への呼びかけは続けてください」
「艦長、『草薙の剣』が退路を断たれました! このままじゃ――――!」
 悲鳴じみた澪の声に、ルリは『草薙の剣』からの映像に目を移す。

『遮蔽物を確保しろ! とにかく身を守れ!』
『空からも来るぞ、ミサイルの残り確認しろ!』

 怒声を放ち、右往左往するのは生き残った州兵たちだ。ビルの崩落に巻き込まれた州軍部隊は装甲車を全て失い、30人近くいた歩兵が10人弱まで減った。小隊長も生き埋めにされたのか、統制を失った州兵たちは一人、また一人と襲い掛かる虫型兵器の餌食になっていく。
 エステバリスも一機が倒れたビルに押しつぶされ、抵抗し続けていた残る一機もまもなく力尽きた。背後からジョロに飛びつかれ、ゼロ距離からコクピットに機銃弾を叩き込まれて沈黙した。
『生き残ってる奴はこっちへ来い! 崩れたビルをトーチカ代わりにして耐えるんだ!』
 美雪の警告もあって奇跡的に全員が無事だった『草薙の剣』は孤軍奮闘していたが、それも限界が近かった。撃ち続けた銃口は赤熱し、補充した弾薬もたちまち底を突き始める。
『ミサイル、これで品切れだ!』
『対物ライフルもこれでラストよ!』
 烈火と奈々美が焦燥の滲む声を投げ、和也もまた自分の40ミリグレネードを使い切った事に気が付き舌打ちする。
 そこへ火星の後継者は情け容赦ない追い討ちを仕掛けてきた。砲弾が空気を切り裂く『死神の笛の音』が聞こえ始め、『迫撃砲だ!』と誰かが叫ぶ。
 次の瞬間、砲弾が炸裂。逃げ遅れた何人かの州兵が吹き飛び、和也たちを衝撃が襲う。
『ここを崩すつもりか……! こちらブレードリーダー! これ以上は持ち堪えられない、航空支援の再開はまだか!?』
「こちらナデシコB! ごめん、現状そっちに回せる部隊は無いの!」
『ならせめて迫撃砲を何とかしてくれ! このままじゃ僕たちまで生き埋めにされる!』
 それは、と澪は泣きそうな顔でハーリーを見る。
「無理です! ジャミングの影響下でミサイルを使えば、確実にコクドウ隊長たちを巻き込んでしまいます!」
「それも無理みたい、もう少しだけ待って! いまサンディフック基地からの増援が向かってる。軽空母アレナリアのエステバリスが……」
「待って、ツユクサ上等兵」
 少しでも安心させようとしてか、援軍が向かっている旨を伝えようとした澪をルリは止めた。通信をいったん切れ、とブリッジの全員に手振りで合図し、先刻からの懸念を口にする。
「いくらなんでも妙です。いくら地下鉄構内に虫型兵器を侵入させていても、爆破のタイミングがあまりによすぎます」
「それって……」
「考えたくありませんけど、こちらの情報が漏れているのかもしれません。とりあえず秘匿回線の暗号化プロトコルを新しいものに置き換えてください」
 ルリの言葉に従い、澪やハーリー、オペレーターたちは通信の設定を変える。
 その時、『草薙の剣』から少し離れたビルの合間で小さな爆発が起きた。それと同時に、レーダー図上の虫型兵器や敵兵の配置がより鮮明になる。
「ジャミングの一部解除を確認! カゲモリ曹長がやったみたいです!」
「軽空母アレナリアより連絡入りました! エステバリス部隊の展開完了、目標を指示願うとのことです!」
 喜色を浮かべたハーリーと澪の声に、ルリはすぐさま声を飛ばす。
「アレナリア所属の機動兵器隊は、小隊単位で孤立した地上部隊の支援に回ってください。対象の位置はデータリンクで転送します。敵の火力プラットフォームに対しては、こちらでミサイルによる掃討攻撃を行います。地上部隊は至近弾着に注意してください」
 口での指示と並行して、『草薙の剣』を含む孤立した部隊を示す。それに従って、一個小隊四機づつに分かれたエステバリス部隊が散っていく。
 そのうちの一小隊が、轟音を立ててナデシコBのすぐ横を通過する。空戦フレーム、それも両肩部に八連装ミサイルポッド、両腕に六連装30ミリガトリングカノン、両足に57ミリ他連装ロケット弾ポッドを搭載した重攻撃装備の機体だ。機動性を捨てて火力を強化した空飛ぶガンシップが急降下し、『草薙の剣』を追い詰めていた虫型兵器にその火力を叩き付ける。
 同時にナデシコBも、その流麗な艦体に秘めた火力を開放。既に塞がっている四つを除いた全てのVLSからミサイルが飛翔し、それぞれが指定された目標目掛けて蛇のように宙を滑る。
 轟音、そして衝撃――――そこかしこで爆炎が上がり、レーダー図に表示されていた敵が大きく数を減らす。迫撃砲の飛来が止み、航空支援を得た『草薙の剣』も反撃に転じる。澪が脱力したように背もたれに背中を預けた。
 制圧できたのはブルックリン地区の南側だけだが、ここを起点に制圧していければ――――ルリがそう思った時、「艦長!」とハーリーの声。
「これを見てください、大変です!」
 ルリの目の前に一つのウィンドウが展開する。それを見たルリは「コクドウ隊長」と和也を呼んだ。
「木星人の多く住む住区で、木星人移民と思われる群集が集まり始めています。目的は不明ですが……」
『まさか、火星の後継者の側に立って暴動でも起こすつもり……』
 恐らく、と言ったルリに、和也は『バカ野郎ッ!』と憤激を露わにヘルメットを地面に叩き付けた。
『どいつもこいつも木星人移民ぼくたちの首を絞めるような事ばかり……どうしてみんなそっちに行っちゃうんだよ!』
「和也ちゃん……」
『僕たちが間違ってるって言うのか!? これじゃあ何のために血を流してるんだよ……!』
 和也の怒りも無理はない。これは守ろうとした人たちから、必要無いと言われるに等しい仕打ちだ。
「ショックを受けているところ申し訳ないですが、もう一つ悪い知らせがあります」
『何か……想像付きますよ。サンディフック基地が襲われてるんでしょう?』
「正解です。敵の規模は歩兵だけで一個大隊規模。その他積尸気が二個中隊に、虫型兵器多数。そして無人艦十隻程度の艦隊です。基地の防衛隊は、すでに五割方が壊滅状態に陥っています」
 このままでは、草壁を奪い取られるしかない――――絶望的な空気がブリッジに広まっていく。
 自分たちはニューヨークを燃やされ、その意図をある程度看破していながら草壁も守れなかった。それはもう、完膚なきまでの敗北だ。
 だが、これで終わらせる気はない。
「……ハーリー君。『グングニル』を発射してください。目標はサンディフック基地の地下施設です」
「やっぱり……撃つ気なんですね」
 静かに命じたルリに、ハーリーは震える声でそう聞き返してきた。
「このまま草壁元中将の身柄を奪い取られるわけには行きません。彼が復権すれば、火星の後継者の潜在的な支持者も次々決起して取り返しの付かない事態になります。このニューヨークと同等の市街戦が、他の都市でも繰り返されるかもしれない。そうなるくらいならいっそ殺してしまうべきです。責任は全て私が取ります」
「……そんなに殺したいんですか……?」
 恐々とした態度で訊いてきたハーリーに、ルリは無言で答えた。
 答えられるわけがない。だから肯定の意味で沈黙する。
 私怨が無いわけがない――――
「了解……」
 ハーリーは全身を震わせ、冷たい汗をかきながら命令を実行しようとする。
 ナデシコBのVLSが口を開き、中から一際大柄なミサイルが顔を覗かせる。北欧神話の神槍の名を持つ、強固な地下施設をも貫通する必殺の刃。
 ルリの前にミサイル発射の最終確認メッセージが表示される。知らず唾の塊を飲み込み、ミサイル発射命令を出そうとする。

