人類が今までに考案した、ほぼ総てのスポーツが行なえるほど広い空間。

中央に、巨大な構造物が鎮座していた。

白く優美な船。その船体には、醜いが勇ましい大小の傷跡が無数にあった。

船の名を、ナデシコという。

「皆さん!お疲れ様でした!!皆さんのお蔭でナデシコはその任務を完遂し、無事、出航した佐世保のドックに帰ってくる事が出来ました♪道中、色々有りましたが、現時点をもって、ナデシコの処女航海を終了した事を宣言します!!」

ドックに鎮座するナデシコの脇で、ナデシコに乗っていた全クルーが整列していた。

木箱を利用した簡易お立ち台にて、ナデシコの船長、ミスマル・ユリカが波乱に満ちた旅の終了を宣言していた。

クルー達の顔には、やり遂げた達成感が満ち溢れている。

当然だろう。連合軍ですら出来なかった事を成し遂げたのだ。ナデシコのクルーは誇りに思ってよい。実際、これからしばらくの間、ナデシコに乗っていたと言えば誰もが一目を置く様になったのだ。それほどの快挙であった。

すでにネルガルは、この快挙を自社の宣伝に活用している。

暗い話題の多かった最近のニュースも、ナデシコ一色となっていた。連合軍もこの機会を捉え、一大反抗作戦を匂わせる発言をしていた。

「ナデシコは、修理と改装の為、1ヶ月間のドック入りとなります。皆さんにも15日分の有給が降りましたっ!…そして、修理の終わったナデシコは連合海軍の所属艦として活動する予定になっています。詳しい話は、ナデシコの新提督からっ♪…どうぞですっ!」

ユリカが、脇に退くと白い連合宇宙軍・第二種軍服を着込んだ50過ぎの男が姿を現した。

「ひさしぶりね。大した活躍ぶりじゃない。連合政府を代表して、皆さんにお礼申し上げるわ。」

特徴的な髪型の男。ムネタケ・サダアキである。普通なら、軍によるナデシコ徴発騒動の責任を取らされて、強制予備役か降格ぐらいさせられていそうなのだが、何故か昇進をも果たして大佐になっていた。彼の軍事的能力は人並みだが、それを補う何かを持っているのかもしれない。

「さて、今後ナデシコは軍属として、蜥蜴戦争を戦い抜く事になるわ。当然、ナデシコのクルーは仮の階級を与えられた軍人として働いてもらわないといけないの。…悪いけど、軍人になるのはイヤだって人は船を降りてもらうわ。でも、船に残ってくれる人達には、出来うる限りの高待遇を約束するから期待して良いわよ。なにせ、地球連合最大の撃破数を誇る船のクルーですもの、当然よね。」

ムネタケが大まかに軍の方針を発表した後、ネルガル側の代表も姿を現した。

「ネルガル重工のエリナ・キンジョウ・ウォンです。皆さん、困難な航海を無事に終えられ、本当にお疲れ様です。先に提督が話したように、ナデシコに残っていただく方には軍の階級と給料が支給されます。当然、ネルガルの社員でもある訳ですから、ネルガルからも今まで通り給料を支給します。契約変更の期限は一月後の出航まで。それまでに、船に残るか、降りるかを決めて下さい。また、何か問題や相談がありましたら、私かプロスペクター、もしくはゴートに申し付けて下さい。…では船長?」

「は〜〜い!これでお話は終わりで〜すっ♪…って訳で、解散です!!」

ユリカの言葉に三々五々、集まって今後の相談をするクルー達。そんな中に、二人の少女が居た。

「アリス。あなたは、どうしますか?」

ルリとアリスである。

「既に命令は出てるよ。ボクはトライデントと主任と一緒に原隊復帰。つまり、ボクはナデシコを降りる事になる。」

アリスの言葉に、ほんの僅かに動揺が顔に出たルリが口を開いた。

「…そうですか、お別れですか。…寂しくなりますね。」

ルリは精一杯の悲しさと思いを口にしたのだが、聞こえてくる口調と声色は何時も通りだった。

しかし、アリスには何かが届いたのだろうか。顔に笑みを浮かべてこう言った。

「大丈夫。ボクとルリが戦場に居る限り、かならず、また合えるよ。お互い目立つしね♪」

二人は抱き合って、いつの日か再会する事を誓い合う。

…しかし、その再会が実現するのは意外と直ぐだった。

 

 

機動戦艦 ナデシコ OUT・SIDE

機械仕掛けの妖精

第九話 兵器に「休息は無い」

 

 

 ナデシコが地球に帰還して一週間後。

ドイツ地区、ベルリン市近郊。地球連合軍・教導隊・北欧分遣隊駐屯地。

その正門。

腰まである長い髪と膝下まで伸びた裾をなびかせて駆け抜ける、一人の少女の姿があった。

アリスである。

ドイツの4月は日本より寒い。故に彼女は、白いリボンの付いた黒色のワンピースの上にフライト・ジャケットを羽織っていた。

正門で歩哨をしている兵士と元気良く挨拶を交わし、少女は街へと駆け出した。

黒いエナメルの靴が可愛い音を響かせ、肩から下げている小さなポシェットがパタパタと揺れる。可愛く纏められた服と靴やポシェットはナデシコ女性クルー、一同のプレゼント。

折角のコーディネイトがライトグリーンのフライトジャケットによって崩されているが、これはこれで「お父さんのジャケットを持ち出したやんちゃな女の子」と言った風情である。ダボダボ感が微笑ましい。

アリスは何故、一人で街に繰り出しているのか?

