ルリは、地下シェルターの一画に座っていた。
周りには、避難してきた人々でごった返している。
連合陸軍がこの地を見捨て、防衛ラインを下げたのは、何の前触れもなく突然のことだった。
軍は戦況の劣勢を民衆にひた隠し、情報操作で誤魔化し続けてきたのだが、
前線が崩壊し、上層部が撤退を決めた途端、平静を装っていた全ての部隊が手の平を返したように撤退したのだ。
誤った情報を信じ、連合軍が守護してくれていると安心しきっていた市民たちは、大混乱に陥った。
事態を知り、自棄になった民衆が暴動を起こす前に、バッタの軍勢がその民衆を街を全て薙払っていったのだ。
ここに集まった人々は、生き延び、なお逃げ遅れた者たちだった。
そしてルリも、その中に巻き込まれていた。
「…………ふう」
低い天井を仰ぎ、ルリは溜息を吐く。
この場所が『ニホン』だったならば、いくらでも手段はあったのだが…………ここ『
電波通信局も破壊され、連絡もネットも出来ないルリは、一般人と何ら変わらない。
しかも、前の任務でレイジは肩を負傷し、エレンはその看病で付き添っていた為、この場にはルリ一人だけだった。
レイジが肩を撃ち抜かれたのは、一週間程前。
とある学校の侵入捜査で起きた。
そこは、外国人学校とは名ばかりのスパイや特殊兵士の養成所であり、調査した結果、そこの卒業生は企業や国家の闇部で暗躍しているらしい。
そんな冗談のような学校がニホンに存在していた。
理由は、立地条件として治安が比較的良いこと。
学校の周りを外人が彷徨くと、目立つこと。
これに加えて、学校の閉鎖的体質と、それを怪しく思わないニホン特有の風土と云う好条件があった。
この外国人学校を裏から経営している団体を調査していたレイジたちだったが、いくら外側から調べても埒が開かなかった為、業を煮やした三人は、学生として侵入したのだ。
転入してから、一ヶ月後、ルリが地下にあるマイナス10度、湿度0パーセントの中で稼働しているハイパーコンピュータから全データをダウンロードした同時刻、学校側に三人の侵入目的がバレた。
ルリがミスしたわけではない。
ただ、ツヴァイ・ファントムを見知っている人間がいた。それだけのことだった。
そして、その脱出時、レイジは、僅か12歳の少女に負傷させられたのだ。
撤退時は冷静沈着なエレンだったが、アパートに着いてからは、レイジから片時も離れたがらなかった。
心配そうに眉を下げ、上着の端をちょんと掴んで、トイレや風呂にまで付いて行うとするエレンに、さすがのレイジも閉口していた。
親鳥の後を追いかける雛のような様子を思い出したルリは、口許を微かに緩める。
補足しておくと、ルリたちがデータを持ち帰った翌日には、学校はもぬけの殻となり、
さらにその次の日には、初めから何も無かったような更地になっていた。
それで、学校が潰れたとは誰も思っていない。転移したと考えた方が自然である。
仮にも、スパイ養成学校だ。非常時の潜伏地や、次の転移地は初めから決まっていたのだろう。
だが、ルリが奪取したデータに、次の転移地の情報は含まれてなかった。
負傷したレイジたちは、ニホン国内で、その追跡調査をしている。
その間、ルリは別の単独任務に就く事となった。
ルリを前に、指紋識別やカード認識などの電子セキュリティーは意味をなさない。
さらに、『ファントム』に――エレンとレイジに、侵入探査を徹底的に叩き込まれたルリは侵入探査だけなら、ネルガルNo1のプロスに近い実力を有していた。
現に、北欧のクリムゾン研究所の最新部から首尾良くデータを盗み取り、今に至っている。
今のルリは、潜入した時の丈夫だけが取り柄の作業服を着、その上にいつもの釣鐘型の白マントを羽織り、バイザーを被っていた。
「やはり、コミュニケは通じませんか。
木連の襲撃で、東欧と北欧の重力波通信施設の建設ストップが、こんな所で響くとは…………」
通じないと解っていながらも、ルリはコミュニケをカチャカチャと弄っていた。
「おい!!」
床にぺたんと座っていたルリは、上を見上げる。
