「たっだいま〜〜〜〜っと」

「ったく。とんだ無駄骨だったぜ」

「骨折れそうな帷子猛犬……………骨折り損のくたびれ儲け…………クククク」

 ヒカル、リョーコ、イズミの三人は軽口をたたきながら、ナデシコブリッジに入ってきた。


「おや。艦長は?」

 プロスがユリカの姿を探して、ブリッジを見回す。


「そういや―――」

 リョーコと艦長席に座っているルリの眼が合った。



 一世代前の連合宇宙軍の艦長服を着ているルリが、無表情でVサインを出す。

「艦長代理です。ブイ」



「「「……………………」」」

 三人娘は唖然と口を開けたまま、声が出ない。


 驚愕したプロスが、ルリに尋ねた。

「か…………艦長はどちらに!?」



「テンカワさんとユートピア・コロニーを見に行きました。あ、メグミさんも一緒です」



「あのバカは…………艦長職を何だと思ってやがる」

「でも、艦長らしいね〜〜」

「勧善懲悪…………勧懲…………艦長…………やっぱり悪は倒すべき…………ククククク」

 三人の至極当然な愚痴を、ルリはあっさりと聞き流し、話題を変える。

「で、オリンポス研究所の方はどうでしたか?」

「あ〜〜〜、ダメダメ。な〜〜んも無かったぜ。子猫一匹いやしねぇ」

「研究データ等も、すでに持ち去られておりました。完全撤退した後のようでしたな」

「うん。も〜〜、何ヶ月も前から使われてなかったみたい」


 ヒカルたちの報告に、ルリが頷いた。

「まあ、いくらシェルターになっていても、あんな目立つところにいたら、敵戦艦のグラビティブラストでお陀仏ですから、当然でしょう」


 当たり前と言われれば、当たり前であった。


「おめぇなあ…………わかってんなら、初めからそう言えよ」

 恨めしそうに睨み上げるリョーコに、ルリが淡々と返答する。

「それでも可能性だけはあったので、止めませんでした。それに、暗号化されたメッセージがあるとも限りませんので」

「リョーコ君たちが戻ってきたって?」

「う………………まあ、そりゃそうだけどよ」

「ジュン副艦長。遅いよ。報告、終わっちゃったよ
はい。これ、そのレポート」

 プロスが、眼鏡を押し上げた。

「で、艦長たちからの連絡は?」

「あ、ありがとう」

「音沙汰無しです」


「コミュニケ通信したらぁ?」

 ミナトがダイエットコーラを啜りながら、ルリに尋ねる。

「ダメです。その通信によって、こちらの位置がばれるならともかく、テンカワさんたちの位置が判明され、火星中の木星蜥蜴が集まってきたら、目も当てられません」


 プロスが心労から来る溜息を深深と吐いた。

「困りましたね〜〜〜。やはり、待つしかないのでしょうか?」


「そうですね。でも、悠長に待ってるわけにはいかないと思いますよ」


「「「「え!?」」」」

 意外な台詞に、ブリッジクルー全員の視線がルリに集中する。と、同時に、

「ルリネェ!!距離、2200。上空より、木連戦艦7隻。バッタ多数!!」

 コルリが叫び声を上げた。



「「「「「 !! 」」」」」

 全員の視線がメインモニターに集まる。



 上空から降下してくるニ重の『Y』字を横にしたような双胴型戦艦が七隻、メインモニターに拡大表示された。


「やべっ!!格納庫に――」

「待ってください」

「だがよ!!」

 ルリの制止に、リョーコが振り返った。




 ルリが冷静に艦内放送を繋げる。

「艦内第一種戦闘態勢。休憩中だった方は全員、ただちに持ち場に戻ってください。繰り返します。艦内第一種戦闘態勢」


 そのまま、ルリがリョーコたちに視線を下ろした。

「パイロットはブリッジにて待機。ブリッジ前方の椅子へ」

「おいっ!!ルリ!!」



 無感情な金の双眸をリョーコに当てる。

「艦長代理命令です」



「ぐっ!!」

 命令しなれているルリの眼と声に、リョーコは声を詰まらせた。




 ルリを覆い隠すように各種データ画面が展開する。



 それらに、ざっと視線を走らせたルリが、口を開いた。

「コルリ。グラビティブラスト・チャージ」



「は〜〜〜〜い!!エネルギー値、こんなもん!!バイパス計算、適当!!相転移バランサー、だいたい!!砲軸、見た目オッケ〜〜!!重力歪曲値、勘!!

 グラビティブラスト・スタンバイ!!



「「「「「「ちょっと待ていっ!!」」」」」」

 全員のツッコミがコルリに炸裂した。


「なに?」

「なにって〜〜、そんなんでいいの〜〜?」



「うん!!ルリネェに貰った『グラビティブラスト虎の巻』に書いてあったもん!!