 ――これでいいですよね、ユリカさん、アキトさん……

『――――待ってください』



 ルリは草壁を奪われる前に殺す気でいる。通信回線から漏れ聞こえる話し声を聞いて、和也たちもそれを知った。
 草壁を殺すことは、和也としては反対だ。草壁の死を知れば、その潜在的な支持者は怒りに駆られて暴動を起こすか、火星の後継者の側につく。ルリの言っていることは結局程度問題に過ぎず、取り返しの付かない事態に発展するには違いない。
 しかしそれでも、和也は最初何も言えなかった。そもそも和也に言われるまでも無くルリは全てを承知した上でこの策を選んだのだろうし、やめろと進言しようにも対案の持ち合わせなど無い中で、ルリを説得することは不可能だ。
 結局、和也たちは歯噛みして事態の成り行きを見守るしかない。目の前で自分たちの運命が動いていながら、それに触れることさえ出来ない――――
「隊長……事態はよくない方向へ向かっています。止めなければ……」
 唯一楯身だけは耐え切れずに異議を唱えていたが、空しい抵抗だった。
 そんな和也たちの心に一石を投じたのは、回線越しにそっと問うてきた澪の声だった。
『ねえ和也ちゃん……草壁さんが殺されたら、木星の人たちはみんな怒るよね』
「……そうだろうね」
『ユキナちゃんとか……オオイソに住んでる移民の人たちも怒って、暴動起こしたりするのかな、私嫌だよ、そんなの……』
 澪の口にした、個人的な、しかし現実的な懸念。それが和也の心を揺り動かした。
 それだけはダメだ、と思った。今もオオイソに残る地球人の友人たち――――彼らに累が及ぶ事態は、和也にとって地球の情勢がどうにかなるよりも遥かに恐ろしかったのだ。
 対案は…………ある。
「――――待ってください」
 気が付いた時には、ルリに口を差し挟んでいた。
「ホシノ中佐。作戦の再考を具申します」
『……理由を言ってください。時間があまりないので手短に』
 案の定、ルリは殺気立った目で和也に返してきた。気圧されそうになりつつも、和也は懸命に言葉を継ぐ。
「草壁元中将の殺害には反対です。彼を殺せば……いえ、こんな事は承知の上でしょうね。奪われるくらいなら殺すべきという点には同意します。ですがその前に、せめて僕たちを向かわせてください」
『敵は数百人規模ですよ。たった七人で何が出来ると言うんです?』
「要は草壁元中将の身柄を、援軍の到着まで守りきればいいわけでしょう。少人数の利点を生かして敵を突破、先に彼の元へ辿り着いて防戦を展開すれば、時間まで守りきることは不可能ではないと考えます。敵にとってもけして余裕のある作戦ではないはずですから」
『…………』
 さすがにルリも、しばし逡巡する。
 ルリは優秀な人だ。ここで草壁を守りきる方法があるならそうするべきと、そう判断できる人のはず。
『艦長、私からもお願いです! 和也ちゃんたちを行かせてあげてくださ――――』
『でしゃばらないでください、ツユクサ上等兵』
 和也の気持ちを解ってくれているがために、口を挟んでしまったのだろう澪をぴしゃりと一括し、ルリは和也に向き直る。
『百歩譲って、あなたたちにそれが出来るとします。ですが……仮に出来たとして、あなたたちは最後まで任務を貫き通せますか?』
 それはつまり、裏切らないか、という問い。
 草壁を前にしても、木星人である和也たちは地球連合軍の軍人であり続けられるか――――ルリはそれを疑っているのだ。最近はなりを潜めていたが、草壁という大きすぎる誘惑を前に疑念が再び首をもたげたらしかった。
 対し、和也は――――
「まあ、その懸念はごもっともですね」
 自分でも意外なほど、すんなりとそれを受け入れた。
「僕自身、ここで何をするべきか、どうしたいのか、今でもよく解りません。火星の後継者は倒したいけれど、地球連合も許せないという奴らと同じ気持ちは、確かにあります」
 オオイソを出てから今日まで、何度なく悩んできた。
 本当はやはり、火星の後継者の側につくべきだったかと。自分たちのやっている事は木星のためどころか、単なる裏切り行為ではないのかと。
「足元もろくに定まっていない僕たちですけど、たった一つだけ動かないものがあります。それは……僕が木星人だということです」
 悪を斬る剣でありたい。罪無き人々を守る盾でありたい。ゲキガンガーのような正義の戦いがしたい。それが和也の、木星人の正義のはずだった。
 それなのに、今の火星の後継者は――――
「……この火が見えるでしょう。ホシノ中佐からも」
 ニューヨーク全体を覆う、地獄の業火の如き戦火。
 今こうしている間にも武器も持たない人たちがあの下で焼かれ、腕や足を失くしている。
 こんな事が、和也たちの求めていた正義であるはずがない。
「許せないと思うでしょう? 一人でも多く助けたいと思うのが人間でしょう? オオイソが襲われたあの日にそう思ったから、僕たちは火星の後継者を倒すと決めた。その気持ちはホシノ中佐だって同じはずです!」
『…………』
「火星の後継者の思い通りにさせていたら、また同じ事が起きるかもしれない。次はまたオオイソが狙われて、僕たちの友達が死ぬかもしれない。それを止めるためなら……草壁元中将を檻に入れることくらい厭いませんよ」
「はっ、自分も隊長と同意見であります!」
 そこで、待ちかねたとばかりに楯身が口を挟む。
「自分たちにも発言の機会を頂きたい。火星の後継者の非道を憎む気持ちは我々も同じ。奴らを野放しにして、和平が台無しになる事は許すわけに行きませぬ」
 楯身は微塵も意思を揺らしていない。
「やられっぱなしじゃ我慢できないからね! 最後に一泡吹かせてやるわよ!」
 奈々美は闘志を露わにしている。
「ガキんちょまで殺すような奴らを味方にできるわけねえだろ! オレは最後までやってやるぜ!」
 烈火は怒りを滾らせている。
「……私も……オオイソに友達がいますから……危険でも、皆を守れる方法を選ばせてください……」
 美佳もまた、友達を守ろうとしている。
「私も気持ちは和也さんと同じです。同じ木星人として、彼らの暴挙は私たちが止めます」
 妃都美もまた、誇りある木星人として戦おうとしていた。
「皆さん熱血ですわね。……無論、わたくしも最後までお供しますわ。わたくしなりの戦う理由のために」
 美雪は相変わらず本心を見せないが、戦う意思を表していた。
「お聞きになった通りです、ホシノ中佐。『草薙の剣』一同の総意に基づき、僕たちは草壁元中将の防衛任務に志願します!」
『…………』
「草壁元中将さえ守り切れれば、火星の後継者の思惑は外せます! お願いします中佐――――!」
 ルリは数瞬、目を閉じて沈黙した。
『本当に……木星人と言うのは、ご都合主義で生きてる人たちですね……』
「え?」
 ルリの呟きを聞きつけた和也に、なんでもありません、とルリは誤魔化した。そして、

