「この度コックに配属された、テンカワアキトです。
未熟なので迷惑もかけると思いますが、よろしくお願いしますっ!」
「よろしくっ!」
「よろしくね!」
「よろしくお願いしま〜す」
「よろしく〜」
「ああ、よろしく」
「よろしく」
一人を除いてほぼ同タイミングで響く答えが、可笑しい。
そんな事をふと思った、ナデシコ就任2日目の朝だった。
2話
一通り挨拶を済ませた同僚が散って行く。
当たり前の事だ。食堂要員に、暇など無い。
ただでさえ、ナデシコの食堂要員は悪夢のような労働条件下で働いているのだ。
得体の知れない新入りに構う時間等、裂く訳に行かないのだろう。
「少しいいかい?テンカワ」
「え?あ、はい!」
声は後ろから。振り向けば、白衣に赤いスカーフを巻いた女性が腕を組んで立っている。
白衣は、良く見ればコック服。一纏めに縛った頭の上には、コック帽が乗せられていた。
年の頃は恐らく、30中盤以降。今日からの上司であるその女性の名は、確かホウメイさんとかいった。
「何、そんなにかしこまるな。少し聞きたい事があるだけさ」
「…なんすか?」
声が、硬さを増す。
この質問は数限りなく聞いてきた。
好奇心と猜疑心に彩られた質問は、酷く容易く人の心を抉る。
そんな事は、もはや常識に近い。俺の中では、既に法則だ。
どうせ、続く言葉など決まっている。手のIFSか、俺の壊れ方の事に決まっている。
そんな事は、1年間で嫌というほど学んだ。今にして思えば、安い授業料だ。
「…アンタ、素直だねぇ」
「は?」
「顔に出てるよ。疑ってますってね」
男前な口調のホウメイさんの言葉に、顔に血が上った。
見透かされた。
腹を読まれた。
だが、そんな事は大した問題じゃない。
恥ずるべきは、悟られちゃいけない事をあっさり悟られた、自分の愚かさ。
そして、誤魔化す事すら出来なかった要領の悪さも。全てが
「ははは。安心しな。そんな大した事を聞くわけじゃない。
テンカワ、アンタ何か宗教はやってるかい?」
「いえ、神なんていないすから」
そんな都合の良いものが、この世にいてたまるか。
存在するとしても、俺は認めない。
地獄を作る事を見逃す神なんて、認めてなんかやるもんか。
「ふむ。それじゃ、出身地は?」
「…火星。ユートピアコロニーっす」
ほう、と目を丸くして頷くホウメイさん。
良くわからないけど、何かに納得した様相のまま言葉を続ける。
「火星の郷土料理ってのは聞いた事がねいね。
テンカワ、アンタ作れるかい?」
「…は?いや、まぁ、作れる事は作れますけど」
あんな不味いもん作ってどうするんですか、という言葉は飲みこむ。
只でさえ墓穴を掘っているのだ。コレ以上掘り進む事はあまりしたくない。
「そうか!作れるか!
なら話は早い。今作ってくれ。早速」
「え?お客さんはどうするんすか?」
「ああ、今の客の数ならあの娘達で十分だろ。
火星の料理を食べる機会なんてそうはないからね、出来れば元の味を再現してくれないか。
何、調味料なら世界中のがある。好きに使ってくれ」
そう案内された食料庫は、まるで異世界だった。
ラベルに書かれた言葉も、微かに香る香辛料も様々。みたこともない物ばかりだ。
小さいが、完成された一個の世界。
そんな印象を抱くにふさわしい荘厳さが、確かにそこには存在する。
正直、圧倒された。
ココまで多くの調味料や香辛料を集めるのは、一体どんな手間なのだろう。
そして、それを為す執念とは一体どんなものなのか。
…想像も、できない。
「さて、それじゃとっとと作ってくれるかい?
もう少しで忙しくなり始めるからね」
「あ、はい。了解っす」
鍋を振りながら、事情を聞いた。
なんでもホウメイさんは、世界中の料理を作る事を目標にしているらしい。
地球上の料理は食べ歩いてきたが、流石に火星の料理は食べた事が無いという。
つまりは、俺が火星出身と言う噂を聞いたホウメイさんが、火星の郷土料理を食す為に俺を待っていたという事らしい。
酔狂だと、そう思う。
だって。
「こんな不味い物、わざわざ待ってたんですか?
