盲信
料理をしていたお姉ちゃんが手を止める。
どこか遠くでお姉ちゃんの電話が鳴っているようだ。
「今日は早いのね」
そう言いながらも嬉しそうに携帯電話を手に取る。
「はい、どちら様でしょうか?」
電話に出るその声は軽く、そして顔は輝いていた。
「いいなぁ〜」
そんな姉の様子を見ながらメティス テア――メティ――は食卓の椅子に座っていた。
「私もアキトお兄ちゃんと話したいなぁ」
もうかれこれ3週間近くアキトお兄ちゃんの顔を見ていないし、声を聞いていない。
ソレに引き換え彼女の姉といえば、毎夜毎夜電話を貰っていた。
姉の電話の相手はナオおじちゃん。
大好きなアキトお兄ちゃんの「同僚」というものらしい。
「え!! そうなのですか・・・じゃあ、また明日時間が取れれば電話を下さい。
メティも喜ぶと思います」
「え?」
電話をしていた姉の口から急に自分の名前が出たメティは驚いて姉を見る。
だが姉はそんなメティの反応など気にもとめず
電話の主と楽しそうに談笑している。
「はい、それでは明日・・・」
姉はそう言って携帯の通話を閉じる。
「うふふ。メティ。いいニュースよ」
その姉の口調は明るく、そして表情は明るかった。
「お姉ちゃん!! 今日はアキトお兄ちゃんとデートだよね!!」
翌朝――。
メティは起きてくるなり、ミリアに確認する。
昨晩、アキトと会えるという話を聞いてからよほど楽しみにしてたのだろう。
いつもならミリアが起こしにいくまで眠っているのだが
今日は自然に目がさめたようだ。
「まだ判りませんよ。アキトさんたちの都合次第だから」
そう言いながら、ミリアも今日のことを楽しみにしているようだ。
いつもはあまり着ない、余所行きの服を着ている。
「さ、まずは朝食を食べましょう」
そういってミリアは妹を連れて、階下に降りていくのだった。
「楽しかった?」
アキトとナオ、そして彼らについてきた3人の女性達とともに夕食を取った後
ミリアとメティは薄暗い家路を並んで歩いていた。
「楽しかったけど・・・」
姉の問い掛けに答えながらも何処か憮然とした表情を浮かべているメティ。
「・・・アキトお兄ちゃんと二人きりが良かった?」
ミリアはそんなメティに、幾分かのからかいを込めて話し掛ける。
「そ、そんなことないもん!」
そういってメティは頬を大きく膨らませる。
「あらあら・・・」
メティの台詞と態度には大きな矛盾があったが、姉はそれを微笑ましく受け流した。
それは少女が1つ、大人への階段を上ったことの証であり
そして・・・自分にはなかった出来事だからだ。
「アキトさんに何か買ってもらったの?」
これ以上、妹の機嫌を損ねるわけにはいかない。
そう思ったミリアは、メティに別の質問をする。
「うん! アキトお兄ちゃんにリボン買ってもらったんだ。ほら」
ミリアの言葉に、メティは満面の笑みをこぼして手にしていた小さな紙袋を姉に見せる。
「そうなんだ。お姉ちゃんにも見せてくれる?」
「うん。ちょっとまってて」
姉のリクエストに、急いで答えるメティ。
「お姉ちゃん!! どう!! ・・・に、似合うかな?」
リボンをつけ終えたメティは、くるりと回りながら姉にリボンをつけた自分を見せる。
「凄く似合うわよ、良かったわね」
「うん!! でもアキトお兄ちゃんたらね、お姉ちゃん達にもプレゼント買って上げてたんだよ。
失礼しちゃう!!」
そう答えるメティの顔と台詞は先ほどと同じように矛盾していたが
先ほどと違うのは――顔が笑っていた。
「あらあら」
そのメティの表情は、ミリアはとても大事なもののように思えた。
しかしミリアはその笑顔を――二度と見ることはできなかった。
「こんにちわ。ミリア テアさんに・・・メティス テアさんですね?」
家路を歩いていた2人を呼び止める者がいた。
「ええ、そうですが? あなた達はいったい・・・」
「叔父ちゃん達、誰?」
姉妹の会話にいきなり口をはさんだ闖入者に、ミリアは恐怖を感じた。
「・・・確認は取れた、アキトに懐いていたのはメティス テアの方だったな?」
しかし闖入者はミリアとメティの質問には答えず懐から取り出した通信機で
誰かと連絡を取っている。
「え? アキトお兄ちゃんのお友達?」
「ああ、これからそうなる予定だ」
メティの言葉に答えた闖入者はそう言うと、いきなりメティに手を伸ばしてきた。
キキキキキッッッ!!!