実は、アリスの原隊である603実験小隊は今、アリスの乗機であるトライデントの三機の整備訓練中なのだ。

所謂、機種転換訓練である。機体が変われば、パイロットだけではなく整備に携わる整備兵達も訓練しなくてはならない。

それが、カスタムメイドの特注品だとすれば、なおさらにしっかりとした訓練が必要となる。

現代に「この世に一機の専用機」と言うものが存在しない原因とは、他の機体との連携の困難さ、整備の困難さ、補修部品の備蓄の困難さ、などが上げられる。たった一機の為に整備兵に更なる訓練を施し、補修部品を用意するのは無駄が多いのだ。

それくらいなら多少、戦力が落ちても統一された機体の方がいい。生産、整備、運用…総ての面から結論付けられるのは、ありきたりで物足りない答えだ。

…なのだが、トライデントはその困難と無駄にあえて挑戦している。原因はただ一つ、アリスというこの世にただ一人の特殊なパイロットの能力を生かすには現行機ではあまりにも釣り合わないのだ。

せめてもの辻褄あわせとして、トライデントに使われている部品は出来うる限り一般的な物を使用してあった。

元々この実験部隊は数多の試作機を試験してきた実績がある。多少の無茶には慣れていた。ついでにトライデントの改善点の洗い出しと改造も行なってる辺りに彼らのたくましさを感じさせる。

又、アリスの上官、テオドール・グルーバー大尉(ナデシコでの功績が大きかったという軍の判断で昇進)は新設部隊の指揮官としての膨大な書類仕事に追われている。

ちなみに、この新設部隊「第101機動兵器中隊」はトライデント一機と改造エステバリス12機で構成された実験性の高い実戦部隊である。整備担当は603実験小隊と601、602実験小隊がそのまま配属される。

601と602は共同で改造エステバリスの運用実験を繰り返している。つまり、整備兵にとっては慣れた機体を扱い続ける事になる。

パイロットが13人でなにが中隊か?と言われそうだが、軍隊とは自給自足を基本としている。ゆえに、後方支援に奔走する者達も中隊に編成されて然るべきなのだ。ちなみに、101中隊司令部の参謀達と通信兵などを含めて総勢80名である。

 

 と、まぁこんな訳で、ただ一人暇を持て余しているアリスは街に繰り出す事にしたのだ。

他のパイロット達は、まだ、この基地に到着していない。一人でシミュレーターで遊んでいても飽きてしまうのは無理も無いだろう。

さて、軽快に駆けるアリスは街の繁華街に通りかかった。

地獄の最前線と呼ばれ、現在展開中の戦場において最も多くの死傷者を出している欧州戦線だが、銃後…すなわち、戦線後方は平和な光景が広がっていた。

前線は東経10°線周辺。実際には複雑に入り乱れてはっきりとした形はだせないが、大体ドイツの半分が木星蜥蜴の勢力下にあるといっていい。同時にロシアのクルスク工業地帯に降下した特大チューリップ…と噂される物体の影響で東側からも木星蜥蜴の圧力を受けている。

いつ、幾度と軍靴に踏み荒らされてきた都市ベルリンが三回目の廃墟と化すのか解らない。

だがその地に住む者の大半は何時も通りの生活を続けていた。

辛うじて補給線が確保出来ていた事が大きいのかもしれない。下手に逃げた先で木星蜥蜴に蹂躙されるより、軍の威信をかけて守っているこの石造りの都市で、奇跡を待つほうが安全だと考えているのかもしれない。

今も、繁華街はその物資の許す限界ギリギリで賑わっていた。


歩調を緩めてテクテク歩くアリス。

大きな通りの左手は車道。運送トラックや乗用車、そして、軍用トラックに兵員輸送車がチラホラと混じっている。余暇を楽しむべく小型の軍用車で繁華街に乗り出している兵士も見受けられる。

右手は店の列。大きなショーウインドーに様々な洋服、アクセサリー、宝石、装飾品が並んでいる。その合間にカフェやケーキ屋などの店が並び、女性客を賑わせている。一応、男性向け服飾店などもあるが、この通りのメインは女性客だった。

また、道沿いには小さな売店がチラホラとあり、クレープなどの甘い香りが漂っている。タイヤキ屋も店を開いていた。意外に聞こえるかも知れないが、ドイツでは日本文化が根強い人気を誇っている。所謂オタク文化もしっかりと輸入済みだ。2006年頃にはもうコミケの類も開かれていたらしい。

金髪碧眼のドイツ人女性がタイヤキを美味しそうに頬張っていた。戸惑う様子が見られない辺り本当に根付いているようだ。

そのタイヤキを見て、食指を動かされたアリス。

直ちに目標を捕捉。タイヤキ屋へ向けて突進するのであった。

数分後、タイヤキの大群を収めた紙袋を胸に抱え、タイヤキにパクつきながら通りを歩くアリスの姿が見受けられた。

花より団子。

アリスにとっては、煌びやかな服よりも食べ物の方が遙かに素敵なようだ。実際、ショーウインドーへあまり視線を走らせていない。

表通りの景色に飽きたアリスは手ごろな路地を曲がり、裏通りを探索し始める。

そこは実に雑多な世界だった。定食屋、古着屋、本屋、雑貨屋…。ありとあらゆる店が軒を連ねてアリスを圧倒した。

もっとも、裏通りとはいえココは首都ベルリンの繁華街。

店は清潔でピカピカに整えられ、通りにはゴミ一つ無い。通りには様々な人間が歩いていた。

「ふ〜ん。こっちの方が好みかも。」

いつの間にか、最後の一つとなったタイヤキをお腹に収めながら、アリスが感想を述べる。

用済みの紙袋を道端のゴミ箱に投げ入れ、意気揚々と歩くアリス。

ふと、目を向けた先には一軒の銃砲店。ナイフなども取り揃えてあるようだ。

興味が湧いたアリスが店内に入る。

店内は人気が少なく、様々な武器が陳列されていた。

物は小型拳銃から大型狩猟用ライフルまで。刃物はポケットナイフから刀まであった。軍放出品として迷彩服やヘルメットなどの型遅れ装備品が一角を占めていた。レーション、つまり軍用携帯食料まで陳列されている。「災害時のお供に」という売り文句が備えられていた。

ゆっくりと陳列棚を移動するアリス。気に入ったナイフが見つかったので、店員に話しかけるが、年齢制限に引っかかり購入は出来なかった。

流石に、刃渡り30cmクラスの大型ナイフを12歳らしき少女に売るような店員は居ないだろう。勿論、銃は許可制で所有免許が要る。

丁寧に断られ、気落ちしながら店を後にするアリス。唯一買えた物、軍用レーションをポシェットに収める。

「はぁ〜。…カッコイイ、ナイフだったなぁ。そういや、骨董品のS&W・M500が飾ってあったっけ…あれもよかったなぁ…。」

トボトボ、愚痴を零しながら歩く。

ちなみに、S&W・M500とは、アメリカ製50口径リボルバーの名前である。2005年、世界最強のリボルバーとして売り出されたこの代物はハンド・キャノンと呼ぶに相応しい特大の図体をしている。50口径とは、0.50インチ、12.7ミリである。