 エネルギー計算、その日の気分。バイパス計算、面倒いから途中を端折って。相転移バランサー計算、目分量。砲軸計算、撃って当たれば儲けもの。重力値計算、なにそれ?って」



「「「「「「ルゥ〜〜〜〜〜〜リィ〜〜〜〜〜〜〜」」」」」」

 コルリのあっけらかんとした台詞に、ブリッジクルーが冷汗を垂らしながら、半眼をルリに差し向ける。



 皆の批難の視線を受けながらもルリは、いつもの取り澄ました無表情で敵戦艦を眺めていた。

 が、頬が薄桜色に染まっている。どうやら、恥ずかしいらしい。


「……………………グラビティブラスト。発射」



 ナデシコから発射された黒光の渦流が敵艦隊に直撃し、空間に白色の閃光が満ちる。

「おお〜〜、本当に撃てた〜〜」

「どうも、あのコルリって信用できねぇんだよな」

「敵に当たる………………敵当…………適当…………プクククククク」

「ルリルリ艦長代理ぃ。発進準備かけた方がいいかしらぁ?」

「まあ、何事も無くすみましたね」

「ムウ。ここも安全では無くなってきたな」

「早く、ユリカたちを迎えに行かないと」


 ブリッジに、クルーたちの安堵の吐息が洩れた。ルリとコルリを抜かして。



 白い発光が収束すると、何事も無かったように7隻の戦艦が、悠然と姿を現した。

「ええぇ〜〜〜〜〜!!」

「うっそ〜〜〜!!」

「そんなっ!!」

「グラビティブラストが…………効かないだと」



 ブリッジの喧騒を断ち切るように、ルリの命令が響き渡る。

「ディストーションフィールド出力最大。コルリ、オモイカネ。解析」


「敵のディストーションフィールドが火星宇宙域艦隊のものと比べると〜〜〜、二倍から三倍に強化されてま〜〜ス。ナマイキッ!!

『敵戦艦を倒すには最低、三発の連射が必要』

 頬を膨らませたコルリの横に、オモイカネの解析結果が表示された。


 それを見て、ゴートが進言する。

「グラビティブラスト。連射だ」


 艦長席のルリが横目でゴートを見上げた。

「ゴートさん。ここは地上です。真空でない為、相転移エンジンの反応が悪すぎます。連射は出来ません。仮に出来たとしても、二発目、三発目は確実に今よりも弱くなります」

「た…………たしかに」


「よっしゃ!!出番だ!!ルリ!!出撃命令を出せ!!」

 拳を握り締めるリョーコに、ルリが首を振った。


「な、なんでだよ!?」

「敵戦艦はフィールドを強化してます。ノーマルエステ用大型レールカノンで破壊できる勝算は、五分五分です」

「三発で無理なら、フィールドをぶち破るまで撃ちまくるさ」

 獰猛な唸り声を発するリョーコを、ルリが淡々と諌める。

「忘れてませんか、リョーコさん。ここは有大気域の惑星重力下です。
 質量兵器はディストーションフィールドに有効ですが、空気抵抗と重力の影響を多大に受ける兵器です。宇宙空間ほどの威力は出せません」

