機動戦艦ナデシコ
劇場版 続編 「 約束 」
第六話
普段と異なり、今日のミスマル邸の夕食はとても静かなものだった。 いつもなら五月蝿いばかりに、一日の出来事を喋り続けるはずのユリカは、何故か妙に考え込んだ様子で、先程から、黙々とアキトの作った料理に箸を伸ばし続けていた。壁面に埋めこまれているディスプレイ上では、お気に入りのはずの恋愛物のドラマが放送中にも関わらず、全く目もくれていないようである。 そのようなユリカの少し奇妙な様子は、普通なら対面に座っていたアキトには、すぐさま気付かれて しまっていたことだろう。しかし、今日に限ってはアキトはアキトで、何か気になることでもあるのか、心ここにあらずと言った雰囲気で、一切ユリカの行動を認識できていない感じだった。 目の前の皿は殆ど手付かずのままで放置されていて、更には、彼女がたまに問い掛ける言葉に対して、必ずと言って良い程的外れの返事ばかりを返してしまっている有様である。 「アキト、今日はもう寝よう!」 食事と同様に、何故かどうにも盛り上がらない夕食後の団欒の時間。 それを打ち切ったのは唐突なユリカの一言だった。いきなりそう宣言すると、まだ宵の口であるにも関わらず、アキトの腕をつかみ、そのままリビングの外へと向かい歩き始めていく。 ”悪いけれど、今日はそういう気分じゃないんだ……” 突然のユリカの行動に、思わず声をかけようとしたアキトだったが、その表情を見て台詞をそのまま 飲み込んでしまう。ユリカの横顔は妙に真剣で、どうみても邪険に扱ってはいけなさそうに思えたからである。 結局、ユリカに手を引かれるまま、おとなしく寝室へと導かれて行く。 寝間着であるパジャマ姿に手早く着替えてベッドに入ったユリカは、アキトが自らの傍らに身体を寄せて来るのを確認すると、待ちかねていたかのように腕をついて体勢を変え、アキトの方へと顔を向けた。 「アキト、ユリカ今日はアキトに大切な相談があるんだ」 至近に迫ったユリカの唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。 「ああ、構わないさ」 ここに至りアキトも、ユリカが何か重要な用件についての話がしたくて今夜は自分を急かすかの様に 寝室へと誘ったのだという事が理解できていた。 「もしかしたら、なんか言い難い事なのか?」 「ううん、別にそういう訳じゃないんだけど…… 実は……ルリちゃんのことなんだ……」 ユリカの口から出たのは、ルリに関しての話題だった。 昼間のサブロウタとの一件のこともあって、アキト自身にとり、ルリに関する話はユリカとの間で もう避けて通れない問題と感じられていた所だった。ユリカが進んでその話題に触れて来たのは正直、突然のことで驚きはしたものの、心の奥では少しだけ有り難くも感じられていた。 ただ、現時点でユリカがどれだけの事を知っており、そして、何を思ってルリの話題を自分に向けて来たのかアキトにはとうてい伺い知ることは出来ない。 「ルリちゃんのことか……」 ユリカの表情を覗き込む限り、例えば、自分とルリとの関係を今日突然知ったとかそういう類のもので無い事だけは確かなようだった。これから続くであろう会話の展開を予想出来ないことに多少の不安を覚えながら、内心の動揺を隠すかのようにアキトは言葉を返していく。 「あのね、ユリカ今日ルリちゃんと司令部で会って話をしたんだけど、 その時ルリちゃんの様子が少し変な感じだったんだ」 「変な感じって……?」 「うん、良くわかんなかったんだけど、なんかルリちゃんあんまり元気なくて 何か……ルリちゃんに良くない事が起きてる……みたいに感じたの……」 「そう、ルリちゃん元気なかったんだ……」 アキトにとり、ユリカの言葉はある意味予想された物だった。 だが、その総てが自分のせいだと思うと、やはり強く心を乱さずにはいられなかった。 「それで、ちょっと調べてみたらルリちゃん、 何だか判らない変なプロジェクトに転属希望を出してて、 決まったら、ずっと遠くに行っちゃって三年位会えなくなっちゃうの…… これからは、司令部でずっとユリカと一緒だと思ってたのに……」 ユリカはルリを取り巻く現在の状況を凡そ理解しているようだった。 しかし、ユリカにはルリが何故そんな行動を取ろうとするのか、その理由は判らないだろう。 「ユリカは……、ユリカはどうして、ルリちゃんがそんなことをしたんだと思う?」 自分の質問は酷く卑怯なものだとアキトは考えざるを得ない。 