装薬の量も半端ではない。筋肉ムキムキの大男でも連射は困難。一発撃つ毎に銃口が天を向くほど激しい反動を受ける。そんな実用には困難が付きまとう趣味の銃である。ちなみにグリップは意外と小さい。ゴム製で日本人でも易々と握り込めるサイズだ。

と、不意に自分に向けられる視線に気付き、側にあるショーウインドーのガラスに映る背後の光景に目をやる。

ガラスに映った景色には、物陰からこちらを睨んでいる少女の姿があった。

「?」

はて、見覚えの無い顔だけど。あんなに自分を睨んでるなんて、何処かで何か怨みでも作ってたっけ?

アリスが首を傾げながら歩き出した。時々ショーウインドーや展示されている鏡を使って背後を確認する。

やはり、先の少女がアリスを睨みつけ尾行している。

格好は、春用のコートにおとなしめのブラウスとスカート。髪を帽子の中にたくし込んでいるらしく、髪型は確認できない。

そして、尾行技術はお粗末なものだった。

どうやら自分を追い回しているのは確実らしい。さらにもう一人、尾行者が居るようだ。

ならば…

唐突に駆け出したアリスが、狭い路地に入り込んだ。

慌てる尾行者。彼女も路地に駆け込む。その後を追って、もう一人の尾行者、コートに無地のシャツ、ズボンで大きな荷物を肩に下げている格好の少年が路地に飛び込んだ。

その路地はしばらく先で袋小路になっていた。

行く手を阻む壁の前で仁王立ちするアリスが、尾行者に声をかけた。

「やぁ。ボクになんの用かな?」

不利な状況に自分から飛び込んでしまったのに、アリスの声からは焦りの感情は窺えない。微笑んでさえいる。

尾行者である少女と少年が距離を開けて立ち止まる。

二人の年齢は15歳ぐらい。アリスが小学生なら彼らは中学生だ。そして、二人の瞳の色は少女が金色で、少年が銀色だった。

と、少女が口を開いた。

「…アナタをコロス。」

発言と同時に少女は、懐から拳銃を取り出して発砲する。

サプレッサー。日本語で減音機と訳される円筒形の物体を銃口に付けた銃は、空気を切り裂く音だけを発して弾を送り出した。

当然のように弾を避けるアリス。ワザとギリギリのタイミングを見計らっている辺りが憎い演出だ。

弾を避けたアリスはそのまましゃがんで一気に飛び上がった。

ビルの僅かな凹凸につま先を引っ掛け、更に上に飛び上がる。三角飛びを繰り返して、あっと言う間に屋上にたどり着く。

「ふふん、当たらないよ。…さあ、ボクを殺したければ、この鬼ごっこに勝つ事だね♪」

路地に向かって挑発するアリス。返答は無音の弾丸だった。

正確に狙われた弾丸だが、目標を捕らえる事無くコンクリートを穿つ。

その時にはアリスはもう屋上から屋上へ、屋根から屋根へ飛びまわっていたのだ。

「…ワタシはアイツの後を追う。ハ…」

「俺は先回りして、目標を狙撃する準備を整える。って感じだね。」

少女の言葉を途中で遮って、少年は答える。

少年の言葉に頷く少女。即座に壁を垂直に駆け上り、屋上へ飛び出した。同時に少年も大体の目算でアリスの進路先に移動を開始したのであった。

 

 アリス達が命懸けの鬼ごっこを始めた頃、地球の反対側、日本の佐世保の一角…

海を見渡す展望台で一人の青年が憂鬱に、ため息を漏らしていた。

「…ふぅ…。軍人か…。かといって、いまさらナデシコを降りるわけにも…。」

アキトである。

アリスというアキトにとって庇護すべき存在が居たが故に、アキトは今までの拘り…軍への反感や暴力への忌避…を捨て戦場に身を投じた。

しかし、今やアリスはヨーロッパ。これからも相変わらず戦い続けるのだろうが、身の回りに居ないとアキトのモチベーションが上がらない。ナデシコにはもう一人守るべき少女、ルリが居るが、彼女はブリッジ要員。アキトやアリスよりもある意味で安全な場所に居る。

現金だが、「アリスは今も戦っている」という想像だけで、納得出来ていない事を続ける事は難しいのが現実だった。

理性は戦い続けるべきだと言い、感情は仮の立場とはいえ軍人になるのは許せないと吼える。

今まで目をそらしてきた事、すなわち、自分の有り様を問われる時が来たのだ。

「…ふぅ…。」

と、黄昏るアキトに、無闇に明るい声が届いた。

「アキト〜!こんな所で合うなんて奇遇だね〜!やっぱり、アキトとユリカは運命の赤い糸で結ばれてるんだ〜!!」

声を張り上げつつ、アキトの左腕に抱きつくユリカ。

赤い糸っていうより、船の錨に使われるデッカイ鎖じゃないかな〜と内心で思うアキト。当然、錨の巻き上げ装置はユリカに付いていて、アキトに打ち込まれた錨をギャリン、ギャリン、と凄い力で引き寄せるのだ。

「…どうしたの、アキト?なにか浮かない顔をしてるけど。」

珍しくアキトの様子を窺うユリカ。逆説的に言えば、ユリカに心配させるほど今のアキトは悩みに悩んでいた。

「いや…。これからの事を考えてるんだけど、どうしたらいいのか定まらなくて…ね。」

「決まってるよぉ〜!アキトはユリカのお婿さん!!当然、家は庭付きの一戸建て。子供は男の子と女の子の二人がいいなぁ。…あ、アキトがもっと子供が欲しいのなら、ユリカ、頑張るね♪」

