(05/10/09)


   Gemini時ナデ編

   くぃーん・おぶ・だーくねす 

   序章 第一話 王子様と女王様の出会い




 多くの犠牲を払った戦争が終結して、約一年後。
 戦争中、英雄と呼ばれた漆黒の戦神ことテンカワ・アキトは、秩父山中の浅間神社の賽銭箱の後ろに身を隠していた。
 それはもう、見た目にわかるほど体を震わせ、顔面を蒼白にしながらだ。
 北辰だろうが、北斗だろうが、そのほか多くの手ごわい敵だろうが、こんな状態になることは、まずありえないアキトが、何故こんな状態になったのか。
 何を今更、という読者も多くいることだろうが、あえて説明させてもらえば、某同盟のお仕置きを恐れているのである。
 そして、それこそが、アキトが秩父山中にいる理由でもある。
 昨日未明、アキトは某同盟に浮気の嫌疑を掛けられ、取調べという、お仕置きを受けたのだ。
 そして、本日早朝、某同盟構成員全員が仮眠を取ったところを見計らい、手足の手錠を『引き千切って』脱出し、隠し持っていたCCでこの場所まで逃げてきたのだ。
 まとめてしまえば、いつものこと、である。
 いつもと違うところは、アキトにしては珍しく、発見されないようにいくつかの手段を講じていたことであろう。
 ラピスとのリンクを切り、コミュニケをはずし、監視カメラが存在しない、というよりネットワークさえろくに繋がっていない山の中に身を隠すことで、某同盟の眼を誤魔化していた。
 これで、一応は妖精二人から逃れることが可能になったわけだが、その代わり、預金口座が使えなくなったため、手持ちの少ない現金で何とか生活をしていかなければならない状況になってしまっていた。
 とはいえ、アキトにしてみれば、お仕置きを受けるくらいなら飢え死にした方がマシ、と思っているため、特にそのことについては、心配していなかった。
 アキトにとって問題なのは、今後どこに行けば、見つからないで済むか、という一点にのみ集約されていた。
 もっとも、あの某同盟の追跡を、完全に逃れることは、根本的に言って不可能なのだが。
 太陽が真上に上った頃になっても、アキトは震えながら、対策を考えていた。
 そんな時、神社の鳥居の方から物音がしたため、アキトはとっさに起き上がり、身構える。
 しかし、相手は、身構える必要のなさそうな人間だった。
 そこにいたのは、白いワンピースを着た二十代半ば程の女性と、その女性に連れられた、青いワンピースを着た7、8歳の女の子だった。
 女性は、吊り気味の大きな黒い瞳に、薄紅色の形のよい唇、整った鼻筋、奇麗な曲線を描く顎、腰ほどまである長い黒髪をしており、某同盟の誰と比べても、見劣りしない容姿をしていた。
 また、女の子は、膝ほどまである白い髪に、子供特有の丸みを帯びた顔の輪郭、小さいが鼻筋の通った鼻、色が薄いが形がよくかわいらしい小さな唇、そして大きな金色の瞳をしており、無機的な美しさを持った容姿をしていた。

「あの……どうかされました? そんなに怖いお顔をして」

 女性が、身構えたアキトを見て、驚いた様子でそう訊いた。

「い、いや、なんでもない。すまない、驚かせてしまった」

 アキトは、突然姿を現したことで、驚かせてしまったことを詫びた。
 女性は、アキトの詫びに、微笑んだ。

「特に驚いていませんから、謝ることはないですよ」

「それなら良いんだが……」

「それより、この辺で見かけない方ですが、どちらからいらっしゃったんですか? 地元の方には見えませんが……」

 女性が、アキトの格好を見ながら言った。
 アキトは、ナデシコから脱出する際、部屋にあった適当な服を着たので、その服装は全身黒一色の、かなり怪しい服装だった。
 はっきり言って、秩父山中では、そうそうお目にかかれない格好である。

「…………」

 アキトは、正直に答えて良いものかどうか悩んだ。
 自分の正体を話して、ナデシコに通報でもされたら、元も子もない。

「あ、答えたくないのでしたら、別に話さなくていいですよ」

「ごめん……色々事情があってね……ある人達から逃げているところなんだ。だから、下手に話すと、君を巻き込むことになってしまう……」

 ご大層な言葉を並べてはいるが、実際アキトを追ってくるのは、アキト発見及びお仕置きが目的の某同盟ぐらいなものなので、この女性が巻き込まれるということは、まずありえない。
 あったとしても、そこまでひどいことはされないだろう。

