[多摩市 日々平穏 PM1:24]
暖簾をくぐってやってきた客は、この食堂には不釣り合いの格好をしていた。他の客がいないのが、幸いだと思えるほどに。
全身を包む、黒尽くめの服。目元を隠す、黒いサングラス。
一般人なら、近づきたくもないと考えるだろうその男に、ホウメイは特に何の反応も示すこともなく、ただその前に水の入ったコップを置く。
「ラーメン一つ、それと粽を持ち帰りで」
「あいよ……なんだい、暇してんのかい?」
「いいや。ちょっと用事があってね。彼女の様子も聞きたかったし」
サングラスの男、ナオが顎で店の奥にいるミリアを示す。
「とりあえず住むところはここの上を提供してやれる。面倒な手続きとかも、いらないしね」
「帰国しないのか、彼女?」
「さあ、そいつはなんとも……どちらにしても、とりあえず必要な書類を用意するのに時間がかかるからね。それまではこの店でも手伝ってもらうよ」
「そうか」
短く答えを返し、サングラスを外して胸ポケットに仕舞う。
「それにしても、やけにあの娘に気を回すじゃないか。何かあるのかい」
「……いや、ちょっとな。大したことじゃない」
それきり黙り込んでしまったナオに、ホウメイもそれ以上追求することはない。
ミリアも店の奥から出てくる気配はなかった。だが先ほどから感じる強烈な視線からして、ナオの存在には気づいているのだろう。
「はいよ、ラーメン一丁上がり!」
その視線が気にならないわけではないが、ひとまず今は、目の前に置かれた丼の中身に神経を集中することにする。
「さすがに、旨いな」
「一度、相棒も連れてきなよ。きちんとしたもの、食ってないんじゃないのかい?」
「……考えておく」
そうして、また丼に集中する。一心不乱に箸を進めたおかげか、五分ほどで丼の中は空になっていた。
「ごちそうさん。代金はここに置いておくよ」
「ああ。いま土産の方を作ってるから、もう少し待ってくれ」
ホウメイのその声に一言答えると、ナオは両肘をテーブルにつくと両手を組んで額に押し当てる。
あれで、よかったのか?
いまは何よりも駒が欲しかったとはいえ、あの申し出を受けたことを、本当に後悔しないか?
答えはすぐに出る。だが、出たときにはもう手遅れにならないか……。
「……どうやら、本格的にキャマリラと構える覚悟を決めたようだね」
「そんな話、もう流れてんのかい」
「いいや、だがお前さんを見ていれば判るよ、それぐらい」
ホウメイのその言葉に、ナオは苦笑を禁じ得ない。そんなにはっきりと外に出ていたのだろうか。
「ついでに一つ、情報が入ってきてるよ」
「……いくらだ?」
「これはサービスしておくよ。ついでに人手もね」
訝しむように、ナオが眉の間に皺を寄せる。
「なに、あたしらにとっても、因縁浅からぬ相手だったんだよ……キャマリラのトップてのがね。だから、手を組むのも吝かじゃないってことさ」
「なるほど……そのときは手を貸してくれってわけか」
「ああ。まあそれだけってわけでもないんだが……どうだい、あんたたちにとっても、悪い話じゃないだろう?」
「とりあえず、その情報ってヤツを聞かせてくれ。話はそれからだ」
「そうさね……イノヴェルチのトップの一人、イネス・フレサンジュは知ってるかい?」
「ああ。当然だ」
イネス・フレサンジュ。その名はイノヴェルチの研究チームの中でもトップに記されている名前だ。知らないはずがない。
「どうやら今夜、彼女を護送するらしい」
「研究チームのトップをか? なんでまた」
「そこまでは。向かう先は、一見したところ何の変哲もない工場だよ」
「だが、それだけに怪しい……ってわけか」
何でもない工場。
傍目にはそう見えるからこそ、隠す先として選ばれる可能性は高い。
「護衛は?」
「数台の護衛車に、乗り込むのは歴戦の傭兵と、まあ厳重だね。だが一つ判らないことがある。Vウォーリアって、聞き覚えあるかい?」
「……俺たちがやり合ってる、まさにその相手だよ。ひょっとすると、ビンゴかもな」
Vウォーリアを同伴しなければならないほどの厳戒態勢。そして研究チームのトップ。勝負に出てみるだけの価値は、十分にありそうだ。
「オーケー。それで、そっちから出せるっていう人手ってのは?」
「……ファントム」
その名を聞いた瞬間、ナオが驚愕の表情を浮かべて立ち上がる。奥にいたミリアが驚き、びくついたほどだ。
「お、おい……そいつは、本当なのか?」
「こんな冗談言っても、しょうがないだろう? そうそう、歴代ファントム勢揃いだからね」
ごくり。
ホウメイの言葉を聞きながら、いつの間にか溢れてきていた唾を嚥下する。
身体中が、恐怖と興奮とで小刻みに震えている。
「まさか、この島国に伝説の暗殺者が隠れていたとはな」
ファントム。
かつてホウメイも属していたアメリカ西海岸のマフィア連合「インフェルノ」。その最強の暗殺者に与えられた称号が、それだった。
インフェルノ自体は、半年ほど前に崩壊している。鉄の如き結束を誇っていた筈の組織の、内紛。それが原因だ。
だがそこにはファントムたちが関わっていたという。
そう、「たち」。
ファントムは一人ではない。正体不明の暗殺者でありながら、これまでに三人のファントムがいたと言われている。
「実を言うとね、キャマリラにインフェルノの残党が接触を取ったみたいなのさ。だからあたしらとしても放ってはおけなくてね」
「成る程な。よし、わかった。相棒にも連絡を取ってみる」
[日野市 撫子学園 PM5:28]
「それじゃぁいくぞ……」
俺のカウントに合わせて、エリナさん、ユキナちゃんがそれぞれの楽器の演奏を始める。当然俺も。
学祭までもう残り少ない。少しでも早く形にしなければならない。
……それがまったくの無駄になるかもしれないと、判っていても。
前奏が終わったところで、ルリちゃんのヴォーカルが入ってくる。彼女のおかげで、曲に一本芯が入ったような気がする。
完成度という点では、これまでと比べものにならない程に。
「へえ、ルリってこんなに歌上手かったんだ」
彼女の歌声に感嘆の溜め息をもらす、一人の男。
