来 訪 

 

 

 部屋の主以外、誰も居ない部屋。

 全ての明かりが落とされている中、小さな燐光を放つものがあった。

 

 『・・・おそらく、これが最後の迷惑になるだろう。

  結局、君には迷惑をかけることしかできなかった・・・』

 

 その燐光は稀代の重犯罪人であり、そして部屋の主である女性の想い人が、彼女に送った映像だった。

 

 この2年、常に身につけていたバイザーを外した彼の素顔は、儚いまでに白く、生気が無かった。

 その口から紡がれる言葉も弱々しい。

 往時の姿を知る彼女にとっては、その映像はとても耐えられないものであった。

 だが、彼女は映像が再生される間、一度たりともそれから目をそらさなかった。

 その怜悧な美貌を漂白された紙よりも白くし、そして止めど無く流れる涙で化粧をしながら

 彼女は彼の言葉を全身で受け止めた。

 死に臨む彼の言葉を、その痩身に刻み込むように。

 そして悲壮な覚悟の女性を見守るように、小さなケースが燐光に照らされていた。

 

 

 

 宇宙軍立サセボ第一病院。

 ネルガルが運営資本の大半を用意し、連合宇宙軍の指定病院となっている病院である。

 軍高官が入院することも想定されているその病院は、常に周囲を陸戦隊一個中隊が警護し

 建材にも防弾・防爆素材がふんだんに使用されている。

 その一角に先日、1人の女性が入院した。

 その女性の名はミスマル・ユリカ。

 2年前にシャトルの爆発事故によって、死亡したと思われていた人物である。

 先ごろ勃発した「火星の後継者」クーデターの鎮圧に際し、その生存が確認され、宇宙軍によって救助されたのだ。

 

 2年近く、「遺跡」と呼ばれる古代のアーティファクトに取り込まれていた彼女はコールドスリープに近い状態になっていた。

 そのため、救助された後大事を取って入院することになったのであり、その入院先にこの病院が選ばれたのだ。

 既に死んだとされた人間が戻ってきたために発生した、さまざまな騒動――その大半は野次馬的なワイドショーであったが――から

 身を隠すという側面も、今回の入院にはあった。

 

 その病室の前に、2人の女性が立っている。

 1人はツーピースの黒いスーツにその身を収めた女性で、もう1人は薄い桃色と白のストライプになっているワンピースを着た少女であった

 20歳はとうに超えているだろうその女性の名は、エリナ・キンジョウ・ウォン。

 職はネルガル重工会長の秘書である。

 

 彼女は先日来、その持てる権能の全てを使って、ミスマル・ユリカの入院先を探していた。

 ネルガル会長秘書の様々なコネクションを使っても、軍事機密の厚いベールに隠されたこの病室の情報を入手するのに

 調査をはじめてから丸3日、70時間を費やしたのである。

 

 「時は金なり」という格言があるが、今のエリナにとって時間は何よりも貴重なものであった。

 黄金で贖えるなら、自分が持つ全ての財産を吐き出したってかまわないとさえ思っていた。

 だからだろう。

 病院の入り口で。

 病棟と病棟の境目で。

 あるいは何の変哲も無い廊下で。

 突如として2人に襲い掛かる身元確認とボディチェックを受けるたびに

 その顔には険が刻まれ、歩く速度が早まっていく。

 結局、エリナと同行する少女は目的の病室にたどり着くまでに、数回にわたる身元確認とボディチェックを受けた。

 その全てをネルガルの威光で、あるいは巧みな話術で、あるいは鬼気迫る雰囲気ではね除けたエリナは

 病室の前で右手に握る小さな、しかし何よりも貴重な物が入った鞄を握りなおしていた。

 いざ扉を叩こうとしても、自分の中のどこかで、何かがその行動をためらわせる。

 ためらい、逡巡するエリナの左手を、不意に小さな手が握り締めた。

 エリナに同行していた少女の手である。

 自分よりもかなり小さい手だったが、その感触に気づいたエリナは、手から仄かに伝わる温かさによって

 幾許かの安静を得ることができた。

 エリナは小さな手を握り返し、心配そうに見上げてくる少女に向かって、その時にできる精一杯の

 微笑みを見せるとと改めて病室の扉を凝視した。

 1回、2回と深呼吸をすると、少女の手から左手を自由にする。

 そして自らの胸元にまでその手を上げると、「面会謝絶」というプレートが掛けられた部屋の扉をノックした。

 

