「うぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」


 ユリカは艦長用コントロールパネルに肘をついて、考え込んでいた。



 深く深く考え込んでいた。


 さらに、考え…………。




 プシュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!






「あらぁ。艦長。また、知恵熱で頭から湯気出してるぅ」

「これで、14回目」

「……………」

 呆れた笑いを浮かべるのが一名。仕事しながら振り向きもしないのが一名。同じように考え込んでいるのが一名。


 今、ブリッジには女性しかいない。



 他の者は、夜勤だったり、先日の被害レポートを纏めるのに四苦八苦していたり、シミュレーター訓練機に篭もっていたり、自室でお茶を啜っていたり………と、各事情でいなかった。



「はあぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 ユリカは魂が抜け出るような、深い溜息を吐いた。



 飼主がいなくなってオロオロとしている子犬のような表情を浮かべているユリカに、ミナトが訊く。

「また、アキト君のことで考え込んでるのぉ?」



「だって〜〜〜〜〜〜!!アキトったら、ここ一週間、まともにお話してくれないんだもん。ぜんぜんお話し聞いてくれないし、喋ったとしても――」

 ユリカは真面目な顔を作り、低い声で、

「『ああ』とか『そうか』とか『話す必要はない』とか――」

 眼に涙を浮かべながら、縋るような声で、

「言うんだよ〜〜〜〜〜〜〜。アキト!!絶対に変だよ〜〜〜〜!!

 胸の前で手を組んで、ミナトに訴えた。




 変……というのは違うんじゃないかな。と、ミナトは思う。

 それは『元に戻った』といったほうが的確のような気がする。


 アキトがロボットから出てきたと聞いたミナトは、ルリのことで説教してやろうと勇んで食堂に行ったのだが、そこで息を呑んだ。

 そこにいたのは、ナデシコに乗った当初のようなアキト。

 無用に殺気を撒き散らしていないが、明らかに人を避けるようなオーラで他人と壁を作っているアキトがいた。


 さすがのミナトも話しかけることさえできなかった。


 その時の様子を思い出して、小さく吐息をつく。



 まぁ、アレが原因でしょうけどねぇ。





「ねぇ〜〜〜〜〜〜。ミナトさん。どうしたら良いかな〜〜〜〜〜?」


「さぁ。ワタシに訊かれてもねぇ」

 ミナトはユリカの質問をさらりと流した。



 正直、ミナトは今回、ユリカ・メグミ・リョーコの頼み事を聞く気にはなれない。

 知らなかったとはいえ、ルリの『チキンライス』を奪い取った三人娘の行為を許せていなかった。


 メグミに相談されたときも、適当に受け流していた。



「うぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。そうだ!!ルリちゃん!!


「はい?」

 ルリがモニターから顔を上げずに、ユリカに返事をした。



「ルリちゃんはどう思う?」


「何がですか?」

 やはり、ルリの眼はモニターに向いたままである。



「だから、アキトのこと――」

「テンカワさんとは、ここ一週間ほど会っていませんが」



 振り返りもせず淡々と返事をするルリに、ユリカはムッと頬を膨らませた。

「ルリちゃん。お話をするときは、人の眼を見ること!!そう教わらなかった?」

「『昔』、『家族』だった『姉』に言われた事は、ありますが――」

「知ってるなら、こっちを見なさ〜〜〜〜〜〜い!!」



「………ふう」


 小さく溜息をついたルリが、メインモニターに呼びかける。

「『コルリ』、あとをお願いします」



オッケ〜〜〜〜〜〜〜〜イ!!
 あとはエンジン周りの最終チェックだけだね。
楽勝、常勝、必勝!!

 グルグルマジメ眼鏡をかけた『コルリ』がVサインとともに現れた。



「そこが、一番重要です。手を抜かないで」

わ〜〜〜ってるって!!任しときっ!!


 ビシッ!!と親指を立てた『コルリ』に確認作業を任せたルリがくるりと振り向く。

いまいち不安です。…………………で、何ですか?艦長」



「あのね。アキトのことなの!!

