機動戦艦ナデシコSS

Rebellion 〜因果を超えし叛逆者〜

 

Episode:07 死地からの脱出

 

 

 

 

 

火星軌道上での戦闘を無事に勝利し、当初の目的通り火星のネルガル研究所に到着したナデシコ。そのブリッジでは、若干の問題が持ち上がっていた。

 

「...問題ありますよね!?」

 

不機嫌さを隠そうともしない顔で、ユリカは周囲に同意を求める。その目が血走っているようにも見えるのは、恐らく錯覚ではないだろう。

 

「あ〜、まぁまぁ、今は戦闘時って訳でも無いんだし、通信士が1人いなくなった位で...」

 

「問題大有りです。」

 

「あぅ...ルリルリ怖い...」

 

何とか宥めようとするミナトの台詞を遮り、冷え冷えとしたルリの声が響く。ユリカのように激していない分、その声は何とも言えない凄みを感じさせる。

 

「そうだよね、ルリちゃん!だから、私達もナデシコで追いかけよう!」

 

「あ、それは駄目です。」

 

「ほへ?」

 

勢い込んで言うユリカに、これまた酷く冷静に返すルリ。まさか反対されるとは思っていなかったユリカは、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。

 

「今アキトさんを追いかけていったら、最早修復不可能なレベルで、アキトさんに嫌われますよ。それでも良いのなら、どうぞ追いかけるよう指示を出して下さい。」

 

「うっ...それじゃ、追いかけるのは止めにします...」

 

えらく落ち込んだユリカの声に、他のブリッジクルーはホッと溜息を漏らした。幾ら何でも、人1人(正確には人3人)を追いかける為だけに、戦艦を動かすなんて事になったらたまらない。あからさまに安堵している他のクルーを尻目に、ユリカは情けない声を漏らした。

 

「うう...アキトォ...早く戻ってきてぇ...」

 

 

 

 

 

「...何でメグミさんが此処にいるの?」

 

「それはこっちの台詞です。何でラピスちゃんがアキトさんの膝に座ってるの?」

 

ラピスとメグミが、何やら火花を散らしつつ、睨み合う。間に挟まれる形となったアキトは、自らの不運を嘆いてた。

 

(...何でこうなるんだ...?)

 

今アキト達は、ユートピアコロニー跡地に向かっている。表向きはアキトが故郷を見たかったからと言う事になっているが、実際は跡地地下のシェルターにいる筈の、イネスに会う為である。
行って帰ってくるだけで、別に何をするでもない為、アキトは1人で行くつもりだったのだが、まず部屋を出る時点で、ラピスに捕まった。アキトの故郷を見たいと言うラピスの願いを、ラピスに対して妙に甘いアキトが断れる筈も無く、結局一緒に行く事になった。
此処までは良い。アキトもそれは納得している。問題はその後だ。エステのアサルトピットに乗った時点で、今度はメグミに捕まった。やはりアキトの故郷を見たいと言うメグミに対し、不必要なまでに女性に対して押しの弱いアキトが断れる筈も無く、結局メグミも同行する事となった。
この時点で、アキトは最早諦めた。今更戻る訳にも行かないし、戦闘をする訳でもない為、別に構わないだろうと考えたのだ。納得がいかないのは、ラピスにメグミである。此処の所アキトが忙しく、一緒にいる時間を中々取れなかったラピスと、この機会に他のライバル達から一歩リードしようと企んでいたメグミからすれば、何でこいつが此処にいる!?と言った心境である。特にラピスは、アキトの目的が今後自分のライバルになるであろう女性を迎えに行く事であると知っている為、悔しさは一入であった。
そんな様々な想念入り乱れた状態で、アキト達は一路ユートピアコロニー跡地を目指すのであった。

 

 

 

 

 

「此処が...アキトの生まれた場所...」

 

