機動戦艦ナデシコ
- the prince of darkness -
本編第三章 外伝 「 ホシノ博士の研究日誌 」
夕食の準備が出来たことを伝えようとして、リビングルームに入ってきたアキトの瞳に写った物は、
床に横たわるルリの姿だった。
といっても、別に非常事態というわけではない。
ルリは、暖房カーペットの上でクッションに頭を持たせかけ、健やかな寝息を立てていた。
クッションの横には、ページが開かれたままのファッション雑誌と、蓋が開いたままになっている、
アキトがルリの為に作ったお菓子の箱が置かれている。
ルリが、夕食前だというのに、間食をしながら雑誌を眺めているうちに、眠ってしまったのであろうことは、
別にアキトでなくても考えつくに違いなかった。
横を向いた形で、少し身体を丸めた感じで眠っているルリの両手は、胸元に引き寄せられている。
リスに代表される小動物が眠っているかのような姿である。
片方の足が膝から少し曲がった感じになっているので、スカートの横から少しだけ、
アキトが目のやり場に困ってしまうものが見え隠れしていたりする。
年頃の女の子が、人前でこんなに無防備な姿で眠ってしまってはいけないのではないかと、
少し考え方の古いアキトは思ってしまう。
半分閉じられた右手には、食べ掛けのクッキーが掴まれているようである。
ルリが衛星内のどこの部屋にいくにも、このお菓子箱を持ち歩いていることを、アキトは知っている。
箱が空になってしまわないように、いつも気をつけて、手作りのお菓子を補充しておくことは、
持ち前の戦闘力を発揮する機会も無く、手持ち無沙汰な今のアキトには、数少ない大切な仕事の一つなのである。
アキトは、雑誌をラックに片付け菓子箱の蓋を閉めてから、ルリを起こすことにする。
まるで子供を呼びにきた母親のような雰囲気だ。
肩をニ、三度揺らすと、ルリの金色の瞳がパチリと見開かれる。
さすがに、朝とは違い寝起きは良いようである。
「ルリちゃん、もう晩御飯だよ。」
「アキトさん。私、眠ってました?」
自分の姿に気付いたルリが、スカートを押さえながら上半身を起こす。
「うん、お菓子食べながら雑誌読んでるうちに寝ちゃったんじゃないかな?」
アキトは、そう言って、ルリの右手を見る。
クッキーの存在に気付いたルリは、慌てて口に含んで証拠を隠滅する。
「ご飯前の間食は、あんまり良くないんだけどな・・」
「お菓子を食べていたときには、まだご飯前じゃなかったんです。」
ルリが、解るような解らないような言い訳を返す。
「それで、アキトさん。夕ご飯は何なのですか?」
今度は質問を変えて、注意をそらす作戦に出たようだ。
期待に満ちた瞳で、アキトを見つめている。
「今日は、白身魚のムニエルにしてみたんだ。」
「でしたら、貯蔵庫にイネスさんから頂いた、白ワインのいいのがあったはずですから、私取ってきますね。」
聞くなり、嬉しそうな表情になって、スキップしそうな勢いで部屋を出ていこうとする。
そのルリを、引き止めたのは、アキトの一言だった。
「一昨日開けたのが、ちょうどまだグラスに一杯ずつ位あるから、新しいのはだめだよ。」
ルリは、途端に元気が無くなってしまう。
「でも、アキトさん。おいしい魚料理には、やっぱり、おいしい白ワインがないと・・。
この前のワインは、もうほんのちょっとしか残ってないですし・・。」
「絶対にだめ。ルリちゃんはこの間のことをちゃんと覚えてる?