アキトの答えに暴走するユリカ。子供について話が及んだ時には顔を赤くして、妄想を逞しくしていた。

「こっ子供〜!?…ってオイ、誰が何時、そんな話をしたんだよ?」

子作り発言に顔を赤くしたアキトが、何とか突っ込みを入れる。

「あはは〜。冗談だよ♪アキト暗いから、元気出して欲しくてね♪…でも、アキトの子供ならユリカ、何人だって産むよ?」

ユリカの言葉に真っ赤になるアキト。

「あ…ありがと…。でも、子供を作る前に色々と大事なモンが抜けてんじゃね〜のか?」

どれだけ赤面しても突っ込みは忘れないアキト。しかし、それは墓穴だった。

「いやーん!アキトのエッチィ〜!!…そりゃぁ、子作りの手段は楽しみたいけれど、露骨に言わなくてもいいじゃない。」

ユリカが抱きしめたアキトの左腕をさらに胸に押し付けながら答える。

「…どこが露骨なんだよ。…そもそも、お前、俺の何処がいいんだ?自分で言うのもなんだけど、俺って冴えない調理補助に過ぎないんだぜ。」

アキトがナデシコに乗って以来の疑問を口にする。

「アキトはユリカの王子様だもの♪当然だよ。…本当はね、アキトって暴力は嫌いなのに、やらなきゃいけない時は自分を省みずに全力で戦ってくれるから…だよ。だから、アキトは王子様!!…職業なんて、関係ないよ。」

最初は何時も通りの少女趣味なごり押し発言で終わらせるのかと思ったが、思わぬ本音が飛び出た事にびっくりするアキト。

「…お前、そんな風に思ってたのか…。」

いつも無理矢理、自分を引きずり回すユリカに辟易していたアキトだが、意外と自分の事を見てくれていた事に感動する。

実際、アキトほど、無茶をする人間も珍しい。大抵の者は実行時のリスクを即座に思い浮かべて、見て見ぬ振りをするのが関の山。手を貸してくれてもアキトほどに頑張るのは滅多に居ない。

無謀というか、なんというか、良くも悪くも常に全力疾走である。

天才にカテゴライズされるユリカにとって、それがどんなに分の悪い事でも総てを賭けて抗う事が出来るアキトは、とても美しく見えるのだった。言い換えれば、愚鈍だという事なのだが。

まぁ、天才ではあっても単純な思考回路を持つユリカ。極論してしまえば、単純な人間がお好き。と言うところか。残念ながら、アキトほどに物事に打ち込めないジュンの出る幕は無いのであった。

「有難う、ユリカ。…そんな風に思ってくれて。…はぁ、やっぱりコイツを見捨ててナデシコを降りるなんて、出来ないか。ほっとけないし。」

アキトのぼやきを聞いて、ユリカが「フィッシュ!」と影で、ほくそ笑んだか如何かは秘密である。

 

 場面は戻って、ベルリンの街中から郊外にかけての建物の上。

一人の少女が、屋根から屋根へ、屋上から屋上へ、羽が生えているように飛び回る。

彼女の顔には笑みが浮かんでいたが、その顔色は青ざめていた。

「…まさか、いきなり発砲なんてね。流石のボクもびっくりだよ。…本気で殺しに掛かるなんて。…ふふふっ、今頃になって手が震えてる。ああ…恐い。恐いのにどこか心地良いのは、ボクが壊れてるからかな…。」

震える手を、右肩から下げているポシェットの中に突っ込む。

そのまま握るのは小型携帯端末。IFS対応のソレを起動して、現在位置と周辺の地図を直接、脳内に読み込む。ついでに上空に偵察衛星の類があれば活用しようと軍の情報網にアクセスする。

ちなみにアリスが恐怖に怯えながらも、恐怖に爽快感を覚えているのは壊れたからではない。人間として正しい反応だ。人は慣れる事で耐えられない状況に耐え、無意識に感覚を切り替える事で抗い続ける生き物なのだ。

ハッキングによってベルリン上空、衛星軌道からのリアルタイム映像を入手したアリス。

脳内のソフトウェア処理で映像を拡大して、自分の周囲の状況確認に役立てる。

と、アリスの背後から、猛烈な追い上げをかける小柄な影が衛星の映像に現れた。上空からの為、少し確認しづらいが、どうやら「いきなり発砲」の少女に間違いないようだ。

アリスと同じ様に、建物の屋根や屋上を飛びまわっている。

少女の右腕が伸びる。右手には先ほどの銃が握られている。

発砲!

同時にアリスは姿勢を低くし、右に直角で曲がる。

直ぐ背後で物が壊れる音。辛うじて、避けることが出来たようだ。

続いて発砲!さらに発砲!

二発とも、ギリギリで避けたが、狙いが少しづつタイトになっていく。次は危険だ。

「くっ、良い腕だね。遮蔽物が無いココは危険。…ならっ!」

アリスの動きを予測して発砲された銃弾が、少女とアリスの距離を詰める。今度こそ、確実。

だが、命中するはずの弾は再び避けられた。

アリスは水平に避けるのではなく、垂直に避けた。つまり、真下に飛び降りたのだ。

素足はおろか腹まで晒して、降下するアリス。ワンピースは失敗だったかな、と思いながら壁面を蹴って水平移動に移る。

アリスの降下地点に到達し、下を見下ろした少女が目にしたのは、ビルとビルの中腹を蹴り飛びながら移動する、スパイダーマンも真っ青な曲芸飛行だった。

直ぐに物陰に隠れてしまい、射撃出来なくなってしまった。

「…チッ。アイツの背中には目が付いてるノ?…目標はビルの中腹を蹴って移動中。ワタシは上から追跡スル。」

即座にアリスの後を上から追うが、高速移動しながら下を狙うのは至難の業だ。少女は相棒の少年に無線連絡をいれ、銃を仕舞って、足に力を込める。

 