目的地に辿り着いた3人は、エステから降り、思い思いに周囲を見渡している。ユートピアコロニー跡地はほぼ壊滅しており、過去の姿を偲ばせるのは、僅かに完全な倒壊を免れた潰れかかったビルや、あたりに散らばる無数の建物の残骸だけである。だが、どんな無残な姿に変り果ててしまっていたとしても、想い人の故郷だった場所と言う事もあってか、ラピスとメグミは感慨深げにあたりを見渡す。そんな彼女達を尻目に、アキトは淡々と目的の場所を探している。

 

「...確か...この辺りに...っと、此処か。」

 

目的の場所を見つけたアキトは、慎重に足場を決め、地面を強く踏み抜く。と、ボコッという音と共に、地面が大きく陥没する。その音に驚いたラピスとメグミが、アキトの下に駆け寄る。

 

「アキトさん?これは...」

 

「此処の下が、俺の本当の目的地だよ。さてっと...俺は下に降りるけど、二人は如何する?此処で待って...る訳無いか。良いよ、一緒に行こう。」

 

自分も一緒に行くと必死に視線で訴えかける二人に苦笑する。此処まできたら、別に下まで一緒に降りても問題は無い。そう判断したアキトは、二人を抱えて下へ飛び降りる。幾ら比較的軽い女性、おまけに片方は子供とは言え、人二人も抱えているとは到底思えない程軽やかに着地したアキトは、自分達を取り囲むように点在する気配を感じ取っていた。

 

「...別に危害を加えるつもりは無いんだ。姿を見せたらどうだ?」

 

そんなアキトの言葉に押されるように、10程の人が姿を見せる。一様にボロボロのマントをまとい、フードを目深に被り、唯一露出している顔は大きなバイザーで覆われている。体格から辛うじて男だと判別できる程度の個性しかない集団だ。そして、彼らは各々思い思いの凶器を手にしている。或いは鉄パイプ、或いは工具、中には靴下の中に石を沢山詰めた、即席のブラックジャックを構えているものまでいる。一様にぴりぴりした雰囲気を纏っており、アキト達が可笑しな素振りでも見せれば、即一斉に襲い掛かってくるであろう。そんな異様な雰囲気に気圧されたか、メグミが怯えたようにアキトの傍に寄る。ラピスはアキトの絶対の強さを知っている所為か、平然としていた。

 

「...話をしたい。あんた達のリーダーを呼んでくれないか?」

 

アキトとて、避けられる諍いは避けたい。なるべく穏やかに話し掛けたつもりであったが、相手はその声に酷く敏感に反応した。...要するに、アキトの声をきっかけにして、一斉に襲い掛かって来たのだ。

 

「...チッ、こっちが穏やかに話し掛けているってのに!」

 

舌打ちと共に、アキトが両腕を一瞬だけ交差させ、直ぐに勢い良く左右に開く。

 

ヒュンッ!

 

空気を切り裂く音と共に、極細の糸が疾り、襲撃者達を絡め取る。一瞬にして動きを封じられた襲撃者達は、戒めを解こうと躍起になるが、動けば動くほど、糸は複雑に絡まっていく。そんな彼等を見遣り、アキトはフゥと溜息を付く。

 

「...操弦術.改式...縛鎖陣。足掻けば足掻くほど、戒めは強まっていく。大人しくしているんだな。」

 

静かに告げるアキトに、ふと何かに気付いたラピスが不思議そうに尋ねる。

 

「ねぇ、アキト?何時ものワイヤーじゃ無いの?」

 

「ん?あぁ、別に戦う為に来ている訳じゃないからな。捕縛用の特殊繊維のワイヤーにしておいた。念の為だったんだが...正解だったみたいだ。」

 

苦笑しつつ、肩を竦めるアキト。と、暗がりから足音が一つ、響いて来た。そして、他と同じボロボロのマントに大きめのバイザーと言う出で立ちの人物が姿を現す。

 

「客人に対して、少し礼を欠いた対応をしてしまったわね。ゴメンナサイ。ま、状況が状況だから、仕方がないと納得してくれるとありがたいんだけど?」

 

「...別段、気にしていませんよ。それより、貴方は?」

 

「あぁ、失礼。私は此処にいる人達の一応のリーダーになるのかしらね。イネス=フレサンジュよ。」

 