まぁ、食材がいいから元よか上手いと思いますけど」
と、丼を差し出す。
ハヤシに近い餡の上に、タコさんウィンナーが鎮座している。
香る独特な匂いを嗅ぐと、懐かしさが込み上げてきた。
この不味そうな、食欲が引き篭もる匂い。
ああ、コレこそ正に火星丼だ。感慨をかみ締めながら、一人頷く。
「このタコウィンナーが火星人かい?
可愛いじゃないか。さてと、肝心の味はどうかな。味見させてもらうよ」
「はぁ、どうぞ」
まずは一口。続いて二口、と火星丼を掻き込むホウメイさんの顔が、みるみる曇る。
同時に、手の勢いも衰えた。
当たり前と言えば、当たり前。
俺は、リクエスト通り元の味を再現した。
そして、始めて食べた時に感動したコックの味をほぼ再現した。
サイゾウさんに、食う価値が無いと言わしめた味を。
「…テンカワ、アンタ。わざと不味くしてるね?
なんでだい」
ゾクリ、とする。
怒ってはいない。少なくとも、そんな気配はない。
ないのだが、声には得体の知れない迫力が篭っていた。
だが、怯える事なんてない。
だって俺は、何も悪い事はしていない。
「出来るだけ、元の味に近づけたからです。
俺が、10年前に感動した味に」
「何?」
そして俺がコックを目指す原点になった味です、と付け足す。
「あ、先に言いますけど、舌はおかしくないですよ。
病院で調べた事すらあります。普通の舌です」
PTSDのついでに、と付け足すのは心の中のみ。
きょとん、と目を瞬かせるホウメイさんが可笑しい。
まるで童女のようなその仕草は、鳩が豆鉄砲を食った仕草にも似ている。
「感動だって?この味に?」
「ええ、この不味い味にです。
でも、火星じゃコレがご馳走ってレベルなんですよ。普通の食料食べようと思ったら」
「…どういう事だい?」
「まともな作物が取れないんすよ。火星は」
前置きしてから、事情を説明する。
火星の土はテラフォーミングの産物だ。
元は薄い大気しか存在せず、400度近い寒暖の差があった火星。
その原因は、プレートテクトニクス。つまりは地殻移動がない事だった。
おかげで二酸化炭素のおし戻しが出来ず、温室効果が生まれなかった。
マイナス150度以下のパウダー状の砂しかない火星の地表。
そんなものが、たった100年でどうにかなる筈も無い。
「火星の土って、掘り返すとすぐにナノマシンがでるんですよ。
ミミズみたいに偽装してるんですけどね」
「つまり、土が悪いから作物が育たないって事?」
「そうです。地球に来てビックリしましたよ。
何もかもが、美味しかった。海産物は、特に。感動でしたよ」
勿論、土を地球から運び出し、育てると言う方法はあった。
だが土のテラフォーミングは、失敗してはいなかったのだ。失敗してはいない、というだけの話だが。
「失敗してはいない?だが、さっきは手に入らなかったと言ったじゃないか」
「手に入ったのが、ギリギリ植物が育つ程度の土なんですよ」
テラフォーミングは失敗した。
だが土は手に入ったのだ。そう、植物を育てることが可能な土は。
「…だけど、質はとんでもなかった。地球であの土に負けるのは核汚染されてる地区だけだとおもいますよ。
栄養が、全く無い。育つには育つけど、味なんてどうにもならなかったんです。
でも、育つ事は育つ。ならば、誰が膨大なコストを掛けてまで、地球から土を輸入しますか?」
「…そうだね。だが、食に拘りを持つ人間はいるだろう?」
ええ、と頷く。
確かに、一部にはそういう人間は存在した。
だがそんな存在に、何の意味があるのか。
開拓者達の聖地たる火星。
それはつまり、極論すれば大半が貧乏人という事だ。
一部のエリートを除き、生活に余裕など無い人間ばかりだったのだ。