そう、今日はリョーコちゃんと枝織ちゃんに加えて、もう一人見学者がいた。
ホシノ・カイト。
ルリちゃんの兄で、やっぱりつい先日転校してきたらしい。学年は三年、つまりここにいるメンバーで一番の年上だ。
見た目は物静かで少し頼りないところもあるけれど、それがフェイクだと俺はすぐに気づいていた。
あんな凄惨な世界に放り込まれたせいだろうか、俺は何て言えばいいんだろう、そう、血の匂いといったものに敏感になっていた。
この目の前の男は、その血の匂いを微かにだが漂わせている。普段はまったく感じ取れないのだけれど、何かの拍子に微かに漏れてくる。
けれどそれは枝織ちゃんにも、そしてルリちゃんにまで言えることだった。
いったい、どういうことなんだろう。そう思いつつも、まさか問いつめるわけにもいかず、努めて考えないようにしているわけだ。
「カイトさんは楽器とかやらないんですか?」
「いやあ、向こうにいた頃からあんまりそういう趣味はなくてね。ダチに頼まれて、歌詞の和訳とかならやったことあるんだけど」
「向こう?」
「あれ、ルリから聞いてない? 俺たち、一応帰国子女って奴なんだ」
そいつは初耳だった。けれど、それならばルリちゃんの歌にこれだけ感情がこもっているのも理解できる。ただメロディーに乗せただけじゃなくて、きちんとした言葉だったってわけだ。
その後も俺たちは、他愛もない世間話を間に挟みながら練習を続けた。
今日は全員調子がいいのか、急ピッチで進んでいく。このペースでいけば、学祭には十分間に合いそうだ。
――あくまで、このペースでいけば、だが。
「……あ」
そんなことを考えていたせいだろうか、普段ならミスなんかしないようなところで、恐ろしいまでに調子っ外れな音を出してしまった。
「ごめんごめん」
そう言いながら頭を掻いて誤魔化そうとしたけれど、皆の視線が集まってきて言葉に詰まってしまう。
それというのもその視線が、失敗を責めるというよりもむしろ、俺を心配しているような色が濃かったからだ。
「ど、どうしたんだよ、みんな」
「なあ、アキト。やっぱり辛いんじゃないか……?」
「そうですよ、センパイ。どう見ても本調子じゃないですよ?」
「そうみたいですね。少しばかり、息も荒いようですし」
順に、リョーコちゃん、ユキナちゃん、ルリちゃん。一人ならともかく、こうも立て続けに言葉を並べられると、言い返せない。
「そうだな。いまはそうでもないが、夕方頃は発汗も多かったし、呼吸も僅かばかり乱れていた。あえて言うこともないかと思ってたけれど、疲れも溜まっているみたいだしな」
「ちょ、ちょっと、別に俺は大丈夫だって」
カイトさんにまでそんなことを言われて、俺はたまらず声を上げた。
しかし、まじまじと見られていたってわけでもないのに、俺のそんな体調を見抜いていたのか、カイトさんは?
「そうねぇ、少し早いけれど、今日はこれで終わりにしましょうか。あまり無理して、体調を崩してもいけないし」
そのエリナさんの発言がとどめになった。結局練習はそこでお開きとなり、俺たちは楽器を片づけると廊下に出る。
この時間になると、いつものように廊下は真っ暗だ。けれどこれだけの人数がいると、それでも少しは賑やかな感じがする。
昇降口の違うユキナちゃん、ルリちゃんと一旦別れるというときになって、不意にリョーコちゃんが口を開く。
「なあエリナ、まだ時間あるか?」
「え――そうねえ、大丈夫だけれど……どうしたの?」
腕時計を見ながら答える。俺たちもリョーコちゃんの発言が気になって、視線を向ける。
注目を集めたのが意外だったのか、リョーコちゃんは頬を少し赤らめる。
「いやな、時間があるんだったら、久しぶりにみんなで日々平穏にでもいかないかって思ってな」
「あ、それさんせー! あたししばらく行ってないから、ホウメイさんのラーメン食べたい〜」
真っ先に手を上げたのはユキナちゃんだった。けれど俺は、やっぱり行き辛い。しばらくバイトには行けないと言っている手前、顔を出すのも気が引ける……。
それに、すぐにラピスたちのところに行かなきゃならない。
(……あ)
そういえば、ラピスからしばらく動かない方がいいって言われてたんだっけ。
かといって、じっとしているというのも落ち着かないんだが……一度、ナオの携帯にかけてみた方がいいだろうか。確か着信履歴に残っているはずだ。
そう思ってPHSを取り出したとき、カイトさんが口を開いた。
「なあ、『日々平穏』って、松が谷の?」
「え、そうですけど……知ってるんですか?」
「ああ。あそこのホウメイさんとはちょっとした縁があってね。俺たち、そこの上の部屋を紹介してもらったんだ」
「へえ、あのアパートなんですか」
驚いた。世間は狭いと言うけれど、こんなところでこんな繋がりがあったとは。
我ながら単純だとは思うけど、急にカイトさんたちとの距離が近くなったような、そんな気がする。
「でも、今日は夜は都合があって店を閉めるって言っていたけれど?」
「それ、本当ですかぁ〜? ガックリ……」
そういって肩を落としたのはユキナちゃんだ。彼女、本当にホウメイさんのラーメンが好きだからな。
「それじゃあ、ファミレスにでも行くか?」
「悪い、人手がいるってんで、俺たちも手伝ってくれって言われててね。これからっていうのは無理なんだ」
「なんだ……それじゃあしょうがないか」
そうは言いながら、納得いかないような素振りのリョーコちゃん。けれど無理を言っても仕方ないので、そこで話を切り上げ、別れて玄関に向かう。そしてもう一度合流してから、改めて家路についた。
本来なら方向の違うユキナちゃんだけれど、今日は一緒にと言って着いてきている。バス通学の彼女だが、俺たちの最寄り駅からも彼女の家の方面へのバスが出ている。当然定期は使えないし、遠回りになるのだけれど、ダベる方を選んだというわけだ。
そして俺たちが別れた頃には、日は完全に暮れて夜の闇が下りていた。
[多摩市 松が谷 PM6:45]
「いない……か」
帰ってきた俺の部屋に、北斗の姿はなかった。
代わりに残されていたのは、きちんと畳まれたスウェットと「世話になった」とだけ書かれた書き置き。
