「いや〜〜〜〜。いい湯だったぜ〜〜〜〜〜〜」
「ほ〜〜んと、やっぱり大きなお風呂っていいよね〜〜〜〜」
「大きな夜の苦情……………大夜苦情…………大浴場…………プ……プククククククク」
三者三様の答えであるが、彼女らはナデシコ大浴場を気に入ったようだ。
「でも、今回はサービス無しねっ♪♪」
「何、言ってんだヒカル?」
「ううん。なんでもない。それよりもアタシ、な〜〜〜んか、戦艦て言うから、もっと殺伐としたところだと思ってた〜〜」
「………………フルーツ牛乳もあったし………………」
リョーコは緑の髪を手でかき揚げた。
「それにしても、この戦艦。アットホームすぎ。まっ、嫌いじゃねぇがな」
ヒカルがタオルでアップにまとめた髪を手で梳きながら、天井を見上げる。
「たしか〜〜、この後、歓迎会だっけ?」
「ああ、プロスのおっさんは食堂って言ってたぜ」
イズミも無言で頷いた。
「歓迎会か〜〜。じゃあ、ネタ持ってかなきゃヤバイよね〜〜〜」
「…………ワタシも…………ウクレレ取ってこなきゃ」
リョーコは頭を振る。
「なんで、歓迎会にそんな物が必要なんだよ」
「歓迎会だから〜〜、必要なんじゃない!!」
「そーそー」
意気込む二人にリョーコはひらひらと手を振った。
「はいはい。どうせ、オレはわかんねぇよ。てな訳で、先行ってるぜ」
「ほ〜〜〜い。すぐに行くって伝えといてね〜〜〜〜。あっ、リョーコの洗面具、部屋に持ってくよ」
「…………待って……歩…1手………………待って……と…言って」
二人に手を上げ、そこで分かれたリョーコは、湯に火照った身体に当たる冷風を心地よく感じながら歩いてゆく。
5分ほど歩いたところでリョーコは、はたと気づいた。
唐突に足を止め、
「そういや、食堂って…………どこだ?」
頭を掻いたリョーコの視界の隅に黄色い服が映る。
おっ。こりゃ、ついてるぜ。リョーコはニヤッと笑った。
「お〜〜〜い。ちょっといいか〜〜?」
「えっ?」
前を歩いていた青年が振り返った。
黄色の制服を着ている、黒瞳にボサボサの黒髪の青年がリョーコを認めると柔らかく微笑む。
「どうしたの、リョーコちゃん。こんな所で?もうすぐ、歓迎会始まるよ」
「ち…………ちゃん…………」
リョーコは顔を引きつらせた。一日で二回も、初対面で『ちゃん』付けされるとは思わなかった。
だが、自分と同じ年頃くらいの優しげな青年の顔を見てると、何となく強く反抗する気が失せてくる。
「なあ…………何でオレの名前、知ってんだよ」
青年が眼を瞬かせ、
「え?そ……そりゃ…………まあ。でも、ナデシコクルーなら全員知ってると思う。そういう情報だけは異様に早い場所だから」
ポリポリと頬を掻いた。
「で、リョーコちゃんはここで何を?」
「いや…………何って言われてもよ…………その…………食堂の場所、探してたんだよ」
気拙そうにリョーコはぶっきらぼうに言い捨てた。
青年がポンと手を打つ。
「ああ、そうか。リョーコちゃんは『ナデシコ』に来たばっかりなんだっけ。すっかり忘れてた」
来たばかりなのを忘れられても、リョーコは困るだけである。
無言のリョーコに青年の眼が笑った。
「俺も厨房に行かなきゃならないし、案内するよ」
「…………厨房?」
「俺、コックもやってるから」
リョーコは青年の頭から爪先まで眺めた。
……………………コック。まあ、言われてみればそんな感じである。
コックがどんな感じのものだか知らないが。
「じゃ、頼まあ」
一つ頷いた青年の後に続いてリョーコも歩き出した。
「それにしても、随分変わった戦艦だよなあ」
「ははは。否定はしない」
「11歳のクルーはいるわ。パイロットは一人で戦艦四隻、墜とすわ。艦長は会ったそうそうエステバリスにダイビングかますわ。ビックリ人間の巣窟かって〜〜〜〜の」