食生活のレベルなど、上と下では比較にならない。
「家は、親父が博士でしたから。
そう悪い方じゃなかったけど…親父の浪費癖が酷くて。
食事は普通の開拓者の人と同じだったんすよ。だから、軍用のレーションが御馳走だったんです」
レーションは、ユリカが偶に持って来てくれた物だ。
余談だが、多分ユリカの家に行けば御馳走を食べれた。だが、それは嫌だった。
何故かは分からない。分からないが、1度行ってしまえばそれは致命的になる気がしていた。
「それに、お袋も料理が得意な方じゃなかった。時間も無かったですしね。
だから、俺にとっての料理ってのはレストランのコックさんが使う魔法だったんですよ。
今となっちゃ笑い話なんですけど、俺にとってコックさんは魔法使いその物だったんです。
だって、そうでしょう?あんな不味い食いものを、美味しくしてしまうなんて。魔法じゃなきゃ出来ない。
本心からそう思ってた…ガキだったんですね」
あの時の感動。
それを忘れる事はきっと無い。
だって、あんな衝動は他に無い。
涙が流れ、夢にまで見た。
始めて本心から、何かになりたいと思った。
だって、思ったんだ。
不味い物を美味しくしてしまう。それは、御伽噺で見たどんな魔法よりも素晴らしい魔法だって。
「素敵じゃないか。そうか。それでコレが、コックを目指した味なのか」
ホウメイさんの言葉に、笑いが浮かぶ。
それはこんな味を目指していた過去の自分に対する自嘲。
それとも、自嘲してしまう自分に対する落胆なのか。今は、分からない。
「ええ、目指していました。魔法使いを」
そう、本気で目指していた。
施設を飛び出し、住み込みのバイトを転々としながらも料理だけは続けていた。
夢に向かって、本気で。何もかもに構わず取り組めた。
…だからこそ、なのかもしれない。
だからこそ、現状の自分が情けなく思えるのか。
何処までも落ちて行く思考。
ああ、クソ。まだ、このマイナス思考が直っちゃいない。
「なんにしろ、今でもコックを目指しているんだろう?
なら、安心しな。アタシが、アンタを一流の魔法使いにしてやろう」
ホウメイさんの自信に満ちた声が、頭に染みた。
内容が染み渡ると同時に、頭が透き通る。
真っ白な頭のまま、声が漏れる。
「…え?」
何を言われたのかが分からない。
いや、理解はできるが、意味が分からない。
今、この人は何を言ったんだ?
そんな思いが顔に出ていたのか、ホウメイさんは続ける。
「…え?じゃない。ナデシコに乗って、本気でコックを目指そうっていうんだ。
アタシが鍛え上げてやろうじゃないか。
アタシはね、料理って言うのは人を癒したり喜ばす物だと思ってる。
だからこそ、郷土料理に拘る。人って言うのは、自分の故郷の味を食べた時に安らぐもんだからね。
それは、魔法使いとしては不適正かね?」
はんと笑うホウメイさんが、眩しい。
その笑顔は、なんというか、男前だった。
空っぽの頭のまま、俺は首を振っていた。
「そんな事…無いっす!」
「ふん。少しはマシな顔になったね。
それで、どうする?お前にやる気があるのなら、料理人として一流になるまでしごいてやるが?」
「はい…お願いします!」
理由なんて、知らない。
只、それがいいと。そう思ったんだ
「は。それなら覚悟しな。
しごいてやるからね。余計な事を考えられなくなるまで、存分に。
いいか?覚えておきな。夢を語る時に疲れた顔が出来るのは、数少ない大人の特権なんだ。
自分の進む道にも迷ってるガキがするのは、100年早いよ」
「…はい」
サイゾウさんの言葉が浮かぶ。
なんとか涙が浮かぶのは、堪える事ができた。
