あの時、俺に何が出来たのか。
俺は、何をすべきだったのか。
それはわからないまま、悪夢だけが続く。
そこは、地獄だった。
支配するのは死と怠惰のみ。
希望などとうに無く、横たわるのは只絶望。
命無き殺戮者達が支配する地表に、生きる者は存在を許されない。
生きる者にできる事など、地下で絶望に塗れ、ありもしない希望に縋ろうとする事だけ。
火星は、そんな場所だった。
「まっけるかぁぁぁ! ! !」
アクセルを踏む意識に、全てを傾ける。
IFSでの操縦は、詰まる所想像力と慣れの産物だ。
要は、少しでも意識を抜いた時点で、アクセルは弱まるという事。
それは、俺自身の死亡を意味する。
「お、お兄ちゃん!」
俺の乗るトラクターが、無人兵器を壁に押しつけている。
その轟音の中にあっても、少女の声は届く。
俺が敗れたなら、後ろにいる少女はどうなるのか。
今まで火星中のコロニーで、無差別に殺戮を繰り広げてきた無人兵器は、どうするのか。
そんな事、考えるまでも無い。
目の前の感情の無い悪魔は、悪意を持って火星の人間を皆殺しにしようとしている。
ならば、死んでもココを譲るわけにはいかない!
「おおおおおおぉぉぉぉぉ! ! ! ! !」
あの少女が、何をしたのか。
俺達が、何をしたのか。
今までに殺されたユートピアコロニーの人達が、何をしていたのか。
何故理由も無く、虐殺されなければいけなかったのか。
なんで、絶望だけが横たわる地獄を、味わわなければいけないのか。
そんな思いが声になり、トラクターは無人兵器を壁に押し付け続ける。
「うぉぉぉぉ! ! !」
壁に亀裂が走る。
蜘蛛の巣の様に走る亀裂。身を切るような焦りが、背筋を走り、身震いする。
だって、無人兵器はまだ動いたままだ。
このまま壁が壊れるまでに止めなければ、皆殺される。
生き残ったユートピアコロニーの人達みたいに、狂って、腐って、生まれて来た事を悔やみながら、殺される。
あんなのは、嫌だ。
あんな思いをアイちゃんにさせるのは、もっと嫌だ。
だから、コイツはココで止めなきゃいけない! !
「うぁぁ! ! !」
声は枯れ、冷や汗で体中が濡れている。
脱水症状も起きているらしく、平衡感覚すらもう無い。
だけど、IFSだけは手放さない。
コレが、今の俺達の生命線。
そう、今の俺に出きる戦いは、何処までIFSを意識を手放さずに握り続けるか。
それだけだ。
たったそれだけ。でも、その単純な事がコロニーにいる皆の命を守っている。
俺は、逃げ出さない。
地球の軍人みたいに、逃げ出したりはしない。
絶対に、アイちゃんを、皆を守るんだ。
「――っ! !」
IFSに更に力が篭った。
その瞬間、限界まで使いこんだエンジンは、あっさりと火を吹く。
ドスン、と軽い衝撃。それで、終りだった。
限界以上に酷使されたエンジンはそれきり、動く事は無くなっていた。
「お、おいっ! ? 嘘だろ! ? 動けっ! 動けよぉぉぉ! !」
幾ら叫ぼうと壊れた機械は動かない。
目前には、未だ動き続ける無人兵器。カメラアイが、俺を捕らえた。
感情の無い筈の無人兵器。だけど、俺には理解る。
コイツは今、薄笑いを浮かべている。間違い無い。腐った笑いに違いない。
証拠に、ゆっくりとレーザー胞の銃口を向けてくる。
嬲るつもりか、それとも、故障しているのか。
それは、酷く緩慢で、まるで壊れたギロチンみたいだった。
俺には、動く気力すら無かった。魅入られた様に、ゆっくりと近づく銃口を見る事しか出来ない。
だから、気付かなかった。
「お兄ちゃんー! !」
後ろで震えている筈のアイちゃんが、俺の体に飛びつくのを。
「ア、アイちゃん! ? 駄目だっ! 逃げろぉ!」
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃーん!」
俺の腰にがっしりとしがみついたまま、声を上げる。
錯乱している。だけど、俺だって泣きたい気分だ。
この状況で、何をすれば助かる――! ?