バイザーを外し、顔を見せる。その下から現れたのは、アキトも良く知る、だが、若干若い女性−イネスその人であった。予め知っていたとは言え、自分の知る彼女よりも幾分若いその姿に、アキトは多少の違和感を感じつつ、本題を切り出す。

 

「...テンカワ=アキトです。ミス.フレサンジュ、貴方を迎えに来ました。」

 

「...ナデシコね?」

 

「そうです。勿論、他の人達もそれを希望するなら、受け容れる準備があります。ただ、どちらにしろ貴女には一緒に来て頂きますが。」

 

アキトのその物言いは、普段の彼らしくない、些か高圧的なものである。メグミとラピスは些か不思議そうな顔になるが、イネスの方は別段気にした様子も見せず、何事か考えている。そして、真っ直ぐにアキトを見ながら、回答を告げた。

 

「...まぁ、私は一応ネルガルの職員だし、当然と言えば当然よね。けど、他の人達は一緒には行かないわよ。」

 

「あの、どうしてですか?一緒に行けば、こんな所で暮らす必要なんて無いんですよ?」

 

「...それは如何かしらね?何にせよ、この決定は変わらないわ。」

 

メグミの提案を冷たく切り捨てるイネス。メグミは些か憮然としているが、これ以上は何も言わなかった。会話が途切れた時を見計らい、アキトは行動を促す。

 

「それじゃ、話も纏まった訳だし、急いでナデシコに戻るとしますか。...なるべく、敵が来る前に戻りたいしな...」

 

 

 

 

 

一方、ナデシコブリッジ。アキト達が中々戻ってこない事に、ユリカの苛立ちは頂点に達しつつあった。

 

「うぅ〜〜...アキト達はまだ戻ってこないの!?」

 

「艦長、落ち着いて落ち着いて。艦長が焦っても仕方ないでしょう?」

 

「でもでもぉ〜!」

 

ミナトが宥めようと試みるが、成功しているとは言い難い。ジュンやプロス達他のクルーは、既に宥めるのを諦め、諦観の体勢を取っている。ルリも、呆れた様に溜息を付くのみだ。と、そのルリが不意にユリカに声をかける。

 

「艦長」

 

「え?何、ルリちゃん?」

 

「敵です」

 

「え?」

 

素っ頓狂な声を出すユリカに、ルリはレーダーを示す。其処には、敵を示す赤い光点が無数に点滅している。

 

「嘘!?何時の間に...」

 

「どうやら、近くにあるチューリップから出てきたみたいです。現在ナデシコを囲むように展開中。計算では、後5分ほどでナデシコは完全に包囲されてしまう見込みです。」

 

「ルリちゃん、そんな冷静に言わないで!と、兎に角!グラビティブラスト緊急チャージ!チャージ完了と同時に、前方に向けはっ『撃つな!』

 

「ふえ?」

 

慌てて指示を出すユリカの声に被せるように、通信機からアキトの声が流れてくる。通信機の向こうのアキトは、更に言葉を続けた。

 

『出力の下がっている今のグラビティブラストじゃ、強化されている敵のフィールドを貫く事は出来ない。それよりも、此方のフィールドの強化に出力を回せ!それから、離陸が済んだら直ぐに後退、極冠のネルガルの研究施設近くまで退け!』

 

「ネルガルの研究施設って...確か、チューリップに囲まれてるんじゃ...」

 

『良いから、今は俺を信じろ!』

 

「...解ったわ、アキトを信じる!グラビティブラストのチャージは中止、変わってフィールド強度の強化に出力を回します!ミナトさん、離陸後の行動はアキトの指示通りに!」

 

「オッケェ。でも、良いの?」

 

どこかからかうように尋ねるミナトに、ユリカは満面の笑顔で答えた。

 

「ええ!だってアキトは私の王子様だもん!」

 

 

 

 

 

「アキトさん、どうしてあんな指示を?」

 

エステのアサルトピット内で、メグミがアキトに先程の事について尋ねる。アキトは、顔を前に向けたままで答えた。

 