 少女の無線連絡と記憶している地図を併用して、絶好の狙撃地点に着いた少年。

彼の抱えていた荷物のロックを解除し、中の物を取り出した。

素早く、しかし、丁寧にくみ上げるとそこには芸術的な工業品。繊細だが凶悪な威力を誇る銃器、狙撃ライフルが姿を現した。

二脚を立て、手ごろな土台の上にライフルを乗せる。

体勢は膝射。右膝を地面に突き、左膝を立てる。左手でライフルを保持し、右手はグリップに軽く添える。

バット・プレート(ライフルの最後尾、ストックの先端。大抵ゴム製)を右の肩関節、胴体寄りのくぼみに押し当て、ライフルを体に固定する。

軽く腰から下を左右に動かす。上半身は完全に固定され、ライフルの先端が左右に揺れる。

勘違いされやすいが、銃と言う物は総て、筋肉でなく骨で保持する。確かに反動を制御するには筋力が必要だが、正しく銃を構えれば、どんなに非力でも銃は撃てるのだ。

正しく銃を構えた時、上半身は固定され、銃と体は一体化する。銃の向きを変える時は腰を捻るか、足を動かすか。見栄えは悪いが、目標に弾を届ける為なら文句は言えない。良く訓練された特殊部隊員は、銃を構えたまま走る時すら上半身は微動だにしない。それをキモイと感じるかカッコイイと感じるかは人それぞれである。

少年は、射撃体勢に満足して、右手でボルトを引く。

ガキッ、ジャキン!

ライフルに初弾が装填され、いつでも弾が撃てる状態になった。

ストックに頬を寄せ、ライフルの望遠スコープを覗く。倍率は最低レベルに抑えてある。至近距離でのスナイプを行なうのだ。

少年は呼吸を整える。

深く、静かに深呼吸。息を吸うたび、吐くたびにスコープに映し出される光景が上下に揺れるが仕方ない。狙撃とは自分の微細な動きを何処まで抑制できるか、そして、どうしてもブレる銃の動きと目標の動きを予測し、然るべき場所に弾を送り込む事が総てなのだ。

少しづつ意識がスコープの中に浸透してゆく。世界が小さなレンズを通した、限られた空間に閉じ込められる。

「…目標、一分後に狙撃地点を通過。速度、依然変わラズ。…」

相棒の少女から、無線通信が入る。愛想の欠片も無い声だ。女の子なんだからもう少し愛嬌があっても良いのにな。と少年は一人ごちながら了解の言葉を伝える。

身につけたIFS対応情報端末に右手を乗せ、付近の気象データをダウンロード。脳に増設されたナノマシン脳を活用し、射撃諸元値を訂正する。この距離なら、風の影響は最小限で済むだろうが、保険はかけるべきだ。

心持ち、上に銃口をずらし、目標が狙撃地点に侵入するのを待つ。

と、スコープにワンピースと長い髪をはためかせて、ビルの壁を蹴り、飛び続ける少女の姿が現れた。

少年は素早く、深呼吸。息を吸い込んで、半分吐き出す。そして、その状態で自然に息を止める。

今まで呼吸する毎に上下に動いていたスコープがピタリと静止する。

少年は熟練の腕前で銃を旋回させ、目標…つまり、アリスにスコープの十字線を合わせる。心の中で彼女の冥福を祈る。

そして、通称、フェーザー・タッチと呼ばれる恐ろしく軽いトリガーをそっと引き絞った。

ボッ!!

サプレッサーの力で高音域がカットされた重い発射音が僅かに響く。

音速の3倍を超える弾丸が今、その使命を果たそうと飛び立ったのだった。

 

 ビルやアパートの合間を蹴り飛んで、移動を続けるアリス。襲撃者達を待ち受けるべき場所を見つけ、そこに移動を開始してしばらく後。

唐突に噴いたビル風にあおられ、偶然、姿勢を崩したその時。

高速で移動する物体が、首筋を通り過ぎて側のビル壁に弾痕を穿った。

今、姿勢を崩さなければ…

起こりえたかもしれない想像にゾッとしながら、迂闊に移動し続けていた自分に悪態をつく。

「狙撃!?…ちっ、片割れが明らかに怪しい荷物を抱えていたのを忘れてたっ!…って、呑気に飛びまわってる場合じゃないっ!」

初弾を外した事を確認した狙撃手が、セミ・オートに許される最大の速度で連射を開始したのだ。

アリスの周囲に次々と刻まれる弾痕。

意表を突く移動で辛うじて避けているが、狙撃手の射界は意外と広いらしい。なかなか振り切れなかった。

「ってぁあっ!!」

業を煮やしたアリスが、すぐ側のビルの強化ガラスを叩き割り、ビルの中に逃げ込む。

動きを止めたアリスに銃弾が集中するが、転がり込む様にアリスは物陰に隠れる事に成功した。

「痛たたっ。ぐぅ…一発喰らっちゃった…。…ふう、しょうがない。切り札の準備をしておくか…『アセンブラー』READY…。」

右腕に一発喰らっただけで済んだのは幸運だったかもしれない。そう思う事にしたアリスの言葉と共に、一瞬アリスの体中にナノマシン発光現象が浮かび上がる。

しばらくすると、右腕の銃創からの出血が止まった。

「さて、目標地点まであと少し。…今度はボクの反撃だよ。」

ビルの反対側から飛び出したアリスは微笑を浮かべつつ呟いた。

 

 アリスがガラスを割って逃げ込んだビルの一室。そこに、先ほどアリスへ執拗な銃撃を加えた少年が姿を現した。

「…ふぅ、とんでもない奴だね。あの娘は…俺の狙撃から生き延びるなんて…。」

「…アナタが下手なダケ。そんな所でのんびりしてナイで、早く合流シテ。」

少年の呟きを一刀両断する少女。少女の無線からは風を切る音が聞こえる。

「でも、手傷を負わせた事は評価してほしいな。」

少年は、アリスが零した血痕を採取し、採取した血痕を小さな容器に仕舞う。

「目標の速度は依然変わラズ。…掠り傷で得意にならない方がイイ。」

採取器具とアリスの血を収めた容器を懐にしまった少年に投げかけられた言葉は辛らつだった。

実際には少女がこき下ろすほど、彼の腕前は悪くない。移動目標の狙撃とは想像以上に難しいものだ。命中弾が出ただけでも素晴らしい腕前である。

つれない相棒の言葉に、ため息をつきながら移動を開始する少年なのであった。

 

