代 償
周知のとおり、ネルガルはアジア圏最大のコングロマリットである。
中核である重工業部門は当然として、他の部門・分野・分類についてもアジアでトップクラスの業績をあげている。
生産しかり、流通しかり、そして販売しかり。
その販売部門。
下はコンビニエンスストアから始まって、客層に、つまりは所得に応じた複数の販売チャネルを持つネルガルは
当然の事ながらいわゆる百貨店と呼ばれるものを経営している。
名前は何の捻りもなく「ネルガル百貨店」といい、ネルガル製の商品だけにとどまらず
ライバル企業群であるクリムゾングループをはじめとする、世界で一流といわれる品が余すことなく集められており
アジア圏のみならず全世界から客が集う、巨大なネルガルの広告塔であった。
「今はコンビニ、だけどいつかはネルガル百貨店で」
というのが立身出世を目指す人達の目標になっており、ネルガル百貨店で買い物をするということは
大げさではあるが成功の証でもあった。
その百貨店の階段脇にある、休憩スペース。
据え付けられたベンチに、テンカワアキトは疲れきった表情を浮かべて座っていた。
脇には数え切れないほどの、袋、袋、袋。
それらの袋の横には、一流といわれるブランドのマークが控えめに、あるいは誇示するように刻まれている。
そして手には、同じ場所に設置されている自動販売機で買った、缶コーヒー。
ステイオンタブを開けて、一口だけ飲んだコーヒー缶をぼんやりとみながら
自分は何故こんなところにいて、疲れきっているのだろうと考える。
考えながらふと視線を上げると、人影の無いフロアに立つ2人の女性。
1人は妙齢の、黒髪をもった女性であり、いま1人は桃色の髪をしている少女。
2人は今、とっかえひっかえしながら服を選んでいる最中である。
もっとも、専ら黒髪の女性が山とある服の中からよさげなのを選んでは
少女に似合うかどうか確かめているだけだが。
その様子を見ながら、アキトは今朝のやり取りを思い出していた。
「ア、アキト君! なにやってるのっ!!」
その日、アキトは甲高い女性の叫び声を目覚ましとして起床した。
「なんだ、エリナか」
やや低血圧の気があるアキトは、目を覚ました直後はぼーっとしている事が多い。
この時もエリナの剣幕に気づかずに、上体を起こした姿勢のまま
「今日は薄緑色のスーツか」とどこか場違いな事を考えていた。
「『なんだ』じゃないわよ! 私というものがありながら、なんてことしてるのよ!!
そんなに寂しいのなら、言ってくれれば私だっていつでも・・・」
エリナも動揺しているのか、何気に暴走気味の言葉を発している。
「? なんのことだ?」
エリナの暴走した言葉に反応はしなかったが、しかしエリナが何らかの理由で
憤慨していることだけは理解したアキトは、直裁的に質問を投げかける。
その質問と表情に、アキトがまだしっかりと目覚めていないことに気づいたエリナは
繊手をもってアキトの質問に答える。
アキトはエリナの綺麗に整えられた指先を見てから、ゆっくりとその示す先に視線を向ける。
「・・・・・・・・・・・・」
エリナの指の先、アキトの視線の先にあったのは、桃色の髪に小ぶりの顔。
その存在を、アキトは無言で見つめる。
「ううん」
アキトが上体を起こしたため、寒くなったのか。
小さく呻き、身を縮めるようにしながら、アキトに寄り添ってくる。
「・・・あ、いや、これはだな・・・」
無駄と思いつつも、アキトは弁明を試みる。
「昨晩は、ちゃんとラピスをそこのベッドに寝かせたんだ」
そういいながら、エリナの注意をそちらに向けさせる。
これ以上、針よりも鋭い視線を受けつづけるのは、さすがに心臓に悪い。
エリナはアキトの言葉に、言われた通りの場所を見る。
そこには小さ目のベッドがあり、そのシーツは誰かが寝ていたのを証明するかように乱れていた。
「ふうん、そうなの。それで?」
布団の状態を一瞥したエリナは、菩薩のような笑みを浮かべながらアキトに向き直り、続きを促す。
視線は相変わらず針よりも鋭いままだったが。
「『それで』って、後は知らない。エリナに起こされるまで熟睡していた」
アキトは最後まで言い終えると判決を待つ容疑者のように、粛々としてエリナの反応を待った。
「言いたい事は、言い終わった?」
結局のところ、エリナはアキトの言い訳を聞いてはいたが、もとより許す気はなかったのであり
それはつまるところ、アキトがエリナに逆らうことができなくなる理由が一つ、増えただけのことであった。