「なんて言うか、こういうのが残ってた方が、らしくないような気がするなあ」
苦笑しながら鞄を放り投げて、PHSを手に取る。そのまま履歴を検索してナオの番号を探す……あった。名前は表示されていないが、日付と時刻から、これに間違いない。通話アイコンを押して、PHSを耳に当てた。
「……切れてる?」
帰ってきたのは、電源が切れているか、電波が届かないと告げる合成アナウンス。あの隠れ家に電波が届かないのか、それとも本当に切っているのか。
いずれにせよ、動くべきか動かざるべきか。その指示を仰ごうとして電話をかけただけに、どうすればいいか判断に困る。
とりあえず、律儀にも設定していたらしい留守電サービスに伝言を残し、通話を切る。
さて、本当に、どうするべきか……。
思案に暮れつつベッドに横になった瞬間、着信を告げるメロディが鳴り響いた。すぐに相手を確認して、アイコンを押す。
「ナオか?」
『おお、悪い。ちょっと切っててな。どうした?』
「いや……今日も、やるのか?」
何が、とは言わない。わざわざ言わなくとも通じているはずだし、やっぱり、電話越しとはいえ迂闊なことは言わない方がいいんだろう。
『今日のところは、お前は休んでろ。ラピスもそう言っていたはずなんだがな?』
「ああ、確かにそう聞いているけど……だからって、はいそうですかって、任せきれないんだよ」
『これはこれは。ハンターとしての自覚が出てきたのか、俺たちに信用がないのか、微妙なところだねえ』
電話口の向こうの声は、笑っている。だがこちらにとっては冗談じゃすまされない。
「おい、真面目に聞けよ!」
『いや、そんなつもりじゃなかった、気を悪くしたなら謝る。そうだな……お前はどうしたい?』
沈黙が流れる。
どうすればいいじゃなく、俺が、どうしたいのか。
少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「――行く。自分の手で、決着をつけたい。いや、つけなきゃならない」
『オーケー。こっちは準備を整えて待ってる。早く来い』
ああ、と返事を返し通話を切ろうとして、一つ告げておかなければならなかったことがあったのを思い出した。
「そうだ。もう一つ話しておきたいことがある。北斗のことなんだけど……」
『なんだ? 俺がどうかしたのか?』
「ほ、北斗ぉ!?」
電話口に聞こえてきた声に、俺は思わず大声を上げていた。今のは間違いない、確かに北斗の声だ。
「ど、どうしてそこに……」
『なあに、同盟成立って奴だ』
今度はナオの声だ。その声は実に可笑しそうに弾んでいる。事実、俺が驚いたのがよほど可笑しかったんだろう、馬鹿みたいに笑っているのが、電話越しにも伝わってくる。
「これからそっちに行くからな!」
その笑い声に苛立ちを覚えて、叩きつけるように言い捨てると、俺は通話を切った。
[神奈川県 城山町 PM9:20]
アジトにやってきた俺がその庭先で見たのは、異様な雰囲気を漂わせている漆黒のバイクと、その前に屈み込んで整備に明け暮れている、ナオと北斗の姿だった。
「おう、来たか」
「なんだよ、その物騒なバイクは?」
こちらに気づいて立ち上がったナオに挨拶を返すよりも先に、バイクの方が気になって仕方がない。
ベースはハヤブサだろう。名前に相応しい、猛禽類のようなフェイス。しかしそれをより精悍にというか、異様に見せているのは、両輪のフェンダーからそれぞれ突き出されている、牙を思わせるプロテクターだ。
「こいつか? この間の戦利品なんだがな、呆れるようなスペックだぜ。詳しいことは省くが、これだけゴテゴテとしたモン背負っておいて、アクセルオンから三百キロまで十秒もかからない。あ、言っておくが、フェンダーには下手に手を触れない方がいいぞ、チタン鋼製の特製品だからよ」
「え?……うわっ!?」
ナオが言ったときには、もう俺はフェンダーに手を置いていた。走った痛みに慌てて手を引くと、そこは見事なまでにスッパリと切れて、赤い血が滲んでいた。
「こ、こんな化けモン、誰が乗るんだよ?」
俺がそう言うとナオも、整備の手を止めた北斗も顔を見合わせて、何を言っているんだとばかりに、こちらに怪訝な視線を向ける。
「ま、まさか……?」
「吸血鬼専用に決まってんじゃねえか。んで、ここにあるってことは、もちろん乗るのはお前さんだろうが」
ん、んなこと言われたって、いくら何でも無理だぜ、おい!?
「そんなこたぁない。本質はお前が使いこなしてる、例の武器と一緒だ。いまは無理でも、変われば自ずと使い方――この場合は乗り方だな、それも理解(わか)る」
「だ、だけど……」
「それから、今夜はこいつに乗って出てもらうからな。いまのうちに覚悟を決めとけ」
ナオは実に面白そうにニヤリと笑って、俺の肩にポンと手を置く。そして俺が反論する間もなく、とっとと洋館の中に入っていってしまった。
呆然と立ちつくす俺にさらなる追い打ちをかけたのは、深紅の髪の戦士だった。
「しっかり頼むぞ。後ろに俺が乗ることになってるんだからな」
「ちょ、ちょっと待て北斗! それってどういう……」
「そのままの意味だ。今夜は俺とお前が組むことを前提に、計画を立てたと言っていたぞ」
「そんな……お前が運転すればいいんじゃないのか?」
そうだ、確かに俺は普段からカタナを乗り回しているが、幾らなんでもこんな化けモンを乗りこなせる自信はない。
それに、北斗だってバイクには乗れるはずだ。むしろ訓練を受けている分、俺なんかよりもよっぽど……。
「実を言うと、俺はオンロードバイクは苦手でな。こいつに限って言えば、お前の方が上手く乗りこなせるのは間違いない」
だが北斗はそんな俺の希望を、あっさりと打ち砕いてくれた。
「詳しいことは聞いていないが、今夜連中は何かを秘密裏に移送するらしい。大がかりな護衛を引き連れてな」
「そいつを襲撃するってわけか?」
「ああ。それにはどうしたって足がいる。そこでコイツの出番となったわけだ」
手にしていたスパナをしまい、北斗もまた洋館の中へと入っていく。残される形となった俺も、仕方なくその後を追った。