「………………耳が痛いな」
苦笑いをする青年。苦笑するばかりでリョーコの言い分になんら反論をしない。
「そうだ。リョーコちゃん」
「なんだ?」
「礼を言うのを忘れてた」
「礼?…………オレ、なんか礼をされることしたか?」
「俺がルリちゃんを迎えに、サツキミドリに行ってる間に、バッタを殲滅しといてくれたろ…………だから――」
「ちょっと、待ったっ!!」
リョーコは手で青年の説明を制し、まじまじと顔を見つめる。
「ルリを迎えに行った?おめぇがか?………………まさか…………おめぇ、まさかっ!! ………………『テンカワ・アキト』か!?」
悲鳴のような声でリョーコは青年に尋ねた。
息がかかるくらい近づいたリョーコから一歩離れるようにアキトが後退る。
「えっと………………もしかして…………気づいてなかった?」
リョーコは返事も返せず、唖然とした顔でアキトの顔を見つめるだけであった。
当たり前だ。
リョーコの知っている『テンカワ・アキト』は黒のバイザーとマントを羽織っていた、いかにも怪しげな人物である。
髪型、背丈、顔の輪郭…………確かに、言われてみれば同じだ。
手にはIFSタトゥーも付いている。
だが、身に纏っている雰囲気はどう見ても別人だった。
あの時の、威圧的な張り詰めた緊張感を漂わせ、一部も隙のないあの人物とはかけ離れていた。
雰囲気が違うだけで、どうしてもあの黒衣のエステバリスライダーとは結びつかない。
硬直していたリョーコは、ふと、あることに気づいた。
「テンカワ…………おめぇ、今……『コック』……とか言わなかったか?」
「ああ、そうさ。『パイロット兼コック』ってとこだな」
「な…………なんで?」
アキトが小さく笑って、頭を掻く。
「命令違反をやってね…………その処罰さ」
「…………だからって」
「コックというよりも、飯炊き係と言った方がリョーコちゃんには馴染みがあるかな?」
リョーコの眼の前の凄腕パイロットがそう言って、さばさばとした笑みを浮かべた。
楽しんでいるような嬉しそうな微笑み。
普通、処罰ってのは嫌で嫌でたまらないのではないのだろうか?
だから、リョーコは、
「なんか……おめぇ、楽しそうだぞ?」
不思議そうな表情を浮かべた。
「やっぱり、わかる?俺、料理作るの嫌いじゃないし…………と、云うか好きだし」
「それじゃあ、罰になんねぇだろうが」
「だよな。…………多分、あの子が俺を食堂に放り込んだんだろうけど…………何の為なんだろうな」
後半の部分は声が小さくリョーコには聞き取れなかったが、
「ふ〜〜〜〜ん」
適当に相槌を打つ。
そんなリョーコにアキトが右手を差し出した。
「と、いうわけで、よろしく」
リョーコはアキトの右手と穏やかな笑顔に視線を行き来させる。
初対面の男性に握手など求められたのは始めてであった。まあ、手の甲にキスされるよりかは百倍ましだが。
その右手に躊躇し、自分の右手をにぎにぎと動かしたリョーコはアキトの視線を感じて顔を上げる。
リョーコを見ているアキトの澄んだ柔らかな黒瞳。
その瞳に吸い込まれるようにリョーコはアキトの右手を握った。
「よ、よろしくな」
ようようにして言葉を搾り出したリョーコにアキトが優しげな笑みを浮かべる。
その右手の温かさと、深く優しい微笑みにリョーコは顔を火照ったように赤面させた。
*
「遅ぇな、ルリルリ。これじゃあ、歓迎会が始まっちまう」
ウリバタケは誰もいない格納庫で白いエステバリスを見上げながら、ひとりごちた。
白いエステバリスはもの云わずに片膝をついたまま佇んでいる。
「すいません。遅くなりました」
「うおわっ!!」
突然、横から聞こえた声にウリバタケは飛び上がった。
何の気配も感じさせずに白銀の少女が立っていた。仮面のような無機質な無表情の無感情な金眼が、薄暗い格納庫で浮かび上がっている。
