焦りは己が行動を泥沼に引き込むようなものだ。




 『前』に月臣が常に言っていた訓言だ。そんな事はわかっている。そんな事はよくわかってるさ。


 アキトは自分に言い聞かせた。だが、焦る心は静まらない。



 通信機から山田の怒声が聞こえてくる。

「ウォオオオリャアアアア!!蜥蜴ども!!とっとと消えろ〜〜〜〜〜!!」



 あいつもあいつなりに焦っているようだな。



 今、アキトと山田の目の前には無数のバッタが分厚い壁のように存在していた。


 ナデシコのオペレーターがいないため、その無数がいくつだかわからない。無限ではないはずだ。

 だが、いくら叩き壊しても減っているように見えない。


 それが、アキトの、山田の、そしてブリッジクルーの、心を苛立たせていた。



 サツキミドリからも散発的に砲撃してくれるが、それこそ焼き石に水といった感じだ。



 ナデシコもエステバリスのエネルギー供給範囲内まで来ている。

 だが、ルリがいないため。グラビティブラストが撃てない。大砲が撃てない砲台など、敵の良い的だ。

 ミサイルも艤装しているが、照準役のオペレーターがいないため、撃っても無駄弾をばら撒くことになってしまう。

 大口径レーザーも同じ事である。



 サツキミドリの近くに陣取りながら何もできずにブリッジ要員は歯噛みしていた。




 アキトはバッタの体当たりを躱しながら、チラリとコロニーを視界に入れた。


 今、あそこにはメグミちゃんがいる。そして、たぶんルリちゃんも…………絶対に死なせるわけにはいかない。絶対に。



 バッタの大群にライフル弾を撃ちこんだアキトは山田に叫ぶ。

「ガイ!!あまり突っ込みすぎるな。囲まれたら一瞬で木っ端微塵になるぞ!!」


「だけどよっ!!アキト!!」


「今は、数を減らしていくしかない」


「ちっ!!鬱陶しいぜっ!!」





 ナデシコブリッジでアキトたちパイロットの会話を聞きながら、ユリカは唇を噛んだ。


 グラビティブラストさえ使えれば、雲霞のごとく飛び回っているバッタなど焼き払ってやれるのに。



 また、後ろでエラー音が鳴り響いた。


 このブリッジで唯一、IFSを持っているジュンがオモイカネにアクセスして、何とか主砲を発射させようと試みているが、IFS規格が違うのか、ルリの能力に足元にも及ばないせいなのか、先からエラーばかりを発生させている。


 その電子音がまたユリカの神経を苛つかせる。


 ユリカは意識して何度か深呼吸をした。それで、焦りが収まった…………とは言い難いが、それでも大波が小波になったぐらいの感はある。



「…………ルリちゃんがいてくれれば………………」




 ユリカの重い呟きが通信機越しに、アキトの耳に入った。


 高速旋回機動でバッタの大軍の隙間を潜り抜けながら、アキトは苦笑いを浮かべる。




 『前』にアカツキが言っていた。


 あの戦艦は――『機動戦艦ナデシコA』は『冗談』のような戦艦だと。


 ナデシコAを設計したのは火星の『科学者』たちである。『戦う者』ではない。

 素人の恐ろしさである。彼らは、強力な盾と、強力な槍と、強力な車輪があれば『最強の戦艦』になると思ったのだ。


 たしかに作られた物は強い船だった。


 盾―ディストーションフィールド、槍―グラビティブラスト、車輪―相転移エンジン、その三つを揃い持つ強いチャリオット――戦艦だった。

 だが、それゆえに脆い。その、盾、槍、車輪のうちどれか一つでも使えなくなればそれは鉄くずと化す。


 ゆえにあの船は『冗談』だと。


 では、その『ナデシコA』が『前』にアレだけ活躍したのは?