 アリスが想定した迎撃地点。寂れた廃工場にアリスがたどり着いた時、襲撃者達との距離はかなり離れていた。

一応、露骨に高く飛び上がったし、これ見よがしに正面の扉を開放しているから、彼女らはかならずココにたどり着くだろう。

「さて、今の内に切り札を用意しておこうかな…。」

アリスが周囲を見渡すと、丁度良い具合の鉄筋棒が見つかった。折れ曲がった鉄筋棒を右手に持つ。

「…『アセンブラー』起動。イメージ伝達、分子変換…開始。」

アリスが声を発すると同時に、右手を中心にナノマシン発光現象が浮かび上がる。煌きは強さを増し、右肩から右胸、右頬に侵食してゆく。

すると、発光現象が、右手に持った鉄筋棒にも現れた。

基盤の配線のような発光現象が鉄筋棒を浸食する。逆に右胸まで届いていたアリスの体の発光現象は段々と縮小してゆく。まるで、鉄筋棒に乗り移っているようだ。

ある意味でそれは正しい。実際に鉄筋棒をアリスのナノマシンが侵食しているのだ。

鉄筋棒にナノマシンが行き渡ると、鉄筋棒自体が輝きだした。と、見る見るサイズと形が変わってゆく。

最終的に、鉄筋棒は刃渡り30cmほどの洋風ナイフとなって姿を現した。軟鉄製の錆びた鉄筋棒とは材質も違うようだ。

ここで「アセンブラー」について説明しておこう。

アセンブラーとは組み立て工という意味を持つナノマシンの一種である。

機能は、分子結合に干渉して、意のままに分子を組み替える事。つまり、アセンブラーを制御する事が出来れば、現代の錬金術師となれるのだ。

その潜在能力は無限大。理論上、ありとあらゆる物からありとあらゆる物を生み出すことが出来る。

では、なぜ現在においてアセンブラーが活用されていないのか?

原因はアセンブラーの制御の難しさと、運用に必要とされるエネルギーが膨大となるからだ。制御に失敗すれば、とんでもない物を生み出してしまうかもしれない。それくらいなら、普通に物を作った方が早い。

それになにより、地球においてナノマシンは一般的ではなかったのだった。

アリスは持ち前の超電算能力でアセンブラーを完全に統括し、必要エネルギーを最小限に抑える為、作りたい物となるべく同じ比重の物体を用意したのだった。

ちなみに、アリスの右腕の傷を治したのは、アセンブラーの一種「リストーラー」。能力は超高性能・血小板。投与された対象の破損を分子レベルから修復する。

くきゅるるる〜

いかに消費エネルギーを少なく抑えたとはいえ、アセンブラーはアリスから容赦無くエネルギーを取り立てた。アリスが、アセンブラーを使いたくなかった理由である。

「…買っといてよかった。」

ポシェットから軍用レーションを取り出し、頬張る。

水が欲しいところだが、流石のアリスも廃工場の水を飲みたいとは思わない。ここは我慢する事にした。

作り出したナイフを懐に隠し、ポシェットから軍用小型拳銃を取り出したところで襲撃者の片割れの少女が姿を現した。


正面の門から堂々と歩いてくる少女。

アリスは廃工場の中心で待つ。

「…鬼ごっこはもう終わりナノ?」

少女が足を止めて、口を開いた。

「そっ、ここが終着駅。君達のね。」

アリスの自信たっぷりな言葉に銃弾で答える少女。

姿勢を低くし、弾を避け、自分も発砲しながら接近するアリス。

少女もまた、アリスの弾を避けてアリス目掛けて突進した。

距離が詰まる両者。

初手は少女の回し蹴りだった。

右斜め上から左斜め下へ切り下げる強烈な一撃。

バックステップでかわし、がら空きの右脇にコンパクトだが重い左フックをお見舞いするアリス。

しかし少女は、右ひじを突き出して、左フックをカットする。

そのまま、左正拳突きを繰り出す少女。

アリスは右手の拳銃のグリップの底部で正拳突きを打ち落とす。

銃口を少女の首元に押し当て、トリガーを引こうとするが、少女は低くしゃがむ事でアリスの攻撃を避けた。

その時、アリスの銃が少女の帽子に引っかかり、少女の頭から帽子が吹き飛んだ。

ハラリ

少女の膝ほどまで届くだろうその髪は金属光沢のピンク色に輝いていた。

ピンク色の髪を振り回しながら、低姿勢のまま、足を払おうとする少女。

アリスは大きくバックステップし、足払いを避ける。

再び、距離を挟む両者。

「…やっぱりね。その金色の瞳を見たときから怪しいと思っていたんだ。君は何処の出身だい?」

少女の特徴的な髪色を見て、自分の確信を深めるアリス。

「…シラナイ。ワタシが知ってるノハ、アナタの所為で、ワタシタチは苦しい思いをする羽目になったと言う事ダケ。アナタが居なければ、ワタシタチはただのモルモットで居ていらレタ。だから、許さナイ。ワタシはただ、静かな毎日が欲しいだけなノニ。だから、コロス。」

