――エリナが化粧にこんなに時間をかける奴だとは知らなかった。
俺は胸の内でそう呟いて、二メートル先の鏡台の前でアイラインを引いている黒髪の美女の後ろ姿を眺めた。
化粧というものには、それぞれの女性の微妙なポリシーの違いが現れて面白い。化粧の仕方がまったく同じ女性なんて存在しないだろうし、生活における意味合いも違うだろう。
人が化粧をしている姿を見るのは面白いものだ。
数世紀前から言われていることだが、電車の中で化粧をする若い娘たちを見て、年配者が『はしたない』と嘆く。俺も彼女らを見たことがあるが、その是非はともかく、ブラシなどの小物を扱うのが上手いなと思った。揺れる電車の中で、真剣にコンパクトの中の自分の顔を見ている彼女らを見ていると、その集中力に感心させられる。
――いつだって、女は自分が最大の関心事なのよ。
フィードバック。
これは確かエリナの言だ。
確かにそれは正しい。彼女の化粧が終わるのをかこれ三十分は待っている自分と、足元にいる薄桃色の髪をした少女がそのいい証拠だ。
「大丈夫か、ラピス?」
「…う…ん……、へーき……」
答える声には元気がない。
エリナの化粧が終わるのを待ちくたびれて、眠りこける直前だ。
低血圧なラピスがせっかく珍しく早起きをしたのにこれでは台無しである。
「寝るなよ、ラピス」
「……うー…、がんばる……」
ずいぶんと怪しい返事だったがとりあえずはそれで納得して、視線を鏡に映っているエリナへと戻した。
鏡を見つめているときの気合の入った顔が鏡から目をそらした瞬間、いきなり弛緩した無表情になるのがおかしい。
人は、鏡を見ているときの顔と普段の顔が違うといういい例だ。いかに鏡に向かって『自分だと思っている顔』を作っているのかがよく分かる。
……鏡というのは不思議なものだ。
見たいものが見えて、見たくないものが見えない。
デパートや洋服店などでは実際よりも細く見える鏡を使っているという噂があるが、あれも鏡の中に自分の修正した姿を見ているからなのだろう(真偽は知らないが)。
そんなことを考えていると、ふとその周辺に散乱している化粧品の山が目に入った。
その数の多さに内心で辟易する。
エリナはかなりの消費家だ。
シーズン毎にマニキュアも口紅も(俺に区別できる化粧品はこの二つぐらいだ)、必ず新色を買うという。それがほとんど季節の行事のようになっているというのだ。その行為には会長秘書として溜め込まれたストレスも一役かっているのだろう。ストレス発散のために買い物に大金をかけると言うのはよく聞く話だ。
(そういえば……)
思えば、昔長屋で一緒に暮らしていた二人の女性はあまり化粧品に興味を持っていなかった。基礎化粧品(確かこう言っていた)にはそれなりの投資をしていたようだが、それ以外にはあまりこだわらなかった。マニキュアも口紅も(くどいようだが俺に分かる化粧品はこの二つぐらいだ)、気に入っているらしかった数種類の色を二人で長い間使いまわしていた。
(貧乏だったからなァ。気を遣わせていたのかな)
苦笑。
結婚適齢期直前と思春期真っ只中だった二人の女性。化粧品に興味がなかったはずがないだろうに。
「……ん?」
足元になにか圧迫感があるなと思い目を向けると、ラピスが俺の足にもたれかかって本格的に舟を漕いでいた。
俺が思考の海に沈んでいる間に完璧に待ちくたびれたらしい。小さな口から少しだけよだれも垂らしている。
「…………………」
ゴシゴシゴシ。
俺はそれをハンカチで拭い、すでに四十分は鏡と一進一退の攻防を繰り広げているエリナに声をかけた。
『Another
Every Day』
何かに集中しているエリナの邪魔をすると、彼女が烈火の如く怒るのは経験から知っていた。が、これ以上放っておくとラピスが完璧に睡眠体勢に入ってしまう。レム睡眠時ならともかく、ノンレム睡眠に入ったラピスを起こすのは何人にも不可能なので、俺は意を決してエリナに声をかけた。
その答えは俺の意に反して『先にご飯でも食べていて』だったので、俺は彼女に一人で心おきなくメイクに専念してもらうことにして、眠っていたラピスを起こし、その手を引いてぶらぶらと食堂までやってきた。
