第五話

トレーニングルームに、時折激しい衝撃音が走る。

テンカワアキトの、訓練の音だった。

時々する大きな踏み込みが、発生源となっていた。

しかし、その音を咎める者はいない。部屋には、誰もいなかったから。

例えいたとしても、やはり咎める者はいないだろう。

何故なら、彼の顔はこの艦の者が見た事が無いほど必死な形相をしていたからだ。

「アキトさん。」

幼めな声とドアの開く音とともに、アキトは運動を一時止める。

額から汗が滴り落ち、床に池を作っていた。

「タオルです。

 ・・・やっぱり、引きずってますか?」

「ありがとう。

 ・・・うん。俺に力が無いから、サツキミドリでも敵わなかったし、火星の人も助けられなかった。

 俺が、もっと頑張っていれば・・・!」

「アキトさんは悪くありません!

 ・・・アキトさんは、十分頑張っています。

 アキトさんがいるから、私は・・・。」

「・・・ごめん、ルリちゃん。」

アキトはほんの少し微笑むと、ルリの頭を撫でる。

それを心地よく感じながら、ルリが返す。

「ハーリー君とラピスに今急がせています。

 ブラックサレナ、ウリバタケさんに頼んだDFS、そして例のあれが完成すれば、敵なんていません。」

「ありがとう、ルリちゃん。

 ・・・さっき、ユリカが落ち込んでたから、何か言ってくるよ。」

「・・・はい。」

アキトがその部屋を出た後も、ルリはかすれるほど小さな声で、呟いた。

「力さえあれば・・・戦争を終わらせて・・・。

 そうすれば・・・あの頃が戻ってくる・・・。」

「テンカワ〜」

「テンカワ〜」

「お前等、いい加減にしろ〜!」

落ち着きと明るさをやや取り戻した食堂で、パイロットの三人が騒いでいた。

確か、スバルさんにアマノさん、マキさんだったかな。

テンカワさんの名前を連呼して、スバルさんがそれに激昂してるけど・・・。

「何か、テンカワさんにあったんですか?」

「少年少年!聞いてらっしゃい見てらっしゃい!」

「こらヒカル!言うな!」

「さっき出撃したときにね、リョーコがピンチになって、危うくやられちゃうところだったの!」

・・・それって、大変じゃないの?

