機動戦艦ナデシコ

劇場版 続編 「 約束 」



   第四話


 ルリが司令部内の食堂で、再会したユリカを相手に自分の心を露わにしてしまわない為の、哀しい独り芝居を 懸命に演じていたちょうどその頃、トウキョウ・シティ近郊に位置する、アキトとユリカとが暮らすミスマル家の 別邸に程近い小さな公園で、場違いな雰囲気の二人の男が対峙していた。

 一人は連合宇宙軍の士官制服姿のサブロウタであり、もう一人はサブロウタからの呼び出しを受け、緊急の用件という事で、訳が解からないながらも、とりあえずこの場に現れた普段着姿のアキトだった。

「それで、元木連軍優人部隊員で現連合宇宙軍ナデシコC副長のタカスギ・サブロウタ少佐が一体俺に何の用だ。
 一応確認しておくが、俺には見張り役が付いているが構わないんだな?」

 いかにも家の近所に、少し散歩に出かけた来たとでもいった感じのラフな服装のアキトが、サブロウタに向けて 問いかけを行う。物言いは静かであるが、言葉の内容といい身体から発せられる気配といい、最初から到底 世間話という感じには見えない。

 そもそも二人が公園内で落ち合い、わざわざベンチにも座らず見晴らしのいい公園の中央部に立って 会話を始めた所からして、尾行と盗聴を意識したものであることはいうまでも無いことだった。

 そう、アキトは現在トウキョウで、表面上は平凡な一市民としての穏やかな日々を送っているのだが、実際には連合宇宙軍の緩やかな保護観察下に置かれていた。


「火星の後継者」争乱自体はルリ指揮下のナデシコCの電撃的な火星極冠遺跡の制圧行動の成功により 極短時間での事態収束を達成した。

 しかし、直接の行動の当事者だけでなく、以前からの「火星の後継者」の活動を知りながら後援していた者達、そして、決起直前に首謀者である草壁春樹に唆され、反乱成功後の利権に預かろうと功を焦って関与してしまった、社会的に高い地位にある多くの者達への処罰を含めた事態の最終的な決着に、かなりの時間を要したのは 仕方がないとでも言うべきものだった。

「火星の後継者」に対しネルガルの後援を受け、個人的な抵抗を繰り返していたアキトに対する処遇の決定は、真面目に取り扱えばかなり問題になることは明らかだったのだが、そこはもう、極東方面軍の幹部達の判断で、反乱に先立つ一連のコロニー襲撃犯は結局確認出来ずという形で、事件そのものの存在を人々の記憶から 葬ることにしてしまっていた。

 アキト自身は、公式の記録ではユリカと同じく「火星の後継者」の反乱終息時に人体実験用の研究施設から 救出されたという事になっている。しかしながら、アキトが実際にはどのような存在であるのかを知っていて 命を付け狙う者達が厳然として存在しているため、事実上護衛の目的でアキトの行動を24時間見守っている 連合宇宙軍の監視要員が、現状で複数存在している事は、対象であるアキト自身を含め、「火星の後継者」残党の 主要組織が一掃されるまでは、まあ止むを得ない処置だと思われていた。

 呼び出しを受けたアキトが、サブロウタに向け語った最初の一言には、これだけの背景が隠されているのである。

「ああ、構わないさ。
 ミスマル提督には、予め今日のことは見逃してもらえるよう話しをつけてある。
『テンカワ・アキトと個人的な話がしたいので、一時間程、監視役の人間には目を瞑っていて欲しい』ってな。
 護衛任務ということで盗聴まではしていないようだし、一応、この場所なら会話を聞かれることもないだろう」

 アキトに関わる一連の事情を知る上での話である事を、サブロウタは伺わせる言葉を返す。
 含みのありそうなサブロウタの言葉に、アキトは思わず片方の眉を上げる。

「『火星の後継者』がらみの話か?」

 何か自分の知らない突発的な事態でも起きたのかと身構えるアキト。

「違うな。俺は確かに元木連の人間ではあるが、過ぎてしまったことに格別の興味はない。
 今日、俺があんたに話をしに来たのは、艦長のことを聞くためさ」

 しかし、サブロウタの口から紡がれた言葉は、アキトの予想を裏切るものだった。

「艦長というのは、ルリちゃんのことか?」

 アキトは確認するかのようにサブロウタに問いかける。

「そう、俺にとっての艦長で、あんたにとってのルリちゃんの話だ。
 一体、あんた艦長をどうするつもりなんだ」

 明らかに機嫌が悪い事を物語るかのような表情でサブロウタが言う。

「どういう意味で言っているのか解からないな。
 ルリちゃんに何かあったのか?」

 返事を返すアキトの物言いは、理由が判らないまま非難されても心外だという感じのものである。
 しかし実際には、サブロウタの表情から、アキトは今後の話の展開をある程度予想していた。
 