「ん...悪いんだけど、理由は言えない。ただ、現状ではこれが最も安全且つ確実にナデシコが火星を脱出する事に繋がるんだ。」

 

「はぁ...そうなんですか?」

 

アキトの答えに若干不思議に思いつつ、そういうものかと納得するメグミ。同じくアサルトピット内に居るイネスは、二人の会話、正しくはアキトの台詞を興味深げに聞いていた。

 

「ふ〜ん...ただのエステバリスのパイロット...と言う訳では無さそうね。興味深いわ。...如何でも良いけど、貴方達。そんなに怖い顔していると、人が見たら逃げ出すわよ?」

 

イネスの最後の台詞は、彼女が何か話す度に鋭い視線を向けるラピスとメグミに向けたものだ。イネスに言われ、流石に自分がいまどんな顔をしているのか自覚したのか、慌てて視線を逸らす二人に苦笑しつつ、イネスはアキトに話し掛ける。

 

「ホント、不思議な人ね。どうして相手のフィールドが強化されていると知っているのかはこの際聞かないとして、この後どうするつもり?」

 

「...合流してから話しますよ。それより...何で俺なんかにそんな興味を持つんです?」

 

「そうね...如何してかしらね?まぁ...多分、初めて会ったような気がしないから...かしらね。ねぇ?何処かで会った事無いかしら?それも...大分昔に。」

 

「...さぁ、如何でしょうね。」

 

言葉を濁すアキト。内心、些か驚いている。『アキトが本来いた時間軸』の彼女は、過去にアキトに会っている事を完全に忘れていた。アキトに対して若干親しみのようなものを感じては居ただろうが、今目の前に居るイネス程ではない。もしかしたら、『この時間軸の』彼女は『アイちゃん』として一度出会っている事を覚えているのだろうか――そんな事をアキトが思ったとき、ピーッと言う電子音が鳴り、目的地に着いた事を告げた。そして間も無く、ナデシコもまたその場所に姿を現し、無事に合流する事となった。

 

 

 

 

 

「チューリップを利用する?」

 

ナデシコと合流後、ブリッジに訪れたアキトと、ユリカ達主要メンバーが集まり、今後の事を話し合っている。その中で、アキトが最初に提案した事。それは、チューリップを利用すると言う事である。その提案に、プロスが納得顔になる。

 

「成る程、ボソンジャンプ...と言う訳ですな?しかし...」

 

「プロスさんの懸念事項は解っています。チューリップを利用するにしても、ボソンジャンプをする前に敵から一斉攻撃を受けては何の意味も無い...と言う事でしょう?」

 

「流石、気付いておられましたか。だとすれば、その打開策も既に考えておられる?」

 

「ええ、それには...」

 

「ちょ、ちょっと待った!」

 

どんどん話を進めるアキトとプロスの二人に、ユリカが待ったをかける。二人の会話に付いていけないのだ。それはルリやラピスを除いた他のクルーも同じである。まだ説明が済んでいなかった事に気付いたアキトは、バツが悪そうな表情になりつつ、説明を始めた。

 

「そう言えば、ちゃんと説明してなかったな。それじゃ「説明しましょう!」

 

アキトの台詞に被せるようにして、嬉々として話し始めたのは、誰あろうイネスである。今まで黙っていたのに突然饒舌になったイネスに、アキトは隣のルリに小声で話し掛けた。

 

「...説明好きは変わらないんだね...」

 

「...マッドサイエンティストの標準装備みたいなものですからね...」

 

「...マッドなのか?」

 

「...マッドですよ。」

 

「ほら其処、説明は静かに聞きましょうね!」

 

いきなりイネスに注意され、慌てて口を紡ぐアキトとルリ。一瞬会話の内容まで聞かれたかと思ったが、それは大丈夫だったようで、イネスは何事も無かったかのように説明を続けた。

 

