劇場版アフターストーリー
黒き仮面
第3話
2201年9月1日
3:00 a.m.
月
『月の夜空は幻想的だ。』
誰が言うともなくこの時代の常識となっている言葉。だが月の大地を踏んだことのない者が実感することはない。
むしろ、夜というものはもともと幻想的で月に限ったものではない、などと思うかもしれない。
地球から見た月は、弱い、それでいて柔らかな光を放つ硬貨ほどの銀盤だ。幻想的といってもおかしくない。
だが、月から見た地球は、圧倒的な存在感をもつ。大きさが違うというだけではない。
死を象徴するかのような宇宙の暗闇。その中にぽっかりと浮かぶ、周りとは明らかに異質な、
目のさめるような蒼い円盤。
初めて目にするものは一様に目を奪われ、現実との遊離をおぼえる。
それゆえに、あえて『幻想的』という形容詞をいただくのだ。
そんな月の夜に、喧騒は似合わない。フォン・ブラウン市にあるネルガル総合病院は静かだった。
もっとも、日付が変わるまでは赤いランプと甲高いサイレンが何度となく静寂を切り裂いた。
それもこの時間にはぱったりとやみ、宿直のもの以外は寝静まっている。そんな夜。
病院を外から眺めているものがいれば気づいただろうか。
病院の最上階の一室から、突然、青い光が零れはじめたのを。
はじまりと同様に光は唐突にやんだ。その間、一秒弱。そして、光が溢れ出していた場所には人影があった。
黒いロングコート、濃いサングラス。暗闇に溶け、体つきも顔もわからない。
しかしその人物はゆっくりとサングラスをはずす。
あらわれたのは秀麗な顔、それも絶世の、という修飾をほどこして恥じる
必要のない青年の顔。だが彼を見たものは美しさを感じる前に恐怖を感じただろう。
そう、彼の体からは鬼気と称すべきものが放たれていたから。
2201年9月4日
09:50a.m.
トウキョウ
ネルガル本社ビル 会長室
ギシリ・・・
ソファーに体を預けるとスプリングが小気味よい音をたてる。
朝食を済ませ人心地ついた青年が大きく伸びをしている。
ネルガルの会長室でこのような振る舞い、無論、アカツキ・ナガレである。
彼はここ1ヶ月あまり激務が続き、このようなゆっくりした朝を過ごすのは久しぶりだった。
とはいっても休日と呼ぶには程遠いものであり、あと10分もすれば分刻みのスケジュールに飲み込まれる。
彼の年齢はいまだ30歳にとどかず、この激務にもまだまだ余裕を残している。それでも、休めるときには休む。
余裕のない人間ほど己の体力を過信し、擦り切れ、突然緊張の糸が切れる。
休息をとることも立派な仕事だと理解していないから、
いや理解できないからだ。若さに似ず自己制御に長けた青年はゆっくりとコーヒーの香りを楽しんでいた。
ごーん、ごーん・・・
アンティークの柱時計が休日の終了を告げる。
その音色が鳴り終わるのを見計らっていたかのように扉からノックが響いた。
「会長、わたくしです」
「ん、はいりたまえ」
その声にこたえ扉が開く。
プロスペクター。
ネルガルの表と裏、双方に通じる男。アカツキにとっても他と変えがたい人材である。
エリナ・キンジョウ・ウォンが月につめている今、第1の側近のといってよい。
「ここ20時間ほどの情勢をご報告いたします。
第1に反クリムゾン、反統合軍への世論の誘導は計画どおり進んでいます。
クリムゾンの反論活動が3日前からトーンダウンしているため、予定よりも順調なくらいです。
クリムゾンの思惑は、今のところわかりかねます。
第2に連合総議会への根回しですが世論の後押しもあり、やりやすくなっていると
ミスマル総司令から通信がありました。
鹵獲した"火星の後継者"所有艦艇の宇宙軍への配備、
および宇宙軍の増員は今度の議会で認められるだろうと。
ただナデシコCに関しては"ヴァーベインの槍"の撤去,これ以上の条件改善は望めないそうです。」
軍艦のクラッキングは不可能というこれまでの常識を覆したナデシコC、
その電子戦闘能力の一翼を担うのが"ヴァーベインの槍"である。
通信回線からのハッキングに対し隙を見せない軍艦であろうと"ヴァーベインの槍"があれば
艦外部から電磁波を照射、コンピューターに直接接続することが可能になる。
現状のどんな戦艦、コンピューターであろうとこれに対する防御力は皆無。
権力争いに血道をあげている政治家がこの件に関しては固く結束していることからもその威力が知れよう。
もっとも新兵器である以上問題点も多い。