胸に満ちる感動に、言葉を飲んだ。
ああ、なんて。
「まずは、だ。
お前、謝ってきな。昨日迷惑掛けた連中にだよ。
事情は知らないが、整備の連中に迷惑を掛けたって話は聞いた。
料理人として一流になるのは、まずまっとうな人間でなきゃいけない…これも、アタシの持論さ」
「は、はいっ!」
この人に出会えたのは、なんて幸運。
素直に、そう思う。
サイゾウさん。
俺は、少しは進む事が出来そうです。
次に合う時に、ほえ面かかせてあげますよ――そんな風に、笑えた。
それはきっと、少しの前進。
だけど確実な一歩。
少しだけど確実に進んで行く。人生っていうのは、きっとそんな物だ。
だから、俺は笑って行く。
こんな格好良い師匠と出会えたんだ。もう、笑うしかないに決まっている。
それが、正直な感想だった。
「あん?コックがこんな所に何の用だ。
用が無えならとっとと帰りな。こっちはお前に用は無えぜ」
格納庫で浴びせられた声は、敵意の塊だった。
もう話をするのすら嫌だと態度で示し、仕事に戻るメカニック。
だけど、こんな程度で引くわけにはいかない。
「あの…話だけでも、聞いてもらえませんか?」
「言ったろ?こっちはお前に用は無いんだよ。
厄介事起こす前に帰ってくれないかね」
にべもない、とはこの事か。
顔すら此方に向けず、メカニックの男は吐き捨てる。
俺に見えるのは、ジャラジャラと工具をつったベルトばかり。
無意識に、唾を飲みこむ。
ああ、そうか。
信頼を失うというのは、こう言う事か。
寂しさが、一瞬胸をよぎる。
だけど、諦めるわけにはいかない。
許してもらえなくてもせめて、謝っておかなきゃいけない。
「いえ、話だけで――」
「んな奴の話なんぞ、聞く事は無いぜ。博士」
言葉は、怒りに断切られた。
横から投げられた怒りは、壁に寄りかかる男の物。
男は苛烈に光る目を、此方に向けながら喋る。
暑苦しい言葉を、吐きつづける。
「…んだよヤマダ。何の用だ。お前こそ」
「はっはっは!博士。良い冗談だ!パイロットが格納庫に居る理由なんて一つに決まっている!
そう!俺は、訓練しに来たのさぁ!それと俺の名前はダイゴウジ・ガイだぁっ!ヤマダではない!」
「…ダイゴウジ・ガイ?…ってーか、足折れてるのに」
思わず俺が呟いた言葉に、ヤマダと呼ばれた男は振り向く。
ずかずかと、器用に松葉杖で近寄りながらも、ヤマダは口を開く。
その声は、叫びそのもの。俺に対する意思は最初から完全に敵意だ。
「ふん、やっぱり甘いな素人はよ。
IFSを使った訓練は、詰まる所シュミレートだ。搭乗者の怪我なんぞ関係無いんだよ」
「馬鹿はお前だよ。んなシュミレーターなんぞが格納庫なんかにあるか」
博士とか呼ばれていた、メカニックの人が冷たく告げる。
確か、この人はウリバタケさん。
自販機を改造していた人のはずだ。
ウリバタケさんは、俺とヤマダになんか興味を向けずに、一心不乱にエステバリスに向かったまま。
言葉だけを、此方に飛ばしてくる。
「な、何ぃ!?それは、マジかぁ!?博士ぇ!」
「一々うっさいね、お宅は。
マジだよ。格納庫にあるのはエステだけ。後は趣味の品だけだ。
…ああ、それとこの際言っておこうか。お前はエステには当分乗らせねぇ。基本訓練からやりなおしだよ。ヤマダ」
ヤマダが、息を飲む。
当然だ。パイロットが機体に乗れないと宣告されて、平静でいられる筈が無い。
俺だって、コックの仕事を取り上げられたら、呆然とするしかない。
そして、虚無の後に出てくるものなんて、何時だって一つ。
怒りに決まっている。
だが――
「お前の弁明なんぞ聞けないね。
俺達が精魂込めて完全に整備した機体で、お前が何をした?