「うぁ…あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! ! !」
レーザー砲の銃口が、光る。
避けられない、避けられない、かわす事など不可能。
思考が、絶望で埋まる。
終る。俺は、ここで終る。
確信すると共に、過去の事が頭に走る。
これは、走馬燈か。そんな事を何故か冷静に思った。
浮かぶのは、子供の頃ばかり。
優しかった母さん。厳しいけど、憧れだった親父。仲の良かった友達。
それに、隣に住んでいた、自分と仲の良かった女の子。あの子の名前は、なんていったかな―
「――ああ、そうだ。ミスマルユリカだ」
振りまわされた過去も、今は只懐かしい。
記憶に残る、あの草原。
何をしたのか、何を話したのかすら覚えていないが、あの幻想的な風景は忘れていない。
もう一度、見たい。
「…できれば、今度は一人で」
「お兄ちゃんお兄ちゃん! …え…お兄ちゃん、光ってるよ…? 何、これ?」
脳裏に浮かんだ草原を思いながら、アイちゃんを抱きしめる。
一人で死なせはしない。
情けないけど、もう俺には一緒にいる事しか出来ないから。
アイちゃんの手も、俺の背中に回される。しがみつく背中を守る様に、全身で抱きしめた。
銃口から、光りが漏れる。
ああ、俺を殺す光にしては綺麗だなと、思う。
光が全身を包む。優しい光りだと、何故か感じた。
そして、俺達は消え失せた。
「おいアキト! 何ぼーっとしてやがる!」
「って! …あ、はいっ! スンマセン」
人の活気に溢れる食堂の中で、サイゾウさんの怒声と共に頭に衝撃が来た。
ゴロンと、目の前にオタマが転がる。
どうやら、コイツが脳天直撃だったらしい。
周りからは、嘲りと軽蔑の視線。
ああ。また、やったのか、俺は。
「あーあ、また負けたよ。性能差ありすぎるんじゃねぇの?」
「こりゃ、時間の問題かもな……」
汗でびしょ濡れになった体を拭く為、階段に向かう時そんな話が聞こえてきた。
吐き気を抑えて、階段を上る。
性能差? そんな次元じゃない。
あんなデタラメな兵器なんかに、地球の兵器で勝てるわけなど無い。
そんな事は、火星で身にしみているだろうに。
「げほっ…っは」
2Fに上がり喉の奥の苦いものを吐出し、服を脱ぎ捨てた。
アレから、俺は壊れた。
あのシェルターで既に壊れていたのかもしれないし、助かってから壊れたのかもしれない。
なにしろ、地球にどうやって来たのかを全く覚えていないのだから。
気がつけば、地球の草原で倒れていた。
一時的な記憶喪失。健忘症とか言うらしい。
俺がシェルターで絶望してから、草原で寝ている時までの記憶は抜け落ちていた。
それに、オマケが壱つ。
記憶を失った代わりに得た物は、恐怖。PTSD、心因外傷後ストレス障害。
より正確に言うならばシェルショック。戦闘神経症とかいうらしいが、良く知らない。
無人兵器、銃声、爆発音、そして強い光。
全てに極度に怯え、そして過去の悪夢を繰り返し見る。
その間は、場所を選ばず絶叫したり、嘔吐したり、やり放題らしい。
地球に着てから約壱年。様様なバイト先をそれで不意にした。
何しろ今は戦時、何処に居ようが戦闘の音からは逃げられない。
「…ふぅ」
そういう意味では、サイゾウさんには感謝してもしきれない。
幾度も迷惑を掛けてるにもかかわらず、あの人はまともな大人だった。
そんな人は、火星でもあった事が無かった。
料理の腕だけでなく、人間としての良識もきちんと持ち合わせている。
あんな人に俺もなりたいと、つくづく思う。
「こらぁっ! 何時まで休んでやがる、この宿六が! とっとと働け!」
