機動戦艦ナデシコ

劇場版 続編 「 約束 」



   第二話


「ルリ君、この書類は本当に受理してしまってもいいものなのかな?」

 重厚な作りの机の向こう側から、連合宇宙軍の将官の制服を身に纏った大柄な男が、銀髪の少女に向かい問い掛けている。

 どちらかと言えば、質実剛健という言葉をそのまま体に当てはめた感じの、いかつい雰囲気の男なのではあるが、この少女に向ける視線は、どちらかといえば酷く困っていると形容して構わないような物であったので、机の上で言葉を探して手をもじもじさせている様子は、何だか可愛らしいものになってしまっていた。

 確かに、連合宇宙軍極東方面軍司令部軍令部次長であるアキヤマ・ゲンパチロウ少将は、今この瞬間、目の前に立つ少女の扱いに困り果てていたのだった。

 ゲンパチロウの会話の相手である少女は、勿論、トウキョウ・シティに今朝降下したナデシコCから出向いてきたルリである。
 彼女は寄港時のメンテナンスや補給作業を副長のサブロウタに任せ、とりあえずの帰還報告と個人的な人事面談のため 司令部に足を伸ばしていたのだった。

「はい、募集要綱を一通り見た範囲では、私が申し出ても構わないと判断しました。
 何か、問題でもありますでしょうか?」

 ルリは一応、如何にも部下が自らの上官に対して報告を行っているという感じの慇懃さで応えを返している。
 しかし、ルリの行動パターンを良く知り、彼女の微妙な表情の変化を見分けることが出来る者が脇に居て このやり取りを見ていたとしたら、彼女の言葉は

 ”私が書類をちゃんと調べた後に申し込んでいるんですから、問題なんかあるはずありません。
 つべこべ言ってないで早く承認して下さい”

 と通訳されてしまうのは、半ば以上明白というべきだっただろう。

「我々としてはてっきりナデシコCの一連の機能試験航海が終われば、
 ルリ君は司令部付きの勤務に就いて貰えるものと期待していたのだが……」

「私に相談無しに期待して頂いても困ります。
 それは、いわゆる勝手な思い込みという奴ですね」

 どう見ても、ルリが好き勝手に上官であるゲンパチロウを、得意の論理で苛めているとしか思えないこの会話は、二人を挟む机の上に置かれた書類を発端としていた。

 正式なルリ本人の認証を伴う、電子承認を経由したことを示す透かしが入ったその書類は、「火星の後継者」事件の沈静後、落ち着きを見せ始めた社会情勢を背景として、ネルガル等の企業グループに属さない新興の企業群の主導で計画された、太陽系宙域外縁部に位置するカイパーベルトに存在する彗星源を利用した、アステロイド帯域の小惑星では入手し難い 特殊な希少金属元素類の獲得を主眼とした、新規プロジェクトに関するものだった。

 即ち、実行時の太陽系外縁部への資源輸送船団の派遣に際して「火星の後継者」残党等からなる海賊被害を防ぐため、連合宇宙軍にも小規模の護衛艦隊の派遣要請があり、その人員選定の過程で艦隊司令の公募を行ったところ、案に反して、ルリがなんと護衛艦隊司令官の募集に応募してしまったという訳だった。

 本人の意思、及び能力などを加味して客観的に判断すれば、どう考えてもルリが護衛艦隊司令官に選出されてしまう。
 結局のところ、太陽系の周辺領域を延々うろつき回らなければならない事が判り切っているのだから、そうそう前途有望な優秀な士官が数多く応募してくるはずは無いのだった。

 司令官に選出されて、予定通り約1ヶ月後に正式にプロジェクトが開始されれば、その性質上、最短の予想でも2年、悪くすれば3年ルリはもう地球へは帰還できない。
 ゲンパチロウにして見れば「何を好き好んで、若い女の子がこんな任務に……」というのが正直な感想だっただろう。

「しかし、このトウキョウには、旧ナデシコA時代のクルーを始め、君の親代わりを自認している、ミスマル提督とその娘さんであるミスマル・ユリカ中佐、そして、まあこれは、実際には超法規的措置ではあるのだが、君の以前の保護者だった彼も暮らしている。
 司令部勤務は君にとっても悪い話ではないと思うのだが……」

「そして、毎日毎日、一日市長だとか、一日署長だとか、一日親善大使とかを山程、拝命する事になるのですよね?」

「まぁ、そういう事も少しはあるかもしれないな……」

 ルリを改心させようとして、彼女がトウキョウで暮らすメリットを話そうとしたゲンパチロウの言葉は、結局、尻切れトンボになってしまう。
 それもそのはず、ルリの司令部への帰還を一番待ち望んでいるのは、少しでも軍のイメージアップを図りたい 宇宙軍の広報部であることは、ルリならずとも誰が見ても疑う余地のない事だった。

「その辺は、出来る限り減らすように努力するから……
 ルリ君、何とか、もう一度考え直して貰えないだろうか?
 そもそも、一体なんで今の君がこの任務を希望しなければいけないのかね?」

「今回の一件は、自分自身の人生への新しい取り組みになるかと思っています。
 書類に添付した資料に書きました通り、個人的には学術的な興味もかなりあるんです。
 私が行けば、もしかしたら新しい遺跡の一つも見つけてこれるかも知れませんよ?
 トウキョウには、そんなに未練がある訳ではありませんし……」

 ルリはゲンパチロウの言葉に応えながら、懐から一枚の数字が羅列された報告書を取り出して手渡していく。
 その動作に意識を奪われていたゲンパチロウは、実際には、ルリが司令部勤務を嫌がる理由も、護衛艦隊勤務を希望する理由付けも大した説得力を持つもので無い事に気付いていない。

