沈黙のナデシコ
〜 理 の 巻 〜
プロスが倒れてから3日目――
流通管理担当は、なぜかラピス・ラズリという少女に変わっていた。
というのも昨晩からハーリーの姿が見えなくなったからである。
「拉致された」
「整備班に粛清された」、
「某組織内部の抗争に巻き込まれた」
といった憶測が乱れ飛んだが、
「ハーリーだからきっと生きているだろう」という意見が
ある少女の口から出たところで、捜索活動は一時中断となった。
中断の理由は、少女の意見よりもその発言の口調と表情によるところが
大きかったと言われている。
まんまとハーリーから仕事をせしめた少女はご機嫌であった。
昨日、自分が行った工作によって一部物資が欠乏しかけているが、
整備班、つまり某組織に対する流通を抑えることで全体を維持していた。
時折、整備班員からの直訴があったが、ラピスは自らの年齢と、
女性であることを最大限利用してそれらの要求を排除していった。
その結果として、整備班以外にはさしたる混乱もなく、
つつがなく一日が経過して行ったのである。
「ルンルン〜(はぁと)」
一日の仕事を終えたラピスは、アキトの元へ行き、
「えらいね」と誉めてもらい、なおかつ頭をなでてもらってきた。
そのため、今のラピスは「天にも上る」幸福状態であった。
「ラピス、ちょっといいですか?」
そんなラピスに声をかけたのは、同じオモイカネの
オペレーターである、ホシノ ルリであった。
「なーに、ルリ?」
妄想の世界に旅立ちかけていたラピスは、
ルリの呼びかけに不満そうに答える。
至福の幸福感を邪魔されたのが原因だろう。
「取引をしませんか」
「取引?」
ルリの口から出た言葉に、ラピスは怪訝な表情をする。
「別にルリと取引するようなことないけど」
「昨晩のハーリー君のこと、といったらどうです?」
ルリはまどろこっしい駆け引きなどせず、大上段から切り込んでいった。
「ハーリーがどうかした?」
内心の動揺を押し隠して、ルリに答えるラピス。
「考えましたね。難しい仕事をこなしてアキトさんに誉めてもらう。
考えてもみませんでした」
「なんのこと?」
あくまでもシラを切ろうとするラピスを無視して、
ルリは言葉を続ける。
「でもハーリーの封印のしかたがまずいですね。
『ロン○ヌスの槍』と『獣○槍』で封印するのなら、
私に見られないような場所でするのでしたね。
昨晩、あなたが何をしたのか、その行動は全部わかっています」
そういって昨晩、ラピスがハーリーにしていた映像を
手のひらの上に小さく映し出す。
「オモイカネ、裏切ったね!」
その映像を見たラピスは虚空を睨み、
大声でオモイカネを詰問する。
『ごめんよ、ラピス。ルリには逆らえないんだ』
その詰問に対し、オモイカネはそうウィンドウを出して答える。
「どうです。このことをアキトさんに知られたくなければ、
明日は私に任せなさい」
「……、わかった。ルリにまかせる」
しばし逡巡した後、不承不承頷くラピス。
不満たらたらのラピスとは対照的に、ルリの表情には
「勝利」の二文字が大きく描かれていた。
「安心しなさい、ラピス。
明日はあなたの分までアキトさんに誉めてもらいますから」
そういい残すとルリは颯爽と歩き去っていった。
一方、ルリにしてやられてくやしがったラピスだが、
落ち込んだ表情で戻ったラピスをアキトが慰めたので、
「これはこれでラッキー」と思いっきり甘えたのであった。
そして最終日――
ラピス・ラズリがオモイカネのオペレートを、
ホシノ ルリが艦内流通担当になった。
ルリの機嫌は天井知らずで、今の彼女の頭の中では
「どうやって誉めてもらおう」
ということで一杯だった。
あれも良い、これも捨てがたいと、怪しい妄想爆発中である。
臨時の作業場だからこそ問題ないが、もしブリッジでこんな状態なら、
さすがのハルカ ミナトでさえルリとの付き合いを考え直すかもしれない。
誰も止めるものがいないため、妄想は暴走を続け、
いまやアキトからのご褒美は
「禁断の世界」
へと旅立っていた。