そのかわいい頭の中には、記憶力というのは本当に付いているのかな?」
ルリの鼻の頭を指で押さえながら、アキトは挑発的に宣言する。
22才にして、幾つもの分野で博士号を持っているルリに対し、恐れを知らない物言いと言うべきだろう。
「今日は、私、絶対に大丈夫ですから・・。どうしても、だめですか?」
少し、顎を引いて上目づかいにアキトに尋ねるルリ。
とっても、かわいい。
でも、ここで負けてはいけない。
これはルリの得意な、お願いのポーズであることをアキトは知っている。
「それでも、絶対にだめ。」
「アキトさんの意地悪・・。」
交渉決裂の雰囲気になってきた。
ルリは少し頬を膨らませて、そっぽを向いて自分が不機嫌であることをアピールしている。
だが、アキトも好きで言っているわけではない。彼は彼なりに必死なのである。
何があっても、ルリにグラス一杯以上お酒を飲ませるわけにはいかないとアキトは覚悟を固めている。
ルリはとっても酒癖が悪い。
そのことにアキトが気付いたのは、二人が再会して二日目の夜のことだった。
アキトの五感が戻ったことのお祝いとして、二人で夕食を一緒に作ってワインで乾杯したのだが、
二人で一本目のワインを空けたあたりで、ルリの精神は完全に相転移を起こしてしまったのである。
潤んだ瞳で、アキトににじり寄ってきたかと思うと、そのまま身体にすがりつき、後はもうただひたすら、
アキトにしがみついたまま離れようとしないのである。
それだけではなく、二人の感覚がリンクされていることを利用して、アキトがいない間どれだけ自分が寂しかったか、
アキトが自分の元に帰って来てくれてどれだけ嬉しかったか、そしてもう二度と自分を置いて、
どこにも行って欲しくないかというイメージを、それはそれは熱心にアキトに対して送信し続けて来るのである。
余りに、途切れなくイメージが送り込まれてくるので、アキトは何一つ考えるこは出来ないし、
ルリがぶら下がっているのでソファーから立ちあがることすら、困難になってしまうのである。
更に一旦そうなってしまうと、ルリが疲れて寝付いてしまうまで、いくらアキトが頑張っても、
事態の収拾は絶対に不可能だったりする。
それでも最初の時は、日頃見かけられないに違いないルリのこんな姿を、とてもいとおしく思ったのだが、
お酒を飲む度にこの光景が繰り返されるとなると、いくらアキトでも少し考えてしまう。
幾度目かのときに、思わず「おんぶおばけ」とか「子泣きじじい」とかいう単語をアキトは思い付いてしまったのだが、
いくら鈍感なアキトでも、こんなイメージをルリに知られた日には、自分の命が危ういことくらいは理解している。
どうして、ルリはこんなに酒癖が悪くなってしまったのだろう。
アキトはため息をつく。
昔、ユリカと三人で暮らしていたときには、ちょっとのお酒ですぐ真っ赤になってしまうルリの姿を見るのが楽しくて、
ユリカと二人でルリにお酒を飲ませては、からかっていたことが思い出される。
その頃のルリは、お酒を飲むとふにゃふにゃになってしまうだけのはずだったのだが・・。
だが、この疑問をアキトが思うのは罪作りというべきであろう。
ルリの酒癖が悪くなってしまったのは、アキトが目の前からいなくなって寂しかったからに決まっているからである。
ともあれ、問題は今日をどう乗りきるかだ。
アキトは必殺技を使うことを決意する。
「じゃあ、ルリちゃんが、絶対大丈夫って言うのなら、俺とオモイカネの前で約束できるよね。
今日の約束は、そう、オモイカネが必要と認めない時には、お昼寝をしない。これでどうかな?」
「・・ええっ、そんな、アキトさん・・。」
ルリの顔には、今度は斜線が入っている。
アキトの必殺技。それは、いわば肉を切らせて骨を立つというものである。
即ち、ルリに約束をさせておいてからお酒を飲まして、もしルリが酔っ払ってしまったら罰として、
その約束を守ってもらうのだ。
これまでの戦果では、外っておくとすぐ、健康にあまり良くないジャンクフードを食べてしまっていたルリに、
二度とアキトに隠れてジャンクフードを食べないこと、替わりにアキトがつくるお手製のお菓子を食べること、
そして、運動不足になりがちなルリに、一日一時間は必ずトレーニングルームで運動すること等を承知させていた。
アキトとの約束を、とても大切に考えているルリにとっては、効果絶大の罰ゲームである。
ルリの生活習慣を改善する何よりの特効薬であった。
一月に一度くらい、ポテトチップの袋を持って、何も言わずにじっと悲しそうな目で訴えかけてくるルリに、
お許しを出す位は、まあ、許容範囲であろう。
今日の約束は、昼寝の禁止にすることにした。
目を離すとルリは、すぐにいつでもどこでも寝てしまうのである。
厳しい訓練の成果で定時に瞬時に眠りに就き、朝には機械のように目を覚ますアキトには、とっても良くない習慣に見える。
日中に寝すぎてしまうと、夜眠れなくなってしまうのは、子供でもわかりそうなものである。
「さーて、どうするのかな。ルリちゃんは?」
覚悟を決めたアキトは、朗らかに言い放つ。
長い目で見てルリのためだと思えば、もう一回おんぶおばけに出会うことは、仕方がないと思っている。
「・・・」
ルリは考えている。頭の中では、アキトと二人で楽しくワインを飲んでいる光景が浮かんでは消えている。
でも、もし酔っ払ってしまったら、なにより大好きな毎日の午後の昼寝が出来なくなってしまう。
