[多摩市 松が谷 AM7:55]

 身支度を全て終えると、俺はベッドに腰掛けて待っていた。

 昨日の夜は、長かった。今朝早く、部屋に戻ってきたときにはくたくたで、倒れ込むようにベッドの上に横になった。

 だが、まだ眠れない。

 まだこれから、もう一仕事残っている。

 本当なら、俺の一日は、いまこれから始まるはずだったんだ……。










「VJEDOGONIA」

EPISODE05 「楽師」












 八時を、少し回った頃。

 思った通りの時間に、玄関のチャイムが鳴った。

 続いて聞こえてくる、返事も待たない遠慮のないノックの音。

 どうせチャイムになんか応答しない、そう判っているリョーコちゃんだからこそ、だ。

 合い鍵を取り出して、それでドアを開けるまでの……まあ言ってみれば、儀式みたいなものだ。さすがに、いきなり踏み込んでくるほど無分別じゃない。

 重い身体に鞭打って、俺は鞄を手に立ち上がった。ゆっくりとした足取りで玄関に向かい、靴を履く。

 そうと気付くはずもないリョーコちゃんは、遠慮なく合い鍵で玄関の鍵を開け……。

「うわぁっ?」

「や、おはよ」

 俺と鉢合わせして、ドアを開けたままの体勢で素っ頓狂な声を上げた。そんな彼女に俺は、何事もなかったかのように挨拶を返すと、その脇を通り抜けて外に出る。

「お、おい、アキト!?」

 アパートの階段を下りる頃になって、ようやくリョーコちゃんは驚きから立ち直ったらしい。玄関に鍵をかけようとしているが、焦っていて上手くいかない。

 そんな彼女の様子が、俺は無性に掛け替えのない物のような気がして、口元に笑みを浮かべていた。

「なに、リョーコちゃん?」

「なにって……どうしたんだよ?」

「なんだよ、俺だってたまには早起きするよ。そんなに驚く事じゃないだろ?」

「んな、こんな前代未聞のことがあるかよ!?」

 我ながらひどい言われようだ。まあ、反論できないのも確かだけれど。

 そうなると、失敗だったか?

 眠ってるふりをしていた方が、怪しまれずに済んだかもしれない。

 だが、布団の中でリョーコちゃんをおとなしく待っていられるほど、いまの俺は役者になれる自信はなかった。

 いまの神経の尖りきった俺に、そんな真似、出来るはずがない。

「まぁ、いつも言われてるしね」

「それで生活を改める気になったって?」

 言いながらも、疑わしげな目でリョーコちゃんは俺を凝視する。

 その視線に苦笑しながら、俺は止めていた足を動かし、階段を下り始めた。

「その顔、嘘ついてるときの顔だぞ」

「え? なに言ってんだよ」

 内心、冷や汗の出る思いだった。だが、なんとしても誤魔化しきらなきゃならない。もともと浮かべていた苦笑を強めて、俺は先に歩いていく。

「……実はさ。寝ぼけてベッドから落ちちゃったんだよね、これが」

「……ぷっ」

 リョーコちゃんは口元を押さえると、俺の肩を思い切り叩く。

「バッカじゃねえのか、お前?」

 どうやら、かなりの説得力があったらしい。失敗談を、無条件で信用されるのも、複雑な気分だが。

 それでも、本当のことを知られるよりは、よっぽどいい。

「でもよ、いっそ習慣づけてみたほうがいいんじゃねえのか? 毎朝ベッドから落ちてれば、朝に余裕ができたりして」

「いくらなんでも、それは……」

 端から見れば、幼馴染みの交わす何気ない会話だろう。しかしその間、ずっと俺はリョーコちゃんの一挙手一投足に神経を配っていた。

 何か、気付いた様子はないか?

 俺の態度を、見破ってはいないか?

 身体に付いた血の匂いを、嗅ぎ取ったりはしていないか……?

 思いを巡らせれば、きりがない。そして、それをはっきりと確かめることもできない。

 けれど、何が正常で何がおかしいのか、俺の中で曖昧になってきている。あまりにもあの鉄臭い匂いに馴染んでしまって、自分の不自然さに気付く自信が、ない。

「でもよ、これが習慣になるかどうかは微妙だな、やっぱ」

 苦笑混じりに、リョーコちゃんはそんな皮肉を言ってくる。

 いつもの、日常の、光景。

 いまの俺にはそれが、何よりも代え難い宝石のように眩しく思えた。

 こんな平和な日常の裏側で、沢山の人が死んでいるって……実感できるかい?

 知識としては知っている。けれど、透明なガラスで仕切られた、遠い向こうの出来事の気がどこかでしていて、実感できる奴なんて、そうはいない。

 けれど。

 それを実感せずに生きられること。それがどんなに幸せなことなのか。

 目の前で、死んでいったあの女の子。俺がもっと上手くやれば、助かったかもしれない子。あの姿を思い浮かべる度、胸の奥が、鋭い棘が刺さったように痛む。

 俺がそんな世界に足を突っ込んでるなんて、リョーコちゃんには想像もできないだろう。もしそんな俺を知ってしまったら、どう思うんだろう。

 いまの俺は、君たちと同じ世界に生きては……いないんだ……。





 いつもより電車一本早いだけなのに、教室の様相はだいぶ違っていた。クラスメイトは、まだ半分ぐらいしか来ていない。

 ともかく、まずは一心地つける……俺は自分の席に着くと、深く息を吐きながら机の上に突っ伏した。

 ひとまず、午後までは……休めるんだ……。





『……アルガ……』

 いつか見た、森の中。何処かから、声が聞こえてくる。

『……アルガ……』

 その声が鼓膜を揺さぶる度、なぜか、たまらなく切なくなる、悲しくなる。

 気がつけば、俺はまた彼女の膝に頭を乗せ、大地に横になっていた。

 視界に映る彼女の瞳は、その蒼い輝きがどこかくすんで見えた。何が彼女を悲しませるのか、その顔を曇らせるのか。

 笑顔が、見てみたい。

 この娘(ひと)の、笑った顔が見たい。

 愁いに沈む彼女の顔を見つめながら、俺の心にそんな思いが沸き上がる。

「……答えて……」

 美しいその唇から、言葉が紡がれる。そう言えば、彼女の声を聞くのは、これが初めてだった。初めて聞いた彼女の声は、どうしてだろう、どこかで聞いたような気がする。それも、遠い昔に……。

「……お願い……答えて……貴方は、本当に……アルガなの?」

 聞き慣れぬ、その単語。だがそれがなんなのか、考える前に俺はつい、頷いてしまった。そうしなければならないと、そう思わせるほどに彼女は悲しげだったから。痛ましいほどに、切実だったから。

 けど……アルガって?

 戸惑う俺の上に、彼女の身体が覆い被さってくる。

 伝わってくる、温もり。肌の柔らかさ。身体全体で感じる、彼女の重み。

「アルガ……愛しい人……」

 気づかぬうちに、俺の身体は動き出していた。ゆっくりと持ち上げられた腕が、吸い寄せられたかのように、彼女の身体を抱き寄せる。

 よくは、判らなかった。けれどそのとき、確かに俺の心は、安らぎを覚えていた。

 ……この、ロードヴァンパイアを相手に。




 俺を夢の世界から引きずり戻したのは、鳴り響いた予鈴だった。欠伸を噛み殺しつつ、日直のかける号令に、条件反射的に追従する。

 ふと時計に目を留めると、まだ朝のHRの時間だった。ほんのうたた寝程度のものだったわけだが、その割には随分と進展があった気がする。

 その内容が役に立つかは、別にしてだが。

「今日は転校生がいるぞ。入ってきなさい」

 転校生?

 再び眠りに落ちようとしていた俺の意識が、担任のその言葉に引き戻される。

 そして、教卓側の扉を開けて、彼女は入ってきた。

(な……!?)

 我ながら、よく自制できたと思う。

 思わず出そうになった声を押し殺し、浮きかけた腰をゆっくりと戻す。だが全身に走る緊張と震えは、止めることができなかった。

 腰まである、鮮やかなまでに真っ赤な髪。

 女子にしてはスラッとした長身。だがスレンダーな体型のためか、大柄という印象はない。

 人懐こそうな笑みを浮かべた、少し垂れた感じの瞳。

 漂わせている雰囲気からして、あまりにも違う。

 だが……。

「影護枝織です。よろしくお願いします!」

 明るい声でそう告げた、その転校生は……あまりにも、よく似ていた。

「北、斗……?」

 思わず俺の口を、ナオから聞いていた、真紅の羅刹の本名がついて出ていた。出してから、正気に返って周りを窺う。どうやら俺の呟きは、誰の耳にも届いていないようだった。

「テンカワの隣が空いてるな、テンカワ!」

「は、はい!」

 担任に呼ばれ、慌てて返事を返す。

「それじゃあ影護さんはそいつ隣の席に。教科書とか、なければ見せてもらえばいい」

「はい♪」

 いまにも踊り出しそうな調子で、影護枝織という名のその少女は、俺の隣にやってくる。良く、似ている。似ているが……北斗とはあまりにも違う。

 しかし、他人の空似の一言と切って捨てるには、あまりにも似すぎている。

「よろしくね」

「あ、ああ……」

 ニッコリと笑って、話しかけてくる。それに気圧されるようにしながらも、俺も彼女に挨拶を返す。

「……!?」

 ん?

 なんだ……一瞬、彼女の周りの空気が、変わった?