 アキトの質問にアカツキの解答は一つだった。



 人の力。



 高速度ディストーション攻撃でバッタを爆破させてゆくアキトの心中にアカツキの至言が蘇った。


 ああ、まったくだ。


 たしかに『冗談』のような戦艦だよ。


 ルリちゃん1人、オペレーターが1人いなくなっただけでまるで役立たずだ。

 達人級の腕を持つ者しか受け付けない、伝統工芸品のような船。


 オペレーターが1人いなくなりましたので主砲が撃てません。…………そんなことを、他の戦艦に言ってみろ。冗談かと、こき下ろされる。




「なんらかの手を打って置いたほうが…………いいかもしれないな」

 飛来するミサイルをライフルで撃墜しながら、アキトはひとりごちる。



 アキトに向けてミサイルを放ったバッタが、突如、爆発した。

 と、同時に、前方を陣取っていたバッタが次々と撃ち落されていく。


「リョーコちゃんたちか?」

 期待を込めてアキトは砲撃してくる方向を眺める。












 だが、そこには誰もいない。あるのはサツキミドリだけだ。











「??…………見えない機体?…………いや……違う」



 唐突に、アキトは気づいた。これは………………サツキミドリからの砲撃。



 先ほどまで散発的に撃っていた砲撃が、恐ろしいほどの命中率で飛び回るバッタを撃ち落していく。

 ほぼ百発百中といっても過言ではあるまい。相手の動きを完全に予測しているような攻撃だった。




「おいおい。どうなってんだこりゃ?」

 山田の唖然とした声が聞こえてくる。



 アキトは眼を細めた。


 『前』に、これと似たような光景を見たことがある。


 その人物は戦艦一隻で雲霞のごとく襲ってくるバッタやジョロをミサイル攻撃だけで、ほぼ壊滅させた。


 その戦艦の名は『ユーチャリス』。そしてその人物は…………『ラピス・ラズリ』

 自分の妹でもあり、娘でもあり、相棒。



 そして、ラピス・ラズリの和名は――――。







「すいません。遅れました」

 通信画面に現れる白銀の少女。







「「「「「ルリちゃん!!」」」」」



 待ち望んだ人物の名をナデシコクルーが喚声した。



 今のルリは白いバイザーと、白いマントを纏っているがその冷たい物言いと白銀のツインテールは間違いない。彼女の両手は携帯用IFSパッドの上で虹色に発光していた。



 状況を把握したアキトは苦笑した。

「この支援砲撃はルリちゃんだね」


「…………はい」


 話している合間にも、バッタの数は加速的に減少していく。



「うぉおおおおおおお!!俺さまの見せ場を奪いやがって〜〜〜!!」


「心配しなくても、すぐに第三波が来ます」


 激昂する山田にルリが無感情に告げた。それを聞いたユリカが飛び上がる。

「ルリちゃん。ナデシコに戻って!!早く!!」



 ナデシコ艦長の命令にルリが静かに首を振った。



「ルリさん。何故ですか?」

 通信士の代わりをしているプロスが問いかけた。


 白いバイザーがプロスに向けられる。

「今、私はこのサツキミドリの全てを管理しています。ここの総司令が数名の部下とともに退避した今、管制室は圧倒的に人手が足りません」

「ですから…………そこを動くわけにはいかないと」

「はい。それにナデシコの能力を知っているものがいなければサツキミドリとの連携が取れません」



「じゃあ、ナデシコはどうなるの?ルリちゃんがいないとグラビティブラストも撃てないんだよ?」



 全てわかっているかのように、ルリがユリカに一つ頷く。


「『オモイカネ』。擬似オペレーティングシステムプログラムを起動します」



『テスト中』

『完成前』

『実戦データ不足』

『実戦使用危険』


 などの文字がモニターに躍った。ルリは言い聞かせるようにゆっくりとオモイカネに語りかける。


「オモイカネ。今、使わないでいつ使うというのですか?大丈夫です。私とあなたが組んだプログラムです。自信を持ちなさい」


 機械に自信を持ちなさいと云う言葉は変なのだが、オモイカネは少し逡巡すると――これも機械あるまじき事だが――――



『OK』

『準備完了』

『システムチェック完了』

『データ収集プログラム起動』

『いつでもオッケイ』

 の文字が現れた。



「いい子ですね」そう呟くと、ルリは声を上げる。

「擬似オペレーティングシステムスタンバイ。認識コード11β765α―347126『星野瑠璃』。自動オペレーションモードに移行。システムブロック強化。

 擬似オペレーションペルソナプログラム『コルリ・H・ホタル』起動!!



