「眼が覚めたか? ルリ」
「ここは…………どこです?」
「ネルガル系列の病院だ」
レイジから視線を外したルリは、包帯が巻かれている左腕を眺める。
エレンにナイフで斬り裂かれた箇所だった。
「ここの医者は、ナノマシンがどうたらと宣っていたが、兎に角、傷痕は残らないそうだ」
レイジの説明に、ルリは皮肉げに唇を歪めた。
「マシンチャイルドの
パイプイスに座ったレイジは、手を組む。
「ルリ。よく、エレンに勝てたな」
「レイジさんの戦い方にそっくりでしたから。
レイジさんと格闘訓練をしていなかったら、殺されていたでしょう」
ルリはベッドから上半身を起こした。
「彼女が……『アイン・ファントム』ですね」
「そうだ」
無言で見つめてくるルリに、レイジは自嘲の笑みを見せる。
「ルリ。俺が暗殺者になって、何年目だと思う?」
「…………7年目くらいですか?」
「いや。たったの三年だ」
「…………三年…………」
「驚かないんだな」
「二年もあれば…………人は大きく変わりますから。
私の知り合いにも、一人います」
「そうか」
「………………でも、心の奥底は…………変わりません」
「どうかな。…………心そのものが、砕けてしまうことだってある」
「聞かせて貰えますか?」
「そのつもりだ」
一つ頷いたレイジは、回想するように少し眼を閉じてから、話し始めた。
「俺がエレンに逢ったのは、3年前。
中学を卒業し、卒業旅行で一人。アメリカを旅行していた時だ。
その旅行で、俺はエレンの……当時は『
本当なら、そこで殺されるはずだった。
だが、そこで暗殺者としての素質をアインに見いだされた俺は、命だけは助けられた。
『サイス・マスター』――こいつは、『アイン・ファントム』を造り上げた奴だが――そいつに、ナノマシンで記憶操作されて、それまでの記憶を全て消されて――名前さえ奪われて――俺は『
それから半年間、俺はアインに一人前の暗殺者に鍛え上げられた。
そして、最終試験に合格した俺は、晴れてクリムゾンの暗殺者になった。
当時、サイス・マスターはクリムゾンの庇護下にいたからな。
それから、俺はアインと共に
不満はなかった。アインさえ俺の傍にいてくれれば、何の不満もなかった。
幸福とは言えないけど、不幸でもなかった。
問題が起きたのはそれから半年後、一つ目は俺の記憶が戻ったことだ」
驚いた表情のルリが、レイジに問いかける。
「ナノマシンで削除された記憶が、戻ったんですか?」
「ああ」
「それ、奇跡です。
心理医療の通説では、ナノマシン処理された記憶が戻る確率は、一万分の一程度だそうですから」
「奇跡だろうがなんだろうが、俺の記憶は戻った。
だが、それは関係なかった。
俺は、アインの傍から離れるつもりなんてなかったからな。
アイン独りを、暗殺の世界に置いて逃げることはできなかった。
だが、もう一つの問題が俺とアインの運命を変えた。
サイスが、クリムゾンに反乱を起こした。
いや、起こしかけた。
サイスは、いつまでも自分が暗殺隊の主任でいることに嫌気がさして、クリムゾンの上の地位を狙ったんだ。
正確に言えば、クリムゾン、そのものを乗っ取ろうとした。
そして、呆気なく失敗した。
当たり前だ。暗殺者を仕立て上げるしか脳のない愚者に、クリムゾンはどうにかできる組織じゃない。
あそこには、姿を見せない世界一の情報屋『モルガナイト』を筆頭に、
凶悪科学者『エメラルド』、氷鉄の経営顧問『ヘリオドール』、
軍人兼設計工学博士『フューリ・R・ランダース』がいる。
そして、こいつらの纏め役。
サイスの目論見など、この『
それは構わない。あんなサイコ野郎、どこで野垂れ死んだところで知ったことじゃない。いや、俺の手で殺したいぐらいだ。
だが、あいつはこともあろうに、その計画にアインを組み込みやがった。
そのせいで、サイスと共にアインも逃げ出さなければならない羽目に陥った。
その計画では、アインは死ぬべき捨て駒だったんだ。
『モルガナイト』に知らされた俺は、手遅れになる前に、何とかアインの命を救った。
ギリギリだったけどな。
だが、アインと共に逃げることはできなかった。