「...まぁ要するに、あのチューリップは一種のワープ装置のような役割を果たしている訳。そして、チューリップを媒体にして行われるワープをボソンジャンプと呼んでいるの。ボソンジャンプについての詳しい説明は取り敢えず省くとして、今回、アキト君はそのボソンジャンプを利用して、火星圏を脱出しようと言う訳ね。プロスさんの言う問題点と言うのは、チューリップに逃げ込む前に、敵から一斉攻撃をされてしまわないか、と言う点。幾らナデシコのフィールドが強固なものとは言え、アレだけの数の敵戦艦から一斉射撃を受けたら、まず間違い無く耐え切れないわね。撃沈は免れるにしても、恐らく通常航行さえままならない状態に陥ってしまうわ。だけど、アキト君にはその問題を解消する策があるみたいね。と言う訳で、今からアキト君に説明してもらいましょうか。」

 

「...説明、どうもありがとう御座います。策と言っても、そんな大した事をする訳じゃないんですよ。囮を使うんです。」

 

「囮?もしかして、エステでそれをやるのか?」

 

リョーコが心配げに尋ねる、幾ら腕に自身のある彼女でも、流石にアレだけの数の敵を前にしては怯んでしまうのも無理は無いだろう。アキトは、そんなリョーコを安心させるように微かに微笑みつつ、首を振って否定する。

 

「いや、エステではないよ。大体、エステで囮をやろうとしたら、その囮役は見捨てる事になってしまう。それだけは絶対に避けたいからね。」

 

「それじゃ、一体?」

 

「...ルリちゃん、映像を出してくれるかい?」

 

「はい。オモイカネ?」

 

ルリの声に応え、皆の前にとある場所の映像が映し出される。その映像を見たプロスが、真っ先に何かに気付いた。

 

「これは...連合の護衛艦クロッカスですな?」

 

「そう。あの日、地球でチューリップに飲み込まれた護衛艦クロッカス。こいつを囮に使う。」

 

「成る程...って、アキト?クロッカスの乗組員は如何するの?」

 

「...クロッカスに乗組員はいない。全滅してるんだ。」

 

『!!?』

 

アキトが告げた衝撃的な事実に、クルー達に衝撃が疾る。その衝撃から真っ先に立ち直ったのは、流石と言うべきか、フクベ提督である。

 

「...内部の調査もせずに、何故そのような事が解るのかね?」

 

「ボソンジャンプは、ある特定の条件が揃わない場合、生身の人間は耐えられないんですよ。」

 

「ふむ...。ならば、ナデシコはその条件を満たしている、と?」

 

「ええ、そうです。ナデシコの高出力ディストーションフィールドがあれば、安全にボソンジャンプを行えます。」

 

「因みに、それに関してはネルガルの方で既に実験済みでして。安全の方は確認されていますのでご安心を。」

 

アキトの説明を、プロスが補足する。それにより、張り詰めていた空気が若干緩む。無数の敵が迫るこの状況から無事に脱出する術があると知って、不安が解消された為だろう。だが、フクベ提督だけは違った。まるで緩んだ緊張の糸を再び張り詰めるかのような冷たい声でアキトを詰問する。

 

「成る程、クロッカスを使うと言う事は解った。だが、誰がクロッカスを操作するのかね?」

 

そのフクベ提督の言葉に、誰かが「あっ」と言う声を漏らした。誰もが失念していた事だが、クロッカスはナデシコと違い、艦全体の制御を可能とするような高性能AIなど搭載されていない。クロッカスを囮に使おうとするなら、誰かが残って艦を操作しなければならないのだ。だが、アキトはそんな質問など予期していたかのようにあっさりと答えた。

 

「それに関しても、問題ありませんよ。ラピス、頼んでいたものは出来たか?」

 

「うん、出来てるよ。ただ、急いで作ったからあまり細やかな命令には対応出来ないんだけど...」

 

そう言ってラピスがアキトに手渡したのは、一枚の大容量ディスクである。ルリが不思議そうな顔で尋ねた。

 

「アキトさん、それは?」

 