 

 

 ノックをして暫し――。

 刹那とも、永遠とも思える間をおいて、「はーい」というあの頃と変わらない、とても入院している人物が

 だしているとは思えない程の元気な声が返ってくる。

 彼女に何の責任も無いとはいえ、今のエリナにはその能天気にさえ聞こえる声に言いようの無い苛立ちを感じる。

 いっそ、このまま帰ろうかとすら思ったほどだ。

 しかしここで病室に入らなければ、この数日間の行為が全て無駄になる。

 そして願いを聞き届けられなかったという事実は、何よりもエリナを苛むだろう。

 

 「すべては後悔しないために」

 

 その覚悟が結局、エリナを促した。

 先ほど離した少女の手をもう一度握りなおすと、扉の横にある開閉スイッチを操作した。

 

 白を基調としたその病室は、個室にもかかわらずかなりの広さを持っていた。

 入り口の正面にある大きな窓。

 その窓に沿うような形で置かれているベッド。

 その脇には幾つかの機械が置いてある。

 そしてベッドと入り口の間には、家族で団欒できそうな大きなテーブルが

 幾つかの椅子とともに用意されている。

 部屋の隅には簡易キッチンまで据え付けられており、その気になれば

 ここで暮らしていくことも可能ではないかと思わせるものだった。

 その豪華な病室で。

 ミスマル・ユリカはベッドの上部を立てた状態にして、もたれかかるようにしてその体を休めていた。

 長い間、日にあたらなかったせいだろう。

 エリナの記憶にあるよりも肌の白さが幾分強くなっているが、血色を見る限り元気そうだ。

 

 「お久しぶりね」

 

 エリナはそういって、ユリカに再会の挨拶をした。

 様々な感情を無理やり押し殺したその言葉と表情はどこか硬かったが、ユリカは特に気にしなかったようだ。

 

 「お久しぶりです、エリナさん。ご迷惑をおかけしました」

 

 ユリカも返礼をする。そしてエリナと一緒に入ってきた少女をじっと見つめる。

 ユリカに見つめられた少女は、その視線から身を守るように、エリナの体の影に隠れようとする。

 

 「ほら、ラピス」

 

 しかしエリナはラピスと呼んだ少女を前に出すと、挨拶するよう促す。

 「・・・はじめまして。ラピス・ラズリです」

 今にも消え入りそうな声で、ラピスはユリカに自己紹介をする。

 

 「はじめまして。貴女がラピスちゃん? ルリちゃんから名前だけは聞いてるよ」

 

 ラピスの声とは対照的に、ユリカは元気一杯に答える。

 その元気な声に驚いたように、ラピスは再びエリナの背後に隠れる。

 

 「もう」

 

 ラピスの態度に、エリナは微苦笑を受けべる。

 その表情はどこか聖母を思わせるものだった。

 

 「まあ、今日はラピスはオマケみたいなものだしね」

 

 エリナはそう思いながら、優しげな視線を背後に隠れたラピスへと向ける。

 エリナは最初、ラピスを此処につれてくる気は無かった。

 ラピスにはユーチャリスの二番艦で待機してもらい、此処での用件が済み次第合流するつもりだったのだ。

 しかし、人見知りが激しいラピスを預けられる人間はあいにく傍にはおらず

 また安心して預けることのできる人間も居なかった。

 結局、エリナ自身が面倒を見ることにしたのであり、自己紹介さえすれば、とりあえず問題は無かった。

 

 「あ、私ったらお茶も出さないで。今から淹れるから、ちょっとまっててね」

 

 エリナがラピスをみていると、ユリカはそう言いながらぽんと手を叩く。

 足に掛けていた布団をめくると、枕元に立てかけておいた杖を左手に持ち、ベッドから降りる。

 薄い青色のパジャマに、薄手のカーディガンを羽織ったユリカは

 杖をつきながら簡易キッチンへと向かおうとする。

 だか、ユリカが少しも進まないうちに、制止の声が掛けられた。

 

 「あ、お茶なんていいわ」

 

 「ほえ?」

 

 2、3歩歩いたところでエリナからかけられた声に、ユリカは頓狂な声を出して立ち止まる。

 そして振り返ったユリカの目に映ったのは――硬い表情のエリナだった。

 

 「どうしたんです?」

 

 エリナのその表情に、訝しげな様子で問い掛けるユリカ。

 