何となく呪われた西洋人形を思い出し、ウリバタケの背筋に寒気が走った。
「で、用ってのは?」
「まずはこれです」
そう言ったルリが制服の内ポケットからディスクを一枚取り出した。今はあの白いマントとバイザーから普段のオレンジ色の制服に戻っている。
ディスクを受け取ったウリバタケは裏表にひっくり返し、検めた。
「こいつは?」
「頼まれていたテンカワさん専用IFS操縦カスタムプログラムです」
ウリバタケは驚いて眼を見張る。ルリに頼んでからまだ2日しか経っていなかった。
「早いな」
「基本設計は出航時の戦闘記録から出来ていました。ただ、細部を詰めるのに模擬戦闘か、訓練シミュレーターの仮想戦闘をしてもらおうかと思っていたのですが――」
「それが、今回の戦闘で必要なデーターが取れたという訳か」
「はい」
ルリが淡々と頷く。ウリバタケは自動人形と話しているような気がしてきて、気分が悪くなってきた。
「で、用はこんだけか?」
「いいえ。本題は別に」
やっぱりな…………。ウリバタケは小さく溜息をつく。
「それで?」
ルリがウリバタケの返事に答えず、横を見上げた。
それにつられて、ウリバタケも見上げる。
そこには白色のエステバリスが鎮座していた。
静まりかえった格納にルリの声が透る。
「今、このエステバリスは書類上、存在しないことになっています」
「はっ?」
「木星蜥蜴がサツキミドリ2号を強襲時、潜入したバッタにより大破。破片は格納庫の扉が開かれた為、宇宙空間に排出。
シリアルナンバー、E―〇八三○、喪失(ロスト)。
なお、格納庫カメラはバッタ侵入時に破損」
ルリがウリバタケに視線を向けた。
「サツキミドリの書類にはそう記載されています」
ウリバタケは口を開けたまま、ルリを見返す。
ルリはサツキミドリの書類を偽造したと云っているのだ。こんな子供が?
不意にウリバタケは理解した。
「て……ことは、こいつは俺が勝手に弄ってもいいってことか?」
「これは今、誰の持ち物でもありません」
ルリが静かに言葉を紡ぐ。
「ウリバタケさん。何を作ってもいいと云われたら、どのような物を作りますか?」
その質問に、ウリバタケの心中に一つの構想が急激に浮上した。
そう、このナデシコの存在を知り、エステバリスを見たときから温めていた構想。
それは、膨大な時間と金がかかり、それでも作り上げようと誰にも言わずに密かに企んでいた計画。
自分を見上げているルリの金の眼にウリバタケは密かに恐怖を感じた。自分の考えが悟られている?いや、まさか?
金の瞳から視線を逸らし、エステバリスを見上げた。
ウリバタケが計画している構想。
『グラビティブラストを撃てるエステバリス』
それは、拳銃サイズで大砲を撃つようなものだった。まともな神経の持ち主では鼻で嘲笑うほど馬鹿げた構想。
ナデシコを知れば知るほど、グラビティブラストを撃つのに必要な強度を保つのに、この船ぐらいの大きさが必要だと解かる。
伊達や酔狂でこのナデシコの大きさが決まったのではない。グラビティブラストを撃ってディストーションフィールドを纏うには、この大きさでも小さいほうなのである。
エステバリスでグラビティブラストを撃とうと思えば、エネルギーが足りない。砲身が保たない。弾道重力計算が出来るAIを載せるスペースが足りない。冷却が足りない。エトセトラ、エトセトラ…………。
ざっと考えただけでもこれだけ出てくるのだ。実際に作るとなると――。
………………それでも、俺は。
ウリバタケはエステバリスから、ルリを真正面から見つめた。
「いったら笑われるかもしれないが…………」
ルリが静謐な眼差しでウリバタケを見ている。
「俺はこいつで、グラビティブラストが撃てるエステバリスを作りたいと思う」
言った………………。言っちまった!!
