機動戦艦ナデシコ

劇場版 続編 「 約束 」



   第一話


 今まであまり見かけた事がないような、いつに無い真剣な表情でアキトが自分の事をただ見つめていた。

 何を思っているのだろう。瞳の奥に浮かぶ感情を探してみようとしたのだが、自分の意識の方が 逆に吸い込まれてしまいそうに感じられて、金縛りにあったかのように身動き一つ取る事が出来ない。

 ゆっくりと右手を差し伸べて、頬に優しく触れて来る。
 そっと唇に人差し指を触れた後、そのまま顎を静かになでて首筋を下に離れた手が背中へと回されて、小柄な自分の身体は、アキトの胸元の方へと引き寄せられていく。
 抱き止められた胸元からアキトを見上げると、至近に迫ったアキトの顔が、同じ様に自分を真っ直ぐに 見つめ返していることが確認できた。

『ルリちゃん』
『はい、アキトさん……何でしょうか……』

 アキトが口を開く。今から大切なことを話そうとしている事が何故だか理解できてしまう。
 アキトの言葉を待つ自分の身体が、緊張と期待のせいで少し震えていることが自分でも感じられた。

『俺、ルリちゃんのことが好きだよ……』
『私もアキトさんのことがずっと好きでした。
 アキトさんの言葉、とても嬉しいです……』

 自分が長い間待ち焦がれていた言葉を、アキトの唇が紡いでくれる。
 アキトに対しての返答の言葉は、考えるまでも無く勝手に唇を離れていく。

 返事を受けたアキトが瞳を閉じて顔を寄せて来る。
 唇が塞がれる。口付けられた状態のままで身体が傾けられていく。

 背中にクッションが当たる感触がした。
 アキトの手で自分がベッドへと押し倒されてしまった事が認識された。

『ルリちゃん、いいよね……』
『はい、アキトさんが望むなら……私は、構いません……』

 耳元で囁く少しだけ躊躇うかのようなアキトの問い掛けに、小さな声で肯定の言葉を返す。
 拒絶するはず等ない。どれ程、自分がこの時を待っていたのか自分自身が誰よりも良く知っている。

 アキトの背中に手を回し、精一杯の力を込めて強く身体を抱きしめる。
 ようやく願いが届いた喜びに、人知れず涙が零れ落ちてしまう。

 腰に添えられていたアキトの腕が服の中へともぐり込んでくる。
 アキトの手が動きやすいように、身体を少し浮かせ気味にした方が良いのだろうか……ととりとめも無く考えてみる。

 その時、微かに何か乾いた音が耳朶を打った。
 それは、電子的に合成された何らかの警告音のように思われた。

 ”こんな大切な時に、誰が警告音など……”

 舌打ちをしたい心を押さえて、聞こえない振りを決め込み、もう一度アキトの身体を抱きしめようとする。
 しかし、何故か自分の腕はもうアキトの身体を捕まえることが出来ず、差し伸べた手をすり抜けて アキトの姿は遠ざかり、白一色の背景の中へと溶け込んでいってしまう。

 必死になってアキトの名を呼ぶが、姿が薄れゆくアキトは、自分の方を見て悲しげに首を振るばかりで もう何も応えてはくれない。

 取り残された自分の脇では、徐々に音量を増していく耳障りな警告音だけが鳴りつづけている。
 聞きたくもない警告音だけが、ただ耳の中に響いていた。

 ”警告音……、何のための!?”

 次の瞬間、身体が跳ね起きていた。

 慌てて周りを見渡す。
 ここは……ここはナデシコCの艦長個室だ。

 そして、警告音だと思われたものは単に隣で鳴っている起床時間を告げる電子時計のアラーム音だった。
 時間と共に音量が増す設定になっていたせいで、既に全力で自らの存在を誇示し続けているその時計を、右手の一振りで沈黙させる。

 視線を上げると、部屋の向こう側に置かれた鏡の中に、パジャマを着てベッドの上で半身を起こしている いかにも寝起きといった感じの自分の姿が確認できた。
 先程まで抱きしめていたはずのアキトの姿はどこにもない。

 勿論、いるはずなど無かった。

 それは、自分の夢の中の出来事だったのだから。
 いつも見てしまう、実現するはずも無い夢の中の悲しいつくり話なのだから。

 そう、アキトは今、心身の傷を癒して健康を取り戻したユリカと共に、地球で幸せな毎日を送っている……

 ため息をついたルリは緩慢な動作でベッドから身体を起こし、室内用のスリッパを履くと、個室内に備え付けのバスルームの扉を開け入っていく。
 時間的にもブリッジに上がるための準備をしなければいけなかった。

 ”酷い顔……”

 洗面台の鏡に写る自分の顔を覗き込んで、ルリは思う。
 今のままの姿で人前に出れば副長のタカスギ・サブロウタ少佐を含めて、観察眼のある者であれば誰もが、寝ている間に見た夢のせいで自分が流してしまった涙の後を見付けてしまうに違いなかった。