思うに彼女にも俺たちを待たしているという罪悪感があったのだろう(まあその罪悪感は九割方ラピスに向かってのものだろうが)。
食券を買いカウンターのオバちゃんからモーニングセットを貰う。ラピスと二人、それぞれトレイを抱えながら座れる席を探す。と、知り合いを発見する。アカツキが椅子にふんぞりかえって座り、窓から景色を眺めていた。
本当に黙っていれば二枚目なのになァ、と俺は改めて思った。
「おはよう」
声をかけると、アカツキはこちらを振り向き挨拶を返そうとして……ギョッとしたように動きを止めた。
「これはこれは……珍しい格好をしてるねェ、二人とも」
言って、俺とラピスの全身を舐めるようにジロジロ見やがる。
どうやらコイツの辞書には遠慮という言葉がないらしい。
「言うな。似合ってないのは自分で分かってる」
俺はアカツキの正面に腰を下ろした。その隣には当然のようにラピスが座る。
今の俺の服装は上が黒のブルゾンのパーカー、下がこれまた黒のジーパン、極めつけが顔を隠すために大きい黒のサングラスで覆っているというモノだ。
普段いつもいつもエリナ曰く、『羽を休めてるカラスみたい』という黒マントに黒バイザーという格好なので、こういう普通の格好にはかなりの抵抗と違和感がある。
ラピスはエリナの趣味で、ところどころにフリルをあしらった一見するとドレスのようなワンピースを着込んでいる。色は白。目を凝らさなければ、腕と服の袖口の境目が分からないくらいの、だ。
「いやァ。全然そんなことはないよ? 普段が普段だけに吹き出しちゃったけど、そういうカッコだって似合うさ」
「……本気で言ってるのか?」
「ラピスちゃん“は”、ね」
「……ロリコンだったのかお前」
ブーッ!!
飲んでいたコーヒーを勢いよく吹きだすアカツキ。
飛沫がかかったラピスがまるで鳥イン○ルエンザにかかった鶏を見るような目でアカツキを睨む。『可愛そうだけどこのコも明日には処分されちゃうんだね』みたいなかんじの。
「だ、誰がロリコンだYO! 根拠のない言いがかりはやめてくれYO!」
「落ち着けアカツキ。語尾がラップ調になってるぞ」
テーブルの上においてあったナプキンで、ラピスにかかったコーヒーの飛沫を拭き取ってやりながら答える。
「まったく。仮にもネルガル会長ともあろう者がこんな戯言で心を惑わすとはな。会長秘書の苦労が理解できるよ」
「……いきなりロリコン疑惑をかけられたら誰だって狼狽すると思うけどね。……に、しても珍しいじゃないか。黒マントに黒バイザーがデフォの君が私服を着てるなんて。まあ黒尽くめなのは一緒だけど」
もしや遅まきながらあの格好が恥ずかしいと気付いたのかい火星の後継者事件のときはその格好で電車にも乗ったそうじゃないか一緒にいたラピス君はかなり恥ずかしかったと思うけどね――、と先ほどの仕返しのつもりなのか、饒舌に語るアカツキ。
俺は視線をあらぬ方向に逸らしながら、
「ふん。火星の後継者が潜むコロニーを落とす以外の俺の仕事は、要人の暗殺や護衛がほとんどだ。闇に乗じるには、黒尽くめの方が都合がいいんだよ」
「ふうん? 僕はてっきり君の趣味だと思ってたけどね。なんでもあの黒マント、サイズまでキッチリと指定して業者に特注で作らせてるそうじゃないか。希望の型はありますかって聞いた業者に君、なんて答えたか覚えてるかい?」
ニヤニヤと笑いながら言うアカツキ。
俺はアカツキに黒マントの情報をリークした人物を頭の中で検索しながらはぐらかす。
「――さあ? 覚えてないな」
「じゃあ僕が教えてあげるよ。君はね、こう言ったのさ。……『宇宙海賊キャプテンハーロックに出てくるハーロックみたいなマントにしてくれ』、ってね! はははっ、二百年以上も前のテレビアニメのキャラ名を言っても、普通の人にはわからないって少し考えれば気付きそうなものなのにね?」
くっくっく、と押し殺した声で笑うアカツキ。
うっさいお前には伝わってるじゃないかこのムッツリアニメオタクが尻の穴に手ェ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろか――。