「先も言った通り、テンカワさんとは会ってませんが?」

「アキトね。最近、機嫌が悪いの」



 メグミは首を傾げた。

 あの、人を寄せ付けない壁は……………………機嫌が悪いからだろうか?

 とてもそうは思えないんだけど。




「それでね。ほら、アキトって、ルリちゃんのこと妹みたく思ってるでしょ。だから、ルリちゃんが言えば機嫌直してくれるんじゃないかな〜〜〜って」




 艦長からルリへの『お願い』に、メグミは眉を顰めた。



 それは、恋人の機嫌が直らないから、恋人の妹に取り成しを頼むことに相当する。

 自分では恋人の機嫌が直せないと降参したことに他ならなかった。


 しかも、艦長はどう思っているか知らないが、恋人同士でないのだ。その行為は、自分の女としての株を下げることに当たる。

 さらにいうならば、取り成しを頼む相手は彼から見れば妹のような年齢だが、正確には妹ではない。


 もし、ルリちゃんがアキトさんの今の状態を打開してしまったならば、それはアキトさんにアピールしている自分らが『ルリちゃん』に負けるという意味であった。


 なんで、艦長は気づかない?




 メグミはユリカを止めようとして――、



 別に、降参したのは艦長であって自分じゃない。女の誇りを下げるのは艦長だけ。


 …………たしかに、今のままでは埒があかなかった。

 アキトさんが話を聞いてくれる状態でないと、自分のアピールも上手くいかない。

 最近、リョーコが思い悩んでいるようなので、チャンスかと思ったが背に腹は変えられない。


 一瞬で打算し、結論を出したメグミは艦長とルリを黙って見つめるだけにとどめた。







 ルリがユリカの『お願い』に首肯した。

「かまいませんけど…………、私が言って聞くテンカワさんではありませんよ」


「それは…………ほら。試してみなきゃわかんないし」

「…………はあ」


「さて、あとはアキトを呼ぶだけだね」



 メグミは挙手する。

「もう呼んであります。アキトさんに出前、頼んでありますので」


「メグちゃん。用意周到だね」



 メグミはこの機会を利用して関係修繕を図ろうと考えていたが、艦長の思惑に乗ることにした。

 自分も、今のアキトを諭せるとは思えなかったから。





 ミナトは何も言わずに三人の話を静かに聞いていた。

 メグミやユリカが何を考えているかは、手に取るようにわかった。

 だが、ルリは?


