[日野市 撫子学園 PM8:30]

 ごわついたコートの生地越しに、冬の間近な冷気が肌を刺す。

 いま俺が素肌の上に着ているのは、あの化け物が羽織っていたボロボロのコートだ。

 得体の知れない汚れやシミがこびりつき、さらにはすえたような匂いさえ漂ってくる代物には、本当なら触りたくもなかった。

 とは言え、まさか裸でここに座っているわけにもいかない。その場にあったもののうちで、それでも一番まともだったのがこれだったというわけだ。

 血塗れになった学生服は、裏庭の焼却炉の中だ。一応、上から他のゴミを被せて一目では分からないようにしてある。見つかる前に、明日の朝にでも落ち葉と一緒に燃やされるはずだ。

 今のこの格好、端から見ればどこにでもいるような浮浪者と思われるだろう。

 情けなくはあったが、それ以上の詮索を許さない格好でもある。少なくとも、必要以上に踏み込まれることを拒絶する格好ではあるはずだ。

 隙間から入り込んでくる風が、容赦なく体温を奪っていく。

 寒さに凍え、俺は両手を擦り合わせながら、そこに息を吐きかけようとして……固まった。

 目の前にあるこの両手。さっきまで、この手には、いや、俺の全身には真っ赤な血がこびりついていた。

 水飲み場でさんざん洗ったが、髪からはまだ血の匂いがする……。

 これから、どうなるんだ、俺……。

 夜の帳がおり、昼間とは違う姿を見せる街並み。それはまるで、俺の内心がそのまま映し出されているかのように思えて仕方がなかった。





「VJEDOGONIA」

EPISODE03 「狩人」

 

 

 

 




 俺を再三にわたって救ってくれた喪服の少女、彼女は連れの男……夜だというのに、真っ黒なレンズのサングラスをかけていた……と一緒に、傷ついたユキナちゃんを何処へともなくつれていった。

 俺はそのときのすぐに戻るという、彼女の言葉を受けて、ここでこうして待っている。

 あいつらも別段、俺やユキナちゃんに危害を加えるつもりはないらしい。

 それだけの理由であの二人を信用していいのなら、彼女たちは味方、ということになる。

 信用していいのなら……彼女たちの話を、気違い沙汰だと一蹴せずに、鵜呑みにすることができるのなら。

 そうだ。もう、無駄なことはやめよう。

 認めるしかない。どんなに馬鹿馬鹿しくとも、信じ難くとも、受け入れるしかない。

 吸血鬼は、実在する。

 ホラー映画で見るような黒マントの紳士なんかじゃなく、俺が出会ったのは、むしろアニメや特撮なんかに出てくるような、人間とは似ても似つかない化け物だったけれど。

 殺しても死なない、不死身の身体。

 だが心臓に杭を打ち込むと、灰となって崩れ去る。伝説でよく聞く通りの、末路だった。

 そして伝説通りなら、奴らに血を吸われた俺は、もう奴らの仲間というわけらしい。

 ……いや。

 らしい、じゃない。

 何がきっかけになるのか、それはわからない。

 だが俺は、何かの拍子に吸血鬼に変身してしまう、そんな体質になっちまったんだ。

 そう考えれば、一昨日からの不調にも説明が付く。

 昼間だけ感じる怠さや頭痛。そういえば暗い部屋に入ったり、夕方になると治まっていた。つまりは、日の光を浴びるのがまずかったんだ。

 そもそも俺は、人間なのか?

 昨日、今日と、二度も殺されかけた……本当なら、死んでいるはずだ。間違いなく、致命傷だった。

 だが俺は、死ぬ代わりに……。

 膝の間に頭を割り込ませるようにしながら、両手でその頭を抱え込む。

 考えたくない。あの化け物の首を咬み破って、その生き血を啜っただなんて、悪い冗談だとしか思えない。

 こんなところに一人でいたら、否が応でも考えたくないことに頭がいってしまう。

 早く、早く戻ってきてくれ。

 それが得体の知れない相手であっても、一人でいるよりはマシなはずだ。

 ただ気持ちを空っぽにしたい一心で、夜空の月を見上げながら、時間を過ごした。





 小一時間ほども待っただろうか。

 点々と街灯の灯る路地の向こうに、小さな黒い影が見えた。

 喪服を思わせる黒いドレス。彼女だ。連れの男の姿は見えない、どうやら一人だけのようだ。

「ユキナちゃんは?」

 ともかく、それが気がかりだった。

 自分自身のこともそうだが、ユキナちゃんが無事かどうか、それが俺の心を重くしている理由の一つだったから。

「救急病棟の前に置いてきて、電話で通報を入れてきた。今頃は、大騒ぎになってるんじゃないかな?」

 なんでそんな回りくどいことを。

 そう訊こうとして気が付いた。吸血鬼に咬まれたなんて言ったところで、取り合ってくれるはずがない。

「それで、大丈夫なのか?」

「すぐに輸血を受けられれば、命に別状はないよ。痕さえ消えれば、あとは町医者の領分だから」

「でも……」

 心配なのは、肉体だけじゃない。

 化け物に、あんな目に遭わされて……彼女の心は耐えられるんだろうか?

「彼女が目を覚ましたら」

「何も思い出せないよ」

 俺が言い終わる前に、女の子が澄ました顔で断言する。

「……え?」

「彼女には催眠暗示をかけておいたから。今夜起こった出来事は、ほとんど思い出せないはず」

「記憶を、消した、のか?」

「そんな乱暴なものじゃないよ」

 目の錯覚だろうか? そこで俺を安心させるように、微かだが笑みを浮かべて見せたのは。

「彼女の無意識が思い出すことを拒むようにし向けたの。結果的には同じことだけどね」

 だが、すぐに説明を始めたのと共に、そんな表情は奇麗に消え去っていた。

 それにしても、信じられない。この子にそんな魔術めいた真似ができるなんて。

 いや、こう見えても、スレッジハンマーを振り回して吸血鬼退治なんてことをしているんだ。この上何が出来たとしても、驚くまでもないんだろうけれど。

「ショックによる記憶障害。病院も警察もそういう結論で落ち着くはずだよ。いつもの通りね」

 いつもの通り、ね……。

 そして、女の子が続けた言葉は、俺が抱いていた思いを肯定していた。

「あんな風に、吸血鬼の餌食になっていく人は、世界中にいくらでもいるわ。もちろん、助かる人間は滅多にいない。あの子は、むしろ運がいいの」

 運が、いいか……。

「じゃあ、俺はどうなのかな……」

 そう問いかけると、女の子は俺から視線を逸らした。まるで自分の表情を隠すように。

「そうだね。格別に運が悪い方だろうね」

「……そっか」

 吸血鬼の餌食。それが、世界中にいくらでも……。俄には信じられるような話じゃない。

「信じられない?」

 俺の心を見透かしたかのように、女の子が声をかけてくる。

「そりゃぁ、ね。あんな化け物が、他にもゴロゴロしてるなんて……信じられないし、信じたくもない」

「でも、事実だよ」

 冷徹な外観を崩さずに、女の子は平然と言ってのける。

「どうして……どうして誰も気付かないんだ?」

「人間の理性ってね、案外、丈夫に出来てるものなんだ」

 どこか小馬鹿にするような調子で、女の子は鼻を鳴らした。

 こんな生意気な仕草を見る限り、いかにも子供のようなのだが……なぜか無邪気な可愛らしさがまったく感じられない。

「体験したことが、理解を超えてたり、どうしても認められなかったりすると……人間は記憶そのものを歪めてしまう。あなたも、そうだったでしょ?」

 女の子の言葉を、否定することはできなかった。

 この子のことを幻覚だと片付けて、心の平静を保とうと、すべて夢だと思い込もうとして……それは、つい、今朝方のことだ。

「仕方ないけどね。そういうものだから。だから、私たちの務めがあるの」

 そのとき女の子が浮かべたのは、どこか悲しげな表情だった。その意味が理解できず、しばらく呆けたように、俺は視線を向けたまま固まってしまった。

「闇の眷属は闇から出さず、闇の中で狩り、滅ぼす。誰にも気付かれちゃいけない」

「あ、あのさ……君って、一体……?」

「ハンターよ」

「ハンター……」

「そう。吸血鬼ハンター。映画とかに良く出てくるでしょ? 日本のゲームにもあったんじゃないかな?」

 そう言うと、悪戯っぽく、くすりと笑ってみせる。それは外見に似合っているとはとても思えなかったが、不思議とこれまで感じたような違和感はなかった。

 それにしても……ハンター、か。

 ドラキュラを殺したヘルシング教授とか、ああいう手合いなんだろうな。確かに吸血鬼が実在するなら、それを狩るハンターが実在したって、何の不思議もない。

 さすがに、それがこんな小さな女の子だっていうのは……イメージとあまりにもかけ離れていたけれど。

「そうそう。これ、必要でしょ」

 黙り込んだ俺に向けて、女の子は後ろに持っていた紙袋を差し出してくる。

 そこに印刷されているのは、深夜営業のジーンズショップのロゴ。俺自身、よく利用するので覚えていた。

 中を開けてみると、安物のトレーナーとジーンズ、Tシャツが入っていた。病院の帰りに寄ってきてくれたんだろうけど、だったら言ってくれれば、俺、ポイントカード持ってるのに。