「これはオモイカネを参考にラピスが構築した、擬似制御AIのデータが収められたディスクだよ。こいつをクロッカスのメインコンピューターにインストールし、『チューリップに潜るナデシコの盾となって敵を引き付けつつ、ナデシコのジャンプ後はチューリップを巻き込んで自爆する』言う命令を与えれば、後は擬似制御AIが命令に従って艦を操ってくれる。これで、誰一人置き去りにする事無く、俺達は此処を脱出出来るという訳だ。」

 

アキトの説明に、誰もが感心したような表情を浮べる。ただ1人、どこか不吉な光を宿した瞳でアキトを見遣る、フクベ提督以外は...。

 

「...ふむ、用意は万全と言う訳か。ならば、そのデータのインストールは私が行ってこよう。私なら、連合軍の艦の構造を良く理解しているからな。」

 

「...駄目ですよ。貴方にこの役目を任せるわけにはいかないんです。」

 

「っ...何故かね?」

 

フクベ提督の提案を冷たく切り捨てるアキトに、一瞬虚を突かれたような顔になりつつ、厳しい眼差しを向ける。が、アキトは気にした風も無く、あっさりと答えた。

 

「自殺願望のある人間を1人行かせるほど、俺は達観してませんから。」

 

「自殺願望...だと?」

 

「違うと言えますか?...ユートピアコロニーを崩壊させた、『作られた英雄』のフクベ=ジン提督?」

 

「!!」

 

アキトの台詞に、誰もが息を呑む。そんな場の雰囲気を無視し、アキトは更に言葉を続けた。

 

「まさかとは思いますが...貴方は此処で自分が犠牲となってナデシコを脱出させる事で、喪われた命への償いになる等と思ってはいませんか?」

 

「っ...それは...」

 

「...甘ったれないで貰えますか?」

 

「!?」

 

突如アキトの声が、その鋭さを増す。声だけではない、その身に纏う雰囲気さえ、普段のアキトからは想像もつかないほどに冷たく、硬質のものに変化している。

 

「...別に俺は貴方を恨むつもりはありません。貴方を憎んだ所で、喪われたモノが還って来る訳でも無いですしね。大体において、貴方がこの事で苦しんでいた事も、また何らかの形での贖罪を望んでいる事も理解していますし。今更この件で貴方を責め立てるつもりなんてありませんよ。」

 

「ならば、何故...」

 

「だけど、貴方が死と言う形で贖罪を為そうとしているのなら...それを認めるわけにはいかない。死んで償うなんてのは、所詮罪の意識から、贖罪の辛さから逃げ出した者の言い訳に過ぎないのだから。ましてや、貴方はナデシコを助ける為という目的意識を持つ事で、罪から逃げていると言う事実から目を逸らしてさえいる。尚更認める訳にはいきませんね。」

 

「ならば...ならば、私はどうやって償えば良いのだ?罪から逃げる事も出来ず、贖罪を為す事も許されないと言うのか...?」

 

まるで血を吐くかのようにして嘆くフクベ提督。其処にいるのは、連合軍で初めて木星蜥蜴と交戦し、多大な犠牲の果てにチューリップを墜とす事に成功した『英雄』でも、歴戦の連合軍将校でも無い、罪の意識に追い詰められた、唯の哀れな老人であった。フクベ提督の嘆きに、誰一人として声をかける事が出来ない。唯1人、未だ冷たい威圧感を纏ったままのアキトを除いて。

 

「贖罪を為したいのならば...生きて下さい。」

 

「生き...る...?」

 

「そうです。どれほどの苦しみを背負っても、どれほどの恥辱にまみれようと...時の果てに命の終わりが訪れるその瞬間まで、生きる事を放棄しないで下さい。例え全てを失おうと、泥水を啜ってでも生き延びて下さい。...罪を背負ったまま生きる事は、例え様も無く苦しいものです。だからこそ...それは贖罪と成り得るのですから。」

 

「テンカワ君...」

 

「...もしここまで言っても尚、死による贖罪を求めると言うのなら...俺がこの場で殺してあげますよ。凡そ考え得る、ありとあらゆる恐怖と絶望の果てに...ね。死を持って贖罪と為す事に拘ると言うのなら...それ位の事は覚悟して貰えますよね?」