ルリに宣言すると同時に燃え上がるようなやる気が沸いてくる。
絶対に完成させてやるぜっ!!たとえ…………会社の金を使い込みしたってな。
危ない決意を固めているウリバタケにルリはスッと電子バインダーを差し出した。
「ん?なん――――!!」
ウリバタケは絶句した。
そこには、
『小型相転移ドライブエンジン』
と、表題のついた大まかな設計図が記載されていた。
ウリバタケはルリに眼をやる。が、少女は何も言わない。
再び、設計図に目線を落とす。
二ページ目と三ページ目は小型相転移ドライブの重要個所の詳細図。
緻密に描かれているそれは、十分現実可能のように思えた。いくらかかるか、見当もつかないが。
そして、四ページ目を開いたウリバタケの手が止まった。
凄まじい驚愕に、眼鏡の奥の眼が飛び出るほど見開かれ、顎が落ちるほど口を開ける。
漫画やアニメなら間違いなく眼は飛び出て、顎は床まで落ちていただろう。
ウリバタケの手が自然に震え出した。
『強襲用追加装甲装備アルストロメリア支援機
小型相転移ドライブ搭載・重力波砲型エステバリス』
そう書かれたそれは、ウリバタケが構想していたものと同じ…………いや、さらにその上を行く設計図だった。
茫然と、唖然と、しかし、食入るように図面を見つめているウリバタケにルリは淡々と説明する。
「エステバリスクラスの機体でグラビティブラストを撃つのに一番問題になってくるのは、あまりのエネルギーに重力発生装置のブレードが保たないということです」
ウリバタケがのろのろと顔を上げた。ウリバタケの眼を見ながらルリが平淡に続ける。
「ですから、そこに載っているように仮装砲身を作ります」
「仮装?」
「正確にはエネルギー力場による電磁ブレードと云うことですが」
「だが、そいつを作るエネルギーは?」
「はい。だから、小型相転移ドライブを二機、搭載するんです。それなら、大気圏中でも僅かな溜めは必要ですが、グラビティブラストを連射できます。それに仮装砲身ですから冷却は要りません。撃ったら、砲身を拡散させてしまえばいいのですから」
ウリバタケの呆けていた顔が段々と真剣になってくる。突拍子もない創考。
しかし、強力なエネルギーがあれば実現する。そして、今ここにそのエネルギーを発生させられるかもしれない設計図もあった。
これは実現可能な設計図だった。間違いなく実用化できるものである。
「ルリルリ、いったい誰がこれを?」
「そこに設計者の名前が書いてあるはずです」
ウリバタケはすぐさま探し当てた。
「高松?………………聞いたことの無い名だな」
これでもウリバタケは改造屋や技術屋の間で超一流として有名である。そして、ウリバタケも彼らの一流どころの名は全て憶えていた。
だが、その中に高松の名は無い。
しかし、この設計図はどう見ても超一流の業物だった。
「今、この高松ってのは、どこにいるんだ?」
ルリは首を振る。
「そうか…………。だが、ルリルリ。これだけじゃ、いくら俺でも作れないぞ」
ルリは胸元から一枚のディスクを取り出した。
「そ、そいつは…………まさか?」
「その全ての詳細設計図が入っています」
「く、くれっ!!」
血走った眼で一歩踏み出すウリバタケに、冷静な眼で一歩退くルリ。
荒い息を吐きながら迫る大人に冷静な少女。傍から見ると…………傍から見なくとも非常に危険な図である。
しかし、無表情のルリの、
「条件があります」
その冷徹な一言で、眼を血走らせたウリバタケの二歩目が途中で止まった。
ウリバタケは大きく息をついてから、バリバリと頭を掻く。
「まっ、そうだろうな。だが、俺は今、どんな条件だって呑む気分だぞ!!」