アリスの問い掛けの答えは、静かだが強烈な憎悪だった。

「ボクも羊水シリンダーから出られなかった口だけど、静かな毎日よりも、命懸けでも騒がしい一日が欲しいね。」

憎悪に皮肉で答えるアリス。

「…アナタはアナタ。ワタシはワタシ。アナタの好みは関係ナイ。ワタシは静かな方がスキ。」

眉を吊り上げ、アリスに答える少女。

「…そりゃそうだね。もっとも、君の好みもボクには関係ないんだけど。…さて、最後に名前を聞いておくよ、きょうだい?…ボクの名はアリス。君の名は?」

「…名前なんて関係ナイ。ALS−027、アナタを殺せバ、総て丸くおさマル。」

「ハハッ!ボクの計画ナンバーを知ってるの?…君の主は連合軍と深い係わりがあるんだね。アレは一応、軍事機密なんだよ?」

アリスの発言に、自分が喋りすぎた事を悟る少女。

「…コロス…。」

少女は無表情になり銃を乱射した。直ちに弾切れになるが、即座に懐から換えのマガジンを取り出し装填する。

再連射。

アリスは遮蔽物に身を隠したり、意表を突いた動きで少女の弾幕を避けてゆく。同時にこちらからも発砲するが、総て避けられる。

少女二人が廃工場を縦横無尽に飛び回り、銃撃戦を行なう。しかし、お互いの動きは見えており、射線から自分の体を外すのは簡単だった。

やはり、接近戦しかない。

二人の思考は奇しくも同一の答えに至り、二人同時に接近する。

銃のグリップの底部と底部が火花を散らせて、ぶつかりあう。スライドとスライドで凌ぎを削る。

ギリギリギリ

空いた左手でお互いの体を殴りあう二人。

リーチの長さから、手数は少女の方が多いが、一発のダメージはアリスの方が大きい。

どうやら、少女の改造はアリスとコンセプトが違うようだ。

リーチを生かし、鍔迫り合う銃をそのままに、膝蹴りを敢行する少女。

アリスは力ずくで鍔迫り合いを制し、少女の膝蹴りを踏み台にして、ムーン・サルト・キックを放つ。

即座に顎を引く少女。

アリスのつま先が刈り取ったのは少女の前髪を数本だけだった。

空中で身動きの取れないアリスに銃弾を浴びせようと少女が発砲するが、アリスの驚異的身のこなしで銃弾は、わき腹を掠って飛んでいった。

着地して一瞬動きの止まったアリスに上段蹴りを放つ少女。その蹴りの高さは易々とアリスの頭部に届く。

上段蹴りを僅かに体を沈める事で避け、生まれる隙を待ち構えるアリス。

しかし、その蹴りの標的はアリスの頭ではなく、右手の拳銃だった。

ゴッ!

振り下ろされた蹴りがアリスの銃を吹き飛ばす。

重い蹴りによろめいたアリスに、そのまま止めの後ろ回し蹴りを放とうとする少女。

少女がクルリと回転した瞬間、アリスの左手が閃いた。

一瞬で懐から先ほど作り出したナイフを抜いて、少女に突き立てる!

わき腹から生まれた激痛に顔を顰めながらも、少女は後ろ回し蹴りを放った。

ナイフを引き抜き、両腕で防御体勢をとったアリスだが、少女の重い蹴りは軽いアリスを吹き飛ばす。

壁に叩きつけられるアリス。不運にも、梁に頭をぶつけてしまった。そして、床に叩きつけられる。

しかし、アリスはふら付きながらも立ち上がり、少女はわき腹からの出血に苦しみ膝を突いた。

「ふふん、形勢逆転だね。悪いけど、死んでもらうよ?名も知らぬ姉妹。」

アリスは一歩一歩、ゆっくりと近づいてゆく。アリスもまた、ノーダメージとはいかなかったのだ。

と、そこに出遅れた少女の相棒が、ようやく登場したのだった。

「なっ!?ラピス!!…貴様ぁ〜っ!ラピスをよくもっ!!」

相棒の少女、ラピス・ラズリの惨状に激怒する少年。

しかし、近接戦闘で一度も勝てなかったラピスを傷つけたアリスに正面からぶつかっても勝ち目は無いと、彼の冷静な部分が警告する。

肩から提げていたライフルケースを投げ捨て、ラピスに駆け寄りつつ、懐から取り出した缶ジュース大の物体をアリス目掛けて投げつける。

投げた物体からセーフティ・ハンドルが外れ、ヒューズの燃える音がかすかに聞こえた。

ハンド・グレネード。手榴弾である。手榴弾にしては変な付属物が巻きつけられているようだが、脅威には変わりない。

即座に遮蔽物に隠れ、耳を塞ぎ、目を閉じ、口を半開きにする。これで、視界と聴覚のダメージを最小限に抑えられるのだ。

迅速で最高の対応だったが、この特製手榴弾の攻撃能力は特殊だった。

少年が自分の着ていたコートでラピスを蔽った時、手榴弾が爆発した。

「ぎぁぁあああっ!!」

手榴弾の攻撃から完全に身を隠したはずのアリスが、初めて、大きな悲鳴を上げた。

物陰から転がり出るアリス。

仰向けになった彼女は、右目が白目を向き、全身の自由を奪われているらしく、体を痙攣させていた。

辛うじて動く、首と左目で少年を睨みつけるアリス。

少年は得意になって口を開いた。

「どうだい。俺の考えたE.M.P.グレネードの威力は?生身の人間には殆んど意味が無いが、ナノマシンの塊のアンタには良く効くだろう?」

少年の作ったこの特殊手榴弾・E.M.P.グレネードとは、手榴弾に電力をたっぷりと食わせた小型の超伝導コンデンサーと超伝導コイルを繋げた物を巻き付けただけの物である。

大量の電力を蓄えたコイルを爆発させると、強電磁界が一瞬発生する。つまり、E.M.P.…電磁パルスの事である。

電磁パルスは電子機器に重大な損傷を与える性質が有る。超伝導コイルは一瞬だが半径1m圏内に数千電磁ボルトの電磁パルスを発生させた。

思いつきで作った間に合わせの物だったが、少なくとも、アリスの行動の自由を奪うほどには威力を発揮したようだった。

好機到来と少年は懐から銃を取り出し、ゆっくりとアリスに照準を付ける。

アリスはホンの少し動いた左腕で、物陰に隠れようとするが腕に力が入らない。

「では、サヨナラだ。…キョウダイ。」

勝ち誇る少年が引き金を引こうとした時、彼の背後で物音がした。

ドサッ

青ざめつつ振り返った彼の前には、わき腹から大量の血を噴き出すラピスの姿があった。

直ちに懐の医療パックを取り出して、応急処置に取り掛かる。

ブラウスを剥ぎ、ラピスの腹をさらけ出して止血材と消毒剤を振り掛け、傷口を5針縫い、ガーゼを押し当て、包帯をキツク縛る。

総ての処置を終えても相変わらず青ざめた表情だが、少しだけ容態は安定したようだ。

ホッと一息ついた少年が嫌な予感に振り向いた時、アリスは這いずって、ラピスに蹴り飛ばされた拳銃を左手に握っていた。

即座に銃を構える少年。

ギリギリの筋力で保持しているのか、アリスの手はプルプル震えている。

少年もいつ、ラピスの容態が悪化するのか気になって仕方がない。

即座に決着をつけよう。少年が覚悟を決めた時、アリスの右手が閃いた。

ゴリッ

唐突に重くなった自分の銃に目をやると、銃身の半分までアリスのナイフがめり込んでいた。

コイツ、いったいどこまで化け物なんだ!?