 ルリがアキトに対してなんと言うか興味があって、頬づえをつきながら静観していた。




 ブリッジの扉が開く。




「あ〜〜〜〜〜!!アキト!!アキト!!アキト〜〜〜〜〜!!」


 毎度毎度の、ユリカの大音声にミナトとメグミは手馴れたように耳をふさいだ。



 ユリカの歓声を黙殺したアキトは真っ直ぐ、メグミのところへ向かった。


 アキトの冥府を覗くかのような(くら)い瞳と凍りついた固い表情、室温を下げるような威圧する雰囲気に、メグミは強張った愛想笑いを浮かべることしかできない。



 ナデシコ印の岡持からサンドイッチを取り出したアキトは、無言でメグミに皿を手渡し、――――そのまま、踵を返した。



「あっ!!アキトさん。待ってください!!」

 メグミの声など聞こえなかったように、何の反応も示さずアキトが歩いていく。



 焦ったメグミは声を荒げた。

「あのっ!!ルリちゃんが、お話があるって!!」




 ピタリとアキトの足が止まる。



 メグミの心中に、安堵と悔しさの入り混じったものが渦巻いた。

 が、メグミは黙ってアキトを見ていた。


 今は………………文句をつける時じゃない。






 氷の仮面のような表情でアキトが振り向いた。


 ルリの人形のような感情の無い金の瞳と、アキトの死人のような(くら)い虚無の黒の瞳が見つめ合う。



 いつもなら騒ぎだすユリカも、今は神妙に二人を見守っていた。

 普段、場違いに騒がしいブリッジに緊迫した沈黙が漂う。



 だが、ルリは喋らない。温度の稀薄な無機質の視線をアキトに送るだけであった。


 アキトの方は、全ての温度を呑みこむ底無しの冥い虚無の瞳で、ルリを見返す。




 先にアキトが口を開いた。


「なんだ?」





 意味など含まれていない無意味な楽音のように、ルリが一言、発した。




「バカ」






 ユリカ・メグミ・ミナトは唖然とルリを凝視し、『コルリ』は作業を放り投げて、面白い展開になりそうな二人を眺める。





 口を閉ざしたアキトに、ルリがまったく抑揚の無い無機質な声音で、言葉を重ねた。


「二日間、こもって出した結論が、『それ』ですか…………バカです。テンカワさん」





 ユリカはパクパクと口を開けたり閉じたりするが、声を出せなかった。

 自分が頼んだのはアキトとの『取成し』であって――――断じて、挑発ではない。





 アキトが硬質の表情と沈黙を保ったまま、ルリを見つめ返した。


 アキトの視線の温度が冷えていき、ルリの視線の温度が消えていく。



 二人は微動だにしなかった。






 色の無い静止。



 突然、再生を止められた白黒の無声映画のワン・シーンのような、灰色の静止。




 空気の分子や時間さえも止まったかのような二人の様子に、メグミ・ミナト・ユリカは声無く見つめる。





 アキトを取り捲く雰囲気は奈落の底に繋がっているかのように、なお濃厚に冥く。

 ルリの気配が霞み消え、周囲の機具の一部と化し、無機物と薄れ込む。



 緊迫しているのに、簡単に壊れ、崩壊し、二人を巻き込んで溶けて消えてしまいそうな空気が、アキトとルリを包み捲いた。

 嵐の中で、一瞬できた凪が不自然な均衡を保っているような――――そんな、緊迫。





 異質な空間を作る二人に、ユリカとメグミは『瑠璃』に頼んだことを『間違い』だったと、ようやく悟った。

 この二人は、アキトと瑠璃は――――『逢わせてはいけなかった』ものだ。決して。


 けれど………………時は、戻せない。





 いつもの梳かしていない黒髪に、厨房係の制服を着崩しているアキトは、手を軽く握り、無言で佇ずみ、

 白銀髪をツインテールに纏め、ブリッジクルーの制服を一分の隙も無く着こなしているルリは、手を腿の上に置き、膝を合わし足を揃えて、微動せずに椅子に座っている。





 アキトの奈落の底に繋がる底無しの闇黒の瞳を、全ての感情が消去された無機質な琥珀ガラス球の瞳でルリが見据えた。



「テンカワさんは…………何故、ナデシコに乗ったのですか?」




あたしのためだよ!!

 ユリカは、緊迫しているのに今にも揺らめき霞み薄れ消えてしまう蜃気楼のような二人に、声を上げた。

 現実感の無い灰色の空間ごと、朧に、消えてしまいそうだったから――。

 この世界から、いなくなってしまう…………そんな根拠の無い不安が背筋を這い昇ったユリカは必死になって、己の声で二人をこの世界に繋ぎとめる。

だって、アキトはユリカの『王子さま』だもの!!