『解りました。あなたたちに賭けてみます。……ハーリー君。空いているティルトローターを回してください。最優先でお願いします』

「はい! ありがとうございます、中佐!」
 通じた――――! 和也たちは歓声を上げ、ウィンドウの向こう側でも澪やハーリーが喜びの声を上げていた。
『ただし、草壁元中将の身柄を奪われないことが最優先なのは変わりません。もしあなたたちが失敗するか、失敗が不可避と判断した時は……』
「解っています。その時は僕たちごと撃って構いません」
 覚悟を口にし、通信を切る。そして他のメンバーたちを……こんな時まで自分に付いてきてくれた、愚直な仲間たちを振り返る。
「みんな、腹は決めたね? 僕たちだけで敵の大群に突っ込むことになるよ」
「何をいまさら。半年前のオオイソで、覚悟は決めてあったと思っておりましたが」
「あいつらをギャフンと言わせてやるわ! あたしは強いんだからね!」
「その通りです。火星の後継者に一矢報いるまで!」
「ありがとう。……澪。そっちも僕たちのオペレート、しっかり頼むよ」
『解ってる。私も『草薙の剣』のメンバーだからね。必ずみんなを辿り着かせてみせる』
 だからお願い、と声を震わせながらも気丈な態度で澪は言う。
『必ず生きて、帰ってきてね!』
「任務了解。行くよみんな!」
 心を合わせて唱和する。

 我らの戦いに木星の加護を――――!



 ニューヨーク市内が煉獄なら、サンディフック基地は鉄火場だった。
『こちら基地警備第21小隊! 敵の攻撃凄まじく、防戦の継続不能! 大至急救援を――――!』
『進め、進め! 我らの勝利は目前だ!』
 突然海から上陸してきた火星の後継者の有力な陸戦部隊による攻撃は、サンディフック基地にとって予想できた攻撃だった。残された戦力を要所に配置し、迎撃の態勢を整えてはいた。
 しかし悲しいかな、ニューヨークと市民を救うために抽出した戦力は大きすぎた。予想通りにやってきた敵を迎え撃つための戦力は、予想通りに足りなかった。
 それでも防衛部隊は懸命に戦ったが、物理的な戦力差は容易には覆らない。艦砲射撃で地上施設の大半が破壊され、生き残った部隊は押し寄せる敵の前に磨り減らされ、押し潰されていった。
 だから悲鳴と救援を求める声だけが交差するオープン回線に、静かな水音のようなその声が発せられた時、誰もが幻聴を疑った。