出撃前に、勝手に搭乗。ああ、それはまだいい。
だが、その時の不始末で負傷。その負傷で実戦に出れないってのは、どういう事だ?おい。
俺達は、お前が遊ぶ為に機体を整備してる訳じゃ無えんだよ…!」
――それより大きな怒りが、ヤマダの声を遮った。
篭められた怒りは、既に憤怒。
激怒を超え、形になりそうなほど凝り固まっている。
それが、更に続く。
「何が一流の腕を持つ人材を集めた、だ。
肝心がなめのパイロットが一流どころか、1人前ですら無えじゃねえか。
いや、半人前ですら無えな。何しろ、基本動作の制御すら出来ずに負傷して、戦闘時にブリッジで油売ってるパイロット様だからな」
知っている。
これは、職人の意地という奴だ。
ウリバタケさんは、決して感情だけでこんな事を言っているのではない。
仕事を馬鹿にしたからだ。
作品を虚仮にしたからだ。
それは、なんて侮辱。
だけどそれにもかかわらず、ヤマダの態度は酷すぎる。
起動兵器のパイロットは、遊びじゃない。
自分の命は勿論として、他の人間の命だって預かっているのだ。
なのに、プロの筈のヤマダに、その覚悟は無い。一切、無い。
それは職人として一流のウリバタケさんの目にはどう映ったのか。
お前に、俺達の整備した機体に乗る権利は無い。
ウリバタケさんのそんな声が、確かに聞こえた。
「…な…それっ、は…」
「言い訳なんぞ聞かねえ。
こんな世界だ、結果が全てだよ。お宅は一人で訓練でもしてな」
言い捨てる言葉は、ヤマダの胸を抉る。
…これは、死刑宣告だ。
プロスペクターさんが言うのだ、恐らくヤマダは一流の操縦技術を持っているのだろう。
だが、否定された。
根本から、今まで積み上げた技術の一切合財全てを否定された。
それは、どんな屈辱なのだろう。
「それとだ…ついでに言っちまうが、テンカワ。
お前はヤマダ以下だよ。ある意味な」
だから、この言葉は効いた。
「なんでかわからねえって顔だな。
自分で考えな、お前がその馬鹿以下って意味がどういう事なのか。
それがわかんなきゃ、お前はヤマダ以上に乗せられ無え」
言葉が、重い。
多分、俺を乗せられないというのは、技術の話じゃない。
技術で言ってしまえば、俺はヤマダの足元にも及ばないに決まっている。
ヤマダが今回エステの操縦にミスったのは、IFSの所為なのだから。
IFSの運用に慣れていない人間が言葉面のイメージで機体を動かせば、恐らく今回みたいな事になる。
特に、元の手動操縦に慣れている人間はその傾向が強いだろう。
だからこそ、IFSをつけた人間はシュミレーターの訓練をしっかりとしている。
火星での友達に、そんな事を聞いた覚えがある。
その時はピンと来なかったが、地球に来て納得できた。
…それはともかく。つまり、ヤマダはIFSに慣れればすぐに復帰できる筈だ。
今回のウリバタケさんの言葉は、ヤマダの態度に対する忠告なんだから。
でも、俺に対する言葉は違う。
アレは、俺の欠陥の事だ。
胸が軋む。
全く、嫌になる。
何処まで行っても、コイツが俺の足を引っ張り続ける―!
「…分かり、ました。
後、コックピット内をゲロ塗れにして、スンマセンした」
「んな事は、気にすんな。
仕事だからな」
背中に掛かる言葉にも、何ら感慨はない。
そのまま、背中を丸めて出口に向かう。
と。
「…ああ、それと昨日は助かった。
滅茶苦茶で、基本も何も無え操縦だったが…アレのお陰で命拾いした。
メカニックを代表して礼を言っとくぜ。テンカワアキト」
照れくさそうな声が、背中に届いた。
「…え?」
「…そんだけだ。
呼びとめて悪かったな」
そう言葉を残し、ウリバタケさんは仕事に戻る。
呆然と、その背中を眺めていたが、それも数秒。
視界がボヤけて、慌てて俯く。
くそ。こんなの予想してなかった。
完全な不意打ちだ。
どん底までテンションが落ちていた分、余計に嬉しさが強い。
ああ、そうか。
人に認められると言うのは、こんなにも嬉しい事だったのか。
「――」
ウリバタケさんの背中に頭を下げる。
声なんて出さない。これ以上余分なボロは出したくなかった。
そのまま、今度こそ出口に向かう。
でも。
嬉しさが引いた途端に、途方にくれる羽目になった。
だってそうだろう。
考えろ、ウリバタケさんはそう言ったけど。
一体どうすればいいんだ。
多分、ウリバタケさんがいっているのは、PTSDの事だろう。
理解ってはいる。
戦闘中にガタガタ震え出してゲロを吐いていたら、俺は使い物にならない。
その場合、俺が守っているはずのナデシコはどうなるのか。
想像は、容易い。
そんな欠陥パイロットなんて、使う使わないの話じゃない。明らかな落第だ。
つまり俺には、戦う資格すら与えられていないという事。
――ならばやはり、俺がパイロットになるのは無理なのか。
じぐんと、胸に走る感情が痛かった。
「おい。待てよ」
声と同時。肩を掴まれた。
「…?ヤマダさんでしたっけ?なんすか?」
「俺の名前はダイゴウジ・ガイだっ!そこの所間違えるな!