ナオが説明した襲撃計画は、至極単純なものだった。
標的は、特別仕様の軽トラックと護衛車両が三台。それが深夜の闇を縫って、クリムゾンの研究所から研究所へと移動する。
移動ルートには一カ所、山越えの峠道が含まれている。その長さは約十五キロ。他に邪魔も入らない、こちらにとっても実に都合のいいロケーションだ。
だが、連中の護衛も半端じゃないだろう。実際、Vウォーリアが加わっていることも判明している。そのために今回の襲撃は二段構えで行われる。
まず後ろから囮が追い立て、護衛の注意を引きつける。その隙にと先行した移送車両を、あらかじめ先回りしていた別働隊が待ち伏せて仕留めるというものだ。
「まず俺たちが仕掛ける。お前は後ろからついてこい。そしてVウォーリアが出張ってきたら、交代ってわけだ」
「ちょっと待て? それじゃあ移送車両は誰が待ち伏せるんだ?」
今の言い方だと、ナオとラピスも俺たちと一緒に追い立てる側に回ることになる。それじゃさっきの説明と食い違ってしまうが……。
「そいつはすでに手配してある。そうだな、そろそろ向こうも出発した頃だろうよ」
[多摩市 日々平穏 PM9:40]
店の裏から一台の大型RVが姿を見せる。確かにそう見る機会もない車種だが、そう特別というわけでもない。
そのハンドルを握りながら、ホウメイは後部座席に座るミリアに視線を向けた。
緊張からか顔色を真っ青にし、ミリアは両手をしっかりと握りしめている。だがその視線は鋭く、意志が固いことが見て取れた。
「本当に、ついてくるつもりかい?」
「……はい。私やメティをこの国に連れてきた連中と戦うと聞いて、黙っていられません」
正直、ミリアを連れて行くことに関してはホウメイは否定的だった。だが、ここに一人残していくというのも、不安が残る。
もしかすると、彼女の行方がイノヴェルチに知られている可能性だってある。考えすぎだとは思うが、一人にすることは躊躇われた。
助手席のドアを開けて少年が、さらに後部座席に少女が乗り込んでくる。少女は黒い身体にフィットしたラバースーツを着込み、少年も特殊工作部隊が着込むような、ゴツイ外観の黒い服に身を包んでいた。
無言のまま、手にしていたそれぞれの武器の最終点検を済ませる。
「カイトもルリも、準備できたね?」
頷く二人。
タイミングを同じくして、真紅のドゥカッティがRVに並ぶ。ライダーがヘルメットを脱ぐと、その中からバイクと同じ、真紅の長髪がこぼれ落ちる。
「準備オッケーだよ。ホウメイ」
「ああ、そうみたいだね。枝織」
ホウメイの問いかけに、口元に薄く冷笑を浮かべて答える枝織。その姿は昼間、アキトたちといたときとはまるで別人だ。
ホシノ・ルリ、ホシノ・カイト、そして影護枝織。彼ら三人こそが、かつてアメリカ西海岸の裏社会を震え上がらせた最強の暗殺者、ファントムだった。
「じゃあいくよ。待ち合わせの時間に遅れたとなると、厄介だからね」
軽く笑みを浮かべてから、ホウメイはドアの窓を閉める。枝織もヘルメットを被り、アクセルを開けてエンジンを吹かした。
[八王子市 恩方 AM1:15]
仰ぎ見る頭上は夜空より暗い。
そびえ立つ夜の山の威圧的なシルエット、それはまるで、覆い被さるように俺の目の前に立ちはだかっている。
俺たちは麓の林道に隠れ潜み、そのときが来るのを待ち構えていた。
計画通りなら、もうそろそろ目の前の街道をクリムゾンのトラックと、それを護衛する車の隊列が通過する。
今の時刻、この街道を通る影はない。時折ヘッドライトが過ぎ去っていくが大抵が一台、稀に二台あるかどうかだ。四台以上という隊列を、見逃すことはないだろう。
しかし……。
俺は、改めて自分が跨っている怪物の車体を眺めた。
エンジンはDOHC四気筒2000cc、おまけにツインターボにニトロオキシサイド噴射ときたもんだ。そのスペックの全てを理解できたわけじゃないが、コイツがとんでもないシロモンだってことは十分に分かる。
カウルに刻まれていた名はGSX−”Desmodus”。何でも吸血コウモリの学名らしい。この漆黒のバケモンに実に相応しい名だろう。
しかし、本当にこんなモンを、俺が乗りこなせるというんだろうか。
俺もまあ、限定解除のビックバイクの扱いを知らないわけじゃない。いざとなれば乗りこなす自信はある。
だが……コイツはそんな次元のマシンじゃない。
もちろんナオや北斗が言っていたように、ヴェドゴニアとなった俺には出来るのかもしれない。だがそれはあくまで予想であって、確定した事実じゃない。
いざこれからとなって、もしうまくいかなかったら……。
「どうした、アキト?」
そんな内心の怯えを察したか、後ろに跨っていた北斗が俺の顔を覗き込んでくる。
「いや……なんでもない」
「なら、いいがな」
それ以上、会話が続かない。いや、少なくとも俺は続けることができなかった。
グローブを外し、いつしか手の平に滲んでいた汗を拭う。
いやにべっとりとしたそれは、俺の心そのままのような気がした。
「……来たぞ」
北斗の声に、知らず俯いていた視線を上げる。
聞こえた。
森の梢に削がれながらも、なおここまで届くエンジン音。一台じゃない。間違いなく四、五台はいる。
そう思ったときには、光の隊列が林の間を瞬きながら迫ってくる。
目の前のハマーの運転席からナオの左腕がぬっと伸びてくる。
立てられた親指が、隊列が追い越していってしばらくしてから、下へと向けられる。
すぐにハマーのエンジンが始動し、獲物を追い込むべく疾走を始める。
俺も慌ててセルを押し、エンジンを始動させる。落雷のような轟音が響き、シート越しにエンジンの桁外れな振動が伝わってくる。
だがそれでもまだ、俺は決断ができずにいた。
試しにアクセルを開けてみると、狂ったようなレスポンスを見せて一気に七、八千回転まで跳ね上がる。
こ、こんなの、扱いきれるわけないだろぉ!?
「どうした、アキト?」
「あ、い、いや」
北斗に答える声も、上擦ってしまっている。
乾ききった上顎に舌が引っ付いて、思ったように声が出ない。
『変身』
それしかないのか?