『サンディフック基地司令部。こちらは宇宙軍戦艦ナデシコB。これよりそちらの支援を開始します』



『地上区画の大半はもう敵で埋まってる! 敵が少ない東区画第三兵舎から、地下区画へ入るのがいいと思う! 交戦は可能な限り避けて、草壁さんの所へ行くことだけ考えて!』
「ブレードリーダー、了解!」
 和也の号令一下、『草薙の剣』七人を乗せたティルトローター『オーセージ』がローターの回転数を上げ、一気に加速を開始する。
 操縦席にパイロットの姿はない。撃墜されることを前提として考え、ルリがナデシコBから遠隔操作で操っているのだ。そのオーセージ目掛けてすぐさま何発もの対空ミサイルが飛来し、オーセージがばら撒けるだけのフレアをばら撒きながら懸命に回避する。今の和也たちの命は、ルリの指先一本にかかっていると言えた。
 そこへ後方から、ナデシコBより放たれた支援のミサイルが飛来し、轟音を立てて和也たちのオーセージを追い越す。数十発のミサイルが基地の地上区画に突き刺さり、あたりを焦熱地獄に変える。
 燃え上がる空域を駆け抜けたオーセージは、目標である兵舎の前でホバリングに移行。開け放たれた舷側ドアから烈火がロケット砲を突き出し、兵舎外壁に向けて発射。空いた破孔へオーセージからアンカーを打ち込む。
 アンカーに繋がったワイヤーに滑車を取り付け、和也たちは兵舎へ向け高速滑走。左腕一本で体と装備の重量を支え、和也たちは空中を疾駆する。
 即座に近くの火星の後継者兵が集まり銃撃を送ってくるが、高速で滑走する物体に対してそうそう有効弾は望めない。逆に反撃で数人を撃ち倒し、和也たちは兵舎内部へ転がり込む。
「入り込まれたぞ!」
「敵は少数だ、囲んで蜂の巣にしてやれ!」
 火星の後継者兵たちは派手な突入に一瞬怯んだが、すぐに銃撃を浴びせてくる。逃げ場のない中での集中射撃は、しかし和也たちが背中に背負った大柄な盾に弾かれた。
 複合ルナニウム合金の盾――――大きさのわりに軽量で、高い防御力を誇る。かさばるために好んでは使わなかったそれを腕に構え、和也たちは前に踏み出る。
「総員突貫……続け――――ッ!」
 咆哮し、盾を構えて銃撃の中を突進。これには火星の後継者兵たちも驚き、中には肝を潰して逃げ出す者まで出るその集団を体当たりで粉砕する。
「これ以上、勝手にはさせん!」
「私たちがいる限りっ!」
 楯身たち前衛が盾での打撃で敵を殴り倒し、戦意を失わずに銃を向けてくる者を妃都美たち後衛が撃って殺す。交戦よりも突破を優先して進む和也たちの姿を見て、敵もその狙いに気付いたようだった。
「奴ら、草壁閣下を狙っている! 止めろ!」
「機動兵器を寄越せ、奴らを行かせるな!」
 火星の後継者兵の怒声が交錯し、外から反重力スラスターの唸り声が聞こえ始める。崩れた建物の影から滑るように躍り出たのは、これまでにも何度か目にしてきた巨大な機影。
 ――積尸気!
 戦慄する和也たちに、積尸気は手にした30ミリハンドガンを向ける。直撃すれば盾もろとも和也たちを肉片へと変えられるそれを放とうとした刹那、横から飛び込んできた青い機体が積尸気を左の拳で殴り倒した。
『やらせるかよっ!』
 サブロウタのスーパーエステバリスが、積尸気の頭部メインカメラを粉砕。倒れるそれが取り落としたハンドガンを空中で受け取り、両手に銃を構えたその姿は不動の守護神のように慄然としていた。
『ここは任せろ! お前たちは先を急げ!』
「感謝します、少佐! ――――勝ちましょう!」
『おう! 行くぜえ……久しぶりの大活躍――――!』
 叫ぶや、サブロウタは機体の腰を捻りながら跳躍。殺到する積尸気と虫型兵器の中に飛び込み、回転しながら火力を叩きつけていく。
「まさに獅子奮迅か……僕たちも行くよ! みんなの期待に応えるんだ!」
 和也の激励に、メンバーたちも三者三様に応える。
 その頭上には、ちょうどナデシコBが影を落としていた。



 サンディフック基地に響く銃声と砲声が、にわかにその勢いを増し始めた。
 ナデシコBの来援は、戦力としては極少数――――不利を覆すほどの戦力はない。しかしホシノ・ルリ中佐とナデシコといえば、戦争中から今日に到るまで世界中で戦果を挙げてきた武勲艦。それが助けに来た事は、生き残って抵抗し続けていた基地警備隊に数千の援軍に等しい勇気を与えるだけのインパクトがあった。
「ナデシコだ! 電子の妖精が助けに戻ってきたぞ!」
「援軍は来る、まだ望みはある!」
「うおおおおおっ! 生き残ったらルリちゃんに結婚を申し込んでやる!」
 傷ついた兵士たちが戦意を盛り返し、狭い区画で抵抗していた部隊が反撃に転じる。急に活気付いた軍の反撃に、火星の後継者兵の間に戸惑いが広がっていく。
 そのさまに苛立ったように、無人艦隊が前進を始めた。カトンボ級やヤンマ級の下部に取り付けられた小ぶりな砲門――――小口径リニアキャノンが紫電を発し、『草薙の剣』とそれを守って戦うスーパーエステバリスを軸線に捉える。その姿はナデシコBのブリッジからも見えていた。
「敵艦隊、射撃体勢に入りました! 目標は『草薙の剣』とタカスギ機!」
「ナデシコB、全速。ディストーションフィールドの出力最大で、敵艦隊の射線に割り込んでください」
 無人艦隊がリニアキャノンを撃ち放つ寸前、ナデシコBはエンジンを限界まで回してあえてその射線に身を晒す。次の瞬間、飛来した高初速砲弾がナデシコBのフィールドに突き刺さり、何発かはそれを貫通してナデシコの艦体に食い込んだ。
「被弾! 現在損傷箇所を確認中!」
「本艦はこれより現空域に留まり、地上の味方を守りつつ敵艦隊との交戦に入ります。VLSに対空、対艦の各ミサイル、ならびに対ミサイルデコイを装填、装填次第発射してください。グラビティブラストの発射準備も忘れずに。……ツユクサ上等兵、『草薙の剣』は?」
「『草薙の剣』は兵舎連絡通路より地下区画に進入成功! 現在はA7ブロック付近を通過中! 地下区画の監視システムはまだ一部がオンラインです。可能な限りオペレートを続けます!」
 なるほど早い、とルリは思った。大口叩くだけの事はある――――
 草壁を前にしたら篭絡されて裏切るではとの懸念がなくなったわけではないが、これならあるいはやりきってくれるかもしれない。
 尤も、あの和也の言葉が本心なら、それはそれで言いたい事もあるが……そう一瞬だけ思考を巡らせ、すぐに切り替える。
「敵艦隊からの第二派攻撃、ミサイルが来ます!」
「回避機動取りつつ迎撃。次いでデコイを発射」
 ルリの命令に従い、VLSからミサイルが空へ向かって飛翔。少し遅れてデコイが発射され、そちらに引き寄せられたミサイルが爆発する。
 それでも少なからぬ数のミサイルがナデシコBへ襲い掛かり、再び激震がブリッジを襲う。これまでにないほどナデシコが危険に晒される状況に、たまりかねたハーリーが声を上げた。
「か、艦長! このままじゃフィールドが持ちません! 後退を許可してください!」
「ダメ」
 艦の安全を取ろうとするハーリーの進言を、ルリは一蹴する。
「私たちがここを離れたら、タカスギ少佐も『草薙の剣』も艦砲射撃と機動兵器の攻撃を受けてひとたまりもありません」
「で、ですが……」
「現地点維持、至上命題です。援軍が到着するか、コクドウ隊長たちが草壁元中将を確保するまで、私たちがここを死守するんです」