…と、それはいい。それよかお前、俺には何の挨拶も無しか?」
なんだ、ただの馬鹿か。
今は、こんな馬鹿に構っている時間は無い。
とにもかくにも、考える事が多過ぎる。
「…ああ、どうもスイマセンした。
これからよろしくお願いします」
腹は立つが、面倒はゴメンだ。
大人しく頭を下げる。
「…あ?巫山戯るなよ。おい」
だが。
帰ってきたのは怒りだった。
さっきまでのウリバタケさんにも劣らぬ迫力で、声を振るわせる。
訳が分からない。なんなんだ、コイツは。
「お前、人の宝物にあんだけの事して、その態度は何だよ。こら!?」
宝物。何の話だ。
俺はそんな物は知らない。
「…は?何の話だよ?因縁つけるなら、もう少しまともな付け方しろよ」
胸を掴む手を払う。
面倒はゴメンだけど、厄介毎は別だ。
振りかかる火の粉は磨り潰してなかった事にする。
そんなのは当たり前。生きて行く上で当然の常識だ。
「因縁だと?…大体、昨日からお前何様のつもりだ?
人のロボットに勝手に乗って見せ場奪うわ、人の宝物をゲロだらけにしても謝りすらし無えとは。
お前がゲロ塗れにしたゲキガンガー洗うのに一時間以上かかった上、中に入りこんだゲロが未だに少し取れないままなんだぞ…!?
いい加減巫山戯るなよ、ボケが」
「は。見せ場を奪う?随分と画期的な表現だな。
お前が仕事しないで遊び狂ってるから、俺に出番が回ってきただけだろ。
まぁ、しかし。エステを動かして足を骨折?
随分と、お粗末な腕だな?なんだ、お前がスカウトされたのは猿山か何かか?
それに、ゲキガンガーねぇ…あんな玩具がなんだよ。
あんなくだらねえ物持ちこむくらいなら、まだエロビデオでも持ち歩いてたほうがマシだな。
ついでに言うならゲキガンガー自体がクソだろ。ガキの頃に少し見たけど、一瞬たりとも面白いって感じなかったし」
売り言葉に買い言葉。
言葉が加速して行く。
ヤマダから感じる感情は、とうに殺意に至っている。
そんなのはどうでもいい。
コイツがちょっかいを出してきたのも、話の内容ももうどうでもいい。
今はただ気に触る。
ヤマダの視線が、無性に気に触る。
なんだコイツは。
なんでだ。
なんでコイツの目には一切の絶望が無い!?
首を言い渡されたんだ。普通は絶望や、そこまではいかないでも多少の諦めは浮かぶ。
なのに、コイツの目にはそれがない。
その違いが、なんでこんなにも頭に来る?
…ああそうか。これは――
「…ゲキガンガーは関係ないだろうがっ!よく言うじゃ無えか。臆病者が。
お前なんて女だらけの職場でめめっちく料理してるだけじゃねえか。
えらそうな事言うなよ。コック如きが!」
――瞬間で脳味噌が沸点に達した。
この馬鹿は、料理を馬鹿にしやがった。
それはつまり―さっきホウメイさんに貰った感動もばかにしたって事だ。
ふざけるな。ふざけるな…!
…いや、むしろ巫山戯ろ。
一生、巫山戯ていろ。
俺が手前の存在その物を、冗談にしてやる。
「なんだよ。言い返せないのか?