エリナがアキトに判決を言い渡そうと大きく息を吸い込んだその時、その原因が目を覚ました。
硬く閉じられた目蓋によって隠されていた、自然ならざる金色の瞳はその呪縛から逃れると
真っ先にある人物を、つまりはアキトを探した。
そしてすぐそばにアキトの姿を見つけると、小さな手を伸ばしてアキトの服の裾をぎゅっと握り締める。
その様子をみたエリナは、今まさにアキトに向かって放とうとしていた数々の言葉を、ため息とともに吐き出す。
音声を伴わなかったそれは、誰にも聞かれること無く、ほんの少し部屋にとどまった後、虚空へと霧散する。
「さっさと起きなさい。体の検査とか、いろいろと忙しいんだから」
どういうわけだかわからないが、エリナの雷を回避できたようだ、ということに気づいたアキトは
せっかく回避したものを呼び戻さないようエリナの言葉に素直に従い急いで布団を跳ね除けて
ベッドから降りようとした。
が、ラピスがしがみつくようにしていたため、ラピスを抱えるようにして降りなければならなかった。
「・・・・・・ねぇ、アキト君」
ラピスを抱えたままのアキトに、エリナが小さく問い掛ける。
「昨日、聞き忘れてたんだけど、ラピスの服ってどうしてるの?」
エリナの視線の先には、昨日の昼間、初めてエリナと対面した時と同じ格好をした少女がいた。
その服は手術着のような、のっぺりとした服なのだが、裾のあちこちがほつれており
目立ちこそしないが汚れも散見された。
「服? 研究所から連れてきた時のままだが?」
「着替えは無いの?」
「研究所では見なかったが・・・」
アキトの言葉に、エリナは大きなため息をつく。
「その様子だと、お風呂とか期待するのも無理そうね。良いわ。私がいれるから」
エリナはそう言うと、2人のやり取りを見上げていたラピスの視線に合うよう腰を屈め
「一緒にお風呂に入りましょうね」と語りかける。
そしてラピスの手を取ると部屋の奥にあるユニットバスへと向かう。
「おい、エリナ」
「どうしたの? さっさと検査に行ってきなさい」
あっけにとられていたアキトが再起動してエリナに声を掛けたが、エリナは冷たく言い残すと
ラピスをつれて扉の奥へと入っていった。
後に残された格好になったアキトは、軽く左右に頭を振って肩をすくめてから
検査を受けるために部屋を出ていった。
「じゃあ出かけるわよ」
「出かけるって、何処へいくんだ?」
検査から帰ってきたアキトに、エリナは開口一番外出する事を伝える。
しかし、いきなりそんな事を言われたほうは、何がなんだかわからない。
アキトは素直にエリナに訊くことにし、返答を待った。
「ラピスが使う、身の回りのものを買いに行くのよ。
替えの服も無ければ、下着もないなんて、ラピスがかわいそうだわ」
そういって、エリナは洗い、乾燥させた手術着姿のラピスを愛しそうに背後から抱きかかえる。
抱きつかれた格好のラピスはといえば、きょとんとした表情を浮かべているだけだったが。
「それは良いが、何で俺まで?」
エリナの言葉に納得はしたが、しかし買い物に自分がついていく必要があるとは思えない。
「あら、決まってるじゃない」
アキトの反応に、「何を言うのかしら、この人は」という冷ややかな表情をひらめかせ
左手を腰にあて、右手の人差し指を軽く左右にゆらしながら言葉をつなげるエリナ。
「に・も・つ・も・ち、よ」
「・・・・・・おい」
一語一語、指の振幅に合わせたように区切って言うその言葉は、アキトにとってとうてい納得出来るものではなかった。
「荷物持ちが必要って、どれだけ買うつもりだ?」
「それは行ってみないとね」
アキトの呆れたような問いかけに、笑みを浮かべて答えるエリナ。
「単に荷物持ちが必要なら、別に俺でなくても・・・・・・」
「と、冗談はさておき、ついてきてもらわないと困るのよ」
尚も抗弁しようとするアキトの台詞を遮りながら、エリナは一転して真顔になる。
「?」
アキトは急に様子の変わったエリナについていけず、困惑する。
「ラピスを連れて行くのよ? 何かあったら困るじゃない。
それにラピスがアキト君から離れると思ってるの?」
自分の名前を呼ばれたからか、ラピスが顔を上げて、エリナを見る。
それに気づいたエリナが、「ラピスもアキト君と一緒に行きたいよね」とそそのかすように言う。
「アキトは一緒に行かないの?」
エリナの言葉に、ラピスが捨てられた犬のような目をして、アキトに尋ねる。