「うわ……揺れてる。ナデシコがやばいの? ホントに?」
 戦闘の余波がナデシコBを激しく揺らす。その振動をマユミと呼ばれていた日系ダブルの女性は居住区にあてがわれた空き部屋で感じていた。
 マユミ一人を避難させるために貴重なヘリを使うことを惜しんだルリは、ナデシコBの艦内に彼女を留め置いていた。一番安全な部屋に放り込まれたまま放っておかれたマユミは、部屋の隅に設置された端末に向かった。外の状況くらいならそれで解ると、案内したクルーから聞いていたからだ。
「チームブレードが基地に突入……ナデシコは敵艦隊と交戦? 凄い事になってるじゃない……それにチームブレードって、あの木星人の子たち?」
 彼女がナデシコBに以前乗った時は、こんなに艦が揺れたりはしなかった。それだけで今の状況が当時とは比べ物にならないほど危険であることは解る。まして民兵ミリシャのキャンプで軽く訓練を受けた彼女には、敵の只中に単独で飛び込む和也たちの作戦は自殺行為にしか見えない。
「戦ってる……ナデシコもあの子たちも、命がけで戦ってる……」
 ぶるっと背筋が震えた。進んで危険に飛び込んで行ったであろう和也たちの姿を想像して、マユミはあまり好感を持っていなかった木星人に初めて尊敬の念を抱いた。
「あたしたちのために……本気で同じ木星人相手に戦ってくれてるんだ……!」



 一方、和也たちは巨大なコンテナが所狭しと並ぶ資材集積場へと辿り着いていた。
「ナデシコB! 確認する。草壁元中将は最下層、地下12階にいるんだね!?」
『そう! 一番の機密エリアだから、そこから直通で行ける道はないの。まずは11階まで降りて!』
「了解。最短ルートを教えて!」
『階段はもう爆破されてる。エレベーターも全部落とされて、シャフトには爆弾が仕掛けてある。一番安全そうなのは、その近くにある資材搬入用大型エレベーター! リフトは下で止められてるけど、シャフトが大きくて敵も罠の設置に手間取ってる!』
 ウィンドウに地下区画の地図と、目的地までの最短ルートが表示される。澪は早々にここへ目をつけ、和也たちを誘導したらしい。いつの間にか優秀なオペレーターに育った澪に感謝の念を送り、和也たちは再び走る。
「奴らを止めろ、これ以上進ませるな!」
「コンテナを崩せ! バリケードを作るんだ!」
 その前に、火星の後継者兵が立ち塞がってくる。当然の事だが、これは奴らにとっても乾坤一擲の作戦。兵たちも必死なのだ。
「……敵兵、右三番目コンテナの上、左四番目コンテナの陰です」
「邪魔すんなら押し通るまでだ!」
 美佳はレーダーでコンテナの陰に隠れた敵兵を的確に見つけ出し、それを烈火や妃都美が確実に撃ち倒す。敵を薙ぎ倒して進む『草薙の剣』をそれでも止めようと、火星の後継者兵は小型のコンテナを集めバリケードを張ろうとする。
「あたしの前を塞ぐんじゃないわよ――――!」
 盾で銃撃を防ぎつつ奈々美がバリケードへ肉薄。裂帛の気合と共にその拳を叩きつける。急ごしらえのバリケードは火星の後継者兵もろとも吹き飛び、その向こうにエステバリスでも入れる大きさの巨大なゲートが見えた。
「あれだ! 大型エレベーター!」
「でも閉まってるわよ!?」
『大丈夫! 管理システムへのバイパス確保完了、ゲート開く!』
 澪の声が響き、重く閉じていたゲートがゆっくりと口を開ける。その先は文字通り地の底まで続く勾配45度の坂道だ。本来エレベーターリフトの通り道であるそこへ、和也たちは身一つで飛び込む。
「盾を使え! 滑り降りるよ!」
 和也たちは持っていた盾を投げ、まるでサーフボードのように使ってエレベーターシャフトを滑り降りる。転倒すれば大怪我は免れまいが、そんな幼稚なミスを犯す者が『草薙の剣』にいるはずがない。
 地下11階までの長い坂道を猛スピードで駆け下りる和也たちの目に、ふと不自然な瞬きが見えた。咄嗟に重心を移動し盾を横滑りさせた和也たちの間を、曳光弾が幾つも飛び去っていった。
「虫型兵器だ! 気をつけて!」
 下から逆にシャフトを駆け上がってくるのは、進入した火星の後継者兵が連れていたジョロとバッタだ。和也たち目掛けて駆け上がってくるそれが機関銃を撃つためフィールドを解いた刹那、和也はアルザコン31に装填した粘着榴弾を撃ち放つ。
 金属噴流の洗礼を受けたジョロが爆散し、他も数機が足や胴、急所を撃ち抜かれて落伍する。しかし恐怖を知らない虫型兵器は、空いた間隙を突いて通過する和也たちを怯まずに追走する。
「こいつら――――っ!」
「やらせねえぞ! やらせねえぞおっ!」
 両者入り乱れての巴戦になった。和也たちは全身の感覚を総動員して不安定な盾を操り、激しく位置を入れ替えながら応戦する。上下左右に銃火が飛び交う灼熱の万華鏡カレイドスコープと化したシャフトの中を、『草薙の剣』は止まることなく疾走していく。