…ったく、ゲキガンガーの魂も理解できねえ筈だぜ。
どうだい?この際臆病者らしく、金玉も取っちまって、スカートでも履けよ。
そんでクッキー作って、甘い御菓子でも食べながら女の子を楽しまなきゃな!」
ああ、もうどうでもいい。
コイツをできそこないのピカソみたいにする以外の事なんか、どうでもいいに決まってる。
つま先と拳に力を込める。一撃でいい。一撃あれば、この馬鹿の口なんて閉じてみせる。
一歩踏みこむ。白く握り締められた拳は、次の瞬間には無意味に角張った鼻を打ち砕いている。
…筈だったが、手に帰ってくるのは、空気の衝撃だけ。
よろけたすきに、山田が目の前に着ている。
「…振りがでけぇ。見え見えだよ」
ぞくり、とした。
「…がっ!ぅ…」
衝撃。悶絶。激痛が、股間から全身に伝導した。
痛みとか、そんなのとは別の衝撃。
腰が砕け、まともに立つ事すらできない。
「ゲキガンガーの魂も理解できねえ軟弱者らしく喧嘩も弱えな!
おら!ジョーみたいに立ってみろや!男ならなぁ!
…と、悪い。テンカワちゃんは今日から女の子になるんだったな、はは…っ!?なっ!」
返事の代りに返したのは、頭。
こっちの髪の毛を掴んで偉そうにしていたヤマダは、直撃するとよろめく。
そこが、勝機。
使い物にならない足を無理矢理動かし、体毎ヤマダに体当たりを決行する。
一瞬動けば、それで話は済む。
ならば、無理をするのは一瞬でいい。
「――!?」
「…ってぇ…!」
よろめいていたヤマダに、飛びこんで来る体が避けられるはずも無く、俺と共に床を転がる。
それで、終り。
ヤマダが倒れてさえしまえば、松葉杖を奪えば終る。
片足がギブスのままなのだから、これで立ちあがる事はできない。
酷く簡単な話だ。
「…くっそ。まだ痛ぇ。この馬鹿が、ギブス嵌めてるの考えて行動しろよ。
危うく潰れる所だったじゃ無えか…つーか、立て無え。
クソが。あー…マジで痛い…」
「こ、こっちの台詞だ。ボケが!
俺は足折れてるんだぞ、洒落になんねえレベルの痛さだってんだよ…
おい!それよりも、松葉杖返せぇ!」
御免だと、言いかけて気付く。
この状況。ひょっとして、圧倒的有利ではないのか。
「…なぁ。今俺が、松葉杖折って、お前をそこらに転がしといたら、お前どうなるんだろうな?」
「おい待て。ふざけるな。そんな陰険な真似するんじゃねえ!
正面から堂々と喧嘩したんだ。決着ついたらそれでいいじゃ無えか」
思わず、吹き出した。
ああもう、笑わせるなこの馬鹿。
笑いの振動ですら、今は下腹部に響くんだ。
痛くて涙が出るじゃないか。
「…ははっ。お前馬鹿だろ?
何処が正面から堂々とだ。いきなし、金的じゃ無いか。
卑怯にも程があるぞ」
「は。あんな程度卑怯じゃねえ。ただの戦法だ。
細かい事グダグダ言ってるんじゃねえよ。
とことん女々しい野郎だな」
どっちが、と続ける。
そのまま、松葉杖へと目を落とす。
何の変哲も無い松葉杖。おそらく、折るのは無理だろうけど、何処かに捨てるのならば全く苦労しない。
「…ま、そこで這ってろよ。
こいつはそこらに廃棄ゴミと一緒に捨てといてやるからよ」
「待て待てぇ!よく考えろ。
お前がそれをどっかに捨てても、俺はまた医務室で貰うだけだぜ。
そんなの意味がない上に、資源の無駄じゃないか!
そんなのは駄目だ!だから返せ!」
「そんなの知るかっ!
俺は、今捨てたいんだよ」
「それこそ知るかっ!
お前やっぱりキョアック星人よりも根性が黒いな!?