「あの……もしよろしければ、うちに来ますか?」

「はい?」

 女性の突然の提案に、アキトはすぐに答えることが出来なかった。
 見ず知らずの男に、こんな提案をする女性は、そうはいないであろうから、余計だった。

「誰に追われているのかは知りませんけど……困っているときはお互い様。行く当てがないなら、うちで匿いますよ?」

「でも……君に迷惑が掛かるんじゃないか?」

「大丈夫ですよ。これでも軍隊上がりで腕には自信があるんです。大抵の迷惑なら、許容しますよ。それに……私も追われてる身ですから」

「君も?」

 アキトが、意外そうな顔をした。
 目の前の女性は、とても追われるような人物には見えなかったからである。

「はい。軍の方でいざこざがあったので、追われる羽目になっちゃったんですよ。そんなわけなので、追われてる人が一人くらい増えても、大して問題にはならないんです」

「そう、なんだ……だったら、お世話になろうかな……」

 自分と同じく追われる立場にいるなら、匿ってもらっても、さほど迷惑にはならないと考えたのだ。
 また、自分がいれば、女性と女の子くらい守ることが出来るだろうとも。
 一方的に迷惑を掛けるのではないのなら、そこまで胸も痛まない。
 アキトとしては、現状において、この上ない提案だった。

「歓迎しますよ、えっと……」

「あ、俺はアキトって言うんだ。よろしく」

「私は、アマヤマ・マモルです。こっちにいるのが娘のマリ。……それにしても、アキト、ですか……漆黒の戦神と同じ名前ですね」

「!?」

 女性改めマモルがそう言うと、アキトはとっさに表情を変えた。
 だが、その露骨なまでの表情の変化は、明らかな失態だった。
 匿ってくれる場所が出来て、少々気を抜き、油断していたためにおきた失態だった。

「どうやら図星だったようですね」

 マモルは、楽しそうに笑った。

「西欧方面軍にいたとき聞いた特徴に似ていましたから、そうじゃないかとは思っていたんですけど、やっぱりそうでしたか」

「……カマをかけたのか?」

「えぇ、まぁ。後方で政治関係に関わっていたので、これくらいは朝飯前なんですよ」

 満面の笑みを浮かべながら言うが、その内容は、余り笑えない。
 マモルにしてみれば、日常的な会話をしつつも、相手から情報を引き出すくらい、難しいことではないのだ。
 しかも、言葉ばかりではなく、相手の表情まで読み取るあたり、相当な経験をつんでいるといえる。
 そればかりか、アキトに怪しまれずに、情報を引き出したのだから、実力はかなりのものだ。

「それで……俺が漆黒の戦神だとして、どうするつもりだ?」

「どうもしませんよ。ただの確認ですから……ただ、これで追ってくる人間の正体も大体わかったので、いくらか対策の立てようはあるかと」

「対策があるのか!?」

 アキトは、マモルの言葉にくらいついた。
 少なくとも、自分には対抗措置が思いつかない。
 マモルの言葉は、正に溺れた者にとっての藁だった。

「えぇ。私の知りうる範囲において考察するに、ナデシコは地球最強の戦艦でしょう。三人のマシンチャイルドによる情報収集能力も桁外れですし、ヤガミ・ナオという裏方のプロもいるとか。正直、こんなのに追われたら逃げられないでしょうが……まぁ、対策がないわけではありません」

 マモルは、顔を真剣な表情に変えながら、話し始める。

「この辺りは、他の都市と違って、ネットワークの普及率が著しく低いんです。土地柄もあるのかもしれませんが、この辺りは、国有私有問わず山ばかりなので、わざわざこんなところまで最新のネットワークを張り巡らす必要がなかったんです。人口密度も低いですから」

「まぁ、確かに回りは山ばかりだが……」

 23世紀現在において、秩父を有する埼玉県の人口は、日本有数の人口密集地域である関東地方において東京、神奈川に続いて三番目に多い。
 戦争での被害は、東京と工業地を多く保有する神奈川と千葉に集中しており、埼玉自体の被害はそれほど多くなかったわけだが、秩父はその中でも特に被害の少なかった地帯だ。
 山間で過疎化が進み、23世紀になってからは、その人口が21世紀と比べて三分の一以下になっていたことが、被害が少なかった最大の理由だろう。
 こんなところ攻撃しても、何の意味もない。
 つまるところ、ここ秩父という土地は、開発途上どころか、開発されてもいない。
 開発しても、相応の利益を見込めないというのが、企業側の思惑なわけだが、この地の人間にしても、わざわざ開発してもらう必要もないと考えていたため、開発が進まなかったのだ。
 結論を言ってしまえば、この地域に最新のネットワークは存在していないのだ。

「マシンチャイルドの三人が、最もその能力を発揮するためには、ネットワークの存在が不可欠です。でも、そのネットワークが、この地には存在していない。つまり、マシンチャイルドでは、この地の情報を十分に収集できないんです。それに加えて、少し嘘の情報を流せば、ここを特定することは出来ません」