 空しいモーター音を立てて、両肩のキャノン砲が沈黙する。弾切れかと舌打ちし、サブロウタは役立たずになったそれをパージする。
 ラピッドライフルはもう捨てた。奪ったハンドガンも残る弾薬はすでに心細い。だがそれ以上に心配なのはスーパーエステバリスそのものだ。連戦に次ぐ連戦で機体各所に弾痕が刻まれ、関節がキィキィと悲鳴を上げている。
「ち……そろそろ限界かね!?」
 さすがのサブロウタも、普段の飾った言葉を口にする余裕がない。それでも衰えを見せない闘志に満ちた笑みを浮かべ、開いた右手にイミディエット・ナイフを保持。そこからダイレクトに繰り出した斬激で、飛び掛ってきたジョロを一刀両断する。
 そこへ頭上から圧し掛かるような轟音――――見上げると、敵艦隊の集中砲火を受けたナデシコBが煙を吹いていた。その光景に一瞬気を取られたサブロウタを、強烈な衝撃が襲う――――吹き飛ばされるスーパーエステバリスの左腕。
「――ぐうううぅぅぅぅっ!」
 激しく身体がシェイクされる苦痛に歯を食いしばって耐え、攻撃元を確認――――約一キロ先の建物の上から、紫電を放つレールカノンでこちらを狙う積尸気。膝を突いて狙撃姿勢を取り、今まさに第二射を放とうとしていた。
 反撃が間に合わない。撃たれる――――! サブロウタがそう思った刹那、別方向から飛来したミサイルが積尸気のレールカノンを吹き飛ばした。その隙を逃さずサブロウタは残していたミサイルを全弾発射。積尸気が爆発四散する。
『ナデシコ部隊を援護しろ! 援軍が来るまで持てばいい!』
『電子の妖精さえいれば勝てる!』
『ルリちゃーん! 俺だー! 結婚してくれー!』
 サンディフック基地に残った防衛部隊の生き残りだった。ナデシコBの姿に勇気付けられ、傷だらけの体を押して反撃を始めていた。
「現金な奴らだ……だがその意気やよし!」
 まだ戦える――――そう勇気を受け取ったのは、サブロウタも同様だった。
「頼むぞ、『草薙の剣』……!」



『もうすぐシャフトを降り切るよ! でもその先に、敵が待ち伏せしてる!』
 虫型兵器と戦いながらシャフトを降下してきた『草薙の剣』の耳に澪の声が飛び込み、和也は一同に号令をかける。
「ゲート開け! 終点到着十秒前! 備えろ!」
「うらあ! これで最後だ!」
 追走してきた最後のバッタに烈火が銃撃を浴びせ、それが火を噴いて転がり落ちるのを確認して盾にブレーキをかける。同時にゲートが開き始め、その奥に銃を構える火星の後継者兵の姿が見えたが――――
「うわ、うわあああ――――――――!」
 途端に悲鳴を上げて逃げ散り始める。転がってきたバッタの残骸が彼らに襲い掛かったからだ。逃げ回る火星の後継者兵を、和也たちは易々と突破する。
『下へ降りる道はその先へまっすぐ! 先行してる敵は最後に確認できたところだと、草壁さんの所にあと一ブロック先まで来てる! 急いで!』
「了解! みんなあと一息! 進め!」
「させるか! 刺し違えてでも止めろ!」
 既に疲労のピークに達した身体に鞭打って、和也たちは一本の矢の如く走る。それを阻もうとなおも挑みかかってくる火星の後継者兵。
 それでも『草薙の剣』は止まらない。立ち塞がる敵の尽くを撃ち倒し、突き崩して銃火閃く地下通路を突き進む。
「化け物――――化け物だ……!」
「こ、この先はセキュリティゲートだ、封鎖しろっ!」
 前方に見える大仰なゲートは、最高機密エリアである最下層、地下12階への唯一の道であり、強固な隔壁と自動防衛システムが備わっている。本来進入者を防ぐためのそれが、どういうわけか和也たちへ銃口を向けてきた。左右の壁に据え付けられた自動機銃の攻撃に、和也たちも通路の角に身を隠さざるを得ない。
「自動防衛システムが動いてる!? コントロールを乗っ取られたのか!」
「わたくしが行きますわ」
 軽く言い放ち、美雪は自動機銃の前に身を躍らせる。即座に始まる機銃掃射を脚力による三次元的な動き――――傀儡舞で避け、右の機銃に手榴弾を放り、左の機銃に鉄槌の如き回し蹴りを叩き込む。アームを根元から叩き折られた自動機銃が沈黙し、再び走り出す和也たちの前と後ろで、今度は隔壁が音を立てて下りてくる。
「隔壁閉鎖――――閉じ込める気!?」
「急げっ!」
 しかし間に合わない。目の前で隔壁が下り切り、和也たちは前後を塞がれた。
「くそっ! 澪、ここを開けられないか!?」
『今やってる! でもホシノ中佐が戦闘指揮で手が離せないから、防壁の解除に時間がかかる! ……ああ、敵が草壁さんの所に! 鍵を開けようとしてる!』
「時間はないか……こうなったら一か八かだね。澪、目標と僕たちの位置関係を見せて!」
 すぐに3D映像で見取り図が送られてくる。草壁がいるのは、和也たちのいるちょうど真下――――いけると思った。
「みんな、残ってる爆薬を全部、ここと、そことそこに仕掛けて!」
「了解!」
 多くの言葉は要らない。それだけで、皆は和也の意図を察する。



 遠くからの銃声が、次第に近づいてくる。それを退屈しのぎに読みふけっている少女マンガ雑誌『うるるん』から目を離す事無く、草壁春樹元木連軍中将は聞いていた。
 戦争中は一貫して地球連合の打倒を叫び、熱血クーデターで政権を追われて以降も火星の後継者を組織して戦い続けようとした鉄の男。その眼光は虜囚の身にあってなお、いささかも衰えていないように見えた。
「うわああっ……!」
 一際高い銃声に悲鳴が混じり、草壁は『うるるん』から顔を上げた。草壁を閉じ込め、外からの奪還も防ぐために備えられた幾重もの鍵が、一つづつ開いていく。
「草壁閣下! お迎えに上がりました!」
 気色を露わにした火星の後継者兵の声が、開いた扉の向こうから聞こえた。「うむ……」と頷き、草壁はゆっくりと腰を上げる。
「ご無事でなによりです! これで我々は……」
 轟音が、その声を掻き消した。



