沈黙のナデシコ

〜 天 の 巻 〜

 

 連合軍最強にして最狂の戦艦、ナデシコ。

 

 グラビティ・ブラストや、ディストーション・フィールドといった、

 オーバーテクノロジーによって造りだされた武装や、

 機動兵器として格納されているエステバリス等のハードウェアは当然のこと、

 オモイカネを代表とするそれらを運用するためのソフトウェア、そして

 ”性格的には一癖以上あるが、能力的には超がつく程の一流ぞろい”

 のクルーというヒューマンウェア、

 これら3つのウェアが渾然一体となって、ナデシコを最強(最狂)たらしめているのである。

 

 さて、性格的には一癖以上あるが、能力的には

 超がつく一流ぞろいのナデシコクルーの中で、

 「誰がもっとも優れているのか?」

 という事について、興味を持たないだろうか?

 

 単純な戦闘能力ならば、「漆黒の戦神」テンカワ アキトが

 その第一席は間違いが無い。


 電子戦においては「電子の妖精」たるホシノ ルリの

 右に出るものはいないだろう。


 また戦術という面で見れば艦長のミスマル ユリカを

 筆頭に上げることができるだろうし、


 更に大きく戦略という面ならオオサキ シュンに

 軍配が上がるかもしれない。

 

 しかし、ナデシコの中においてもっとも優れているとなると、

 上記の人々では少々物足りないというのも、また事実である。

 テンカワ アキトは女性に弱いという弱点を持ち、

 ホシノ ルリはテンカワ アキトの事になると長所である

 冷静さを失ってしまう。

 これは艦長たるミスマル ユリカも同様であり、またオオサキ シュンは

 軍部から出向中のアドバイザーにしか過ぎないため、

 実際にはそれほどの権能をもっていないのが実状である。

 

 このように名前を挙げた各人が、それぞれに何らかの欠点があり、

 その欠点が大きすぎる為に、「最強」の名を冠するのには

 少し躊躇してしまうでのである。

 

 「誰が一番の実力者なのか?」

 

 この件について、われわれ「史実歪曲場発生調査委員会」は、

 独自に入手した情報によってある程度のあたりをつけるという

 快挙を成し遂げたのである。

 

 以下の文書は、その情報を元に再構築されたものであり、

 その時


 「ナデシコにおいて何が起きていたのか」


 ということを克明に記したものである。

 

 


 

 実のところ、その前触れはほとんどのクルーが気付いて

 いなかったというだけであり、、

 確かに存在し、そして密かに進行していた。

 

 いつもの日常、いつもの生活。

 その時々で細かい変化はあるにせよ、

 昨日を今日に繰り返し、今日を明日に繰り返す。

 まるでいつかは終わってしまう「お祭り」を

 何とかして終わらせないとするかのように――。

 

 「ミスター、大丈夫か?」

 

 がっしりとした体格と、強面の人物が、傍らに立つ人物に話し掛ける。

 彼の名はゴート・ホーリ。

 後に神の戦士を自任することになる彼も、

 この時は未だ神の戦士ではなく、ナデシコの艦橋にその巨体を存在させていた。

 茶系のスーツに巨大な体を窮屈そうに押し込めているが、

 従軍経験もある人物である。

 

 「大丈夫ですよ」

 

 心配そうなゴートに答えたのは、クリーム色のシャツに赤いベスト、

 そしてスラックスを身に付けた男性である。

 だがその言葉とは裏腹に、その表情は青白い。

 自慢(?)の髭も、心なしかしおれているようだ。

 彼の名はプロスペクター。

 もちろん本名ではない。本人曰く、


 「ペンネームみたいなもの」


 だそうだ。

 ナデシコを建造したネルガル重工の社員であり、

 ナデシコには会計監査役として乗り込んでいた。

 

 「しかし、あまり寝ていないようだが?」

 

 「まぁ、確かに少々寝不足ではありますがね……」

 

 ゴートに答えるその声も、心なしかいつもの口調ではない。

 よほど疲れているようだ。

 その原因はやはり自分でも言うように、

 このところ強いられている寝不足のせいなのだろう。

 

 彼がここまで寝不足になっているのには訳がある。

 彼のナデシコにおける仕事は先ほども述べた通り、会計監査である。

 が、その一方でナデシコ艦内における日常生活に必要な

 様々な物資の流通も管理しているのである。


 歓談室や廊下にある自動販売機の中身はもちろんのこと、

 ナデシコ食堂が仕入れる食材や、クルーが使う石鹸・シャンプーといった

 消耗品類にいたるまで、すべてプロスペクターが何時、何を、

 どれだけ必要とするのかを予測し、手配している。

 幸いなことに今までプロスペクターの仕事にミスはなく、そのおかげで

 ナデシコのクルー達は「物が無い」という事で困ることがなかった。

 