 …………何を考えてるんだ、俺。また逃避しようとしてるな。

 周囲を見渡して人目がないのを確認し、コートを脱ごうとして……女の子と視線が合った。

「い、いきなり何しようとするの!?」

「あ、ご、ごめん!!」

 顔を真っ赤にして、慌てて校内の植え込みの陰に隠れる。小さな子供とは言っても、やっぱり「女の子」だもんなぁ、抵抗がある。

 でも、あの子の方はまったく気にしてないって方が、どちらかと言うとこれまでのイメージに合ってるんだけどな。

「着替え、終わった?」

「あ、ちょ、ちょっと待って」

 植え込み越しに、遠慮するような小声で、聞いてくる。返事を返すと俺は、急いでトレーナーに袖を通した。

 着てからようやく気付いたけれど、トレーナーがハイネックのおかげで、首の傷がすっかり隠れている。もちろんそれを見越してのことなんだろう、まったく抜かりがない。

「あのさ、ちょっと、聞いてもいいかな?」

 いつの間にか、俺の口調からは堅苦しさが消えていた。

 さっきの一騒動が、俺にあの子が紛れもなく「女の子」なんだって、そうはっきりと示してくれた気がする。

 態度や仕草がどうあれ、「女の子」には違いないんだと。

「さっき言ってたよね。俺を、元に戻してくれるって」

 返事は帰ってこない。構わずに俺は話し続けた。

「俺は、本当に……元に、戻れるんだよね?」

 沈黙。それは、長かったのか、短かったのか。不意に吹いた風が、立ち並ぶ木々の葉擦れの音が闇に響く。

「それは、あなたの協力次第。それに……私たちの運次第、かな」

 まったく、はっきりと言ってくれる。

 大船に乗った気持ちでいろ、とまでは期待してなかったけど、もう少し言い方ってもんがあるよなぁ……。

「ところで、そろそろ着替え、終わったでしょ?」

「あ、ごめん、ごめん」

 コートと紙袋を植え込みの陰に投げ捨てて、女の子の前に立つ。女の子は俺に向けて探るような、試すような視線を向けていたが……不意にその、形のいい眉を寄せる。

「ずいぶんと落ち着いてるね。さっきまでの様子だと、まだ時間がかかると思ってたけど」

 何に時間がかかるのか、それは言わなかったけれど、良く分かった。

 事態は容易じゃない。その覚悟を決める時間ってことだろう。

「おかげさまでね」

 返ってきた俺の答えが理解できないのか、今度は小さく首を傾げる。もっとも意味を尋ねられたところで、照れくさくて答えられないが。

「で、その、協力っていうのは?」

「ロードヴァンパイアの居場所を探って欲しいの」

「ロードヴァンパイアの……?」

「そう。覚えてる? 髪の長い、若い女。あなたを襲った吸血鬼よ」

 そう、それなら覚えている。

 雨の中で出会った、ぞっとするほど綺麗な女の子。透けるように白い肌と、いまにも泣き出しそうだった赤い瞳が、いまでも脳裏に焼き付いている。

 ユキナちゃんを襲った化け物とは、似ても似つかない。同類だとは、とても思えない。だが事実、俺は彼女に咬まれ、血を吸われているんだ。

「彼女の力は、現存する吸血鬼の中でもトップクラス。危険度トリプルAってところね」

「あの子が……?」

 あんなにか弱そうな女の子が、か?

「吸血鬼を見かけで判断しちゃ駄目だよ。彼女は世界中のハンターに追われている、超大物なんだから」

「世界中のハンターに?」

「ええ。私だってその中の一人だから。はるばるこんな島国まで来たのも、彼女を捜し出して滅ぼすため」

「……」

 またしても俺の理解の範囲外の話だったが、まあ、そう言うなら、そうなんだろう。

「でもさ、俺の協力が必要だって言うけど、君たちが捜して見つからない相手を、どうして俺が捜せるって言うんだい?」

 それが一番の疑問だ。

 そもそも吸血鬼狩りの専門家なんかじゃない、単なる学生のこの俺に、どうしてそんな期待をするんだろうか。

「最近、変な夢、見ない?」

 喋りながら、女の子は植え込みの塀にひょいと腰をかける。塀が少し高いせいで、脚が届いていなく、ぶらぶらと揺れている。その姿は、彼女が初めて見せる外見通りの姿だった。

 そんな彼女につられるようにして、俺もその隣に腰を下ろした。

「……夢」

 そう言えば、やけに彼女の夢を見る気がする。

「ヴァンパイアに咬まれて、その能力を受け継いだ犠牲者は、もとのヴァンパイアと精神的に感応し合うようになるの。テレパシーって言えば、解りやすいかな?」

 無言で俺は頷き、続きを促す。しかし、テレパシー……ねぇ。

「いちばん多いのが、相手と同じ夢を見るって言うケース。彼女の夢と接触して、それを手がかりにその居場所を探り出す。あなた以外には出来ないわ」

「……」

 そりゃまあ、確かにそうなんだろうけれど、そう言われたところで、途方に暮れるしかない。

 あんな曖昧な夢の、どこが手がかりなるっていうんだ?

「今はまだ、無理でもいいわ。彼女との感応は、日を追って強固になっていくから」

 日を追って、強固に……?

「そのうち、もっと長くて鮮明な夢を見るようになると思う。もしかすると、夢の中の彼女と会話ができるかもしれない」

 なんだか、励まされているんだか良く分からない説明だった。

「結びつきが強くなるってことは、さ……」

 そこで言葉を切った俺に、女の子は悲しげに瞳を伏せて、そしてゆっくりと首を縦に振った。

 彼女との、ロードヴァンパイアとの結びつきが強くなる。それは取りも直さず、俺がどんどん吸血鬼に近づいていくってことに、違いないだろう……。

「繰り返し言うけれど、これが最善の手段なの。あなたが手遅れになる前に、捜し出せるかどうか……一か八かの賭なの」

 俺の瞳を真っ直ぐに見つめ、女の子は力を込めて話しかけてくる。

 けれど、絶望のあまり、どっと身体が重くなったような気がする俺には、その瞳を見つめ返すなんてことは、できなかった。

 俺の協力と、運があれば……か。

 どうやらそれは、途方もない、一生分を使い切っても足りるかどうかの、奇跡にも等しい幸運らしい。

「……タイム・リミットは?」

「長く見積もって、二週間。もちろん、早まる可能性もあるわ」

 二週間か。

 悪夢としちゃ長すぎるし、残りの人生にしちゃ、短すぎる。

 けれど、四の五の言ったところで、どうにかなるわけでもない。

「判ったよ。俺に何ができるのかは解らない。それでも、協力はする」

 半ば自棄っぱちで、俺は頷いた。

「ありがとう」

 相変わらず、彼女の微笑みは外見とは不釣り合いだった。けれどそこには、怯えた俺に頼もしさを感じさせる、不思議な包容力があった。

 頼もしさ、ね。

 どう見ても子供にしか見えない彼女に、そんなものを感じるなんて、異常ではあるんだろうけど。

「それで、とりあえず、これからどうすればいい?」

「今夜のところは、帰って休んで。そして朝になったら、何食わぬ顔で学校に行くの」

「……学校に?」

 そんなことをしていていいのか? 俺は病人みたいなもんじゃないのか。

「あなたが一昨日から別人になったって、気付かれたらまずいの」

 どういう、ことだ?

「今夜の一件で、敵は間違いなくあなたの学校をマークする。特に欠席者には注目すると思う」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 彼女の言葉の中に、聞き捨てならないものを見つけて俺は大声を上げた。

「て、敵って何だよ?」

「ロードヴァンパイアを隠し、護っている連中」

 そんな奴らがいるってのか。ただ捜せばいいってわけじゃないのかよ……。

「そいつらも、やっぱり吸血鬼なんだ?」

 だが女の子は、俺の予想に反して頭を振った。

「違うの。だから余計に厄介なのよね……」

 そう言って忌々しげに宙を睨むと、思い直したかのように、厳しい視線を俺に向けた。

「あなたが多くを知る必要はない。深入りしたくはないでしょ?」

「そりゃ、そうだけど、さ……」

 今更ながら、身震いがする。

 ひょっとして、これは俺が想像してる以上に厄介で、危険なことなんじゃないのか。

 そう思ってしばし呆然としていると、女の子は懐から、小さく畳んだ紙片を取り出して俺の手に握らせた。

「これは?」

「開けてみて」

 言われたとおりに拡げてみると、それは簡潔な地図だった。

「まずは仲間に引き合わせるわ。その場所だけど……判る?」

 多くはない目印で判断すると、結構な山奥のようだ。こんなところに何があるっていうんだ?

「そこが私たちのアジトってわけ。明日、日が暮れたら来てね」

「ああ……」

 頷くと、女の子は座っていた塀から身を投げ出して、別れの挨拶もなしに踵を返す。

「え、あ、ちょっと?」

「なに?」

 思わず呼び止めた俺だったけれど、振り返ってこちらを見る視線に、しどろもどろになる。

 でも、どうして呼び止めたのか、急に判った。

「君の名前……まだ、聞いてなかったよね?」

 言葉にしてから、気が付いた。この子はわざと名乗らなかったんじゃないのか。

『多くを知る必要はない』

『深入りしたくはないでしょ?』

「私はラピス。ラピス=ラズリ」

 あっさりと名乗った彼女の微笑みには、親しみがあったように思う。

「よろしくね、アキト」

「ああ」

 それきりラピスは振り向きもせず、夜の街に消えていった。

 に、しても。呼び捨てかぁ。

 まあ、いいかな。彼女の場合、さんづけとかより、その方がずっとしっくりとくる。

 俺も塀から立ち上がると、ジーンズのポケットに両手を突っ込んで、ラピスとは逆の方角に歩こうとして……頭を抱えて脱ぎ捨てたコートの元へと戻る。

「鞄、忘れてたよ……」





[多摩市 松が谷 AM8:15]