「セット完了!」
「こっちに来て! 奴らの真似をさせてもらう。ちょっと無茶するよ!?」
 全員と頷き交わし、和也は床に仕掛けた指向性爆薬の起爆スイッチを押し込む。
 爆発。舞い上がる爆煙。そして一瞬の重力が消えた感覚――――和也たちの乗る床が沈み込み、真下の階へ落下する。
 ――二番起動……!
『ブースト』を全開で行使。落下する光景がスローになり、突然の爆発に驚いた火星の後継者兵の顔がはっきりと見えた。
 床が落下しきり、「ぎゃ……!」と下敷きになった敵の悲鳴が聞こえた瞬間、和也は銃弾のように床を蹴って飛ぶ。驚いて反応できない手前の数人を無視し、銃口を向けてきた一人をアルザコン31の銃床で殴り倒す。
 その先に二人、その奥にまた一人――――左手でバヨネットを抜き、左の奴の喉へ突き刺す。同時にアルザコン31を発砲、右の奴を撃ち倒す。そこで左手のバヨネットを引き抜き、その動作でバヨネットを手の中で一回転。返す腕でそれを投擲――――頭蓋を刺し貫かれた三人目が銃を乱射しながら倒れる。
 残るはあと一人――――しかし、もう扉が開いている。遅かったかと思ったが、その一人が「閣下、お逃げください!」と叫ぶのを聞き、間に合ったと悟る。
「退けぇ――――!」
 アルザコン31を捨て、腰の軍刀を抜いて切りかかる。対抗して火星の後継者兵も抜刀、鍔迫り合いになる。
「その刀……貴様、木星人か!? 草壁閣下を前にして地球に味方するつもりなのか、裏切り者め!」
 その言葉に、動揺したのは否めない。一瞬太刀筋が鈍り、一歩後退する。
「大沢次郎の同類め! 木連軍人の誇りも矜持も、金で売り渡したか!」
 しかし、その言葉に目が覚める。
「あんたたちは何だ! この作戦のためにニューヨークを焼いて、武器も持たない人を殺戮した! これが木星人の望んだ正義の戦いだなんて、僕は認めるものか!」
 一括し、裂帛の気合と共に軍刀を斜交いに切り上げる。和也の渾身の一撃に、火星の後継者兵の軍刀が弾き飛ばされる。
「裏切り者は、火星の後継者のほうだ!」
 返す刀で折り下ろし、火星の後継者兵の身体を両断する。血飛沫が舞い上がり、霞む視界の向こう、開け放たれた独房の奥に――――和也はその姿を見た。
「…………!」
 息を呑む。
 草壁春樹が、そこに立っていた。和也と同様、四年分の年齢を重ねた、皺と白髪が少し増え、多少やつれた印象で……和也たちの乱入に驚いたような、逃げ損ねて悔しがっているような目でこちらを見ていた。
 その目に、やはり自分たちはこの人に剣を向けたのだと実感する。一瞬体が動かなくなり、そして――――
「――隊長!」
 残った火星の後継者兵をあらかた倒し終え、楯身が走り寄ってくる。そして楯身も草壁のほうを見、その途端、草壁の顔が驚愕に彩られる。
「お前は……!」
 何かを思い出したように叫ぶ草壁の言葉を、しかし楯身は聞こうとしなかった。すぐさま開いた扉を閉じ、コンソールを叩いて鍵を掛け直す。
 やりきった……自殺行為同然の特攻を見事成功させた。
 これで火星の後継者の、少なくとも最大の目的は阻止した。勝利――――しかし、高揚感は沸いてこない。
「……楯身……」
「これでよかったのです。これで……隊長、報告を」
「……こちらブレードリーダー。最下層独房エリアに到達。草壁元中将の確保に成功しました」
 淡々とナデシコBに報告を入れると、向こう側で割れるような歓声が上がるのが聞こえた。
『了解しました。こちらでも統合軍艦隊の増援が到着。基地地上はほぼ制圧され、地下に残存する敵は撤退を始めています。木星人移民の集団にも目立った動きはなく、ニューヨークでの戦闘は収束に向かっています』
 そう、ルリが答えた。
『まもなくそちらにも増援が到着するでしょう。犠牲は大きかったですが……私たちの勝ちです。ご苦労様でした』
「ありがとうございます。増援にここを引き継いだら、僕たちはニューヨークに戻って民間人の救助に参加したいのですが……」
『解りました。準備しておきます。……いい働きでした、心から感謝します』
 それは、ルリとして最大級の賛辞なのだろう。
 閉じた分厚い扉の向こうから、草壁がまだ何かを言っている気がしたが、あえて聞こうとはしなかった。



 一方その頃――――

「失敗だと!?」

 草壁の奪還に失敗した――――その知らせを聞いて、湯沢翔太は怒気を露わにした。艦隊と合流してニューヨークから脱出すべく、迎えの潜水艇の元に向かっていた、その道中のことだった。
「はっ、宇宙軍の戦艦ナデシコBと、そこに所属するJTU部隊によって……」
「おのれ……! どこまでも我々の邪魔をしてくれる……!」
「ですが、別区画に囚われていた数名の奪還に成功したとも報告が来ています」
 副官の言葉に、まだ再起の望みは在る……湯沢はそう自分に言い聞かせて気を静めようとした。
 これだけの大規模な作戦を実行するのは、彼らにとっても乾坤一擲の大勝負だった。果たして得られた成果は失った兵の命と戦力に見合うものだったろうか……そう思いつつ、湯沢は潜水艇との合流地点に足を向けようとして――――

 銃声。

「な……っ!?」
 突然、副官の頭が爆ぜた。狙撃――――咄嗟に身を隠そうとした湯沢の足首が吹き飛び、「ぐあ!」と悲鳴を上げて道路に倒れる。
 バカな、と思った。敵に捕捉されてなどいないはずだった。
 その回答を湯沢に与えたのは、独りでにノイズを発し始めたコミュニケだった。ノイズがクリアになり、やがて声が聞こえ始める。
『……これで終わりだな、湯沢翔太』
 聞こえ始めたのは、若い男の声。その声に、湯沢は聞き覚えがあった。
「貴様か……」
『草壁は取り返せなかったようだな。わざわざお前自ら出向いてまで陽動を展開したようだが、策士が策に溺れたな。これだけの大兵力を運び込んだおかげで、俺もお前たちの動きを察知することが出来た』
「待っていたというわけか……ご苦労なことだ」
 精一杯強がって見せる。曲がりなりにも火星の後継者の一派を預かる身として、敵に弱みを見せられるものか……
『よくもまあ派手に壊して、民間人を巻き込んだものだ。お前たちは正義のための組織じゃなかったのか?』
「ああ、その通りだ。だから悪の地球人――――その中の最右翼であるUSAの国民に天誅を下したのだ。地球連合軍に一番多く戦力を供出し、木星人移民を差別する連中など……民間人であろうと生かしておけるものか」
『……結局、お前たちは戦争の頃から何一つ変わっていないんだな。正義のために戦うと言ってはいるが、どんな外道も非道もそうやって理由を付ければ正義にできる。木星人ってのはご都合主義で生きてる連中だ』
 男の言葉は淡々としていたが、その端々には押さえきれない怨嗟の響きがあった。
 もし呪いだけで人が殺せるなら確実に百殺出来るほどの憎悪。それを向けられても、湯沢は折れようとはしない。
「ふん……何とでも言え。私は死んでも貴様にも……地球連合にも屈しはしないぞ」
『そうだろうな。だから……あの人たちにくれてやるとするよ』
 言われて、気が付いた――――
 湯沢の周囲に、人が集まり始めていた。何十人、何百人ものニューヨーク市民だ。皆一様に武器を持って、この事態を引き起こした者への怒りを体中から発散していた。
「貴様……!」
『走馬灯でも見ながら、ゆっくりと死ね』



