ナデシコ パラダイス

第3話


 

 「そうです。この船が私と、そしてアキト君の仕事場です」

 

 プロスがアキトの想像どおりの答えを返したころ、アキトたちの新しい仕事場の中では

 「修羅場」が繰り広げられていた。

 

 

 

 ナデシコの一角に、広大な部屋がある。大きな鏡が四方の壁にずらりと並んでおり

 またN○Aの選手でも楽に全身を移せそうな大きな姿見も10枚以上ならんでおかれている。

 その部屋で見目麗しき10人以上の若き乙女達がメイクアップを受けており

 顔にドーランを塗られながら、あるいは色とりどりの髪を梳かれながら

 「お花摘み」にいそしんでいた。

 

 「ねーねー、聞いた〜? 何か明日、新人さんがくるんだって」

 「ホント!? ね、ね、男の人? 俺とも女の人?」

 「う〜んと、ごめん。よくわかんないや!」

 「またユリカさんの早とちりじゃなんですか?」

 「あ〜〜、ルリちゃんたら酷いんだ!! プンプン!!」

 「『プンプン!!』じゃありません。昨日もそんな事言っておいて実際に来たのは

 新しい社長だったじゃないですか」

 「でも人がきたのは確かだもん!」

 「まぁまぁ、二人とも落ち着いて・・・」

 「メグミさんは黙っててください」

 「そうです! 今は私とルリちゃんの問題なの!」

 「なんですって! せっかく人が・・・」

 「メグミ、今の二人に何を言っても無駄だよ」

 「ラピスちゃん・・・」

 「こうなった二人を止められる人は誰もいないんだから」

 「ラピスちゃんの言う通り。放っておきなさい」

 「そうそう、いつものことなんだから気にしない、気にしない」

 「サラさん、アリサさん」

 「皆さん、お先に〜!!」×5

 「あ、ホウメイガールズのみんな、待ってよ!」

 

 



 「あれ? みんなは!?」

 「私たち・・・だけ?」

 「みんな、もうとっくに出かけたよ」

 「ラピス」

 「あとはユリカとルリだけ。二人があまりにもこないもんだから

 私が迎えにきたの。早くスタジオ入りしないとエリナ、カンカンだよ」

 「大変! 急がなきゃ!!」

 「まったくもう、急いでよね!」

 

 

 

 こうして彼女たちが急いでスタジオへ向かっているその上を

 話題の新人(?)テンカワ アキトは社長室に向かって歩いていた。

 

 「そもそもこのナデシコという船は、我がネルガルが持てる

 技術の粋を集めて建造したものなのです」

 

 アキトの前に立ち、艦内を案内しながらプロスは

 ナデシコについて説明をしている。

 

 「貴方のご両親も参加なされていた火星極冠遺跡の調査。

 あの調査の目標のひとつに調査で得られた技術・データを

 フィードバックしてより強力な戦艦を建造するというのがありまして・・・」

 

 「そうなんですか」

 

 アキトはプロスの説明を聞きながら、物珍しそうに艦内をあちこち見回している。

 といっても目に入ってくるのは黄色がかった壁と時折現れる緑色をした扉が

 ほとんどで、目の前を行くプロス以外に人の気配もない。

 

 「でも何でそんな船がここに?」

 

 「まぁいろいろとありましてね・・・」

 

 アキトの問いかけに答えるプロスの言葉には、いささか自嘲の翳りが混じっていた。

 

 「強すぎたんですよ。なにせこのナデシコ一隻で並みの戦艦

 数隻分の戦闘力があります。連合宇宙軍のトップがこの船の採用に

 二の足をふんだんですよ。

 『この船に叛乱でも起こされたら、手におえない』とね」

 

 「じゃぁ、ネルガルは大損ですか」

 

 「いや、まぁそこはうまく交渉しましてね。艦丸ごと一隻ではなく

 この中で使用されている技術――ディストーションフィールドとかエステバリスといった

 モジュール単位で売り込みましたんで、ま、なんとか・・・」

 

 その時の苦労を思い出しているのか、プロスの口調と視線は遥か遠くを

 向いているようだった。

 