だが……そんな簡単に『死』ねるはずがない。
そうやって逡巡していると、
「変身しろ。そうすれば、乗りこなせるだろうさ」
「な!?」
北斗の冷たい声が、後ろから聞こえてくる。
それしか、ないんだろう。このバケモンを乗りこなすには。だからといって……。
「……お前がやらないのなら、俺がその首をかっ切るまでだが」
「わ、判ったよ! やればいいんだろ!!」
北斗なら、本当にやりかねないだろう。俺の首根っこをひっつかんで、背後から首をかっ切る……さすがに、そんなのはごめんだった。
取り出した猿轡を後頭部に押し当てる。
こいつの鍵は、きっちりと預かっている。でもなけりゃ、ナオたちと別行動になりかねない今夜、とてもじゃないが変身する気になんかなれやしない。
それを確認してから、俺は猿轡の金具を操作した。がちりという金属音を立てて、それは俺の顔の下半分を拘束する。
「早くするんだな」
「分かってる」
猿轡に仕掛けられた骨振動マイクが、俺の声を北斗が付けているヘッドセットに伝える。周波数を変えれば、ラピスやナオとも通信が出来る。
こいつのおかげで、いままでのように話が通じないなんてことはないだろう。
それから俺は腰のカバーからナイフを抜き去ると、手首に押し当てる。冷たい感触にぞくりとするものを感じながらも、俺は瞳を閉じてその刃を一気に引いた。
流れ出る血と入れ替わりに、夜の冷気が染み入ってくる。
それと同時に、沸き立つようなエネルギーが身体中に満ちあふれてくる。
世界が、変わる。風の音の、月の光の、夜の闇の、意味が変わる。
そうだ。何を恐れることがある?
腹の下で息づく鋼の猛獣のタンクを、愛おしさとともに俺は掌で撫でる。
さあ……待たせたな。これから狩りの時間が始まる。だから、お前は俺に従え。そうすれば、思う存分に暴れさせてやる。
さっきまで絶望的なほどの狭さに見えた道幅が、今は倍の広さに見える。
ヘッドライトに照らし出され、そして一瞬のうちに消え去っていく路面の、闇に呑まれたその先までもが見通せる。
瞬時に線となって感じ取れる無数のライン。その中から俺はもっとも過激でスリリングな奴を選択する。
ガードレールが、目の前に迫ってくる。その先は奈落の闇、突き破れば命はない。
ここだ!
ブレーキング、重心移動。身体が勝手に動き、全てが流れるように運んでいく。
デスモドゥスはその性能の限界全てを発揮し、俺の元で歓喜の雄叫びを上げていた。
コーナーは次々と迫ってくる。俺はそれを苦もなくクリアしていたが、途中から体重移動による反応がよりシャープになる。
怪訝に思った俺だったが、その疑問はすぐに解けた。なんのことはない、北斗も俺と一緒にコイツを駆る喜びに浸っていただけだ。
同時に身体を傾け、コーナーをクリアする。右、左、そしてまた右。俺と北斗、そしてデスモドゥスは、一つの生命体のようにその動きを完璧に揃えていた。
「追いついたな」
視線の先に、ハマーのテールランプが見える。時折光るマズルフラッシュからして、護衛の車両と銃撃戦を繰り広げているのだろう。
北斗がリアカウルに縛り付けておいたショットガンホルスターから、SPASカスタムを引き抜く。そのまま指先でセイフティを解除。初弾はすでに装填済み、いつでも撃てる。
俺たちの接近に気がついたのだろう、ハマーが速度を緩めて端に寄る素振りを見せる。ラピスの小さな手が先を示しているのを見て取ったときには、俺はアクセルを吹かしてそれを追い抜いていた。
一気に最後尾の護衛車に並び立つ。敵が俺たちの接近に反応する間もなく、北斗が右腕に持ったショットガンを突き付ける。
至近距離からの連射で、エンジンルームに撃ち込まれる四発のスラグ弾。
並のマグナムの三倍の威力と言われる十二番ゲージのスラグを続けざまに叩き込まれては、無事に済むはずがない。
エンジンどころかトランスミッションまで破壊されたか、護衛車は操舵を失ったかと思うとスピンしながら後方へとすっ飛んでいった。
やや遅れてガードレールの破砕音と……谷底から響いてくる爆音。あのスピードでコントロールを失えば、当然の末路だ。
それに思いを馳せることなどなく、俺は次の獲物を求めてデスモドゥスを加速させる。
さすがに今度は敵もその気になっている。左のサイドウィンドウから一人が身を乗り出し、マシンガンを撃ちまくってくる。
首を竦めた俺の目の前で、フロントカウルが盛大に跳弾の火花を散らす。防弾仕様っていうのは伊達じゃないらしい。
俺の肩越しに北斗がショットガンを放つ。だがろくに狙いも付けない銃撃では、命中させることは難しい。あっという間に弾倉が空になり、引き金を弾いても虚しい感触が残るだけになる。
さて、どうやって仕留めるか……。そう思っていると、低い唸りを上げてハマーが俺を抜き去っていく。そして俺の前に出たかと思うと、右のサイドウィンドウからラピスがその小さな身体を乗り出してきた。
一体何を?
そう思う間もなく、ラピスが抱えていたAUGが唸りを上げる。
そのまましばらく、二台目の護衛車とハマーとの間で銃撃戦が繰り広げられる。その間に北斗はショットガンをホルスターにしまい、俺の胴に両腕を回してきた。
「行け、アキト!」
言われるまでもない。
アクセルを開け、トップスピードに持っていく。ハマーの真後ろでスリップストリームに入っていたデスモドゥスは、あっという間に護衛車の右に並び立つ。
デスモドゥスの接近を見て取って、ドライバーがこちらに幅寄せを仕掛けてきたが……フン、もう遅い。
車体に掠ることなく、デスモドゥスはさらにスピードを上げて抜き去っていく。慌てた護衛車に、ラピスの銃撃が追い打ちをかける。
結局そのまま態勢を立て直すこともままならず、護衛車はハマーとの銃撃戦に雪崩れ込んだ。
それを後目に俺たちは先を急ぐ。この先は本命の護送車……のはずだったが、どうやら少々手こずってしまっていたらしい。
代わりに隊列の先頭を走っていた最後の護衛車が下がってきている。
まあ、コイツを潰せば、とりあえず今夜の俺の仕事は終わりだ。
だがこの護衛車の動きは、見るからにおかしい。これまでのように攻撃を仕掛けてくることもなく、ただ距離を詰めてくる。
さては……きたか!