 閉めたドアの鍵をかけ、キーホルダーをポケットに放り込んだ俺の顔に向けられる、睨み付けるような視線。

「なに? 顔に何かついてる?」

 陽光を掌で遮りながら、その視線の主にできる限り平静を装って、話しかける。

 確かにこの焼けつくような日差しも辛い、けれど今はそれ以上に、隣のリョーコちゃんの視線が痛かった。

「……何で、今日はジャージなんだ?」

「制服、汚れちゃったからね」

「予備は? あったはずだろ」

「汚したままクリーニングに出し忘れてた」

 俺の答えに呆れたとばかり、リョーコちゃんは大げさに顔を手で覆ってみせる。

 まさか、本当のことを言うわけにもいかないしな。言ったところで、信じてもらえるとは思えないけど。

 化け物と戦って、その返り血を浴びた、だなんて。

「じゃ、何か? 当分はジャージで登校?」

「別にいいだろ? 体育会系にイメチェンだよ」

「何が体育会系だよ。そんな細い身体で」

 ついていけない、言外にそう含ませて、リョーコちゃんは先に歩き出した。俺もその後について歩き出す。

 いつもと変わらない風景。見飽きるほどに眺めてきた朝の景色。

 吸血鬼だの、ハンターだのという、そんな血にまみれた単語とは無縁の世界。自分がそんな景色の一部だということに、たまらない安堵を覚える。

 だが、二週間後には俺は、永遠の別れを告げているのかも知れない。人間ではない、『何か』に成り果てて……。

「なぁ、そんな上までぴっちりとジッパー閉めててよ、暑くねえのか?」

「え? だってさ……」

 襟元を開けたら、首の痕が見えてしまう。

「だって、寒くない? 今日ってさ」

 まさかありのままを言うわけにもいかず、咄嗟に言いつくろった言葉だったが、それはリョーコちゃんを訝しませるだけだった。

 ……まずい。今の俺には、暑い寒いの前にこの日差しはたまらなく不快だ。何でもない彼女にとっては、もしかすると今日ぐらいの陽気は、軽く汗ばむぐらいかもしれない。

「なぁ、アキト。本当に具合良くなったのか?」

「何言ってるんだよ。見ての通り、元気溌剌だって」

「見た通りならよ、思いっきり不健康に見えるんだけど」

「そ、そう?」

 余裕ありげに笑ってみせる。もちろん、虚勢以外の何物でもない。

 正直に言えば、身体の重さや怠さは昨日、一昨日に輪をかけて酷くなっている。

 ひっきりなしに吹き出してくる脂汗、それをいかに不自然に思わせず拭うか。そんなことにさえ神経を使う。

 けれど、何も解らなかった昨日までに比べれば、気持ちの上では幾分マシだった。どうしてそうなのか解ってる今なら、辛抱できる。

 今が真夏で、炎天下を歩いているんだと、そう思えばいい。

「ただの風邪にしちゃ変だぞ。ちゃんと病院に行った方がいいんじゃないのか?」

 病院か……。

 吸血鬼の噛み傷なんてもの、医者にどうにかなるのだろうか?

 『吸血鬼になりかかってます』……そう言って病院に駆け込む自分を思い浮かべてみる。

 まず、まともに取り合ってくれるはずもないよな。

 信じてくれたところで、現代の医学から言えば、吸血鬼なんてものは範囲外もいいところだろう。仮に治せるとしたところで、それは研究を重ねてからだ。治療法が確立される頃には、間違いなく……手遅れだ。

 結局、残された道は昨夜確認した通り、吸血鬼ハンター……あの二人を頼りにするしかないってことだ。

「おい、アキト。聞いてるのか?」

「え、あ、うん。でも今日って土曜だし、午後からはもう診てくれないんじゃないかな?」

「じゃあ今から行けよ。欠席届なら、オレが出しといてやるから」

「いや……いいよ」

 何でだよ。リョーコちゃんの目がそう言っている。

 注射が恐いから、そんな軽口で逃げようとすれば、正中線四連突きが飛んできかねない。

 いや、マジで。

「今から引き返して、病院行ったら余裕で午後になっちゃうかなぁって」

 露骨に顔をしかめながら、リョーコちゃんは左手にはめたアナログ式のダイバーウォッチの文字盤をオレに向ける。

 時計の針は、八時半ちょっと。

「どういう計算で、そうなるんだ?」

「保険証探すのに、二時間かなぁって」

「……!」

 怒ってる、怒ってるよ。

 ピクピクと引きつっているこめかみと、固められた右の正拳がそれを物語っている。そしてゆっくりと拳を顔の高さまで上げて……深々と溜め息をついたあと、それを下ろす。

「やめた。今のオマエに打ち込んだら、洒落じゃすまなそうだしな」

「そうしてくれると、助かります」

「今度から、保険証はオレが預かるから。いいな?」

「……はい」

「今日は学校終わったら、すぐに帰って安静にしてろ。週末も遊び歩いたりすんな。それと、忙しいのは解るけどよ、部活に出るのもやめとけ。身体こわしたら元も子もねえだろ? エリナにはオレからも言っておくから」

「……あぁ」

 そうは答えは返したけれど、出ないわけには……いかない。エリナさんとは、いろいろと相談しなきゃならないはずだから。

 ……ユキナちゃん。

 ラピスは心配いらないといっていたが、やっぱり気になる。安心なんか、できないよな……。





[日野市 撫子学園 AM9:10]

 教室に入ると、すぐに俺は重い身体を投げ出すようにして席についた。

 窓際じゃないのは、本当に幸いだった。この位置なら、日が傾いても射し込んでくることはない。

 重い頭を巡らせて、教室の中をぐるりと見渡す。そこには先週までとまったく同じ、何の変哲もない朝の光景が広がっている。

『敵は間違いなくあなたの学校をマークする』

 昨夜ラピスはそう言っていた。

 敵……。

 ロードヴァンパイアを護っているという、謎の集団。

 そう言えば、一昨日逃げる俺をナイフで刺したのは、人間だったはずだ。

 そいつらが、ここに来るって言うのか?

 笑い飛ばすことはできない。

 事実、俺を取り逃がした化け物は、その翌日にいきなりここにやってきているんだ。そして、ユキナちゃんが……。

 俺は机に蹲ると、頭を抱えた。

 あんな風に、また他の子が襲われたら……。

 その敵とやらが、昨日みたいな化け物を次々と送り込んできたら……。

 俺は、いったいどうすればいいんだ?

 俺のせいで、さらに犠牲者が増えるなんて、冗談じゃない。どうあっても、許せるはずがない、そんなこと。

 結局、俺が助かって、さらにさらに誰も巻き込まないためには、ラピスの言うとおりに『敵』の目を欺き通すしかない。

 目当ての人間が見つからなければ、そいつらもここから注意をそらすだろう。そうなるまで俺は、以前の通りの生活を装い続けなきゃならないんだ。

 当分は、身体に鞭打って学校に来るしかなさそうだな……。

 



 誰からもその存在を忘れ去られたような廃ビル。途中で資金繰りがうまくいかなくなり、解体さえされずにそのまま残されている……未だ残る、バブルの幻影の一つだ。

 そのビルの一室で、昨夜、撫子学園での出来事の始終を見つめていた黒いコートの影と、一人の男が対峙していた。

 男はどこか爬虫類を思わせる風貌に、歪んだ笑み浮かべて影に問う。

「ロードヴァンパイア……姫の継嗣は、まだ見つからんのか?」

「……ああ」

 一瞬の沈黙を置いて、影は男に答える。その甲高い声は、男とも女ともつかない。

「急げ。奴らとて、このまま手をこまねいてはおるまい」

「解っている」

「役に立つところを見せるのだな。人間に戻りたくば」

「解っていると言っている!」

 叩き付けるように言い捨てると、影は身を翻す。そのまま、ドアすらはめられてはいない、只の穴から部屋を出ていく背中に、男は再び歪んだ笑みを向ける。

「所詮貴様は我が駒よ。企んでいることぐらい、お見通しだ。だが敢えて見逃すのだ、精々我を楽しませてくれよ」





 最新の素材と手法で作られたその部屋に並べられた調度品、それらはどれも部屋の雰囲気とはそぐわないものばかりだった。

 長テーブルに、意匠の凝らされた椅子。そしてその上に置かれた燭台……中世のヨーロッパを思わせる品々だ。

 だがそこに集う者たちは、そのギャップなど気にはならぬようだったが。

「スパイダーヴァンプが戻らない?」

「ええ。同行していた調査員もね。ハンターの姿が確認されていることから見ても、消されたと考えていいでしょうね」

 抱えたギターをチューニングしながらの細身の男の言葉に、白衣の女性が答える。

「調査によれば、姫の牙を受けたのは、撫子学園とやらの学徒だそうだな」

 その声を発したのは、部屋の隅に控えていた紅蓮の鎧に身を包む、巨躯の騎士。

「彼女の犠牲者が吸血鬼化したのなら、撫子学園は除外できるわ」

 そこで一端言葉を止めると、女性はその金色の長髪を掻き上げた。

 いかにも科学者だと言わんばかりのその服装だが、彼女の華やかさはそれでも損なわれない。むしろその野暮ったさが、華美になりすぎるのを防いでいるとさえ思える。

「あの学園の、一昨日の欠席者はすべてチェック済み。あとの学生は全員、大手を振って日光の下を登校しているわ」

「今日の出欠は? 吸血鬼化は、遅れて進行することがある」

 その騎士の言葉に応えたのは、女科学者ではなく入り口の脇に控える、どこか人を食ったような男だった。

 にこやかな笑みを顔に張り付けているが、その裏で何を考えているか、まったく読めない。

「いいでしょう、ミスターD。手配しておきます。他には何かありますか」

「クモに噛まれたって子は、放っておくのか?」

 チューニングを終えたギターを置いた細身の男が言葉を発する。だがその視線は男にではなく、女史の方へと向けられていた。男の方もそれを気にするでもなく、同様に視線を女史に向ける。

「白鳥ユキナ、撫子学園一年生……すでに病院に収容され、今朝、警察の事情聴取を受けているわね」

「その内容は?」

「調書を入手したところ、ただの婦女暴行事件として処理されています。どうやら記憶障害を引き起こしているようね。不幸中の幸いといったところかしら」

「ふん、大方ハンターの細工だろうな」

 女史の言葉に、面白くなさそうに騎士が鼻を鳴らす。

「彼奴らもまた闇の住人。ことを表沙汰にするのは好まぬだろうさ」

「その娘に関しては、むしろ徒に手を出さない方が良いでしょうな。学園についても同様です。学生が続けて何人も不幸に遭っては、いらぬ警戒を引き起こします。特にこの国ではね」