「貰ってないだろ。
あんたの分の割り当てだ」
「…………はあ」
保存食料の包みを差し出した少年がルリを見、くすりと笑った。
「変な格好だな」
「そうですか?」
ルリは、自分のマント姿を見下ろした。
「変も変だ。
それとも、都会の方じゃ、そういう格好が流行ってるのか?」
「いえ。別に――」
と、突然、怒号と悲鳴が地下シェルターに響き渡った。
ルリと少年が視線を巡らすと、群衆の悲鳴の中心に、一匹のバッタ。
誰かが反応するよりも早く、バッタの背中の羽が開き、ミサイルポッドを覗かせる。
ルリは、とっさに傍にいた少年に覆い被さり、床に伏せた。
同時に、バッタの焼夷弾仕様のマイクロミサイルがシェルター内で炸裂。
そこは、一瞬にして阿鼻叫喚の灼熱地獄へと変わった。
灼熱の炎が、人を吹き飛ばし、呑み込む。
悲鳴。絶叫。踊る炎。泣き声。
幾もの黒い人影が、赤とオレンジと青の灼熱の狂舞を踊り狂う。
絶叫がなければ、華雅な炎の舞いに見えただろう。
二人の眼の前に、千切れた赤ん坊の腕が転がり、炎に呑まれる。
子供を抱き抱えた母親が、子供ともども業火に包まれた。
焼けた黒い固まりがどさりと倒れ、ボクサースタイルに縮む。
ばたばたと暴れる人影の端が炭化していき、ぼろぼろと崩れていく。
転んだ子供が、出口へ殺到する大人たちに踏みにじられ、血溜まりが広がった。
赤黒い業炎の中、陽炎で揺らめくバッタが赤眼を光らせ、残りのマイクロミサイルを発射する。
出口に殺到した人々の頭上で、ミサイルが炸裂し、人体が粉々に吹き飛んだ。
それも、炎の餌食となり、黒い炭と化し、タンパク質の焼ける異臭が充満する。
出口が開いたのを見たルリは、少年の手を引いて逃げだした。
青眼金髪の少女が、唇を動かしながら、こちらに骨の覗く手を伸ばす。
ルリは無視した。
彼女の顔は無事だが、下半身が無かったから。
痛い、熱い、助けてと響く絶叫を振り切るように、ルリと少年はシェルターから走り抜け出す。
地上に出、手を引きながら5分ほど走り続け、ルリは足を止めた。
よろよろと、ルリから離れた少年は、その場で嘔吐し始める。
胃の中の物を全て吐き、胃液しか出てこなくなったところで、ようやく少年は口を拭った。
「こっちへ。
水場があります」
「あ…………ああ」
少年は何回も、何回も水道で口を濯いだ。
ルリが差し出したハンカチを、少年は首を振って断る。
「大丈夫ですか?」
「あ……うん。
大丈夫かと聞かれたら……多分、大丈夫だ…………と思う。
でも、俺たち、どうやって助かったんだ?」
「私の、このマントには、対人ディストーション・フィールド……つまり、バリアが仕込まれています」
「マジか?」
「…………ええ」
ルリの気の抜けた返事に、力を抜くように少年は笑みを見せた。
「そういえば……お礼がまだだったよな。
ありがとう……ええっと――」
「ルリ。『星野瑠璃』です」
「ありがとう。ルリ。
俺の名は『アレキサンドライト・トパズ』
アレクと呼んでくれ」
「はい。アレクさん」
「さん付けはいらねぇよ。呼び捨てでいい」
「…………はあ」
ふと、ルリは横を向いた。
「走れますか? アレクさん」
「ルリ。アレクでいいって言ったろ。
俺は
「わかりました。
では、アレク。もう一度、問います。
走れますか?」
「ああ。これでも
「それは好都合。
走りますよ」
「なんでだ?」
「バッタが近づいて来てます」
ルリの純白のバイザーに幾何学模様が浮かんでいる。
「もしかして、それでバッタの位置がわかるのか?」
「はい。
ただし、シェルター内のような密閉された空間では、ほとんど役に立ちませんが。
行きましょう」
「行くって、何処へ?」
「それは、走りながら決めます」
走り始めたルリを、アレクは追った。
バッタに蹂躙され、廃墟と化した街中に、二人だけの足音が響く。
舗装された道路が、所々大きく陥没していた。
伝統ある石造りの建物は、軒並み瓦礫の山と化している。
ルリとアレク以外、動く物は見あたらない。
突然、ルリが足を止めた。
「どうした?