「そうですか?では、そのエステバリスの『メインパイロット』は、私がやります」
二人しかいない格納庫。その二人が黙ってしまえば、あとは無音の静寂だけだった。
ウリバタケは間抜け面に口を開けて、固まっている。
その凍りついた静寂の中、ウリバタケはただ、ルリを見ていた。
ウリバタケの頭は今聞いた言葉を咀嚼しているが、心が拒否している。
長い時間かけて、口から出た言葉は、
「なんだって?」
結局、心が理解していなかった。
「私がそのエステバリスのパイロットをやります。コクピットも私に合わせて作ってください」
ウリバタケの葛藤など無慈悲に切り捨て、淡々とした口調でルリが告げてきた。
ウリバタケは眼の前に少女に向かって戸惑いの声を搾り出す。
「しかし、…………それは…………」
決して揺らぐことの無い金の瞳が無感情にウリバタケを見返した。
「そ…………そうだ。ル、ルリルリはエステバリスに乗れないだろ?」
「いいえ。操縦できます。でなければ外部操作でエステバリスをコントロールできません」
ウリバタケは口の中で唸った。
自分が中に乗って操縦するより、外部から通信でコントロールするほうがはるかに難しい。
自分の身体がコクピットに無いため、普段は意識しない加速Gや重力、揺れなどの体感がいっさい無くなるからだ。
さらに、通信により若干のタイムラグ、意識しないほどのタイムラグが発生する。宇宙空間ではその若干が、命取りとなる。スラスターを吹かせるタイミングを見誤れば星の彼方だ。
そして、ルリが操縦したエステバリスは中に熟練者が乗っているかと思われたほどスムーズな動きだった。
ウリバタケとて技術者である。その操縦技能を見ればある程度、腕前も見当がつく。
ルリが操縦したエステの動きは十二分にウリバタケの合格レベルだった。
だが、それとこれとは別。
「だけどよ、ルリルリ…………。そ、そうだ。実戦経験なんてしたことねぇし、きっちりとした教習も受けてねぇんじゃ、メカニックとして――」
「あります」
「へっ!?」
「実戦経験あります。それに軍のIFS型エステバリス教習も特Aクラスで修めました」
またも、口の中で唸るウリバタケ。
当然、リョーコ、ヒカル、イズミの三人も特Aクラスを卒業していた。
『特Aクラス』。これは軍では一流の称号を受けるに相応しい腕前であることを証明している。
もっとも、山田も特Aクラスの出身なので、最近、疑問を抱いているのも確かだが。
「だがな…………ルリルリ」
「そうですか…………」
「ま、待ってくれ!!」
ディスクを仕舞おうとするルリをウリバタケは必死で止めた。
じっと見返してくる鉄仮面のような無表情。
ウリバタケの脳はこれ以上ないくらいの速さで回転していた。一般には空回りともいうが。
兎に角、回転していた。
ルリをメインパイロットにすることなど『できない』。物理的にどうとかいうことではなく、人道的に『できない』。それは、人間としての最低ラインだ。
そして、多分ルリは気づいていないだろうが、そんなことしたら『アキト』に『殺される』。文字通りの意味で。しかも、現実に。
だから、『できない』。
だが、一目見たときから、ウリバタケはこの重力波砲型エステバリスに魂まで侵食されていた。
ウリバタケは何としてでも、こいつを『作らなければ』ならない。
ウリバタケの頭は必死で回る。カラカラと。
ルリはオペレーターである。
先の戦闘を見たようにルリがいなければ『ナデシコ』は戦うことすら覚束無くなる。『ナデシコ』よりもエステバリス戦の方が重要なことがあるだろうか?