「じゃあ、どうすんだ!?」



 ルリは格納庫にコミュニケ画面を開いた。

「ウリバタケさん。『(エックス)』は出せますか?」

「無理だ。まだ、電装関係までしかいってねぇ。小型相転移駆動機関(ドライヴエンジン)もまだだしな。出撃なんて、到底できっこねぇ」

「そうですか。アレがあると楽だったんですが…………仕方ありませんね」


 真剣な表情をしたジュンが、ルリの真横に立った。

「ルリ君。艦長代理権限を僕に――」


 首を横に振り、拒否を示すルリ。


「ルリ君!!」

「アオイさんが艦長代理になったとして、何か策はあるのですか?」

「うっ………………それは…………」

 あっさりとルリに言い籠められたジュンに、ゴートが一瞬、何か言いたそうな顔になったが、今はその時ではないと、すぐに視線を落とした。

「星野。いや、星野艦長代理。ここは一度、引くべきだ」


 ルリが正面のメインモニターを見つめる。

「どこへ、引くんですか?ここは―――火星全域は木星の支配下です」

「しかし――」





「宇宙へ出ます」





「「「「「宇宙!?」」」」

 全員の素っ頓狂な声がブリッジに響いた。



 次々にデータを展開しながら、その画面にルリが視線を走らせていく。

「わざわざ、不利な状況下で戦うことはありません。上空から敵を焼き払います」



「だけど、あの戦艦七隻をどうにかしないと、宇宙にも出れない。軌道上に上がる前に、地上からの連射で破壊されるぞ!!」

 動揺し慌てるジュンに、ルリがわかっていると頷いた。



「コルリ、オモイカネ。

 ワンマンオペレーションシステムプログラム・スタンバイ」



「りょ〜〜〜かい!!」

『OK』


「ミナトさん、操舵もらいます。アオイさん、武器管制は私が。ゴートさん、策敵をAUTOに変更」



 各種ウィンドウがルリの周りを覆うように展開。

 ルリの可動式の椅子が起き上がり、半立ちのような姿勢になる。

「特殊戦闘態勢パターンに移行」

『ルリルリモード起動』

「ワンマンオペレーション。正常展開ちゅ〜〜〜〜!!」


 ブリッジの明度が徐々に落ちていくと同時に、ルリのナノマシンパターンが淡く発光し始めた。


「な……なんだ?」

「ルリルリが〜〜光ってる?」

「うっそぉ」



「フィードバックレベル十六まで上昇」

『危険』

「ルリネェ。せめてレベル十で押さえておこうよ。脳に過負荷がかかるよ!!」


 顔にナノマシンパターンを発光させているルリが断固とした口調で繰り返す。

「レベル十六まで上昇。艦長代理命令です」


『了解』

「うぅ〜〜〜〜。レベル十六まで、フィードバック上昇!!でも、危ないよ〜〜〜」




 薄暗いブリッジでルリのナノマシンパターンが服を通し、身体全体に虹色の輝きが輝光し始めた。

 白銀のツインテールが虹彩色のナノマシンの鱗粉を纏いながら、ふわりと宙に浮き上る。


 半立ちのような姿勢で椅子に腰掛け、白磁のような顔を俯かせ、眼を閉じているその姿は、まさに『妖精』であった。



「うわぁ〜〜」

「きれ〜〜〜〜〜」

「飛んで火に入る夏の蚊…………蚊が焼く………カガヤク……プククククク………ハハハハハハ」

 ジュンとリョーコは声も出せず、口を開き、唖然と眺めている。



『オペレート――接続完了』

『相転移機関――接続完了』

『船体操舵――接続完了』

『火器管制――接続完了』

『通信関連――接続完了』

『全リンク―――接続完了』



 ルリは、ナノマシンの虹光が疾しる金の双眸をゆっくりと開いた。



『ワンマンオペレーション――正常起動』



「だ〜〜〜〜い成功!!ブイッ!!

「ブイ」

 コルリのVサインに、ルリもVサインで答える。



「でも、あれっていったいなんなの?」

「…………さあ?」

「ワンマンオペレーション?まさか?」

「知ってるのかプロス?」

「この戦艦では実行不可能だったはずでは――」



「総員。対ショックおよび対G姿勢。シートベルトをしてください。椅子がない方は手近なものにしっかりとしがみついていてください。あと、火の用心」

 その艦内放送で、妖精のようなルリの姿に見惚れていたジュンが我に返った。

「な、何をするつもりなんだ?ルリくん?」

「ナデシコをちょっと振り回します。アオイさんも椅子に座ってシートベルトをしてください。吹っ飛ばされますよ」


「ルリネェ!!敵戦艦。重力波反応!!」

 コルリの声が、ブリッジに響き渡る。その警告に、ジュンも大人しく副艦長席に座り、シートベルトをした。



 宙に浮いたルリの白銀のツインテールが、波打つように虹の彩光を振り撒く。

「相転移エンジンリミッター・T、解除。ディストーションフィールド強化」


 ゴォォォォッという唸るような音と共に、ナデシコの船体に振動が伝わった。



 ジュンとミナトがルリを驚愕の眼で見つめる。

 『相転移エンジンリミッター』

 副艦長と操舵士でも、そんなものがエンジンについているなど、聞いた事も無かった。

 たぶん、艦長も知らないだろう。


 その存在を知っていて、そして、それを外してしまえる少女。

 ナデシコの中枢を一手に担う少女。『星野瑠璃』


 二人は、改めて、その言葉の意味を思い知らされた。




「いきます」

 そのルリの静かな一声がブリッジに墜ちると同時に、ナデシコが弾かれたように全速疾走した。


 目の前の木連戦艦に向かって、一直線に飛翔する。

 音速を超える衝撃波が鳴り響き、ディストーションフィールドがジェット気流を発生させ、靄がかかる。


 木連戦艦が重力波砲を撃つ前に肉薄し―――。


 舵を切り返し、ナデシコのフィールド底面部を敵艦の先端側面部に打ち当てた。


 ガォォォォン!!

 火星の大気に轟鳴が反響し、互いのディストーションフィールドが相互干渉を起こして発光する。



「うわっ!!」

 その衝撃に、ナデシコのブリッジに悲鳴が上がった。


 ナデシコに弾き飛ばされた敵戦艦は、隣の艦に追突し、紅蓮の炎を撒き散らせながら、爆発をする。


「二隻、大破。残り五隻!!」

 コルリがブリッジの悲鳴に負けないほど、大声で報告をした。



せ、戦艦で、体当たりだ〜〜〜!?なに考えてやがる!?