闖入者がメティに手をかけようとした瞬間、メティ達の後ろから凄い勢いで車が突っ込んでくる。
タイヤがあげる悲鳴を聞いた2人は、反射的に後ろを振り返る。
ガシッ
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!! お姉ちゃん!!」
2人が振り向いたその刹那、メティは闖入者に抱きかかえられていた。
「メティ!!」
メティの悲鳴に、慌てて視線を元に戻すミリア。
「早く乗せろ!」
「ああ! いくぞ」
バタッ――バタン
突っ込んできた車は、ミリア達の目の前で一度止まる。
後部座席にいた人物が勢い良くドアを開けると同時に、メティを捕まえていた人物に指示を出す。
指示どおりに闖入者がメティを後部座席に放り込むと、ドアはまた元のように閉められる。
キキキキキッッッ!!!
再び悲鳴をあげるタイヤ。
今度の悲鳴はもうもうたる土煙と、排気ガスを伴っていた。
勢い良く加速して離れていく車。
その車をミリアは呆然とした面持ちで眺めやる。
「妹の命が惜しければ、軍にいるヤガミ ナオに電話を入れるんだな。
・・・もっとも、全ての元凶はテンカワ アキトだがな」
車が去った後も残っていた闖入者の声は、何処か別のところから聞こえてくるようだった。
「・・・娘は?」
「はっ。縛って監禁しております」
アキトたちを挑発してきたテツヤは、街の郊外に設置した隠れ家に戻ってきていた。
「丁重にお持て成ししろよ? 何せ『戦鬼』様の大事なお友達だからな」
そう指示するテツヤの顔は――どこか歪んでいた。
「『戦鬼』様か」
テツヤは先ほど見えてきた「戦鬼」の様子を思い返す。
街中で楽しそうに笑っていた戦鬼。
側にいた女性達に振り回されていた戦鬼。
その顔は別に何処にでもいるような青年の顔だった。
だが俺が奴の前に立ったとき、その顔が面白いように変わっていった。
最初は単なる警戒程度だったのだろう。
それが――
「では・・・大切な妹さんの命と引換えならどうする?」
「貴様!!」
テツヤがそういった途端のあの表情。あの鬼気。
「ふふふ。いいねぇ」
思い出すだけで興奮が蘇って来る。
全身を伝う汗。
興奮の為に、そして恐怖を忘れるために分泌されつづけるアドレナリン。
この微妙な感覚を覚えるとき、それはテツヤに生きているという実感を与える。
「さて、『戦鬼』様はどう来るかな?」
ま、どう来たところで手は打ちようがある。
テツヤの後半の台詞は、誰にも聞かれなかった。
「・・・ということのようです」
「ふん」
目の前にいる金髪の女性――ライザ――からの報告を受け取ったテツヤは一言、短く答える。
この部屋にいるのは自分とライザ、そしてもはや人質になりそうもない、一人の少女。
テツヤは眼の前にいるロープで縛られた少女に視線を向けると、さも残念そうといった風情で宣告する。
「お嬢ちゃん。『戦鬼』様との交渉は決裂するようだ」
テツヤの言葉に「お嬢ちゃん」と呼ばれた側は、睨みつけるだけで答えない。
「たいした胆力だが、お嬢ちゃんは見捨てられたんたぜ?」
相手が思い通りの反応を返してこないことに多少の苛立ちを覚えながら、からかうように言葉をつなげる。
「・・・くるもん」
「なに?」
小さく答えたメティの言葉に、訝しげな視線を送るテツヤ。
「アキトお兄ちゃんは来るもん! 絶対に来るもん!!」
それは単なる子どもの強がりだったのかもしれない。
「アキトお兄ちゃんはお前らなんかに負けないもん!!!」
恐怖に耐える為の儀式なのだったかもしれない。
「きっとアキトお兄ちゃんが絶対助けに来てくれるんだから!!!!」
自らの挫けそうになる心に対する応援だったのかもしれない。
しかしそれがテツヤの心の何処かに――激しく切りつけた。
「恨むのなら、お前の親父を恨むんだな!!」
幾度目の罵声か、もうわからない。
どれだけ痛めつけられたのかすら、判らない。
判るのは自分の体が壊れつつあるのと――父親は助けにこないという事実だけ。
「助けにくる」
何処の誰かもわからない男に殴られながら、少年は心の中で思っていた。
「助けにきてくれる」
床に叩き付けられ、踏みにじられながら、少年は心の中で祈っていた。
「助けにきてくれないのか?」