 「用件が済んだらすぐに退散するつもりだから」

 

 それに、ゆっくり御茶を飲みながらできるような、簡単な用件でもないし。

 続くはずの言葉をエリナは飲み込む。

 

 

 「用件?」

 

 「貴女に渡したいものがあるの。直接渡してくれと、ある人に頼まれてね」

 

 ユリカはエリナの言葉に、更に怪訝そうな顔をする。

 自分が生きている事を知っている人は、僅かな人間だけだ。

 ましてこの病院に入室している事を知っている者は更に少ない。

 その自分に届け物があるという。

 不思議に思わないほうがおかしいだろう。

 

 エリナはユリカの訝しげな視線を感じながら、手にしていた鞄を開ける。

 エリナが取り出したのは一枚の薄いカード状のモノ。

 それは何処にでもある、ありふれた記録用の媒体だった。

 

 「まずはこれ。ここに貴女へのメッセージが記録されているわ」

 

 そういってエリナはその届け物を持った手をユリカへと伸ばす。

 

 「・・・アキトからのメッセージ、ですか?」

 

 暫く媒体を凝視していたユリカは、やがて小さくその名を口にする。

 

 「・・・どうしてそう思うの?」

 

 ユリカの言葉を聞いても、エリナは特に表情を変えなかった。

 ただ伸ばした手を自分の体に戻して、ユリカの次の言葉を待った。

 

 「・・・エリナさんが来たからです。あとはラピスちゃんの存在かな?」

 

 ユリカはそこまで言うと思考をまとめ、整理して説明する為に一旦口を閉ざす。

 

 「推理の基本は消去法なんです」

 「私にメッセージを送ろうとするのは、私が生きている事を知っている人だけ。

 その数は限られますよね?」

 

 ユリカはそういって痩せ細った右の手を持ち上げる。

 

 「まずはナデシコCに乗って私を助けに来てくれた旧ナデシコのメンバー」

 

 そう言いながら、親指を曲げる。

 

 「次にお父様」

 

 ついで人差し指を。

 

 「アカツキさんやエリナさん、プロスさん、ゴートさんのネルガルの人」

 

 中指。

 

 「・・・そしてアキト」

 

 薬指。

 

 「大きく分けると、この4つに絞られます」

 

 ユリカは右手の指を都合4本、折りたたむ。

 その小指が伸びた状態の拳骨をエリナに見せるようにする。

 

 「この4つのうち、エリナさんを間に入れる必要があるのは、ネルガルに関係のある人か、あるいはアキトだけ」

 

 そういって親指と人差し指とを伸ばす。

 

 「そしてラピスちゃんがここにいるという事は、アカツキさんからのメッセージである可能性は小さくなります。

 アカツキさんの使いで来るのに、ラピスちゃんを連れてくる必然性はあまりないですからね」

 「プロスさんにしてもゴートさんにしても、アカツキさんとそれほど変らないでしょう。

 エリナさんは当然除外です」

 

 その言葉とともに、中指を伸ばす。

 

 「最後に残ったのはアキト。可能性が5割を越えてたら、言ってみるものですよね。

 あたったら凄く賢そうに見えますから」

 

 ユリカは薬指をぴょこぴょこと動かしながら、微笑を浮かべた。

 

 「降参」

 

 ユリカの微笑に、「参った」とばかりに肩を竦めるエリナ。

 

 「その通り、メッセージの主はアキト君よ。でも、内容は私も知らない」

 

 「想像はつくけど」と、再度声には出さずにつなげると、エリナはベッドの脇に歩を進める。

 幾つかある機械の1つにカード状の媒体を差し込むと、右向きの矢印がついた

 つまりは再生ボタンをその繊手の人差し指で軽く押す。

 

 「ピッ」

 

 軽快な音とともに虚空にウィンドウが展開され、その中に映像が映し出される。

 その映像に映っていたのは、黒いバイザーに黒いマントを身につけた人物だった。

 

 『・・・・・・久しぶりだな、ユリカ』

 

 「・・・・・・これがアキトなんですか?」

 

 記憶にあるよりも多少錆付いた感じに聞こえる声と、黒尽くめという2年前のアキトには

 考えられなかった服装をみたユリカは、思わずエリナに確認をとる。

 

 「そう。世間では『破壊魔』、『テロリスト』、『The Prince of Darkness』とか言われているようだけど」

 