「ミナトさん!?」

「やってないぃぃぃぃ!!ワタシィ、なんにもやってないぃぃぃぃっ!!」

 ミナトは、無罪です!!とばかり両手を上げる。



「次」

 悲鳴と怒号と狂騒の中で、ルリが静かに告げた。


 先の戦艦に体当たりした反動を利用し、急角度で次の戦艦に接近する。

 ナデシコを僅かに捻り、木星戦艦の横腹にフィールド底面部を叩きつけた。



「キャ!!」

「グッ!!」

「うわ〜〜〜〜〜!!」

 無茶な機動にGキャンセラーが効かず、クルーの悲鳴が上がる。


 弾き飛ばされた木連戦艦は、隣の戦艦の充填中の重力波砲に突っ込み、四散爆破した。

 その余波に巻き込まれ、追突された戦艦もズタズタに引き裂かれ、炎に沈んでいく。


「2隻大破。残り3隻!!」

 コルリの凛とした声がブリッジに響いた。



「すっご〜〜い。戦艦で体当たりなんて。アタシ、初体験」

「エビで釣りをする…………タイ…アタリ…………ククククククク…………ハハハハ」

「ず、ずいぶん荒っぽいですな」


 ミナトが泣き声のような悲鳴を上げる。

「ルリルリィ!!無茶苦茶よぉ!!」


「『相変わらず』…………ですから」

「はぁっ!?」

 一瞬、遠くを眺めるような眼をしたルリの返事を聞き、ミナトが頓狂な声を上げた。



「コルリ。対空大口レーザーの管制を私に」

 ルリのナノマシンパターンが虹色に光り輝き、宙に浮いている白銀の髪が極光の鱗粉を舞い散らしながら、ざわりと蠢く。


 ナデシコが上空の敵艦を目指し、一気に急加速した。


 敵戦艦の真横を、ナデシコが最大戦速で駆け抜ける。

 ズグン!!

 互いディストーションフィールドが擦れ合って、轟音を立てた。


 敵戦艦とナデシコは、一瞬で擦れ違い―――刹那、

 ゴゴォォォン!!

 敵戦艦の相転移エンジン部が爆発し、火炎の亀裂が外殻を伝わり、木っ端微塵に吹っ飛んだ。

「一隻、撃破。残り2隻!!」


「うそっ!?なんで〜〜!?」

「なんで、擦れ違っただけで戦艦が爆発するんだよ!?」


 ブリッジに疑問と困惑が渦巻く中、すぐ目の前に、次の木星戦艦が迫る。

 ズグン!!

 ドゴォォォォォン!!

 ディストーションフィールドを擦らせながらナデシコが擦れ違い、駆け抜けると同時に、敵戦艦が火星の空に轟音と閃光を伴い爆散した。


「一隻、撃破!!ラスト一隻!!」

 コルリが声を張り上げた。



 ルリの金瞳の中で、ナノマシンの極光が幾重にも光疾する。

「これで―――終わりです」



 ナデシコと敵艦のディストーションフィールドが擦れ合い、その衝撃が船体を襲った直後、最後の木星戦艦から火炎が迸り、巨大な爆音とともに爆破四散した。


「敵戦艦、殲滅!!」

 コルリの戦果報告と重なって、ブリッジにルリの声が響き渡る。



「相転移エンジンリミッター・U、解除。方位0,0,90。総員、対G姿勢」



 ドウゥゥゥゥッ!!

