滅び


 

 自分の命がとうに尽きていることは承知していた。

 

 もともと火星の後継者の人体実験により余命は幾許もなかった。

 

 その後の苛酷という言葉すら生温い修練の中で

 確実にその余命は削られていき――

 

 

 

 もはや明日の時間を感じることは出来ないだろう。

 

 

 

 戦艦ユーチャリス――。

 

 ナデシコシリーズがネルガルの表の顔ならば、ユーチャリスは闇の顔。

 

 その艦内にあるメディカルルームにアキトはいた。

 

 もっとも立つことすらかなわず、治療用のベッドの1つに

 その痩せ細った身を横たえてはいるが。

 

 意識せず荒くなる呼吸に苛立ちながら、アキトは最後の時を――

 

 未熟で――

 

 自分勝手で――

 

 守るべき者を守れず――

 

 何も言えず消えていく自分を――

 

 

 

 自分が滅びるその瞬間を待っていた。

 

 

 

 「アカツキ――。エリナさん――。イネスさん――」

 

 アキトはその瞬間に向かう前に、1つの仕事をしていた。

 

 「ラピスを、あの娘をよろしくお願いします」

 

 目の前にいない人に向けた言葉。

 

 目の前にいない人達に向けた言葉。

 

 自分の復讐につき合わせてしまった、1人の少女を案じる言葉。

 

 自分の復讐につき合わせてしまった、1人の少女を託す言葉。

 

 アキトは彼女を彼女の友達であるオモイカネシリーズの1つ

 ダッシュのコアと共に地球へ向けて送り出していた。

 

 「あの娘に――自分を不幸にしてしまっているあの娘に」

 

 ゴホッ

 

 不意に喉を塞ぐ生暖かいモノ――

 

 ゴホッゴホッ

 

 アキトが咳をする度に飛び散る暗紅色の液体

 

 「俺と一緒にいる以外の――幸せを」

 

 咳に遮られそうになる思考を全身全霊を持って繋ぎ止めながらアキトは――

 

 少女の幸せを願っていた。

 

 

 

 「ウリバタケさん――。オリエさん――」

 

 自分が仲人を頼んだ、敬愛する夫婦。

 

 2人の関係、2人が作った家族はアキトと・・・達にとって

 1つの目標であった。

 

 「すみません。

 結局、御二人のもとへは――行けそうもありません」

 

 結婚式の時にウリバタケとした約束――

 

 「新婚旅行が終わったら、2人で家に来い。

 夫婦の先輩として、色々と教えてやる」

 

 そう言って笑うウリバタケと、その横で微笑むオリエの顔は――

 

 もう思い出せなかった。

 

 

 

 「ホウメイさん――」

 

 自分の料理の師匠。

 

 「もう一度、ホウメイさんの作ってくれた料理を食べたかったです」

 

 もう味覚を喪ってしまった自分に食べる資格があるのか――

 

 判らなかったが。

 

 

 

 「リョーコちゃん――。ヒカルちゃん――。イズミさん――」

 

 「メグミちゃん――。ホウメイガールズのみんな――。ミナトさん――」

 

 「プロスさん――。ゴートさん――。月臣――」

 

 「ミスマル提督――。ジュン――。ムネタケ――」

 

 喪われつつある意識に泡沫のように浮かび上がってくる

 自分とかかわった人たちの顔。

 

 

 

 「ルリちゃん」

 

 自分が――正確には妻となった・・・が引き取った、可哀相な子。

 

 軍に入り、戦艦の艦長として――自分の前に現れた少女。

 

 「レシピを渡せて――良かった」

 

 ルリは苦しんだかもしれない。

 

 ルリは苦しむかもしれない。

 

 ルリは苦しむだろう。

 

 でも――自分が生きた証を渡すのは、身勝手な義務であった。

 

 

 

 そして――

 

 「ユリカ」

 

 こんな自分を最後まで好きになってくれた女性。

 

 彼女と過ごした子ども時代――

 

 ナデシコで再会してからの2年――

 

 サセボでの抑留時代から結婚前までの共同生活――

 

 いつだってユリカは自分を見ていてくれていた。

 

 自分が迷い、傷つき、暴走する中で――

 

 優しく包んでくれていた。

 

 あの時――

 

 「ユリカ!!」

 

 「アキト!!」

 

 ユリカは自分を求めていた。

 

 自分もユリカを求めていた。

 

 しかし伸ばしたその手は――

 

 

 

 空を切った。

 

 

 

 火星の後継者のラボで――

 

 月臣、ゴートとの訓練の中で――

 

 コロニーを破壊している中で――

 

 火星で北辰と戦う中で――

 

 壊れていく躯と心を感じながら――

 

 

 

 それでもユリカを求めていた。

 

 

 

 「ごめん。もう君の笑顔を見ることも出来ない」

 

 「ごめん。もう君に料理を作ることも出来ない」

 

 「ごめん。もう君を守ることも出来ない」

 

 「ごめん。もう君の為に――

 

 

 

 生きることすら出来ない」

 

 

 

 混濁する意識の中で、ユリカにあやまり続けるアキト――。

 

 あやまっても、あやまってもその壊れた心は――

 

 泣きつづけていた。

 

 

 

 一体、何をしたのだろう。

 

 一体、何をしたかったのだろう。

 

 一体、どうすればよかったのだろう。

 

 

 

 いくら悔やんでも時は戻らない。

 

 いくら望んでも時は戻らない。

 

 いくら願っても――

 

 

 

 もう生きられない。

 

 

 

 やがて訪れるその瞬間――

 

 

 

  「まだ死ねない!」

 

 「まだ死にたくない!!」

 

 「ユリカと――ルリと――みんなと!!!」

 

 

 自分の意識が拡散していくのを感じながらアキトは叫んでいた。

 

 

 

 

 

 「・・・一緒に生きたいんだ」

 

 

 

 

 

 そしてアキトの刻は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポゥ――

 

 動くもののいないユーチャリスの中に、不意に光が溢れ出す。

 

 紫ががかった、小さな光。

 

 その光が消えたとき――

 

 そこには1人の女性の姿があった。

 

 

 

 「・・・」

 

 女性は聞こえるかどうかという程度の声で

 眠るようにしている人物に声をかける。

 

 だが横たわる人物が答えを返せないことを知ると悲しそうに顔を歪め

 その頭をかき抱く。

 

 静かだった部屋に微かに響く――

 

 

 

 嗚咽。

 

 

 

 それは子守唄のようであり――

 

 鎮魂歌のようでもあった。

 

 

 

 「帰ろう。アキト。あの時に――」

 

 暫くして女性はそう呟くとその姿勢のまま瞑目する。

 

 女性を中心として光が溢れ出し、二人を包む。

 

 光が部屋を満たしきったとき――

 

 「・・・ジャンプ」

 

 女性の小さな声と共に、その光はおさまった。

 

 光が消えたその部屋には、何も――

 

 

 

 

 

 何も残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

代理人の感想

最近「ダーク」に目覚めつつあるvoidさんが

一人の男の「最期」を綺麗に書き切ってくれました。

 

本当はこういうものを「ダーク」とは言うのでしょう。