「は、はいっ! 今すぐっ」
階下から響く声に、踵を返す。
多少厳しすぎるが、そのくらいが丁度いい。
そんな事を考えながら、厨房に向かった。
さぁ、今日の仕事はまだまだ始まったばかりだ。頑張ろう。
「…どうすか」
「失格だ。100年早えよ」
「…うす」
一口目の台詞が、それだった。
レンゲを残りのチャーハンの上に投げ捨て、サイゾウさんは続ける。
「技術も無えが、何よか魂が篭って無え。
アキト。お前自分が何て呼ばれてるか知ってるか?」
「…臆病者のパイロット。逃亡兵。ビビリ、チキン。
噂に、なってますか」
「ああ、なってるな。
だけどよ、んな事は問題じゃ無え。問題なのは、お前が逃げてることだ」
「逃げ、てる?」
グラリ、と来た。
俺は何も逃げてなど居ない。
だって、闘おうにも戦う相手なんてもう居ない。
救う相手すら、もういない。
復讐も考えたが、意思の無い機械に復讐してどうするのか。
そう、俺は逃げてなど居ない。
「な、何いってんすか。俺は逃げてなんていないっすよ」
「…お前も気付いてるんだろうが」
だから、俺は逃げてなどいない。
それは確信しているし、断言できる。
だが、しかし。それならば、何故俺はこんなにも追いつめられているのか。
「お前、今のままじゃ何もなれねえぜ。逃げつづけてるうちはよ」
「―――っ」
「確かに、お前には才能があるかもしれねえ。
でもよ…迷いながら何かをしようとしてる奴は一流になんてなれねえぜ」
サイゾウさんの言葉が、痛い。
分かっていた。
サイゾウさんがいうような事など、理解っていた。
コックになりたい気持ちは本物。
だけど、PTSDなんてものを抱えて、向き合う事もせずただ目を逸らし続けているのは逃げだ。
「今のまま中途半端で、何にもなれないままでいいのか?」
「………」
「ま、自分で考えるんだな」
サイゾウさんは、言葉を残して立ち去った。
残されたのは、俺と食べ残しのチャーハン。
少しして、チャーハンを口に運んでみる。
「…不味い」
ひどい、味だった。
部屋に戻る。
すると、出る前には落ちていなかった紙切れが一枚。
またか、と思いながら紙切れを拾う。
そこに示されている事も、予想通り。
だが、今までと違いがあった。
最初に示されている、今度は確実という文字に胡散臭さを覚えるが、恐らく本当の事なのだろう。
彼は冗談は好きだが、嘘はつかない。
ふと、この手紙の送り主との出会いを思い出す。
「おいアンタ。そんな所で何してるんだ」
「…えっ?」
夕焼けで、オレンジ色に染まった草原。
そこで、俺と彼は出会った。
中肉中背で、ボサボサの黒髪。顔立ちは、良く分からない。
何よりも目を引くのは、顔の半分を覆う程の黒いバイザー。
王様みたいな雰囲気をしたソイツは、いきなり声をかけてきた。
「何やってるんだ? お前」
「…いや、あの…あれ? ここ、何処だ! ?」
「はぁ? 大丈夫か?」
「あ、うん。って…ええ! ?」
「落ちつけって。ほれ、ジュースでも飲めよ」
正直に言うと、ココらへんは後で聞いた話だ。
俺は混乱したためか、細かい部分のやり取りを全く覚えていない。
だって、そうだろう。
気付けば火星から地球に移動していた等、冗談ですらない。
随分と混乱し、取り乱したらしい俺を宥めながら、彼は言った。
「そうか、苦労したんだなぁ」
覚えているのは、ここから。
お前さんは、記憶が飛んでるんだよ、という言葉はストンと腑に落ちた。
最初から用意されていた答えみたいに、気味が悪いほどに納得する。
続く言葉にも、気付いた時には頷いていた。
「或いは、PTSDかもしれないな。聞いた事あるか?