笑いながら言う事じゃないと思うんだけど・・・。

「それで〜、リョーコなんて叫んだと思う?」

「こ、こらっ!ホントにやめろ!」

スバルさんの再三の叫びを無視し、二人はせーので叫ぶ。

『テンカワ〜!!』

「うわ〜!!」

・・・はあ。

「その時!アキト君が王子様の如く颯爽と現れ、リョーコを助けてくれたの!」

「なるほど・・・」

要は・・・そういうことか。

「スバルさんが、テンカワさんを仲間って認めたってことだね?」

『・・・・・・』

僕の出した答えは、しかし二人には不評のようで、ため息をつかれました。

「そ、そうだぜ!よく解ってるじゃねえか!」

「少年って・・・」

「・・・馬鹿?」

・・・聞こえてます、ご両人。

続いてやって来たのは、フクベ提督。

何だかその瞳は寂しさと苦しみに染まっていて。

それでいて、もうすぐそれから解き放たれるような感覚がした。

「提督・・・?」

「・・・ああ、すまんね。

 熱燗、一つ。」

「あ、はい。」

コックしかやっていない僕には、パイロットやブリッジの人の苦労は解らない。

だけど、おいしい料理を作る事で、その苦労を和らげられたら、と思う。

それは、軽挙な願望であり、空虚な妄想ではあるけれど。

劣悪な妄想は、世界の中で容易く消されるけれど。

だから、強く願い、信じれば、叶うような気がするから。

妄想は現実に、空想は真実になるような気がするから。

「少年・・・といったな。」

「は、はい。」

「記憶が無いと聞いたが・・・。」

「まあ、慣れました。」

嘘を、ついた。本当は、まだ不安で押しつぶされそう。

しかし、提督はおもむろに話を始めた。

「人間は、今しか見ることが出来ぬ生き物じゃ。

 未来と言うものは暗闇の森のようなもの。進む道も、一瞬先の景色さえも解らぬ物。

 進みたければ、自らが道を切り開くのみ。

 過去と言うのは、出てきたばかりの長いトンネルのようなものだ。そこで振り返っても、後ろは段々見えなくなっていく物じゃからな。」

飲み干した熱燗をカウンターに置き、提督は立ち上がる。

「・・・飲み過ぎたかのう。

 老い先短い老人の戯言じゃ。忘れてくれても構わんぞ。」

お猪口を置き、老人はゆっくりとこの場を後にしようとする。

その背中に、反射的に僕は声をかけていた。

「提督・・・!」

「・・・?」

「・・・ありがとう、ございます。」

何となく、解った気がする。完全にじゃないけど、飲み込みも出来る。

今までがなんだろうと、これからどうなろうと、僕は、ここにいる。

少なくとも、今、此処にいる――――。

提督は、ただ穏やかな笑顔を向けて、それから去っていった。

これが提督との最後の会話になった事は、後で解った事だけど。

そして、かなり時間が経ってから。

外の様子はよく解らないけれど、さっき艦内に、

「本艦は、これよりチューリップに突入します。

 各員、所定の位置にて待機してください。」

という艦長の言葉が流れた。

(これから・・・どうなるんだろう・・・)

クルーの皆が、多分僕が今思っているだろう事を胸に抱きつつ、それでも同じように過ごそうとする。

この不安は、事情を知らないから出てくるのかな?

事情を知っていれば、この不安は無くなるのかなあ?

そんなifの事、今では関係のない事。

だって僕は、パイロットのように戦う事も、ブリッジの人のように戦う事も出来ない、ただのコックでしかないから。

そんな取り止めのない事を思いながら、僕という存在は、

何時の間にか、過去も現在も未来も無い、たった一つの点となり、やがて消えていった・・・。

「アキト!」

最近ずっと寄り添っている、相棒とも呼べる少女の声に、俺は意識を現世に戻した。

――――俺!?

何故・・・俺は俺と呼んでいる?