 それは一瞬だった。だが、いまの俺にはそれがどんなものだったか、良く解る。

 他でもない、命のやり取りの真っ直中の、あの冷たい空気だったから。






 イネス・フレサンジュは、自身の研究データをまとめる作業に追われていた。

 これまでV・ウォーリアをはじめ、イノヴェルチ内で『Vプロジェクト』と呼ばれていたこのチーム。その頂点にいた彼女だったが、その地位からの転落がそう遠くはないことを、予感していた。

 彼女自身、望んで始めた研究ではない。イノヴェルチに圧力をかけられ、スタッフとして加わっているうちに……気がつけばこの地位にいた。

 一度上り詰めてからは、逆にこの地位を有効に使ってきたつもりだった。それとは悟られぬように研究をわざと遅らせ、兵器としての『キメラヴァンプ』の完成を引き延ばす……もっとも、結局はキメラヴァンプは完成し、実験段階の域をとうに超えている。

 だが、彼女の力がなければ、完成はもっと早まっていただろう。もしかすると、実際にどこかの戦場に送り込まれていたかもしれない。

「でも……偽善よね、結局は」

 かつて恩師と仰いだ、テンカワ博士がいまの自分を見たら、なんと言うだろうか。

 どんな罵詈雑言をも浴びる覚悟は出来ている。だがあの人は違うだろう。ただじっと考えて、そしてゆっくりとした口調で、こういうに違いない。

『それが、君の選んだ道なんだね』と……。

 どんな非難の言葉よりも、深く自分の胸を抉ってくる。合わせ鏡に、自分の醜い部分を映し出されたような、そんな思いがする。

「けれど……私は、この道を選んでしまいました……」

 どんなに謝ったところで、償える罪ではないと知っている。そのような術が、あろう筈もない。

 だが口惜しいのは、自分の代わりにその地位につくであろう人物が、あのヤマサキという男に違いないことだ。

 確かに、あの男は科学者としては優秀だ。天才と言っていい。

 もちろん彼女も、自分が天才と賞されるに値する才能を持ち、それを磨いてきた自負がある。だが彼と自分では、決定的に違うものがある。

 倫理観。

 自らがモラリストだとは思わないが、それでも人としての倫理は持ち合わせているつもりだ。そしてそれが、科学者としての己を批評する目でもある。

 だがあのヤマサキの持つ倫理観は、どこまでも研究者としてのものであり、探求者のものなのだ。

 真実を求めるためなら、どんな犠牲をも厭わない。いや、犠牲を犠牲とすら思わない。自分の求めるもののためならば、何だって出来る。

 キメラヴァンプの研究は、飛躍的に進むだろう。彼女が意図的に遅らせていた分と、ヤマサキの研究者としての性がもたらす分。

 それが解っていて、止めることができない自分が、もどかしい。

 ヤマサキは自分を部下として用いようとはしないだろう。人間として正反対の存在だと、彼も知っているはずだ。だから、彼女にここでの明日はない。

 だが、それでも彼らは自分を殺しはしないだろう。自分の頭脳を完全に潰すこと、それがもたらす不利益を、イノヴェルチは良しとはすまい。

 せいぜいどこかの研究所で飼い殺し……それが、自分を待ち受ける運命に違いない。

「ふう……」

 自嘲気味な笑みが浮かぶ。

 罰が、当たったんだろうか。

「だとしたら、随分と微笑ましい罰だこと」

 地獄の業火にその身を灼かれても、まだ自分には足りないだろうに。

「ずっと一人で籠もってるから、独り言が増えるんだぞ、ドクター?」

「アオイくんね? 盗み聞きとは、あまり感心しない趣味ね。まあ、もっとも、貴方なら聞くつもりがなくとも、聞こえてしまうのかもしれないけれど」

 手を止めて、座っている椅子をぐるりと回して振り返る。研究室の扉の脇に立っている、アオイジュンと目が合った。

「それで? まさか最後の逢瀬に、なんて柄じゃないわよね、貴方は」

 妖しげな微笑を浮かべ、イネスは足を組み替える。そんな彼女から顔を赤くしつつ視線を逸らし、ジュンは彼女の机の側までやってくると、その上に持っていたテープを置いた。

「あら、何かしら」

「例の襲われた集餌所。そこの監視カメラの映像だ。僕の直属の部下が持ってきた、ヤマサキも知らないはずだ」

「……何が映っているのかしら?」

「その意見が聞きたくて、持ってきたんだ」

 イネスの答えを聞かず、ジュンはモニターに備え付けのビデオにテープを入れる。嘆息するイネスを後目にリモコンを手に取ると、再生ボタンを押す。

「角度が悪いわね……音声も聞き取りづらいし」

「警備カメラに、あまり期待はしないように。これでも一番マシなやつだそうだから」

 画面には特に変わったことは見受けられない。ボタンを押して、早送りにする。ビデオに表示されたカウンターが進んでいく。大体、十五分ほどしたところだろうか。

 人影が三つ、ドアの前で何事か言い合っている。角度が悪いせいで顔までは確認できないが、一人は黒い、身体に合ったレザースーツを、もう二人はコートで身体を覆っている。

「ん? この長髪、もしかして真紅の羅刹か?」

 ジュンが、不意に声を上げる。

「真紅の羅刹?」

「ああ、キャマリラの……恐らくは最強の手駒」

 今度出てきた名前には、イネスも聞き覚えがあった。ロードヴァンパイア、ミスマル・ユリカを姫と仰ぐ、言ってみれば狂信者の集団だ。

 もっとも、科学という現代の宗教の狂信者である自分に、彼らをどうこう言う資格はないだろうが。

「こいつら……ハンターじゃないのか? どうして真紅の羅刹が行動を共にしている?」

「確かに……奇妙な話ね。ハンターにしてみれば、キャマリラもイノヴェルチも大差ないでしょうに」

 映像は続く。部屋の中から、オクトパスヴァンプが飛び出し、壁に叩き付けられる。すぐにそれを追うようにして、黒いレザースーツの男も飛び出してきた。

 だが、その男が異常なのは、見てすぐに解った。

 口に填めた妙な猿轡。一回りは大きくなっただろう体躯。そしてその人間離れした動き。それがDの言っていた『ヴェドゴニア』であることに、まず間違いないだろう。

 だが、その動きに対しての二人の印象は、あまりにも違っていた。

「しかし、すばらしい動きね」

「力に振り回されているな、動きがまだまだ鈍い」

 まったく異なる感想が、同時に二人の口から発せられる。

「これで……まだ鈍いって言うの?」

「ああ。こいつが本当にユリカの牙を受けたのなら、こんなものじゃない」

 画面の中では、丁度ヴェドゴニアがオクトパスヴァンプを滅多打ちにしているところだ。その暴れ振りからは、理性の欠片も見てとることができない。

 だが、それだけにその残虐性や恐ろしさが実感できる。見る見るうちにオクトパスヴァンプの肉体が砕かれ、削ぎ落とされていくのが、画面でもはっきりと分かる。

 そのあまりの凄惨さに、イネスが思わず口元を抑えて目を逸らそうとしたとき、スピーカーから流れてきた声が、その意識を繋ぎ止めた。

『もういい! アキト!』

 ほんの一瞬ではあったが、ビクリと肩が震えるのを、イネスは止めることができなかった。

 そして、画面の中でヴェドゴニアが人間へと変貌していく。廊下に大の字になったため、その顔がやや遠いものの、丁度正面から捕らえられる。

「……!?」

 思わず漏らした呟き。それを、ジュンは聞き逃してはいなかった。

「……ドクター、いまのを見て何か意見があるかい?」

「……そうね。いま現在のキメラヴァンプじゃ、役者が違うってことかしら。あのレベルのV・チューンドを造り出すのは、ヤマサキでも骨じゃないかしらね」

 それが、救いといえば救いか。少なくとも、何から何までヤマサキの思い通りにはならずに済みそうだ。

「分かった。手間をとらせたな」






 授業中、それとなく彼女の様子を探っていたが、朝の一件以来、影護枝織の周囲にあの空気が立ちこめることはなかった。

 ただ、いまの俺にとってそれよりももっと重要なことがあり……。

「ねね、アー君、何か部活とか入ってるの?」

「影護さん、静かにしないと、先生に聞こえちゃうよ……」

「ぶぅ〜、『影護さん』じゃなくて、枝織って呼んでよ〜」

「あ、あはは……」

 どういうわけか、俺は彼女にとても気に入られてしまったらしい。授業中もひっきりなしに話しかけてくる。そのおかげで、どうにも眠れない。

 ウトウトとしかけて、瞼を閉じたところで、すぐに彼女の声がその眠りを妨げる。そんな中途半端な状態がずっと続いたおかげで、俺の体調はまさに最悪だった。

 だがそれも、もうしばらくの辛抱だ。四時限目の授業が終わるまで、もう五分もない。昼休みが、待ち遠しい……。

 そして、終業のチャイムが鳴る。

 日直の号令で立ち上がり、礼。例によって条件反射的な反応で、俺もそれに従う。

 教諭が教室を出ていくと、まるで糸が切れたように、俺は椅子に崩れ落ちる。

「おっ昼っだおっ昼♪ あれ、どうしたのアー君?」

 そんな影護さんの声に答える気力も湧いてこない。授業中に眠っているのも、体力を温存するのに役立っていたんだと、実感する。

 とにかく、少しでも身体を休めないと。この時間は、いまの俺にはきつすぎる……。

「ね、アー君。本当に大丈夫なの? 顔色が悪いけど……」

「はは、大丈夫だから。だから、ちょっと休ませて、影護さん……」

 そしてまた、俺は眠りの世界へと落ちていく。

 今度こそ、確実に……。

「もう! だから枝織って呼んでって言ってるじゃない!」

 落ちることは、許されなかった。彼女の甲高い声が、俺の意識を否応なしに現実に引き戻す。夢の世界に再び旅立てるのは、いったい何時になることか……。

「おう、アキト! 昼飯食いにいこうぜ!」

 よろよろと顔を上げると、リョーコちゃんとエリナさんの顔が飛び込んできた。

 にこやかだった二人の顔が、途端に曇る。やばい、調子が悪いの、やっぱり隠し切れてないか……?

「なあ」

「ねえ」

 二人の声が重なる。説教の一つも聞かなきゃ駄目かな、こいつは。

「「その子、誰だよ(なの)」」

「は?」

 目が、点になった。

 何を言ってるんだ、二人とも……?