何より扱いが難しく、最高の人工頭脳とオペレーターがそろってはじめて運用可能になるほどで量産には程遠い。
また有効射程も短い。
したがって今回の凄まじい戦果は新兵器よりも、
その短所をカバーし長所を引き出した人材によるところが大きいといえる。
「うん・・・ナデシコCを丸ごと取り上げられるのは防いだ、これで良しとしようか。
あの技術の流出だけは防がなきゃならないけど、それさえできるなら大した痛手じゃない。
また作ればいいんだし。ここで下手にこだわって、ありもしない腹を探られたらたまらないからね。」
アカツキの言葉にプロスもうなずく。
「第3に、月のエリナ女史から報告が届いています。
ユーチャリス、ブラックサレナからのデータ収集、解析が昨日を持って終了。
この戦艦と機動兵器に対する今後の方針を示して欲しいとのことです。それと・・・
テンカワさんの治療は今のところ順調だそうです。」
「テンカワ君ね〜、報告通りならすごい事になるね。常人の数倍の知覚、筋力、反射神経。
これが部分的にとはいえ制御可能になるかい。ますます手におえなくなるよ。」
肩をすくめるアカツキ。だがその目は笑っていない。
「先天的なA級ジャンパーの資質、超常の戦闘能力、そして何よりも飼犬になるのを良しとしないその精神・・・
今までは余裕がなかったから野放しにしてきたけど・・・正解と思うかい?」
会話がきわどい方向に飛ぶ。しかしこれぐらいでプロスの営業スマイルが消えることはない。
「正解、とは言いきれません。会長のおっしゃるとおり、彼の"力"はネルガルを脅かすに足るものです。
現に約三個艦隊の兵力を保有していた火星の後継者でも彼の攻撃を捌ききれず、
準備が整う前に動かざるをえませんでした。
テンカワさんがいなければ成功していた、とまでは言いませんが、
少なくとも泥沼の戦争ぐらいにはもちこめたでしょう。」
「それでも始末するのは下策だと?」
「はい、確実に始末できるのならば私もお止めしませんが」
「テンカワ君は3日も昏睡状態だったのだろう?そのときなら子供にでもできることじゃないか」
その言葉にプロスは首を振って答える。
「会長、テンカワさんが3日間眠ったままだったのは自分の身に危険が及ばなかったからです。
危険がせまれば即座に目覚めていたでしょう。」
アカツキは疑わしそうな目をプロスに向ける。
「会長が信じられないとおっしゃるのも無理のないことですが・・・
戦場に身を置く人間は危険に敏感になるのです。たとえ熟睡していても殺気を感じれば体が反応します。
別に特別な兵士だけではありません。並の兵士でも自然とそうなります。いわんやテンカワさんほどの強者、
それもあれほど過酷な戦場を生き抜いたばかりの人が気づかないわけがありません。」
「・・・強硬手段はムリ、かといって毒殺はエリナ君やイネス君が協力するわけもないし・・・お手あげだね、これは。」
「そういうことですな、もう1つ言わせていただければ仮にうまくいったとして・・・
テンカワさんに手を下した事がばれた場合、やっかいな人たちを怒らせるでしょうし・・・」
「・・・考えたくもないな。」
ミスマル・ユリカ、ホシノ・ルリ、イネス・フレサンジュ、エリナ・キンジョウ・ウォン。
この4人がそのことを知れば間違いなく敵にまわる。そしてこの4人に隠しとおせる自信は、アカツキにはない。
旧木連の将兵に「魔女」の二つ名で畏怖される天才戦術家。
人類世界最高のハッカーにして戦艦オペレーター。
23世紀がはじまったばかりの現在で、既に今世紀最大との声が聞かれる天才科学者。
いまやネルガルの実質ナンバー2に登りつめた切れ者・・・
加えて旧ナデシコクルーの少なからぬ者達が同調する。
彼女たちに刺し違えるつもりで狙われればネルガルでも、
いや、現状のどのような組織でも甚大な被害をこうむらざるをえないだろう。
その事態を未然に防ぐには4人をテンカワ・アキトと同時に抹殺するしかない。
しかしそれはネルガルが優れた人材を多数手放すことも意味する。
特にいまや3人にまで減ったA級ジャンパー、それがせっかくネルガルに協力的だというのにむざむざと失うわけにはいかない。
また巨額の費用をかけて開発した戦艦の単独ジャンプシステムも無駄になってしまう。
どう考えてもデメリットがメリットより大きい。
「現状維持が最善か・・・」
「はい。ですがそう危険視されることもないでしょう。テンカワさんの性格から考えて、