 異常音を発し船体を振動させながら、凄まじい速度で、ナデシコは真上に向けて加速した。

 噴射口から噴き出るエネルギーの奔流が、一本の光の矢となり垂直に大気を切り裂いていく。


 それは、一匹の光の龍が天に飛翔するような光景であった。


「くっ!!」

「ぐうっ!!」

 凄絶な加速に、ナデシコのGキャンセラーが加速Gを相殺しきれず、クルーの苦悶の呻き声がブリッジに満ちる。





 ――――約一分後





「…………リミッター・U、――セット」

 ルリの命令と同時に、ナデシコの異常振動と加速の圧迫感が、ふっと消えた。



 リョーコが眼を開けると、そこは無数の星々が連なる宇宙空間が広がっている。

 眼下には、端も見えないほど広大な火星が悠然と存在していた。


「「「「おおおおおおぉぉぉぉ!!」」」」

 驚愕のどよめきがブリッジを渦巻く。



「フィードバックレベル・3まで低下。ミナトさん。操舵お返しします。

 ワンマンオペレーションシステム――――…………解除」



『通信関連切り離し』

『火器管制切り離し』

『操舵切り離し』

『相転移エンジン関連切り離し』

『オペレート関連切り離し』



『全リンク解除――ワンマンオペレーションシステム、正常に終了』



 ルリの周りを囲っていたデータ画面が収閉し、半立ち状態だった艦長席が通常状態に戻った。

 ルリのナノマシンの虹光が静かに消えると同時に、照明の明度が上がり、ブリッジが明るくなる。



「は〜〜〜〜。凄かったね〜〜」

「確かに、凄かったけどよ。だが、そのワンマ……なんたらシステムって何なんだ?」

「ん〜〜〜。あの、体当たりのことだったんじゃない?」

「かもな。でも、あの体当たりでよくナデシコぶっ壊れなかったよな」

「だよね〜〜〜〜。アタシなんか、ミナトさんが錯乱したのかと思ったもん」

 無礼なことを明るい声で言うヒカルに、ミナトは眉根を顰める。

「失礼ねぇ。それにぃ、ワタシは何にも操舵しなかったわよぉ」

「じゃ、誰がナデシコ、動かしたんだよ?」

「ルリルリ」

「はあ?なに言ってんだ?」


「前にぃ、ワンマンオペレーションシステムのことは聞いたことあったのぉ。簡単に言えばぁ、一人で戦艦一隻、操艦するシステムだって」

 見たことも聞いたことも無い技術と技能をあっさり説明するミナトに、リョーコは引き攣った表情を浮かべた。

「おいおい。冗談も、ほどほどにしろよ。そんなん出来るわけねぇだろうが」


「そうそう。戦艦、一人で動かすのなんて〜〜、よっぽどの熟練兵じゃないとできないよ。それに、できたとしたって、戦闘なんかできるはずないじゃん。手足、足んないよ〜〜」

「イモリ素麺…………ひもりそうせん……独り操船…………クックククク………………個人的には、イモリの黒焼きが好き」

 ヒカルが常識的な意見を述べ、イズミが関係あるような無いような、どうでもいいような駄洒落を吐くとクツクツと暗鬱に嗤い始める。



 苦笑交じりにミナトが艦長席へ振り返り、

「そのためのIFS、だったわよねぇ。ルリル…………どうしたのルリルリ!?