何となく・・・他の人物を演じている感覚に襲われる。

自らのアイデンティティが、揺らいでいく。

だから、何か支えになる者が欲しくて。

とっさに、近くにいるはずのラピスに助けを求める。

「ら、ラピス・・・」

「あ、アキト!?」

俺の心理の揺れをリンクで見て取ったラピスが、声を震わせて返す。

「俺は・・・俺だよな?テンカワアキトだよな?」

「・・・そうだよ?」

「そうか・・・そうだよな。」

期待通りの答えに、取り敢えずはホッとする。

「・・・アキト?」

「ん、何でもない。」

俺は、火星の後継者をルリちゃん率いるナデシコCとともに倒した後も、敢えてユーチャリスで宇宙を放浪する生活を選んでいた。

理由は二つ。

一つはルリちゃんや、遺跡から救助されて療養中のユリカにあわせる顔が無いと思っているから。

もう一つは火星の後継者の残党は未だ健在で、その残党は海賊と成り果てていた。

それを、ネルガルからの、アカツキからの依頼で叩きまわっているから。

「けど・・・」

本音は、逢いたいなあと思っている。みんなに。

そして、ユリカやラピスにも、普通の幸せを持たせてやりたい。

「・・・はあ。」

どうしようもなく思う心が、ため息となって口から落ちていく。

しかし、それも一瞬。思考を切り替え、ユーチャリス艦長としての質問をする。

「・・・ジャンプフィールドの調子は?」

「まだ、良くない。いざと言うとき、ジャンプできない。」

「・・・じゃあ、一旦ネルガルに戻って――――」

艦を衝撃が揺らしたのは、その時だった。

「何だっ!?」

<敵襲です!>

「アキト・・・ルリが来た!」

「・・・ルリちゃんが!?」

その時外部スクリーンに映った白亜の戦艦は、後継者との戦いで後半まで使用されていた、ナデシコB。

言うまでもなく、ホシノルリ大佐の搭乗艦であった。

「アキトさん!!」

「・・・どうしたの、ルリちゃん。」

「どうして・・・戻ってきてくれないんですか?」

「・・・・・・。」

程よく流れる、沈黙の時間。

それに耐え切れずルリが再び口を開こうとした時、アキトが声を絞り出す。

「後、半年なんだ・・・。」

「・・・何がですか?」

「・・・生きる事が出来る、時間が。」

「――――!?」

そう言いながら、アキトはバイザーを外す。

顔面に走るナノマシンの光が、命の鼓動のように瞬き続ける。

「体をいじられた副作用でね、寿命がもう殆ど無いんだ。

 たった半年しかいられないから、戻らないほうがいい――――」

「嫌です!!」

通信にノイズが走りそうなほどの大声で、ルリが咆える。

「半年しかいられないとか、戻らないほうがいいとか、そんなの関係ありません!

 私は、アキトさんに戻ってきて欲しいです!」

必死の嘆願に、心動くアキト。

だが、罪の意識がそれを凌駕し、跳ね飛ばした。

「・・・駄目だ!

 やっぱり・・・駄目なんだ!」

「・・・なら、仕方ありません。オモイカネ、有線アンカー射出!

 アキトさんを、捕まえてください!!」

アキトの拒絶の言葉を受け止めず、ルリは親友の電子存在に指令を出す。

それは容易に受諾され、鋼の矢を撃つ為の口が開こうとする。

無論それはアキトにも聞こえている。だから、対抗策を講じた。

「ダッシュ、そっちの判断でフィールドの密度を変えて、弾いてくれ!」

<了解しました!>

「ラピス、艦の動作を頼む!」

「うん!」

刹那の後に、数個の衝撃がユーチャリスを殴り飛ばす。

だが、ダッシュが艦の動作を変えつつフィールドで弾いたため、直接装甲への被害はない。

とは言えど、無理な機動が祟り、反動でユーチャリスは殆ど動けなくなってしまった。

動きはするが、それは馬と競う亀の如し。追いつかれるのは、時間の問題。

加えて、フィールドも停止。ホシノルリを阻む障害は、消えたも同然だった。

だが、それに気づかなかったのが不幸の始まり。そして、物語の始まり。

以前の冷静沈着は鳴りを潜め、衝動によって再び放たれた鋼のやじりは、無情にもユーチャリス本体に突き刺さる。

「アキト!」

「ジャンプは!」

「やっぱりだめ!もう、爆発す――――」

閃光。

とても大きな閃光が一つ、宇宙に咲く。

紅の波は戒めの鎖を繋いだ先、ナデシコBをも飲み込み、食いつくさんばかりに全身を焼き尽くす。

「アキトさん!

 ・・・アキトさぁぁぁぁぁぁぁん!!」

やがて、炎が去った後には、何も残るものは無かった。


子安のあのキャラの復讐の目的とは何だったのか、時折考えているヴェルダンディーです。

どなたか、マイメリーメイPS2版(PS2しか無いため)を持っていれば格安で下さい。

・・・と言いたいところですが、家庭の事情上無理っぽいです。涙。

久々最後にアキト視点。しかも定番の逆行前。

ただいきなりアンカー刺してドカンでサラバではありきたりすぎるので、その前にユーチャリスに無理をしていただきました。

結局のところはお決まりのまま終わってますが。

最近執筆速度が遅くなってます。

次の投稿はいつのことやら・・・。

次回は8ヵ月後です。まだ主人公はマシンに乗りません。

次回はまだ無理ですが、そろそろ視点の数を増やして細かく書く予定です。

・・・あ、短い(今気づくな

 

 

 

 

代理人の感想

んーと。

閑話っぽいんですけど、なんかこう予測できるようなことばかりで・・・

それならそれでなんか伏線とかぎょっとするような事とか、期待してたんですが。