「アキト!」
北斗の叫びと同時に、リアガラスを突き破って、コートに着膨れした人影が身を捩って這い出てくる。
間違いない。キメラヴァンプ……さぁて、本格的なパーティーの始まりだ!
トランクの上に仁王立ちになったそいつは、着ていたコートの下で両手に持ったマシンガンを乱射してくる。
咄嗟に首を竦めるとともに、射線上からデスモドゥスを退避させる。
そのまま蛇行しながら、ホルスターから愛用のデザートイーグルを抜き放ち、北斗がそれに対抗する。だがいくら強力でも所詮はハンドガンだ、マシンガンに対抗するには心許ない。
「仕掛けるぞ!」
長引いては不利だ。それを悟った俺は、一気に勝負をかける。
タイミングは一瞬……キメラヴァンプが構えた、マシンガンの銃弾が切れたその瞬間!
護衛車の真後ろにつくと、フルスロットルでトランクルームめがけ突っ込んでいく。俺が何を狙っているか悟ったのだろう、敵はマガジンを交換することを諦めてコートを脱ぎ去った。
デスモドゥスのバンパークローが車体に噛みつく寸前、キメラヴァンプは宙へと舞い上がる。北斗がそれにデザートイーグルの銃口を向けるが、とっくに弾切れだ。小さく舌打ちするとホルスターにそれを戻す。
トランクルームをぐしゃぐしゃに引き裂かれた護衛車は、蛇行をはじめてコントロールを失っている。当然それに噛みついているデスモドゥスも……。
「北斗!」
「ああ!」
二人ともシートから腰を浮かし、激突の瞬間に備える。
山側か、谷側か……。
幸いにも護衛車が突っ込んだのは山肌の方だった。猛スピードでコンクリートブロックに突っ込んだため、護衛車はフロント部分が完全にひしゃげている。
衝撃でデスモドゥスのクローも外れ、横倒しになって路面を滑る。
だが俺たちはそれに先んじて空中に身を躍らせ、安全圏に着地していた。
先に降りていた北斗がデスモドゥスへと走り、縛り付けていたSPASカスタムと二本の金属製の棒を取り出す。
「アキト!」
投げよこしてきたそれを両手で受け取ると、繋ぎ合わせて一つにする。聖者の絶叫(エリ=エリ=レマ=サバタクニ)と名付けられた、破壊力に長けた長槍(グレイヴ)。それがコイツだ。
「やっぱりな」
歪んだドアを蹴破って、護衛車のドライバーが姿を現す。不自然な体躯の大きさは、俺の予想を裏付けていた。
あれで終わりとは思っていなかったが、二人組だったか。
「俺は上の奴を片づける。そいつは任せたぞ」
ショットガンに弾を込めて、北斗は先に逃れていたもう一体に向かう。あれは……蝙蝠か?
闇に紛れるような体色のために判別が難しいが、あの姿はそうに違いないだろう。だがそうなると、当然飛べるはずのない北斗に不利か?
そう思っていると、目の前のキメラヴァンプもコートを破り捨てて向かってきた。
白い上半身に、背中に見える巨大な翼。コイツは……鷲か!?
カウンターでグレイヴを突き出したが、嘲笑うように鷲男は高々と宙に舞い上がる。
ちっ、こりゃ厄介だな……。
護送車内……。
コンテナの覗き窓から、イネスは外の様子を窺っていた。
「他の護衛はどうしたのかしら?」
同乗の護衛……いや、自分の監視役に向けて声をかける。
「すべて後方の襲撃者を食い止めに廻っています。我々は、今のうちに逃げ切って……」
「じゃあ、今ね」
「は?」
イネスの言葉の意味が分からず、護衛は間抜けな声を上げる。その様子を見ながら、イネスはその無能さに内心呆れ返っていた。
(仮にもイノヴェルチの輸送車を襲うのよ? その護衛が一筋縄じゃいかないのは承知の上の筈。だとすれば、狙うのはその護衛がいなくなった瞬間……つまり)
甲高い音とともに、輸送車が急ブレーキをかける。車内にいた人間は一人として堪えきれず、その場に転がり、倒れ込む。
「くっ、どうした!?」
護衛スタッフのリーダーが、運転席に通信を繋ぎ事態の確認を急ぐ。
『襲撃です! バイクが一台と、大型の乗用車が一台!』
「なに? さっきの連中か?」
『いえ、連中とは別です!』
リーダーはその通信の内容に苦虫を噛み潰したような表情になる。
はめられた。
さっきの連中は、大がかりな囮だったのだ。本命はこちらだったというわけか。
(今頃気づくなんてね)
そのリーダーの表情を眺めながら、イネスは苦笑を禁じ得ない。
仮にも一部隊を任せられる立場にある人間が、こんなことにも気がつかなかったとは。意外とイノヴェルチも、人材が枯渇しているのかもしれない。
(さて、正体を隠したイノヴェルチか、それともキャマリラか。はたまたまったく別の何者か……面白くなってきたじゃない)
楽しそうに、実に楽しそうにイネスは口元を歪めた。
護送車の前を塞ぐように、一台のRVがその姿を見せる。
ドライバーが不信に思う間もなく、サンルーフから小さな影が姿を見せ、こちらに何かを突きつけてきた。
あっと思う間もなく、マズルフラッシュが周囲を染め上げる。
MP5の9ミリパラペラムが次々にフロントガラスを直撃する。強化ガラスが粉々に砕け散るが、咄嗟に頭を下げていたおかげか、ドライバーと助手席の護衛の男は無事だった。
しかし驚きのあまり、ドライバーは全力でブレーキを踏みしめる。いきなり制動がかかり、激しく蛇行する護送車。大きく横を向いたが、それでも道路から飛び出すことなく停止する。
振り飛ばされないよう、ダッシュボードにしがみついていた護衛が、ようやくシートベルトを外し、銃を抜いて顔を上げる。
だがそれはもう、致命的な遅れだった。
襲撃者を確認すべく顔をダッシュボードの影から覗かせた瞬間、その眉間に鉛弾が吸い込まれる。男は自分の命を奪ったのがいったい何者か確認することもできず、物言わぬ塊と化した。
きっと彼は、最期の瞬間にこう思ったことだろう。
自分は、幽霊(ファントム)に殺られたと。
「襲撃です! バイクが一台と、大型の乗用車が一台!」
『なに? さっきの連中か?』
「いえ、連中とは別です!」
ドライバーが無線でコンテナの中に襲撃を告げる。しかしそれ以上、彼はしゃべり続けることは出来なかった。