 質問の形で応えたのは、サブロウタに話の続きを促すためである。
 ルリの身に何か起きたのかも知れないという不安もあった。

「思ったとおり、何も知らないようだな。
 今回の寄港で、艦長は、来月開始予定の産軍共同プロジェクトで太陽系辺境宙域の哨戒と護衛行動を主体とした長期任務への転属希望を司令部に提出している」

 アキトの言葉を受けたサブロウタは、今回の寄港でルリがしようとしている行動の概要を説明していく。

 本来ならば、このようなことはサブロウタが知りうる話では無いはずであるし、ルリもサブロウタには 一言も話してはいないのだが、近頃のルリの行動は余りに散漫であり、内面的に大きな問題を抱えていそうな事が 明らかなように思われたため、サブロウタは心配から、自分の意識の及ぶ限りルリの行動を日常的に注視していた。

 そして、普段の彼女らしくも無く、コンソールをロックし忘れた状態で席を外したルリの端末に、今回の長期任務への応募書類が記入済みで表示されているのを、見つけてしまったという訳である。

 無論、サブロウタは単なる推量だけで動くような男では無い。
 司令部の知り合いの女性士官のつてを手繰って、共同プロジェクト担当部署に辿り着き、確かにルリの応募が慰留予定とはなっているものの提出済みである事を既に確認していた。

「太陽系辺境の長期任務?」

 いきなりのサブロウタの言葉に、アキトは表情を曇らせる。

「ああ、決まれば間違い無く2、3年は地球に戻って来れないろくでも無い代物だ。
 具体的な内容に関しては、どうでもいいだろう。
 艦長は地球を離れようとしている。だが、本当に望んでそうしているとは到底思えない。
 ここの所、様子が明らかに変だし、毎日、酷く辛そうだ。
 俺から見ると、総て、あんたが原因のように思えるんだが、まさか、心当たりが無いとは言わないだろうな……」

 サブロウタは苛立ちの感じられる声で言葉を続ける。
 言っている言葉の意味は、無論アキトにも理解できた。

 ルリの様子がおかしい。ルリが毎日辛そうにしている。
 そして、ルリは何も言わずに自分の前から去ろうとしている……

 ”俺がルリちゃんの想いに、応えてあげられないから……”

 何故……という問いに対する答えは、すぐさま心に浮かんだ。
 そして、それが間違い無く正しいことは、勿論、自分でも判っていた。

 アキトとルリが最初に出会ってから、もう6年近くになる。

 色々な経緯を経て日々を過ごして来たアキトとルリであるが、自分を見つめるルリの瞳に、いつしか好意以上の物が浮かぶようになっていた事を、アキトは以前から気付いていた。

 特に、昨年夏に再会を果たして以来、何かの拍子にルリと二人きりの時間が出来たときに、ルリが見せる表情やちょっとした仕草の中に、言葉にならない何か切実な感情を、ルリが確かに 自分に向けていると感じられる出来事が多くなっていた。

 当然のことだ。

 アキトはもうルリを抱いてしまっているのだから……

 昨年夏の「火星の後継者」事変の渦中で、アキトとルリは二年ぶりに出会った。
 その時点でアキトは、最愛のユリカを奪われ、五感を失い、半ば自暴自棄の果てに、彼らへの復讐心にのみ 心を委ねた狂気と殺戮の日々を送っていた。

 変わり果てた姿のアキトと再会を果たしたルリは、自ら申し出て、その夜アキトと一夜を共にした。

 それは、人生に絶望して投げやりになっているアキトの心を癒し、自らの身体で世界に繋ぎ止めよう とする半ば無意識の行動だったのだろう。ルリはその夜、どれ程自分がアキトのことを大切に思っているのか、そして自分達の元に戻ってきて欲しいと願っているのか、言葉を尽くしてアキトに対して訴えている。

