ユリカとルリちゃんが自分を見下ろしていた。
なぜか、自分の視点がいやに低い。
自分の真正面に、二人の足首がある。
うつ伏せに寝た状態で、上を見上げたような視界だった。
ユリカがキラキラと眼を輝かせる。
「ルリちゃん。この『子犬』、飼って良い?」
「ちゃんと面倒見るんですよ」
ルリのぶっきらぼうな声に、ユリカが喜びのあまり飛び上がった。
ユリカに両手で高々と抱え上げられ、振り回される。
「うん。君は『アッキー』だよ。
ご飯から、お風呂から、散歩から、夜寝るまでゼ〜〜〜ンブ、ユリカが面倒見てあげるからっ♪♪」
ルリが眼を逸らしながら、ぼそっと呟く。
「………………可愛いですよ」
「うわわわわわわあああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
アキトは布団を蹴飛ばして、跳ね起きた。
「ハアハア………………ゆ…………夢か………………」
額の冷汗を拭うアキト。
「『アッキー』がトラウマになってるんじゃ――」
ふと、アキトは周りを見回した。
久しぶりに嗅いだ藺草の香る畳の青い匂い。
『ニホン』でも滅多に見なくなった障子と襖。
木に似せた年輪模様のある焦げ茶色の柱。
布団には、子供用布団のようにゲキ・ガンガーのキャラがプリントされていた。
壁には日めくりカレンダーとゲキ・ガンガーの掛け軸がかかっている。
吹き抜けの部屋から見える小さな庭。
2196年の地球の『ニホン』から失われた、絵に描いたような日本家屋が、そこにあった。
「ここ……………………どこだ?」
「あっ、起きたんだ」
聞きなれない…………しかし、どこかで聞いたことのある少女の声に、アキトは振り向き――
「ユ…………ユキナちゃん!!」
絶叫した。
ひょこっと顔を覗かせた黄色のヘアバンドをした茶色の髪の少女――『白鳥ユキナ』は眼をぱちくりと瞬く。
「なんで…………アタシの名前知ってるの? どっかで、会ったことあったっけ……じゃない、ありましたっけ?」
アキトはその質問には答えず、別の質問をユキナに返す。
「ここは…………どこだ?」
「え? アタシの家だよ」
「いや、そうじゃなくて…………ここのある場所は?」
「二丁目だけど」
アキトは頭を抱えた。
「そうじゃなくて……ここはどこの星だ?」
「はっ? …………エウロパだけど」
「?? ………………エウ??」
腕組みして首を捻っていたアキトは、やっと答えを導き出す。
「たしか…………木星園の一つだったな」
「違うよ。ガリレオ衛星同盟だよ」
「??? …………ガリ?? ………………大まかに言って、木連じゃないのか?」
「うん。そうよ。『木星園・ガニメデ・カリスト・エウロパ・及び他衛星国家間反地球共同連合体』
初めから、そう言えば良いのに。でも、そんなこと誰でも知ってるよ。
もしかして…………記憶喪失とか?
格好いい!!」
「いや、記憶はある」
「なんだ。…………つまんない。あっ、そうだ!!
お兄ちゃん。呼んでこきゃ!!
ちょっと、待っててくださいね」
「バタバタ」と呟きながら、廊下を走っていくユキナ。
木連だと…………いったいどういうことだ?
また…………ランダム・ジャンプしたのか?