地球資源をなんだと思ってやがる!」
こいつは小学生か。
ヤマダが捏ねるヘリクツに呆れると同時、そんな言葉が浮かんだ。
少し話して分かった。
コイツ――ヤマダは、馬鹿だ。
それ以上でも、以下でもない。
要は俺と同じ。
ただの馬鹿ガキだ。
ならば、真剣に相手をする意味など無い。
何よりも、もう怒りなど消え失せた。
残っているのは、呆れだけ。
もう、意地を張るのも馬鹿らしい。
「…ったく、俺が悪かったよ。
お前の大事な物を馬鹿にしちまった。
そーゆーのが辛いってーのは知ってたのに、無神経だった。
後、ゲキガンガーもゲロ塗れにしてごめんな。
避けるとか、そんな余裕無かったんだ」
「…お、おう。分かれば良いんだ。分かれば!
…その、なんだ。俺も少し言い過ぎた。
悪かったな」
先程までとは様子の変わった声。
…本当に呆れた。
なんだ、コイツ。
完全に、ただのガキじゃないか。
「ったく…あーまだ痛え。
手加減しろよ。この馬鹿」
「お前がゲキガンガー馬鹿にするからだろうが!
まぁ、でも、マジで悪かった。
元から少しイライラしてたから、あっというまに熱くなっちまった」
「…イライラって、さっきのウリバタケさんか?」
それならば、ヤマダの態度は納得できる。
元々パイロットなんてのは、血の気の多い職業だろう。
それが荒れれば、どうなるかなんて予想するまでも無い。
そして、ウリバタケさんの台詞を聞いて荒れないパイロットだっていないに決まってる。
「…それも無いと言ったら嘘になるな。
博士は戦闘が始めてだから仕方ないんだろうけどよ。
あの戦闘は、そこまで急ぐ段階じゃなかった。
情報を整理してからでも十分に間に合う…つーか、作戦も立てずに出てったって駄目だろ。
って訳で作戦参謀である艦長殿に会いにブリッジに行ったんだけどな。
コミュニケなんて便利な代物があるのを忘れてた。
お陰で、遊んでた道楽者呼ばわりだよ」
「――っ」
驚いた。
こいつ、こんな事を考えていたのか。
見直した。なんだ、ガキだなんて誤解だった。
やっぱりプロスペクターさんが言うように、コイツもプロだったって事なのか。
「ま、それについてはいいよ。
結果から見りゃ、確かに博士が言う通り。
肝心な時に仕事場にいない馬鹿に違いないからな。
だが勘違いするな。俺がイライラしてるのは、そんなチンケな理由じゃ無いぞ」
「…じゃ、なんだよ?」
「決まってるだろうが!
いざと言う時に現れられないなんて、格好悪いにも程がある!
さっきはああ言ったが、お前は恨んじゃいねえ。
俺がイライラしてるのはよ、自分自身に対してだ。
ああ!なんで俺は颯爽と搭乗してお前の苦境を助けに行かなかったんだっ!
そんなの、ヒーロー失格じゃねえか!!」
なんて――馬鹿。
ここまでつきぬけた馬鹿は、始めてみた。
マトモな事を喋ったと思った瞬間にコレだ。
一体真面目なパイロットと馬鹿、どっちが本質なんだか。
「…考えるまでもないか。馬鹿だな」
「なんか今お前俺の事馬鹿にしただろおいこっち向けこらテンカワー!」
「…く…くく…っ」
馬鹿が騒いでる声が聞こえる。
体は痛い。お先は真っ暗。
ウリバタケさんに言われた事なんか、解決策も思いつかない。
けれど、不思議と気分は爽快だった。
きっとそれは、この馬鹿の…御蔭だ。
だってそうだろう?
流れとは言え、こんな空気はひさびさだったんだ。
――こんな、下らない事で笑ってしまえる空気なんて本当に久しぶりだったんだから。
ちょっぴりグラスランナー語が入ってる代理人の感想
うーにゅ、とげとげしいなぁ(笑)。
ウリバタケさんも大人のようでいて、まだまだ若造(なんせまだ20代)ってことなのか。
ガイやアキトがカリカリしたりプッツンしたりするのはわかるんですけどね。
一方でホウメイさんはその怒りが「料理人のプライド」に繋がってるんで
とげとげしい雰囲気もキャラ立てに一役買ってますね。
ここは取り方によってかなり変わってくる部分だろうとは思いますが、
ちょっと整備班のアキトに対する敵意が強すぎるかなとも思うんですよ。