「ねえアー君、この人たちは?」

 耳元で、影護さんの声がする。

「わぁっ!?」

 いつの間に、こんなに近づいていたのか。

 驚いて、飛び退いた拍子に、座っていた椅子がぐらりと傾いた。いまの俺に、倒れないように堪えるだけの力はなく、そのまま視界が反転するのを、どこか冷めた眼で見ていた。

「アキト!?」

「アキトくん!?」

「アー君!?」

 三人の叫ぶ声が聞こえる。けれどそれは次第に小さくなっていって……やがて俺の意識は、暗闇の中に落ちていった。

 ああ、これでやっと、眠ることができる……。






[多摩市 日々平穏 PM1:50]

 ナオはハマーを走らせて、この店の前にやってきていた。

 運転席のシートに身体を預けたまま、その様子を窺う。いま出てきた客が、おそらく最後だろう。調べた昼の営業時間は、午前十一時から午後二時まで。誤差はあるだろうが、暖簾を下ろすまで後少しだ。

 サングラスで視線が隠れているのを幸いと、助手席に目をやる。そこには昨日助けた、ミリアという名の女性が座っていた。

 もっとも、聞き出せたのは名前と、難民キャンプに医師として派遣されていたことだけだ。その間も、彼女はナオに向かってじっと、睨み付けるような視線を向けていた。

 はっきり言って居心地のいいものではなかったが、それも仕方がないと、ナオは思う。

 どんな理由があれ、この女性がメティと呼んでいたあの少女を撃ったのは、紛れもないこの自分だ。恨まれても仕方があるまい。

「二時になるか……」

 軍御用達の、ゴツイ外観の腕時計に視線を落とす。

 今日の朝早く、電話で取り付けた約束は二時十五分。まあ、多少早くいっても、見逃してくれるだろう。

 店の中から、コック服に身を包んだ女性が出てくると、扉に準備中の札を下げる。それを見て、ナオはハマーを降りた。





 来たね。

 ホウメイはその気配を感じ取ると、傾けていた急須を元に戻す。

 約束の時間には少し早いが、遅れられるよりはずっとマシだ。被っていた帽子を取り、傍らのテーブルの上に置く。

「邪魔するよ」

 そして、扉を開けてその人影は入ってきた。

 長身を覆う真っ黒いコート。その下に着ているシャツやスラックスも、同じ色で纏められている。さらにはその目元を隠す、黒いサングラス。

 ここまでくると徹底しているというより、やり過ぎではないかとさえ思えてくる。

「久しぶりだね、クリムゾンのブラックマン。後ろにいるのが、電話で言っていた彼女かい?」

 ホウメイの声に、黒づくめの後ろにいた女性がびくり、と肩を震わせた。いったい自分について、どんな説明がされているのだろう。その暗い藍色の瞳には、怯えの色が浮かんでいる。

「その名で呼ぶのは止めてくれ。クリムゾンとは、とうに縁を切っている」

「そうかい。そいつは悪かったね、ナオ」

 ナオは小さく笑みを洩らすと、ホウメイが座っているその向かいに腰を下ろした。そして隣の椅子を引いて、後ろの女性に座るように勧める。

「……」

 女性はナオに鋭い視線を向けた後で、その椅子に座った。

「コーヒーにするかい、それとも紅茶か、日本茶かい? 一通りのものは揃えてあるけど?」

「俺はコーヒーをブラックで。ミリアさん、貴女は?」

「……ミルクティーを頂ければ……」

 ホウメイは立ち上がると厨房の奥へと姿を消し、そしてしばらくしてから、湯気の立ち上るカップを二つ、盆に乗せて持ってくる。

 それを二人の前に置き、自分の前には湯飲みを置いて、さっき注ごうとしていた日本茶を改めて注ぎ直す。

「さて、とりあえずの用件は電話で聞いたけど、もう一度、詳しく説明してくれるかい」

「単刀直入に言う。このお嬢さんに、住むところなり、帰国の手続きなりの世話をしてやってくれないか?」

「……訳ありって事だね?」

 ホウメイの問いに、ゆっくりとナオは頷く。

「いま俺……俺たちは、イノヴェルチと事を構えてる。このままいけばキャマリラともな。その途中でまあ、色々とあってね」

 言葉を濁すナオだったが、大体のところはホウメイも察することができた。

「だが、イノヴェルチにキャマリラかい……あんた、命は惜しくないのかい?」

 苦笑しながらのホウメイの言葉に、ナオは軽く肩を竦めてみせる。

「こんな因果な商売をやってるんだ。覚悟はできてるさ。もっとも、まだまだ死ぬ気はないがね」

 コーヒーを一口飲む。芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、さわやかな苦みが口中に広がる。このコーヒー一杯からも、ホウメイの腕を伺い知ることができる。やはり、さすがといったところだ。

「しかし、元マフィアが食堂の主人とはね」

「言ってくれるなよ、もうあたしゃとっくにインフェルノとは切れてるんだからさ」

「知ってるよ。だが完全に裏の世界と切れたわけじゃない、いや、切れるはずがない。だからこうして頼みに来てるんだけどな」

 もう一度、コーヒーを口に運ぶ。日本に来てからずっと隠れ家での生活だったため、まともな食事にはありつけていない。

 あの洋館も、場所が場所だけにコンビニに行くまでが一苦労だし、ラピスだって、そうそう昼間に出歩くわけにもいかない。自然、保存食中心の食生活になってしまっている。

「やっぱりね。その顔は、まともに飯食ってないだろ?」

「ありゃ、ばれちまったか」

 そうは言いながらも、ナオのずれたサングラスの下からは、期待に満ちた瞳が覗いていた。そんな視線を向けられては、料理人としてのプライドが黙っちゃいない。

「すぐに何か作ってやるよ。そっちの嬢ちゃんも、昼御飯まだなんだろう?」

「え? ええ……」

 ここに来てから、初めて口を開いたミリアだったが、思わぬ話の展開に戸惑いを隠せずにいた。

 まさか、昼御飯がどうのなんて言われるとは、夢にも思っていなかった。

「じゃ、ちょっと待ってな」

 厨房へと消えていくホウメイ。その背中を、二人はそれぞれの視線で見送っていた。

「……知り合い、なんですか?」

「ああ。昔からのな。一度、やり合ったこともある」

「やり合ったって……殺し合いを、ですか?」

 肯くナオ。その答えに、ミリアは絶句した。

 かつて命のやりとりを交わした相手同士が、どうしてこんな風に、にこやかに会話を交わせるのだろう。まったくもって、理解に苦しむ。

「ま、色々とあったんだよ。色々と、な」

 不敵に笑ってみせるナオに視線を送りながら、ミリアは彼をどう捉えればよいのか、図りかねていた。

 どこまでも、飄々とした態度。メティを撃ったときも、いまも、それは変わらない。

 だがそれが、あまりにも変わらないのだ。まるで、仮面を被っているかのように。

 もしそうだとすれば、なぜ仮面を被るのか。そしてその下にある素顔は、どのようなものなのか。それを思うと憎めばいいのか、わからなくなってくる。

「はいよ、炒飯二人前、お待たせ」

 その思考は、戻ってきたホウメイの声で中断させられた。両手に持った皿の上には、様々な具材に彩られた、目にも鮮やかな炒飯が乗せられている。

「おう、来た来た……あ、そうだ」

 待ってましたとばかりにレンゲを持ったナオの手が、ふと止まる。そしてレンゲを置くと、ホウメイに向き直る。

「冷めてもいいような奴、一つ頼めないかな。相棒に持っていってやりたいんでね」

 湯気で曇ったサングラスを外し、それを拭きながら、照れくさそうに言う。ミリアにとってそれは、初めて見るナオの素顔だった。

 そしてそれは、彼女が想像していたよりも、ずっと優しかった。

「そうさねえ……粽(ちまき)かなにかでいいかい」

「ああ。ちゃんと代金は払うから、心配しなくていいぜ」

「ほう、後で情報を流すときにでも、割高にしてやろうかと思ってたのにね」

 声高に笑いながら、ホウメイは再び厨房へと消えていく。

 そして今度こそ、ナオはレンゲを手にとって、猛然と炒飯を掻き込み始めた。その姿に圧倒されつつ、ミリアもまた炒飯を口に運ぶ。

「……美味しい」

 それは、いままで食べたどんな料理にも勝っていると、素直に思えた。

 そして、本当に暖かかった。





 いつも彼らが集まり、会議を開く部屋。

 そこに一人、ジュンはギターを片手に椅子に座っていた。

 いつものエレキギターとは違い、いま抱えているのは、古びたアコースティックギター。もう彼が、何十年と愛用している代物だ。

 しばし、チューニングを合わせる作業に没頭する。しばらく触れてもいなかったため、この作業に思ったよりも時間を取られた。

「ユリカ……」

 チューニングも終わり、顔を上げてガラスの向こうの眠り姫に視線を飛ばす。

 その先で、まったく変わりない姿でミスマル・ユリカは眠りについている。機械の枷に手足を縛り付けられ、その身の自由を奪われていても尚、その美貌に翳りはない。

 いや、その枷さえも彼女の美しさを引き立てる、その要因になっているとさえ思えてくる。

 いままで、彼女のためにどれだけの唄を歌ってきただろう。曲を奏でてきただろう。

 それが、この無限の生を得てからの、彼の存在理由だった。

 そのためにこそ、手に入れたこの不滅の肉体だった。

 だが、この夜魔の森の女王は彼を最後に、自らの意志で血を吸うことを止めた。

 何を思ってのことか、彼にも、従者であり彼女を護る騎士でもあったDでさえ、判らない。だが彼女は現に血を吸うことを止め、いまはこうして囚われの身となっている。

 一度は彼女の元を離れた。だが、こうしていまも彼はここにいる。

 それが自分が自分自身に与えた、使命だと信じて。

 軽く、何度か弦を爪弾く。曲の出だしのフレーズを、流してみる。

 それを数回繰り返し、納得がいったところで、彼は曲を奏で始めた。目の前で眠る、愛しき姫のために。

 彼女の他に、彼が曲を奏でた女性(ひと)は、唯一人しかいない。

 そしてそこに込められていた想いは、一つ。

「In the howling wind comes pain and starts to fall in rain……」

 かつて一度だけ、正体を隠して戯れに表の世界に曲を出したことがある。その一枚のアルバムは当時、一部の人間に熱狂的に受け入れられた。

 もちろん、後にも先にもその一枚きりだ。それももう、人の命にすれば、遠い昔の話だ。

 いま唄うのは、そのときに作った歌。

 いまにして思えば、なぜあんな戯れをしたのか、その答えも解る気がする。結局、自分の中に募っていた思いが、形になって溢れ出ただけなのだ。

 そしてそれが、あの女性(ひと)の悪戯心で世に出てしまった……。

「I don't wanna be lost in the grief of the blue
 Don't let me fade away
 I don't wanna be lost in the grief of the blue
 Don't let me fade away Don't let me fade away
 Please hold my dying dream……」