壁にかけてある日捲りカレンダーの日付を見る。
日付は、ナデシコでジャンプしてから、2日経過していた。
もっとも、木連の暦が地球の暦と合っていれば…………だがな。
『前』、月臣から聞いたところでは、地球暦とまったく同じ、閏年も入れて計算しているはずだった。
アキトは周りを見回して苦笑した。
『この世界』で眼を覚ましたときには、『その日の新聞』と『軍事情報誌』が傍のゴミ箱に捨てられていたんだが…………さすがに今回は、地球の新聞など落ちていないか。
「そんなに慌てなくたって、客人は逃げやしないよ。ユキナ」
廊下から落ち着いた青年の声が響いてくる。
「だって〜〜〜」
襖を開けて現れたのは、山田に――いや、『天空ケン』に良く似た青年。
家の中でも白地に淵が金の学生服のような軍服を着ている。
山田と同じ髪型だが、全体的に落ち着いて見えた。
それは、眼のせいであろう。
虚飾なく自分を把握しているからであろうか、静穏な瞳に自信と冷静さが同居している。
けど、やっぱり、こうして見るとガイに似てるな。
小さく笑みを浮かべるアキトに、ユキナの兄である青年――九十九が尋ねた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、外傷はないようだ。ありがとう」
「それは良かった。
私の名は『白鳥九十九』
木連優人部隊中佐です」
「テンカワ・アキトだ」
アキトは、自分の着ている浴衣を見る。
「俺が着ていた服は?」
「いろんな機械がいっぱい付いてて、洗濯できなかったけど――」
ユキナは枕元にある黒い塊を指差した。
アキトは口の端だけで苦笑する。
気づかなかったとは…………俺も相当、動揺してたんだな。
九十九の視線は、畳の上に置かれている大型拳銃に吸い着けられていた。
木連軍の正式採用拳銃は光線銃型火薬式リボルバーである。
本当はレーザー光線銃が正式採用されるはずだったが、小型化が実現できなかったため、木連軍人全員が泣く泣く光線銃の形をした火薬式リボルバーにしたのだ。
一刻も早くレーザー光線銃の配備を…………これが、今の木連軍人の願いである。
どうみても木連製ではない拳銃――銃砲(ハンド・ガン)と呼んだ方が良さそうな黒塗りの大型拳銃から視線を外し、興味津津にアキトの装備を凝視しているユキナに眼を向けた。
「ユキナ」
「ん? なに、お兄ちゃん」
「テンカワ殿に、水を」
「あ、は〜〜い」
「パタパタ」と呟きながら走っていくユキナ。
アキトは、闇色のマントを裏返し、内蔵されている個人用ジャンプ・フィールド発生装置を検める。
外見上に損傷はない……が、ジャンプ装置は総点検したほうがよさそうだな。
でないと、また何処に跳ばされるかわかったものじゃない。
まあ、それは後でいい。それよりも――
アキトは布団の横で正座している九十九に視線を送る。
「話があるんだろう? 白鳥さん」
「…………はい」
九十九の眼が細まり、表情が引き締まった。
アキトから表情が消え、闇色の双眸が九十九を捉える。
「テンカワ殿は木連人ではありませんね」
「ああ」
九十九の両手が拳を作った。
「地球人…………か?」
「正確にいえば、火星生まれだ」
「…………火星人」
「地球の
九十九から圧するような殺気が放たれる。
おかしな真似をしたら、一撃で昏倒させる…………と、睨みつける眼が語っていた。
糸をぎりぎりまで引っ張ったような緊迫した静黙が狭い部屋に張り詰める。
アキトは九十九の瞳を見つめながら、静かに口を開いた。
「だったら、ユキナちゃんに拾われてなんかいないさ」
深意を見通せないアキトの夜色の黒瞳。
ここにはユキナが――両親より託された自分の命より大切な妹がいる。
だが――――。
「それも…………そうですね」
九十九が緊張を解き、緊迫した雰囲気が霧散した。
彼は我々に危害を加えない。
内面を一切見せないアキトの闇夜の黒瞳から、九十九はそれだけを読み取った。
アキトは、殺気を向けられれば、反射的に行動するように訓練されている。
特に五感を無くした『前』では、その反射神経が生死を分けた。
だが、九十九の殺気に、自分の身体は反撃しなかった。
アキトは、微かに笑みを浮かべる。
そうか。俺はユキナちゃんと九十九も『ナデシコの仲間』と認識してるのか。
「テンカワ殿」
「アキトでいい。九十九さんより年下だしな」
まあ、見かけはな…………。
「そうか。では、アキト君。
なぜ、木連に」
「事故さ」
「事故?」
「ああ。跳躍事故だ。
気づいたら、ここに跳ばされてた」
「乱現跳躍!!」
「ほう。ランダムジャンプのことを木連ではそういう風に呼ぶのか」
「まさか…………地球では生体時空跳躍を可能にしているのか? いや、でも失敗したからこそ、ここにいるのか」
考え込む九十九の後ろで、襖が開いた。
「は〜〜い。お水、持ってきたよ〜〜」
「すまないな。ユキナちゃん」
礼を言うアキトに、ユキナは涙ぐむ。