「あっ……、アキトさん。いけません。
そんなところを……」
『ルリ』
オモイカネがルリに対して呼びかけるが、
既に
『逝って』
しまっているルリには聞こえていない。
「ああ、アキトさん。そんなことまで私に」
『ルリ』
「いいです。アキトさんが望むのなら、ルリはなんだって……」
『ルリってば』
「きゃっ!!」
度重なる無視にもめげず、呼びかけつづけていた
オモイカネは、何度目かの挑戦でようやくルリに気づいてもらえた。
「もう、何です。オモイカネ。せっかくアキトさんの(ピー)を……」
ルリはまだ『逝った』ままなのか、何気に
怖いことを平気でのたまっている。
『ルリ、キャラが変わっている』
『それよりハーリーをロストした』
「!? 何時のことです」
驚くルリの前に、ハーリーが磔にされていた部屋の
映像を出すオモイカネ。
だがその映像にはいるはずのハーリーが、映されていなかった。
『今から30分前』
「もう、どうして早く教えないんですか!!」
自分の事は棚に上げ、オモイカネをしかるルリ。
オモイカネは青く塗りつぶしたウィンドウに「さめざめ」と大きく映し出して
ルリにささやかな抗議をする。
「ラピスはどこ?」
ハーリーがいなくなったのは、誰かが手引きしたからだ。
そしてハーリーがあの部屋に磔になっているのを知っているのは、
自分のほかにはラピスしかいない。
そう考えたルリは、真っ先にラピスの所在を確認した。
『ラピス:艦橋――オペレータ席』
しかしルリの予想とは異なり、ラピスは未だ艦橋にいた。
「? どういうことです。
オモイカネ、とりあえずハーリー君の所在の確認と、
ラピスの挙動の監視をして。
何かあったらすぐに知らせなさい」
『それは……、了解』
一瞬、拒否しようとしたオモイカネだが、
ルリの目に剣呑な光があるのを確認すると、不承不承
命令を受け入れた。
「ラピス、一体何を考えているのです」
オモイカネが映している無人の部屋と
オペレート席に座るラピスの姿を見ながら、
ルリは言いようの無い不安に包まれていた。
艦内某所――
謎の人物の手によって助け出されたハーリーは、
簡単な治療を施され、清潔なベットに横たえられていた。
「ルリさんにも、ラピス君にも困ったものですなぁ〜」
穏やかな寝息を立てるハーリーを見ながら、
謎の人物は苦笑する。
部屋の中が薄暗いため、おぼろげな輪郭しかわからないが、
中肉中背の男性のようだ。
「御館様、いかがいたします?」
謎の人物の横には、もう一人、別の謎の人物がいた。
その声から察するに、女性のようである。
「そうですね、ルリさんとラピス君には少し
お仕置きをしなくてはいけませんかね」
そういってハーリーに向けていた視線を
問い掛けてきた女性に向ける。
「ルリさんのほうは私が何とかします。
あなたはラピス君の方をお願いします」
「了解いたしました」
その声を合図に、女性の気配が消える。
どのようにしたのか解らないが、部屋を出て行ったようだ。
「ふふふ、ルリさん。
グリン クラウンの恐怖。
味わっていただきましょうか」
謎の人物が呟いた瞬間に部屋の温度が急激に低下したのを、
ハーリーは気を失いながら無意識のうちに感じていた。
そして午後――
とりあえずアキトに「頑張って」とエールを送ってもらってきたルリは
未だにハーリーの所在がつかめないことを気にしながらも、作業に精を出していた。
昼食時に、それとなくラピスの様子をミナトに確認したところ、
ラピスは午前中、一度も席を離れなかったということだった。
どうやらラピス以外の人物がハーリーを救出・確保したらしい。
「あの場所は一般クルーは近づけない場所だし……。
まさかアキトさんが……。アキトさんなら気配で見つけれるかもしれない。
でもそれならば昼食時にアキトさんに何か聞かれるはずだし……」
まさかアキトに「ハーリー君知りませんか」と聞くわけにもいかず、
そのため本来楽しいはずの昼食もいまいち楽しめなかった。
「まぁ、ハーリー君を磔にしたのはラピスですから
