「そういや、ここ四・五日、ルリ坊を見てないねぇ」


 混み合った夕餉の時間が終り、比較的空いてきた食堂を満足げに見回しながら、ホウメイが尋ねてくる。



 食後の番茶を飲みながら、『プロスペクター』は相槌をうった。

「そうですね。ブリッジの仕事も『コルリ』さんに任せているようですし」


「おやっ。ブリッジにも出てないのかい?」

「ええ。ただ完全に顔を出さないわけでもなく、ブリッジに誰もいなくなるとひょっこり戻ってきているようなのですがね」



 プロスはカウンターの一角に陣取っている、ここ一週間ですっかり風物詩と化した喧しい三人娘を眺める。

「まあ、艦長からしてあれですから、咎める事はしません。それに、火星に着いたらオペレーターなどは休めなくなりますから、今のうちに十分休息を取ってもらえれば、それにこしたことありませんし」

「確かに、ルリ坊、少し働きすぎだったからね。11歳で良くやってるよ」


「少々、やりすぎの感じもありますがね」



「違いない。優秀すぎるのも時には問題さね」


 ホウメイの苦笑に、プロスは黒ぶちの眼鏡を押し上げた。

「ええ、本来『ナデシコオペレーター』というのは機関士、情報士、砲撃士の三役を務めるものなんです。まあ、それだけでも重労働なのですが。ただ先の戦闘で、さらに彼女に精神的な期待をするクルーが増えてしまったらしくて…………困ったものです。中には副艦長補佐や戦闘班長に――という声も上がっています」