 冷たく冷えきった灰色の静止の中で、アキトの虚無の瞳とルリの無機質な瞳が合い互う。


 互いに、ただ、眼を合わせているだけ。――――だが、それは『睨み合い』と呼ばれるものだった。


 一番的確な表現をすれば『死人』と『人形』の睨み合い。

 永劫に黄泉しか映さない死人の瞳と、そこに存在するだけの無機物なガラス球の瞳の、どこまでも交わることのない『睨み合い』。






 二人は互いに眼を合わせ――――睨み合ったまま、ルリの温度の消えた吟声が、ブリッジに透り、響き、共鳴する。


「テンカワさんがナデシコを護る限り、ナデシコクルーはテンカワさんのことを、『忌み嫌う』はずありません」


 ルリの琥珀の双眸にかかる銀の前髪が微かに揺れた。

「テンカワさんの『それ』は、ただの自己満足…………いえ……自己陶酔です」





 アキトの凍りついた表情と冥い奈落の瞳は変化しない。ただ、無言で、時すら呑みこむ死人の眼をルリに向けている。




「いくら、外見を見繕っても………………何も…………変わりません」

 緊静のブリッジの中、ルリの無感情な声は、アキトまで響く。しかし、その言葉は己に向けて発されたような言意だった。



 全てを語ってしまったかのように口を閉じたルリが、無機質な彫像と化したように、無機物の眼と無表情をアキトに見せる。





 アキトを捲き包む闇黒の雰囲気が奈落の底の冷獄よりも、なお一層に、冷えていく。




 無言で佇んでいたアキトが、己の罪を噛み砕くように辛痛を洩らす。


「俺はルリちゃんに…………『殺す』と言った」



「はい」




 ユリカとメグミは自分が聞き間違ったかと思い互いに眼を見合わし、ミナトは右手を握り掌に爪を立てた。





 冥い双眸が暗さを塗り重ね、アキトの(くら)く低い声がブリッジに墜ちる。


「俺は……………俺を許さない」





「そうですか」




 アキトの奈落から響く冥い声音とは対照的に、ルリの一切、温度と感情のない無機質な声がブリッジに透った。







 自重の無い一片の羽根のように、ふわりとルリが椅子から立ち上がった。


 亡霊のようにゆっくりとアキトに歩み寄るルリを、ミナト・メグミ・ユリカは凝視する。



 アキトの眼の前で、ルリが滑り止まった。






 光さえ呑み込む闇黒星(ブラックホール)の底無しの虚無の瞳と、鏡のように眼前の姿を鈍く反射するだけの琥珀ガラスの瞳が、互いを見合わせる。






 すうぅとルリが背を伸びをし、

 パンッ!!


 白い掌で、アキトの頬を張った。




 乾いた音とともに、灰色の空間が破する。






 あまりのことに、固まっているユリカ、メグミ、ミナト。

 フリーズ中という立て札を掲げるコルリ。



 愕然とした沈黙が墜ち、誰も動かない。





 アキトの視線の先で、小さな薄桃色の唇が動く。

「これで、その件はチャラです」



 くるりと身を翻したルリが、すたすたとオペレーター席へ戻り、プログラム画面を立ち上げた。






「なんで…………なんで、ルリちゃん!!アキトを叩くの!?

 ようやく、再起動を果たしたユリカが震怒する。




 ユリカの怒声を黙殺したルリは、振り返りもしない。



 ユリカが沈黙しているアキトに駆け寄り、

「大丈夫だった?痛くなかった?酷いよね、ルリちゃん!!何も言わずに叩くんだもん!!」

 ルリを睨みつけた。


「ルリちゃん!!アキトに謝りなさい!!」


 ユリカの激怒など聞こえないかのように、ルリは無言でプログラム画面を眺めている。



「謝りなさい!!ルリちゃん!!」



 ムッとミナトが眉を潜め、椅子から立ち上がった。

「ちょっとぉ、艦長!!アキト君は叩かれるようなことを言ったんだからぁ、ルリルリが悪いわけじゃないわ!!」


「アキトがそんなこというはずありません!!あったとしても、何かしら事情があったはずです。それを聞きもしないで叩くなんて、言語道断です!!