「なるほど……だが、まだナオさんの問題が残ってるが?」

 アキトが、ナデシコに乗る自分の友を思い浮かべながら言った。
 ナオは確かに、諜報のプロである。

「それも問題はないでしょう。ここは、余所者に対して警戒心が強いところがあるんです。私とマリだって、ここの人達に受け入れられるのに、数ヶ月掛かりました。ここでは、余所者が、そうそう情報を手に入れることは出来ません。あとは、ここに来るために必要な場所と家の周りさえ警戒していれば、何とでもなります」

「聞く限り、凄い土地だな、ここは……だが、そうなると俺も警戒されるんじゃないか?」

「あぁ、それも大して問題ありません。アキトさん、と呼ばせていただきますが、アキトさんには、戦争で行方不明になっていた私の夫ということになってもらいますから」

「お、夫!?」

 アキトは露骨に動揺した。
 あまり、自分にとっては印象の良い言葉ではなかったからだ。

「別に本物の夫になれなんていってません。あくまでもカモフラージュです」

「地元の人達に警戒させないため、ってこと?」

「そうです。私の夫ということなら、短期間でここに溶け込めるはずです。嫌なら、他の方法を考えますけど……」

 思案顔になりながら、マモルがアキトに言う。

「いや、それでいいよ。匿ってもらう立場なんだし……それに、マモルちゃんの夫なら、むしろ光栄かな、マモルちゃん美人だし」

「まぁ、お上手ですね。それで、ナデシコの皆さんを誑したんですか?」

「別に誑すつもりはなかったんだけどね……」

 アキトは、泣きそうになりながら言った。
 アキトにしてみれば、別にナデシコの女性たちを誑したつもりはまったくないのだ。
 少なくとも、意図して女性を誑したことはない。
 とはいえ、好意を寄せてくれていることは、さすがに理解しているため、無下に扱えないでいることも事実だったが。

「わかってます。見る限り、アキトさんは女性を弄ぶような方には見えませんし、良い人に見えますから」

「はは、そういわれると、なんだかむず痒い気もするけどね」

 アキトは、マモルの言葉に照れて、顔を赤くする。
 普通の会話が、相当久しぶりであるアキトにとって、マモルとの会話はとても楽しくおもえていた。
 少なくとも、婚姻届を持って追いかけられることや、事実なき浮気の嫌疑でお仕置きされることがない。
 アキトにとって、そんな普通の会話が嬉しかった。

「あ、そうそう。アキトさんは、今後私のことを、マモルって呼び捨てにしてください。演技とはいえ、妻ということになりますから」

「わかった。えっと、マリちゃん? は、どう呼べば良いかな?」

「マリも呼び捨てで良いですよ。ただ、マリには、アキトさんのことをお父さんって呼ばせますし、私もアキトさんのことをアナタって呼びますので、呼ばれたときは、動揺せずに、すぐに返事をしてくださいね」

「わかったよマモルちゃん……いや、マモル。これからよろしくね」

「はい。これからよろしくお願いします。アナタ」

 マモルが、優しい笑顔でアキトのことをアナタと呼ぶと、アキトはとたんに顔を赤くした。
 ユリカにだって、アナタなんて呼ばれたことはない。
 こういう呼ばれ方に免疫のないアキトとしては、恥ずかしい反面、どこか嬉しく思えた。

「……よろしく、お父さん」

 マリが、アキトの傍によりながら、アキトに言った。
 アキトは、マリに微笑みかけながら、マリの頭に手を置いて、優しく撫でる。

「よろしく、マリ」

「うん」

 頭を撫でられたマリも、アキトに微笑みかけた。
 かなり曲がった方向に成長しつつあるルリやラピスとは、相当違った反応に、アキトはまた嬉しくなる。
 半ばルリやラピスを娘というより、自分を想ってくれている少女と思っているアキトにとって、これほど娘だと実感できたのは初めてのことだった。

「さて、いつまでもここにいても仕方がありませんし、一度うちに行きましょう? 今後の事とかを詳しく話し合ったり、近所回りのこととかも考えないと」

 良くも悪くも、田舎というのは噂が回りやすいため、変な噂を流される前に、アキトのことを近所の人間に話しておく必要があるのだ。
 下手に噂を流されて、警戒されたら、元も子もないからである。

「さて、ここからは私はアキトさんの妻となるので、色々そういう行動も取ることになります。話し方も砕けたものに変えますし、腕を組んだり、キスしたりするかもしれませんが、我慢してくださいね」