 緊迫した大声を張り上げた。




 そこには、片手で額を押え、辛そうに顔を顰めている『星野瑠璃』


 普段が、無表情なだけに苦痛が傍から見ても窺い知れた。




 副艦長席に座ったまま放心していたジュンがシートベルトを引き千切るように外し、慌ててルリの顔を覗き込む。

「ルリくん、大丈夫かい!?」


「IFSの過剰フィードバックによる脳の過負荷。だから言ったでしょ。ルリネェ。フィードバックレベル高すぎって!!」

 コルリの叱責に、ジュンが立ち上がり、ルリの腕を取った。

「すぐさま、医務室に――」





「ダメです」





「なにを、言ってるんだ!!ルリくん!!」

「そうだよ。ルリネェ。脳の血管切れて、脳死しててもおかしくなかったんだよ!!すぐさま、精密検査を――」





「ダメです」





「ルリネェ!!」

「ルリくん!!」

「ルリ!!」

「ルリルリ!!」

「星野!!」

「ルリさん!!」



 ルリは無言で、人差し指でメインモニターを指差した。

 その指先を追って、皆の視線がメインモニターに集まる。



 そこには、無数の木星戦艦が戦陣を組んでいた。

 皆、声も無く、唖然とした表情で、木星艦隊を眺める。



「そう簡単に、メデタシメデタシ…………とは、いかないようです」

 抑揚のない声の中に、愉しんでいるような雰囲気を聞き取ったジュンが驚いてルリの顔を見るが、そこにはいつもの無表情が仮面のように張り付いているだけだった。




 ルリがそっとジュンから腕を外すと、コミュニケ画面を開く。

「ウリバタケさん」

「おう。ルリルリか……。まったく、無茶苦茶しやがって。だいたい戦艦ってのは――」

「すいません。苦情は後で聞きます。相転移エンジンの具合は?」

「リミッター・T、切ってっから、出力120パーセント、フル臨界中だ!!だが、このままだとエンジンに過負荷がかかりすぎるぞ!!」


 送られてきた相転移エンジンの各種データを見ながら、ルリが一つ頷く。

「速攻でかたをつけなければなりませんね。コルリ。グラビティブラスト、フルチャージ」

「グラビティブラスト・マキシム・スタンバイ!!」


「発射」


 ナデシコから放たれた黒い閃光が木星艦隊を飲み込んでいく。

 皆は固唾を飲み込んで見守った。


 数十秒してから、爆縮の白い閃光が消えていく。

「戦果報告」

甲式虫型機動兵器(バッタ)は消滅!!敵木連戦艦は被害無し!!」



 木星戦艦の姿に、ブリッジに失望のうめきが洩れた。

「ちきしょう!!」

「まさか、グラビティブラストが効かないとは」

「どうする。どうすればいい?」


「星野艦長代理。ここは一時撤退を」

 ルリが、ちらりとフクベ提督に視線を飛ばす。

「艦長とテンカワさんとメグミさんを置いてですか?冗談もほどほどに」

「しかし――」



「戦いには流れがあります。ここで引けば、この先、私たちは負け続けるでしょう。この一戦だけは決して引けません」

 ルリの無感情な、しかし、確固たる意思を持った強い声がブリッジに緊張を伴わせていく。



 焦燥感を募らせたジュンが左拳を握り締めた。

「だけど、グラビティブラストが効かないのなら――」

「敵は初めからディストーションフィールドを持っていました。ならば、ナデシコが『切り札(ジョーカー)』でいられる時期は長くはない。それはネルガルもわかっていたはずです。ですね?プロスさん」

「しかし…………こんなに早いとは――」

「それはネルガルの作戦ミスです。それについては『説明オバサン』に任せるとしましょう」

「??…………説明オバサン??」


「敵艦!!重力波増大!!」

 警告をブリッジに響かせるコルリに、ルリが命令を下す。

「ディストーションフィールド強化。総員。対ショック防御」



 無数の敵艦から放たれた重力波砲の黒い閃光が、ナデシコのディストーションフィールドに着弾し、船体を大きく揺動させる。

「フィールド95パーセントまで低下!!被害無し!!敵艦隊。逆方錐陣形!!ルリネェ。このままじゃ!!」


 敵艦隊陣形が、花が開くように上下左右に展開していく。


「クジラに飲み込まれる小魚さんってとこですね」



「ルリ!!オレらが出る!!」


「あのグラビティブラスト一斉射撃の中を出撃したら、あっさり宇宙の藻屑です」

「でもよっ!!」


「ルリくん。…………星野艦長代理。このまま、手をこまねいて見ているなら、引いたほうがいい!!」

 ルリの―――艦長代理の顔を見据えて、副艦長のジュンが進言した。


「策はあります」

「あの……ワンマンオペレートとかいうやつかい?ダメだ!!君の命を危険に晒すわけにはいかない!!