いつの間にか近づいていた紅い影が、サイドウィンドウ越しに続けて二発、手にした鈍く光る銀色の凶器の引き金を弾いたからだ。
「本当、呆気ないね」
ステップから飛び降りながら、枝織が呟く。その瞳に浮かぶ光は、どこまでも冷たい。
「来るぞ!」
車体を挟んだ反対側から聞こえてきた声に、反射的に飛ぶ。一瞬遅れて、コンテナの中から飛び出してきた護衛が彼女のいた場所を銃弾で薙ぎ払う。
「気を抜くな。お前の悪い癖だぞ」
「大丈夫。あたしの実力はカイトも知ってるでしょ?」
「遊びすぎるところもな。だから、心配なんだ」
運転席の影で銃弾をやり過ごしながら、カイトと枝織は軽口を叩き合う。
だがその漂わせている雰囲気は、やはり撫子学園にいたときとはあまりにも違う。
それぞれ愛用の獲物を手にし、銃弾の嵐が止むその一瞬を待つ。だが敵も二人が少しでも飛び出す素振りを見せればすぐにライフルを撃ってくる。さすがにその中に身を晒すのは、ぞっとしない。
「さて、どうしたものか……」
カイトがそう深刻でもなさそうに呟く。そしてその呟きに合わせたかのように、ホウメイが操るRVが猛然と突っ込んできた。
それに気がついて、護衛たちの銃弾の先がそちらに変更される。だが防弾加工が施されたRVは、その激しい雨に耐えきった。
後部座席から飛び出したルリが、手にしていたパイソンを連射する。その掃射で、護衛のうち二人がアスファルトにその身を横たえる。
護衛たちが浮き足立つところに、飛び出した枝織が両手に持ったS&W−M5906を乱射する。
横っ飛びに、空中で五発ずつ。さらに肩から受け身を取り、起き上がり様に残り全てを。
まさに香港映画を彷彿とさせるような動きで、マガジンが空になるときには、彼女の前に立っているものは一人もいなかった。
枝織が飛び出したのを見て、カイトもすぐにコルト・ガバメントを構えて運転席の影から飛び出す。それに気づいた護衛が彼に銃口を向けるが、そのときにはもう、ファントムの中でも最強と目された、ツヴァイの照準は付けられた後だった。
二発ずつ、計六発の発射音。
凶弾は、狙いを過たずその役目を遂行した。
山間に木霊する残響音が消えてなくなる頃、護送車に乗り込んでいた人間は一人を除いてすべて躯と化していた。
開け放たれたコンテナの中に、愛用のハードボーラーの銃口を向けて様子を窺う。しかしそのホウメイが見たのは、悠然と椅子に腰掛けて妖艶な笑みを漏らす、白衣の女性の姿だった。
「さて……あなた達は何者? イノヴェルチ、それともキャマリラ?」
「あんな連中と一緒にしないで欲しいもんだね。さて、ミズ・フレサンジュ。あたしたちに連いてきてもらおうかい」
銃口をイネスに向けたまま、首を少し巡らせてコンテナから出るように指示する。しかしその相手であるイネスは、自身に向けられた凶器に脅える様子は微塵もなく、逆にホウメイの方が気圧されそうな程に凛としている。
(まったく、科学者って人種には、恐怖ってもんがないのかね? こいつといい、あの外道といい……)
科学者という言葉から連想される人物のうち、もっとも嫌悪すべき人間を思い出してしまい、ホウメイの表情が苦渋に歪む。
それを見てかイネスの表情が若干変わるが、それに気づかないふりをして、ホウメイは右手のハードボーラーをさらに突き出し、イネスを促した。
正直に言って、空を飛べる奴を相手にするのは骨が折れた。
手持ちの銃器はレイジングブルのみ。いくら威力があるといっても、その射程はたかが知れている。空中を自在に飛ぶ相手にするには、いささか無理がある。
しかしそれは北斗の方も似たような状況らしかった。
彼女のSPASなら多少は対抗できるはずだ。だが蝙蝠男は予想を大きく裏切る不規則な軌道を描いて飛び、ショットガンの弾丸をかいくぐる。
さらに北斗が引き金を弾こうとする瞬間、超音波を発して三半規管を乱してくる。さすがにそれでは正確な射撃もできず、無駄弾を費やすだけに終わっていた。
「北斗、こうなったら……」
(ああ、それでいこう)
俺の提案に、唇の動きで答える北斗。俺の声は北斗のヘッドセットにしか届いていない。当然、キメラヴァンプたちには俺たちの打ち合わせの内容など、そもそも俺たちが会話を交わしていたことさえ気づかないはずだ。
それでも細心の注意を払いながら、互いの相手に攻撃を仕掛ける。
無駄弾を使うだけとは言ったが、それでも相手の動きを絞り込むぐらいのことはできるようになっていた。
相手が動く機先を制するように、レイジングブルを抜き撃つ。一瞬で弾倉の弾を撃ち尽くし、スピードローダーで弾丸を交換する。その一方で地面に刺していた長槍を引き抜くと、背中に隠すようにそれを構える。
左腕一本でSPASを乱射しながら、北斗は背負っていた三日月刀を右手に構える。そのまま手首を振って重なっていた刃を広げる。
そして俺たちは、キメラヴァンプを挟み込むような位置に立つ。
一瞬の目配せの後、同時に闇に光るマズルフラッシュ。レイジングブルとSPAS、それぞれの弾丸が闇夜を裂いて宙を舞う獲物へと迫る。
それをかわそうとキメラヴァンプたちが飛翔しようとした瞬間、それぞれの目の前に光る刃が迫っていた。
「悪いな。そっちが本命なんだ」
果たして奴らには、北斗が口元を歪めたのが見えただろうか。
蝙蝠男の胸からは俺が投げた長槍の穂先が生え、鷲男の首筋を北斗の投げ放った三日月刀が切り裂いていく。
そう、俺たちが狙っていたのは、互いが戦っていたのとは逆の相手だったわけだ。直前までそれぞれの相手の意識を引きつけ、最後の、外せない一撃だけ狙う相手を交換する。
もちろんいきなり狙ったところで簡単にかわされただろうが、全くの不意打ちなら話は別だ。
しかし、普通なら致命傷のはずの一撃を受けても、キメラヴァンプたちはよろめいてバランスを崩しただけだ。
それでもさすがに飛び続けていることはできずに、二体とも地面に着地する。そうして体勢を立て直し、再び舞い上がろうとするが、そうはさせない!