 しかしその状況ももはや過去のものとなりつつある。

 未だ致命的なものとなってはないが、現在のナデシコはいつ物資が不足しても

 おかしくない、そんな状況に陥りつつあるのだ。

 プロスペクターの名誉のために言うが、その原因は彼にあるのではない。

 逆に、プロスぺクターが物資流通の管理をしていなければ、

 すでに物資不足が発生していただろう。

 

 最近プロスぺクターを悩ませ、寝不足にさせている原因は、

 突き詰めていくとテンカワアキトに行き当たる。

 彼が原因といっても別にアキトが物資の横流しや

 あるいは無駄遣いをしているわけではない。

 また有り余る財力でナデシコの中で流通している物資を

 買い占めているわけでもない。

 むしろアキトは物質的な欲望が少ないので、他のクルー達に

 比べて物資の消費量は少ないほうである。

 

 ではなぜ、彼がプロスぺクターの寝不足原因となるのか。

 それはテンカワ アキトの周りにいる一部のクルー達が、

 より明確に言うのならば、テンカワ アキトを中心とした某同盟と、

 某組織の構成員が、異常なまでに物資を消費するのである。

 

 某同盟の例を挙げるならば、それはこうである。

 テンカワ アキトが訓練後、ある飲み物を買ったとする。

 それを見た某同盟のメンバーはこぞってその飲み物を買い占める。

 通常、飲料物の手配は余裕を見てグロス単位で行なうのだが、

 彼女たちにかかるとあっという間に2〜3グロス分が買い占められ、

 在庫がなくなってしまう。

 彼女たちが競い合うように買い込んでしまうからだ。

 

 そして某同盟と某組織との衝突がいったん発生すると、

 艦内の修繕に夥しい物資を必要とする。

 整備班員を中心とする某組織が使用する武器が、少なからぬ損害を

 艦内の隔壁等に与えるからだ。

 

 某同盟と某組織の「聖戦」が一度生じる度に、

 プロスのもとには厚さ約5センチの物資要求書類が届くことになり、

 先ほどの同盟による買占めの件とあいまって

 プロスぺクターに多大な負荷をかけることになるのだ。

 

 これが木星蜥蜴からの攻撃でもあれば、状況は

 まだましだったのかもしれない。

 それならば「聖戦」の発動回数も少なくてすみ、

 プロスの負荷もいくらか減ったであろう。



 しかし運悪く(?)、ここ暫くは木星蜥蜴からの攻撃が無かった為、

 ストレスの溜まった某同盟と某組織によって頻繁に

 「聖戦」が発生し、其の度にプロスは事後処理に

 頭を悩ませることになっていたのである。

 

 「私以外にこの仕事ができるものがいないものですから……。

 うかつに休む事もできませんよ」

 

 プロスぺクターにしては珍しく、「泣き」が入っている。

 

 「しかし、ここでミスターに倒れられても……」

 

 ゴートはなおも食い下がる。

 余程プロスの事が心配のようだ。

 

 「ま、ま。私が倒れたときは倒れたとき。

 その時に改めて考えましょう」

 

 プロスはそういってこの話は終わりだとばかりに

 両手を広げ、ゴートの更なる意見を封じたのだった。

 

 「ちわーす。出前にきました」

 

 プロスとゴートの会話が一段楽したとき、

 そういって入ってきたのは、テンカワ アキトである。

 彼の本職はコック(見習い)であり、戦闘待機でない限りは

 できる限り厨房に詰めている。

 そして時々、艦橋や整備班の詰め所まで出前にくるのである。

 艦橋要員である、ミスマル ユリカやホシノ ルリ、メグミ レイナードと

 いった面々が、主にこのアキトの出前を利用していた。

 

 「おや、テンカワさん。もうそんな時間ですか?」

 

 入ってきたアキトにプロスぺクターが尋ねる。

 アキトが出前に出れるのはナデシコ食堂のピークが過ぎた後の

 ことであり、そのため艦橋にいる人間にとってアキトの出前は

 時計代わりの役割も持っていた。

 

 「そうですよ。…ってプロスさん。

 大丈夫です? 顔、真っ青ですよ。」

 

 岡持に入っていた丼を艦長席におきながら、

 アキトは話し掛けてきたプロスを心配そうに見る。

 この時艦長席にいるミスマル ユリカが何やら騒いでいるが、

 プロスぺクターを心配しているアキトにはその声は届い ていない。

 

 「いえいえ、たいしたことありませんよ」

 

 そういってアキトに対し、答えるプロスぺクター。

 しかしその声音は台詞を裏切っており、

 とても大丈夫とは思えないものだった。

 

 「でも…」

 

 「大丈夫です!」

 

 なおもしつこく問い掛けようとしたアキトに、

 ややムキになりながら答えるプロス。

 このいつにない態度が、逆にプロスぺクターの余裕の無さと、

 そして体調の悪さを顔色以上に雄弁に物語っていた。

 

 「は、はぁ…」

 