私には問題ないといえば問題ないですけど……。
気になりますね」
他の事を考えながらも、本来の仕事をしっかりと行えるあたり
やはりルリはさすがである。
が、徐々にハーリーの事など頭から消えていった。
なぜか解らないが、艦内の流通状況の情報が激変し始めたからである。
「くっ、一体何が……」
めまぐるしく変化する状況に、その場その場に処理を当てていくルリ。
だが既に限界に近い状況に追い込まれていた。
額に浮かぶ玉のような汗をぬぐう暇も無く、コンソールを操作するルリ。
その様子をオモイカネとは異なる監視システムによって覗いている
人物がいた。
「さすがルリさん。やりますね」
監視ウィンドウの中にいるルリに、そう話しかけたのは、
先ほどハーリーが寝ていた部屋にいた謎の人物である。
「でもこれはどうですかねっと」
謎の人物が手元のコンソールを操作すると、
いくつものウィンドウが謎の人物の周りに浮かび上がる。
そしてすぐに消えたのだが、消えるたびに監視ウィンドウの中にいる
ルリの様子が更に緊迫したものになる。
「ほい、ほい、ほいっと」
しかし謎の人物が更に操作を続けると、ルリは
呆然とウィンドウの表示を眺めるだけになった。
ついにルリの処理速度が追いつかなくなったのだ。
その目は驚愕のため大きく見開かれており、マシン・チャイルドたる
自分が処理できない状況があることに、大きく困惑しているようであった。
「ふむ、落ちましたか」
そんなルリの様子をして、満足そうに頷く謎の人物。
「ではちょいの、ちょいの、ちょいっと」
その口調はあくまでも軽いが、していることはかなりえげつない。
結局、その後もしばらく操作をした後で、
「まぁ、これぐらいで許してあげますかね」
と監視ウィンドウを見やる。
その視線の先では、もはや手遅れになった処理を一生懸命行っている、
一人の少女の姿があった。
ルリが混乱の中で残務処理をしていた頃。
もう一方のお仕置き対象者であるラピス・ラズリは
――迷っていた。
「なんで〜!? どうしてアキトの所にいけないの〜〜!!」
通常の勤務を終え、疲れた体を休めようと食堂に向かったラピスであったが、
なぜか食堂に辿り着けなかった。
いつもどおりの道をたどっているはずなのに、なぜか行き着くのは格納庫だったり
風呂場だったりする。
間違って展望室についたときには、思わず10分ほど
外を眺めて現実逃避をしてしまった。
かれこれ2時間(!)近くナデシコ艦内をさまよい歩いているのに、
他のクルーにも行き逢わないのもおかしかった。
なぜかオモイカネのナビゲートもうまくいかないのも、不思議だった。
木連の某女性兵士も真っ青である。
ただでさえ6歳の子どもの体力など高が知れている。
今までの放浪ですでにラピスの精神力と体力はつきかけていた。
「ああ、アキトの作る料理が見える。
美味しそう」
疲労と空腹のため、どうやら幻覚が見え始めたようだ。
よだれを「じゅるり」と飲み込み、お腹の虫を「くぅ〜〜」と可愛らしく鳴かせながら
ラピスは何処へとも無く歩いていく。
「あ、あれは!」
限界に近づいたラピスの目に、小さなお皿に山のように盛られた
クッキーの山が飛び込んできた。
通路の真中に、これ見よがしに置かれた皿である。
普通なら手を出さなかっただろう。
しかし今のラピスは既に限界を越えかけていた。
そのため、いつもなら手を出さないはずのものに、飛びついてしまったのである。
「うぐぅ」
皿に飛びつき一口食べたラピスだが、その瞬間、
顔が真っ青に変化する。
そして白目をむき、かじりかけのクッキーを持ったまま後ろに倒れた。
ようは気絶したのである。
そのクッキーは確かに見た目は普通だった。
お店できれいにラッピングされ、売られていてもおかしくない見栄えだった。
しかし製作者がいけなかったのである。
まぁ、誰とは言わないが。
「ねーねーアキト。私が作ったクッキー知らない?」
「知らないよ」
「あれ〜〜、おかしいな。私が作ったクッキー何処いったんだろう?