 女史の言葉を引き継いで、ニタニタと笑いながら男が議論を打ち切った。リーダー格というわけではないようだが、他のメンバーから特に異論は出ない。

「じゃあ、残る問題はハンターたちって訳だな、ヤマサキ?」

「つい先程、彼らのアジトが判明したと報告がありました」

 細身の男がからかうような視線をニタリ笑いの男に向けるが、男はそれに動じた様子もなく、にこやかな笑みを崩さずに言葉を返すだけだった。

「今夜、部隊を送り込みます。ひいてはドクターフレサンジュ、同行させるのに適当なV(ヴァンパイア)ウォーリアを見繕っておいてはもらえませんでしょうか」

「わざわざかい?」

「念には念をといったところです。無論、ミスターアオイやミスターDの手を煩わせるまでもないとは思いますが。では、ドクター、後はお任せします」

「……分かったわ」





 そこは、深い霧に覆われた森の中だった。

 周囲の木々は梢が高く、幹は真っ直ぐで、恐ろしく太い。

 明け方なのか、日暮れなのか、判然としない薄明かり。まるで周囲の立ちこめる霧そのものが、仄かに輝いているような気さえする。

 こんな景色は、訪れたことはもちろん、写真で見たことさえない。

 俺はその森の中、黒土の薫る大地に横たわっていた。すぐ上に、彼女の顔。頭の下には柔らかい感触。つまりは、彼女に膝枕をされているわけだ。

 彼女が、俺を咬んだという、ロードヴァンパイア。だが、その瞳は透き通るように、蒼かった。

 彼女はまるで、お伽噺に出てくるようなドレスをその身に纏っていた。

 それも妖精とか、女神像とかが着ているような、ろくに縫製もされていない、布と紐だけの代物だ。

 何かを問いかけるような、悲しげにさえ見える瞳で、彼女は俺を見下ろしている。

 俺は、彼女と話さなければならない。

 そう思うのに、声を出そうにも、喉が痺れたように動かない。

 彼女の瞳の、悲しみの色が深みを増す。

 彼女も俺の言葉を待っている。それがはっきりと伝わってきた。ならば、俺はそれに応えなければならない。

 なのに……どうして、言葉が出ない?

 気持ちばかりが焦るうちに、けたたましい鐘の音が、景色をジグソーパズルのように砕け散らす。

 目を開けたそこは……良く見知った場所だった。

「起立〜」

 間延びした日直の声、クラスの全員が椅子から立つ。俺もそれに倣い、寝ぼけ眼をしばたかせながら立ち上がった。

 そっか、授業……終わったんだ。

 まだはっきりとしない頭で、さっきの夢について考える。

 いまの夢が、夕べラピスが言っていた、俺が助かるための手がかり。

 とは言え、いまのから何を掴み取れと言うんだ?

 どれだけ夢というものがおぼろげで頼りないものなのか、改めて思い知らされた。

『運が良ければ』

 そんな頼りない言葉で俺を不安にさせたのも、いまなら良く理解できる。

 今みたいなチャンスが、これから二週間のうちにあとどれだけあるのか、それは判らない。だが、本当に手がかりなんか期待できるんだろうか?





 リョーコちゃんのクラスよりもHRが早く終わったのは、幸いだった。いち早く教室を出て、部室に向かう。もたもたしていると、またリョーコちゃんに出くわして、無茶を諫められてしまう。

 もちろん、彼女が本気で心配してくれているのは、俺だって判ってる。本当なら、実に有り難いことなのだ。

 でも……今日は、なんとしても無理をさせてもらわないと。

 部室の扉には、鍵が掛かっていた。当然だ。鍵は俺が持っているんだし、そもそも、来るとすれば俺の他にはエリナさんしかいないんだ。

 中に入った俺は、スタンドに立てられた、弾き手のいなくなったベースギターを手に取った。

 ユキナちゃん……。

 身体の傷は癒えても、心の方はどうだろう。ラピスは思い出さないように細工した、と言っていた。でも、結局消し去ったって訳じゃない。何かの拍子に、思い出すことだって有り得るはずだ。

 何より無意識かに強烈に焼き付けられた記憶……心的外傷、トラウマ、PTSD……心の病と呼ばれるもののうち、知っている限りの単語を並べてみる。

 詳しい訳じゃないが、あの記憶が原因にならないとは、思えない。

 立ち直るまで、どれだけの時間がかかるんだろうか。

 ちょっと考えてみたところで、分かるはずもない。けれど、多分、学園祭には間に合わないんじゃないだろうか。

 たとえ学祭前に復帰できたとしても、練習する時間がとれるとは思えない。それでは、ステージに立てるレベルにはとても届かない。

 たった三人とはいえ、ここまでがんばってきた俺たちのユニットだけれど……今度の学祭は諦めるしかないのかもしれない。

「あら……アキトくん」

 振り返ると、扉を開けたままエリナさんが立っている。

 ユキナちゃんのベースを持ったまま考えていた俺は、彼女の目にはどう映ったんだろうか。

 俺は何食わぬ顔を装ってベースをスタンドに戻すと、軽く手を上げてエリナさんに挨拶した。

「ユキナちゃんだけど、今日、欠席だそうよ」

「……そうなんだ」

 自分でも白々しいとは思いつつも、俺は初耳だと言う素振りをするしかなかった。

「昨日の帰り道に怪我したらしくって、今は入院してるって話よ」

「……」

 いまにも、叫び出したかった。

 そうでもしないと、すべてがバレてしまいそうな、そんな気がした。俺の秘密も、俺のせいで、ユキナちゃんが巻き込まれたことも、何もかもが。

 そんな俺をどう思ったのか、エリナさんは俺にまっすぐな視線を向けてくる。

 これでも無い頭を振り絞って、いろいろと言葉を考えてきたつもりだった。でも、いざとなると何も出てこない。

 それでも、この沈黙は耐えられない。どうにか、言葉を絞り出す。

「あと……二曲だったよね?」

「ええ」

 二曲。演奏候補に挙がっていて、まだ練習に取りかかっていない曲数だ。

 そのうちの一曲は、他でもないユキナちゃんが大ファンだと言う、数十年前のアメリカのインディーズのロックらしい。正直言うと、俺はそのバンドのことを知らなかったのだが、いい曲には違いない。

「この際、ユキナちゃん抜きで演る覚悟をした方がいいかもね」

「……そうね」

「残り二曲分のベースパート、打ち込みでお願いできるかな。あと……」

「あと?」

「……全曲分のベースパートも。万が一のために」

 冷たいことを言っているとは思う。でも、ユキナちゃんが学祭に出れるという保証は、何もない。

「フロントが俺一人じゃ話にならないからさ、誰かヴォーカルを探すよ。ベーシストの代理よりは、まだ見つかると思うから」

 まったく、自分が嫌になってくる。何を淡々と喋り続けているんだ。

「……冷たいかな、俺」

 思っていたら、口から出た。エリナさんは黙ったまま、俯いてしまっている。

「そうだよな。普通なら、ユキナちゃんのことを心配してあげるのが筋だよね。だってのに……」

「……間に合わせるんだったら、今から準備しないといけないわね」

 きっと顔を上げたエリナさんの口調は、さっきまでの俺よりも淡々としていたかも知れない。キツ目のクールビューティーという言葉がしっくりとくる彼女だったが、ここまで事務的なのも珍しい。

 もしかすると、自己嫌悪に陥っている俺を励ますために、わざとそんな態度をとっているのかもしれない。

「打ち込みの方は、土日も使えば何とかなると思うわ。ただ……」

「ただ?」

「私、弦楽器の打ち込みなんてやったこと無いのよ。だから、上手くできるかどうか……もちろん出来るだけのことはするけど」

 口ではそう言っているが、表情は不安さを隠し切れていない。自分の力量を考えた上で、出来るかどうか図りかねているんだろう。

「エリナさん、ギターのコード進行って解るんだっけ?」

「いいえ。今から覚えてる暇もないでしょうね」

 確かクラシックピアノから入ったクチだという彼女が、ギターのコードを知ってるはずもないか。

「譜面から作っていけば、何とかなるとは思うんだけれど……」

「う〜ん……」

 それよりも、鍵盤で直接入力できた方が、絶対に楽だよなぁ。

 ギターのコードさえ解っていれば、譜面を見ただけで音の想像もつくだろう。そこまでくれば、あとは鍵盤で再現するぐらい彼女ならわけはない。

 ……待てよ? いっそのこと、俺が弾いてみたらどうだ?

