ナデシコ パラダイス

第1話 始りの時


 

 抜けるような青空の下、微かにたなびく白い煙――。

 それは山の上にある、小さな寺から上っていた。

 寺の裏手にある、小さな墓石の林立。

 丁寧に管理されたそれらは、この寺が、また残された者たちが、

 いかに故人を偲んでいるのかという事の、証なのかもしれない。

 

 パシャ――

 

 今、墓石に水をかけ清めている人物も故人を偲ぶということに

 かけてはひけを取らないだろう。

 なぜならこの墓に納骨されているのは、 ”肉親” なのだから――。

 

 墓石の掃除をしているのは、一人の男性であった。

 年のころは少年から青年への過渡期といったころか。

 収まりの悪そうなぼさぼさの黒髪と黒い瞳をもった、利発そうな人物である。

 

 墓を清め終えたその人物は、改めて線香に火をともし

 小さな菊の花束とお供え物を墓石の前に安置する。

 

 その墓石に刻まれし文字は――天河家の墓。

 

 しばし手を合わせ、墓石に向かって拝みこむ人物。

 だがその胸中を伺うことはできない。

 

 

 

 「父さん。母さん。何とかやってるよ。

 うん。ちょうど一段落ついたし……。

 そうだ、今度俺、就職する事になったんだ」

 

 「プロスさんって、覚えているかな。そう、火星の研究所で父さん達と

 一緒に働いていたあの人。あの人の世話になるんだ」

 

 「ネルガル傘下の企業になると思う。ちょっと今はどんな仕事に

 なるのかわからないけど……。

 ほら、俺、頭、よくなかったからだろ。だから父さんたちみたいに

 研究者にはなれなかったんだ。でも何とかプロスさんに拾えてもらったし、

 あの人には返しきれないぐらいの恩もあるからね」

 

 誰に言うのでもない。しいて言えば亡き存在に対する近況報告なのだろう。

 閉じていた目を開け、軽く微笑みながら墓石に小さくつぶやく。

 

 ジャリッ―。

 

 静寂に満ちたその空間に、入ってくるものがいた。

 ビシッとした黒いスーツに中肉中背の体を押し込んだその人物は、

 手に大きな献花を持っていた。

 

 「おや、アキト君。あなたも墓参りですか」

 

 新たに現れた人物は、先にきていた人物に気軽に声をかける。

 

 「ええ。プロスさんこそ……」

 

 アキトと呼ばれたほうは、その場で立ち上がり新しい参墓者に正対する。

 彼の前に現れた人物は、中年とまでは行かないが、それでもかなりの年輪を

 重ねたであろうことが容易にわかる、そんな年代だ。



 

 アキトが呼んだ「プロス」というのは、実は本名ではない。

 彼の本名は誰も知らないのだが、彼が自らを「プロスペクター」と呼んでいるので、

 誰もがそのままか、あるいは縮めた「プロス」と呼んでいる。

 

 プロスは墓石の前に持ってきた献花を供えたあと、

 しばし手を合わせて瞑目する。

 アキトのほうといえば、瞑目するプロスの邪魔にならないよう静かにしている。

 

 「もう10年、ですか……」

 

 瞑目したまま、不意にプロスが言葉を発する。

 

 「ええ……」

 

 突然の言葉にもアキトは慌てなかった。

 なぜなら彼も同じようなことを考えていたからだ。

 

 彼、テンカワ アキトの両親が火星で亡くなってから10年が立つ。

 「十年一昔」という言葉があるが、振り返ってみれば

 あっという間に過ぎ去った10年であった。

 

 両親を奪ったテロ事件、復讐の炎に身を焦がしつづけた日々――。

 プロスや彼の雇い主である巨大企業ネルガルの後継ぎに助けられ、

 また多くの犠牲を払いながら、テロ組織『火星の後継者』を壊滅させた。

 それには実に10年という月日が必要だったのである。

 

 しかし復讐は終わった。

 『火星の後継者』の構成員は、悉く火星の大地にその屍をさらしている。

 彼らは彼らの行為の結果を、そういう形で押し付けられることになった。

 

 では復讐を終えたものは――?