死凶の狂姫『アクア』と取引してたからだ。
クリムゾンが『エレン』を――――これは、俺がアインに付けた名だが――見逃す換わりに、俺がクリムゾンに留まること。
それが『
エレンが居なくなってからも、俺はクリムゾンで暗殺者を続けた。
最高の暗殺者の称号『ファントム』の名を、エレンから引き継いで。
だが、それも一年半だけだったがな。
俺がアメリカで拾った少女が、天才とも言える才能のせいで問題を引き起こした。
そっちは、何とか上手く治めたんだが、それと引き換えに俺がクリムゾンの反逆者にされていた。
真相は、『
キャルが死ぬか、俺が反逆者になるかの二者択一で、俺は反逆者を選んだ。
そこで、何もかも忘れて普通の生活に戻る選択肢もあった。
けど、俺はその道を選ばなかった。
俺はエレンに誓っていたことがあったから。
クリムゾンのことなど、なんとも思ってない。
だが、エレンとの約束。
その約束を果たさずに、俺独りだけ、この世界から抜け出すわけにはいかなかった。
クリムゾンの反逆者になった俺は、その足でネルガルの門を叩いた。
そこで、殺されてもおかしくなかったんだが、アカツキの『それは、面白そうだね』の一声で、アカツキ直下のSSになった。
それが半年前だ」
しばし、沈黙していたルリが顔を上げる。
「一つだけ聞いて良いですか?」
「何だ?」
「『約束』って…………何ですか?」
「エレンと一緒に、この
「私も、協力します」
「?」
「今回は、こちらが受け手でした。
では、今度は攻め手に回りましょう」
「だが、エレンが何処にいるかも――――」
「ここ最近、私が何と呼ばれているか知ってますか?」
「『
「ええ。どんな情報であろうと引き出してしまう、姿の見えない幽霊だそうです。
なら、ふざけた名を付けた者たちに、『名』に恥じない仕事を見せつけてあげましょう」
金瞳の眼光を煌めかせ、ルリは不敵な声無き
*
「ここは?」
車から降りたレイジは、海沿いのガラス張りのビルを見上げた。
助手席から降りたルリが答える。
「マーベリック本社です」
「マーベリック? 聞いたことある。…………確か、プログラム・通信関連で有名になってきてる会社だ」
「はい」
「知り合いでもいるのか?」
「ここの会長は、私です」
ゴン!!
痛そうな音が響き、ルリは足を止め、振り返った。
壁に頭をぶつけているレイジ。
「どうかしました?」
「い、いや。世の不可思議を体験していただけだ」
「そうですか」
ビルは埃一つ無く綺麗だったが、中は閑散とし、出迎えの社員も受付の人間すらいない。
「受付は?」
「いません」
「他の社員は?」
「いません」
「は?」
「社員は、会長と社長だけです」
「…………」
それは、会社として機能しているのだろうか?
受付に置いてあるカメラとディスプレイに「そちらにいきます」と告げたルリは、真っ直ぐエレベーターへ向かう。
レイジを連れだってエレベーターに乗ったルリは、操作盤の隠しカバーを開けて地下の階を押した。
それを見、レイジは不思議そうな表情になる。
「地下?」
「社長がいますので」
「地下に?」
「はい」
「か、変わった社長だな」
普通、社長という者は最上階に居るものではないのだろうか。
地下に鎮座していたのは、白亜の戦艦だった。
これは…………ネルガルのナデシコ?
だが、雑誌で見た戦艦ナデシコとは、少し形が違うような気がする。
「これは?」
「はい。ナデシコです」
「あの行方不明になった――」
「いえ。あれは、この『ナデシコ』ではありません」
「?? …………????」
「では、行きましょう」
「行くって? ……社長ってのは、この戦艦の中にいるのか?」
「そういえば、紹介がまだでしたね。
オモイカネ、挨拶」
「初めまして。吾妻さん。
事情はルリから聞いているよ」
「あ、ああ」
艦の外部スピーカーから聴こえてくる声に、レイジは戸惑う。
「か…………変わった社長だな」
「ちなみに僕は、この戦艦『ナデシコC』のメインコンピューター。
名前は『オモイカネC』
マーベリック社の社長もやってる。
よろしく」
ゴンッ!!