『無い』。数秒で答えが出た。
ナデシコが危機に陥ったら、とっとと逃げ出してしまえばいいのである。ナデシコは軍ではなく民間企業だ。当然、敵前逃亡で処罰されることも無い。
あの『コルリ』とか云う擬似オペレーティングプログラムもあるが、ルリがエステバリスに乗るとなれば真っ先に艦長が止めるだろう。
ルリがエステバリスで戦闘をする可能性は低い。もはや、無いといってもいい。
よしっ!!ウリバタケは閉じていた眼を開いた。
「ルリルリ。妥協案があるんだが」
「なんですか?」
「コクピットをルリルリ用と一般用の切り替え式ってのはどうだ?」
「重力波砲型フレームにするんですか?でも、電力規格がまったく違いますから、電子関係が吹っ飛びますよ」
「そんなことはわかってる。そうじゃなくてな、ルリルリと一般パイロットの違いって、座席の高さや大きさ、IFS操縦コンソールの位置だろ」
「それにIFS規格も…………」
ルリは普段は隠れている強化IFS体質用のIFSタトゥーをウリバタケに見せた。通常のパイロットIFSタトゥーは黒である。
「ああ、そうだったな、それもあった。まっ。兎に角、そういったもんをボタン一つで切り替わるような、可動式にしてやればいい。IFS規格の方はもっと簡単だ。ソフトの切り替えなんて一瞬だからな」
「可動式…………ですか。でも、強度の方は?」
ウリバタケはニヤリと笑った。
「誰にもの云ってんだいルリルリ。超一流の改造屋の俺さまにとっちゃ朝飯前だぜ」
「そうでした。ごめんなさい」
ルリが素直に頭を下げるのをウリバタケは慌てて制する。
「と、とにかく。この妥協案でいいだろ?」
「はい。でも、メインパイロットの登録は私の名でお願いします」
「まあ。それは………………しかたねぇな」
ウリバタケは差し出されたディスクを受け取った。
虹色に鈍く輝くディスクをウリバタケは眺める。たった一機で戦局をひっくり返すことのできる超兵器。
まさに『漢の夢』だ。
ぐつぐつとやる気と闘志が湧いてくる。ウリバタケの脳裏にはこのエステバリスが宙を飛ぶ様までが、はっきりとイメージできた。
叫びだしたくなるのを必死で押さえる。武者震い打ち震えるウリバタケを眺めていたルリがポンと手を打ち鳴らした。
「忘れるところでした」
ルリがポケットから取り出した一枚のカードをウリバタケは受け取り、裏表を見返した。
「銀行のカード?」
「はい。中に二億円入っています」
ウリバタケはピタリと止まる。思考と、呼吸と、ついでに心臓も止まる。
冗談でなく、数分は立ったまま気絶していた。
数分後、カードにぼんやりと眼の焦点を合わせたウリバタケはギリギリと音が鳴りそうな仕草で首を回し、ルリを眺める
この十数分で何度、驚愕しただろう。ショックで自分の髪は完全な白髪になってるんじゃないだろうか?
強張った舌の根を何とか動かした。
「…………におく………………えん?」
「はい。二億円です。そのエステバリスを作るのにそれぐらいはかかるでしょう。スポンサーと云うことで」
ウリバタケはゆっくりと…………ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
そして心に誓った。この目の前に立っている少女は、少女の姿をしているが、決して子供として見てはならないことを。
発言、思考、行動力、策略、資本力。どれをとっても少女の11歳のものではない。
そう、11歳ではない。可愛い少女の姿をしているが、中身は違う。絶対に違う。まさに悪魔のような。
混乱している頭をゆっくりと振って納めていく。
まず最初の疑問が口に上った。
「どうやって、二億もの金を?」
「地球にいるときに会社を作りました。プログラム関係の会社です。ちなみに、そのお金はエステバリスの新しいIFS操縦接続プログラムをネルガルに売りつけたときのお金です」
聞いたことがある。つい一ヶ月前にネルガルが『マーベリック』という会社から、新しいIFS操縦プログラムソフトを買取り、自社製品として売り出したことを。
このナデシコにあるエステバリスのIFS操縦プログラムも、その最新のプログラムに総入れ替えしていた。
そのアリゴリズムを解析したウリバタケが驚嘆の声を発したほどの出来であった。それぐらい精巧なプログラムだった。そして、そのプログラムで今のところ問題は聞いていない。
そのプログラムを、この眼の前の少女が作った?