 

そう冷たく言い放ったアキトの様子を何と表現すべきであろうか?見る者全てが恐怖を感じずにはいられないほどに恐ろしい威圧感を放ちながら、同時に見る者全てを魅了せずにはいられない何かを秘めた...そう、まさに死そのものの存在。今其処に立つのは人ではない。人の姿をした、死と言う事象そのものであった。そんなアキトを怖れるかのように、フクベ提督が一歩二歩と後ずさる。それを見たアキトは、溜息と共にその身に纏った死の気配を打ち消した。

 

「フゥ...。死を恐れた時点で、貴方に死による贖罪を選ぶ権利は無いんですよ。クロッカスへのデータインストールは俺が行います。俺1人なら、敵に気付かれる事無く、データのインストールを行って戻って来れますから。」

 

冷たさだけは残した声でそう言い放つと、アキトは身を翻し、ブリッジを出て行こうとする。誰もが声をかける事を躊躇う雰囲気の中、イネスがポツリと尋ねた。

 

「...アキト君、一つ聞いてもいいかしら?」

 

「...何です?」

 

「如何して貴方は...其処まで罪と言うものに真正面から向き合えるの?」

 

そんなイネスの問い掛けに、アキトは自嘲ともつかぬ苦笑を浮べ、言った。

 

「...俺も...決して許される事の無い罪を背負った...咎人ですから。」

 

 

 

 

 

「ちょっと...驚いたかな。」

 

アキトの部屋のベッドに座ったラピスが、そうポツリと漏らす。今ナデシコは、チューリップに突入する寸前である。クロッカスへの擬似制御AIのデータインストールは、既に終了している。後はクロッカスが敵を引き付けている間に、ナデシコは全速でチューリップに突入するだけで、火星から脱出出来る状態だ。

 

「驚いた?...あぁ、あの時の事か。...怖がらせちゃったかな?」

 

一瞬思案顔になるアキトだったが、直ぐに思い当たり、少し申し訳無さそうな顔になる。が、ラピスは首を振ってアキトの懸念を否定した。

 

「ううん、私は全然怖く無かったよ。だって...例えどんな状態になろうと、私にとってアキトはアキトだから。私が驚いたのは、アキトが皆の前であんな風に冷たい態度を見せた事。」

 

「それは...驚くような事なのか?」

 

「だって...アキトはこっちの時代に来てから、皆の前では極力本来の自分を見せないようにしていたでしょう?」

 

「ああ、そんな事か。」

 

「そんな事って...」

 

アキトの事を心配しての事だったのに、そのアキト本人にそんな事呼ばわりされ、些か憮然とするラピス。そんなラピスの頭に軽く手を乗せ、アキトは微笑む。

 

「...心配かけたみたいだね。でも...大丈夫だよ。これは...初めから考えていた事だから。」

 

「考えていた事?」

 

自らの頭を撫でるアキトの手にくすぐったげな様子を見せつつ、ラピスが尋ねる。アキトは頭を撫でていた手を今度は柔らかな髪を梳くようにしながら、質問に答えた。

 

「ああ。...これから先、ナデシコには色々と壁が立ち塞がるだろう。幾らなんでも、俺達だけで如何こう出来るモノでは無いし、俺自身、本来の自分を隠したままで最後までいられるとは思えない。何処かで一区切り入れなければならないんだ。それが、今だったと言うだけの話さ。」

 

「でも...もし皆がアキトの事を怖がるようになったら?私やルリは平気だよ?でも...他の皆は如何か解らない。特にユリカさんとか...わぷっ!?」

 

突然髪を引っ張られ、体勢を崩したラピスは、丁度ベッドに倒れこんだ体勢になる。いきなりの暴挙に恨みがましい目を向けるラピスに、アキトは笑みを含んだ視線を返す。

 

「全く...お前は心配し過ぎだ。もし皆が俺を恐れてナデシコを降りるようなら...それはそれで構わないさ。戦場に留まる事が無ければ、危険に晒される事もなくなるのだから。もし皆がナデシコに残ると言うのなら...今まで通り、俺の全てをかけて守り抜く。...唯、それだけさ。」