 ユリカの問いかけに、淡々と答えるエリナ。

 

 「・・・・・・記憶に残ってるのは、白い服を着たアキトだったんだけどなぁ」

 

 エリナのいらえに、ユリカはどこか遠くを見るようにひとりごちる。

 彼女の記憶には、人生の一大事である結婚式のイメージが強く残っている。

 また火星の後継者によって見せられていた夢も、そのイメージを補強していた。

 ユリカとエリナの短い会話の間も、映像の中のアキトはひとり、独白を続けていた。

 その大半はユリカを気遣ったものであり、そして別れの言葉であった。

 

 「君の知っていたテンカワ・アキトはもう居ない」

 「そして君の王子様で居ることもできない」

 「おそらく、君がこのメッセージを聞いている頃には、もう俺の時間も終わりを告げているだろう」

 「もう共に生きることも、守ることも、助けることもできない」

 「だから、君は新しい君の王子様を見つけてくれ」

 

 そしてアキトはバイザーをとり、最後の言葉を贈る。

 

 「これからのユリカの生きる道が、光に満ちていることを願っている」

 

 ピッ

 

 アキトの言葉が終わると同時に自動的にウィンドウが閉じられ、病室は元の静けさを取り戻す。

 

 「・・・・・・アキトは、そんなに悪いの?」

 

 食い入るように映像を見ていたユリカは、ウィンドウが消えた後も、しばらくの間

 ウィンドウがあった虚空を睨むように見つづけていた。

 そして、不意に傍らで同じ映像を見ていたエリナに、感情を押し殺した震える声で問い掛ける。

 

 「残念だけど・・・・・・」

 

 エリナの返答は短く、そしてユリカと同じように声を震わせていた。

 そして先ほど記録媒体を取り出した鞄から、小さなケースを取り出し、ユリカに渡す。

 

 「そして貴女に渡すよう頼まれた、もう一つの物がこれ」

 

 ケースを受け取ったユリカが蓋を開けると、そこには指輪が収められていた。

 細くなったユリカの左手、薬指にはめられている指輪と同じデザインのものだ。

 

 「・・・・・・アキトはね、この指輪を買うのに、一生懸命だったんだ」

 

 しばらくケースの中の指輪を見つめていたユリカは、誰に聞かせるということも無く

 ポツリポツリと話し始めた。

 

 「昼前から屋台の仕込みを始めて、夜も空が薄明るくなるまで営業して・・・・・・」

 「お金がたまっていざ指輪を買おうとしてお店に行った時も、緊張しすぎてお店に入るときに

 右手と右足がいっしょになってたし・・・・・・」

 「結婚式の時、私の指に、指輪を嵌め、る時、も・・・・・・」

 

 堪えきれなくなったのか、嗚咽が混ざり始め、不規則に言葉が分断される。

 

 「ア、アキトはこの、指輪を嵌めてくれる、時、に、言って、くれたんだ」

 「『これでずっと一緒だね』って」

 「『皆に認められて、一緒に居られるんだ』って」

 

 パタン。

 

 ユリカは開いてた蓋を閉じ、小さなケースを――それでもやせ衰えた彼女の手には大きいように見えた――その胸にかき抱くようにする。

 俯き、祈るようにあるいは大切な宝物をそっと包むようにするユリカの姿は、どこか儚く感じられる。

 壊れもののような彼女の姿に、エリナは声をかけることが出来なかった。

 

 静かで、侵すべからざる雰囲気を破壊したのは、その雰囲気を醸し出していたモノから、突如として迸った激情だった。

 

 「ねえ! 何でアキトが苦しむの? 何で私だったの?」

 「一体、私たちが何をしたって言うの! 攫われるような事をしたの!?」

 「A級ジャンパー? 火星の古代遺跡? そんなものいらない! そんなもの知らない!!」

 「答えてよ! 誰か答えてよ!!」

 

 呪詛するような、ユリカの心の底からの叫びは、しかしエリナと、そして自己紹介以来沈黙したままの

 ラピスにしか聞かれずに、虚しく霧散する。

 

 「私は、私たちは、ただ普通の結婚をして、普通の生活を送りたかっただけなのに・・・・・・」

 

 涙を流し、色の失せた顔をくしゃくしゃにしながら、ユリカは一人、嗚咽を繰り返した。

 そんなユリカを、エリナは黙って見ていた。

 

 

 

 

 

 「落ち着いたかしら」

 