「はぁ・・・・・・わかったわかった。一緒に行くよ。
荷物持ちでもなんでもするさ」
「よろしい。じゃあ、早速出かけるわよ」
もともと、少女には弱いアキトである。
エリナの言葉と、ラピスの表情に打ち負かされたアキトは、あきらめのため息をつくと
負け惜しみをいいながらエリナの言葉に従うのだった。
そして場面は冒頭に戻る。
エリナとラピス、そして2人に引きずられる格好のアキトは、他の店には目もくれずまっすぐにネルガル百貨店にやってきた。
一度エレベーターを使って階にして30、高さにして100Mを上り、そして順番に下りてくる。
入館してから数時間たった今、自分が何階にいるのかすら、アキトは把握できていない。
広大なネルガル百貨店には、同じ業種の店が複数入っていることも珍しくない。
その事が、余計アキトの感覚を乱していた。
今回の目的である服について言えば、大人から子どもまでの服を扱う店もあれば、子供服専用の店もある。
それらの1店1店で、エリナは膨大な服の中からラピスに似合いそうな服を選んでは、ラピスに見せている。
その中でラピスが気に入ったものは実際に試着させてみて、サイズやデザインを再度確認した上で、買っている。
エリナの見立ては、本職のハウスマヌカンにも引けを取らないようで、そういう方面に疎いアキトでも
その凄さがすぐにわかる程だった。
エリナによって選び出された服を着たラピスは、時には幼さを、時には清楚さを
時には大人になりきれない年代特有の艶っぽさを強調され、まるで幾人ものラピスを見るようであった。
「なんか、こういうのは、久しぶりだな」
ぐびり、っとコーヒーを喉に流し込みながら、アキトは一人ごち、そして記憶の河をさかのぼる。
はるか昔、というほどでもない。体験してから1年経つか経たないかの、記憶。
その時もアキトは荷物持ちをしていた。
相手も2人。妙齢の女性と、少女。
やや青みがかった黒髪を腰まで伸ばした女性が、水浅葱色をした髪の少女に服を選んでいた。
エリナほどの眼力では無かったが、それでも少女の魅力を十二分に引き出すコーディネイトをしていたように思う。
「ア、アキトさん。・・・・・・似合ってます?」
おずおずと、恥ずかしそうに似合うかどうか訊いてきた少女に、「似合ってるよ」と応えると
少女は色素の薄い白い肌をこれ以上は無いというほど真っ赤にして、うつむいてしまった。
「む〜、アキトずるい〜」
俯く少女の横で、すねた声を出す女性にあたふたとし、その様子に顔を上げた少女の金色の瞳を見ながら
それでもアキトは安らぎを覚えていた。
「アキト・・・・・・?」
「うわっ!」
記憶の遊回を終えたアキトの目の前に、金色の瞳があった。
白皙の肌の色はそのままに、しかし髪の色は桃色に。
「ああ、ラピスか。どうした?」
一瞬、ラピスに別の少女を重ねながら、アキトは訊ねる。
訊ねられたラピスは、束の間、躊躇するように押し黙ったが、すぐに口を開く。
「エリナに選んでもらった。似合ってる?」
そう言いながら、ラピスはその場で軽く回転する。
水色のワンピースに、白いタイツ。足元を黄色いショートブーツで覆っている。
回転に連れてワンピースの裾が軽く浮き上がり、フレアースカートのようになる。
いきなりどうしたのかと思ったアキトは、ふと思いつき、視線をラピスの背後に向ける。
すると悪戯をする少女のような表情を浮かべて、笑っているエリナを見つけた。
どうやらエリナの入れ知恵のようだ。
「似合ってるよ」
エリナの悪戯にのるのも、悪くはない。
そう思ったアキトは、一瞬だけ苦笑を浮かべた後、伺うようにこちらを見ていたラピスに
あの日と同じ言葉を告げる。
それを聞いたラピスは小さく頷くと、さっと身を翻してエリナの元へと走り去る。
「・・・・・・ま、たまにはこういうのもいいか」
エリナとラピスが合流するのを何とはなしに見ていたアキトは、思い出したように缶コーヒーに口をつけると
残りを一息に飲み干し、空き缶入れへと投げ入れる。
そして誰に言うとでもなく呟くと、山とある紙袋を持ってエリナたちがいる場所へと歩いていった。
管理人の感想
voidさんからの投稿です。
いや〜、まったりとしてますねぇ・・・三人揃って。
この場にユリカとルリが顔を出すと予想しましたが、最後まで出てきませんでした(笑)
しっかし、良い奥さんになりそうだよな、エリナさんって。
・・・・30階建ての百貨店なんて、絶対行きたくねぇ(汗)