ナデシコ パラダイス
第5話 出会い(1)
「ちょっと、プロス。一体どういうつもりなの?」
その女性は社長室に入るなり、声高に叫ぶ。
淡いクリーム色のスーツに、同じ色のタイトスカートを身に着けた女性だ。
美人といってよい美貌である。
興奮の為僅かに紅潮した肌が、その美貌に彩りを添えている。
「おや、エリナさん。どうされました?」
執務机で通信機相手に話していたプロスはいきなり現れた
女性の剣幕にも常の態度を崩さない。
「どうしたのじゃないわよ!!
いきなり会社を抜け出して、一体何処に行っていたのよ!!」
バンッ
エリナと呼ばれた女性は執務机までツカツカと歩み寄ると
両の手を机に勢い良く叩きつける。
「お〜〜、恐い恐い」
椅子に座っていたアカツキは、エリナの態度に首を竦めておどける。
アキトはといえば話に付いていけず、只唖然としていた。
「おや、ラスティアさんに言伝を頼んでおきましたが・・・」
これ以上通信できないと思ったのだろう。
プロスは手にしていた小さな機械を机の上に戻すと
両手を軽く広げながらエリナに答える。
「聞いたわよ。けど貴方が出て行ってからじゃ、意味が無いの!
せめてコミュニケでも持って行ってくれてれば連絡もできるのに
貴方は置いていってるし・・・」
エリナはそう言いながら、先ほどプロスが机に戻した小さな機械に冷瞥をくれる。
どうやらその機械がコミュニケと呼ばれるもののようだ。
「おや、それはそれは」
プロスはエリナの冷瞥にも気づかないふりをする。
「それで何の用なんです?」
エリナの口撃が一段落したと見て取ったのだろう。
プロスはここぞとばかりに話題を変える。
「・・・まぁいいわ。プロスに聞きたいことがあったの」
エリナのほうも一通り大声を出して気がすんだのだろう。
プロスの話題転換に乗ることにしたようだ。
「あなた、私に黙って新しい人を雇ったでしょう?」
「そうですが、それが何か?」
「ウチの何処にそんな余裕があるのよ!
まだ出来たばかりの会社で遣り繰りのモトもないのに・・・」
「まぁまぁ、エリナさん」
再び声を張り上げかけたエリナをプロスは両の手を見せることで
落ち着かせようとする。
「彼の雇用に関しては、昨日の時点で会長に許可を取ってますから」
プロスはそう言うと、ソファーに座っていたアカツキと
アキトの方にチラリと視線を飛ばす。
「プロス君! 酷いじゃないか〜〜!!」
今まで対岸の火事とばかりにプロスとエリナの会話を眺めていたアカツキは
プロスのその行動によって火の粉を自分に投げつけられたことを理解して叫ぶ。
だが、その叫び自体が本格的にアカツキを火中へと追い落とすことになった。
「アカツキ君!! いつの間にかスタジオから消えたと思ったら・・・」
アカツキの叫びによって彼の存在に気づいたエリナは勢い良く体を振り返らすと
ソファーにふんぞり返っているアカツキを怒鳴ろうとした。
だが、その声が急に尻窄まりに小さくなる。
「・・・?」
エリナの様子に、アカツキとプロスは顔を見合わせる。
エリナの事を良く知っている二人にとって、今のエリナの態度は
いささか腑に落ちないものであった。
「そちらの方は?」
怒鳴りかけたのをごまかすように軽く咳払いを行い慌てて取り繕うエリナ。
その顔はやはり紅潮しているが、先ほどまでの紅潮が怒りの紅潮なら
今の紅潮は恥ずかしさのためだ。
そしてエリナの視線の先にいるのは・・・アキト。
そのアキトはいきなり自分が話題の渦中に放り込まれたことを悟り
目を白黒させていた。
「ああ、彼が今の話題の主ですよ」
プロスが珍しいものを見るようにエリナを見る。
彼女がネルガルに入社してから長く付き合っているが
ここまで動揺するエリナを初めて見たのだ。
プロスがふと視線をアカツキに向けると彼もまた自分が見ているものが
信じられないといった表情をしている。
暫し視線で語り合う男2人――。
動揺する4人の人間の中で1番早く復活したのはアキトであった。
まぁ最初に混乱に叩き落されたのだ。
最も早く回復してもおかしくはない。
「あ、初めまして。テンカワ アキトです」
アキトはやおら立ち上がると自分の名を名乗る。
「あ、は、初めまして。わ、私の名前はエリナ。
エリナ キンジョウ ウォン」
アキトの挨拶にしどろもどろで答えるエリナ。
「よろしくお願いします」
「あ・・・、いえ・・・、こ、こちらこそ」
深々と頭を下げるアキトにつられるように頭を下げるエリナ。
その瞬間プロスの目が妖しく光ったのだが
その事に気づいたものはいなかった。
「アキト君にはボディーガードをしてもらうことになってます」
2人の自己紹介が一段楽したのを見計らい、プロスはアキトに
どのような仕事を任せるつもりなのかを告げる。
「で、彼はまだこちらに住居がないのでナデシコに泊り込んで
仕事をしてもらうつもりなのですが・・・」
プロスはわざと語尾を濁す。
それはエリナの性格を見抜いたプロスの策略であった。
「ちょっと、プロス!