「それはこっちだって言えることだよ、マモル。マモルとキスしたりするようなことになったら……我慢してくれよ?」

「私のほうは別に問題ないですよ」

 マモルが苦笑しながら言うと、アキトも苦笑した。

「それなら良いんだけど……嫌な時は言ってくれ、配慮するから」

「はい。ありがとうございます、アナタ……」

 マモルはそういいながら。アキトの腕に自分の腕を絡ませる。
 アキトは一瞬びっくりしたが、振り払うことはしなかった。
 マモルに倣ってか、マリはアキトの手を握った。
 アキトは、マリの手を優しく握り返す。

「それじゃあ行きましょう?」

 マモルが、少し砕けた話し方で、アキトに言った。

「あぁ。行こうか」

 アキトがそう答えると、マモルはアキトを引っ張るように歩き始めた。
 アキトと、アキトと手をつないでいるマリが、それに引っ張られるように続いた。
 アキトの格好を別にすれば、至ってほのぼのした家族に見えた。





 アキトがマモルやマリとほのぼのと家族を演じ始めた頃、月に駐留中のナデシコには張り詰めた空気が流れていた。
 お仕置きの対象であるアキトが、ナデシコから逃走したことで、某同盟の構成員の機嫌が著しく悪くなっているのだ。
 某組織としては嬉しい限りなのだが、某同盟主導によるアキト捜索に巻き込まれているハーリーとナオにしてみれば、たまったものではない。
 しかもナオにしてみれば、久しぶりに休暇を貰い、ミリアに会いに行く予定になっていたのだから、その心中は、察して余りあるというものだ。

「ルリちゃん、ラピスちゃん、アキトの足取りは掴めた?」

 艦長席にいるユリカが、オペレーター席にいるルリとラピスに訊いた。

「まだです……隠し持っていたCCを使って、ボソンジャンプで逃げてますから……場所の特定だってまだ出来てない状況です」

「こっちも同じ……でも、少なくとも木連と月とコロニーにはいないみたい。アキトの反応がないから」

 ルリとラピスが、それぞれ返答を返した。
 アキトが逃げた場所が場所だけに、ルリとラピスでは場所の特定が出来ない状態が続いていた。

「リンクはどう?」

 ユリカが更にラピスに訊く。

「ダメ……アキトの方で切ってるから、ぜんぜん繋がらない」

 ラピスが難しい顔をしながら、答えた。

「今回は、かなり手が込んでますね……いつものようにはいかないかもしれません」

「手引きした人間でもいるのかな?」

 ルリの言葉に、ユリカが更に訊ねた。

「どうでしょう? 今回に限って言えば、某組織の介入はなさそうですし……某組織以外の人間が手を貸す理由もないと思います」

「シャクヤクは?」

 再びユリカがルリに訊く。

「確かに北斗さんが乗っていますし舞歌さんの息もかかっていますが……アキトさんと接触したという記録はありませんから、今回は白だと思います」

「だとするとアキトが単独で?」

「そう思うのが妥当だと思いますが……そうだとすると、今まで通りにはいかないということになりますから、少し厄介ですね……」

 ユリカの問いに答えつつ、ルリが難しい顔をした。
 今まで比較的簡単に捕まえられたアキトが、今回は随分手の込んだ逃亡をしている。
 もしアキトが単独で逃げているのだとしたら、今後アキトが逃亡を企てたときの手立てが必要になってくる。
 ルリはそれを懸念していた。

「とにかく捜索を続けます」

「頼むね、ルリちゃん、ラピスちゃん。一応こっちでも、知り合いに訊いてみるから」

「わかりました」

「やってみる」

 ユリカの言葉に返事を返しつつ、捜索を再開するルリとラピス。
 アキトがナデシコから失踪して半日、彼女たちは休みなく捜索を続けていた。
 ある意味、尊敬に値するほどの執念だった。





 マモルの家は、山の中腹にある、木々に囲まれた場所に建っていた。
 見た目にも、相当古いことがわかる伝統的な日本家屋で、それなりに造りはしっかりしていた。
 広さもそこそこあり、三人で暮らすには十分な広さがあった。
 欠点を挙げるとすれば、普通の道路まで相当な距離を歩かねばならず、更に水は湧き水と井戸水を利用しなければならないという、かなり時代錯誤している部分だろうか。
 下水管がちゃんと通じていることが、救いだった。
 アキトは、欠点を含めこの家が気に入った。
 静かで、自然に囲まれているためか、アキトにはこの場所がとても気持ちの良い場所に思えた。
 少なくとも、都会より空気は澄んでいて、綺麗だった。
 アキトは、縁側に立って、外を見ていた。
 マモルと会ったときの服装から一転して、白いワイシャツと黒いズボンを着ていた。
 この服は、マモルが持っていたもので、変装に使うために購入したものらしい。
 サイズは、アキトには少し小さめであったが、気になるほどでもなかった。