 最後の弦を、指が弾く。

 その瞬間、ビン、と間の抜けた音を立てて、弦が切れた。しばらく使っていなかった間に、痛んでしまっていたらしい。

 揺らめく弦を見ながら、ジュンは溜め息をついた。張り替えるにも、手持ちの弦などなかったはずだ。

 買ってくる、しかないだろう。やはり自分で選ばなければ、納得はできない。彼女に聞かせる、そのためにも。

 立ち上がり、ガラスに手をついて見つめるジュンのその目前で、ユリカは眉一つ動かすことなく、眠り続けていた。





「あれ……俺……?」

 目が醒めると、そこは薄暗い部屋の中だった。白いカーテンに仕切られた中で、布団にくるまって横になっている。

 ここは……保健室か?

「やっと気がついたか、アキト?」

 声のした方に顔を向けると、腰に手を当ててリョーコちゃんが立っていた。足下には、俺と彼女の鞄。

 上半身を起こす。この部屋の環境のおかげなのか、調子はだいぶ良くなっている。

「俺、どうしたの?」

「びっくりさせるなよな。いきなり気絶して、そのままずっと、いままでぐっすりだもんな」

 その言葉の中に含んだものを確かめるべく、枕元にあった自分の腕時計を手に取る。




[日野市 撫子学園 PM4:17]

 もう放課後なのか……。

 どうりで、身体の調子がいいはずだ。それだけ眠れば、体調も整うってもんだ。

「まさか、早起きが原因じゃねえだろうな?」

「は?」

「いや、慣れないことしたもんだから、それで調子崩したんじゃないかと」

「……ぷっ」

 リョーコちゃんの言葉に、俺は思わず吹き出していた。

「何だよ、俺はお前のことを心配してだな……」

「判ってる。判ってるけどさ……それじゃなに? 俺って早起きしちゃいけないの?」

「だってよ、今日のアキトがいつもと違う事って、それじゃねえか?」

 まあリョーコちゃんの言うとおり、普段と違っていたことは認めるけど、でもそれを不調の原因にされるなんて、本当に信頼されてないんだな、俺。

 まあ、確かに、原因の一つは、あの時間に俺が起きていたその理由でもあるんだろうけどな。

「なあ、アキト?」

「なに? リョーコちゃん」

 リョーコちゃんは引き寄せたパイプ椅子に腰掛けると、神妙な面もちでこちらの顔を覗き込んできた。そのあまりの真剣さに、こっちまで緊張してきてしまう。

「さっきは結局うやむやになっちまったけどよ、あの子、誰なんだ? 見たこと無いけどよ」

「あの子って……影護さんのこと? 今日来た転校生だよ」

「今日来たって、その割には随分と仲良さそうだったじゃねえか?」

「そう言われても……確かに、妙に気に入られたみたいだけどね」

 まったく影護さんも、俺のどこが気に入ってかまってくるんだか。

「でも、どうしてそんなことを?」

「べ、別にどうしてでもいいだろ!?」

「ま、まあ、そうだけどね……」

 いきなり逆ギレしそうになって、拳を固めたリョーコちゃんを見て、俺は慌てて取り繕う。いくら体調が戻ったとはいっても、あの鉄拳を食らう気にはなれん。

 それがきっかけで、ヴェドゴニアに変身でもしたら洒落にならないし。

 ……いやまあ、さすがにそんなことはないとは思うんだけど。

「で、今日も部活にいくつもりなのか?」

「え?」

 あんまりにも唐突に言われて、きょとんとしている俺を、リョーコちゃんはきつく睨み付けてくる。

「エリナから聞いてるぞ。土曜日も、無理して出たんだってな」

「いや、まあ、じゃないと、間に合わないし……」

 ううむ。こりゃまずいかな。土曜日っていえば、確か病院に行く行かないで押し問答したはずだったよなぁ。

 でも、エリナさん一人に打ち込み作業を任せるわけにもいかないし……。

「その顔じゃ、止めてもまた行きそうだな。しょうがないか」

 その言葉は、はっきり言って意外だった。

 こっちとしては、どうやってリョーコちゃんの目をかいくぐって部活に出るか、思案を始めたところだったのに。

「その代わり、オレも一緒に行くぞ」

「え、ええ?」

「いいだろ、別に邪魔しないからよ。じゃないと、心配なんだよ……」

 いきなり顔を伏せたかと思うと、上目遣いでこちらを見つめてくる。リョーコちゃんらしからぬ仕草ではあったけれど、なんだか妙にそれがはまっていて、わけもなく顔が熱くなってくる。

 まあ許可も下りたことだし、ここはリョーコちゃんの気が変わらないうちに部活に出るとしますか。



 部室に向かうと、中からベースの音が聞こえてくる。どうやらすでに、エリナさんが作業を始めているみたいだ。

 待てよ?

 ベースの音?

 エリナさんは、ベースを弾くどころかコードが判らないはずだ。だから俺が弾いてみせてたんだ。

 ということはつまり、他の人間が弾いているってことだ。

 誰だ?

 そう思ったときには、俺は部室の扉を開けていた。

「あ、アキトセンパイ、どうもです!」

「あ、どうも」

「アー君、目が醒めたんだ!」

「な、な、な、な!?」

 絶句。

 まさに絶句。

 扉を開けた俺の目の前で、ベースを抱えて敬礼ポーズを決めているのは、他でもないユキナちゃんだった。

 その横で頭を下げている、瑠璃色の髪をツインテールにした女の子。胸のリボンの色からして、ユキナちゃんと同じ一年生らしい。

 そしてさらにその横で、こちらに手を振っているのは影護さんだ。

 そんな三人に苦笑しつつ、一番後ろ、ノートパソコンに向かっているのはエリナさん。固まっている俺に向かって、手招きしている。

「って……ユキナちゃん!?」

 どうして、彼女が、ここに!?

「もうすぐ帰らなくちゃいけないんですけどね。家でも練習するために、ベースを取りに来ました〜」

 ビシィッ、と擬音を口ずさみながら再び敬礼してくる。

 けど、けど……こんなに早く、復帰できるなんて……。

「傷はもう……いいのかい?」

「はい! よく覚えてないんですけど、怪我そのものは大したことなかったみたいで」

 確かに、首の痕は、俺の目の前で跡形もなく消えた。でも、心の傷は……。

 そこまで考えて、思い至った。ラピスの力だ。ラピスが言っていた、思い出すことを拒むように、無意識下にし向けたと。それが上手くいったんだろう。

「そっか……良かったよ」

 ぎこちなくはあったが、それでもどうにか笑ってみせる。

 良かった、とりあえず、喜ばしい事じゃないか。

「……で、直ぐに帰る代わりに、入部希望者を連れてきました!」

「ちょっと、入部するなんて、一言も言ってません」

「いいからいいから、とりあえず試すだけでもさ」

 ユキナちゃんと、隣のツインテールの子がいきなり揉めだした。どうやら見学者らしい。

「まあ、入る入らないは別にして、見学は自由だからさ」

「すみません。あ、ユキナさんと同じクラスに転校してきました、ホシノルリです。どうぞよろしく」

「こちらこそ」

 またぺこりとお辞儀するホシノさんに、こっちもお辞儀を返す。

「で、影護さんはどうしたの?」

 続けて話を振ってみると、影護さんはほっぺたを大きく膨らませて、まさに絵に描いたような『不機嫌』な顔をしていた。

「枝織って呼んでって言ってるのに〜」

「……影護さん?」

「枝織」

「影護……」

「枝織」

「かげも……」

「枝織」

 沈黙。

 夕暮れの紅い光が照らし出す部室内に、不自然なまでの沈黙が降りる。

「枝織、ちゃん?」

「うん! 私も見学だよ、アー君!」

 結局、俺が折れることになった。ただその瞬間、どこからか思い切り睨み付けられたような気がしたけど……それも二カ所から……何だったんだ?