「おとっつあん。それは言わない約束だよ」
「ああ、そうだったな…………じゃなくてっ!!」
「こら。ユキナ!!」
九十九の叱咤に、ペロッと舌を出すユキナ。
「一度、やってみたかったんだもん。
だって、お兄ちゃん。病気らしい、病気ってしたことないし」
「当たり前だ。木連男児たるもの、病気などするわけにはいかん。
それに、ゲキ・ガンガーを見れば、病気など吹っ飛んでいく」
ユキナは、肩をすくめて、ふっと息を吐いた。
「また、始まったよ。お兄ちゃんのゲキガンガー」
「なぜ、お前にはゲキ・ガンガーの良さがわからんのだ」
「わかりませんよ〜〜〜だ!!」
「だから、お前は変わってると言われるんだ」
「そんなことないよね。アキトさん」
「あ…………ああ」
「ほ〜〜〜ら。アキトさんだって、そう言ってるし」
「し……しかし、ゲキ・ガンガーは!!」
「潔くないぞ!! 木連男児!!」
「グッ!!」
ユキナにやり込められた九十九は、アキトに向き直った。
「すまない。アキト君。
口の減らない妹で」
「お小遣い上げてくれたら、口減るよ?」
「じゃあ、一生減らさなくてもいい。そうしたら、お小遣いの額を上げなくてすむからな」
「ええ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!! ヒドイ!!」
「自分で言い出したことだろ」
ユキナは、「シクシク」と泣きまねをする。
「………………お小遣いか」
アキトの口許に笑みが浮かんだ。
そう云えば、『前』、ユリカとルリちゃんもお小遣いのことで揉めたことがあったな。
「はい。ルリちゃん」
「ユリカさん…………なんですか? これ?」
「何って…………お小遣いだよ」
「…………」
「…………」
「いりません」
「ええ〜〜〜〜〜!! なんで!?」
「今、アキトさんの経済状況は逼迫しているはずです。
たとえ、小額とはいえ、余裕はないはずです」
「ダメ!! お小遣いを上げるのが親の務めだもん。
それに、あげないとルリちゃんグレちゃうし!!」
「…………また、変な漫画を読みましたね」
「お小遣いがないと、ルリちゃん。黒くなちゃうんだよ!!
鼻にピアスしちゃうんだよ!! 髪を銀色に染めちゃうんだよ!!」
「私。……もとから髪、銀色です」
「…………鼻にピアスもするの?」
「…………………………しません」
「ほら、アキト君にだって、笑われているぞ」
九十九の声にアキトは我に返った。
「いや、ちょっと『昔』を思い出しただけだ」
「昔?」
二人から視線を逸らし、明るい小さな庭を眺める。
「ああ。もう、『今』はいない…………二人をな」
眼を眇めたアキトが、哀しく微笑んだ。
それは、幼い顔立ちに似合わない、深い笑み。
瞬転、アキトはユキナに微笑みかけた。
「それにしても、ユキナちゃん。
よく俺を運べたな。重かっただろう」
「ぶんぶん」と呟いて、ユキナは首を横に振る。
「そうでもないよ。そこらを歩いていた野良コバッタで運んだから。
口笛吹いて呼べば、いくらでも集まってくるしね」
「野良コバッタ?」
「うん。今、社会問題にもなってるんだよ。
捨て猫、捨て犬、捨てコバッタって」
「木連ならではだな」
アキトは立ち上がった。
「さてと…………世話になったな」
「え? もう行っちゃうの?」
ユキナが驚いたような顔で見上げ、九十九が心配そうな表情を浮かべた。
「どこか、行く当てはあるのですか?」
「いいや。まったくない」
「じゃあ、うちに居なよ。ねぇ、お兄ちゃん」
「ええ、私は構いません」
「いや、しかし…………そこまで世話になるには。
それに、俺が言うのもなんだが、見ず知らずの人間なんて危なくないか?」
「あなたなら、私たち二人には、絶対に危害を加えないように見えますが」
ああ、もちろんだ。
『ナデシコの仲間』を俺が傷つけるわけがない。
命を賭してでも護るだろう。
絶対にだ。
無言で肯首するアキトに、九十九が笑いかける。
「私は、人を見る目だけはあるつもりです」
「じゃあ、決まりだね」
「…………しかし」
未だ、躊躇するアキトに、ユキナがビシッと一本指を突き出した。
「決まり!!」
「あ…………ああ」
ユキナの勢いに押され、諾々と頷いてしまうアキト。
確かに、ジャンプ装置を点検しないと、どこに跳ばされるかわからないしな。
………………………………しばらく、厄介になるか。
「わかった。迷惑でなければ、厄介になりたいと思う」
「うんうん♪」
畳に座り直したアキトを見、ユキナは嬉しそうに笑んだ。
「アキトさん。聞いてよ。
アキトさんを家まで運んだ時、お兄ちゃんたら『飼うんなら、最後まで世話するんだぞ』とか言ったんだよ」
「ユキナが『拾ってきた』と言ったから『犬』かと思ったんだ。
まさか、人間とは思わなかったぞ」
「………………」
アキトは引き吊った笑みを浮かべながら、微笑ましい兄妹の会話を聞いていた。