 プロスの剣幕に引き気味に答えるアキト。

 そしてちらちらとプロスの様子を伺いながら

 出前の商品を各人の前に持っていく。

 持っていった先々で女性クルーに絡まれるのも

 それを見たほかのクルー達がアキトに

 さらにからむ女性クルーに嫉視を浴びせるのも、

 ここでは日常の見慣れた風景だ。

 

 「自覚症状がないというのが困りものですな」

 

 いつもの事といえばいつもの風景を見るとはなしに見ながら、

 プロスはボソリと呟いた。そして

 「プロスペクターが体調を崩しかけているのは、いったい誰のせいなのか」

 と大声で言えたのなら、どれほど気分がよくなるだろうと

 かなり後ろ向きな思考に陥っていたプロスであった。

 

 「むうっ……」

 

 女性に絡まれて困惑しているアキトを見るとは無しに見ながら

 とりとめもないことを考えていたプロスペクターだが、

 不意に自分の視界に暗闇が落ちてくるのを感じ、

 しらず呻き声を発していた。

 誰かが自分のことを呼んだような気がしたが、

 混濁しかけている意識には誰の声だか判断できない。

 

 「これはいけませんなぁ……」

 と些かのんびりした思考の中、

 プロスぺクターは自らの体が平行を失っていくのを感じていた。

 

 

 

 「プロスさん、大丈夫かな」

 

 通信席に、オペレータ席に出前の商品を配りながらも、

 アキトの注意の大半はプロスに向いていた。

 本人は大丈夫と言っているが、あの顔色はとても大丈夫だとは思えない。

 

 「イネスさんあたりに、それとなく言っておくか」

 

 アキトがプロスに直接言ったところで

 先ほどのように否定されるだけだろうが、

 イネスさんあたりの言葉なら、プロスも受け入れるだろう。

 アキトはこういったことについて(だけ)は頭が回るのだ。

 

 メグミに絡まれ、ルリに抱き着かれ、ラピスにせがまれるという

 いつもの状況。

 その度に強烈な嫉視を受けながらも、鈍感さではギネス・ブックに

 載ることは確実なアキトは悉くそれらを無視していく。

 毎日同じ事を繰り返せば、いやでも耐性がつくだろう。

 ……最も学習はしてないようだが。

 

 あらゆる意味での自衛の為に艦橋に来た時は

 思考を停止させるのだが、今日はプロスのことを考えていた。

 それゆえプロスペクターが発した小さなうめきと、

 ゴートが発した「ミスター」という声に即座に反応できたのであり、

 そうでなければプロスペクターは上部艦橋から3メートル近い距離を

 垂直に落下し、床との不本意な抱擁を危険な角度で

 強いられていたことだろう。

 

 声に反応しプロスぺクターの方へ振り返るアキト。

 その視線の先では、今にもプロスが倒れそうであった。

 

 「くっ」

 

 一瞬で事態を把握したアキトは、手にしていた岡持を放り捨て、

 上部艦橋の手すりを乗り越えて落ちてくるプロスに向かって走り寄る。

 極度の集中によって発生した、1秒が1秒でなくなる感覚。

 5メートル近くあった距離を、アキトは疾風のごとく駆け抜けた。

 

 ガンッ
 
ガン

  ガラーン

 

 すでに出前の商品を吐き出し終えていた岡持が

 床に当たり、大きな音を出す。

 その音が引き伸ばされていたアキトの感覚を正常に戻した。

 

 「ふぅ」

 

 アキトは小さく息を吐き出して額に浮かんだわずかな汗をぬぐう。

 その腕には、意識を失ったプロスぺクターが抱きかかえられていた。

 床に衝突する手前で、アキトはプロスを抱える事ができたのだ。

 アキトの神速の反応なればこそである。

 

 「ユリカ、イネスさんに連絡! 急いでっ! 

 メグミちゃん、イネスさんがくるまでプロスさんの手当てを!」

 

 プロスぺクターがうめき声を発してから、

 時間にしてわずか5秒ほど。

 そのわずかな間に起きた出来事に、アキト以外のクルーは

 未だ現状を認識できず、棒のように固まって立ち尽くして

 いたのだがアキトの指示に自分を取り戻したのか、

 はじかれたように動き始める。

 

 「イネスさん、イネスさん、急患です。

 至急ブリッジまでお願いします」

 ユリカは医療室へ連絡を――

 

 「ミナトさん。タオルを濡らしてきて下さい」

 メグミはプロスぺクターの状態を見ると、

 ミナトに作業の手伝いを頼む。

 

 「わかったわ。メグちゃん」

 メグミの指示にミナトはタオルを持って駆け出し――

 

 「ミスター、大丈夫か?」 「プロス、大丈夫?」



 ゴートやラピスはプロスぺクターの側に駆け寄って、声をかける。

 

 艦橋は時ならぬ喧騒に包まれることになった

 

〜 地 の 巻 へ続く 〜