「アキトセンパイって、ホントににっぶぅ〜」

 呆れたようなユキナちゃんの視線が痛かったけど、さっぱり意味が分からなかった。





[日野市 撫子学園 PM4:58]

 学校帰りの生徒たちの姿が、至る所に見受けられる。

 その中、愛車の漆黒のオフロードバイクに背を預け、ギターケースを担いで、ジュンは一人立っていた。

 大きめのジャケット、そしてサングラス。

 日差しの弱まるこの時間でも、これだけ着込まなければ、やはりきつい。だがそれでも、彼はここに来なければならなかった。

 あのとき、イネスが洩らした呟き。

『まさか、本当にアキトくんなの……?』

 その場で問いつめることはしなかった。そうせずとも、すぐに調べはついた。

 イネスがかつて師事したという、遺伝子工学の権威。その息子の名前が、テンカワアキト。そして彼はいま、この撫子学園に通っている。

 これだけ揃えば、そのすべてを一本の線で繋げられる。

 あのテープは、部下に命じて処分させた。だが、それでもヤマサキが事実に気づくのも、そう遠い話ではないだろう。

 その前に、確かめておきたい。

 テンカワアキトが、はたしてユリカの牙を受けるに相応しい者なのかを。

 この時間なら、おそらくは部活動に出ているか。資料には軽音楽部と記載されていた。

 軽音楽……バンドでも、やっているのだろうか。

 自分も、一度だけ他の人間と組んだことがある。彼はギターを、彼女はベースを担当していた。ヴォーカルはその時々で違う。助っ人を招くこともあったし、彼がギターと兼ねたこともある。

 だが……あのときは楽しかった。純粋に、音楽が楽しいと、思えた。

 もう二度と、あんな思いを抱きながら、曲を奏でることはないだろう。

「何を馬鹿なことを……」

 自重するように呟きながら、もう一度、視線を上げたところで、ジュンは固まってしまった。

 視線の先、校門から飛び出してくる少女。その肩に担いでいる大きな黒い袋は、ギターケースか。

 その少女の姿が、記憶の中の彼女の姿と重なる。彼女も、ああやってギターケースを担いで走り回っていた。

「チハヤ……?」

 もう二度と、逢うことの叶わない、その名の持ち主。

「あ、あの……なんです?」

「え? あ、ああ、すまない」

 声を掛けられて、ようやく気がついた。知らず知らずジュンの足は少女の方へと向かい、彼女の前で立ち尽くしていた。

「じーっ……」

「な、なんだい?」

 痛いほどに見つめられながら、ジュンはこめかみに冷や汗が浮かんでくるのを自覚していた。

 この子は、チハヤとは違う。そんな当たり前のことを、今更ながらに痛感する。彼女はこんな風に、自分にあからさまな視線を向けてくることなど、なかった。

「はっ、もしかして新手のナンパ!?」

「違うっ!」

 反射的に、言い返す。言い返してから、どうしてこんな行動をとったのか判らず、困惑する。

「結構ノリいいなぁ。で、なんです? 私に何か用ですか?」

「い、いや……そういうわけじゃ……」

 しかし、物怖じしないというか、警戒心を持ち合わせていないというか、よくわからない子だ。恐らく記憶を封じられているのだろうが、それでも、あんな目に合っているというのに。

「へーっ、バンドか何かやってるんですか? ギターなんて担いで」

「……そうだ。この辺りで楽器店知らないかな。この辺りのこと、よく知らないものだから」

 自分のギターに興味を示してきた少女から、それを隠すようにしながら、咄嗟に口をついて出たのは、そんな言葉だった。

「この辺かぁ〜……あまりいいお店ないんですよねぇ。少し遠いですけど、いいところあるんで、そこに案内します。いいですか?」

「え、あ、うん。頼むよ」

 どうして、こんな会話を交わしているんだろう。

 自らの行動が、さっぱり判らない。そんな彼の視線の先を、少女が軽いステップで駆けていく。

 まあ、いいか。

 いつしか考えるのが面倒くさくなって、ジュンは少女の後について歩き出した。



 ユキナちゃんが帰ってからも、俺たちの練習は続いていた。ベースの打ち込み作業と平行して、それぞれのパートの練習を進めていく。

 ユキナちゃんの復帰が見込めそうになったおかげで、とりあえず打ち込みの必要性はなくなった。

 けれど、もしかしたら間に合わないかも、というユキナちゃんの言葉を受けて、作業そのものは続けていくことになった。

 その分エリナさんの負担は大きくなるのだけれど、

「いいわよ、それぐらい。ただその代わり……さ、作業にはアキトくんにも付き合ってもらうからね」

 と、本人が強く言うので、特に反対する理由もなく、作業は続行となった。

「すみません、いま戻りました」

 がらがら、と扉を開けて、ホシノさんが戻ってくる。ユキナちゃんが帰ってからちょっとして、用事を思いだしたと言って、電話をかけにいっていたのだ。

「あ、ルリぃ、どうだった?」

「ええ。問題ないって」

 どうやら枝織ちゃんとホシノさんは知り合いだったようで、随分と、俺たちとの間よりもずっと親密な空気が流れている。

 聞けば、遠縁の親類に当たるそうだ。

「なぁ、アキト。やっぱり、たった三人でやるのか?」

「ん? しょうがないよ。手を挙げたときに続いてくれたのが、このメンバーだからね」

 やる気のない奴を入れても仕方がない。まあ、ステージの見栄え的にも三人じゃ辛いのは確かだけれど……。

「他にメンバーって、いらないのか?」

「まぁヴォーカルは欲しいけど……」

 妙に勢い込んで、身体を乗り出してきたリョーコちゃんに、俺は圧倒されながらも正直なところを答える。

 そう、ヴォーカルがいれば、ステージの見栄えもぐっと良くなるし、兼ねる予定だった俺やユキナちゃんの負担だって軽減する。

「じゃあさ、いまここでオーディションってのはどうだ?」

「それ賛成〜! 枝織もバンドやりたい!」

「私は……別に……」

「なに言ってるの、ルリもやるんだってばぁ」

「だから……私は……」

 急に賑やかになる、見学組の三人。変に気合いが入っているリョーコちゃんに、ノリノリの枝織ちゃん。そして口では嫌そうな素振りだけれど、その実、満更でもなさそうなホシノさん。

「はは……どうする、エリナさん?」

「どうするって言われても……でも、やってくれるのなら、それに越したことはないわよね」

「そうだね……じゃあ、オーディション、やってみるか」

 俺のその言葉に、無言で握り拳を作るリョーコちゃんと、腕を突き上げて気合いを入れる枝織ちゃん。そんな二人を後目に、軽く溜め息をつくホシノさんと、三者三様の反応が返ってくる。

「じゃあ曲は……何がいいかな?」

 しかし、いきなりオーディションをするといっても、やっぱり困るな。歌詞を書いた紙だって用意してないし……。

「とりあえず、自分の好きな曲を歌ってもらいましょうよ。アカペラになっちゃうけど……いきなり初めての曲なんて、無理に決まっているし」

「それもそうだな。じゃあ……順番決めてよ。その間に、録音の準備しておくからさ」

 準備と言っても、用意するのはラジカセだけだ。オーディションって言ったってそんなに肩肘張ったものじゃないんだから、これぐらいで丁度いい。

 そして振り返ってみれば、やけに真剣な表情でリョーコちゃんと枝織ちゃんが睨み合いながら、ジャンケンをしていた。

 二人の後ろで小さくなって、チョキの形のままの手をじっと見つめているホシノさんは、どうやら早々と負けたようだ。

「うっしゃぁ! 勝った!」

「ううぅ〜……負けちゃったよぉ……」

 グーを突き上げて喜ぶリョーコちゃんと、チョキを出したままべそをかく枝織ちゃん。何がここまでこの二人をかき立てるんだろう?

「んじゃ、俺からだな。じゃ、いくぜ?」

 まずはリョーコちゃんから。

「無限の空に手を伸ばす
 指先が触れる 鼓動が震える……」


 歌うのは、予想に反してJ−POP。頬が赤いところを見ると、照れているんだろうか。

「あの日 君が触れた
 心の奥の戸惑い
 聞こえる? 地球(ほし)の息吹」


 どうにも、声にも固さが感じられる。それが消えればなかなかのものだとは思うんだけれど……。

「どうだった?」

 歌い終わって、顔中を真っ赤にしながら、リョーコちゃん。

「まあ、他の二人を聞いてからね。じゃあ次は……枝織ちゃんかな?」

「は〜い! じゃあいくね」

 そう言って歌い始めたのは……。

「傷ついた 日々の向こうに 何が待つのか SOULTAKER!」

 アニソンだった。一瞬ガクッときたけれど、なんだか枝織ちゃんに合ってる気がしないでもない。

 それに曲も、アニソンとはいえ侮れない。結構パワーもあるし、いいかもしれない。ただあまりにもコピーって感じが強くて、オリジナリティに欠けるような……。

「野望を蹴散らす 魂の叫び 気高く吠えろ SOULTAKER!
 世界を導く 一筋の光 消えない夢を その手で SOULTAKER!」


 歌い終わると、ふふんと胸を反らしながら枝織ちゃんはリョーコちゃんに視線を向ける。リョーコちゃんも、腕を組みながらその視線を真っ向から受け止める。

 良く解らないが、どうも二人の間で火花が散っている。まったく、どうなってるんだか。

「じゃあ次、歌います」

「はい。録音準備よし、と……」

 手を振って合図を送り、ラジカセの録音ボタンを押す。それを見て、ホシノさんはゆっくりと息を吸い込むと、歌い始めた。

「In the howling wind comes pain and starts to fall in rain
 Silence makes me crazy yeah yeah……」


 伸びやかな声。冬の朝の空気のような、凛として透き通った音色。

 思わず俺は、その声に聞き惚れていた。

「これ……確か?」

 エリナさんが、微かに首を捻る。

 そう、確かこの曲は、ユキナちゃんが持っているアルバムに入っていたと思う。俺もエリナさんも、彼女に勧められてそのアルバムを持っていた。

 実を言うと、ユキナちゃんの強力なプッシュで、今回のレパートリーにも入っている。

「I don't wanna be lost in the grief of the blue
 Don't let me fade away
 I don't wanna be lost in the grief of the blue
 Don't let me fade away Don't let me fade away
 Please hold my dying dream……」