そんな心情を表情にはおくびにも出さず、無言で朝食のコーンフレークを食す。
「アキト、人の言うこと無視しちゃだめ」
先ほどからコクコクハムハムと食べていたラピスが言う。
エリナの情操教育の賜物か、世間知らずだったラピスも一般常識を完璧にしつつある。
俺はふむ、と少し考えてから答えた。
「気にするなラピス。コイツは人じゃない。調べたら多分人より染色体が二対ほど多いだろう」
「……アカツキはゴリラ?」
「多分チンパンジーの方だな」
「そうだったんだ」
モーニングセットについてきたコーヒーを飲む。
多分まだ熱いのだろうが五感のない俺は熱さを感じない。火傷するほどの熱さじゃないことを祈ろう。
「……そこ。ナチュラルに人の人格を否定しないでもらえないかなァ」
何も聞こえない。
† † †
「明日、花見をするわよ」
エリナが突然そう言ったのは、昨日の夜だ。
落ち目、落ち目と言われながらも、実際ネルガルは技術的にはクリムゾン・グループより常に一歩、ボソンジャンプ技術においては先を行っている。
また、細かい営業から大規模なプロジェクトまで、幅広く奮闘する美人会長秘書(その名はエリナ・キンジョウ・ウォン)の頑張りもあって業績自体は良好。
さらにそれに火星の後継者事件でネルガルの新型機動兵器、アルストロメリアの活躍が相乗し、ネルガルの株は火星の後継者事件からこっち右肩上がりにうなぎ上りだ。
また、火星の後継者事件で大部分の兵士が草壁派につくといった失態をやらかした統合軍は急速に力を失い、逆に見事にこれを解決した宇宙軍は息を吹き返した。それにともない宇宙軍は主力機動兵器としてアルストロメリアを正式採用。
……ネルガルとクリムゾン、宇宙軍と統合軍。
ともに、現在のパワーバランスはほぼ五分五分になっている。
故に最近、奪われたシェアを取り戻すためにネルガルの技術を盗もうと、ネルガルの研究所がクリムゾンのエージェントに襲われる事件が多発した。
俺はネルガルシークレットサービスとともにそれの撃退に駆り出され。
ラピスはネルガルのコンピュータのセキュリティの強化に駆り出され。
エリナは(某極楽トンボの替え玉として)会議やら雑用に駆り出され。
エリナにそう言われるまで、俺は忙しさのあまり、もう桜が咲いていることさえ知らなかった。
「お弁当は私が作るから、アキト君は場所取りをお願いね。場所は郊外にある河川敷よ」
「ま、待て待て。そんなにいきなり言われても俺には明日も研究所の警護が……」
「ああ。それなら大丈夫。私が極楽トンボにあなたの有給届提出してきたから」
もちろんラピスのもよ、と言ってラピスの頭を撫でるエリナ。
ラピスもおとなしく目を細めてエリナの手を受け入れている。見ようによっては本当の親子のような光景に思わず頬が緩む――ってそうじゃなくて。
「まあ、確かにクリムゾンの襲撃も最近落ち着いてきたが。それでも厳戒態勢なのは間違いないだろう? よくアカツキも許可したな」
「研究所の警護メンバーにはアキト君の代わりに月臣君に入ってもらったわ」
「月臣が? まあ、実力的にアイツなら問題ないだろうが……。アイツだって最近は忙しかったはずだろ、よくオーケーしてくれたな」
「………………………………ニヤリ」
……最後の笑みは見なかったことにしよう。
本能の判断通りにその笑みから顔を背け、俺はおそらく何か弱みを握られているのであろう月臣に心の中で黙祷を贈った。
† † †
「わぁ――っ」
舞い散る無数の薄桃色の花弁の下、それと同じ色の髪の毛を持つ少女の声から感嘆の声が漏れる。
河川敷に一歩足を踏み入れた瞬間、世界は一変した。
世界を形成しているのは薄いピンク色の花をまとった木々。ときおり風が吹き、枝がゆれ、花弁を散らす。その様はまるで吹雪のようで――ああ、桜吹雪とはよく言ったものだ。
「ふふふ。気に入ってくれた? ラピス」
「うん。……すっごくきれい」
まだ呆、とした顔つきのまま、舌足らずな口調で言うラピス。