 

優しい眼差しの中に隠された痛ましいまでの決意と、隠そうとしても隠し切れない哀しみを感じ取ったラピスは、だがその事は指摘せず、未だ自分の髪を梳いているアキトの手を、自らの両手で包み込むようにして握り締める。そして...アキトのそれにも負けない程の強い決意と、その小さな胸に秘められた有りっ丈の想いを込めて、ポツリと呟いた。

 

「...私は、ずっとアキトの傍にいるから。例え何があっても...絶対にアキトを1人にしないから...」

 

少女の直向な想いに、アキトは唯一言を持って答えた。その顔に、これまで以上の優しい微笑を浮かべて。

 

「...ありがとう...」

 

 

 

 

 

そして、ナデシコはチューリップに潜り、火星を後にする。その内に、様々な想いを内包して...。

 

 

 

 

 

Episode:07...Fin

 

〜後書き〜
刹:Episode:07です。

 

ア:取り敢えず、火星を脱出する所まで来た訳だな。イネスさん登場の回でもある訳だが。

 

刹:どれほどの方が覚えていらっしゃるか解りませんが、このSSでのイネスさんは、若干年が若いです。これは、他のヒロインキャラとの年齢的な差を少しでも縮める為と、細かい部分ではありますが、原作との違いを出す為です。少なくとも現状では、年齢の差異に大きな意味を持たせるつもりはありません。

 

ア:成る程。さて、次は火星から帰還して、一つの転機を迎えるわけだが?

 

刹:この辺では、まだ原作との大きな差異はありませんね。まぁ、そろそろ原作との差が出始める頃ですけど。

 

ア:ふ〜ん。ま、取り敢えず頑張って書き上げてくれ。

 

刹&ア:それでは、Episode:08でお会いしましょう。

 

 

 

代理人の感想

今回、アキトがフクベ提督を断罪してますね。

この断罪と言う奴、要するに「お前は悪い!」と決め付けることなんですが

これがお話を書く際にはなかなか曲者でして。

断罪する方は絶対の善であり、される方は絶対の悪であるわけですから

書いてる方は気持ちいいし、読んでいる方もそれに共感できれば同じく気持ちいいんですが

その快感は正義をかざす事に「酔う」ことと表裏一体であって

それに酔えない読者に対しては「えらっそーに、何様のつもりだ」という反感を

必然的に生んでしまうわけです。

 

ですから、勧善懲悪物以外でこのように相手を悪と決めつける場合

一、誰が聞いても納得できる「理由」を用意する事

二、断罪する方が余り傲慢=高みから見下ろすような態度をとらない事

の二つがあることが望ましいのではないかと思います。

 

それで以下は全くの私見ですが、

そもそも人に人を裁く権利はないと考えます。

 

罪を「裁く」には罪人より一段高い所にいる必要があります。

よって、人間がみな平等であるならば罪人を裁いていいのは罪を犯した本人か、

さもなくば人知を越えた存在である「天」(「神」でも可)だけと言うことになるはずです。

ただ、その原則をそのまま実社会に敷衍すると

犯罪に歯止めが効かなくなるのは火を見るより明らかでしょう。

そのために、警察官や裁判官は捜査権や裁判権を「委託」されているのです。

古代においてはそれは「神の有する判断権が地上の人間に委ねられる」と言う形で裁判が行なわれましたし、

法治国家においては国民一人一人が「自らが罪を犯した時、これを裁く権利」を

国家に委託し、国家はそれを裁判所等にまた委託しているわけです。

 

そう考える私でありますから、同じ人間であるくせに他人の罪を高い所から見下ろすような、

そんな行動を取る人間には反感を感じずにはいられないのです。

ご理解頂けたでしょうか?

 

 

追伸

ちなみに、勧善懲悪ものの「正義の味方」は

「゛天゛に代わって悪を討つ」

ので私的におっけーなのです。

OK(笑)?