 声を荒げるジュンに、ルリが金の眼を細める。


「危険?…………戦艦一隻で火星まで来て、いまさら『危険』ですか?」



「ルリくん!?」

 思いがけない台詞に、ジュンは悲鳴のような声を発した。




「…………違いますよ。アオイさん。ワンマンオペレーションじゃありません。…………ミナトさん」

「ん?」

 ミナトが振り返る。


「傾向と対策、作成しました。航路図、そっちへ送ります」

 艦長席のルリが中空に敵戦艦の予想航路画面を展開し、操舵席のミナトへ押し流した。


「傾向と対策ぅ?…………――って、ルリルリ。これホントにやるのぉ?」

 ルリから送られてきたデータ画面を見て、眼を丸くするミナト。


「やれますか?」

「『やれるか?』って訊かれたらぁ、『やれる』って答えるしかないじゃん」

 ミナトは不敵に笑って、両手の指を鳴らす。



「コルリ。あなたはミナトさんのサポートを。グラビティブラストは私が引き受けます。オモイカネ、艦の管制を」

『了解』


「ははは。また凄いこと考えたね〜〜〜」

 呆れたように半眼を向けてくるコルリに、

「波月さん、ゆずりです。………………ミナトさん?」

 くすぐったそうに告げたルリが、ミナトに視線を転じた。


「は〜〜〜〜〜い。兎に角、ぶっちぎっちゃえばいいわけねぇ」

「はい。指定ポイントで砲軸確保、忘れずに」

「はいはいぃ。あとはお任せぇ。ちょ〜〜〜と、振り回すわよぉ〜〜〜〜〜」



 敵戦艦を見据えて、ルリが号令を発する。

「発進」



 弾かれたように、敵陣に向かって突進するナデシコ。



 木連戦艦から発射された重力波砲が着弾するたびにナデシコが衝撃で揺れる。

「フィールド80パーセントまで低下!!」

「まだまだぁ」



 速度を落とさず、ナデシコは敵陣の中に飛び込む。


 無人戦艦からの重力波砲が途切れた。自陣の中で重力波砲を撃てば味方に当たってしまうからである。

 戦陣の中に乱入したナデシコの行く手を阻もうとするも、戦艦では小回りが効かず、虫型機動兵機は先のグラビティブラストで全て破壊されていた。



 その多数の木星艦隊の中を、小魚のごとく縫うようにして、ナデシコは擦り抜ける。




「このぉ〜〜〜〜〜〜〜〜っ」

 ミナトの両手の細い十本指が神速でコンソールキーを叩いていく。


 ナデシコは両舷側から数メートルしか余裕のないぎりぎりの間を、最大戦速で潜り抜けていった。



 コンピューターですら数秒かかる三次元航法計算を、ミナトは反射神経でやってのけていた。

 『ハルカ・ミナト』の真骨頂はここにある。



 ミナトは、数値とグラフで表示された船の状態を全て手に取るように…………自分の身体のように感じることができた。

 目の前の戦艦を避ける。常人なら、相手の速度を割り出し、自分の船の速度を割り出し、そして、どこへ逃げれば良いか、角度を計算し、船を走らせる。


 ミナトは数値表示から、船体全てを把握し、ひょいとのけるように、船を操ることができた。


 勘でやってるわけではない。全て計算尽くで、的確に、瞬時に答えを導く。

 一秒ごとに切り替わるデータ画面を眼に映しながら、その全てを把握する動体視力に加えて、常人から見れば、未来を見越しているかのような速度で航法計算を導き、船を操る。

 それは、数式を見れば一瞬で解答が閃くという『天才』の頭脳。



 そして、もう一つ、ミナトには常人にはない特技がある。

 人は二次元で見る生物である。もちろん、空間は把握できる。だが、それも視界という平面で見る。

 360度、全てを空間として捉えられる人間は少ない。

 海にいるイルカなどは超音波で三次元的に物体を捉え、空間を把握するという。

 大地という平面で生きている人間にはあまり、必要の無い能力である。


 だが、上下がない無重力宇宙空間の航法では、この感覚が何よりも重要だった。

 戦闘機パイロットなども有している、この『三次元絶対方向感覚』を、ミナトは幼少の頃から身に付けていた。

「アタミの海でよく遊んでいたからなぁ」と、いうのは本人の談だが。




 機械制御ですら、この戦艦の中を縫うには時速5キロ、人の歩く速度まで、スピードを落とさなければ無理だろう。


 それを最大戦速でやってのけるミナトは、間違いなく『天才』であった。



 人間は訓練をすれば、完全にとはいかなくても、機械を超えることもある。




 だが、その機械ですら足元にも及ばない『天賦の才能』を持つ『天才操舵士』が『ここ』にいた。





「てぃやぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 気合を入れたミナトの、気の抜けるような舌足らずな甘声がブリッジに響く。


 その緩声と共に、ナデシコは艦隊陣形を中央突破してしまった。



 誰に言っても絶対に信じられない技能を見せつけたミナトは、ブリッジに注意を喚起する。

「いくわよぉ〜〜〜〜。ミンナ、舌噛まないでねぇ!!急停止!!超旋回!!



 突然、ナデシコは回頭180度旋回すると、その場でピタリと停止した。



「フィールド全エネルギー、グラビティブラストへ。エネルギー値オッケイ!!」

『目標全て有効射程範囲内』

 コルリとオモイカネの報告が響き、ルリの金の双眸が正面の艦隊を見据える。


「砲軸固定――――――グラビティブラスト。発射」



 ナデシコが自陣の斜め後ろに駆け抜けてしまったために、前方の敵用に陣を組んでいた無人艦隊の陣形は完全に混乱していた。


 方向転換をしようにも、仲間の艦が邪魔になり、思うように旋回ができない。

 残念ながら、木星戦艦の操舵プログラムは、ミナトの技能と同等の能力はなかった。



 旋回途中の横腹を見せている木星戦艦にナデシコのグラビティブラストが突き刺さる。


 旋回中の戦艦は反撃ができなかった。

 木連の戦艦は構造上、正面や上下――――縦方向に撃つ機能は備えているが、真横や後に重力波砲を撃つ機能は持っていないからだ。


 しかも、陣形が完全に乱れ、不用意に撃てば味方の戦艦に当たる。

 人間が乗っていたならば、熟練の勘で艦と艦の隙間を通す精密射撃もおこなえるが、プログラムで動いている無人戦艦は安全確認ができるまで撃てなかった。



「続いて、二発目発射」


 グラビティブラスト二連射の威力に、前方の戦艦が耐え切れずに爆発した。

 その衝撃で、乱れた陣形がさらに混乱を極める。



「三発目、発射」


 黒い閃光が戦艦隊に撃ち込まれると、耐え切れなくなった戦艦が次々と爆発し、さらに至近距離からの破壊エネルギーで誘爆し始める。

 爆発の白い発光が木星戦艦の艦隊陣から溢れ出た。



「トドメです。四発目、最大発射(マキシム・ファイアー)!!