 ――――数分後、『草薙の剣』はそれを見つけた。
「……はい。遺伝子スキャンで確認しました。湯沢に間違いありません。顔は判別できませんが、階級章と持ち物から見ても間違いないかと」
 そう、和也は報告した。
 和也たちの目の前には、辛うじてそれと解る火星の後継者の制服を着た、無残に損壊した遺体が横たわっていた。何十人もの怒り狂った民衆に襲われ、激しく殴打されて死んだようだった。
 火星の後継者の親玉がいる、との妙な情報を得た『草薙の剣』は、一応そこへ確認に向かった。どうせこの状況では付き物のデマだと思っていたが、到着してみればそこでは民衆による集団リンチの真っ最中で、和也たちは威嚇射撃をして民衆を散らさなければいけなかった。
「ここまで損傷が酷いと死因も解らないけど……妙だな、いくらなんでも民衆に捕まって殺されるなんて……」
 湯沢の死をいぶかしんでいると、不意に美佳が肩を叩いてきた。
「……和也さん。あそこの防犯カメラに、当時の映像が記録されていました……再生します」
 ウィンドウが現れ、数分前の映像が再生される。何かを怒鳴っていた湯沢の前で部下と思しい男が射殺され、次いで湯沢も足を撃たれて倒れる姿が鮮明に移されていた。
「狙撃? 誰が?」
「和也さん、ここに、誰か立っているように見えませんか?」
 妃都美がウィンドウの一点を指差し、『拡大してみます』とハーリーが言った。
 映像の一角、ビルの上が拡大され、ぼやけた影のような『何か』大写しになる。そこに鮮明化が施され、狙撃銃を構える黒衣の男の姿が現れる。それを見た和也と、そして澪ははっと息を呑んだ。
『えっ!? 和也ちゃん、この人って……』
「間違いない、あのラピスって子と一緒にいた人……どうして」
 そこに映っていたのは、和也と澪が少しだけ遭遇した、あのアキトという男に間違いなかった。驚く和也たちに、やはり驚いた顔でハーリーが言う。
『ちょっ、コクドウ隊長にツユクサ上等兵、『プリンス・オブ・ダークネス』と会ったんですか!?』
「はあ!? プリンス……あのアキトって人が!?」
『間違いないです。あの人がプリンス・オブ・ダークネス……本名テンカワ・アキトですよ』
 ハーリーの言葉を聞いて……納得が言った。
「それで、僕たちに郊外に行けなんて……火星の後継者の攻撃が近いと知っていて、こいつは……!」
 この男は湯沢たちの作戦を事前に知っていて、湯沢を狙ってニューヨークへやってきた。軍に情報をリークすれば事前に阻止することも出来たはずだ。にも拘らず、湯沢一人を殺すために黙って見過ごした――――
 許せるわけがない。次に会ったら確実に殺してやると、和也は銃を握る手に力を込める。
『な、なんにしてもこれで火星の後継者の一角は壊滅です。リーダーを失った湯沢派は、もうお終いですよ』
「湯沢派は……ね」
 話を変えようとしたハーリーに、和也は言う。
「まだ終わってなんかいません。湯沢は死んでもまだ……」
『そう。森口修二の森口派はこの半年目立った動きを見せていませんが、まだ水面下で何かしていてもおかしくはありませんし、甲院薫率いる甲院派は表立った動きを控えたまま、その実態を掴ませていません』
 戦いはまだこれから――――ルリの言葉は、その事実を示唆していた。










あとがき

 ニューヨーク市街戦終結。火星の後継者の一頭が倒れる、でした。本当は去年中に投稿したかったのですが……

 もう全編通じて人、特に民間人が死にまくりです。作者的には悲惨で劣勢な市街戦を描くため、そして大規模すぎる戦闘の中で大したことの出来ない和也たちの無力さを演出するために必要だったのですが、読んだ人はどう思うかな……
 後半の『草薙の剣』突貫のシーンでは、盛り上がる歌でも聴きながらご覧頂くとさらに疾走感が増すかと。私は執筆中、『とある科学の超電磁砲』の『LEVEL5-judgelight-』を聞きながら書いていました。
 前半では目の前の惨事を止められずに悔しい思いをした和也たちが、後半の突貫で鬱憤を晴らすという筋立てなのですが(そのせいでボリュームの記録を更新しました)……そのための和也の口上に、「ん?」と思われた方も多いかと思います。その通りです。その問題は近いうち、和也たちに突きつけられる事になるでしょう。

 二人いる敵のボスの一人、湯沢翔太はアキトの手で倒され、火星の後継者の一角は崩れました。その手段はあれですが……
 ぶっちゃけ、今のアキトならあのくらいはしてもおかしくはないだろうと思ったのですが、不快に思われた方がいたら申し訳ありません。

 次回、出向期間を終えてナデシコBを降りた和也たちは一足先に日本へ。そこで彼らは自分たちのルーツの一つとなる200年前の戦争、『東アジア戦争』の歴史を辿る。そこであった人物は――――
 重い話の後のクールダウン回ということで、軽めに行こうかと思います。

 それでは。2012年も筆を握れる事に感謝して、また次回お会いしましょう。









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代理人の感想
アキトが修羅道に堕ちてますなぁ。
まぁ、敵味方全員そんな感じではありますが・・・・。


前編から通してですが、ぶっちゃけ民間人がどんどん死ぬのは読んでて辛かった(苦笑)
正直一遍に通して読みたかったとは思うんですが・・・
それはそれで厳しかったかも(爆)。



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