 そして、歌が終わった。

「…………」

 しばし、全員が絶句していた。

「……?」

 頬を微かに染めながら、ホシノさんはそんな俺たちを見回している。

「すごい、すごいよ!」

 興奮して、俺は思わず彼女の手を取っていた。

「本当……圧倒されたぜ」

「ええ。感動したわ……」

「ルリルリってばすごい! こんなに歌が巧かったなんて、知らなかったよ!」

 他の三人も、口々にいまの彼女の歌を褒めちぎっている。

 はっきり言って、次元が違った。技術云々よりも、心に訴えかけるものがあった。

「ホシノさん! ヴォーカル頼みたいんだけど……いいかな!?」

 興奮のあまり、俺は彼女に詰め寄るような調子で、頼み込んでいた。

 選考に頭を悩ませるまでもなく、俺の中では彼女に決定していた。エリナさんも同意見のようで、熱い視線をホシノさんに送っている。

「いまの歌を聴いちまうと……仕方ねえな」

「悔しいけど……枝織の負けだよ」

 二人も、俺の決定に異論はないようだ。

「あ、あの、本当に、私でいいんですか?」

「君がいいんだよ! うん!」

 戸惑ったような、ホシノさん。その手を強く握りながら、俺はこの思わぬ幸運に感謝していた。

「はい……じゃあ、私でよければ、お受けします。それと、私のことはルリでいいです。名字で呼ばれるの、あまり慣れてないんで……」

「え、あ、うん。よろしく頼むよ、ルリちゃん!」

 普通は名前で呼ばれるのに慣れていない、なんだろうけど。

 いまの俺にはそんな些細なことは、どうでも良かった。

「じゃあエリナさん、とりあえず打ち込みが終わってる曲で、少し練習しておこうか?」

「そうね……いまの『Promised land』なら、すぐにでもできるしね」

 よし、早速練習開始だ。

 もっともいまの曲なら、練習が必要なのはむしろバックの俺たちかも知れないけれど。



 少女に案内された楽器店。そこでジュンは並べられた弦を眺めていた。

 成る程、少女が自信たっぷりに言うだけあって、なかなかの品揃えだ。彼の眼鏡に適うだけのものも大量にある。穴場と言ったところか。

「アコースティックですか?」

「ああ、まあな」

 律儀に答えながら、一つ一つ手にとって確かめる。伊達に長く生きてはいない、メーカーと製品名を見るだけで、それがどういったものか直ぐに分かる。

「これにするか……」

 予備を含めて二種類、二つづつ手に取る。どちらがより合っているかは、やはり実際に試してみなければなるまい。

「助かったよ。ありがとう」

 少女にあの女性(ひと)の面影を重ねていたからだろうか。驚くほど素直に、言葉が出てきた。

「え、ど、どういたしまして。あ、私、急いで帰らないといけないんで、これで」

 なぜか顔を赤くしながら、少女は慌てて駆け出していった。

 その後ろ姿を微笑ましく見送りながら、どこか心が痛む。

 白鳥ユキナ。テンカワアキトの後輩であり、先日、撫子学園でスパイダーヴァンプに襲われた少女。

 よもや、実際に会うことになるとは思わなかった。

「さて……いるんだろ? 彼女の後、追わなくてもいいのか」

 視線を逸らさずに、声だけを背後に向けて飛ばす。ややあって、呆れたように肩をすくめながら、一人の青年……いや、少年か?……が姿を見せる。

「ふう……気配は消していたつもりなんだがな……自信なくなるよ」

「気にするな。超一流と認められた奴でも、お前の気配はそうそう感じ取れないだろうさ」

「それって、あんたが超一流以上ってことかい」

「いや……僕の場合は、少し反則があってね」

 両者とも、言葉遣いこそはにこやかだった。だが、互いに油断なく相手の様子を窺っている。

 次第に張りつめていく空気。

 それを壊したのは、ジュンの方からだった。

「行けよ。僕は彼女にどうこうするつもりはない……だから、ここで時間を潰さない方がいい」

「らしいな。そうさせてもらうとするよ」

 じゃあな、と手を上げて、少年はその場を立ち去ろうとする。その背に、今度は振り返ってから、ジュンが声をかける。

「名前を聞いておいてもいいかい? あまり、敵に回したくはない相手のようだから」

「……ファントム。ツヴァイと呼ばれたこともある」

 期待していなかった答えが返ってきたこともそうだが、その内容にジュンは驚きを隠せなかった。はっとして冷静さを取り戻したとき、すでに店内からファントムの気配はなくなっていた。

「ファントム……日本に来ていたのか」

 数年前から、アメリカ西海岸で噂になっていた秘密結社。マフィア同士の垣根を越え、共通の目的の元に手を結んだその名は『インフェルノ』。

 そしてその、インフェルノ最強の暗殺者に与えられた名こそが『ファントム』。

 ファントムは正体不明の暗殺者として、裏社会の要人を幾人も葬ってきた。

 だが、半年ほど前にインフェルノは謎の壊滅を遂げている。イノヴェルチとしても無視できないところまできていただけに、正直言って意外だった。

 その壊滅劇にファントムが関わっていたという噂があるが……それにしても、あのような少年が、本当にファントムだというのだろうか。

「そう油断させるのも、狙いかもしれないけどな」

 呟いて、ジュンもまた、その場を後にした。





[多摩市 松が谷 PM7:30]

 学校から帰ってきた俺は、ベッドの下に畳んで入れてあったレザースーツに袖を通していた。

 昨夜は、着替える気力さえなかった。レザースーツの上にジャケットを羽織って、そのまま帰ってきたのだ。

 さすがに帰ってきてからは着替えたが……それでも、しばらくベッドの上に倒れ込むようにして、疲れた身体を癒すのに努めていた。

 ともかく、俺は同じようにレザースーツの上にジャケットを羽織ると、カタナのエンジンを始動させる。

 小気味いい振動が、シート越しに伝わってくる。

 今夜もまた、吸血鬼のねぐらを暴きに行く。

 狂気に満ちた、夜の世界。それが、いまの俺がいる場所。

 まったく、昼間の俺は浮かれていた。いよいよもって、この俺が学祭に出られるかどうかいちばん怪しくなったじゃないか。

 もちろんユキナちゃんが復帰してくれるのは嬉しいが……もし、これで俺がリタイアしたなら……打ち込みデータを作ってもらっているエリナさんにも、勢いでヴォーカルを頼んだルリちゃんにも、申し訳ない。

 そのためにも、行くんじゃないか。

 俺がラピスたちに協力しているのは、ロードヴァンパイアを滅ぼして、人間に戻って、学祭で、弾けて、そしてみんなで騒いで……。

 ヘルメットを被り、思考を中断する。いまはこれ以上、考えるな。

 アクセルを開け、走り出す。

 風を切る感覚。冷たい冷気が、いまの俺にはかえって心地いい。

 向こうに着くのは、だいたい十時過ぎか……。

「……!」

 俺のカタナを、黒いオフロードバイクが追い抜いていったかと思うと、まるで行く手を塞ぐように、すぐ前に出て徐行する。

 車線を変えて抜こうとしても、同じ車線に移動して、そうさせない。

 なんだ? こいつ。

 乗っているのは、俺と同じような黒いジャケットに身を包んだ、細身の奴。肩にはギターケースだろうか、大きなバッグを担いでいる。

 こんなところで、もたもたしているわけにはいかない。

 俺は一本隣の裏道にカタナを入れると、速度を上げる。

「……な!?」

 まただ。

 また黒い奴が追い抜いていって、俺の前を塞ぐ。

 こいつ、なにを考えていやがる!?

 再び元の道に戻る。すると、向こうもまたこちらの道に戻ってきて、俺の前を塞ぐ。

 まさか……俺が狙いか……?

 ならば尚更のこと、振り切らなければ……。

 だがこちらが行動に出るよりも早く、向こうから先に仕掛けてきた。

 急にスピードを緩めたかと思うと、こちらと並ぶ。そして突然、車幅を寄せてくる。

「くっ!」

 咄嗟に避けるが、バランスを崩しそうになり、それを堪えるためにも脇道に入る。

 それを追ってくる黒い影。

 再び並んだかと思うと、また車幅を寄せてくる。

 それをスピードを殺さずに避けるため、また別の路地へとカタナを向ける。

 そんな攻防が、何度となく続いていく。

「……誘導されてる?」

 気づいたときには、カタナは一本道に入っていた。行く先にあるのは、昨夜と同じような倉庫。ただ今夜は、明かりが灯っていない。

 倉庫の敷地に入り、拓けたところで俺はカタナをスピンターンさせて停める。タイヤがこすった黒い痕が、路面に鮮やかに残る。

 バイザーを上げて、ヘッドライトが照らし出す影を凝視する。

 影はバイクから降りると、こちらに向かって悠然と歩み寄ってくる。

 いったい、何者だ?

「お前が、テンカワアキトだな」

 影が、ヘルメットを外す。その下から出てきたのは、俺とそう年齢の変わらないと思える男だった。

 男は鋭い視線で、俺の姿を上から下まで凝視する。その視線は、まるで値踏みしているかのようで、どこか気にくわない。

「お前は、誰だ?」

「……アオイ、ジュン。昨晩は活躍だったようだな、テンカワアキト」

 こいつ……昨夜のことを、知っている!?

 それはつまり、こいつが連中の仲間だということだ。

「お前、連中の……」

「試させてもらう。お前が、ユリカの継嗣として相応しいのかどうか!」

 叫ぶと同時に、男が担いでいたギターケースが、高々と宙に舞う。

 いや、舞ったのは外側だけだ。入っていた中身は、男の手に抱えられている。

 しかし、なんだあれは!?

 奴が抱えていたのは、ナオから見せてもらった獲物たちに、負けず劣らず異様なものだった。

 深い蒼色のエレキギターのネックの先に、鋭い刃が取り付けられている。弾いているときに怪我しないかと、心配になってしまう。

 そしてさらに異様なのは、そのギター本体の下に付けられているものだ。

 ギターそのものと同じような形の、淡い緑色のものが取り付けられている。だがそれは、ギターとはあまりにもかけ離れている。

 ステアーAUG。オーストリア軍の正式突撃ライフルが、不気味に銃身を光らせてそこにある。

 その取り合わせの異様さに、思わず俺の動きは止まってしまっていた。だがその銃口がこちらを向いたのを見て、慌ててカタナを始動させる。

 マズルフラッシュの閃光と、火薬の炸裂音が闇夜に響きわたる。

 間一髪のところで、俺はその凶弾から逃れていた。

 遮蔽物のないところでは不利だ、どこか身を隠せる場所へ逃げ込まないと。

 敷地内を縦横にカタナを走らせる。そのうちにシャッターの開いている倉庫が見つかった。俺は迷うことなく、その中に飛び込んだ。

 すぐにカタナから降りて、無数に転がっている木箱の陰に身を隠す。そうして、俺はようやく現状を分析する時間を手に入れた。

 奴は、俺がヴェドゴニアだと知っている。少なくとも、昨夜の襲撃に関わっていると睨んでいる。

 まさか、もう連中に目を付けられたなんて……。

「どこに行った? テンカワアキト。ユリカの牙を受けたんだ、その力を見せてみろ」

 ジュンとか言っていた、奴の声が聞こえてくる。どうやらまだ倉庫の外のようだ。

 だが、俺のカタナを見つければ、すぐにこの中にやってくるだろう。俺を殺すために。

 くそっ、そうそう思い通りにさせてたまるかっていうんだ。

 ベルトに手をやり、昨日からそのまま持っていたナイフを引き抜く。さすがにレイジングブルやショットガンはあの洋館に置いてきたが……これだけでも、手にしていると心強い。

 そう、いざとなれば、これで自分の首を……。

 だが、耐えられるのか?