 自己の主張を曲げないユリカとミナトは、真正面から、いがみ合いを始めた。





 アキトとルリのことで――――『他人』のことで、ユリカとミナトが本気で諍いを起こすのを見て、アキトが微かに氷の表情を崩す。




「こんなことをしていても、…………なにも…………変わらないか」




 ルリが振り向きもせず、アキトの呟きに返答した。


「はい。テンカワさんのそれは単なる『甘え』です」






「きついな。…………ルリちゃんは――」






 ルリが首をわずかにひねり、金の瞳だけでアキトに視線を送る。


「そうですか?よくわかりません。私…………………少女ですから」




 アキトは喉を小さく震わせた。


「その逃げは卑怯だと思うよ。ルリちゃん」

「そうですか?」

「そうだよ」

「そうですか…………」

「そうだよ」




「そうですね」








「ああ。……そうさ」




 アキトは薄く微笑みを浮かべた。









 メグミはアキトの一週間ぶりの微笑みを見つめ、

 無言で、ギュッと両手を握り締めた。




 と、アキトの鼻先にユリカが迫る。


「ずるいよ、アキト!!ルリちゃんとばっかり、お話して!!ユリカのときには、ぜんぜん返事もしてくれなかったのに!!」



 大声で想いを叩きつけたユリカの濡れた眼に涙が浮かぶ。




…………ひどいよ。……………………アキト…………






 光の加減で蒼く反射するユリカの眼から、ツゥと涙が一筋、流れた。







 アキトは僅かに顔を顰める。

「泣くほどのことでも…………………ないだろう」




 ミナトが天を仰ぎ、メグミが首を振り、コルリがバンザイをした。









「アキトのブァッッッッカアァァァァァッ!!


バァァァァチィィィィィィンッ!!



 アキトの左頬に、ユリカの特大のビンタが炸裂した。










「アキト君が悪いわねぇ」


「ええ、アキトさんが悪いですね」


「アキトニィが悪いよ〜〜」


「バカ」





 張られた頬を抑え、アキトは四人の言葉にたじろぐ。


「叩かれたのは、……………俺なんだが――」





「朴念仁」


「鈍感」


「天然」


「バカ」





「……………」


 アキトは反論すらできず、いつもの何とも言えぬ顔を作った。














「手を上げろ〜〜〜〜〜!!」



「「「へっ!?」」」

 突然、響きわたった大声にユリカ、ミナト、メグミの三人娘は顔を見合わせた。

 コルリがにんまりと笑みを浮かべる。




「我々は断固、ネルガルに反対する〜〜〜〜〜〜〜〜!!」





 アキトは薄い笑みを浮かべた。

「そうか。もう、そんな時期か。長いようで、短かったな。…………この休暇も」




 ブリッジの出入口にはウリバタケを先頭として、ヒカル、イズミ、数人の整備班員たち。そして銃を突きつけられて両手を上げているジュン。





 面白そうに彼らを見回していた『コルリ』が眼を瞬き、首を傾げた。

「あれ?リョーコパイロットは?」


 前髪を掻き揚げたイズミがボソリと呟く。

「…………宇宙相撲」

「は?」

「相撲…宇宙……四股…宇宙…………しこ…うちゅう…………思考中…………ククククク」



「――――――――――」



「新鮮な氷…………こおりがフレッシュ………こおりがふれす………コルリがフリ〜〜ズ…………クックックックッ」









    『『コルリ・H・ホタル』は

         不正な処理を行ったので強制終了します。

         終了しない場合は、製造元へ連絡してください』






「オモイカネ。…………『コルリ』を再起動」
『………………了解』





「あの〜〜〜〜。どうしたんですか、皆さん?」

 先ほど、涙を流したことなど、ケロリと忘れたかのような口調でユリカが尋ねた。



「この一ヶ月で、ネルガル社員の待遇は実感できた。だがっ!!俺たちはそんなこと知らなかった!!」

 ウリバタケの猛りに、うんうんと賛同する反乱者たち。



「なにやってんだ?ジュン?」

 ユリカが頬に指を当てて、小首を傾げた。

「なにが、知らなかったんですか?」

「訓練室にいたら、つかまっちゃってね。
テンカワは?」

「こいつだよ!!いまどき、契約書よく読んでサインするやついるか?
 どうだ!!

