対 面 

 

 

 様々な機器が林立し、床には太いコードが幾本ものたうっている。

 複数の椅子が、主たちの狼狽振りを示すかのように、床に倒れている。

 ディスプレイの大半に「WARNING」と表示されるなか、アキトは言葉を失っていた。

 警報音が激しく鳴り響いている筈なのだが、どこか別世界のように感じられる。

 

 「・・・・・・・・・・・・君は、誰だ?」

 

 機械的に増幅された視覚に送り込まれる情報が、信じられない。

 手にした銃のグリップの感覚だけが、アキトを現実世界に引き止めていた。

 

 

 

 カッ、カッ、カッ、カッ。

 

 足音高く、廊下を歩く一人の女性。

 クリーム色のスーツに身を包み、襟元から薄桃色のスカーフを覗かせて颯爽と歩く姿は

 必要以上の凛々しさを彼女に与えていた。

 その女性――エリナはある部屋の前まで来ると、その歩みを止める。

 襟元のスカーフを整えると、軽く咳払いをしてからインタフォンを操作する。

 

 「アキト君、入るわよ」

 

 インターフォン越しにそう声を掛けておいてから、エリナは開閉スイッチを操作する。

 圧搾空気の抜ける音と、スライドするドアが発する擦過音が狭くない廊下に響く。

 

 「・・・・・・何をしているの、アキト君?」

 

 エリナが開けた部屋は、アキトに与えられた部屋。

 本来、そこにいるのはアキト一人だけのはずなのだが、今日は違った。

 扉の向こうにいたのは、見知らぬ少女に縋りつかれて困っている部屋の主。

 

 「見ればわかるだろう」

 

 エリナの問い掛けに答えるアキトの声は、ずいぶん疲れていた。

 

 

 

 「・・・・・・そう。ユリカさんじゃなかったのね」

 

 アキトの話を聞き終えたエリナは、そういって嘆息する。

 先ほどと同じアキトの部屋。



 部屋に置かれた小さなテーブルにお茶を用意したエリナは

 座って茶を飲みながら、アキトから先の任務の顛末を聞いていた。

 アキトの横に座る薄桃色の髪の少女は、相変わらずアキトにしがみついており

 その様子にエリナの心が僅かにささくれを起こすが

 アキトもそして少女もそれには気付いていないようだった。

 

 アキトの話を要約すると、次のようになる。

 ネルガルの諜報部は先日、「火星の後継者」達の息がかかった研究所に

 ある女性が搬送されるという情報を入手した。

 それを知ったアキトは、その女性がユリカではないかと思い

 ネルガルの助力を得て件の研究所に襲撃をかけた。

 研究所の厳しい警備をかいくぐり、

 女性が実験されているという区画を探し出し

 ようやく辿り着いた先にいたのは・・・・・・

 ユリカではなく、今アキトにしがみついている少女だったというわけだ。

 

 「ユリカを取り戻せなかったのは残念だが、それはしょうがない。

 また次の機会を待つだけだ」

 

 アキトはあらぬ方を見据えながら、淡々と話す。

 エリナはそんなアキトの姿を見ながら、ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚を覚えていた。

 悔しさに満ちているであろうアキトの心を癒す事が出来ない自分に、無力感を感じていたからだ。

 心苦しさに耐え切れず、アキトから視線をそらしたエリナの視界に薄桃色の固まりが飛び込んでくる。

 

 「で、その娘は?」

 

 「ああ。どうやらラピス・ラズリ――この娘の名前なんだが、元は遺伝子操作研究所にいたらしい」

 

 アキトは縋りつく少女の頭に左手を置きながら、研究所で入手した情報をエリナに教える。

 

 「何ですって? じゃあ、ホシノ・ルリと同じ?」

 

 「ああ、特化型IFS処理の被験者だ。

 ルリちゃんが居たところとは別の研究所から攫われたらしい」

 

 アキトの言葉に、気色ばむエリナ。

 アキトの方は、自ら発した「ルリ」という言葉に僅かに顔をしかめる。

 

 「詳しい事は、プロスに渡した奴らの記録メディアに収まっている。

 気になるのなら後でプロスから直接聞くなりしてくれ。

 流石に詳細な部分まで確認する気が起きなかったからな」

 

 そういってアキトはお茶に左手を伸ばす。

 味覚を喪った今では、飲料は水分補給という用途しか意味をなさなくなっているが

 それでもちょっとした気分転換にはなるようだ。

 ゴクリ、と大きな音を立てて口に含んだお茶を飲み下すアキト。

 その様子を見ていたラピスは、おずおずとアキトが飲んだ湯飲みに手を伸ばす。

 

 「どうした? ラピスも飲みたいのか?」

 

 少女の行動に気付いたアキトが、ラピスに優しく声をかける。

 その声音と表情に、エリナは目をみはる。

 口調こそぶっきらぼうだが、最近のアキトにはない優しさを感じたからだ。

 エリナの驚愕を余所に、少女は小さくコクリと頷くと

 更に手を伸ばし、湯飲みを掴む。

 少女には大きい湯飲みを両手でしっかりともつと、

 伸ばした時と同じようにゆっくりと口元に運ぶ。

 軽く傾けた湯飲みに小さな唇をつけ、更に大きく傾ける。

 コクリ、と喉が動いた後、湯飲みの傾きが元に戻る。

 それを確認したアキトが、少女の手から左手で湯飲みを受け取って

 少女の代わりに机に戻す。

 

 「・・・・・・ずいぶん、仲がいいのね?」

 