 いまの俺は、例の猿轡をしていない。昨日も、一昨日も、最後まで自分の意志で戦えたのは、あれのおかげだ。それなしに理性を保てる自信は……ない。

 それでも、いざとなればやるしかないだろう。

 銃にナイフ一本で立ち向かって勝てるほど、人間の俺は強くない。

 足音が高くなる。奴が倉庫のすぐ外まで来たのが、気配で分かる。

「出てこい、テンカワアキト。勝負しろ!」

 ライフルとナイフで、勝負になるかっての。俺は息を潜めて、じっとその瞬間を待つ。

 恐らくチャンスは一度。それも一瞬だろう。その一瞬に、勝負を決められなければ……そのときは覚悟を決めて、変身するしかない。

 足音が倉庫内に響く。中に入ってきたようだ。逆手にナイフを持ち替えて、息を殺す。物陰から、奴の位置を確かめるために微かに顔を出す……。

「気配が消せていない!」

 なっ!?

 奴は、迷うことなく俺が隠れている木箱に銃口を向けていた。

 やばい、そう思ったときには、身体が動いていた。全力で駆け出した、それから一拍を置いて、AUGの弾丸が木箱を粉々に粉砕する。

 やるしかない!

 駆け出したその勢いのまま、俺は奴に向かって突進する。距離はそう遠くない。こちらに狙いを付け直すのと、どちらが早いか……!

 ナイフの煌めきが、暗闇に弧を描く。喉元を狙って繰り出した一撃を、奴は身体を反らしただけであっさりとやり過ごした。

 まだだ!

 拳を返し、さらに一歩踏み込んでもう一閃。さすがにこれ以上スウェーでかわすのは無理なはずだ!

 ガキィッ!

 甲高い音を立てて、刃と刃がぶつかり合う。奴のギターの銃剣と、俺のナイフが交錯し、火花を散らす。

 とにかく俺は、奴に体勢を立て直す余裕を与えまいと、滅茶苦茶なまでにナイフを振るった。

 しかしそのどれもが、悉く奴の銃剣によって弾かれる。

 くっ、駄目か!?

「甘い!」

 逆に、奴が突き出してきた銃剣をかわした拍子に、体勢を崩してしまう。そこに振るわれる銃剣。それはどうにか受け止めることができたが、ナイフは大きく弾かれて、遙か後方の床に突き刺さった。

「しまった!?」

「こんなものか……!」

 青ざめる俺と、苦虫を噛み潰したような奴の顔。

 そして、AUGの銃口が俺へと向けられる。

 そのとき、爆音を上げて真紅の影が倉庫の中に躍り込んできた。影は一直線にジュンに向かっていく。

「チィッ!」

 舌打ちして、ジュンは身を翻す。影はジュンがいたその場所を猛スピードで通過すると、リアを派手に滑らせて停止した。

「ほ、北斗!?」

「真紅の羅刹か!」

 俺と、ジュンの声が重なる。それに応えるかのように北斗は宙に舞い、そして肩のホルダーから大型のナイフを抜き放つと、それを手にジュンに躍りかかった。

 無言で、ただ互いの刃だけが空を切り裂いていく。恐らくどちらも必殺の一撃なのだろう、それほどに鋭い一閃が、二人の間に交わされていく。

 だが、どうして北斗がここに?

 その疑問に誰も答えてくれるはずもなく、俺はただ二人の攻防に見入っていた。

 流れるような、とは、まさにこういったときのためにあるのだろう。どちらも相手の一撃が次にどこにくるのか、まるで判っているかのように防いでいく。

 いや、事実判っているんだろう。相手の繰り出した一撃を防いだとき、どこに攻め込むのが最も有効なのか。逆に、自分にとってもっとも不利な場所、そこを相手は攻めてくる。

 だが、次第に北斗が押され始めているのが、俺の目にも判った。

 北斗の人間離れした身体能力に、あの男はついていっているというのか?

 だとすれば、あのジュンという男は……まさか!

「さすがだな。伊達に『三銃士』などと名乗っていないというわけか」

「ふん、そういうお前も、この僕にここまでついてこれるなんてね。本当に人間か?」

「言うな!」

 俺の目には捉えきれないスピードの攻撃を、ジュンは苦もなくかわしていく。

 そう、それも、あいつが人間じゃないのなら、納得がいく。キメラヴァンプじゃなく、吸血鬼が出てきたっていうわけか……?

 ともかく、このままじゃ北斗の分が悪い。どうにか援護してやりたいが……。

 そうして思考の海に潜りかけたのが、災いした。

 距離を取ったジュンが、周囲を薙ぎ払うようにAUGを掃射したのに気がついたのは、そのマズルフラッシュの閃光が視界に入ってからだった。

「……え?」

「アキト!?」

 北斗の、苦恨の声が聞こえてくる。

 ははっ、笑っちまうな。こんな風に、変わるなんて、思ってもみなかった。

 腹を貫いた、熱い鉛の玉。内蔵が引っかき回される、形容しがたい痛み。流れ出す、俺の温もり。

 遙か後ろに吹き飛ばされる、俺の身体。

 だが……同時にこみ上げてくるものがある。

 無限とも思える力と、頭の中で囁く声。




 カレ……カレ……カレ……カレ……カレ……カレ……カレ……カレ……カレ……カレ……カレ……カレ……カレ……カレ……



 カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。カレ。




 やばい。

 このままじゃ、頭がどうにかなっちまう……こうなりゃ、やるしかねえ!



 首の力だけで飛び起きると、俺は着ていたジャケットを脱ぎ捨てて、ジュンに向かって一気に疾る。その途中でナイフを手に取ると、さらに加速する。AUGの銃口が向けられるが、そんなもの、知ったこっちゃない。

 小刻みに左右にステップを繰り返し、狙いを定めさせない。

 力押しで闇雲に撃ちまくればともかく、じっくりと構えている余裕はないはずだ。そして、そんな闇雲な狙いで当たるほど、俺はノロマじゃない。

 地面すれすれまで体勢を低くして、そこから一気に伸び上がるような突き。

 さっきまでのものとは、その鋭さは比較にならない。ナイフの刃が煌めいた後で、ジュンの髪が数本、千切れ飛ぶ。

 突き出した腕を、そのまま横薙ぎに振るう。

 頬に引かれる、一筋の線。それが信じられないと、ジュンの表情が物語っていた。

 間髪入れず、勢いを利用して後ろ回し蹴り。一瞬の差だったが、ガードが遅れたジュンの側頭部にまともにヒットする。

「く……これだけの力だなんて……潜在能力なら、僕以上……ユリカの継嗣なのは伊達じゃないってことか!」

 距離の空いたジュンに向かい、四肢に力を込めて、跳躍する。そのまま前方に回転し、右の踵を脳天目掛けて振り下ろす。

 その一撃をバックステップでかわしたジュンは、間合いの近さを見て咄嗟に銃剣を繰り出してくる。それを首の動きだけでやり過ごし、カウンターで鳩尾に膝を叩き込む。

「が、はっ……!?」

 この手応えで身体が粉々にならないとは、やはりこいつ、人間じゃない。

 間違いなく、吸血鬼。

 それも、キメラヴァンプよりもずっと格上だ。

 屈み込んだところに、降ろした足をもう一度振り上げる。しかし今度の回し蹴りは、きっちりとガードを固めて凌がれる。

 それを悟ると俺は、すかさず後ろに跳び、間合いを離す。

「くっ、待て!」

 よしっ、乗ってきた!

 俺の誘いに乗って、ジュンが一歩踏み出してきたところに、地を這うような水面蹴り。

 右足を払われ、ジュンは背中から痛烈に床に叩き付けられる。ギターを抱えたままでは受け身もとれなかったようで、後頭部も強かに打ち付けたようだ。

 チャンスだ!

 ここで仕留めないと、長引いたら俺の負けだ!

 逆手に持ち替えた右手のナイフを、喉笛目掛けて一気に振り下ろすべく、高々と掲げる。

「ガハァッ!?」

 だが、俺は、いきなり襲ってきた強烈な頭の痛みに、それを遂行することはできなかった。

 内側から破れてしまいそうな、経験したことのない痛み。

 なん、なん……だ、これ……は!?

 グリップを握っていた指から、力が抜ける。両手で口元を押さえ、後ずさる。

 そんな……こんなに早く……『飢え』がくるなんて……!

 全力で顎を押さえ付ける。あの猿轡がそうしていたように、犬歯の伸びを抑えていないと、いまにも狂っちまいそうだ。

 でも、この痛みは、半端じゃない……!

 もう少し、もう少しなんだ……そうすればあいつを!