「出前の途中だった」

 ウリバタケが突き出した契約書にユリカが眼を丸くする。

「うわ!!細かい!!」

「君もよくよくついてないね」

「その一番下の小さい文字を読んでみな」

 ウリバタケは契約書を顎でしゃくった。

「お前ほどじゃない」


「え〜〜〜〜〜。
 『社員間の男女交際は禁止しませんが、風紀維持のためお互いの接触は手をつなぐ以上のことは禁止』
 ………………なにこれ」

 読み上げたユリカが顔を上げた。

「確かに。……なあ、テンカワ?」

「読んでの通りだ」

「ん?」

 ウリバタケは隣にいたヒカルとイズミの手を握った。

「なっ!!わかったろ。お手てつないでって、ここはナデシコ保育園か?いい若いもんがお手てつないですむわきゃなかろうが?


 黙って手を握られているイズミとヒカルではない。ウリバタケの鳩尾に手加減なしの肘打ちを喰らわせた。


「その頬の手形どうしたんだ?
なんで、引っ叩かれた?」

「…………俺は…………まだ若い…………」

「……いや……なぜ張られたのか、
…………俺もよくわからない」


 アキトと喋っていたジュンは、鳩尾を押え苦悶に顔を歪めるウリバタケにツッコム。

「若いですか?」


「若いの!!」

「それ。俺の台詞だったんだがな」
「こうでもしないと、僕の出番がないんだ」

「若い二人が見つめ合い。見つめ合ったら――」

「苦労してるな」

 ウリバタケの朗々とした歌唄にヒカルが合いの手を入れる。

「唇が♪♪」

「君ほどじゃないさ」

「若い二人の純情は純なるがゆえに不純――」

「……反論できん」

「せめて抱きたい、抱かれたい♪♪」








「そのエスカレートが困るんですな〜〜」

 艦橋にスポットライトが当たり、プロスとゴートが颯爽と現れた。




「キサマ〜〜〜!!」



 怒声を張り上げるウリバタケにプロスが指で丸を作り、皮肉気な笑みを浮かべる。

「やがて二人が結婚すれば、『お金』かかりますよね。さらに、子供でも生まれたら、大変です。ナデシコは保育園ではありませんので。はい」







 彼らのやり取りを眺めていたルリが、ポンと手を打った。


「艦長がテンカワさんに抱きついているのって…………あれ、契約違反だったんですね」






 ユリカが愕然として振り返る。

「え!?でも、ユリカは艦長さんなんだよ!!」



「艦長だろうが、班長だろうが、契約は契約です」

 眼鏡を押し上げるプロスに、ユリカが焦って訊いた。

「そ、そんな!!それじゃ、アキトに頬擦りしたり、抱きついたり、チュ〜〜するのは禁止なんですか!?」

「もってのほかです」



 ユリカが痛恨のダメージを受けたように、ふらりと揺れる。


「か、艦長命令で――」



「許されません」





 ウリバタケは握りこぶしを振り上げる。

「よ〜〜〜〜し!!艦長!!俺たちと断固、徹底抗戦だ!!」



「はいっ!!」





「ユ、ユリカ〜〜〜〜〜〜〜!?」

 あっさりと反乱軍に寝返ってしまったユリカに、ジュンは慌てふためいた。




 ウリバタケは握りこぶしをジュンの胸の前にかかげる。

「さあ、艦長はこっちの味方についたぜ!!ジュン!!お前はどうする?」



「え?え?えっ!?







「手…………つなぐまで、でしたよね」

 ルリがぼそっと呟き、無感動な眼差しでジュンを眺めた。







 その呟きに、ウリバタケはまじまじとジュンに視線を送る。


「そっか、手ぇつなぐまでか」



「手……………ねぇ」

 全員がじっとジュンを見つめた。




「え?え?えっ!?