 日が傾き、西日が病室を赤く染め上げる頃、ずっと黙っていたエリナがユリカに声をかける。

 暫くの間、エリナはユリカが泣くに任せていた。

 自分がユリカの立場ならそうして欲しかったし、実際、4日前の自分がそうだったのだから。

 声をかけつつ、鞄から取り出した手巾をユリカに手渡す。

 

 「あ、ごめんなさい」

 

 エリナから手巾を受け取ったユリカは、まず目元を拭い、ついで頬についた涙の後を拭う。

 

 「手巾、汚しちゃったね」

 

 顔を拭った後、エリナに向かって軽くおどけてみる。

 しかし腫れ上がった目元と、赤い目が、痛々しさをより強調していた。

 

 「そんなの、気にしなくていいわ」

 

 ユリカのおどけに、エリナは微苦笑を漏らす。

 

 「落ち着いたようだから、最後のお届け物を渡すわ」

 

 「え、まだ何かあるの?」

 

 エリナの言葉に、ユリカは驚きの表情を見せる。

 

 「これは、私からよ。だから先ほどの貴女の推理は、実は半分ほど外れなの」

 

 そういって三度、鞄から何かを取り出す。

 それは先ほどの指輪のケースよりも若干大きなケースで、黒いビロード張りという豪奢なものであった。

 

 「・・・・・・! エリナさん、これ」

 

 ケースを受け取ったユリカは、蓋を開けて驚く。

 そのケースにはチューリップ・クリスタル(C・C)が2つ、収められていたのだ。

 

 「それを持ち出すのは苦労したわ。C・C自体、もう余り数が無いし」

 

 エリナが苦笑をしながら、C・C持ち出しの苦労を話す。

 

 「でも、これが無いと貴女に会う意味がなかったから」

 

 笑いをおさめたエリナは、そういってユリカを真っ直ぐに見やる。

 

 「エリナさん・・・・・・」

 

 エリナが自分に何をさせたいのか。何をさせようとしているのか。

 その事に考え至ったユリカは、エリナの名を呼んだきり黙ってしまう。

 

 「さ、そのC・Cを使ってジャンプしなさい。アキト君の元へ」

 

 「そ、そんな、そんなの無理だよ。アキトが何処に居るのかも判らないのに」

 

 エリナの言葉に、ユリカは小さく首を振ってできないことを告げる。

 

 「貴女ならできるはずよ。いいえ、貴女にしか出来ないわ」

 

 ユリカの言葉を、しかしエリナは一蹴する。

 

 「貴女は遺跡にリンクさせられていた間、イメージだけで多くの人間を、様々な場所に飛ばしていたわ」

 「貴女は、ただアキト君のことだけを考えていればいいの。そうすれば、遺跡が勝手に

 アキト君のところへ連れて行ってくれるはずよ」

 「それとも、他人のは出来ても、自分のイメージでは無理なの?」

 

 「でも・・・・・・」

 

 エリナのはっぱをかけるような言葉にもかかわらず、ユリカの返事は煮え切らない。

 ケースを見つめたまま、固まったままだ。

 

 「ミスマル・ユリカっ!!」

 

 「は、はいっ!」

 

 そんなユリカに、エリナが切れた。

 大声でユリカの名前を呼び、ユリカも突然の大声に思わず返事をしてしまう。

 

 「貴女が行かないで、他の誰が行くというの!? アキト君を独りぼっちにしたままでいいの?」

 「暗く、誰も居ない場所で、朽ち果てていくままにするというの?」

 

 激情からか、エリナの双眸に水が溜まりはじめる。

 

 「アキト君はね、貴女を助ける為に何でもしたわ」

 「血のにじむ特訓、敵の施設への侵入、コロニーへの襲撃」

 「その過程で何人も傷つけ殺したし、また同時に彼も傷付いていったわ」

 「そして自らの命も、削り取っていったのよ」

 

 エリナの声は、決して大きいものではなかった。

 淡々と、そう淡々と呟くように紅を注された口唇を開閉する。

 

 「何度、彼が夜中にうなされていたかわかる?」

 「何度、寝言で謝罪し、怯え、恐怖の叫び声を上げたか、知っているの?」

 「幾つの夜を、眠れずに過ごしたか、考えた事ある?」

 「でもね、それでもアキト君はみんなの前では何事も無かったかのようにふるまったわ」

 「それもこれも、全部貴女を助けるために」

 「同じ女として、アキト君にこれほど愛されていた貴女をうらやんだわ」

 