我々が背信行為にでないかぎり刃を向けはしないでしょう。貸しを作って恩を売っておけばまず大丈夫かと。」
「ムリして悪者ぶっちゃいるが根が善人だからね,彼は。
まあ,僕としてもそちらのほうがありがたいけど。」
平然と非道な事を口にするアカツキであるが彼自身アキトに対して、
友人、いや親友に近い感情を感じている。
それでも企業のトップという立場にあるかぎり感情に左右されることは許されない。
彼はただ、なによりも自分の職務に忠実なだけ、そして己の感情を隠す術に長けているだけのことだ。
それは今の言葉からもうかがえる。
冗談めかしてはいるがアカツキの声に、かすかに安堵の響きがあった。気づいたプロスも表情を緩める。
アキトに好感を抱いているという点ではプロスもアカツキと同じ、
心ならずも修羅の道を選んだあの青年を傷つけたくはなかった。
「では本日の予定ですが・・・まずはここ1ヶ月ほど溜まりに溜まっている書類の決裁をお願いいたします。
支社のほうからかなり苦情が来ておりまして。」
プロスがコミュニケで部下に合図を出す。台車に載せられた書類の山が部屋に運ばれてくる。
「・・・君がやってくれてたんじゃないの?」
「何をおっしゃいます。一介の秘書が手を出してよいものではありません。
私にできましたのは大事に際し会長のお心を煩わせないよう苦情をおさえる事だけでして、ハイ」
「・・・エリナ君が月から戻らないのはテンカワ君といちゃつきたいからだろうと思っていたが・・・
それだけじゃなかったんだね。」
「さ、会長、あきれている場合ではありません。今日は午後2時から連合総議会議長とのお約束が入っています。
それまでに少しでも進めておかねば、今夜は徹夜仕事になりますので。」
事務処理能力でも定評のあるプロスが手早く書類の山を仕分け、アカツキをうながす。だが、
「そういえばもうひとつ、お話しすることがありました。」
プロスが書類をめくる手を止めていった。
「昨夜、ロンドンのゴールドスミスの本拠地で戦闘があったようでして・・・」
「?ゴールドスミスはマフィア、それも血の気の多い奴らだろう、別におかしい話じゃないと思うけど。」
「・・・壊滅させられているのです・・・それもたった一人に・・・」
「!・・・」
「ゴールドスミスはこの情報を必死に隠蔽しようとしたようですがことが、ことだけに無理だったようです。
今朝私の耳に入りました。」
ゴールドスミスはヨーロッパ最大級の犯罪組織であり、攻撃的な性格をもつ事で知られている。
当然その戦闘力は高く、実戦慣れしていることもありその実力は侮れない。
「・・・そいつはすごい。どこの組織の人間か知らないが、ぜひうちに欲しいね。」
「まったくです。ですがひとつ奇妙な点がありまして・・・」
「?いやにもったいつけるね、なんだい?」
「昨夜ゴールドスミスの本拠地にいたのは200名ほど、そのうち戦闘要員が100名あまり、
あとは戦闘と縁のない使用人です。
その戦闘要員が全滅したわけですが・・・これだけのことをしでかしていながら」
プロスがその内容を噛みしめるように、ひとつ息をいれる。
「死人が一人も出ていないのです。」
「ゆうべもお出かけだったようね」
我ながら不機嫌な声を出しているとエリナは思う。演技ではない。
アキトの前では感情を隠せなくなっていることを自覚している。
いつからだろう、ふと、そう思った。
「散歩していただけだ、眠れなかったからな。」
洗ったばかりの顔をタオルでぬぐいながら無愛想に返事をして、アキトはソファーに体を投げ出した。
かたわらのテーブルには半透明の物体がふたつ置かれている。
一つは手のひらよりも一回り大きい平べったいもの、もうひとつは中央が膨らんだ、短いベルトのようなもの。
治療に用いるナノマシンの調整のため、アキトはあのVIPルームをまだ使っていたが、
その部屋の品物の中でもっとも値が張るのは間違いなくこのふたつの物体だ。
『知らない人間が見てもなんなのかわからないでしょうね。』
実際、はじめてそれを見たときは用途を知っていたエリナでも驚いた。
このふたつはアキト専用の変装アイテムだ。
1週間前、イネス、エリナ、ラピスの間でアキトを整形することが決定。
しかし体をいじることに強い忌避感を覚えるアキトの頑強な抵抗に合い・・・
結局、変装用のマスクをつけることで妥協が成立した。
マスクといっても覆面ではない。