これは、とっても悲惨なことに思われた。
考えている・・。
「今日は、やっぱり我慢することにします・・。」
結論が出たようだ。ルリの声がとっても悲しげに聞こえるのは、アキトも心苦しいものがあるが、
背に腹は変えられないということわざもある。
こうして、今日の二人の戦いは終了した。
この後は、アキトにとっては心配のない、穏やかで楽しい二人の夕食の時間が待っている。
明日の戦いのことは、とりあえず考えないことにしておこう。
**
一日の最後の場面は、やはり寝室である。
ルリはドレッサーの前に座って、髪をといている。
アキトは、ルリが寝室の小さな丸い椅子に腰掛けて、鏡に向かっている姿を見るのが好きだ。
容姿も雰囲気も全然似ていないはずなのに、それは、幼い頃にいつも見ていた母の姿を連想させる。
髪が揺れる度に見え隠れする、細い首筋や、少し身体を傾けているせいで強調されている、
華奢な後ろ姿が作り出す小さな肩から腰にかけての優しい曲線は、少し儚げで、何物にも換え難い、
大切なものに思えてしまう。
後ろから抱きしめたとしたら、ルリは怒るだろうか。
いつの間にか、アキトは考えている。
特殊な環境下で育てられたために、ルリは幼い頃に両親と過ごした記憶を持たない。
その反動なのだろうか。
ルリは人とのスキンシップを、とても大切に感じているように思われる。
たしなめられるかも知れないが、多分、許して貰えるのではないかとアキトは思う。
柔らかなルリの身体に触れてみたいと思うのは、かなり切実な願いだった。
それでも、後姿を見つめているうちに、ついふらふらと気持ちが動いてしまいました・・という理由は、
やはり少し行儀が悪いのではないかと自分でも思ってしまう。
衝動を行動に移すことも出来ず、ため息をつくアキトだった。
気が付くと、ルリが手を留めてブラシを置いていた。
こちらを向いて近付いてくる。何か、話しでもあるのだろうか。
「アキトさん。」
「何かな、ルリちゃん。」
「全部、聴こえてますよ。さっきから・・。」
良く見ると、ルリの顔はかなり赤い。
ぼんやりと考え事をしていたせいで、リンクを通じてアキトの考えていたことは、ルリに全部筒抜けだったようである。
アキトの顔も瞬間的に真っ赤に染まる。
「ごめん、ルリちゃん。悪気はなかったんだけど、つい・・。」
口に手を当てて、全然関係ない方向を、とりあえず見ることにする。
ルリの顔を見つめ返す勇気はなかった。
と、次の瞬間には視界が反転していた。
頭の後ろには枕の感触がある。ルリの顔が、吐息がかかる位に感じられるまで近付いている。
ルリにベッドに押し倒されてしまったようだった。
「いいえ、絶対、許すことは出来ません。
こういう大切なことを躊躇してしまうアキトさんには、きっちりお仕置きが必要です。」
ルリが、おごそかに宣言する。
少しだけ艶やかなその表情は、とても嬉しそうである。
何か文脈が違っているような気も少しだけするのだが、
今からの時間は、ルリによるアキトのお仕置きタイムと決定したようだった。
アキトの肩は、ルリの両腕によってベッドへと押さえつけられている。
ルリの細い腕では、大した力などあるはずもないのに、アキトは身動き一つとることも出来ない。
美しい魔女に魅入られて呪文をかけられてしまった、王子様の状態とでも言うべきだろうか。
「アキトさん、怖がらなくても大丈夫ですから・・。
私が、大切なアキトさんにひどいことするわけがないじゃないですか・・。」
ルリが言葉を紡ぐ。唇の動きが悩ましい。
アキトだけを金縛りにすることのできる、魔法の呪文は続いているようだった。
ルリの手が、アキトの頬に触れる。
瞳を閉じたルリが、身体を寄せてくる。
もはや、正常な思考を行うことが不可能になりつつある、アキトの最後に感じた思いが、立派に大人の女性へと成長した、
彼の記憶の中の少女に対する感慨であったのかどうかは、誰も伺い知ることはできないだろう。
なし崩し的に、お仕置きの時間は始まっているようであった。
さて、気になる今後の展開なのだが・・
「オモイカネ、ここから先の映像ファイルには厳重なプロテクトをかけてください。」
「・・了解しました、ルリ。」
高位のアクセス権限を持たない我々には、閲覧不可能であることは、まあ、お約束という物であろう。
オモイカネが管理する実験衛星内のデータ領域には、ルリが日々作成を続ける、秘密のファイルが多数存在しているらしい。
アキトに関する研究は、ルリの大切で、大好きなライフワークなのである・・。
日々緊迫の度合いを深める外部世界の情勢をよそに、宇宙の果てに飛ばされているはずの二人は、
毎日何をしているのかは良くわからないのだが、結構幸せに暮らしているようであった。
本編第三章 外伝 「 ホシノ博士の研究日誌 - ってこんなの投稿して本当にいいんでしょうか? - 」 了
管理人の感想
しんくさんから投稿です!!
反則的なまでに可愛いですね、ルリちゃん(爆)
今回のお気に入りは
>一月に一度くらい、ポテトチップの袋を持って、何も言わずにじっと悲しそうな目で訴えかけてくる
>ルリに、お許しを出す位は、まあ、許容範囲であろう。
ここでしょう(爆)
う〜ん、凄く印象深い文章でした!!
今後の話の展開も楽しみですね!!
それでは、しんくさん投稿有難うございました!!
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