「良いところだな、ここは」

 アキトが、呟くように言った。
 それにアキトの立っている縁側の奥にある茶の間で、三人分のお茶を入れていたマモルが返事を返す。

「えぇ。この辺りは、東北や北海道ほど雪も降らないし、九洲や沖縄ほど暑くもならない。雨も適度に降るし、山の上のほうだから夏でも快適なの。人がいないから、静かだしね」

 夫婦としての演技を始めて以来、マモルの話し方は砕けたものになっていた。
 アキトとしても、敬語を使われるより気楽なので、その話し方を歓迎していた。

「本当に良い場所だな……永住を考えたいくらいだ」

「別にずっといても良いわよ? 問題がおきない限り、私もマリも、ここに住んでいるつもりだし……お互いの追っ手に見つからない限りは、ずっといても、別に構わないわ」

「だったら、何か仕事を探さないと。ヒモになるつもりはないからな」

 アキトは苦笑しながら言った。

「この辺で出来る仕事は、農業か猟師くらいよ? まぁ、他にできないことはないだろうけど、皆今の暮らしに満足してるから、新しい仕事は難しいと思うわ」

「そうなんだ……でも、農業かぁ、悪くないな」

 アキトは、半ば本気で農業をしようかと考えていた。
 この地でおいしい野菜を作って、料理を作って、マモルやマリと暮らす。
 なかなか魅力的な生活だった。

「この山は私の所有地だから、開墾しても良いよ? 開墾すれば、それなりに広い土地が手に入ると思うし」

「前向きに考えておくよ。ところでマモルちゃんは何か仕事してるの?」

「たまに農家とか林業を手伝いに行ったりしてるよ。贅沢さえしなければ、軍にいるときに貯めたお金と退職金で、特に不自由することなく暮らせるから、その程度で十分なの」

 階級にもよるが、下級兵士であった場合、給料も退職金もそれほど多く出ない。
 とはいえ、細々と暮らす分には、十分な額は出る。
 マモルとマリが暮らすには、その程度でも十分だと判断したアキトは、すぐに納得した。

「なるほど……」

「あとは、この辺りに学校がないから、マリ相手に学校の真似事もしてるわね。因みに今は通信で大学教育を受けさせてるわ。もうすぐ卒業だけど」

「へぇ〜。マリは頭良いんだなぁ」

 アキトは、マモルの傍でお茶やお茶菓子を用意しているマリを見ながら言った。

「……お母さんの教え方が良いから……」

 マリが、顔を少し赤くしながら、マモルを見る。
 マモルは、マリに微笑みかけながら、マリの頭を優しく撫でた。

「私の教え方は普通よ」

「でも、お母さんが教えてくれると、やる気でるから……」

「嬉しいこといってくれるわね」

 マモルは、優しい表情を浮かべつつ、もう一度マリの頭を撫でると、ちゃぶ台の上にお茶の入った湯のみを三つ置いた。

「アナタ、お茶いれたわよ」

「あぁ。ありがとう」

 マモルに言われて、アキトはちゃぶ台の前に座った。
 マモルとマリも、腰を下ろす。

「さて、早速で悪いのだけれど、アナタの経歴とかを考えないと。近所回りするときに、必要になるから」

「経歴かぁ……元軍人で西欧方面軍にいたってことで良いんじゃないかな? まるっきり嘘じゃないわけだし」

 まずアキトが自分の考えを口にした。
 マモルもそれに乗り、自分の考えを語る。

「私とはそこで出会い、結婚した。そして、結婚して一年後に戦闘中行方不明になった……って言うのはどう?」

「いいね、それ。行方不明になっていたのは重傷を負って入院していたから。それで、退院したのは良いけど、マモルは既に西欧方面軍を辞めて、こっちに来ていたから、ずっと探し回っていた。そして、つい最近見つけだした」

「感動の再会を果たし、一緒に暮らすことになった……なかなか感動的なお話ね」

 苦笑しながらマモルが言った。
 それに対し、アキトも苦笑する。

「まぁ、ちょっとくさいかもしれないけど、それくらいがちょうど良いと思うよ」

「そうね。まぁ、これなら、ご近所さんも信じてくれるでしょうね」

 マモルはそう言いつつお茶をすすった。
 その時、玄関の方から声が聞こえてきた。

「マモルちゃ〜ん! いる〜?」

「いまるよ〜! 縁側の方に回って〜!」

 声に対して、マモルも大声で応じた。

「わかった〜!」

 マモルの言葉に声が返事を返した。
 それからしばらく待っていると、三十路の女性が縁側のところに姿を現した。

「マモルちゃん、うちの畑で取れた野菜持ってきたよ……って、お客さん来てたの?」

「お客であってお客じゃないわ、この人は」

 女性に、マモルはそう答えた。

「どういうこと?」

「この人、私の夫なのよ」

「へ!? ま、マモルちゃん、結婚してたの!?」

 女性が露骨に驚いた顔をした。

「うん。西欧方面軍にいたときに結婚したんだけど……戦闘中行方不明になってたの。でもそれは、重傷を負ってずっと意識不明だったせいだったんだって……それでね、最近意識を取り戻して、私を見つけ出してくれたの」