 ナデシコのモニターに膨大な数字が踊るように現れ、流れていく。


『基礎ベータプログラム――正常起動』

『基本人格プログラム――正常起動』

『基本言語プログラム――正常起動』

『基本運航プログラム――正常起動』

『ロストナンバー・リンク――正常リンク』

『シェルフォーマット――正常起動』

『オペレートアルファプログラム――正常起動』

『オペレートベータプログラム――正常機動』

『オペレートシータプログラム――正常起動』

『オペレートガンマプログラム――正常起動』

『オペレート戦術プログラム――正常起動』

『データ解凍――正常に記憶区に展開』

『・・・・・・ペルソナオペレータープログラム。『コルリ・H・ホタル』――正常起動』



 その全てを表示し終えたモニターは、何事もなかったように再び宇宙空間を映した。



 誰もが固唾を飲んで見守る中、メインモニターに突如、現れる2つの『3Dクラッカー』




 …………なにごと?




 と、思う間もなく、

 パン!!パン!!

 クラッカーが鳴らされ、


「ブイッ!!」


 その真ん中にデフォルメされた三頭身の『3Dルリ』がVサインをして仁王立ちしていた。



 ルリの外見を模倣した『3Dルリ』はサンプリングされたルリの声で、ただし本人からは想像もできないキャピ声で自己紹介を始める。

はじめまして〜〜〜〜〜〜!!
 みんなのアイドル『コルリ』で〜〜〜す!!
 ただいま0歳。趣味は銀行のセキュリティシステムにアタックをかけて悪戯することで〜〜〜〜す!!

 よ〜〜〜ろしく〜〜〜!!
















 固まった。凍った。石化した。







 ………………………………………………全員、言葉もない。






 固まったクルーを満足げに眺めた『コルリ』の視線が、空席のオペレーター席に向けられる。

おおおおおぉぉぉぉぉぉ!!ルリママがいない!!キシシシシシ。これでしたい放題。やりたい放題。さ〜〜〜て、まずは――」



「………………コルリ」



「うわっ!!」

 突然呼ばれたコルリが驚いて飛び上がり、モニター画面内の上部に頭をぶつけた。もちろん、演出だ。


「あっ!!ルリママ………………あわわわ、じゃなかった、ルリネェ。そんなとこにいたの。ズルイヨ。反則だよ!!

 何が反則だが知らないが、レッドカードを持って振っているコルリにルリは冷徹な視線を投げる。

「状況は知っているはずです。今は遊んでいる暇はありません。アオイさんと協力してグラビティブラストを発射可能にしてください」

えええ〜〜〜〜〜〜!!アタシ。まだ、戦闘データは憶えてないよ〜〜〜!!やり方知らないよ〜〜〜!!」



「……………………自分で考えてやってみてください」



「そんな〜〜〜〜〜〜。ルリネェ。横暴だ〜〜!!詐欺だ〜〜!!プログラム人格人権協会に訴えるぞ〜〜!!」

 『プログラムにも人権を』という横断幕を振っているコルリをあっさり黙殺したルリは、固まっている艦長と副艦長に進言した。


「この『コルリ』と一緒にグラビティブラストを担当してみてください。理論値では、上手くいくはずです。…………………たぶん




 ユリカとジュンがカクカクと頷く。




あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!40キロに木星蜥蜴の敵影発見。第三波とすいそ〜〜く。みんなガンバレ。応援しちゃうぞ〜〜〜!!