「あの子がまだ子供だってことわかってるのかい、その連中?」

「さあ、なんとも言えませんね。ただ、ルリさんがそれを難なくこなしてしまう方が、よっぽど問題です。はい」


「そうさね…………ルリ坊なら、艦長だってこなしてしまうだろうね。…………これは、あたしの勘だけどさ」

「やはり…………ホウメイさんもそう思われますか?これ以上、ルリさんに重荷をかけたくないのですが」




 苦味を潰したように顔を顰めたプロスにホウメイが深く頷く。









「同感だよ。テンカワと同じで、あの子も、けっこう危ういからね」









 ひどく重い声音に、プロスはホウメイを見上げた。

「ホウメイさんも気づいておりましたか…………」




「もちろんさ。これでも人間見てきてるつもりだよ。無感情を装っている眼の中に時たま、暗い何かが宿るときがあるからね」


「ええ。虚無というか、狂気というか…………戦闘時に、テンカワさんが見せる眼と同種のものです」





 二人の眼がキャベツを切っているアキトの背中に注がれる。

「テンカワさんも随分、変わりましたね。やはり、ルリさんの作戦勝ちでしょう」

「やっぱり、テンカワを厨房に放り込んだのはルリ坊かい?」

「ええ、そうです。…………おっと、テンカワさんには黙っててくださいよ」


「なに、テンカワだって気づいてるさ。じゃなきゃ、ルリ坊にチキンライスを食わしてやりたいって、あそこまで頑張りゃしないよ」



「??…………チキンライス?」


 眼鏡の奥の眼を瞬かせるプロスにホウメイが微笑んだ。

「ああ。プロスのダンナは、あの時いなかったっけ。ルリ坊がテンカワに『チキンライスを食わしてくれ』って頼んだのさ。それでテンカワ、毎朝四時から練習してるよ」



「そうですか。…………テンカワさんも優しくなりましたね」


 微笑みながらアキトの背を見つめるプロスに、ホウメイが沈痛な表情でぽつりと呟く。




「だが、見かけだけだよ。テンカワは優しさで狂気を覆い隠してるに過ぎない」


「ルリさんも、無表情で心の中の狂炎を押し隠しています。…………テンカワさんもルリさんも似た者同士なのでしょう」





「人の心を救うのは互いに傷を知る者どうしか――」

 喚声を上げてアキトの注意を引こうとしているユリカ・メグミ・リョーコを、ホウメイが眺め、

「それとも、ああいった何にも知らない純心な娘たちか――」

 プロスに視線を下げ、肩を竦めた。

「どっち、なんだろうねぇ?」





 プロスは飲み干した湯飲みをカウンターに置く。

「それは、時が解決するでしょう。我々にできることは見守ることと、助言程度です」


「そうだね」









 二人は互いに苦笑いを浮かべ合わせた。






*





 初め、ウリバタケはノックの音を聞き取れなかった。



「フフフフフ。こいつはスゲエ。理解すりゃ理解するほど、鳥肌が立ってくる」


 薄暗い部屋で、眼鏡をモニターの光に反射させながら『ウリバタケ・セイヤ』はニヤリと笑みを浮かべる。



 20日前にルリから貰った『重力波砲型エステバリス』の設計図を解析するのが、ここ最近の何よりもの楽しみだった。

 まさに、寝食を忘れてのめり込んでいた。



 ルリに貰った時から凄い設計図だと思っていたが、解析すればするほど感嘆するばかりである。


 斬新な発明もそうだが、なにより機体のバランスが『絶妙』の一言に尽きる。

 まさに天才の業物だった。



 どんな機械でもそうだが、なにかを突出させれば別の部分に負荷がかかる。その負荷を取り除けばさらに別の部分に負荷がかかる。まさに堂々巡りというヤツだ。

 そこが機械屋の腕の見せ所。全体のバランスを見ながら、各部位を調整していく。

 ビス1本にかかるトルク、計算上では出てこない歪みさえも見極める。それでこそ技術屋。

 ただマニュアルにしたがって、部品を取り替えるのなど、素人の仕事だ。



 この図面を引いた人間は間違いなく、現場を知っている人間である。

 現場を熟知している技術屋顔負けの天才設計士。



「こいつはどんなことをしてでも一度、会わなきゃならねぇな」


 キーボードを叩いていた指を止め、ウリバタケは物騒な笑みを浮かべた。



 コンコン!


 扉をノックする音が聞こえ、ウリバタケは顔を上げる。


 コンコン!


 チッとウリバタケは舌打ちした。楽しみを邪魔されるのは、趣味人には一番のタブーである。



「開いてるぜ」

 モニターから眼を離さずに後ろのドアに向かって声をかけた。



 誰かが、部屋に入ってくる。


 ふとウリバタケの中に疑問が湧いた。この部屋に訪ねてくる人物は少ない。整備班の連中ならコミュニケで用件を済ましてしまう。

 では、いったい誰が?



 様々な物が乱雑に散らかっている机の上に、ラップに包まれたオニギリが3つ、置かれた。

「差し入れです」





 その抑揚のない少女の声にウリバタケは驚いて振り返った。


 そこには銀髪金瞳の少女『星野瑠璃』




 ただ、いつもと違うのは制服の上にどてら(綿入れ)を着ていて、ツインテールから銀髪があちこちに飛び跳ね、頬には黒い墨が付き、金の瞳がやつれ、眼の下に隈ができていることくらい。