「手伝おうか、俺?」

「え、そ、そんな、いいわよ」

 俺が言うと、エリナさんは慌てて両手を振る。でも、俺が手伝った方が絶対に作業もはかどるはずだ。

「まず俺が弾いて聞かせるから、その通りに演奏して、レコーディングしてよ。そうすればすぐでしょ?」

「それは、その、その通りなんだけど……いいの? まだ具合、良くないんでしょう」

「平気、平気」

 俺はユキナちゃんのベースを抱えると、アンプの上に腰掛けた。



「じゃ、次の小節、いくよ」

 俺が弾くベースのメロディに、エリナさんは熱心すぎると思うほどの目つきで耳を傾ける。

「こう、かしらね?」

 エリナさんが鍵盤の上で指を踊らせると、俺の演奏がほぼ忠実にピアノの音色で再現されていく。

 思っていたよりも、作業は順調に進んでいた。

 エリナさんの音感の良さは、俺の予想をずっと上回っていた。時折ミスもあるけれど、それもすぐに修正される。

 言ってみれば単純作業の繰り返しなんだが、だからこそか、二人とも妙に熱が入ってしまっていた。

 この調子なら、日曜を休んで月曜に持ち越しても、苦もなく片付きそうだ。

「いいわね、こういうのって」

「え?」

「だって、打ち込みなんていつも一人だから。誰かと音を作るのって、あまり経験がないのよ」

「そんなものかな?」

 俺にしてみれば、何から何まで一人で出来てしまうDTMの方が便利な気がするんだけど。一人でフルオーケストラなんて……魔法だよ、本当に。

 そんな会話を交わしつつ、作業に没頭しているうちに……気がつけば、窓の外では日が暮れていた。

 あれっと思って時計に目をやると、午後四時。かれこれ三時間は熱中してたってわけか。

 呑気なもんだよな。

 学祭に出れるか心配するのは、ユキナちゃんよりも……むしろ、俺だ。

 一人頭を振って、頭の中に沸き上がる嫌な考えを振り払う。ネガティブじゃいけない、もっと、ポジティブにいかないとな。

 俺はきっと、元の身体に戻れる。そしてエリナさんやユキナちゃんと、学祭のステージに立つんだ。

 そうだ。そのために俺は、ラピスに協力するって決めたんだ。

 問題はまだまだ山積みだけれど……そうだ、今日はこれから先約があったんだ。

「なあ、エリナさん、悪いんだけど……一度に根詰めても何だし、今日はこの辺にしておかないか?」

「そうね。そうしたほうが良さそうね」

 ……それにしても、こんな風にエリナさんと一緒にいるのって、初めてだと思う。いつもはお互いにどこか遠慮するようなところがあって……気が休まるとは言い難い。

 俺のそんな思いを知ってか知らずか、エリナさんはテキパキとノートパソコンのケーブルを片付け始めていた。



「今日は本当にごめんなさいね」

「いいって、これくらい。お易いご用だよ。でもこの調子なら、意外と早く済みそうだね」

「そうね……」

 これまでとは違う調子でこぼすと、エリナさんは不意に暗い眼差しで、遠くに視線を遣った。

「でも、できるなら……ユキナちゃんには生で演奏して欲しいわよね」

「……うん。そうだよね……」

 その場合、今の俺たちの作業は徒労に終わるんだけれども……それに越したことがないのは、言うまでもない。

「どっちにしても、新しいヴォーカルは探してみるよ。メインヴォーカルがいるに越したことはないからさ」

「じゃあ、そっちはお任せするわね」

 そうして互いに笑みをかわすこのいっとき……俺は、幸せな錯覚に浸っていた。

 まるでこのまま、俺が学祭に参加することが決まり切っているような。最高の演奏で、最高の思い出を作る……それが約束されているかのような。

 だが、そんな錯覚は、すぐに打ち消された。

 俺とエリナさんが校門を出てすぐのところに、その影は立っていた。

 黒いロングコートに身を包んだその姿は、嫌でもあの化け物を思い起こさせる。俺は自然、エリナさんの前に、彼女を庇うように立っていた。

「アキトくん?」

 だが、妙だ?

 目の前のこいつからは、あの化け物のような、無差別に放たれるような、野獣じみた殺気がない。

 けれど、俺の本能が警告を発している。こいつは、危険だと。

 爺ちゃんに叩き込まれた武術のおかげか、そういったものに俺は敏感になっていた。まあその使い道がリョーコちゃんの鉄拳をかわすため、っていうのが我ながら情けないところだったが。

 右足をやや後ろに引き、拳を固める。相手がどうきても対処できるよう、軽く爪先立ちになる。

 俺が臨戦態勢に入ったことは察しているだろう。だがそれでもこのコートの影は、それを気にも留めていないようだった。

「エリナさん、先に帰って」

「え、でも……」

「いいから!」

「わ、わかったわ……そ、それじゃ……」

 それでもしきりに後ろを気にしているエリナさんが路地を曲がったのを確認して、俺は目の前の影を睨み付けた。

「……誰だ、お前?」

「テンカワ、アキト……だな?」

 影は俺の問いには答えず、逆に質問してくる。だがこちらもそれに答えてやる義理はない。

 肩のギターが邪魔だが、下ろして隙を作りたくはない。体勢を低くしながら、固めた拳を顔の横の高さまで持ってくる。

「そういきり立つな。ここじゃ話もできん。場所を変えよう」

 俺が本気で構えているにも関わらず、影は一向に気にした様子がない。俺なんか、問題じゃないって言うのか?

「断ったら?」

「そのときは、力ずくだな」

 瞬間、強烈な何かが襲いかかってくる。度を超えた重圧に、膝が砕けそうになる。

 だが目の前の影は、一歩たりとも動いてはいない。プレッシャーだけで、こんなことが出来るものなのか……?

「ちょっと待ってもらえないか。そいつには俺も用があるんでね」

 不意に背中から、声がかけられた。少し鼻にかかった妙な発音だが、それでも「流暢な」日本語と言えるだろう。

 男はゆっくりと俺の横に並び、影に視線を向ける。

 ロングコートを袖を通さずに羽織り、真っ黒なサングラスをかけたその男は、確か、ラピスの仲間だったはずだ。

「……まさかお前、真紅の羅刹か?」

 その言葉に、初めて影が反応する。

「おおっとぉ、動くなよ。さすがにこの距離からこいつをぶっ放されりゃ、いくら無敵の個人軍隊(ワンマン・アーミー)ったって、無事じゃあ済まないだろ?」

 ニヤリと笑って少し開いたコートの下で、男は両手に黒い固まりを構えていた。

「……な!?」

 それがなんであるか、俺にもすぐに分かる。おそらく世界中でもっとも有名なサブマシンガン、ウズィだ。

 な、何を考えてるんだ、コイツは!?

 こんなものをこんなところでぶっ放したら、どうなるか分かってるんだろうな!

「……ハンターって言うのは、思っていたよりも無茶な連中のようだな」

「俺は特別だと思うがね。まあ、無茶な奴が多いってのは、言えてるな」

 沈黙が流れる。

 二人の視線が正面からぶつかり合う。

 どれだけの時間が過ぎたのか……そして、最初に引いたのは、影の方だった。

「ここは引いてやるさ。こんなところでやり合うほど、俺も阿呆じゃない」

 くるりと振り返り、影は歩み去っていく。それを見送ってから、俺は腰が抜けてしまってその場にしゃがみ込んでしまった。

「おーおー、そんなに恐かったか」

「冗談じゃないぞ、何を持ち出してんだよ、あんたは!?」

「これか? いやぁ、万一のことを考えたんだがな、持ってきといて良かったって実感してるところだ」

 マシンガンを持ってきて良かった? この男、何を考えてるんだ、まったく!?

 そんな意味を込めた俺の視線を気にも留めず、男は俺の腕を掴むと立ち上がらせて、そのまま引っ張っていく。

「お、おい」

「さて、いくか」

「いくって、何処に」

 いや、何処にってこともないか。コイツらのアジトに、おそらく間違いない。しかし、ラピスの方から引き合わせると言っていたはずなんだが。

「どうして、ここに?」

「色々とついでがあったもんでな。迎えに出向いてきたってわけ」

「はぁ……」

「ま、立ち話もなんだ。そこに車が停めてある。来いよ」

 連れられるがままに、角を曲がると……。

「うわぁ……」

 赤い斜線のナンバープレートは、陸運局の下ろした仮ナンバー。どうやら車も持参で来日したらしい。

 いや、それはいいんだ。問題は、路地裏に蹲っていたコイツの、あまりにも背景とそぐわないこと……。

 ハマーHMMVW……そんじょそこらのオフローダーとは桁が違う。アメリカの軍隊が使う、歴とした戦闘車両だ。

 街を走ってるところを見たことはあったけれど、こんな間近で見たのは初めてだ。

 それにしても、二メートルを上回る車幅は、普段ファミリーカーを見慣れている目には化け物じみて映る。こんな住宅街の路地だと、対向車とすれ違うのも大変だろう。

「すごいもん乗り回してんですね」

 呆れた。それしか言いようがない。だが男は俺のそんな言葉を誉め言葉と受け取ったんだろうか、妙ににやけている。

「おう、高かったぜぇ。まあこの国じゃまだ珍しいだろうけどな」

 そう言って、男は助手席のドアを開け……ふと思い出したように振り返った。

「そういや、まだ名乗ってなかったな。ヤガミ=ナオだ。ま、よろしく頼むぜ」

 着ているモノやサングラスに似合わず、にかっと笑ったその表情は、妙に子供じみていた。

「ちょっと遠出になるからな。ま、乗ってくれや」



 車内のレイアウトは、外見のでかさとはほど遠い。軍用車ということもあるのだろうが、居住性という観点はあまり重視されていないようだった。

 事実、ステアリングを握るナオの姿勢も、かなり窮屈そうだった。

 ディーゼルエンジンの荒々しい唸りと共に、ハマーはゆっくりと動き出した。しかしここまでくると、4WDというよりも……トラックだな、こりゃ。

「そういえば、さっきの奴、知ってるんですか?」

 俺はさっきの影について気になって仕方なかった。どうやらナオは知っているような口振りだったが……。

「直に見たのは初めてだがな。裏の世界じゃ、かなり有名だぜ」

 裏の世界、か。

 そういやアーミーだとか、物騒なことを言ってたっけ。

「真紅の羅刹……本名までは知らん。ワンマン・アーミーとも呼ばれてるな。キャマリラって組織の鉄砲玉なんだが、その二つ名の通り、たった一人で軍隊一部隊に匹敵するって話だ」