猛然とダッシュしながら、左手のSPASを持ち替えて振りかぶる北斗。俺も体勢を低く落とすと、両手を広げ這うようにして一気に詰め寄る。
蝙蝠男が北斗めがけて超音波を吐きかける。
「フンッ!」
それが彼女の身体を打ち据える寸前、北斗は大きく身体を前に投げ出すと、くるりと回転して見えない音の塊を飛び越える。
そのまま遠心力を味方に、振りかぶったSPASカスタムの手斧を蝙蝠男の脳天めがけて振り下ろした。
鈍い音とともに、刃が頭蓋をかち割り脳漿を撒き散らす。ゆっくりと倒れ伏し、四肢をびくつかせる蝙蝠男の心臓に、北斗はホルスターから抜いたデザートイーグルを突きつけた。
「灰は灰に、塵は塵に」
炸裂音が周囲に響き渡り、50口径アクション=エクスプレス弾が鼓動する肉塊を貫いた。
地面すれすれの姿勢から地を蹴って、飛び上がろうとする鷲男の膝頭を左足で踏みつけてその動きを止める。そのままそれを踏み台に、後ろに大きく振りかぶった右脚で頭蓋を蹴り飛ばす。
グシャッという音を立てて、首から上が吹き飛ぶキメラヴァンプ。ぐったりと仰向けに倒れたその姿を目の前に、俺は強烈な渇きが襲ってきたのを自覚していた。
周囲に立ちこめる、血の匂い。
それは俺の脳髄を刺激し続けて止まない。
「くっ」
乱れる呼吸を立て直そうと大きく息を吸い込んだが、その拍子により濃くなったその匂いと、そしてかすかな鉄の味が口中に広がる。
伸び上がろうとする犬歯が、猿轡に阻まれて軋みをあげる。
やばい、限界がきた……!
慌てて鍵を探るが、全身が痙攣していて手元が狂う。どうにか取り出したものの、指先からこぼれ落ちてしまう。
「アキト、じっとしていろ!」
その首筋が強い力で抑え付けられる。その正体が何であるか、そこに思いが巡る前に、がちゃりと音を立てて、枷が外される。
その瞬間には、すべてが頭の中から吹き飛んでいた。時折思い出したかのようにびくりと震える鷲男の首筋にかぶりつく。
鋭く伸び上がった犬歯が、皮膚の下の頸動脈を食い破る。
滑りを持った暖かな液体が口の中へと流れ込み、俺はゆっくりとそれを嚥下する……。
気がついたときには、俺は鷲男の首なし死体――いや、こいつらの場合死体とは言えないか――を前に座り込んでいた。
「さて、そいつから離れていろ。今とどめを刺す」
弾丸を薬莢に送り込み構えた北斗に向かって、俺は手のひらを上げてそれを制する。
「……俺がやる。奴らと戦うと決めた以上、それがけじめだろうから」
言いながら立ち上がり、レイジングブルを構えようとする。
だが、無理だった。元々人間の手には余る化け物銃だ、足下がふらついている今の俺なんかに撃てるはずがない。
「……しょうがないな。これなら持てるか?」
そう言って手渡されるデザートイーグル。しかしそれも2キロ弱はあるとんでもない代物だ。
ましてやその50AE弾は、44マグナム弾の1.5倍のパワーだとか……やはり、扱うのは難しいだろう。
そんな思いが顔に出ていたのか、俺の手にグリップを握らせたまま、北斗の顔が曇る。
「いいか、そのまま狙いを付けろ」
そのまま有無を言わさず、俺の手の上からさらに北斗が銃を固定する。そして俺の後ろに回り込み、俺を支えるように立つ。
それでどうにか銃を持ち上げられるようになった俺は、改めて銃口の狙いを鷲男の心臓に定めた。
「「灰は、灰に……塵は、塵に」」
俺と北斗の声が重なる。
ゆっくりと二人の指が引き金を引き絞り、くぐもった音が、闇夜に木霊した。
...EPISODE06 END
<次回予告>
何でもないことで笑いあい、
他愛もないことでふざけあい。
それは、掛け替えのない日常。
けれど、今は遠い幻となった光景。
それをもう一度この手にするために、
俺は戦っていた。
だが、ついに奴らはそんな日常に躙り寄ってきた。
EPISODE 07 「疑惑」
<あとがき>
随分と間が空いてしまいました。まずはじめにお詫び申し上げます。
さてその舌の根も乾かぬうちですが、次も遅れ気味になるかと……。
ファントムとクロスさせるための整合性をとるのにちょっと手間取りまして、ずれ込んでしまいました。
何を喋らせてもいいのか、何を喋らせたらいけないのか、そこから洗い直さないといけないとは。見通しが甘かったです(苦笑)。
さて、先日書店で(と言ってもアニメイトですけどね)コミック版ヴェドゴニアの二巻(最終巻)を手に取りました。
泣けました。
あまりのダメダメっぷりに(爆)。
TV版魔装機神サイバスターを見たウィンキーソフトの阪田さんの心境って、こうだったのかなぁ……。
はっきり言います。あれは見なくていいです、本当に。
まあオリジナルヒロインのラルヴァだけでしょうなぁ、見るべき点は(しかもそのせいで正ヒロイン陣の影が薄かったり)。
これ以上は愚痴しか出ないんで、この辺にしておきますが(十分愚痴ってましたけど)。
登場したファントムたちですが、対人戦闘に限れば本編中でも最強レベルです。ですがキメラヴァンプを相手にするには、やはり力不足でしょう。
また、ファントムはドライシナリオを前提に、その他のヒロインのシナリオを部分部分触っている形になります。
ちなみに彼らが使っている銃器は、ゲーム本編中のそれに準じています。
いや、枝織にはステアーAUGを使わせたかったんですけどね、ライフル担いでバイクに乗らせるわけにはいかなかったんで(苦笑)。
それでは、次の夜の闇の中で……。
管理人の感想
ホウメイさんが参戦してる〜(笑)
しかし、このダークな雰囲気がまた良いですね。
アキトが枝織とルリ達の正体を知った時の反応が、凄く楽しみです。
それにしても、しゃぶしゃぶさん・・・バイク好きですね(笑)
隼にカタナですか・・・・・・・ビックバイクの代名詞ですね〜
・・・・私も早く限定解除を取ろう。