 

 復讐を終えたものは、そこから更に進んでいかなくてはならない。

 その行き先が復讐された者達と同じように

 滅びを示すものであるかはともかくとして――。

 

 「プロスさん、これからもよろしくお願いします」

 

 アキトもこれからの生活を始めようとしていた。

 復讐者としての生活から、一人の人間としての生活へ。

 それは長い復讐の旅路を支えてくれた、プロスへの恩返しから始まるのだ。

 

 「アキト君、私の指導は厳しいですよ」

 

 アキトの言葉に、アキトの顔をしっかりと見ながら話すプロス。

 だが言葉の内容とは裏腹に、その視線には弟を見守るような

 そんな優しさがあった。

 

 「あ、そういえば、プロスさんは今、どこの会社の社長なんです」

 

 不意に重要なことを思いだしたように、アキトはプロスに尋ねる。

 

 「いや〜、それが昨日、急に辞令を言い渡されまして……」

 

 「へぇ〜、そうなんですか。それで今度はどこなんです?」

 

 プロスの答えは無責任の生きた見本のようなものだったが、

 しかし動揺することなく更なる問いかけをするアキト。

 これは2人の間に共通認識があるためである。

 

 

 

 プロスは、ネルガルという巨大な複合産業体の中で、かなりの地位にある。

 プロスは「ネルガル・シークレット・サービス」という部門の部門長だからだ。

 

 ネルガル・シークレット・サービス。

 略してNSSは裏の世界では知らぬ者のいない諜報組織である。

 人材・装備・組織力――。全ての面で高水準を誇り、一企業の組織でありながら

 軍の防諜組織と互角に渡り合うとさえ言われている部門である。

 そういう部門のトップである。プロスの優秀さは疑いようも無い。

 

 しかし、プロスはNSS部門長であると同時に、ネルガル傘下の幾つもの企業を渡り歩いている。

 最初はNSS部門長であるということに対する隠れ蓑として、名目上の役職だけを与えられていた。

 しかしプロスが赴いた会社が、急に業績が回復したり、あるいは飛躍的な

 成長をするようになるということに、ネルガルのトップが気がついたのだ。

 それ以来、取締役社長という名目であちこちの会社を転々とさせられているのである。

 

 そのため、アキトと一緒に『火星の後継者』と戦っていた10年間も、

 プロスはいくつもの会社を渡り歩いていたのである。

 そういった事情をアキトは知っているため、のんびりと

 「今度はどこなんです?」

 と聞いているのである。

 

 「さて……。そうだ、アキト君は何時までここに?」

 

 プロスはアキトの問いを薄く笑いながらはぐらかす。

 そして逆にアキトに今後の予定を尋ねたのだった。

 

 「もう帰りますよ」

 

 「そうですか」

 

 そう言ったきり、黙り込むプロス。そんなプロスを冷汗をかきつつ見るアキト。

 こういう態度のプロスが仕掛けた悪戯に、何度も引っかかった事を思いだしたからだ。

 

 「どうです? 気になるんでしたら、今から行ってみますか?」

 

 「えっ、いいんですか?」

 

 一体どんな事を言い出すのか戦々恐々としていたアキトは

 プロスの(まともな)提案に不意をつかれる。

 

 「ええ、かまいませんとも。これからアキト君が働く職場なんですから」

 

 「じゃぁ、行ってみようかな」

 

 「では、『善は急げ』という事で…」

 

 そういってプロスは山寺の出口へと歩き出す。

 アキトもプロスについて行こうとして歩き出す。

 

 が、不意にその歩みを止め、墓石を振り返る。

 

 「どんな所か分らないけど、頑張るから。心配しないで」

 

 そう言い残すと、先に言ったプロスについて行こうと再び歩き出す。

 そしてそれから振り返ることはなかった。

 

 

代理人の感想

 

「火星の後継者」って・・・・そんな昔からあったのか(笑)。

 

それはそれとして、子供のアキトを復讐心に付け込んで戦力として養成するとは・・・

やるなプロスペクター(爆)。