「そんな。いくら何でもそんな無茶な」

「俺もそう思ってた。だが、つい一週間ほど前、ハンターの中でも最大規模のチームが、奴に潰された」

「…………」

「そうなると、あながち嘘とも思えない。正直、引いてくれて助かったよ」

 今更ながら、冷や汗が出てきた。そんなとんでもない奴だったなんて、想像を絶するにも程がある。

「でも、何だってそんな奴が俺に?」

「さあな。だが、お前さんを名指しでくるとはな……」

 それきりナオは黙り込んでしまう。俺も会話に花を咲かせる気もなく、ハマーは延々と走り続けるのみ。

 だが、一体どこに向かっているんだ。

 ラピスのくれた地図の場所かと思いきや、ハマーは413号を通り過ぎ、ひたすら16号線を南下していく。このままだと、町田も抜けるんだが……。

「お前、今の自分の身体のこと、詳しく知りたくはないか?」

 不意にナオが話しかけてきた。だが、その内容は、まさに俺が気になっていることの一つだった。

「まあ、そりゃ、知りたいよ」

「まず大前提として……お前はもう、人間じゃない。それは、弁えておけ」

「……」

 解ってはいる。解ってはいるんだ。だが、そんな言い方をされれば、やはりかちんとくる。

「そう怖い顔するなよ。意地が悪い言い方だとは思うが、事実なんだ。受け入れろよ」

 サングラスに遮られ、ナオの瞳にどんな色が浮かんでいるのか、それは読みとれない。

 だがその声からは、本気で俺の身を案じているように思えた。

「話を続けるが、今のお前は、まあおおむね人間と言っても差し支えない。死ぬに死ねないって点を除けば、だがな」

 死ぬに、死ねない……それってもう、人間じゃないような気もするがな。

「人間の身体の血の量は、ざっと体重の8%。お前なら、せいぜい五リットルってところだな。そのうち三分の一を失うと、循環器系が機能を失う……いわゆる出血死ってやつだな。普通の人間なら、ここで大人しく死体になる。ところが、お前の場合はそうはいかない」

 そこまでで、もう良かった。次にナオが口にする内容が、俺にはもう解っていたから。

「失った血を取り戻そうとして、お前の身体は『飢え始める』」

 そう……そして、血を吸う化け物に成り果てる。昨日や一昨日の夜のように。

「なあ……どうしてなんだ? なんで俺は、吸血鬼になったり戻ったり……こんな中途半端なことになったんだ?」

「変身が終わる前に、輸血が間に合ったからだな。お前を吸血鬼にする因子は、いまもお前の身体に残ってる。ただ、そいつが休止してるんだ。お前の理性に縛られてな。まあ、一応は感謝してくれ。見つけるのが遅れてりゃ、見事な生ける死者の仲間入りだったんだからよ」

 そういやラピスも、俺を二度も部屋に運んだって言ってたな。一昨日の晩の記憶のない俺が、翌朝に部屋で目を覚ませたのは、この二人のお陰なのか。

「でも、どうしてあそこに?」

「俺たちも、ロードヴァンパイアを追ってたんだよ」

 道路脇の街灯の光が、俺とナオを照らしては、後ろに飛んでいく。もうずいぶんな距離を走っているはずだ。

「あの日は誰もがロードヴァンパイアを捜していた。檻から逃げ出した猛獣を、連れ戻そうとする連中と、狩ろうとする俺たちと……ま、盛大な鬼ごっこが繰り広げられたってわけだ」

 だが、ロードヴァンパイアはハンターたちの手には渡っていない。

「結局、俺たちは出し抜かれちまって、猛獣は飼い主の手に戻っちまったんだが」

 飼い主……それがラピスが言っていた『敵』に、間違いないだろう。平和な日常を脅かすかも知れない、存在。

 しかし、『保護されている』って話じゃなかったのか? 檻だなんて、そんな言葉からはほど遠いと思うんだが。

「いまお前が狙われているのも、それだ。いざ連れ戻してみれば、どうやら猛獣はすでに獲物を狩った後らしい。さぞ連中も慌てただろうな」

 それは、どういう……。

「襲われたのは誰か、何か証拠は残ってないか……未だに恐々としてるんじゃないか?」

「……さっきの奴は、それで俺を狙ってたんじゃないのか?」

「いや、ロードヴァンパイアを檻に入れてるのは、キャマリラとはまた別の組織さ」

 また、気になる言葉だった。

 ロードヴァンパイアを守ってる連中とはまた別に、敵になるかも知れない(そしておそらくその可能性は高い)連中がいるっていうのか。

 もっと細かく問いただそうと口を開きかけたところで、ナオはハマーを減速させた。

「さて、着いたぜ」

 着いた……一体何処に着いたというのだろう。俺は彼への質問よりも、今いる場所の方が気になった。





[神奈川県 藤沢市 PM7:12]

 てっきり、彼らが拠点にしている場所に連れていかれるものだと思っていたが。やはりというか、結局着いたのは、昨日ラピスから受け取った地図とはぜんぜん違う場所である。

 そこは、放棄された工事現場だった。何を造るつもりだったのかは判らないが、外壁を張ったところで作業が止まっている。

 丘陵の森を伐り開き、工事に着工下はいいものの、大方、建設途中で資金繰りが追いつかなくなったんだろう。首都近郊にはいくらでもある、バブルの名残だ。

「……ここは?」

「俺達がアジトにしている場所……と、馬鹿どもに吹き込んでやった場所さ」

 俺の質問に、ナオは面白そうにニヤッと笑いながら答える。俺には何のことだかさっぱり話が見えないが、ナオはそれ以上の説明をするつもりはないらしい。

「ともかく、お前の中の吸血鬼は、お前の身体が血に飢えている間だけ、目を覚ます。これまでだって、血を吸った直後に正気に戻ってただろ?」

「……そういう、ことか」

 決して思い出したいものではないが、そこはナオの指摘の通りだ。

「飢えさえ癒せば、治まりはつく。だからいざとなったら、とにかく誰かの血を吸うこったな。それでお前は、次に血を失うまでの間は、また吸血鬼化を抑えられる」

「吸えって……そんな、簡単に……」

 冗談じゃない。そんなの、まるっきり化け物と違わない!

 おれは、人間だ。人間なんだ……。

「まあ確かに、誰彼かまわずってのは、困るよな。もしそうなれば、俺達はお前を始末せにゃならん」

「冗談じゃないぞ!」

「まあ聞け。実際のところ、赤い血なら何でもいいんだ。コイツが吸血鬼の身体の不思議であり、便利なところでな。補う血の種類が何であれ、自分に合わせて組み替えちまうんだ。そこらの野良犬やネズミだって構わない」

 野良犬やネズミの腹に食らいつく自分を想像して、吐き気がしてきた。まぁ、人を殺すよりは断然いいが……考えてみれば、血なんてもの、そこいらで簡単に手に入るものじゃない。

「結局、化け物と同じってわけか……」

「いや、違う。奴らは楽しんで殺す。好きこのんで狩るようにならなけりゃ、連中とは一線を引いていられるさ」

「だが、俺は、もう……」

 そうだ。俺は、覚えている。いっそ忘れてしまえれば。

 あのときの、肉を引き裂く感触を。血を飲み下したときの恍惚感を。

「身体が化けりゃ、心も化ける」

 俺の言葉を遮って、ナオは言葉を挿んだ。

「だが身体は抑えられなくても、心を抑えるのは、ある程度は可能だ」

「……どうやって?」

 ナオは後部座席に手を伸ばすと、なにやらごわついた塊を引きずり出した。

「試しに、こいつを着てみろ」

 差し出されたそれは、真っ黒なレザーのツナギだった。

 ライダースーツに見えなくもないが……まるでボンテージよろしく、至る所にベルトやらジッパーやらが巻きつけてある。呆れたことに、ワイヤーで編み上げている場所まである。

 ここまでくると、まるで拘束衣だ。

「何だよ、これ?」

「お前の身体を護る服だ……正確に言えば、お前から身体を護る服、ってとこだな」

 どういう意味だ? さっぱり判らない。

「およそ動物の身体ってのは、パワーと強度のバランスが釣り合うようにできてるもんだ。筋肉が収縮した途端、骨が折れるなんて生き物、いないだろ?」

 そりゃそうだ。それじゃ、生きていけやしない。

「人間がヴァンパイアに変態するときは、骨や筋肉の構造も、比較にならない変質する。ところが、お前が血を失って暴れてる間ってのは、言ってみりゃヴァンパイアでも人間でもない、中途半端な状態なわけだ」

 なるほど、つまり俺はヴァンパイアの成りそこないか。

「だから変質の状態が安定しない。へたすると、パワーが身体の強度を上回っちまうかもしれないんだ」

 お、おい、そんなことも知らずに俺は暴れてたのか……!?

「それを防ぐには、身体を縛り上げて、筋肉の膨張をある程度抑えなきゃならん。窮屈とは思うが、自分で自分の骨を折っちまうよりはいいだろ?」

「……」

 どこか釈然としなかったが、ナオの言う意味も解らなくはない。ジャージを脱ぐと、俺はそのレザースーツに袖を通した。

 硬くて重い革の感触が、容赦なく肌に当たる。はっきり言って、最悪の着心地だ。だが、思っていたほど窮屈な感じはしない。

 それを告げると、ナオは微かに口元を歪めた。

「今のうちは、そうだろうな」

 そしてまた後部座席を探り出す。

「……むしろ肝心なのは、こっちの方だ」

 取り出したのは、さらに奇怪な代物だった。

 一見した印象は、銀色の蟹か蜘蛛。クロームメタルで模造した、人間の手の骨が二つ。それが互いの手首の部分で、なにやら鍵穴のついた蝶番で繋ぎ合わせてある。

「なんだよ、それ……」

 何か嫌な予感を覚えつつ、俺はナオに問いかけた。

「こいつが、お前の心を抑える道具だ。どれ、後ろを向いてみろ」

 有無を言わさず、ナオは俺の肩を掴んで背を向けさせる。そしてクロームのオブジェの蝶番の部分を、俺の後頭部に押し当てた。

 ガシャン!

 突然聞こえてきた、凶々しい金属音。だがそれも驚くに足りない。

 ……いきなり俺の顔にからみついてきた、十本の冷たい指の感触に比べれば。

「……!!」

 悲鳴を上げようにも、うめき声にしかならない。口が開かないのだ。クロームの指が、左右から俺の顎を押さえ込んでいる。

 半ばパニックを起こしながら、俺は顔の下半分を締め上げる鉄の指を掻きむしる。だが、長く硬い指はがっちりと絡みつき、びくともしない。

 何なんだよこれは!?