「ユリカ、よくわかんないよ……」 そう、判るはずなどない…… 「でも、ルリちゃん寂しかったんじゃないかと思う」 ユリカはアキトの言葉に表情を曇らせながら応えを返していく。 「前は、三人で一緒の部屋で暮らしてたのに、今じゃユリカとアキトだけ一緒で、ルリちゃんは置いてけぼり…… ユリカとアキトだけ幸せで、ルリちゃんは独りきりなんだもん……」 「本当はルリちゃんはアキトや私と一緒にいたい……と思うの。 でも、私達のことを気遣って傍にいちゃ駄目って感じてる……」 「だからね、ユリカはアキトにお願いがあるんだ。 お願い、ルリちゃんに一緒に住もうって言ってあげて。 アキトとユリカで幸せ一杯のラブラブの新婚さんだけど、それでもルリちゃんを独りにはできないよ。 ね、そうしよう。昔のように、三人で一緒に暮らそうよ。 アキトだってそれで構わない……よね?」 ルリのことを思うユリカの言葉を聞きながら、アキトの表情は逆に沈痛なものへと代わって行っていた。 ”昔のままの関係の三人だったなら、ユリカの言う通り……出来たろうに……” 「ユリカ、駄目だよ……そんな風にはいかないよ…… 多分、俺が言っても断わると思う。だって、ルリちゃんは……」 「……ルリちゃんは、アキトのことが好きだから……」 表情を曇らせたままのアキトの答えを遮ったのは、ユリカの言葉だった。 「ユリカ、お前知って……?」 これには、アキトも驚きの表情を隠せなかった。 どちらかと言えば他人の行動に無頓着なユリカは、ルリの気持ちにも一切気付いていないとばかり思っていたのだ。 「そんなの判るよ。 アキトは素敵だし、ルリちゃんはずっと私達と一緒にいたんだもん。 ルリちゃんがアキトを好きになったって全然おかしくない……」 「でも、ルリちゃんは……」 「ルリちゃんは、アキトのことが好きだから。 だから、私達の近くにいたら駄目だって思ってる。 私達から離れようと思って、あんな変な任務に希望しちゃったんだ……」 ユリカの言葉は間違いなく一面の真実をついていた。 「それは、でも……」 「ルリちゃんは自分の気持ちに気付いて、多分、とってもいけないことだと思ってる…… でも、そんなことないって……ほら、ドラマとかでも良くあるじゃない。 年頃の女の子が身近にいる年上のお兄さんを好きになるって……」 そして、ユリカの言葉がルリを本当に思っての物であることは、アキトにも痛い程判っていた。 「でも、ユリカ……」 「だから、全然大丈夫だよ。うまく三人で仲良く一緒に暮らしていけるよ。 ルリちゃんは、アキトにとってもユリカにとっても妹みたいなものだもの。 ちゃんと、私達でお兄さんとお姉さんとして接してあげれば大丈夫だよ……」 確かに、彼女の立場に立てば、その言葉は間違いの無い正しい選択のように思われるはずだ。 それは、仕方の無いことだろう。 何故なら、ユリカは知らないのだから…… 互いの会話が引き返せない所に向かいつつある事をアキトは痛切に感じていた。 「俺、駄目だよ……」 「大丈夫、ルリちゃんのアキトへの気持ちは優しくしてくれるお兄さんに対する物だよ。 直にお似合いの恋人がルリちゃんにも見つかるから…… アキトがちゃんとしてれば、いいだけだもん! それとも、アキト自信……ない?」 アキトを励ますかのように笑いながら、おどけたようにユリカが言う。 自分の提案は絶対ルリのためにも良い事だと思えたし、是非アキトにも心から賛成して欲しかった。 しかし、アキトは沈黙を守ったまま、彼女の望むような答えを返してはくれない。 表情もなんだか固いままである。 どうしたのだろうかと、顔を覗き込むユリカ。 彼女の顔を見つめ返しながら、少しの時間を置いて、アキトはゆっくりと口を開いた。 「ルリちゃんは俺達の妹じゃない……」 「アキト……?」 紡がれた言葉の強い調子に、ユリカは戸惑う。 「妹なんかじゃないんだ! ルリちゃんの俺に対する気持ちは、単なる憧れのような物じゃないし、 俺も、ルリちゃんを妹として見ることなんか、決して出来ない!」 「……アキト……何言ってるの……?」 いつにないアキトの感情の高ぶりを示すかのような言葉に、困惑しきったかのような表情で ユリカが言葉をかける。何よりアキトの言葉の意味が理解できなかった。 だが、ユリカの言葉が耳に入らないのか、アキトは続けて決定的な一言を紡いだ。 「ルリちゃんと俺は、一緒に夜を過ごした事がある…… 俺は、その時、ルリちゃんを抱いたんだ……」 アキトの言葉はユリカの全身を一瞬で凍り付かせた。 「嘘、……アキト、嘘……だよね……? アキトとルリちゃんが……なんて、そんなはず無いよね……?」 ”そんなこと……絶対に……嘘……” 緩慢な動作でアキトに近寄り、縋り付いて身体を揺さぶりながら頑なに否定の答えを求めるユリカ。 だが、アキトはどうしても瞳を見つめ返してはくれなかった。 「嘘じゃない……去年の夏の事だ…… 信じられないならミナトさんにでも聞いてみるといい……」 顔を背けて紡がれた言葉は、酷く力弱いものだった。 「判った。ミナトさんに聞いてみれば良いんだよね……」 言うなり、ユリカは寝室の扉を開け放したまま隣室へと飛び出して行く。 次の瞬間には、ヴィジフォンに向かいミナトへと連絡を付けたようだった。 『ミナトさん、あのユリカです。夜分、遅く申し訳ありません。 えっと……ですね。アキトが突然、今夜、私に向かって変なこと言い出すんですよ。 本当、困っちゃいますよね。だって、アキトとルリちゃんが実は……なんて……作り話……』 トーンの高いユリカの声が寝室にまで響いてくる。 ユリカの声色を良く知るアキトには、妙に元気良く聞こえるその声は殆ど泣いているのを隠して いるようにしか聞こえなかった…… アキトは、寝室の扉を閉めて広々としたベッドに身体を投げ出した。 これ以上ユリカの声を聞き続ける勇気は無かった。 結局、酷くうなだれた様子のユリカが寝室に戻って来たのは、その後三十分近い時間が経過した後の事だった。 「ミナトさん、何て……言ってた?」 二人の間に流れる沈黙に絶えきれず、アキトがユリカに言葉を掛けた時には、更に数分の時間が費やされていた。 「えっとね、『ルリルリを責めないであげて……、そしてアキト君も……お願いだから…… あの時はそうするしか無かったの……貴方の今の幸せがあるのは、誰のお陰なのか良く考えて。 二人の気持ちを考えて、心を静めて……』……だったかな……?」 「そうか……」 ユリカの言葉を聞きながら、アキトはユリカへの説明をすることが出来ず、ミナト任せにしてしまった 自分の不甲斐なさを恥じていた。 「ミナトさんの言う事だから、 ルリちゃんとの事は本当なんだね……アキト……」 観念したかのように、小さな声でユリカが呟いた。 「ああ……」 「ユリカそんな話知らない。 アキトもルリちゃんも、一度だってユリカに話してくれなかったもん。 ずっと、隠してたんだね……」 「すまない……」 「だから、ルリちゃんとは一緒に暮らせないんだね……」 「ああ、そうだ……」 ユリカはベッドに座り込んで、天井を見上げると大きく一つ溜息をついて、そしてアキトを真っ直ぐに見つめた。 「悪いけどアキト、ユリカを独りにしてくれない。 少し考え事がしたいんだ……」 アキトに向けられたその台詞は酷く哀しげなものだった。 「ああ、その方がいいかもな。 俺は今日はリビングのソファーででも寝るさ」 アキトは毛布を一枚手に取ると、振りかえらずに寝室を出て行く。 微かな気配から、ユリカがすすり泣き始めた様子が感じられたが、戻ったところで今の自分では、彼女を慰める術を持たない事もまた判っていた。 ** どれくらいの時間が流れたのだろう。 リビングルームのソファーに目を閉じて横たわり、眠りに就くことの出来ない長い夜を過ごしていたアキトは いつしか、部屋へと入って来ようとしている人の気配を捕らえた。 月明かりに照らされたそのシルエットは、勿論ユリカのものだった。 ユリカはアキトの前まで近付くとゆっくりと跪き、顔を覗き込むような形で自らの顔を寄せると 小さな声で言葉を紡いだ。 「アキト、起きてる?」 「ああ……」 「少し話しがあるんだけど、いいよね……」 カーテン越しの微かな光に照らされた薄暗闇の中で、何事も見逃すまいとするかのように 大きく見開かれたユリカの瞳が、アキトの瞳をじっと見つめている。 それは一切の嘘を許さないかのように、強い意志の輝きを放っていた。 「今からアキトに大切な質問をするから、 はぐらかさないで、真剣に答えてくれる……?」 「ああ……」 ユリカが言う質問がどのような物であるのか、それは考えるまでも無かった。 ”そう、俺はユリカにこの問い掛けをされる日が、いつか必ず来るだろうと思っていた……” ユリカの瞳を見つめ返しながらアキトは答える。 少し涙の跡の残ってしまっているユリカの顔は、記憶の中にある泣き虫だった幼い頃の彼女の物と 本当に変わらない……とアキトは思った。 「ユリカはアキトのことが好き…… アキトのことを誰よりも愛してる……」 「アキトは、……アキトは、誰を愛してるの……・?」 「 約束 」 第六話 了 |
代理人の感想
来るべき物が来た・・・という話ですね。
と、言うわけで以下次号w