疲れたのか?」
顔を覗き込むアレクに、ルリは瓦礫の陰を見つめる。
「回り込まれました」
「え?」
ルリの声に呼応するように、二匹のバッタが瓦礫の陰から現れた。
「ルリ!! 後ろにも一匹!!」
100メートルほど離れた所にバッタが一匹、赤眼を光らせている。
「知ってます」
それだけを呟き、
足を肩幅に開き、ブラスターを両手でしっかりとホールドしたルリは、眼の前のバッタに狙いを定めた。
「そんな拳銃でどうすんだよ!?」
ドン!!
たった一発で眉間を撃ち抜かれたバッタは、瞬転、爆発する。
「嘘だろ?」
アレクが、唖然と呟いた。
バッタが爆破飛散した。
「ルリ!!」
焦った声を上げるアレク。
後ろのバッタの背羽が開き、マイクロミサイルがこちらを狙っている。
ドウゥゥゥゥン!!
街に砲声が響いた。
直線の火炎の軌跡が、バッタの背のミサイルに突き当たり、バッタが爆炎に包まれる。
「ロケットランチャー?」
柳眉を顰めて呟くルリに、良く通る低い声が響いた。
「こっちだ。小僧っ子。小娘!!」
二階より上が吹き飛んでいるビルの陰から、手を振っている男をルリが見つける。
「行きましょう」
アレクが何かを言う前に、ルリはアレクの手を引いて男の元へ向かった。
*
「こっちだ」
廃墟としか見えない石造りの家の中に入って行く。
男は、地下室へと続く鉄鋼の扉を開いた。
「随分と古い階段ですね」
「ああ。300年前の第二次世界大戦時、ドイツ軍とソ連軍に抵抗するために作ったらしい」
「…………崩れませんか?」
「大丈夫だ。この家の、変わり者の当主が代々、修復・増築していたからな。
ちなみに、今の当主は、この俺だ。
もう一つちなみに、ここのリーダーもやってるぜ」
リーダーの男に案内された地下室は、意外なほど広かった。
20〜30人ほど住民が避難している。
「食料は?」
「ははは。変人当主様を嘗めるなよ。
一年分はあるぜ。
節約すれば、2年は持つ。
ついでに、非常用の武器弾薬も、たっぷりだ」
むんっと分厚い胸を張るリーダー。
俯いていたアレクが暗い声で、ルリを呼び止める。
「…………ルリ」
「はい?」
アレクは、ルリの胸ぐらを掴んだ。
「なんで、その拳銃でバッタを倒してくれなかったんだっ!!
そうすれば、あのシェルターは――母さんと弟は――」
「…………私が何かをするより先に、ミサイルを撃たれてしまいましたから」
激高するアレクと対象的に、ルリは静かに言葉を紡ぐ。
アレクにもわかっていた。
ルリに銃を抜く隙すら与えずに、壊滅したことを。
あの位置からでは、どうすることも出来なかったことを。
ゆっくりと、ルリのマントから手を離したアレクは下唇を噛んで俯いた。
「ごめん。助けて貰ったのに。
ただの八つ当たりだな」
「小僧っ子。小娘。
シェルターで、ミサイルってのはなんだ?」
嫌な予感に、眉間に皺を寄せたリーダーへ、ルリは淡々と事実を述べる。
「シェルターでバッタがミサイルを放ち、一瞬で、灼熱地獄と化しました。
ここから、西に1キロ離れたシェルター1つが壊滅です」
シェルター内に、ざわめきが広がった。
「お前ら、よく助かったな」
「ええ。…………まあ」
「安心しろ。子供二人分くらいなら、ここにだって空きがある」
「いいえ。アレク。一人分で結構です」
「え?」
「たしか、この地域には空軍基地がありましたね。
そこまでの道順を教えてください」
「あるには、あるが……空軍基地まで行ってどうするんだ?
もう、軍は引き上げちまってるはずだぞ」
「軍は引き上げましたが、この地域の撤退は急でしたから、全ての武器を引き上げたとは思えません。
まだ、エステバリスが残っている可能性がかなりあります」
「でも、エステバリスがあったって操縦が――」
ルリは白手袋を脱いで右手の甲を見せた。
「私が出来ます」
「IFS!?
小娘。おめぇ、パイロットだったのか!?」
「なんだ? IFSって?」
「小僧っ子。知らねぇのか?