 「で、せっかく建造したんだから、使わなければもったいない。

 ということで、ちょうどその時新しく設立されたこの会社の社屋として

 ナデシコは供されたんです。ま、ビルを建てるよりも高い社屋ですがね。

 さて、着きましたよ」

 

 そういってプロスはその歩みを止める。そして腰につけていた

 カードホルダーから一枚のカードを取り出すと扉の横にある

 スリットにカードを通す。

 

 プシュー。

 

 圧搾空気が抜ける音に続いて、扉がスライドして開いて行く。

 躊躇なく部屋に入るプロスに続いて、アキトは部屋の中に足を踏み入れた。

 

 その部屋は余り大きなものではなかった。奥行きは10歩も歩けば

 向かいの壁に辿り着きそうだし、また横幅もそれほど大きくはない。

 入ってきた扉か見て正面の壁には扉があり、向かって左側には小さな応接セットが

 その反対側には木で作られた事務机が置かれている。

 この二つのものが部屋をさらに狭く感じさせており、奥に行くには

 人がどうにかすれ違えるような細い通路を進まなければならないようだった。

 

 「社長」

 

 その声に反応したアキトがそちらを見ると、事務机に座っていた人物が

 プロスの姿を認め立ち上がって会釈をしたところだった。

 その人物の年の頃は20代半ばだろう。褐色の肌にややくすんだ色の金髪と

 グレー色の瞳を持つ女性だ。

 彼女の容姿に対して10人いれば6〜7人が美人と評するだろう。

 

 「?」

 

 アキトは彼女の姿を目にした瞬間、言いようのない恐怖にとらわれかけた。

 背筋を戦慄が走り、肉体がアキトの意思を離れて勝手にアドレナリンを放出し

 アキトを戦闘態勢へと移行させようとする。

 

 「やらなきゃ、やられる」

 

 ここ10年間の荒んだ人生のなかでも滅多に感じたことのない純粋な恐怖。

 その感覚にアキトは過剰な反応をしかけた。

 今にも飛びかかろうとしたアキトの行動を、その寸前で止めたのは

 いつもと変わらぬプロスの穏やかな口調だった。

 

 「ラスティアさん。ご苦労様です」

 

 ラスティアの会釈に対してプロスがにこやかに答える。

 その瞬間、アキトを捕らえていた恐怖は霧散し跡形もなくなった。

 

 「アキト君。紹介しておきましょう。こちらはラスティア ノースホワイトさん。

 私の秘書をやってもらってます。ラスティアさん。こちらはテンカワ アキト君。

 明日から私の下で働いてもらうことになってます」

 

 「はじめまして。ミスターテンカワ。ラスティアと申します」

 

 プロスに紹介されたラスティアはそういってアキトに小さな左手を差し出してくる。

 

 「あ、こちらこそはじめまして。テンカワ アキトです。

 俺のことはアキトと呼んでください」

 

 反射的に差し出された手を握り返しながら、アキトも自己紹介をする。

 しかし自己紹介をしながらも、アキトの頭の中は先ほど感じた恐怖のことで

 いっぱいであり、自分の体の反応をしきりに考えていた。

 

 「あのアキトさん? 手、もうよろしいでしょうか?」

 

 「あ、すみません」

 

 考え事に夢中になっていたアキトは、ラスティアに言われるまで

 彼女の手を握ったままだった。彼女に指摘され、慌てて手を離す。

 そして自分の手を半ば呆然と見詰める。

 

 「おや、アキト君はラスティアさんのことを気に入りましたか」

 

 二人の様子を見ていたプロスは、アキトをからかうように声をかける。

 

 「なっ、ばっ、ばっ、馬鹿なこと言わないでください」

 

 からかわれたほうのアキトは顔を真っ赤にしてプロスに詰め寄る。

 アキトの慌てる姿にラスティアが口元に右手を添え、その手で口元を隠すようにして

 クスリと小さく微笑む。ラスティアに笑われたアキトは更に顔を赤くした。

 

 「ま、冗談はさておき、アキト君。奥に行きますよ」

 

 そういいおいてプロスはさっさと奥へ向かう。

 アキトも慌ててプロスの後を追いかける。

 

 プロスとアキトの姿が奥の扉へ消えるのを待って、ラスティアは再び自らの席に着く。

 そして右手でペンを持って中断していた書類記入を再開したのだった。