その様子からは高性能な戦艦を一人で操艦する天才オペレーターの片鱗は全くうかがえず、それこそどこにでもいる年相応の少女のものに見える。
――チッ。カメラを持ってくりゃよかった。
俺が普通の父親のような小さな後悔をしていると、エリナが声をひそめて話し掛けてきた。
「ねえ、アキト君? ホントに場所取りの方大丈夫なの? 結構人多いけど」
エリナの言葉どおり、河川敷はまだ午前中なのにもかかわらず、結構な数の人がいた。
所狭しとシートが敷かれ、さっそく宴会を開始しているサラリーマン風の集団もいれば、場所取りなのだろう一人さびしくシートの中央に座っている男の姿もある。
道に沿って屋台も何軒か出ており、香ばしい匂いが食欲を刺激する――のだろう多分、俺に匂いは嗅げないが。
「大丈夫だ。言っただろう? うってつけの人物に頼んでおいた、と」
「それならいいけど」
けど、そのうってつけの人物って誰よ。
と。小声で呟くエリナ。
俺はそれに着けば分かるさと返して、左手に下げているバスケットを持ち直した。
中にはエリナ手製の弁当と水筒が入っている(今朝エリナの化粧が遅れたのは、この弁当を作っていたせいもあるのだろう)。
ほどなくして、俺が場所取りを頼んでいた男の姿が見えてきた。
「――へェ。いい場所じゃない」
エリナの言うとおり、そこはかなりいい場所だった。
地面はほぼ平らで、周りと比べて一際大きな桜の木の根元。
しかも、なぜかその周りには他のグループの姿は無く、まるでその場所は貸切のようだった。
シートの中央で座っていた人物は、俺たちの姿に気がつくと、無言で視線を送ってきた。
「……………………」
二メートルを越す長身に、プロレスラーのようながっしりとした体躯。
その肉体を包むのがきっちり着込んだスーツというのは少しアンバランス。
ゴート・ホーリー。
それが彼の名前である。
「ああ、ゴート。いい場所だな、おかげで助かった。ありがとう」
「…………そうか」
それだけ言うと、のそりと立ち上がり、無言で去っていこうとする。
「待てよ、飯食ってかないのか? 一応一人くらい増えても問題ないくらいの量の弁当はあるが」
「俺は貸しを返しに来ただけだ」
バスケットを掲げながら言う俺に、そう言って今度こそ立ち去るゴート。
ラピスの横を通るとき、ラピスがありがとう、と俺を真似て礼を述べると、少し頬が赤くなったのが可笑しかった。
「――貸しって何よ?」
靴を脱いでシートに座りながらエリナが問う。
俺も同じように靴を脱ぎながら質問に答えた。
「ああ、研究所の警護メンバーにはゴートも含まれていてな。警護はシフト制で同じ組になったんだ。で、クリムゾンの襲撃が来るまで暇なんでな。研究所にあったトランプで賭けポーカーをやったんだ」
それでゴートが一人負けしたというわけだ。
そして、偶然にも、今日はゴートは非番だということで、花見の場所取りを頼んだというわけだ。
「ふうん。――まあいいわ。せっかくゴートが朝から頑張ってくれたんだし、今日はお花見を楽しみましょう」
言うと、エリナは俺からバスケットを受け取って中から弁当を取り出し、てきぱきと並べ始める。
自分から作ると言い出しただけあって、それはなかなかに豪勢だった。
ゴートの強面のおかげだろう、周辺には他のグループはおらず、煩わしい酔っ払いにからまれることもなく、ゆっくりと桜を鑑賞できる。
――かくして。
俺たちの花見が始まった。
† † †
「アキト君? そんなに熱心に桜見つめちゃってどうしたの?」
あなたに風流を解する心があったとは知らなかったわ、と。
花見が始まってから十分くらい経った頃、人が桜を見ているのを目ざとく見つけてからかってくるエリナ。
「ああ、見とれてたんだ。火星には桜なんてなかったからな」
「――そうなの?」
エリナが少し驚いたような顔で訊いてくる。
火星。
テラフォーミングでとりあえずは地球と同程度の環境を作り上げたと吹聴されているが、どれだけ似せてもやはり火星は地球ではなく、小さな差異は存在する。
地球で植物が成長するのは何故か。