 そして、ルリが少し悲しげな表情で最後の台詞を躊躇いながら付け加えていた事も……

「うーん、軍としては確かに非常に魅力的な提案とは思うのだが……」

 主として政治的な理由で、正式な記録としては残されることの無い、ルリの取り出した一枚の報告書を眺めた ゲンパチロウは腕組みをして深い溜息をついた。

 ルリは応募書類に、もし自分が艦隊司令になれば、当初想定されている護衛任務だけに留まらず、科学者グループの一団を率いて辺境宙域の計画的な探査を行うつもりだと主張していた。

 それは、場合によっては新たな先史文明の遺跡を宇宙軍にもたらす可能性を示唆しており、ルリが手渡した用紙に記載されていた、非公式に分析を行った確率予測データはゲンパチロウの気持ちを 揺るがすに足る数値を示していた。

 確かにルリの提案は魅力的だ。そして、そのような場合の現地におけるデータ解析時には IFS強化者であるルリは正しく最も求められる人物と言えるだろう。

 娘であるユリカにせがまれて、次回の人事異動ではルリを是非司令部付きに……とわざわざ言いに来た 上官であるミスマル・コウイチロウ中将からの直々の頼みと、可能性の高そうなルリの提案とを、既に、心の中の天秤に掛け始めたかの様に見えるゲンパチロウを見ながら、ルリは安堵のため息を漏らす。

 ”これで大丈夫、応募は正式なものとして受理される。
 そして、私はアキトさんとユリカさんの前から自然な形で去ることが出来る……”

 それは、口には出される事のない心の中の言葉。
 ゲンパチロウに対して、様々な言葉を費やす事で懸命に隠した応募の本当の理由。

 実際の所、ルリは自分で提案しゲンパチロウに対して強く主張しておきながら、遺跡探しには殆ど興味は持っていない。
 今更、新たな遺跡を見つけ出した所で、トラブルの火種を増やす結果になるだけとしか思えなかった。

 そう、ルリにとっては、本当はアキトとユリカがいない環境に自分を置いてしまうことだけが重要なのだった。

 アキトとユリカにもう会えない状態になることさえ保証されるなら、例えコールドスリープの人体実験だろうが、時間旅行の被験者だろうが、ルリは多分適当な理由をでっちあげて申し込んでしまったに違いなかった。、

 トウキョウで暮らす事は絶対に出来ない。

 アキトと二人で会う機会が増えれば、必ずいつか、ユリカばかりを大切にして、自分には何もしてくれない アキトの不実さを泣きながら責めてしまうに違いないから。

 ユリカと二人になれば、今はもう、いつもアキトの傍にいて、微笑みかけるだけでアキトの総ての優しさを 振り向けて貰えるユリカの事を、きっとずるいと言って非難してしまうに違いないから。

 アキトとユリカの仲睦まじい姿を見かければ、もう必要とされていないに違いない自分の存在が酷く惨めに感じられて、その夜は決して眠れないだろうから。

 勿論、普通に考えればどれも、間違いなく合理性の欠けた行動であることは、ルリにも当然解かっている。

 アキトとユリカは夫婦なのだ。
 自分は彼らにとって、単なる以前の同居人に過ぎない。

 その自分がどうして、幸せに暮らす二人を責める権利があるだろうか……

 そして、更に困った事に、二人から離れたところで自分が決して幸福にはなれない事も、ルリはまた理解していた。
 ナデシコCの任務で地球を離れていたこの3ヶ月間も、ルリは結局、満たされぬ心を抱いて浅い眠りを繰り返すだけの、寝不足の夜を過ごしてばかりいた。

 今回の長期任務に就いた所で、状況は何も改善されないだろう。
 ただ、アキトとユリカの前で自分が醜態を曝さず、彼らを困らせるような事態には決してならずに済むという 後ろ向きの思いだけが、ルリをこのミッションへの応募へと駆りたてていた。

 ”自分の心は、もう壊れてしまっているのだろうか……”

 ルリは悲しく自問してしまう。

 突然、黙り込んでしまったルリを怪訝そうな顔で見ながら、将官会議の時間が近付いている事に気付いた ゲンパチロウはとりあえず話を打ちきることにする。

 結局、ゲンパチロウが「ナデシコCの寄港期間中だけでも保留にして欲しい……」と最後に提案した為 一応の慰留を受けた形でルリは軍令部を退出した。
 実質的には時間切れを待てば自動的に応募は受理されるので、ルリは宇宙軍へのメリットを餌にして うやむやのうちに自らの目的を達成してしまった事になる。

 とりあえず用件が無事済んだ事に安堵して、ナデシコCに戻り寄港時の諸手続きを……と考えながら、軍令部から施設の出口に向かう長い廊下を足早に進むルリ。

 しかし、彼女の思った行動予定は一瞬後にはもろくも崩れてしまう。

 ルリの瞳は、彼女が進もうとしていた方向から、こちらに向けて近付いて来る人々の中に、一人の女性の姿を識別していた。

 その姿は、ルリが先程心に思い描き、今回の寄港中には心がよほど落ち着いた状態でない限り、二人きりでは会うのを絶対に避けなければと思っていた当の相手、司令部対外惑星系戦略課付中佐 ミスマル・ユリカ作戦参謀のものだった……



 「 約束 」 第ニ話 了
 

 

 

代理人の感想

来て欲しくないときに限って現れる人、

気づいて欲しくないことに限って気づいてしまう人、

忘れていて欲しいことに限ってタイミング良く(悪く)思い出す人って、いますよね(爆)。

 

直面してしまった人にとってそれが幸か不幸かは

案外心の持ちよう次第ではないかなと思ったりもするんですが。