 声にならない抗議を叫びながら、俺はナオに掴みかかった。

 ナオはどこか俺のそんな様子を面白がっているようで、口元に笑みが浮かんでいる。

「あ〜あ〜、いきなりで悪かった。だがそいつは、異端審問官御用達の審問具だ。吸血鬼の疑いがかかった奴に、そいつを填めて拷問したってわけさ」

 俺はずっと恨みの篭もった視線を向けていたが、そこでナオの表情がいきなり変わる。

「吸血の衝動は、犬歯が伸びるとピークに達する。そうなれば、お前はもう自制できない。だがその猿轡が、それを防いでくれる。それが閉じている限り、お前は理性を保っていられる」

 そんなご託はいい! 外してくれよ! 今はこんなもん、要らないだろ!?

「ま、そいつがお前を立派な猟犬にしてくれるってわけだ」

 掴みかかろうとする俺を両手で押さえ込みながら、ナオの視線が何かを捉えたようだった。

「……お? こりゃ丁度いいタイミングだ」

 見ると、月明かりの中になにやら蠢く影がある。物影から物陰へと身を潜めながら、廃墟へと駆け込んでいく人影。

 五人、六人……いや、それ以上だ。

 細かいところまでは見えないが、皆その手に武器のようなものを持っている。

「さあて、狩りの時間だぜ。相棒」

 そしてまたナオは後部座席に半身を入れて……今度取り出したのは、仰々しい鉄の塊だった。

「……!……」

 黒光りする機関銃。多分、本物……なんだろうな。

 映画で見るような銃よりも、それは異常に大きかった。どうやら一丁のライフルに、ごてごてと色々なパーツを付け加えているようだ。銃身の上には、何のつもりかクロスボウまでが付いている。

 呆然とする俺を残して、ナオはハマーを降りる。慌てて俺もその後を追った。

 一方廃墟の中では、三階だろうか、ガラスも填っていないがらんどうの窓の内側で、フラッシュライトの光線が踊っている。中の連中が捜索を始めたんだろう。

「さてここに取り出したるこのボタン。一体何のボタンでしょうか?」

 なにやら楽しげな様子のナオが、懐から送信機らしいボタンを取り出す。

 おい、待てよ……この展開って……!

「では正解を。ポチっと」

 まるでアニメか漫画のような軽い調子で、ナオがボタンを押した。

 予想通りと言えば予想通りに、刹那、耳を聾する爆音が轟く。衝撃波が粉塵を伴って、廃墟の中から噴き上がった。

 って、待て待て待て待て! 中にいたはずの人間は、どうなった!?

「ふむ。もう少し来るかと思ってクレイモアを四つ仕掛けといたんだが……ちょっと勿体なかったな。どうせ、効かねぇ奴には効かねぇし……来るぜ、相棒!」

 目の前の光景に衝撃を受けて立ちつくす俺に声をかけながら、ナオは手早くマシンガンの各所を操作する。冷たく滑らかな作動音が、まるで楽器のようにリズミカルに鳴り響く。

「正直言うとな、俺はまだお前を信じ切れてない。お前が獣になりきらず、理性で戦えるのか……ここで一つ確かめさせてくれ」

 確かめるって、何を!? 話が見えないぞ、おい!

「まあ昨夜の活躍ぶりもあるしな。期待してるぜ、ヴェドゴニア」

 まさか……まさか。

 ようやく俺は、ナオが意図していることに気が付いた。だがもう決定的に遅い。引き返すことの出来ないところまで、やってきてしまっている。

 ナオはここで始める気なんだ。狩り……つまり殺し合いを、俺を巻き込んで!

「ん? どした?」

 軽い調子で声をかけてきたナオに、俺は必死に頭を振って拒絶の意志を伝えようとした。

「ああ、そうか。丸腰は嫌だよなあ、やっぱり」

 ……ぜんぜん伝わってない。伝わってないよ……。

「よし、これを使え」

 ナオはベルトから、見るからに凶々しいデザインのナイフを抜くと、俺に放ってよこした。

 アフリカ投げナイフを彷彿とさせるような、その姿。持つ方の手が逆に切れてしまいそうな、そんな危ういデザインだ。

「力を解放する方法は、さっき話したとおりだ。そいつで首を切れば、変身できるぞ」

 ちょっと待て! 首をって……こいつでか!?

 怒鳴ろうにも声が出ない。仕方なく俺は、激しく頭を振って否定した。

「そう駄々をこねられてもな、もう遅いって……お?」

 言いかけた言葉を止めて、ナオが廃墟に注意を戻す。まだ濛々と粉塵を漂わせている廃墟の中から、黒い人影が躍り出る。

 高さは五階……ゆうに十五メートルはあるというのに、そいつは軽々と身を捻って着地すると、悠然とこちらに詰め寄ってくる。

 さっき、廃墟に進入していった男達の一人……身を包む外套はズタズタに引き裂かれているが、当人は何ら手傷を負っている様子がない。

「さあて、来たな。一人ぐらいはいると思ってたが……やっぱりだ」

 こいつも、そうなのか?

 俺が判断をあぐねていると、廃墟の裏手から光が射し込んできた。

「チッ、二手に分かれていやがったのか。おい、俺は向こうを受け持つ、そいつは任せたぞ」

 任せたって、ちょっと!

 しかしナオは俺の必死の様相を振り返ろうともせず、ライフルを構えて走り出してしまう。

 残されたのは、ナイフを手にした俺と、外套の巨躯。

「シィィィィ……」

 爛々と赤い目を光らせながら、喉の奥から湿った唸りを洩らす。その外套が千切れ、裂けて……その下から人間のものではない、まったく別の肢体が露になる。

「キシャァァァァッ!」

 また、か。またこんな、化け物が……。

 両手にマシンガンを構えた蟻の化け物。奴は俺に向かって突進してくる。

 俺は迫ってくる奴の眼光から目を逸らせず、案山子のように棒立ちになって……。

 くぐもった破裂音と共に、銃口から火花が散る。灼熱の弾丸が腹を貫き、弾かれるようにして俺は後方へと吹っ飛ばされていた。

 もう、これで三度目だ。

 死にやしないとは、教わっている。だが、どくどくと流れる血に浸かって、その温もりを、冷えていく身体で感じるなんて……こんなおぞましい感覚など、味わいたくはない。

 それに何より……この後に待ちかまえているのは、とっておきの悪夢だから。

 ああ、全身の細胞が絶叫している。俺の中で息を潜めていた、何かがその目を覚ます。

 俺は、また……変わるのか……。



 ビクンッ。

 脱力しきった腕が、電撃を受けたように痙攣した。

 それをきっかけに、脚が、胸が、身体中が、荒々しく猛り狂うエネルギーに蹂躙される。

 全身の細胞に、新たな力が吹き込まれる。

 気が付けば、ぶかぶかだったはずのレザースーツが、はち切れんばかりに突っ張っていた。膨張した筋肉が、拘束具をみりみりと押し拡げる。

 ガアァァァァァァッ!!

 雄叫びと共に、俺は目の前にいる奴に向かって大地を蹴る。奴も咄嗟に弾幕を張るが、右に左にステップを踏み、それをかわしていく。

 懐に飛び込むと同時に、空気を裂いて突き出した左の貫手が、触覚を根本からへし折っていく。

 蟻の化け物は、痛みに耐えかねて絶叫するとともに、狙いもなく出鱈目にマシンガンをぶっ放す。だがそのときには、もう俺は奴の背後を取っていた。

 ヒュンッ。

 風切り音とともに、右手に持ったナイフを振るう。

「キシャァァァァッ!?」

 ちぃっ、少し浅かったか。ナイフの刃は外皮を傷つけただけに終わり、続けて突き出した一撃を、奴は飛び上がって避ける。

 そのまま空中から、両手のマシンガンをフルオートで連射する。マガジンが空になると、すぐに空いている腕でそれを補充している。

 ふん、昆虫ならではってことか。

 だが俺もやられるばかりではない。上から攻め込まれないよう、廃墟の中へと駆け込んだ。

 廃墟の中は照明などあるわけもなく、月明かりも届かない今、全くの暗闇だった。

 柱に背を付けて、神経を研ぎ澄ます。哀れな獲物が、この俺の領域に飛び込んでくるその瞬間を逃さないために。

 来た!

 微かに聞こえてくる足音。そしてマガジン同士が触れ合う微かな音。気を付けてはいるんだろうが、今の俺には丸わかりだ。

 音から位置を割り出し、その背後を取るように動き出す。

 すぐ後ろまで近づいても、向こうに気付いた様子はない。逆手にナイフを持ち替え、体勢を低くする。

「ガァァッ!」

 奇声を上げて一直線に突っ込んでいく。いきなり現れた俺に泡を食っているのが手に取るように解る。

 ククッ、イクゼェッ!

 ……違う!

 俺はそんな、楽しんで狩るようなバケモンじゃない!!

 俺の逡巡はほんの一瞬だったろう。

 だが蟻男はその一瞬に、咄嗟にマシンガンをぶっ放して弾幕を張る。マズルフラッシュが暗闇を灼き、凶弾がばらまかれる。だがその弾丸は虚しくコンクリートの床を砕いただけだった。

 なぜなら蟻男が振り返った瞬間に、俺の身体は宙を舞い、ぐるりと逆さまになって天井を駆けていたからだ。

 そのまま天井を蹴り、回転しながら蟻男を飛び越えてその背後を取る。そしてそのまま、落下する勢いを乗せて、顔面にナイフの刃を叩き込む。

 ガシィッ!