「それで再会できたわけか。なるほど、マモルちゃんが何で結婚しないのか、ようやくわかった。こんな良い男の夫がいたんじゃ、当たり前だわ」

 女性は、マモルの説明に、涙ぐみながらも、すぐに納得した様子で、そう言った。

「えっと、アマヤマ・アキトです。妻がお世話になっております」

 アキトは立ち上がって、女性に頭を下げた。

「いえいえ。お世話されてるのはこっちのほうですよ。あ、私はヨコセ・ミツコ、近くで両親と夫で農業やってます」

 女性改めミツコも、頭を下げながら自己紹介した。

「それにしても、マモルちゃんが旦那さんと再会できたのは皆に知らせないとね。挨拶回りまだでしょ?」

「うん。出来るなら、一度夫を皆に紹介したいと思ってるんだけど……」

「それなら任せて。公民館押さえるから、今夜公民館でお披露目解しちゃおうよ。準備するからさ」

「え、でも……悪いよ」

 マモルは、難色を示した。
 流石にそんなことをさせるのは気がひけた。
 本当は、夫婦ではないのだから、そういうことをさせるのは、少々抵抗があった。

「気にしない気にしない。マモルちゃんに旦那さんがいたなんて、この辺じゃ久しぶりの良い話題なんだから。それにさ、いつも世話になりっぱなしなんだから、これくらいさせてよ?」

「ミツコさん……ありがとう」

「どういたしまして。それじゃあ、早速戻って準備するから、もう帰るね。詳しいことは後で連絡するから。それと、野菜ここにおいて置くから、食べてね。それじゃあ、また後で」

 野菜の入った段ボール箱を置くと、ミツコは足早にその場を後にした。
 どうやら、本人も相当楽しんでいるようである。

「……良い友達だな」

 アキトが、嵐のように来て去っていったミツコのことをそう評価した。

「……うん……私の親友なの……」

 マモルは、アキトの言葉にそう答えると、マモルはアキトの傍まで移動し、アキトの背中に顔を埋めた。

「……どうした?」

「…………少し、このままでいさせて……理由はわからないけど……こうしたいの……」

「………好きなだけ、そうしてて良いよ……マモル……」

 アキトは、マモルの気が済むまでその状態でいた。
 マモルを心配そうに見つめるマリと共に、マモルが元の状態に戻るまで、ずっとその状態を続けた。





 某同盟のアキト捜索に巻き込まれたナオは、サセホにいた。
 本来なら西欧にでも赴いて、アキトを探しつつミリアと会いたかったのだが、某同盟から言われたとおりに動かないと、後が怖いので、言われるがままサセホに来たのだ。
 流石のナオも、某同盟には適わなかった。

「アキトの野郎……なんだってこんなときに逃げるんだ……」

 アキトを捜索しつつも、つい愚痴が出てしまう。
 とはいえ、現状で愚痴をこぼすだけですんでいるのは、おそらくナオだからだろう。

「に、しても、サイゾウさんのところにもいないとなると……手がかり無しだな……どうやって捜しゃいいんだ……?」

 ナオは絶望的な気持ちになっていた。
 これが終わらなければ、休暇どころかナデシコに帰ることも出来ない。
 なんとしてでも、アキトを見つけ出さなければならなかった。
 しかし、現状では、見つけようがなかった。
 ナオの受難は、始まったばかりである。



 マモルとアキト、そしてマリは、公民館の大ホールにいた。
 三人のほかに四十名余りの人間が集まっており、、長机の側面に置かれた椅子に座っていた。
 因みに、マモルたち三人は、一番上座の席に、マリを挟むように三人並んで座っており、その前いはいくつかの料理と飲み物が置かれていた。
 その中で、アキトは、複数の男に囲まれ、半ば無理矢理大量の酒を飲まされていた。
 アキトの周りにいる男たちは、アキトに口々に何かを言っている。
 言っている内容は、それぞれ違ったが、意味合い的には皆同じことを言っていた。
 簡単に言ってしまえば『マモルと夫婦になるとは幸せものだ』ということらしい。
 どうやら、マモルが結婚していたという事実が、悔しいらしく、アキトはそのまま解放されることはなかった。
 一方、マモルのほうは、女性陣が気を使ってくれているらしく、ミツコ以外はマモルのところには来ていなかった。