 底冷えするような声が、アキトの正面から聞こえてきた。

 その声にはっとしてアキトが正面を見ると、

 エリナが顔を俯き加減にしながら、肩を震わせている。

 

 「説明、していただけるかしら?」

 

 「あ、ああ」

 

 顔を上げてアキトを見据えるエリナの表情は、菩薩の笑みといっていいものであった。

 しかしその視線は、後に「闇の王子」と呼ばれる事になる男に

 心の底からの恐怖を覚えさせるものであった。

 

 

 

 「ラピスを見つけた時、彼女は何かの実験をされている最中だったようだ」

 

 とりあえずエリナをなだめた後、アキトはラピスを見つけてからの状況をつぶさに話し始めた。

 

 「身につけていたのは、薄い手術着のようなものだけで、拘束具付の椅子に座らされていた。

 見つけたときはどうしようかとも思ったが、流石にそのままにして帰るわけにもいかない。

 拘束を解いて連れてきたんだが、どうも精神に傷害があったみたいだ」

 

 「傷害?」

 

 アキトの言葉に、エリナは訝しげな表情をする。

 

 「ああ。PTSD、外傷後ストレス傷害と言われるものだ。

 奴らの実験のせいなのか、それとも別な要因なのかは解らないが、極度に他人を恐れる。

 拘束具を解く間にも暴れてたんだが、解いた後はもっと酷かった」

 

 そういってアキトは右手をエリナに見せる。

 包帯が巻かれた右手。

 さっと顔色を変えたエリナを左手で制しながら、アキトはゆっくりと包帯を解いていく。

 包帯の下から出てきたのは、深々と刻まれた小さな歯形。

 薄く血の跡もうかがえる。

 

 「抱きかかえようと手を伸ばしたら、いきなり『がぶり』さ」

 

 アキトは苦笑しながら、右手に包帯を巻き付けなおす。

 

 「それほど痛くはなかったが、いきなり噛み付かれたのは初めてだ」

 

 包帯を元に戻し終えたアキトは、苦笑ぎみの表情を浮かべつつ、述懐する。

 

 「ふーん。で、それがどうしてこうなったわけ?

 何か特別な事でもしたの?」

 

 エリナの視線は相変わらずアキトにすがり付いているラピスに一瞬だけ向けられる。

 そして私にはそんなことさせてくれないのに、という怨念を込めた視線をアキトに戻すが

 相手は鈍感さにかけては天下一品のアキトである。

 エリナのじとっとした視線をさらりと受け流して言葉をつなげる。

 

 「特に何もしていない。ただラピスの気のすむまで、そのままにしただけだ」

 

 「・・・・・・なんでそれだけで、いきなりそんな風になるのよ」

 

 アキトの余りな言葉に、エリナのつっこみの言葉もどこか気を抜かれたようだ。

 

 「知らないのか? 暴れて噛み付いてきたモノを懐柔するには一番効果があるそうだ。

 ラピスが噛み疲れるのを待つあいだは、辛かったがな」

 

 「・・・・・・まあいいけど」

 

 呆れ、心なしか頭痛がしてきたような重さを頭に感じながら、エリナは溜息をつく。

 

 「後はラピスを抱えて研究所を出てきたんだが、それだけだ。

 それからずっとこんな感じでしがみついてくる」

 

 そういってアキトは話を終わらせる。

 

 「それだけねぇ。ま、いいわ。信じてあげる」

 

 エリナはアキトの言葉に疑念を抱きつつも、一応は納得する。

 そしてラピスをチラリと一瞥してから、おもむろに立ち上がってラピスのそばに寄る。

 ラピスはといえば、近付いてきたエリナにビクリと体を震わせると

 慌ててアキトの背後に隠れようとする。

 

 「待って」

 

 その様子を見たエリナは、驚かせないように小さく声をかける。

 アキトも背後に回り込もうとするラピスを捕まえ、自分の前に連れてくる。

 アキトとラピスの傍まできたエリナは再び座りこみ、視線をラピスと同じ高さにする。

 そうしてしっかりと視線を合わせてから、形の良い口唇をゆっくりと開閉する。

 

 「あらためて、自己紹介するわね。

 私はエリナ。エリナ・キンジョウ・ウォン。

 アキト君の仲間よ」

 

 ホントは恋人って紹介したいんだけど、と思いながら

 エリナはラピスに向かってゆっくりと右手を伸ばす。

 ただしラピスから少し離れたところで伸ばすのを止める。

 その姿勢のまま、ラピスの目を見つづけるエリナ。

 その視線は強くもなく弱くもなく、ただラピスの目を見据えているだけであった。

 

 何秒か、何分か、何十分か。

 アキトにはとても長いようにも、あるいは短いようにも思えた硬直した時間は、

 やがて新しい動きによって再び流れ始める。

 ラピスが小さな手を徐々に上げていき、とうとうエリナの手に触れた。

 エリナはその手をゆっくりと握り、軽く上下にゆするようにする。

 

 「これから、よろしくね」

 

 エリナの言葉に、小さな手がぎゅっと強く握り返してきた。

 

 

<日和見の感想>

 

 ラピスの無表情をPTSDと解釈しましたか。

 PTSDは正確には「心理的外傷後ストレス障害」といって、日本では阪神大震災の被災者の方々の多くが罹られた為に一躍有名になった病気ですね。

 

 それはそうと、

>暴れて噛み付いてきたモノを懐柔するには一番効果があるそうだ。

 この文でキツネリスなんて古いネタを連想しました(笑)