戦争なんかの後遺症で、意識が飛んだり、記憶が飛ぶ事もあるらしい。
覚えてないとしたら、それかもしれないな」
あの瞬間。アイちゃんを抱きしめてからの記憶が、本当に全く無い。
どんな裏技を使って地球に来たのかも、覚えていない。
何よりも、アイちゃんがどうなったのか覚えていないのだから。
彼の紹介で、医師を何人か尋ねてみたが、無駄だった。
理解るのは、自分がどれほど壊れているのかのみ。
「気にすんな。お前が助かってるならその娘も助かってるだろうよ」
軽薄な声の慰めすら、救いだった。
そして、男は一通り此方の話を聞くと、言う。
「お前、住所とかはあるのか?」
無い、と答えた俺に微笑みかける。
ぞっとする。一瞬作り物かと、思った。
「なら、住む所もないのか。
住みこみのバイト先とかみつかるまで、家に来るか?
どうせ、俺はあんま使ってないし」
悪いから、と断る事は出来なかった。
住所がなければ何も出来ないのは、火星で身にしみていたし、何よりも地球での暮らしなど、想像もつかなかい。
「ああ、じゃ何か目的見つけるまでは俺の部屋を使えばいいさ。
ついでに、火星に向かう方法があったら、教えてやる。
仕事上、変な情報が入ってくる事が多いからな」
1度、何故俺に良くしてくれるか、聞いた事がある。
彼は黒いバイザーを光らせながら、笑って答えた。
「面白そうだから」
思えば、彼と話している時に、唯一人間らしいと思う笑みを見たのは、その時だけだった気がする。
世話になっているのに、俺と彼の繋がりは少ない。
俺が知っているのは、彼が常に黒いバイザーをしている事。
ひどく、楽しい事のみに拘る事。
そして、料理を嫌う事。
その3つくらいだ。
ああ、後壱つ。付け加えるとするならば、彼は、何処までも笑いがぎこちない。
まるで作りものみたいな笑いばかりする。だからこそ、最後の笑みが印象に残っていた。
でも、何故だろう。
俺はあの笑みこそを恐ろしいと感じたんだ。
機動戦艦ナデシコ。
ネルガル重工のスキャパレリプロジェクトの為に、用意された最新鋭戦艦。
相転移エンジンや、グラビティブラスト等、木星トカゲの技術を流用している為、戦艦としての能力は地球圏でも有数。
エステバリス(近戦用人型ロボット)等の装備に加えて、クルーの能力も高し。
しかし最新鋭ゆえに相転移エンジン艦、エステバリス運用についての戦術の不足、クルーの経験不足は否めない。
軍艦ではなく、企業の戦艦の為乗りこめる可能性高し。
総合すると、お買い得って事だ。
多分、乗りこめる。後はお前次第だ。
出航は、3日後にサセボドッグから。
明日にサセボに行ったのならば、乗りこめる可能性はある。
紙に記されているのは、それだけだった。
今までのガセ情報と違って、偉く正確な情報が多い。
木星トカゲの技術を流用とか、胡散臭いのは確か。
でも、俺にはコレに賭けるしか道がない。
最近店の売上が俺の所為で、落ちてきているのも知っている。
サイゾウさんは気にしていないと言っているが、コレ以上俺の所為で、迷惑はかけられない。
それに、俺が何かを見つけるなら。PTSDを治す…いや、逃げなくなるには。
全て火星に行かなければ、駄目だと思う。
あそこに、アイちゃんと一緒に記憶とまともな心を置いてきたあそこに、戻らなきゃ駄目なんだ。
「そうしなきゃ、俺は…進めない」
俺は、何かになれるのか。
その問いの答えを、探しに行く。
そう伝えると、サイゾウさんは驚いてたけど、笑って送り出してくれた。
お世辞ではなく、機会があったらまた来い、とも言ってくれた。
涙が出る程嬉しかった。あんな暖かい思いをくれたサイゾウさんには、感謝の言葉もない。
この暖かさは、火星でどんな地獄を味わったとしても、消える事はないだろう。
「貴方のお名前は?」
「テンカワアキトです」
「…テンカワさん、ですか。失礼ですが、DNA検査をよろしいですかな?」