 あと3時間もすれば、大気圏突入を行う予定となっているので、それまでに終えていなければいけない 作業の手順を思うと、出来れば早めにブリッジに上がった方が良いとは思うのだが、少し遅れてしまうにしても、やはりシャワーでも浴びて気分を変えてからの方がいいに違いないと考え直すことにする。

 多分、オペレータのマキビ・ハリ中尉が適当に準備を進めていてくれることだろう。
 決心したルリは身に付けている物を手早く総て投げ捨て、身体をシャワーの水流に任せていく。
 少し低めの温度に設定された水流は、ルリの身体を覚醒へと導いてはいくが、残念ながら見ていた夢の中で 感じた思いまでもは、洗い流してはくれない。

 ルリ自身は、努めて気分を切り替えようとしているつもりだったのたが、もしその光景をずっと見ていた者が 仮にいたとしたならば、結局は、バスルームの壁に手をつきシャワーを浴びながら身体を震わせて泣き出してしまった 少女の姿をそこに見出したに違いなかった。
 
 最終的に、当初の思惑より30分以上遅れて、身支度を整えたルリは艦長個室を後にした。

 ルリが去った個室のベッド脇に置かれた電子時計は、時刻を表わす文字列と共に、今日が2202年4月の 最終日であることを慎ましやかに表示していた。

 ナデシコCは今、試験戦艦としての性能確認のための内惑星間航行の日程を終え、結果報告と軍上層部との ミーティングを兼ねて、日本州トウキョウ・シティに位置する連合宇宙軍極東方面軍司令部へと寄港する途上にある。

 ブリッジへと上がりクルーとの挨拶を交わして艦長席に就いたルリは、暫くの間無言のまま前方の空間へと視線を向けた。

 ルリの瞳には、昨日より距離の接近に伴い徐々にその姿を大きく現し、今では各大陸の形状まで 明確に識別出来るようになった、青い地球の姿がブリッジのガラス越しに映し出されていた。

 その光景を眺めつつルリは、ほぼ3ヶ月ぶりとなる彼女の心に住む大切な者達との再会に想いを巡らせている。
 彼女にとりこの寄港は、実際には、彼らに対して個人的な別れを告げるため最後の機会になるべき物として認識されていた。

 それは多分自分にとって、酷く辛い物になるだろうとルリは思う。
 しかし、それ故にどうしても今回の寄港中に果たしてしまわなければいけない事だとルリは決意していた。

 ブリッジ要員の一人が、先程から声をかけようと思って脇で様子を伺っていた末に、彼女の表情の険しさのために、結局踵を返し席に戻ってしまっていた事に、自分の思索の中に入ってしまっていたルリは全く気が付いていない。

 どれ程の間、一人きりの思考の迷路をさ迷っていたのだろうか?

 ふと気付けば、準備作業に追われていたはずのブリッジ内には静寂が広がっていて、ルリの傍らには 副長のサブロウタが立ち、大気圏突入準備の最終チェックが終わったことを報告していた。
 更にブリッジの前方では、ハーリーが何度も後ろを振り向き、自分の事を何やら心配げな表情で見守っている。

 結局のところ、ルリはブリッジには居たものの何一つ今朝は仕事をしないで、艦長席で物思いにふけって 時間を過ごしてしまっていたようだった。

 ”自分は本当に今日はどうかしてしまっている……”

 顔を赤らめてサブロウタに謝ろうとしたところ、サブロウタは全然構わないという表情でルリに ウィンク付きで笑顔を返してきた。

 大気圏突入の予定時間に到達した事を確認したルリは、クルー達の心遣いに感謝しながらブリッジに命令を下す。

「降下!」

 ルリの一言の元にナデシコCは大気圏突入の軌道へと、その巨体を移動させていく。

 既に耐熱用のシャッターが降ろされたブリッジからは地上の風景を直接確認することはもはや出来ない。
 次にシャッターが開かれる時には、トウキョウ・シティの全景が眼下に大きく広がっているに違いなかった。

 部下任せにしていたため、自分では確認していないが、今日のトウキョウ・シティの天候が 気持ちの良い晴天であれば嬉しいのだけれど……とルリは微かに思った。

 連合宇宙軍所属、試験戦艦ナデシコC艦長、ホシノ・ルリ中佐。

「火星の後継者」の争乱を終結させた一件で地球圏全域にその名を知られる、常に名声と賞賛の声に包まれている、この少女が、その神秘的な雰囲気を纏った整った容姿と、決して他者に心の内側を覗かせることを許さないかの様に 思われるポーカーフェイスの下で、自らの心を隠し続ける悲しみの日々を過ごしている事実を知る者は、彼女に極親しい幾人かの者を除いて、まだ誰もいないに違いなかった……



 「 約束 」 第一話 了


 

 

 

代理人の感想

要るか要らないか迷ったんですが、一応つけておくことにしました。あしからず(笑)。

 

さて、劇場版アフターな訳ですが、テンパッてますね思いっきり(爆)。

この状況でまだ諦めきれないということは、いずれ壊れてしまうかも。

ここは「極親しい幾人か」の支えを期待すべきところですが、さてどれだけいるんだか。

サブロウタは知ってるでしょう。ハーリーは・・・・・多分ダメか(爆)。