地面に倒れ、世の奇怪摩訶不思議をしみじみと噛み締めているレイジを見、ルリは失笑を噛み殺していた。
「オモイカネを社長にするのは、かなり困難だったんですよ」
何かを思い出しながら、しみじみと呟くルリに、額を擦りながら起きあがったレイジが深く頷く。
「それは…………そうだろうな」
「オモイカネに、人間の真似をして貰うために説得するのは、もう大変でした」
「…………」
レイジは額に手を当てた。
何か、会話がズレているような気がする。
「他社とTV通信で交渉するとき、社長が『人間』でないと困るんですが、オモイカネはナデシコA時代から、人間の
それを説得するのに、3日もかかりました」
「そ…………そうか…………」
いや…………今日はもう、何があっても驚かんぞ。
そこへ、オモイカネが弾むような口調で、ルリに話しかけた。
「ちょうど良かった。ルリ。
実は、相談があるんだけど――」
「株取引は順調ですか?」
「えっ? うん。順調すぎるくらい順調だよ。
そのことで――」
「赤字出したら、船体をバラ売りして、補填してくださいね」
ルリはにっこりと微笑みかけた。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
しばしの沈黙の後、
「………………………………先物取引は、諦めるよ」
「当然です」
ナデシコの船体が特大の冷汗をかいている幻影を見た気がして、レイジは眉間を揉み解した。
………………疲れてるな…………俺。
*
「ここが、ブリッジか」
「はい」
案内されたブリッジには、艦長席・副艦長席・参謀長席・オペレート席・操舵席・通信席の6席しかない。
「6人で動かせるのか?」
レイジの問いに、艦長席に座ったルリが微笑んだ。
「独りでも動かせますよ」
「一人!?」
「はい。
まあ、その話は置いときまして…………。
ここからクリムゾンに進入するのですが、しばらく時間がかかるので、戦艦の見学でもしていて貰えませんか?」
「いいのか?」
「はい。構いません。
見られたくない所は、鍵がかかってますから」
「じゃ、ふらついてくるよ」
台詞の言外に、ここにいて欲しくない。と読み取ったレイジは、後ろ手に手を振ってブリッジから出ていった。
背後の扉が完全に閉まってから、ルリはオモイカネに尋ねる。
「オモイカネ。『クー・シー』の『グラビティ・リングカッター』の解析は?」
「『前』の記録から分析してるけど、どういう原理でリング状にしてるか見当もつかない状態だよ」
「解析を続けて。アレは3重フィールドでも防げませんから。
出来れば同じ武器を、駄目なら防ぐ方法を見つけだしてください」
「難しいけどやってみる。
『前』。アレに、ジュンの連合宇宙軍第一艦隊がほとんど壊滅させられたからね」
ハッキング用のアプリケーションを立ち上げながら、ルリはオモイカネに問う。
「オモイカネ。ナデシコCの装備は?」
「全方位可動式レールカノン4砲、100パーセント完成。
空間閉鎖型重力レンズ式ステルスフィールド、87パーセント。
相転移砲用相転移エンジン2基、64パーセント。
3重ディストーション・フィールド用相転移ドライブエンジン2基、62パーセント。
重力子弾用レールカノン、32パーセント。
反物質炸薬式アンチフィールド・ミサイル、18パーセント。
環状回転重力場マスドライバー、15パーセント。
ロスト・ナンバー専用人型機動兵機『バンシー』、8パーセント。
外宇宙用高速機動システム『エグゼゾドライブ』、5パーセント。
宇宙専用プラズマレンズ式陽電子狙撃砲――」
「どう思います?」
「ん?」
ルリはもう一度、問うた。
「どう…………思いますか?」
「95パーセントの確率で………………負けるだろうね」
「…………やはり…………そう思いますか」
「うん」
「ステルスフィールドの実装を最優先に…………イニシアティブぐらいはとれるでしょう」
「了解。…………でも、史実通りならば、二年後には『ファウル・ウェザー』に――」
「そうですね。…………でも、『前』に、アオイさんが言っていた言葉ですけど『できるところから、始めなければ』と」
「そうだね」
「では、レイジさんの件を片づけてしまいましょう。
クリムゾンの最高機密に潜り込みます。
キーワードは『エレン』『アイン』『ファントム』『サイス』です」
ルリの金の瞳に光が疾しり、銀の髪がふわりと浮き上がり、ナノマシンが虹色に発光した。
「アクセス!!」
*
本当に、ここは戦艦か?