 そして事件収束後、アキトは再び彼を知る者たちの前に帰ってきた。ルリの言葉通りの献身的な行為は、確かにアキトの心に届いたに違いなかった。あの一夜が無かったならば、アキトはユリカを助け出した時点で、何もかも終わったと勝手に思い込み、自らの命を絶ってしまっていた可能性が高かったように思われる。 今のアキトとユリカの生活があるのは、ある意味ルリのおかげと言っても構わないのかも知れなかった。

 あの夜の記憶は二人の心の中に強く刻み込まれている。その記憶が消せないものである以上、自分に対するルリの想いを、時と共にいずれ失われてしまうはずの、身近な年上の異性に対する 思春期の少女特有の思い込み等という、ありがちな言葉で片付けることは、もはや許されるはずなど無い事は、アキトにも充分わかっている。

 ただ、ルリは「火星の後継者」事件の収束後、ユリカの元に戻ることを決心したアキトを微笑みで 出迎えた後、その夜のことを自ら口に出したことは一度も無い。

 旧ナデシコA時のクルーの幾人かは、事の顛末を知っているようであるが、それはユリカを含めた、三人の問題であると考えているようで、その者達の間はともかく、結局、その話題が他の人々の口に 上ることは無かった。

 家に遊びに来る時など、ユリカとの三人の時間には、ルリは二人に対しての妹役をいつも完璧に演じている。
 アキトから見ると自分との関係よりも、ユリカとの関係の方を優先しているのではと思われる程だった。

 そのため、現時点でユリカは、アキトとルリが関係を持ったことがあるという事実を知らないはずだった。

 アキト自身もルリとの関係をどうするべきなのかは、思いあぐねていた。
 二人きりの時間が取れたときには、意を決して話題に乗せた事も幾度かある。

 だがどのような場合でも、ルリの口からアキトに対して何かを求めるような言葉が紡がれる事は決してなかった。

『ユリカさんも元気になった事ですし、
 今はもう、お二人で幸せなんだからいいじゃないですか?』

 微笑みながら言って会話を終わりにしてしまうのが、ルリの常套手段だった。

 ルリが何故いつもそのような態度を取るのかは、アキトにも判っている。

 何故なら、自分はルリの想いに応えることが出来ないから。
 自分は既にユリカを選び、人生を共に歩むと誓ったのだから。

 しかし今、ルリは自分の元から去っていこうとしている。

 ユリカとの関係を気にして、ルリが口に出さないことを良いことに、
 自分が見て見ぬ振りをし続けたせいで、酷く傷ついてしまっているから……

 僅かな時間の回想から戻ったアキトは、サブロウタの顔を見つめ返す。

 今日、自分をわざわざ呼び出して、ルリの名前を言い「心当たりが……」と切り出す辺り、サブロウタは事情を概ね知っているという事なのだろうとアキトは思う。

「……俺は、もうユリカと結婚している……」

 結局、ある程度の時間をおいて、サブロウタがアキトから聞き出せた答えは、それでも単なる事実確認の言葉だった。例え、言葉を紡いだアキトの表情が、苦汁に満ちたものだったとしてもそれで、意味が変わるわけではない。

「それが、答えというわけか?
 くだらないな。俺はあんたはもう少しましな男だと思っていたんだがな……」

 サブロウタは吐き捨てるように言葉を続ける。

「俺はユリカを妻として選び、そして、ユリカを一生かけて守っていくと既に誓った」

 その言葉はサブロウタにというよりは、自分自身に言い聞かせているかのように思われた。

「偽善だな。あんたは奥さんのミスマル中佐と、かつての自分の誓いにだけ誠実であれば
 艦長はどうなってもいいと思ってるのか?
 それだけじゃない。あんた自身、本当は艦長のことをどう思ってるんだ!」

 サブロウタは容赦がない。

「…………」

 アキトは応えない。
 ここで簡単にサブロウタに答えを返せるようなら、既に、自分で何らかの行動を起こしている。

「沈黙が答えか。なら、構わないな。
 俺は、実は前々から一度あんたを殴り倒してみたかったんだ」

 それは頑なにルリへの気持ちを認めようとしない、アキトに対するサブロウタの苛立ちの言葉だったのだろうか?