それは、植物が成長するのに必要な栄養が、地球上では簡単に手に入るからだ。日光、アミノ酸、有機リン……etc、etc。植物が必要とする栄養素は、地球上のほぼ全ての植物が同じ系統樹に属する以上同一になる。
だがその栄養素は、地球上だからこそ簡単に手に入るのだ。
地球と火星は違う。その言葉の意味。
テラフォーミングの限界。
火星の食物は不味い、という事実もそこから起因している。当然だ、火星では成長するのに必要な栄養素が得られないのだから。
もちろん、火星でも地球と遜色ない植物を作ろうと色々研究が進められていたのだが、それは食物などの人間の生活に必要不可欠なものに限定され、桜などのいわば観賞用の植物には手がつけられなかった。
結果、火星に桜は存在しない。
俺が初めて桜を見たのは、第一次火星会戦のときに初めてのボソンジャンプで地球に来てからだ。
そこまで説明すると、エリナはまた目を細めてからかうような顔になった。
「驚いた。アニメバカで復讐バカだとばっかり思ってたけど、結構博識じゃない」
「お前は人をなんだと思ってるんだ」
エリナの言葉に苦笑。
そして再び仰ぎ、桜を見やる。
「そうねェ。そんなに桜が好きならウリバタケにでも頼んでブラックサレナの塗装塗り替えちゃう? もちろん黒から桜色に」
「勘弁してくれ、それにそれじゃ隠密行動にならないだろうが」
「宇宙空間じゃ敵機を見つけるのは肉眼じゃなくてレーダーの役目よ。塗装の色なんて関係ないわ。幸い漆黒の幽霊ロボットは民間にも知れ渡って有名になりすぎちゃったしね。――ねェラピス? 貴女もピンク色のブラックサレナに乗るアキト君が見てみたいわよね?」
コクコクハムハムと弁当を食べながら桜を鑑賞するという器用な真似をしていたラピスは、エリナの言葉にピタと箸の動きを止める。
数秒間、黙って俺を見つめながら多分脳裏ではピンクのブラックサレナを想像している。
「うん。アキト、可愛い……」
一気に脱力する。
これで数では二対一。劣勢だ。
エリナはラピスの返答にかんらかんら、と笑いながら、
「ほうら。お姫様も見たいって言ってるわよ?」
「……本気で勘弁してくれ」
俺は、それだけ言うのがやっとだった。
† † †
弁当をあらかた食べ尽くし、シートの上で仰向けになって桜を眺める。
エリナに食べてすぐ横になったら牛になるわよ、とか言われたがうっさい桜を見るのはこの姿勢が一番楽なんだ。
心の中で反論していたら、俺の横で俺と同じようにラピスが仰向けになって桜を眺め始めた。
「…………………」
途端、エリナからの眼光が鋭くなる。
あんたがそんなマナーに則らない無作法働くからラピスまで真似しはじめちゃったじゃない子供は大人のすることには敏感ですぐ真似るんだから少なくともラピスの目の前ではそんなことしないでよ!――、と。
世の教育ママも真っ青のエリナの小言が視線によって送られてきた。
……目は口ほどにものを言うとは、昔の人はぴったりの慣用句を思いつくなあ。
エリナの無言の圧力に居心地の悪さを感じながらも、俺はそのまま寝転がっていた。
いまさら上体を起こすのも面倒くさいし。
しばらくラピスと二人、無言で桜を眺めていると、エリナもやれやれ、とか言いながら同じように仰向けに寝転がった。
ラピスを挟んで三人で川の字になる。
――昔。
もう思い出すのも億劫になるくらい昔の出来事。
今隣にいる二人とは違う二人と、同じように花見に来たことがある。
天然の、年齢の割りに幼い妻。彼女は桜を眺めて歩いていると、突然何もないところで転んだ。
冷静な、年齢の割りに聡い娘。彼女はそんな養母を見て、苦笑しながら手を差し伸べていた。
そして俺は、そんな二人を微笑とともに眺めている。
――未練、だな。
これも桜の魔力か。
もう、最近は夢にも見なくなった幸福だった頃の記憶。
俺は、あの二人の元に帰るつもりはない。
……だから、桜には感謝しよう。
例え過去の記録の再生でも。
もう一度、幸せだった二人の姿が見れたのだから。
「ラピス、エリナ」
不意に発した俺の言葉に、ラピスとエリナが訝しげに俺の方を向く。
二人の顔は見ずに、俺は頭上の桜を見つめたまま喋る。