これが、艦内をふらふらと見歩いたレイジが抱いた感想だった。
ゲームセンター、卓球台、銭湯に、宴会場とカラオケマシーン、バーチャルルームまである。
これで、パチンコがあれば、場末の温泉宿といった感じだ。
「ここは……格納庫?」
なにやら、迷い込んでしまった場所は、格納庫らしい。
人っ子一人いないが、様々な工具が床に散乱している。
だが、そんな物より、レイジの眼は、壁際の黒色の人型機動兵器に吸い付けられていた。
全高10メートル。横幅が15メートル程ありそうな漆黒の機動兵器は、足首から先がなくジェットノズルになっていた。
肩には黒羽根を広げるような装甲に刻まれた血色の赤が、黎黒の装甲に映えている。
その隣には、対象的な細身の人型機動兵器が佇んでいた。
白と水色の機体で、装甲は流線型の曲線で形成されている。
こちらの機体には、足首がある。が、エステバリスとは違い、ハイヒールのような形状をしていた。
両肩には、膝上まである木の葉型の大きな盾を実装している。
エステバリスと、大きさは同じくらいだが、根本的に形が違っていた。
「お待たせしました。レイジさん」
「ルリ?」
いつの間にか、レイジの隣に立っていたルリが、漆黒の機動兵器を見つめる。
「オモイカネ。『ブラックサレナ・A5』の修理、終わりましたか?」
「うん。
でも、細かい調整は、僕には無理だよ。
高松さんやウリバタケさん級の技術者がいないと」
「早急にナデシコAに引き渡さなければなりませんね」
「問題はタイミングだね」
「そうですね」
「『月下』の使い捨てボソンジャンブ用ユニットは?」
「六発、準備できたよ」
「CCが手に入りませんか……」
「ネルガルに全てを握られてて、手の出し様が無いんだ。
それでも、研究所に送られる分をチョロまかしてるんだけどね」
「話が弾んでるところ悪いが、ルリ。
エレンの動向は掴めたのか?」
「はい。結論から言います。
クリムゾンは、エレンさんでアカツキさんの暗殺を企てています」
「アカツキを?」
「はい。
これは、エレンさん一人の任務です。バックアップもありません」
レイジは唇の端を歪めた。
「ファントムの仕事は、大抵そうさ。
下手なバックアップは邪魔になるだけだ」
「ただ、気になることが。
その後の、エレンさんの予定が一切無いんです」
「まだ、決まってないか、それとも、そこで切り捨てられるか。
確実に言えるのは、エレンを押さえる絶好のチャンスだな。
ルリ。ありがとう」
「待ってください。
その前に、北米でサイス・マスターの主宰する取引があるんです」
「サイスが取引?
あいつは、そういうことはしないはずだが」
「しかも、地元の弱小マフィアと武器取引です。
訳が解かりません」
しばらく、何かを考えていたレイジは「ああ」と呟く。
「なるほど、フィーアたちの仕上がりを見るためか」
「フィーア?」
「一度だけ、遭遇したことがある。
エレンの後継者……いや、アインのコピーだ。
サイスは
「そうですか。
サイス・マスターが来るならば、エレンさんが護衛の可能性が高いですね」
「サイスが居るなら、エレンも必ず居るはずだ」
「決まりましたね。私たちの次の任務」
不敵に嗤うルリに、レイジも同種の
「ああ。サイスへの強襲だ」
「そうだ。ルリ。
それで、渡す物があるんだった」
オモイカネが、二人の会話に割り込む。
「渡すもの?」
「右の棚を見て」
「バイザーと弾丸とコミュニケ?」
「そう。ルリのバイザーが壊れたから、その換えだよ。
コミュニケはレイジさんの分」
「じゃあ、この20発の弾丸は?
11.85ミリだから、
「うん。対ディストーション・フィールド用弾丸の試作品だよ。
今のバッタのフィールドなら撃ち抜ける。
ただ、無反動ブラスターでも、かなりの反動がおきるけど」
「反動って……どれくらいですか?」
「火薬式45口径の反動ぐらい」
「私……火薬式45口径は撃ったこと無いんですが」
困惑に眉を寄せるルリに、レイジが助言する。
「片手で撃てば、間違いなく手首を捻挫する。下手したら骨折だな」
「…………はあ。
片手で撃たないようにします」
「それが良い」
「レイジさん。これを」
ルリはコミュニケをレイジに渡した。
「これは?」
「そうですね。
画像付きトランシーバーって、とこでしょうか」
「要は、ルリとしか話せないわけか」
「コミュニケを持ってる人となら話せますが、今は私しか持っていないので必然的にそうなりますね。
ニホン国内なら何処でも通じるはずです。
それ以上だと、オモイカネまで重力波通信が届かないので、通信不可能です。
今、マーベリック社で重力波通信施設の建設を進めていますが、地球全土を覆うには、まだまだ、ほど遠いので」
コミュニケを見ながら、レイジは嘆息した。
「何かもう…………なんでもありだな」
「…………それを言ったら、お終いです」