 グラビティブラストの黒い閃光が全木星艦隊を呑み込んだ後、強烈な閃光が宇宙空間に満ち溢れる。


 小型の太陽のような烈光が消えると、戦艦の残骸が漂う暗い宇宙空間だけが残った。





「おおっ!!」

「すげぇ!!」

「やったっ!!」

「わあぉ!!」

 その光景を目の当たりにしたクルーの感嘆と大歓声が、ブリッジに渦巻く。


 艦長席の背凭れに身を沈めたルリが小さく吐息をついた。

「ふぅ。…………コルリ。戦況報告」

「敵艦隊82パーセント撃沈!!残りの艦も大破!!グラビティブラストを撃てる艦は存在せず!!

 ナデシコは相転移エンジンに過負荷がかかったものの、無傷!!

 圧勝!!

『WIN』


「ブイ」

 Vサインを出すルリに、コルリが呆れたように笑った。

「でも、凄い力技だったね〜〜」


「そうでもありません。…………ミナトさん。ありがとうございました。ミナトさんがいなければ、成功しませんでした」

 ぺこりと頭を下げるルリに、ミナトが微笑みを返す。

「ルリルリの作戦と敵戦艦の予測航路図が良かったのよぉ。敵艦の間をすり抜けるだけだったしねぇ」

「それを『だけだった』などと言えるのは、ミナトさんとカイトさ――…………私の知り合い1人しかいません」

「そ〜〜かなぁ?」

「そうです。…………私でもアレを潜り抜けるのは、絶対に不可能です」

「そ〜〜なのかなぁ?」

「そうですよ」

「やっぱ、そうかぁ」

「はい」

「大型戦艦級操舵士の免許を取る時ぃ、なんで皆、できないのかと不思議に思っていたけどぉ。そういうことだったのねぇ」

「…………やっぱ、ミナトネーサンも普通の人じゃないよ〜〜」
「……………………ナデシコですから」

「凄い。あの状況から――」

「あ〜〜〜あ。結局、出番なかったね〜〜」

「………………ムウ。予想以上だ」


「見事ぢゃ。星野艦長代理。して、これからどうするつもりぢゃね」



「火星に戻ります。

 ミナトさん、火星ユートピア・コロニー跡地に進路を。

 オモイカネ、相転移リミッター・T、セット。

 コルリ、ディストーションフィールド展開。グラビティブラスト・スタンバイ。

 アオイさん、ユーピアコロニー跡地付近のチューリップを探査。

 ウリバタケさん、相転移エンジンの検査を。

 パイロットの方たちは発進準備をしてください」



 その命令に、リョーコが顔を顰める。

「おいおい。今からオレたちが発進準備してどうするんだよ?」

「地上に降りてから活躍してもらいます。艦長たちが乗っているエステバリスでは木星蜥蜴に襲われると、対応が出来ないでしょう。」


「そのまま、ユートピア・コロニー跡地に行くのかい?」

 ジュンの問いに、ルリが首を振った。

「いいえ。艦長がやったように、上空から付近のチューリップを破壊。
 そのあと、ユートピア・コロニー跡地に当てないように、制空権を確保している敵を一掃。
 エステバリス隊、全周囲警戒の中、ナデシコはユートピア・コロニー跡地に降ります」



 ルリの号令に、皆が口々に意見と感想を述べてゆく。

「まあ、妥当な作戦ですな」

「そこまで、警戒する必要があるか?」

「この眼で、ユートピア・コロニー跡を見ることになろうとはの」

「なんでぇ。結局、見張り番かよ」

「まあまあ。滅多にない体験も出来たんだしさ〜〜」

「…………発見隊の犬…………発隊犬…………初体験…………ククククク」

「死中に活あり……か。ここまで、戦闘能力があるとは。ナデシコの基本戦術を見直した方がいいかな」


「…………ルリルリ…………顔色、悪いわよぉ」



「「「「「「え?」」」」」」


 ミナトの心配そうな声に、皆の視線が集まる中、ルリが淡々と返答する。

「もともと、こういう顔色です」

「嘘おっしゃいぃ!!また無理してるんでしょぅ!!」

「ルリネェ。脳に過負荷をかけた後、オモイカネのサポート無しにグラビティブラストの弾道計算なんかやるから!!」



「ルリくん。医療室に!!」

 無理矢理でも引きずっていこうとするジュンに、ルリが静謐な金の双眸を当てる。


 その静寂な金の眼に、ジュンは我知らず、一歩、後退った。


 それは、静かな…………あまりにも静かな金の瞳。



「…………言ったはずです。私には…………敵地で艦長席を離れる勇気はないと」

「だけど――」


 ルリが錆びつくような擦れた声で、己に言い聞かせるように囁く。

「…………もう二度と……あんな、失敗は……したくないんです。…………絶対に」



「ル、ルリくん?」

 錆声を聞いたジュンの戸惑いの眼差しから逃げるように、ルリが視線を逸らした。

「…………大丈夫です。艦長が帰ってくるまで……ですから」


 ルリが真っ直ぐ、顔を上げた。

「機動戦艦ナデシコ。発進」







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