「マモルちゃんの旦那さん、大変だね……皆に囲まれちゃって」

「ここに受け入れられる儀式のようなものだから、仕方ないよ」

 ミツコの言葉に、マモルは苦笑した。
 マモルも最初、あのように囲まれたことがあったのだ。
 もっとも、その時囲まれた理由は、アキトのものとは違い、男性には口説かれ、女性には好奇心から来た質問をぶつけられたのだが。

「ただ、飲みすぎるのは困るかな。飲み潰れちゃうと運ぶの大変だから。私の家、山の上でしょ?」

 マモルは、既に顔がそれとわかるほど朱に染まっているアキトを見ながら言った。
 見てわかるほどに、アキトは既に酔っ払っていた。

「あぁ、確かに……でも、あの調子だと、どっちかが飲み潰れるまで終わらないわよ、きっと」

「皆、妙に飲ませたがるところがあるから……お酒弱いのに」

「マモルちゃんに飲ませたときも、先に酔いつぶれてたからねぇ……マモルちゃんは一升瓶三本空けてもけろっとしてたのに」

「私は酔えない体質だからね。テキーラのボトルを開けても酔えないの」

 そういいながら、マモルは苦笑した。
 ミツコとしては、テキーラのボトルを開けて、体が大丈夫なのか、気にならないわけではなかったが、あえて聞かないことにした。

「お酒強いね……」

「自慢できることでもないけどね……マリ、もう眠い?」

 マモルは、ミツコに答えてから、眼を擦っているマリに訊く。

「……うん」

「じゃあ、もう帰ろうか? そろそろ、お父さんも限界そうだし……」

 マリの頭を撫でつつ、マモルはそう言った。
 マリは、マモルの言葉に、小さく頷いた。

「ミツコさん、そういうことだから……」

「わかってる。皆には私から言うから、安心して。旦那さんも、ちゃんと解放させてあげるから」

「手間掛けさせて、ごめんね」

「これくらい、大して手間じゃないよ」

 ミツコは、頭を下げるマモルに、苦笑しながら言った。
 マモルは、屈託なく、そういうミツコに微笑みながらも、どこか悲しげな顔をしていた。
 どこか、罪悪感に苛まれている、そんな表情だった。





 ナデシコでは、アキトが見つからないことから、某同盟の緊急会議が開かれていた。
 普段ならば、一時間、遅くても半日程度で発見・捕縛されるはずのアキトが捕まらないという事態を受け、早急に対策を立てる必要が出てきたのだ。

「現在までに、月、木連、コロニー及び日本・西欧方面の大都市において捜索を行ないましたが、TAの姿はまったく確認されていません。ヤガミさんに昔TAが働いていたお店に行ってもらいましたが、ここでも確認できませんでした」

 『妖精』が、現状を説明した。
 その説明を聞き、一同の表情は、一様に暗くなる。

「それらで確認できないとなると、マシンチャイルドで確認するのは難しいわね……」

 『科学者』が、難しい顔をしながら言った。

「ヤガミさんにも探させてますけど、手がかりはゼロだそうです」

「今回は随分と巧妙に逃げてるわね……」

 『メンテ』が、『妖精』の追加説明に暗い表情をしながら言った。

「リンクも切られちゃってるから、こっちもダメ」

 『幼き妖精』が、追い打ちになる言葉を言った。
 それで、更にあたりの空気が重くなる。

「この由々しき事態に際し、何らかの対策を立てる必要があるのですが……何か意見のある方はいらっしゃいますか?」

 『妖精』のその言葉に、手を上げるものはいなかった。
 というより、『妖精』で探し出せないアキトを探す手立てなど、とっさに考え付くわけがないのだ。
 『妖精』もそれがわかっているのか、無理に意見を出させるようなことはしなかった。

「急に言われても、すぐには考え付かないと思いますので……明日改めて会議を招集したいと思います。よろしいですか?」

 『妖精』の言葉に、反対するものはいなかった。
 某同盟の会議は、これをもって一時終了された。





 完全に酔っ払ったアキトは、マモルの家の居間に寝転がされていた。
 アキトを連れて帰ってきた当のマモルは、寝てしまったマリを、寝室に連れて行っている。
 アキトは、ぼうっとする頭で、辺りを見回した。
 薄暗い部屋に、外から入ってくる月明かり。
 特になにがあるわけでもなく、ただ、虫の声と木々のざわめく音だけが聞こえるだけの、静かな空間だった。
 ナデシコが騒がしいだけに、その空間が、とても寂しいものに思えたが、アキトは、その静かな空間が、愛しくも思えた。
 少なくともここでは、お仕置きされる心配はない。
 アキトが、静かな空間を満喫してるところに、和服の寝巻きに着替えたマモルが入ってきた。
 白い長着を腰紐一本で結んでいるだけの、簡単な寝巻きであったが、その格好は、マモルから色気を引き出していた。
 アキトは、しばしマモルの姿に見とれた。
 普段、美女・美少女揃いのナデシコで、半ばハーレム状態であるアキトだったが、酔っていることを差し引いても、マモルから独特の色香を感じた。
 そう、普段本能と煩悩を押さえ込んでいる理性を無効化させるだけの、魅力と色気が、マモルにはあったのだ。