ナノマシンていう極小機械を体の中に打ち込んで、機械を操縦する技術よ。
そんなの打ってるぶっ飛んだ奴は、軍のパイロットぐらいのもんだ」
「ルリ。パイロットだったのか?」
「はい。と、いう訳で、道を教えてください」
「まあ、そいつは良いが……俺たちは付き添えないぞ」
「構いません。私一人で行きますから」
「待てよ!!
俺も一緒に行く!!」
「アレク?」
「小僧っ子。気持ちはわかるが、足手纏いになるだけだ。
止めとけ」
「いやだっ!! ルリ。頼む。
俺も連れてってくれ!!」
「構いませんが…………何故ですか? 危険ですよ」
「そ……それは……と、兎に角、約束したからな!!」
アレクの様子に、何かを気づいたリーダーは、はは〜んと笑う。
「なるほど、頑張れ。少年」
「うるせぇよ!!」
ニヤニヤと笑うリーダーに、アレクはそっぽを向いた。
と、その時、
おーーう。おーーう。おーーう。おーーう。おーーう。
吠えるような女性の
沈欝な表情を見せるリーダー。
「三日前に子供を亡くしてな。
あれから、ああやって哭き続けているんだ」
「泣けるなら、まだ、大丈夫だと思います。
虚脱状態になった時が一番、危ないですから」
「…………そうだな」
哭き声を聞いて不安になったのか、アレクはシェルターを見回した。
「ルリ。このシェルターは大丈夫なのか?」
「ここからは、強烈な電磁波が発されてます。
機械のバッタは計器を狂わされるので、近づきたがらないと思います」
「電磁波?」
「はい。あれから発されてます」
直径1メートルほどある太いケーブルを指さすルリに、返答するリーダー。
「あれは、送電線だ」
「ああ、なるほど。
でも、地下の送電線を断ち切られたり、発電所や変電所を破壊されたら、ここも危ないですね」
「つまり、あれに電気が通っている内は安全てことだな」
「あくまでも、比較的です。
絶対ではありません」
「そっか」
ルリは隣に立っているアレクに視線を向ける。
「アレク」
「ん?」
「不安なのはわかります。
でも、常に気を張ってると、精神が擦り切れ、いつか切れてしまいます。
ですから、ここは安全だ。と暗示をかけてでも、精神を休ませてください」
「…………わかった。
努力してみる」
「あとは、気を紛らわせるゲームや他人とのお喋りも有効です」
「今のようなのか?」
悪戯っぽく問いかけるアレクに、ルリは小さく微笑んだ。
「今日はもう遅いし、疲れただろう。
明日、出発するなら、早めに寝ておけ」
「…………はあ、そうですね」
「ただ、二人分の寝袋はないんだ。
一応、下に敷くマットと毛布はあるんだがな」
「それがあれば、十分です」
*
埃っぽいマットにルリとアレクは寝ころんだ。
コンクリートの上で寝ることに比べれば、贅沢は言ってられない。
「ルリ。寝るときもバイザーを外さないのか?」
「これ。警報機も兼ねてますから」
「そっか。
…………なあ、ルリ」
「はい?」
「今日、一日で色々あったな」
「ありましたね」
「明日からも、よろしく」
「こちらこそ……です」
と、寝ているアレクに覆い被さる様に、ルリがふわりとアレクを抱きしめた。
「ル……ルルルルルル……ルリ!?」
焦り慌てるアレクを、純白のバイザーを透してルリが見つめる。
「このマントは、保温機能もあります」
「で、でも……」
離れようとするアレクに、ルリは強い口調で言い聞かせる。
「ここで風邪を引かれると、私が困ります。
この地域は夜、かなり冷え込みます。
絶対に、身体を冷やさないでください」
強い視線に、躊躇していたアレクもビクビクしながら、ルリを抱きしめた。
「アレク。おやすみなさい」
「あ……ああ。おやすみ」
アレクと抱き合ったまま、ルリは眠りに着く。
ルリの暖かな体温が、廻した腕から、密着した身体からアレクに伝わってくる。
ルリの肩は、アレクが想像したより、はるかに小さかった。
アレクの眼の前に、ルリの唇がある。
俺……今夜……眠れるかな?
アレクはそんなことを思いつつ、邪想を振り払って、眼を閉じた。
おーーう、おーーう、おーーう。おーーう、おーーう、おーーう。
おーーう、おーーう、おーーう。おーーう、おーーう、おーーう。
薄暗いシェルターに女の慟哭が響き、残響する。
いつまでも、いつまでも途絶えることなく。