 だがその刃は、相手が咄嗟に掲げたVZ61……スコーピオンによって阻まれていた。半ばまで食い込んだナイフは、簡単には抜けそうにもない。もちろん向こうの獲物も使いものにならないだろうが……。

 蟻ガ、蠍ナンザ使ッテンジャネエ!

 すぐにナイフから手を離すと、がら空きの頭部に向けて右のハイキックが唸りをあげる。

 まともに臑が側頭部に入り、コンクリートの上を滑るように吹き飛んでいく。どうやら勢いが良すぎて、外にまで飛び出してしまったようだ。

 俺はこみ上げてくる笑いを噛み殺すと、奴が落としていったスコーピオンからナイフを抜き取った。

 そろそろ、終わらせてやる……。



 もう一班には大して人数を割いていなかったらしい。おそらくは逆襲撃を警戒しての見張り役だったのだろうが……それにしても手応えがなさすぎた。

「ったく、もっとマシな奴をよこせっての」

 吐き捨ててみるが、そのマシな奴はいまヴェドゴニアが、アキトが相手をしているはずだ。

「ま、とっとと様子を見に戻りますか」

 ライフルのマガジンに充分な弾丸が残っているのを確認し、ナオはまた廃墟の正面へと駆け出した。



 俺と蟻男の戦いは、一進一退の展開になっていた。蟻男はマシンガンの長所を生かして弾幕を張ってくるのに対し、俺はそれをかわして接近しなければ攻撃が届かない。

 もちろん銃弾をかわすこと自体は出来ないことはない。事実、何度となく接近を果たしている。だがかわすことに重点を置くあまり、どうしても今一歩のところで踏み込みが甘くなる。

 このままなら向こうの弾薬が尽きるのを待てばいいのだが、そうも言っていられなかった。

 俺の中から、早くしろと叫ぶ声が聞こえてくる。

 ハヤク、ハヤク、ハヤク、カレ。

 熱クシタタル、血ヲ飲マセロ。

 コノ手デ肉ヲ引キ裂イテ、極上ノ血ヲ、味ワワセロ。

(黙れ……!)

 だが、このままではいずれ、この声に呑み込まれてしまう……理性を保てるかって、こういうことかよ……!

 よし。俺は賭に出る決心を固めた。

 相手の呼吸を読みながら、ナイフを持ち替える。今まではグリップをしっかりと握っていたが、今は軽く指で挿むようにする。

 左右に走り続け、狙いを定めさせないようにしながら、距離を詰める。それを見て取って、蟻男は残ったもう一丁のウズィの銃口を掲げた。

(いまだ!)

 素早くその手首に向けてナイフを投げ放つ。闇を裂いて飛んでいくその鋭い刃は、狙いを違わず蟻男の手首に突き刺さった。

「シギャァァァッ!」

 痛みと衝撃で、その手からウズィがこぼれ落ちる。それを確認するかしないかのうちに、大地を蹴って猛然とダッシュする。

 間合いがつまり、一足飛びに飛び込める位置まできたところで、俺は右手を掲げて貫手を作った。

「シャァァァァッ!」

 俺の接近に気が付いて、蟻男がその顔を上げる。そして、大きく開いたその顎から、強烈な異臭のする液体を吐きかけてきた。

 地面に落ちたその液体は、激しい煙と共にその場所を焼いていく。だがそこに俺の姿はない。相手が蟻だと解った時点で、酸を吐いてくるだろうってことぐらい、察しが付いていた。

 俺の姿を見失い、蟻男は慌てて周囲に首を巡らす。だがそいつが俺の居場所に気が付いたときにはもう、チェックメイトだ。

 ガチャリ。

 酸をかわして滑り込んだ奴の足下で、拾い上げたウズィの銃口を真上に向ける。この位置からぶっ放せば、外しようがない。

 ゆっくりと、人差し指に力を込める。わずかな重みと共にそれは容易く弾かれ……火花が散った。



 ナオがその場についたとき、丁度決着が付いたようだった。地面に転がるアキトが手にした、ウズィの火線が次々とキメラヴァンプを貫いていく。

 まるで操り人形のように、がくがくと不可思議なダンスを踊った後、キメラヴァンプはその身をゆっくりと横たえる。

「まあ、役者が違うってところだな」

 吸血鬼の力は、その血を啜った、いわば親の力によって決まる部分が大きい。ロードヴァンパイアの継嗣たるアキトは、キメラヴァンプごときが相手になるようなものではないのだ。

「さて、一仕事しますかね……」

 コートのポケットに手を突っ込みながら、ナオはアキトと痙攣するキメラヴァンプの元へと歩み寄っていった。



 ガリッと嫌な音を立てて、俺の歯が固く咬み合わさった。

 顎を縛めるマスクのせいだ。力強く膨張する犬歯と、それを締め付けるクロームの指。その板挟みになった歯茎が軋み、猛烈な痛みが俺を襲う。

 俺は我を忘れて顔を掻きむしった。

 痛い……滅茶苦茶に、痛い!

 早く、早くマスクを外さないと、このままじゃ顎が砕けちまう!!

 その恐ろしい痛みの中で、ふいに俺は思い出していた。

 血を吸え……それでひとまず身体の変形は治まると、たしかナオは言っていたはずだ。

「おお、良くやったじゃないか」

 振り返ると、ナオが悠々とこちらに歩み寄ってくる。その指先で、小さな鍵を弄んでいる。

「……もうすぐ、悪夢は終わるからな」

 ナオは俺の首値を掴むと、猿轡の蝶番に、その鍵を差し込んだ。

 鈍い金属音と共に、解放される俺の顎。その途端、俺の口は弾けるように大きく開き、弓なりの犬歯が一気に伸び上がった。

 すぐに横たわる蟻男の首根っこを掴み、持ち上げる。未だ痙攣するその首筋に顔を近づけ、そして……。

 ずぶり。

 そこから先は、よく覚えていない。だが、それでも喉の奥を流れていく血の甘さと暖かさは、くっきりと覚えている……。

 気が付いたときには、俺は地面に大の字になっていた。燃え上がる炎の明るさで、空は白んでさえ見える。星など期待できそうもない。

 首から上を巡らせて、あの化け物がどうなったか確認する。見ればナオが呻き声を上げるそいつを爪先で蹴り起こし、仰向けにしていた。

「さて、仕上げだ」

 マシンガンの上のボウガンに、極太の銀製の矢がつがえられる。

「灰は灰に、塵は塵に!」

 動かない相手を狙うのは、造作もない。ナオが放った銀色の矢は、狙いを違わず心臓を貫いていた。

「ギャァァァァァァッ!!」

 二度と聞きたくなかったその絶叫と共に、青白い炎を上げながら、化け物は見る見るうちに崩れ去っていく。

 その光景を視界の隅に止めながら、悲しくて、悔しくて、俺は強く拳を握りしめていた。

「畜生……」

 チクショウ……。

 俺は……俺は……。

 俺は……人間だ……人間……なんだ……。

 だが、それがただの誤魔化しにしかすぎないことを、他でもない俺自身が良く分かっていた。

 涙が、止めどなく溢れ出してくる。

 俺は……もう……。

「辛いとは思うがな。早く、認めちまったほうがいい。結局、その方が辛くねえもんだ」

 見上げれば、そこには俺のそばにしゃがみ込むナオの姿があった。その表情までは、さすがに読みとれないが。

「けどよ、お前はまだ、人間だ」

 涙で歪む視界の中で、それでもナオが笑っていたような、そんな気がした。

「そうやって涙を流せるうちは、そうありたいと願っているのなら……お前はまだ、人間だ」

「…………ありがとう」





...EPISODE03 END











<次回予告>

 多分、どこかで予想はしていたんだろう。

 多分、そういうこともあるんだろうと、解ってはいたんだろう。

 だが、現実に目の前にしたとき……俺は、心の底から奴らを憎んだ。

 俺には、力がある。

 ならいまこそ……それを振るおう。


 EPISODE04 「決意」







<あとがき>

 仮面ライダーアキト、第三話です(激違)。

 残念ですが、キックで敵は倒しません。最後のとどめは、「咬み付き」です(苦笑)。

 いや冗談はさておき、本気で仮面ライダーですからねえ。シナリオライター自ら「仮面ライダーで吸血鬼な風味も添えて」書き始めたことを、マニュアルで認めてますし(笑)。

 プレイしてすぐに、タイトルの付け方や時刻・位置表示なんかがクウガだって判りましたからねえ(バレバレですけど)。

 さて、ゲームに比べるとラピスとナオが最初から比較的好意的です。ラピスはともかく、ナオはこれで好意的なんかい、と思う方もいるかも知れませんが、元キャラは本当に喧嘩売ってきますよ〜。ラストの会話なんか、絶対に有り得ません。

 さて、これまではゲーム版とほぼ同様に展開してきましたが、次話、そして次々話から徐々に外れ始めます。

 そして、物語は「業火の亡霊」たちとクロスし始めます……。



 それでは、次の夜の闇の中で……。

 

 

 

代理人の仮面舞踏会(マスカレード)

 

先日、しゃぶしゃぶさんの甘言に乗せられて熱烈なプッシュに興味をそそられて

中古屋で・・・は売ってなかったので友人の家に強襲を掛けて「ヴェドゴニア」を奪取。

日曜ほぼ丸一日使ってファーストプレイを終了しました。

や、面白い! 特にテキストには上手いというだけではない独特な味があります。

ただ、その手の文章の常で誤字脱字が妙に多い(例:某洗脳探偵(爆))のは気になる所ですが(苦笑)。

 

それはさておき作品の感想ですが、

・・・う〜む、ほぼゲーム通りなんで書くことがない(笑)。

ただ、作者ご本人も書いてらっしゃる様にナオさんが妙に好意的ですね。

ここだけの話、モトネタのキャラはむしろテツヤに近い性格の悪さを誇ってましたから(爆)。

 

後ちょいとばかり気になるのが恐らくヴァンパイアの組織である「キャマリラ」。

「真紅の羅刹」ももちろん気にはなるのですけど、ね。