そんなものをつけていてはかえって目立ってしまう。簡単にいえば別人の顔に見えるようなお面である。
もともと秘密裏に諜報要員を抱えるネルガルではこういった装備の開発も進んでいる。
選り好みさえしなければエリナならその日のうちに手にはいる。
アキトとしてはそれで十分だったのだがイネスとエリナがそんなもので満足するはずもなく・・・
かなりの金額を費やして(あのプロスペクターが費用の明細書を見て一時思考不能となった)専用のマスクと
変声機が製作された。
イネス・フレサンジュの作であるから単なるマスクと変声機のわけはない。
そのお披露目の際に機能の説明だけで2時間かかった、
というより体力のないラピスが失神してしまったので2時間ですんだのだが。
エリナもアキト、ラピスと一緒にそれを聞いていたが半分ほどしか記憶にない。
「いくらマスクをしているからって感心しないわ。ボゾン粒子を感知されたらやっかいな事になるし。」
「余計な心配だ。わかるのは未確認のジャンパーが存在した、ということだけ。どうということはない。
もっともこの病院からボゾン粒子が感知されれば話は別だが、そんな安普請じゃあるまい?」
「・・・仕方のない人。」
後ろからアキトの体に手をまわす。自然と二人の顔が触れあった。
『ナデシコAに乗っていた頃ならやりこめるのは簡単だったのに。最近可愛げがなくなってきたわね。』
といいつつも愛する青年の成長が嬉しくもある。敵の拠点に単機で潜入、高い戦闘能力だけでできることではない。
戦闘能力もそれを使いこなす頭脳がなければ宝の持ち腐れだ。
冷静な判断力、深い洞察力、不動の平常心・・・
精神面でもアキトの成長は著しい。
『2年前まではただの甘い世間知らずだったのにね。』
追憶に浸っていたその時、エリナはアキトの体からかすかなにおいを捉えた。
アキトに体臭はないことを彼女は知っている。
これは・・・血の香り?
アキトの夜の外出、今朝耳に入った情報。閃きが走り、一見無関係な両者が頭の中で結びつく。
「・・・昨日の夜、ロンドンでマフィアの根城が、ひとつ壊滅したわ。」
触れあっている体からは何の反応もない。
「きついわ、血のにおい。ずいぶん返り血を浴びたみたいね、」
アキトの味覚と臭覚は衰えたまま。エリナはかまをかける。
「・・・香水でも買っておくんだったな。」
ポツリと、苦そうにアキトがつぶやく。
「今度プレゼントしてあげるわ。」
そういいながらも頭脳をフル回転させるが・・・アキトがマフィアとぶつかる要素は、ない。
「・・・どうして?」
「・・・・・・・・」
アキトはうつむいたまま答えない。だが、エリナの体にかすかに、ほんのかすかに震えが伝わってくる。
エリナは口を開こうとしたが、やめた。そのかわりアキトの体に回した手に力をこめる。
どれくらい時間がたった頃か、アキトがつぶやいた。
「・・・眠れないんだ。」
「そんなこと・・・」
聞いていないわ、と声を荒げようとしたエリナは、自分の腕を握りしめる力に驚き、口を閉じる。
「血が騒ぐ、というのか?うずくんだよ、体が。」
アキトの顔には明らかに苦悩にゆがみ、唇には自嘲の笑みが浮かんでいる。
「・・・いや、もう認めよう。俺は楽しんでいたのさ。
復讐、ユリカの救出。北辰とやりあっているときはいくらでも理由をつけることができた。
だから目をそらす事ができた、見たくなかった。
だが、いまは・・・」
いまや傍目にもわかるほど体を震わせながら、言った。
「あの日、火星で死んだのは北辰だけじゃない。
俺の心も・・・奴に殺されたんだ・・・」
アキトの顔は幽鬼のごとく蒼ざめていた。
<第三話 了>
<あとがき>
やっと話が少し転がりました。でも女性キャラがまだ三人しか出てきていません。困ったものです。
今のところ第四話はバイオレンス路線になる予定。アキト大暴れです。
管理人の感想
獅子丸さんからの投稿です!!
うむむ、これは今までにない路線ですね。
バイオレンス・・・アキト君、壊れてます(苦笑)
アカツキは見事に大企業の長として君臨をしてますし。
エリナはなんだか可愛くなってますしね(笑)
・・・イネスさんは相変わらずみたいですが(爆)
う〜ん、今後はどの様な展開になるのでしょうか?
では獅子丸さん、投稿有り難う御座いました!!
次の投稿を楽しみに待ってますね!!
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