 突然、全員に注目されたジュンは一歩、後退った。





「ジュンさん、じゃ………ねぇ」

「ジュン君、じゃ………ねぇ」

「ジュン、じゃ………ねぇ」

「アオイくん、じゃ……」

「……………だな」





「「「「ジュン君じゃ…………ねぇ〜〜〜」」」」


 皆の容赦ない指摘に、プルプルと震えながらジュンは無言で耐えている。






















「一生無理」










「ウワアアアァァァァァァァァァァァン!!」


 決定的な一言に、ジュンが泣きながら廊下をダッシュしていった。









「なんで泣いちゃったんだろ?
ルリちゃん。本当のこと言っただけなのに」

「あ〜〜あ。泣いちゃった」

「艦長。あんたも結構、ひでぇな」

「そういう、メグちゃんだってぇ、煽ったくせにぃ」

「えっ!?なんでです?」

「でも、言い出しはアタシじゃありませんよ。それにトドメも」




 二人は間に立ってる無表情の少女を見下ろす。




 ルリが横目でミナトを見上げた。

「次は、どっかのムッツリさんと、どこかのおねーさんのことでも暴露しようかと――」


 ミナトの頬が引きつる。


!!……な、なんのことかなぁ〜〜〜!?ルリルリィ!!」






 ルリが視線を正面に戻した。


「さあ?わかりません。……………………私、少女ですから」









「…………………………………………嘘つきぃ」










 ドオォウゥン!!


 突然の轟音とともに船体が揺れた。


「うわっ!!」

「ウオオオオワッ!!」

「きゃっ!!」

「おっと!!」

「な、なんだ!?」

『起動シーケンス終了。『コルリ』再起動』

はっ!!あ…………あれ?アタシ、今まで何やってたんだろ?」

「来たか。………いや、着いたといったほうが正確か」

「………………火星」



 もう一度、轟鳴と振動がブリッジを――――『ナデシコ』を襲う。



 皆が床に手をついている中、アキト・プロス・ルリの三人だけは揺れをものともせず、立ったままスクリーンを眺めていた。

 そこに映るのは、宇宙空間に無数に浮かぶ木連戦艦。


「あれ?反乱は?アタシも参加したかったの〜〜!!


 床に手をついたまま、ユリカはルリに尋ねる。

「ル、ルリちゃん。フィールドは?」


「フィールドは利いていますが、迎撃が必要です」

 無表情のルリがメインモニターを眺めながら、いつものように冷静に返答した。



「クスン。反乱…………楽しみにしてたのに」






 立ち上がったユリカは、ブリッジを見回した。


「皆さん、聞いて下さい!!
 契約書についてのご不満はわかります。けれど、今はその時ではありません。
 戦いに勝たなきゃ、風紀も、葬式も、結婚式もありません!!

アキトと結婚式やるまで、あたしは死にたくな〜〜〜〜いっ!!!!」




 ユリカの真心がこもりまくった大声に、クルーは互いに苦笑を浮かべ合ってから、持ち場に戻っていく。







 ユリカの凛とした声が艦内に響き渡った。

「艦内第1種戦闘態勢!!これからが本番です!!」





















 オペレター席に着いたルリは、次々と表示されていく敵艦の情報を眺めながら呟いた。


「ここからが…………………………………『運命』への、反逆の始まりです」






あとがき

こんにちは。ウツロです。


祝!!ジュン君版ハーリーダッシュ!!



ま、それはさておき。…………珍しいものじゃないし。



ルリルリ、出づっぱりです。

過労死するんじゃないか…………この子。

今回、たくさん働いた分、次回は……………………やっぱり、出番多し!?


 では、次回!!






管理人の感想

ウツロさんからの投稿です。

いやぁ、緊迫感のある文章でしたねぇ

アキト(狂ってる)vsルリ(無表情)はやっぱり良いですなぁ(爆)

それ以外では、フォローに走りまわるルリルリ。

・・・ユリカ、ますます影が薄い馬鹿な女になってます(苦笑)

しかしイズミにはこのルリでも勝てませんか、やっぱり(汗)

それと追い詰められた漫画家にも(大汗)

 

大活躍ですねぇ・・・このルリルリ