「え? あ、はい。どうぞ」
チクっと、舌に痛みが走る。
DNA情報による、国民データベースからの検索。
便利だと思うが、注射と一緒で何度やっても慣れる気がしない。
「なんと…! 全滅した筈のユートピアコロニーから、どうやって…?」
「いや、その…覚えてないんです。PTSDとかいうので、記憶が飛んでて」
「――そうでしたか。いや、失礼しました。それで、今日は何故こんな所に?」
「この船。ナデシコが、火星を目指してるって、聞いたんです。
お願いします! 便所掃除でも、何でもします! だから、俺を火星に連れていってください!」
下げた頭の上から、驚く気配が伝わってくる。
目的の為ならば、安いプライドなんてドブに捨てる。
その位の覚悟は、サイゾウさんに貰ってきた。
「驚きましたね。ナデシコの目的地は、まだ艦長にすら知らせていないというのに。
テンカワさん、貴方何処でその情報を」
「いぃっつ…その、情報屋に」
考えてみれば、俺は彼の名前すら知らない。
それに、彼は多分裏の世界の住人だ。存在を知られるのは、拙い。
「ふむ。詳しく聞きたい所ですが、まぁいいですか。
テンカワさん。貴方何か特技はありますか?」
「えーっと…一応コック志望なんで、料理はそこそこ。
まだまだ半人前なんすけど」
「了解しました…と、おや。IFSですか」
「ああ、火星だと車動かすのもIFSでしたから。
コレのお陰で、地球に来てからは逃亡兵扱いされてましたけどね」
あはは、と流そうとするが、寒い空気だけが流れた。
気まずさに耐えかねて、下を向く。
いきなりサセボに押しかけた俺の相手をしてくれたのは、そろそろ熟年の域に入ろうかというおじさんだった。
金縁の眼鏡に紳士ヒゲ。人の良さそうな顔に、商売人の空気を合わせた様な雰囲気。
クリーム色のシャツと、赤いベストの組み合わせはどうかと思うが、似合っているからいいのだろう。
名前は確か、プロスペクターさん。
ナデシコの、総務とかなんとか言っていた。
「…分かりました。貴方には、コックをしていただきます」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし! この船は、民間船ですが、戦艦です。
シェルショックを患った貴方には、辛いですよ。それを承知していますか?」
「…はい。俺は、もう逃げるのを止めたんです」
コイツとも、付き合っていかなきゃいけないですから、と無理矢理笑う。
プロスペクターさんは、目を逸らすと、何も言わずに腕を差し出した。
その手に握られているのは、腕時計?
「これはコミュニケ。ナデシコの制御用コンピュター、オモイカネの携帯用端末です。
艦の周囲にいるのならば、コレ壱つで通信は全て済むと言うお得品。ナデシコクルーの証です。
どうぞ、付けておいてください」
「あ、はい。ありがとうございます!」
「それでは、後ほど案内しますので。
まずは、自由に艦内を見まわっていてください」
「はいっ」
答えて、荷物を詰めこんだリュックを背負い、ナデシコに乗りこむ。
変な形の戦艦だと思ったが、よく考えれば最新式だ。デザインも、今までにないのかもしれない。
あの木星トカゲに対抗できると言う、最新最強の戦艦。機動戦艦ナデシコ。
乗る前に、もう一度だけ船を見てみた。
少しだけだけど、頼もしく、雄雄しく見えた気がした。
リュックサックを背負って、ナデシコに乗りこむテンカワアキトを見ながら、プロスペクターは回顧していた。
火星開拓都市、ユートピアコロニーで最後に会ったアキトは、小さな子供だった。
テンカワ博士の殺害。施設に引き取られたはずのアキトを探したが、手を尽くしても見つける事が出来なかった。
そして、第一次火星大戦。ユートピアコロニーは、チューリップにより壊滅し、その後の地球軍の早期退却。
火星の人間など、とうに生存を諦めていたというのに。