いや。ウリバタケは頭を振る。
さっき、心で誓ったではないか。目の前の少女を子供と見てはならないと。大人なら、当たり前のことだ。
会社を作って、プログラムを作り、売りつけて二億円を儲ける。
なんら不思議なことは無い。断じて無い。
ウリバタケは独り頷き――心の中の悲鳴を黙殺して――無理矢理、納得する。
「で、いま会社の方はどうなってんだ?休業か?」
「いいえ。オモイ…………友達がやっています。最近、トレーディングマーケットに凝ってまして。嬉々として株の操作をしてます」
「株?やべぇんじゃねぇのか。それ?」
「彼なら大丈夫でしょう」
あっさりと答える声音に不安の色は見えない。
ルリが友達と云うぐらいだ。少々、変わった友達なのだろう。
「あの、『コルリ』とか云う子もその会社で作ったのか?」
その質問にルリは少し、押し黙る。
ウリバタケは何となく一歩、後退った。
「…………あのシェルは『前』に作ったオペレーター支援プログラム『忠犬 お助けハーリー君』の基礎プログラムを流用して作ったものです」
ルリの顔はいつものような無表情だった。声もいつもと同じ抑揚の無い平淡な喋り方である。
だが、なんかルリが『重い』。
通常と同じ無表情だが、ドロドロドロと云う効果音をつけたくなるぐらい重く感じた。
ウリバタケは生唾を飲み込む。
ルリが、もう一歩退くウリバタケを見上げた。
「どうも、その時作ったプログラム人格と、今回の模倣人格が変な風に混じってしまったようで。決してあんな人格にはするつもりはありませんでした」
「そ、そうか…………」
ウリバタケはルリの様子に盛大に冷汗をかいた。
やっと、解った。
そう、これは…………ルリルリは………………。
怒っている。
途轍もなく怒っている。
顔は無表情、眼は無感情だが、今はそれがありありとわかった。
妻のオリエによって鍛えられたウリバタケの生存本能が、『危険信号』を最大ボリュームで鳴り響かせていた。
古来から怒れる女性に対しての対処方法は二つ。
一つは早急に謝ること。そして、もう一つは、
「じ、じゃあ、そろそろ歓迎会が始まるから。ル、ルリルリも早く来るんだぜ」
逃げ出した。
ウリバタケは格納庫の出口に早足で向かいながら、もう一度、心の中で誓う。
ルリルリは決して子供扱いしてはならない。絶対にだ。
遠ざかるウリバタケの背中を見ながら、ルリは静かに言葉を紡いだ。
「ハーリーくん……………………今度、会ったら『おしおき』です」
あとがき
こんにちは。ウツロです。
ついに、出てきました!!ナデシコSS作家が恐怖する氷笑魔人イズミ!!
ギャグが…………寒いギャグがっ…………。
他の作家さんは、どうやってイズミのギャグを考えているのでしょうか?
ぜひとも、教えてもらいたいものです。…………いや、マジで。
では、次回!!
代理人の個人的な感想
う〜〜〜〜む、面白かった。
転がる展開は手に汗を握るし、ボリュームもある。
ルリちゃんがさりげに人間離れしてるんですが、演出がしっかりしてるせいか余り気になりませんでしたね。
まぁ、さすがに生身でバッタをへち倒したのはどうかと思いましたが(爆)。
これで後は誤字が多いのをどうにかして頂けるとパーフェクトです(核爆)。
では。