徹底抗戦するしかないと少年が考えた時、弱弱しく裾を引く手があった。

「ラピス!?…大丈夫か?」

視線をアリスに向けたまま、ラピスに答える少年。

「なんトカ…それヨリ…撤退…しなイト…このままダト…全滅する…ハリ。」

ラピスは途切れ途切れに自分の直感を語る。

少年、マキビ・ハリはその意見に激しく抵抗を覚えたが、残された自分の武器はスローイング・ナイフが二本と投げ捨てた狙撃ライフルのみ。

どう考えても、アリスの銃弾の方が早い。

口惜しさに歯切りしたハリだが、結局、ラピスの意見を受け入れる事にした。アリスの戦闘能力を掴みきれないのだ。まだ、何か反撃の手立てを残しているかもしれない。

実際、これ以上の戦闘すれば共倒れになりそうだった。

ラピスをアリスの射線からかばった状態で、左腕の時計のスイッチを入れる。

バシュー!!

放り捨てたライフルケースから白煙が立ち上る。即座に周囲に煙が広がった。

「アリス!この勝負はお預けだ!!次はこうは行かないからなっ!!」

典型的な捨て台詞を投げ捨てて、ハリはラピスを抱きかかえ逃走した。

アリスはハリらしき人影に銃弾を浴びせたが、それが白煙の作り出した影なのかどうなのかの判別はつかなかった。

そして、しばらく後。

白煙がようやく、引ききった頃、なんとか立ち上がったアリスの姿があった。

「痛たたたっ…うううっ……まさか、あんな攻撃法があるなんて…。迂闊だった。…よりにもよって、E.M.P.だし…。なによりも、勝てなかったのが許せない。…ああ〜っ、うっがぁぁあっ!…ムカつく〜〜!!」

拳を振り上げ、怒りを発散するアリス。

しかし、直ぐに冷静になり、埃塗れの全身をハタく。

「ふぅ、一つだけハッキリしているのは、マシンチャイルド二人を保有した何らかの組織があって、ソコはボクを殺したいと思っているって事か。しかも、あいつ等、ボクと渡り合えるぐらいに強いし。」

投げ捨てたポシェットを拾い上げ、自分の拳銃を仕舞い、ハリの残した拳銃とライフルケースを拾い上げる。

拳銃にはナイフが刺さったままだったので、ナイフを引き抜き、懐に収める。拳銃はハンカチに包んで、ポシェットに仕舞う。

「はぁ…調子に乗って、遠くまで来過ぎた。……うう、ラピスとハリか。…覚えたぞ…。」

左肩にライフルケースを担いで、トボトボと駐屯地への長い帰り道を歩くアリスなのであった。








第九話 完






あとがき

空白の8ヶ月の間の話と言う事で、思いっきりオリジナルに走ってみたTANKです。

ラピスとハーリー君が敵として登場したのは、電波の思し召しです。

当初、少女漫画が趣味になったラピスと言うのも面白いなぁと思ってたのですが、アリスのライバル役のマシンチャイルドを考えている時、不意に電波降臨。

いっそのこと、ラピスを敵にしてしまえと。ついでに目立たないハーリー君も敵として活躍させようと。

でも、なんだかアリスの方が、敵役っぽいなぁ。お前、ほんとにヒロインか?

ちなみに、ラピスはクリムゾン製、ハリはネルガル製でクリムゾンに拉致られたという設定。

現時点で6歳のはずなのに15歳の背格好なのは、バイオテクノロジーの恩恵。つまり、アリスとは別系統の改造を施されています。

ハリの一人称が「俺」なのは、過酷な状況で甘えることが出来ないから。でも、偶に「僕」を使ってしまう辺りがハーリー君らしい。

ラピスが無口な割りに意外とお喋りなのは、ハリと一緒に暮らしているから。ちなみに「ラピス・ラズリ」はハリがラピスに与えた名前。原作と同じなのは、面倒くさいからじゃナイデスヨ?

戦闘はスピード主体の近接戦のラピス、道具を駆使する中距離から遠距離戦のハリと結構良いコンビ。二人のコンビネーションが力を発揮すれば、アリスも苦戦する…はずです。

あ、今回重傷を負ったラピスですが、元気に復活します。簡単に殺しはしません。でも、再登場はしばらく先です。


>灰色に澱んだ液体なんだろうか

…灰色。…こわっ!地味に恐ッ!!ドライアイスみたいな蒸気を吐き出したりしてて…。当初は紫色系の怪しい飲み物って想像してたんだけど、灰色の方が遙かに恐ろしい。採用させていただきます。


>こうして列挙するとすげぇ名前だ

なるべく、口に出しても違和感が無いようにしてみたつもりですが、しょせん一発ギャグです。どうせ、あんまり登場しない連中、ひょっとしたらもう出てこないかも。なので遊んでみました。コンセプトは「第二次世界大戦を動かした男達が一政府に集まったら?」でも、今後彼らにスポットが当たるかどうかはわかりません。たぶん出てもチョイ役。


>って、まさか全員子孫なのか!?

えっと、多分、ほとんど、偶然の一致。のはずです。もしくは遠い遠い親戚筋。ヤマモト・ハジメなんて、在り来たりな苗字ですしね。チャーチルやらトルーマン、ゲーリングの中にいるからまさか!?と言う訳で…でも、パットンも貴族だった家系だそうだし、親戚多そうだなぁ。直系だったりして。


次回は、引き続きオリジナルの北欧解放戦。の、前に第101機動兵器中隊結成編へ。…です。


 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

おー、おー、おー。

これは中々意表を突かれました。座布団2枚差し上げます。w

 

>フィィィィィシュッ!

く、食われるーっ!?(爆)

 

>悪役みたい

つーか、狙われてるのに気づいてて一人で迎え撃とうと即断する辺り、ウォーモンガーの素質が開花してきたよーな(爆)。

「戦いだよ、血みどろの戦い。素敵だろう?」

 

>ハーリー

やっぱり君は女に振り回される運命なのか(笑)。

そんな君にちょびっと幸あれ。