 そういったエリナの表情は、夢見る少女のようでもあり、同時に夢見果てた老人のようでもあった。

 

 「エリナさん・・・・・・」

 

 エリナの話を黙って聞いていたユリカは、手にしていた手巾をそっと差し出す。

 エリナは「ありがと」と短く答え、頬を伝うことなく溜まっていた涙を、そっと拭う。

 

 「で、どうするの?」

 

 涙を拭った後で、エリナはユリカに最後の問い掛けをした。

 これでもまだ踏ん切りがつかないようなら、C・Cを回収して行くつもりで。

 

 「行きます」

 

 しかしユリカは即座に答えた。

 今までの逡巡などおくびにも出さず、キッパリと。

 そしてその言葉に感応するかのように、開いたままのケースから光が漏れ出す。

 C・Cがユリカの意思に反応し、ジャンプフィールドを形成しだしたのだ。

 

 エリナはその光を見て、満足した表情を浮かべる。

 そしてジャンプに巻き込まれないよう、数歩下がる。

 

 「きっと貴女と・・・・・・アキト君と貴女との絆なら、会えるわ」

 

 励ましと、そして祈りが混在した言葉をエリナが投げかける。

 その声が聞こえたのだろう。

 ユリカはエリナに向かって微笑み、軽く頭を垂れる。

 そしてジャンプするイメージを補完する為か、アキトの名前を呼び始める。

 

 「アキト・・・・・・」

 

 思い出すのは、2人で火星で遊んだ事。

 

 「アキト・・・・・・」

 

 火星の宇宙港での離別。

 

 「アキト・・・・・・」

 

 地球での思わぬ再会。

 

 「アキト・・・・・・」

 

 ナデシコでの、2年近くの出来事。

 

 「アキト、アキト・・・」

 

 サセボでの抑留生活から、狭いアパートでの半同棲生活。

 

 「アキト、アキト、アキト!!」

 

 屋台を引いていた時。

 ミスマル邸での結婚をかけたラーメン勝負。

 

 「アキト、アキト、アキト、アキト!!!」

 

 そして、結婚。

 

 最初は小さく、呟く様だったユリカの言葉は、やがて大きく連呼されていく。

 そしてC・Cの作り出す光と、ユリカの声が共に最高潮を迎えた時――。

 

 「ジャンプ!」

 

 その一言で全ては収まった。

 眩いばかりだった光も、愛する人を呼ぶ声も。

 

 

 

 「ラピス。今からドッグに行くわよ」

 

 主が消えた病室で。

 エリナは振り返って今まで沈黙を保っていたラピスに声をかける。

 

 「・・・・・・行ってどうするの?」

 

 エリナの数歩後ろに立っていたラピスは、この部屋に来てようやく自分の名前以外の言葉を発した。

 

 「ユーチャリスでね、アキト君を迎えに行くの。きっと二人は、火星に――全ての始まりの地に還る筈だから」

 

 確信を込めた口調で、エリナはラピスにこれからの目的を話す。

 

 「アキトに会えるの?」

 

 「そうよ。会って、最後の挨拶をするのよ」

 

 そういってエリナはラピスの手を取り、病室を出ようとする。

 しかし扉を開け、外に出たところで、エリナは不意に立ち止まると

 ラピスに「ちょっとまってて」と言い置いて再び病室に戻る。

 

 「ごめんなさい。さ、行きましょ」

 

 エリナは直に病室から出てきた。

 出てきながら、鞄に何かをしまっている。

 

 「何をしまってるの?」

 

 その様子をみたラピスが、エリナに問い掛ける。

 

 「あ、これ? アキト君からのメッセージよ」

 

 ぱちんと甲高い音を立てながら、エリナは鞄を閉じる。

 

 「誰も居なくなった病室に置いておいても、仕方ないから」

 

 そういってエリナは鞄を右手に、もう片方をラピスに伸ばす。

 

 「さ、行きましょう」

 

 エリナの言葉に応じて差し出されたラピスの手をしっかりと握ると

 病室の前から静かに立ち去っていった。

 

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代理人の感想

やっぱり短編はいいですね〜。

書きたいことを書ける、

書きたいことだけを書ける、

そして短いから綺麗にまとまる。

 

そんな短編のいい所を見せてくれるような話でした。