「アナタ、こんな所で寝たら風邪を引くわ。寝室に行きましょう?」

 寝ているアキトの近くに座りながら、マモルが優しく言った。
 とはいえ、アキトはその声を聞いていなかった。
 マモルの着ている寝巻きの、襟と襟の間から覗く豊満な胸の谷間に、アキトの視線は集中していた。
 そして、そこから徐々に視線を上げていくと、襟元に覗く鎖骨が見え、細い首が見え、そして、マモルの唇が目に入る。
 暗い中でも十分認識できる、形が良く、艶のある唇。
 胸の谷間から唇に至るまで、順に見たアキトの理性は、完全に消え去っていた。
 酔っているせいもあるのだろうが、これほどまでに魅力的な女性が至近距離にいる、しかも、マリは寝ており、周りには二人以外おらず、ここは山の上。
 アキトを押し止めるものは、何もなかった。
 むしろこの状況ならば、大抵の男は、理性を失くすことだろう。

「マモル……!」

 アキトは、マモルの名前を口にしながら、マモルの両肩を掴んで、床に押し倒した。
 完全に理性という抑制を失っていた。
 マモルは、何が起こったのかすぐには認識できず、呆けていた。

「アナタ……?」

 マモルがアキトを呼んでみるが、アキトは返事を返さず、マモルの寝巻きに手をかけた。
 そこに至って、マモルはアキトが何をしようとしているのか認識したらしく、アキトの手を掴んで、抵抗する。

「ちょっ……! アナタ……! アキトさん! 待って! やめて!!」

 抵抗の言葉を口にしつつ、マモルは寝巻きを脱がされまいとアキトの腕を必死に押さえるが、漆黒の戦神と呼ばれたアキトの腕力には敵わず、寝巻きを脱がされてしまう。

「!?」

 マモルを脱がせたアキトは、マモルの体にある無数の傷を見て、動きを止めた。
 マモルの全身には無数の傷跡が残っており、傷がないところを探す方が難しいほどだった。
 両手両足、そして首より上は、ほぼ傷はなかったが、胴体には数え切れないほどの傷が刻まれていた。
 特に、左肩の首の付け根から右大腿部の付け根まで一直線に伸びる深い傷跡が、強く印象に残った。

「……気持ち悪い、よね……こんな体……」

 マモルは、眼に涙を浮かべつつ、言った。

「……こんな醜い体で、興醒めしたでしょ……? 見てて、気持ち悪くなるだけだもの……」

「マモル……」

 アキトは、涙を浮かべるマモルに酔っ払っていながらも、少し心が痛くなっていた。
 しかし、アキトはマモルを解放はしなかった。
 その代わり、強く印象に残る、マモルの体の中で一番長く伸びる傷に触れたあと、優しく舌でなぞった。

「ひぅっ!?」

 マモルが、吃驚してそんな声を上げた。

「マモルの体は、綺麗だよ……この傷も含めて……俺はマモルの体は綺麗だと思うし、好きだ……」

 アキトが、マモルにささやくように言った。
 誰にも聞かせたことのないような、妖艶で優しい、聞くものを酔わせる声だった。

「アキト、さん……?」

 マモルは、アキトの言葉と声に、とっさに何を言って良いかわからず、アキトの名を呼んだ。
 しかし、アキトは返事を返さず、自分の話を続けた。

「俺は、マモルが欲しい……俺のものになってくれ、マモル」

「そんなこといわれても……」

「マモルが嫌がっても、俺はマモルを抱く……マモルを俺のものにする……」

 アキトは、一方的にそう宣言すると、対応に困っているマモルの体を貪るように弄り始めた。
 最初こそ抵抗していたマモルだったが、徐々にその抵抗はなくなり、アキトのなすがままになっていった。
 アキトの行為は、アキトが眠りに付く明け方まで続いた……。



   序章 第二話に続く




   あとがき

 Gemini 時ナデ編 くいーん・おぶ・だーくねすはいかがでしたでしょうか?
 微妙に変わっているマモルに違和感を感じている方も多いかもしれません。
 いったい、マモルに何があったのか、今後徐々にわかってくることになりますので、根気よく読んでいただければ幸いです。


 それでは、今回はこの辺で失礼させていただきます。

 

 

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代理人の感想

いきなり第一話でこれかっ!

なんつーか、この行為で出来た子供がそのうち未来に飛んだアキトと

機動兵器に乗って丁丁発止の殺し合いをやるとか、そんなデンパがよぎりましたよ。(爆)