「不思議なものですね。貴方達を助けられなかった私が、こんな所でご子息に巡り合う」
本当に、不思議ですね、と呟いたプロスは目を閉じる。
思うのは、先程のアキト。
記憶を喪うほど重度の戦闘神経症。外す事のできないIFS。
恐らく、地獄となっていた火星を生き延びた彼は、地球でどのように過ごし、どうやって、ココに至ったのか。
その日々を思えば、恐らく同情は禁じえない。だが、同情はしない。
自分にそのような権利等無い。自分に出きるのは、多少なりとも、彼の見えない所でフォローする事くらいだろう。
コミュニケを弄って、操作する。
本来五人の筈の、食堂要員を六人へ。
部屋も本来は二人部屋が多いが、余った個室をあてがっておく。
余りにあからさまな補助などできないし、するつもりも無い。
だが、この程度ならいいだろう。後は、祈ろう。
彼が火星に行く事で、何かしらの答えを得る事を。
罪深きこの身に出来る事など、その程度しかない。
プロスペクターは、しばらくの間、そこの立ち尽くしている。
その胸に在るのは、悔恨か、はたまた絶望なのか。
余人には知る余地など無い。
結局プロスペクターは、格納庫からの連絡が届くまで、ずっとそこに立ち尽くす。
まるでそれは、祈りそのものだった。
ナデシコに乗りこんで、5分。
最新鋭の新造戦艦。木星トカゲに対抗する、地球の新たな切り札となるべき、地球初の相転移エンジン装備艦。
その中で、テンカワアキトは、迷っていた。
それはもう、完膚なきまでに、迷子。
来た道も分からず、行く道など元から知らぬ。
完全に途方にくれたアキトの前に、人影が現れた。
「あ、あのスイマセン! 道を教えてもらえませんか?」
「コンニチワ、ワタシりりー」
振りかえったのは、ロボだった。
「…え?」
真っ白になった頭に、疑問だけが残る。
何故、ロボ?
「…え?」
思考が、声に出た。
沈黙が廊下を満たし、事態は勝手に動き始める。
ロボは、変形を開始しなんというか、その、ゴツクなっていた。
「ええええっ! ?」
なんだこれは。
兵器か。コレが木星トカゲに対抗する兵器なのか。
戸惑う俺を嘲笑うように、事態は加速する。
ロボは、更に変形を繰り返し、銃口の塊に顔をつけたようなロボになっている。
「アハハハハハハ」
「う、うわぁぁ! ?」
笑いながら、全弾発射。
飛び出したのは花火。
…って、花火?
「ははは、ひっかかったな」
唖然としている俺に、後ろから声がかかる。
振り向くと、いかにも胡散臭い親父がいた。
「え? あ、はぁ?」
「いやいや、リリーちゃんの起動実験中だったんだよ。
誰が引っかかるか止まってたんだが…って、誰だ。お前」
そっちこそ誰だ、と言いたいのを抑えて立ち上がる。
相手の親父の服装は、ツナギに工具をジャラジャラと下げたベルトを括りつけている。
見たまんま、整備の人間だろう。
「コックの、テンカワっす。今日からお世話になります」
「コックか。これから世話になるだろうからな。こっちこそよろしく頼む。
メカニックのウリバタケだ」
話ながら差し出されたウリバタケの手を、握り返す。
「ところで」
喋ろうとした瞬間、空中に顔が浮かぶ。
驚くのもつかの間、ウリバタケが画面にがなり立てる。
「エステが一機破損! ? 何やってやがったんだ! あの馬鹿は!」
「…えと、その」
「すぐに戻る! その馬鹿をふんじばっとけ! 医務室? んなもん後でいいに決まってんだろうが!」
怒鳴り散らすと、ウリバタケは走り出す。
唖然とする俺になど目もくれず、一目散に走り去って行く。
気付いた時には、また一人。廊下でぽつんと佇んでいた。
ウリバタケの走り出した方向に進んでみるが、道が多くて訳が分からない。
先程までと同じく、途方にくれる。
「…ま、どうにかなるか」
何時までも途方にくれていても仕方が無い。
先程までと同じく適当に動き回れば、また誰かに会うだろう。
と、歩き回ってみれば、ビンゴ。