「お前たちは、―――俺が護る」
それは、誓い。
三年前、今隣りにいる二人とは違う二人に対して無意識に抱いていた思い。
言葉にするのが照れくさくて、自分の心の中だけにしまっていた思い。
……しかし、俺はその思いを裏切った。
俺は彼女たちを守れず、そればかりか彼女たちが好きだった自分自身も守れず、自ら変えてしまった。
――だから。
「俺が、絶対に護る」
今の、俺の思いを言葉にする。
三年前にはできなかった行為。
――もう後悔するのは嫌だから。
――もう同じ失敗はしたくないから。
――もう、大切な人を失いたくないから。
「俺が、絶対に」
そんな。
突然の俺の言葉に。
今、隣りにいてくれる二人の女性は。
嬉しげに、目を細めて。
―――笑ってくれた。
俺は、もう一度自分の思いを反芻した。
自分が一度護れなかった思いを。
その思いを抱いて、生きるために。
<FIN>
あとがきー
とりあえず季節ネタをお届けしました、ザ・世界です。
書く前に決めたテーマは『黒アキトでマターリ』。
最後のほうが少しシリアスになっちゃいましたが、自分ではだいたいテーマを達成してるかなー、と。満足度63パーセントくらいです(半端な数値だー
劇場版アフターのアキトはまあ確かに不幸ですけど、別にそこに幸せを見出しても構わないと思うんですよね。
幸せの定義は人それぞれですし。個人的な意見ですけど。
実はこれより先にアキト(黒.ver)×ルリ(十六歳.ver)の雛祭りモノを書いてたんですが、雛祭りをとっくに過ぎたので執筆中止(えー
来年の雛祭りあたりにでも投稿します(笑)
何しろ短編はこれが二作目なんで、出来がいいのか悪いのか……。
自分で自分のSS読んでも目に付くのは誤字とかばっかりで、面白いのか面白くないのか分かんないし。
ので、感想くれると嬉しいです。
それでは。
あ、おまけ載せときます(ギャグです
【おまけ】
俺はピンチに陥っていた。
目の前にいるのは、先ほど命に代えても護ることを誓った薄桃色の髪の少女、ラピス。
彼女は目を潤ませながら俺を見上げている。
その仕草は捨てられた仔猫を連想させ、俺の良心にはさきほどからグッサグッサと剣が突きたてられている。
「ラピス。頼むから我が侭言わないでエリナと一緒に行ってくれ」
「アキトはさっき、私とエリナを護ってくれるって言った。……あれは嘘?」
「嘘じゃないさ。俺はラピスとエリナを護る。その気持ちに偽りはない」
「じゃあ、一緒に来て」
「いや、それはなあ……」
「これから私たちが行く場所に、火星の後継者の残党が潜んでいるかも」
「……いや、それは有り得んだろ」
先ほどから周りを通り過ぎる通行人たちから、お父さんってのも大変だねェ、とか。うちの娘も小さいときは……どこで育て方間違えちまったんだろうなァ、とか。
小声で言われる言葉が聞こえて、非常に居心地が悪い。
「ここでラピスたちが敵に襲われないように見張ってるから。行っておいで」
「ね、ラピス? 困ってるアキト君を見るのも面白いけど、そろそろ許してあげて私と一緒に行きましょ?」
俺とエリナに理を説かれて(にしても面白いってなんだエリナ)、渋々ながら納得するラピス。
エリナと連れ立って、とぼとぼと、夜、一人で行けない子供のように歩き出した。
……ラピスは、女性用トイレに入っていった。
――今日は厄日か?
俺は何度目とも知れない溜息を吐いた。
【おまけのおまけ(居残り)】
「僕もお花見行きたいなァ〜。エリナ君、何も今日の分の仕事全部僕に押し付けることないじゃないか(泣」
ネルガル重工会長室にて。
ネルガル重工会長アカツキ・ナガレは一人書類と格闘していた。
【おまけのおまけのおまけ(ネルガルその他勢)】
月臣 :「せ、台詞がない……」
イネス :「……私たちなんて」
プロス
:「名前すら出てこなかったですなァ」
月臣 :「…………」
イネス :「…………」
プロス :「…………」
三人 :「「「ヽ(`Д´)ノゴルァ!!
」」」
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