 コルリが両手に黄色いボンボンを持って応援ダンスを踊り始める。


 頭の上に花が咲きそうな明るい声に、皆は今の状況を思い出し…………仕事に戻った。





 『コルリ』の場違いな黄色い声援を聞きながら。






 ルリの手元にオモイカネの通信が入電された。

『少し…………自信なくした』


 それを見たルリも小さく溜息をついた。

「………………………私も…………です」



「あ…………あの…………星野さん」

 ルリが視線を巡らせると、眼鏡をかけた好青年がこちらを見ている。


 サツキミドリの管制室には今、ルリを含めて4人しかいなかった。

 ここで陣頭指揮しなければならない司令官はさっさと逃げ出し、本来なら20人いるはずの管制席もそのほとんどが空席である。


 リョーコたちとともに管制室に飛び込んだ時、残った三人の管制官は必死の形相でサツキミドリの防衛ラインを操作していた。


 今はルリ、1人が20人分以上のオペレートをしているため、若干余裕がある。



 三人のパイロットは幅5メートル、高さ6メートルの脱出用直通非常通路から備え付けの自転車で格納庫へ疾走中だった。

 本来配備されるはずの自動二輪やエアーカーでないのは、予算の関係上である。



「あの、星野さん?」

「聞こえています。なんですか?」


「あ……はい。Bー128連絡路から通信で、13番ゲートを開けてくれと……その…………総司令から…………」


 反対側にいるロン毛の軽薄そうな男がヒラヒラと手を振った。

「あんな、アブラハゲオヤジの言うことなんざ、無視しとけよ。第一、真っ先に逃げ出す総司令がいるか〜〜?」



「世の中、結構いると思いますよ」



 当たり前のように言うルリに三人の視線が集まる。

「その通信を私に回してください」

「あ…………はい」


 モニターにアブラぎった禿げオヤジが映った。

「おいっ!!さっさと開けんか!!わしの命令を早く聞け!!」






「無理です」

 一言で拒否するルリ。





 総司令の赤い顔がさらに赤くなる。

「きさま誰だ?名前と所属と階級を述べろ。軍法会議にかけてくれるわ!!」



「機動戦艦ナデシコオペレーター『星野瑠璃』。民間ですから、階級はありません」



なっ!!民間人が知った口をきくな!!ヒムカイ。セイバ。とっとと開けんか!!」


 セイバと呼ばれたロンゲの男がニヤニヤ笑いを浮かべて両手を上げた。

「残念ですが、中佐どの。いま、ここの管制機関は全て星野さんに握られていまして、我々では手が出せません」



なら、そこの小娘を撃ち殺せ!!わしが許可する!!」



 ヒムカイがズレた眼鏡を直す。

「出来ません。
 人道的な面からもありますが…………、今、この貴女はここの全制御を一手に引き受けてくれているんです。
 彼女がいなければ、とてもじゃないが三人ではこのコロニーを管制できません。
 彼女がいなければそのゲートを開けることすら出来ないのです」


「バカなっ!?20人分をこなしていると言うのか!!」



「……………………………………あるいは、それ以上」

 今まで黙っていたイフウがボソリと呟いた。



 ルリは顔を上げる。

「もうすぐ、第三波が来ます」

「だから……その前に開けろと言っとるんだっ!!」

「その13ゲートは装甲板が全部で23枚あり、シャトルを射出した後、敵の攻撃が来る前に全てを締め切ることが出来ません」


「そんなもの、そっちで何とかしろっ!!だいたい――」



 そこで、通信が途切れた。



「………………………………通信は切った」

 イフウはそれだけ言うと、砲撃のチェックに入る。



 セイバとヒムカイは顔を見合わせ、同時にニヤリと笑うと各コロニー重要部と連絡を取り始めた。



 ルリは電子の海に意識を潜り込ませる。

「木星蜥蜴到着まで残り5分。総員、対ショック防御。修理班、救助班、医療班は待機」








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