 だが、その俺の目の前で、ジュンがゆっくりと立ち上がる。

「さすがにまだ、飢えに抗うことはできないみたいだな」

 奴がなにを言っているのか、途切れ途切れにしか聞こえてこない。あまりにも痛みが強すぎて、全神経がそちらに集中してしまっている。

「ここまでだな……テンカワアキト」

 心臓に突きつけられる、冷たい銃口。そこから飛び出してくる鉛の玉が俺の胸を貫けば、いくら不死の肉体を持つ吸血鬼でも……滅ぶ。

「させん!」

 背後から聞こえてくる声。それが誰のものか思い出す前に、俺の左肩を踏み台にして、それは跳んでいた。

 ジュンに向かって伸びていく、鋼の刃。それを迎え撃とうと、掲げられる銃剣。

 肉を貫く鈍い音は、同時に聞こえてきた。

 北斗が繰り出したナイフと、ジュンが突き出した銃剣。それぞれがお互いの肩を深々と貫き、抉っている。

「まだ、だ……!」

 ジュンの右肘を左手で掴み、逃げられないように固定した上で、その胸板に強烈なキックを見舞う。その勢いで刃は肩から抜け、両者は磁石の同極のように弾け跳ぶ。

「まったく……無茶をしてくれる……!」

 肉が裂け、骨まで見える右肩を押さえながら、ジュンは片膝をついて身体を起こす。

 いましかない……いまこのときが、最後のチャンスだ!


「グルゥァァァァァッッ!!」


 それはもはや、完全に怪物の雄叫びだった。だがいまは、それを嫌悪している暇はない。何であれ、自らを鼓舞し奮い立たせるのなら、構いやしない。

 全身の力を振り絞って、大地を蹴る。それはまさに飛ぶような速さだった。それまで俺の動きにどこまでもついてきていたジュンが、初めて見失う。

「このスピード……吸血鬼化が完全でないというのにか!?」

 驚愕するジュン。その眼前に俺が姿を現したとき、その視線は在らぬ方に向けられていた。

 危険を察知してか、左腕が顔を庇うように前にかざされる。だがそれよりも速く、俺はジュンの右腿に飛び乗ると、それを踏み台にして飛び膝蹴りを顔面に叩き込んだ。

 グシャッ、という、何かが潰れる感触。血を引いて吹き飛んでいく、ジュンの身体。その顔面は、完全に潰れていた。

 地面で一度大きくバウンドし、一回転して俯せに叩き付けられる。その姿は、まるで糸の切れた人形のようだった。

 やったのか……?

 手応えは十分だった。完璧な一撃だ、もう一発叩き込めと言われても、できるかどうか判らないほどの。

 立つな……立たないでくれ!

 だがそんな俺の願いを無視するように、ジュンがゆっくりとその身体を起こす。顔面の修復も、すでに始まっている。

 もう一撃、それでとどめは刺せるだろう。だが、そのもう一撃は……いまの俺には無理だ。

 強烈な痛みが、またぶり返してくる。駄目だ……このままじゃ……俺が、俺で……なくなっちまう……!!



 ここまでやるとは、思っていなかった。

 所詮は吸血鬼のなり損ない、真に覚醒している自分に、その力が及ぶはずがないと侮っていた。

 だが、いまの一瞬はどうだ。あのスピード、あれは完全に自分のそれを上回っていた。実戦の勘とでも言うべきもので、僅かに身体を反らしたおかげで助かった。

 もしまともに食らっていたら、首から上が吹き飛んでいてもおかしくはない。それほどの一撃だった。

 だがこれで、認めることができる。

 不本意ではあるが、後継者たる資格を持ち得ていると、認めることができる。

 それが確かめられたのなら、これ以上の長居は無用だ。

 ジュンはよろめきながらも立ち上がると、ふらつく足取りで倉庫を後にした。



「アキト……!」

 どういうわけか、『楽師』アオイジュンはこの場から去っていった。だが、まだ危機的状況にあるのに変わりはない。

 アキトの自我が、崩壊寸前なのは一目でわかった。

 これ以上放っておけば、最悪、この場で吸血鬼として完全に覚醒してしまう。

 それを止めるには、血を吸うしか方法ない。

 加えて、自分の傷も決して浅くはない。それどころか、血が、流れすぎた。


 カレ。スエ。コロセ。

 熱イ血ヲ、飲ミ干セ。


「黙っていろ!」

 自分の内側から聞こえてくる声を打ち払わんと、絶叫する。

 呼吸を荒げながら、コートの内ポケットを探る。

 幸い、今夜は持ち合わせが二つある。なんとか、なりそうだ。

「アキト!」

 叫び、手の中のパックを放り投げる。それはアキトの目の前に落ちると、べちゃりと潰れる。

 目の前のその、赤い液体の入ったパックに、アキトは気がついたようだった。

 その中身の正体にも。

 すぐにそれを手に取り、狂ったようにかぶりつく。その姿を視界の隅に止めながら、北斗もまた同じパックを咬み破った。





「アキト、無事か?」

「ああ……なんとかね」

 聞こえてきた声に、どうにか答えを返す。

 北斗が投げよこした輸血用パック。その血を啜ったおかげで、どうにか俺は人間に戻っていた。

 だが、身体の怠さはこれまでになく、酷い。起きあがるのも面倒くさく、その場に大の字に転がっている。

 首だけを巡らせてみれば、北斗も似たような状態だった。

「う……」

 緩やかに上下するその胸は、しっかりと膨らんでいて、おまけにいまの俺と似たようなレザースーツを着込んでいるもんだから、身体のラインがくっきりと出てしまっている。

 顔を真っ赤にして、慌てて視線を逸らす。

 ……何やってんだ、俺?

「どうやら二人とも……まだ、人間なようだな」

「そういう言い方するって事は、北斗、お前も……なんだな?」

「……」

 答えは、返ってこない。だがその沈黙が、肯定していた。

 どうにか呼吸が落ち着いてきたところで、俺は立ち上がった。まだ足が少しふらつくが、動けないってほどじゃない。

「北斗……立てるか?」

「……まだ、辛いな」

 答える声にも、力がない。こっちも似たようなものだったが、それでもまだ幾分はましなようだった。

 北斗の側にしゃがみ込むと、彼女に肩を貸して立ち上がらせる。

「俺の後ろに、乗れるか?」

「……何とかやるしかないだろうな。いつまでもここにいるわけにも、いかん」

 それを聞いて、安心した。

 北斗を後部座席に乗せ、カタナのエンジンを始動させる。ジュンのAUGの流れ弾には当たっていなかったようで、特に不調を訴えることもない。

 不意に、軽快な電子音が鳴り響く。こいつは、俺のPHSの着信音だ。

 いったい誰から……羽織ったジャケットの内ポケットから取り出すと、液晶表示を確認する。

 初めて見る番号だ。どうやら携帯のようだが……疑念に駆られつつも、ひとまず着信ボタンを押す。

『……アキトか?』

「ナオ?」

 聞こえてきた声は、ナオのものだった。いつの間に俺の番号を、一瞬そう思ったが、連中のことだ、それぐらいはすぐに調べ上げていただろう。

『いまどこにいる? いくら何でも遅すぎるぞ』

 そっか……もうそんな時間か。

「そっちに行く途中で、襲われた」

『なんだと!? 無事なのか、おい!』

「ああ、何とかね。北斗に助けられたよ」

 電話口で叫んでいるナオの様子を思い浮かべて、俺の口元に微苦笑が浮かぶ。

「悪いが……今夜は俺は抜きにしてくれ。さすがに、無理だ」

『ああ、わかった……だが、気を付けろ』

「判ってる、つもりだ」

 そう。

 連中に俺がヴェドゴニアであることを、知られてしまった。

 これから先、どうするべきか……。

 いくら考えてみたところで、結論は出そうになかった。





...EPISODE05 END












<次回予告>

 かつて、インフェルノと呼ばれた組織があった。

 かつて、ファントムと呼ばれ、恐れられた暗殺者がいた。

 それは、醒めたはずの悪夢。

 凄絶に、可憐に、哀切に、

 幼き死神たちは、いま再び悪夢の中へと身を投じる。

 自分が、自分であるために。


 EPISODE 06 「亡霊」







<あとがき>

 いま私の手元には、ファントムDVDがあります。メーカーのHPで、速攻で予約してました。もちろん、手に入ったのは発売日(10/26)です。

















でも私、DVD観れません(涙)。

















 デッキもDVDドライブも、PS2も持ってません(爆)。

 予約特典欲しさに買っちまったよ……。

 だいたいPC版だって、9月に購入したばっかりだってのに(苦笑)










 しかしジュン君、なんだか突っ走ってますねぇ。その割には、やっぱりいまいち君ですけれども(笑)。

 ロードヴァンパイアの継嗣のくせに、純情なんだからもう(笑)。

 まあそこがジュンのジュンたる由縁であるような気もしますが。



 イノヴェルチの幹部の面々も、一枚岩ではないようで。穏健派のイネス&ジュンに、過激派のヤマサキ。Dは果たしていずれにつくのか?

 それにより、今後の対ハンター、対ヴェドゴニア戦略も変わってくるでしょう。

 さぁて、どうしよっかなぁ?(コラ)



 ちなみにアキトの必殺技(笑)ですが、完全に私の趣味です。ドラゴンスクリューぐらいなら、そのうち使うかも知れません。フィギュア・フォーはさすがに無理ですがね……(苦笑)。

 前話で最初に使った投げ技も、本当はデスバレーにするつもりだったのはここだけの秘密。



 さて次回、ファントムがいよいよ登場します。って、すでに出てるツヴァイはどうも、ヘッポコな場面ばっかですが……(苦笑)。



 それでは、次の夜の闇の中で……。









 ちなみに、作中で歌っている歌ですが、それぞれ、
 リョーコ……『青い記憶』「Hellow,world.」(ニトロプラス)オープニング
 枝織……『SOULTAKER』「魂狩」オープニング
 ジュン、ルリ……『Promised land』「DVD VIDEO GAME PHANTOM OF INFERNO」(ニトロプラス・デジターボ)オープニング
 となります。



 

 


 

 


代理人の感想

・・・・・・「PHANTOM OF INFERNO」?

 

今からプレイしろと言うのですか?

 

 

今からプレイしろと言うんですねっ!?

 

 

 ・・・・・・・・・・・。

 

 

やってやろうじゃないかっ!

 

 

と言うわけで、更新がスローペースになったら

「PHANTOM」にハマっているせいだとお心得下さい(核爆)。