 いきなりそう宣言すると、アキトに向かいサブロウタは殴りかかってゆく。
 次の瞬間、かわす間もなくボディに力の入った一撃を受けたアキトは上半身を二つに折ってのけぞっていた。

「……俺がどういう人間だか知っていて、喧嘩を売ってくるとは……仲々いい度胸だな……」

 よろめきながらも、体勢を立て直してサブロウタに向き直るアキト。
 その表情は、剣呑なものに変わっている。

 今日まで大して面識もなかったサブロウタに、いきなり直視するのを避けつづけて来た内面の葛藤を顕わにされてしまった事にアキトは実際腹を立てていた。心に土足で踏み込まれたような気分だった。

「幸せぼけのあんたとなら、俺でも良い勝負かなと思ってね……」

 サブロウタも相変わらず口が悪い。

 二人とも完全に、相手のことが気に入らず、絶対に自分の足元に這いつくばらせてやろう…… という気になってしまっている。

 後はもう、ただの殴り合いが行われただけだった。
 二人とも木連式武術の心得があるということで、技術的にはかなりの水準にあるものではあったが、殴り合いは殴り合いである。

 時間的には短いが、激しいやり取りの応酬が続けられた後に、二人が距離を取った時には、徐々に優劣が着きかけていた。

 サブロウタ自身も事前に予想はしていたのだが、体術及び個々の技の破壊力において、やはり、サブロウタは一歩アキトに及ばないようであった。

「威勢のいいことをいう割には、攻撃が単調だな。
 そんなことでは、俺にダメージを与えることはできないぞ」

 呼吸を整えながら、ふてぶてしい表情でアキトが言う。

「……あんた、まだ視力とかが……そうは回復していないだろう……
 力一杯顔を殴って……後遺症でもでると、艦長が悲しむだろうと思ってな……」

 肩で息をしながら、サブロウタも言い返す。
 先程、拳をかわされた時に体を入れ換えられ、振り向きざまに顔に重たい一撃を受けたせいで ダメージは大きいのだが、口はまだ達者なものである。

 が、サブロウタの言葉を聞いた途端、アキトはポーズを解き、両手をポケットに突っ込んでしまう。

「……おい、まだ終わってないぞ」

「気分が萎えた。後は勝手にしろ」

 サブロウタが文句を言うがアキトは取り合わない。
 応えた時にはもう、サブロウタの目の前でシャツのボタンを止め直している。
 アキトにして見れば、自分を怪我人扱いしている相手と殴り合う気にはならなかった。

「くそっ、言うんじゃなかったぜ」

 力を抜いたせいで手をついて地面に尻餅を付いて座り込んだような姿で、サブロウタはぼやく。
 結局のところ、サブロウタは最初の一撃以外は、思ったようにはアキトに攻撃を入れられず、更には、先程いい一発を貰ってしまったので、奥歯を一本折ってしまっていたようだった。

 どちらかと言えば、サブロウタにとっては不本意な終わり方というべきだっただろう。

「結論としてはだな……
 どんな形になろうが、あんた以外に艦長に対して何かをしてやれる男はいない。
 そして、俺は個人的に艦長には是非、幸せになって欲しいと思っている。
 後はあんたが考えな。ただ、そんなに時間は残されていない。
 ナデシコCはネルガルの月面ドックに向け70時間後に出航する」

 気を取り直して立ちあがったサブロウタは、右手で奥歯の折れた側の頬をさすりながらアキトに向けて言葉を重ねる。
 アキトとの会話の終わりに際して、結果はともあれ言うべき事は言っておこう、とでも思っている かのような口ぶりだった。

 言葉を受けて考え込んでしまったかに見える、アキトの傍を通りすぎる際に肩に手を置くと
「じゃ、確かに頼んだぜ」と耳打ちし、片手を軽く上げ別れの挨拶代わりにしながら、公園の外に向かって 歩き出していく。

 一人残されたアキトは、無言のままサブロウタの背中が視界から消えていくのを、ただ見つめ続けていた……



 「 約束 」 第四話 了
 

 

 

 

代理人の感想

ヤっちゃってたんかい!(爆)

それならサブの怒りも理解できなくはない・・・

とはいうものの、状況はあちら立てればこちらが立たずなアンビバレンツ。

ルリが幸せならユリカを不幸せにしてもいいのか、あるいはその逆もまたしかり。

が、それよりなによりあちらこちらに手を出しまくっているサブに言われると

なんか腹が立つのは私だけでしょうか(爆)?