「ど、どうしたんだ!?ルリルリ!!」


「ヒカルさんに、つかまってました」




 その一言で、ウリバタケは全てを納得した。


 モニター光に反射し、銀髪でキラキラ光るアレはたぶん…………………スクリーントーン。



「そいつは……………………災難だったな」


 ウリバタケの引きつった笑みにルリがこくりと頷く。



 金の瞳がウリバタケの手元のモニターを眩しげに眺めた。

「どうですか?進み具合は?」


 ウリバタケも薄暗い部屋を照らすモニターに眼をやる。

「どうもこうも、俺、一人で作ってるから、手が回りきらねぇよ」

「…………そうですか」


「おおっと、別にルリルリを責めてるわけじゃないんだぜ。俺、個人で言わせてもらえば、今は最高に楽しんでるからな。…………そうだ、『アレ』できたぜ」


 ルリが横目でウリバタケを見る。

「どの『アレ』ですか?」




「歓迎会の最中に頼まれたウインドウボール型IFSトラックコントロールシートさ」



「そうですか。それが出来ましたか」

「だが、なんの役に立つんだ?ルリルリしか、あんなもん操作できねぇぜ」

「保険です」

「保険?」





 ウリバタケの質問に返答せず、ルリが話題を変えた。

「そういえば、テンカワさんのエステバリス・カスタムにレールカノンを装備すると聞いたんですが?」


 ウリバタケはポリポリと鼻の頭を掻く。

「ああ。この重力波砲型エステバリス。開発コード『Xエステバリス』の標準兵器を転用したんだが…………拙かったか?」



「いいえ。そうではなくて、リョーコさんたちのエステバリスには、装備しないのですか?」



「ノーマルエステバリスに『大型レールカノン』をか?」


 ルリを一瞥したウリバタケは眉を顰めて、腕を組んだ。

「だが、この図面を見る限り、相当出力がないと使えないぜ。出力に合わせて小型化するなら、ラピッドライフルの方が使い勝手がいいしな」



「え?…………でも、レアラさん、リョウジさん、ユウさんのエステバリスは大型レールカノンを装備していましたが…………」


「ノーマルエステにか?」

「はい。…………そういえば…………それで、高松さんに質問した憶えが…………なんでしたっけ?」




 エステバリスに、この大型レールカノンを装備できたら大幅な戦力アップにつながる。

 眼を瞑りブツブツと何かを呟くルリに、ウリバタケは期待のこもる眼差しを向けた。



 ウリバタケが注視する中、ルリがすっと金色の眼を開く。

「……………………簡易重力波ユニット」


「なに?」




「出力、三分の一の『簡易小型重力波ユニット』です」




「ダメだ、ルリルリ。エステバリスに付けるのなら、全とっかえになっちまう。
同じ手間なら、アキトのやつみたいに重力波ユニットを二つ付けた方が確実だ。
乗りこなせるかは別としてな」



 ルリが中空からウリバタケに視線を転じた。

「違います。ユニットを、武器に…………レールカノンに取り付けるんです」


「レールカノンに?」


「はい。レールカノン専用に特化した小型重力波ユニットを武器に取り付けます。
 砲撃時のフィードバック余剰エネルギーはエステバリスのメインバーニアに還元してました。

 欠点は、母船から離れすぎると役に立たなくなってしまうこと、

 重量が重くなってしまうこと、バランス調整がかなりシビアになること」




 考え込むように腕を組んでいたウリバタケはジロリとルリを睨む。

「………………できるかもしれねぇぜ」



 ルリがウリバタケの眼を見つめた。


「リリーちゃん3号用に超小型重力波ユニットを開発しといたんだが…………まさか、こんなことに使えるなんてな」


「お願い…………できますか?」



 ウリバタケはフッと笑みを浮かべる。

「ルリルリにお願いされちゃあ、断るわけにはいかねぇな。…………だが、ナデシコから離れると使えなくなるのは痛てぇな」



「ええ。その点に関してはサブロウタさんもぼやいてました。攻勢の幅が狭まる武器など使えないって。戦艦で篭城戦など、ほとんどありませんから」




「??…………サブロウタ?」


 ウリバタケの質問にルリが眼を伏せた。

「……………………『前』の『戦友』です」



「そっか」



 ウリバタケは眼鏡を直し、ゆっくりと息を吐いた。

 これで、前々からの疑問に確信がもてた。


 やっぱ、ルリルリは戦艦に乗ったのは初めてじゃねぇ。


 地球脱出時やコロニーの戦闘から見て、そうじゃないかと予想していた。

 一人でこの複雑な『ナデシコ』のシステムを統括している手際から見るかぎり、どこの戦艦でも引く手、数多だっただろう。


 もし、ルリルリが戦艦に乗ったことがあるとするなら…………それは…………第一次火星会戦。

 そこで地獄のような体験をすれば、今のルリのように子供とは思えないほど自立心が育つだろう。いいことだとは決して思えないが。



 感情が乏しいのは、その時のショックだろうか?

 だが、何故また戦艦に?どうして、火星に?





 グルグルとエンドレスな疑問が頭の中を渦巻いているウリバタケに、ルリがぼそっと告げる。

「あと……ニ十日です」




「え?なんだって?」


「あと、20日で火星に着きます。ノーマルエステ用大型レールカノン…………完成しますか?」

「ああ、そのことか。アキトのエステバリス・カスタムもそろそろ終わるしな。まあ、整備班の連中にはちょいと働いてもらうが、全員、新しい物好きなんだ。大丈夫。任しときな」


「では、お願いします。私はこれで――」


「もう、帰んのか?」



 眼の下にクマを作った無表情の、無感情なやつれた金の瞳がウリバタケに向けられた。

「はい。…………四日の徹夜は応えますから。帰って寝ます」

「ハハハハハハ。そりゃ、引き止めちゃ悪いな。差し入れありがとよ、ルリルリ」



「では、お先に」


「おう。おやすみ」










 一人になった薄暗い部屋で、頭の後ろで手を組んだウリバタケは天井を仰ぎ、ギシリと椅子を軋ませた。


「新兵器の『視察』…………か。そいつは本来………………『艦長』の仕事だぜ」







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