私はそんな事、聞いてないわよ!!」
「それはそうでしょう。
今、会長と話し合って決めたのですから」
まさしくエリナは期待通りの反応を返してくれた。
ここまで来れば後一歩。
手順さえ間違えなければこちらの勝ちだ。
「だいたいね、私はまだ彼を雇うことに・・・」
そしてエリナは自ら降伏文書に署名をしてしまった。
「おや? それはおかしいですね。
先ほど確かにアキト君の『よろしくお願いします』という挨拶に
『こちらこそ』と返していらしたではないですか」
「そ、それは・・・」
プロスの言葉につまるエリナ。
「エリナ君、あきらめなよ。言質を取られた君の負けさ」
2人の対決を傍で面白そうに見ていたアカツキが仲裁役を買って出る。
もっともこの仲裁役は最初からプロスよりのジャッジをする腹積もりのようだが。
「会長!!」
アカツキの発言を聞いたエリナはキッとばかりにアカツキを睨みつける。
「おぉ〜、恐」
その視線に肩を竦めておどけるアカツキ。
「あ、あの〜」
その横ではまたしても放って置かれたアキトが申し訳なさそうに頬を掻いていた。
「ええ〜。ウリバタケさんってまだ33歳なんですか〜?」
一通り撮影が終了したウリバタケと女性達は休憩をしていた。
責任者であるエリナが帰ってこないため、次の予定に移れないからだ。
「そうだよ。悪いか」
年齢を聞かれたウリバタケは素直に答えたのだが
その途端ユリカに驚かれたのだ。
憮然とした表情でコーヒーを啜るウリバタケ。
コーヒーの苦味が強く感じるのは疲れのせいだろうか。
「だって、そのくたびれ方といい、少なく見ても30代後半
もしかしたら40代に行っているものと・・・」
バツが悪そうに言葉をつなぐユリカ。
「あのなぁ、2時間でかれこれ500枚は写しているんだぞ。
疲れもするって」
コーヒーを食道に流し込んだウリバタケは手にしていたカップをもてあそびつつ嘆息する。
「じゃぁご家族は?」
「おう、いるぞ。子どもは2人。男の子と女の子だ」
そう言って懐からパスケースを取り出す。
そこにはウリバタケを中心として女性と男の子、女の子が写っていた。
「わぁ〜、綺麗〜!!」
「かわいい〜〜!!」
その写真を見た女性陣から一斉に歓声が上がる。
「ねぇねぇ。この子の名前、何ていうんです?」
「おう、娘の名前はキョウカっていうんだ。でこっちの息子がツヨシ」
「奥さん、美人ですねぇ」
「へへ、まぁな」
ウリバタケは自分の妻を誉められて、満更でもなさそうな感じで鼻の頭をかく。
「キョウカちゃんか。ラピスちゃんのお友達にどうかな?」
「そうねぇ。今何歳なんです?」
「おう、今年で7歳になる」
何故か得意げにムネをそらすウリバタケ。
「じゃぁラピスちゃんと同い年だね」
「ぴったりじゃない」
「今度連れてきてくださいよ」
「おう。部長が許可してくれたらな」
ウリバタケの何気ない一言。
その一言が全員にエリナのことを思い出させた。
「・・・そういえば戻ってきませんね」
誰ともなく呟く。
その声に導かれるように全員の視線が扉へと吸い寄せられていった。
「・・・まぁ良いわ。会長までが賛成しているなら、私が不利に決まっているもの」
暫しの睨み合いの後――。
エリナは結局折れた。
「そうですか」
少し意気消沈気味のエリナに対し、プロスは平然と
アカツキにいたっては破顔している。
「あの〜、すみません」
気落ちしたエリナを可哀相と思ったのだろう。
アキトがすまなそうな表情と声でエリナに謝る。
「べ、別に貴方に謝ってもらったって・・・」
何故か顔を真っ赤にしてアキトに怒鳴るエリナ。
「おいおい。別にテンカワ君にあたらなくても良いじゃないか」
エリナの態度をアカツキが苦笑しながらまぜっかえす。
「もう勝手にしなさい!!」
そのアカツキの一言がトドメとなった。
エリナはそう言い残すとプロス達にくるりと背を向け
足音を音高く響かせて社長室を出て行こうとする。
「あ、後でスタジオに行きますから」
「どうぞご自由に!!」
今まさに部屋を出ようとしたエリナの背中に、プロスが声をかける。
エリナはその言葉に振り返りもせず、はき捨てるように言い残して
社長室を後にしたのだった。