塞がり掛けた視界に優しかった母親と、我侭だったけど可愛かった妹が力なく横たわるのを写しながら、少年は――
そして暗転する意識。
「テツヤ様!!」
ライザの言葉に、はっと我にかえるテツヤ。
今のテツヤの姿勢は大きく右腕を振り切った状態だった。
その右腕をライザが抱え込むようにしている。
「俺は・・・」
呆然とするテツヤの視界に入ってきたのは――縛られた格好のまま横たわる少女。
「俺は・・・!」
昔と重なる今。
「俺は〜〜〜〜!!」
昔と違うのは――自分が加害者であるということ。
「テツヤ様!!」
再びライザがテツヤを止める。今度は体ごと抱きかかえられた。
「落ち着いてください。テツヤ様」
振り払おうとすれば振り払えたであろう。
しかしテツヤにそれを行う気力は無かった。
おとなしくなったテツヤをみて、ほっとした表情を見せるライザ。
そして冷静になってみると、自分がテツヤにぴったりと密着しているという状況にいささか慌てる。
「あ、あの、テツヤ様。すみません」
消え入りそうな声でテツヤに謝罪すると、恥ずかしさをこらえるためか倒れ伏している少女に意識を向ける。
「・・・」
ピクリともしない少女を怪訝に思ったライザは、少女に近づいていく。
「! テツヤ様!」
3度目の叫び。
しかしその叫びは先の2回とは意味合いが違っていた。
「・・・どうした」
ライザの叫びに反応しながらも、テツヤは状況を既に把握していた。
無意識の、遠慮も加減も無い一撃。
自分の力を知っているテツヤは、少女がその一撃に耐えられないことを感覚で理解していた。
「この娘は・・・もう助からないでしょう」
案の定、ライザはテツヤの言葉に小さく首を左右に振りながら宣告する。
「ちっ・・・」
つまらないことをしてしまった。
交渉のテーブルに相手が機動兵器で来ることが判った段階で
遅かれ早かれ少女の命を奪うつもりであった。
しかし感情の赴くまま殺すというのはテツヤの考えには無かった。
「仕方ねぇ・・・」
予定より早いが「戦鬼」様をお呼び出しするか。
少女の死に様を見せることで、「戦鬼」様を精神的に追い詰める。
テツヤは当初の予定を実行するために携帯を取り出す。
しかしテツヤは気付いているだろうか?
その行為が、贖罪の意味を含んでいることに。
少女と――そして自分に対する慈悲ということに。
「メティちゃん! しっかりしてくれ!!」
気を失っていたメティは、自分に呼びかける声でうっすらと眼を開いた。
「アキトお兄ちゃん・・・」
良く聞いていた声に、そして1番聞きたかった声に答える言葉は――小さかった。
「メティちゃん!!」
自分が答えたことに、アキトお兄ちゃんは更なる呼びかけで答える。
「ほ・・・ら。やっ・・・ぱり・・・アキトお兄ちゃんは・・・来て・・・くれたもん」
切れ切れに、しかし誇らしげに言葉を紡ぐメティ。
「ごめん。ごめんよ」
そんなメティをしっかりと抱きしめながら、アキトは謝りつつ涙を流す。
「メ・・・ティ・・・、アキ・・・トお兄ちゃん・・・の、お・・・嫁さ・・・ん・・・になり・・・たかっ・・・たな」
もはや言葉を発するにも想像を絶する努力を必要としているはずである。
しかしメティはそれでもアキトに語りつづける。
「ねぇ・・・アキト・・・お兄ちゃん・・・」
「な・・・なんだい?」
肩を震わせ滂沱の涙を流しながら、アキトはメティの言葉を一言一句足りとも聞き逃さないようにと
全身の神経を聴覚に集中させる。
「メテ・・・ィを」
それは最後の願い。
「お・・・嫁さんに・・・」
それは最後の希望。
「して・・・くれる?」
それは最後の――煌き。
「ああ・・・ああ!!」
アキトは何度も何度も頷きながら、命が喪われていくメティの躯をしっかりと抱きしめる。
「よか・・・った」
そう言ってアキトに精一杯の微笑を浮かべたメティは――小さい頭を小さく揺らした。
「! メティちゃん!!」
廃屋に響き渡るアキトの呼びかけに答える者は――もはやこの世にはいなかった。
代理人の感想
「盲信」とは誰の盲信だったのでしょう?
テツヤがらしい、と思ったり。
らしくない、と思ったり。
実は結構好きな悪役ではあるので結構気になるんですよね、コイツ。