壁に寄りかかっている人影を発見した。
場所を聞こうと近づくと、様子がおかしい事に気付く。
壁に寄りかかったまま自分の体を抱きしめ、何かに耐えるように俯いている。
先程から、ピクリとも動いていない。
心配になったので、声を掛けてみる。
「あの、大丈夫すか?」
「…ええ、大丈夫です」
帰ってきた声は、平常などではなかった。
脳天が痺れるほどの艶に満ちた声に、俺は一瞬硬直する。
でも、真の衝撃はその後だった。
振りかえった相手の姿をみて、眩暈がした。
ゴクリと、唾を無意識の内に飲みこむ。
流れるような漆黒の髪に、吸いこまれそうな深い瞳。
まるで、人形の様に整った顔と合わせて、一個の芸術品にすら思える美貌。
顔だけでなく、細い体の割に出る所は出ていた。
上気した顔は、いっそ気味が悪い程の色気を携え、そこに在る。
擦れるような吐息もまた、恐ろしい程に色気に満ちていた。
ゾクリと、背筋に走る感覚を無理矢理無視して、声を絞り出す。
「あのっ! もう1つ…いいすかね?」
「…? 何か、用でしょうか?」
「えーと、その、プロスペクターさんって、何処にいるのか分かりませんか?
あの、できたらでいいんすけど」
「コミュニケの使い方って、聞いてないですか?」
聞いていない。そう言えば、通信がコレでできるときいた気もするが、方法など知らない。
焦りながら前を向くと、相手の酷く驚いた顔が在った。
少し、落ちこむ。そんな、常識的な事なのか。
動揺を表に出さぬ様に、聞いてみる。
「コミュニケって…ああ、さっき渡された腕時計すね。
これって、え? 使い方とかあるんすか?」
「…はい。詳しい事は、プロスさんに聞いてください。
多分今は、格納庫にいると思いますよ」
「あ、ありがとうございました!」
何故かは分からないが、物凄い眼で睨まれた。
格納庫の位置なんてわからないが、とりあえず頷いておく。
愛想笑いにも、全く反応してくれなかった。凄く、怖い。
その思いが顔に出る前にと、踵を返した途端、声を掛けられた。
背中にかかる声の鋭さに、背筋が凍る。
「右手に、IFSがありますね。
パイロットの方ですか?」
1年間、最も苦しんだ問いが来た。
この問いが、何度俺から職を奪った事か。
吐き気を意識する間もなく、口が勝手に動く。
「あ、これはその、違うんです。
俺はコックで、火星出身だから、IFSつけてるだけなんすよ」
「火星の?」
「ええ、火星じゃIFS無きゃ、車も動かせなかったから」
自分でも、苦しい言い訳だと思う。
例え事実でも、説得力が無きゃそれはただの言い訳になる。
そんな事は1年で身にしみたのに、未だに上手く言えない自分に腹がたつ。
それを読み取ったのか、相手の顔は既に氷の温度すら超える冷たさ。
殺意にすら近い敵意を向けながら、手を差し出された時は、殺されると本気で思った。
「…ソフト面でのメンテナンス担当の桃野です。
よろしくお願いします。コックさん」
「あ、はい。よろしくお願いします」
もはや、自分が何を言っているのかすら把握できていない。
異様に、怖かった。
ただこの場を逃れたい一心で手を握り、手の冷たさに一瞬で頭が冷える、が。
次の瞬間には、別の意味でのパニックが襲ってきた。
その、あまりにも、手が柔らかかった。
情けない話だが、俺は、この年にもなって女の子と付き合った事すらない。
生きていくのに精一杯でそんな余裕は無かったし、それに、余り興味も無かった。
健全な男子程度には在るが、それよりも、夢を追いたかったんだ。
まぁ、それは余談としても、つまりは、女の子には全く免疫が無いのであって――
この柔らかさと弱弱しさは、犯罪だと思う。
そんな風に、しばらくパニックに陥っていたらしい。
気付いた時には、また一人。
唖然としながら、頭を抱えた。
「だから、格納庫には、どうやっていくんだよぅ…」
その声は廊下に虚しく響いただけだった。