せっかく綺麗に出来たから、アキトに食べてもらおうと思ったのに」
(危なかった……。誰だか知らないけどありがとう)
といった風景がナデシコ食堂で繰り広げられていたとか……。
気絶したラピスだが、倒れる落ちる瞬間、
何者かに抱きかかえられたため
頭を打つといったことは無かった。
もっとも殺人料理を食べさせられた彼女に、
そんなことは何の慰めにもならなかったが……。
ラピスを抱えた人物は、その場で簡単な胃洗浄を行った後、
クッキーや細かな機械を回収して、その場を立ち去っていった。
そしてその後には惨状の痕跡は、一切残っていなかった。
「ラピス、食事に来なかったけど……」
食堂勤務を終え、自室へと引き上げるアキトは、
夕食の時間にラピスがナデシコ食堂に来なかった事を心配していた。
艦橋のミナトさんに聞くと
「あれ〜〜。ラピラピなら勤務時間がおわった途端に、
ウキウキしながら食堂に向ったけど」
と、真顔で言われたのである。
しかもその後、ラピスの姿は誰も見ていない。
先日もハーリーが疾走、じゃなかった失踪したばかりである。
楽天的なアキトも、さすがに心配になっていた。
「そうだよな〜。いくらラピスが精神的には
11歳だとしても、今の肉体は6歳なんだし……」
そんな事を考えているうちに、アキトは
自室の前にたどり着いた。
「うん……?」
アキトがIDカードで部屋の鍵を開こうとした時、
すでに鍵が開いているのに気づいた。
「ラピスが先に帰ってきているのかもしれない」と考えたアキトは
「ただいま」と声をかけて部屋に入っていった。
「誰です?」
アキトの部屋には、確かにラピスがいたのだが、
どういう訳かベッドで眠っていた。
そしてラピスが眠るベッドの前に、二人の人物が立ってアキトを待っていた。
「お待ちしておりました。アキトさん」
「何だ、プロスさんですか」
アキトの誰何の声に答えた人物、それは休んでいるはずの
プロスぺクターだった。
相手がプロスだとわかったアキトは、しかし自分の体躯が緊張している事に
気付き、プロスを凝視する。
「いや、プロスさんじゃないですね。
その気勢、グリン クラウンとしてですか」
アキトがその言葉を発した瞬間、プロスの気配が変る。
「おや、ご存知でしたか。私も有名になったものですねぇ」
いつもの調子で話す “プロス” だが、その言葉の端々に
尋常ではないプレッシャーが込められている。
「いえね、ちょっとおいたが過ぎた子どもがいましたので……
かるくお仕置きをしていたのですよ」
にこやかに話す“プロス” だが、そのプレッシャーは減じていない。
「お仕置き……?」
その単語に一瞬、引き気味になるアキトだが、
しかしラピスの様子をみて、こちらも “漆黒の戦神” モードに気勢を切り替える。
「ラピスに何をした!!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、
アキトはラピスが寝ているベッドの前に立っていた。
部屋にいたもう一人の女性にとってみれば
アキトがいきなり目の前に現われた様なものである。
「命に別状はありません」
アキトの気迫に押されながらも、毅然とした態度で対応する女性。
その言葉と、自らの目でラピスの状態を確認したアキトは、ほっと息をなで下ろす。
「さて、よろしいですかな」
いつのまにかアキトの背後に来ていた “プロス” が、アキトの耳元でささやく。
「くっ……」
いくらラピスに気を取られていたとはいえ、 “戦神” モード時に
簡単に背後を取られたアキトは、改めて “プロス” の実力を確認する。
「ラピスさんとルリさんの行動が、さすがに目に余りましたので……」
そう言い置いてここ2日間のラピス及びルリの行動と、ハーリーの扱いについてアキトに説明する “プロス” 。
言葉が進むにつれて、次第に “プロス” からのプレッシャーが減少していく。
「というわけで、恥ずかしながら私が直接乗り出したと、
まぁそういう訳なんです」
そう言葉を結んだプロスの気勢は、もはや通常のものだった。
「そうだったんですか……」
アキトのほうもプロスの気勢が下がるのにあわせて、
気勢をさげ、聞き終える頃にはいつものアキトに戻っていた。
「まぁ、アキトさんには、後でルリさんとラピス君をしっかり叱って頂くとして……」
プロスはそういってアキトを一瞥する。
「いやぁ〜、今回の事では溜まっていたストレスが発散できました。
久しぶりに『グリン』になりましたが、全力を出すというのは実に気持ちが良いものですなぁ」
そういったプロスの顔は、実に楽しそうだった。
「はぁ……」
そう言われてもアキトには愛想笑いをするしかできない。
「はぁーっ、はっ、はっ、はっ、は」
その日、夜のナデシコにストレスを発散した中年の
笑い声が高らかに響き渡ったのだった。
以上が今回、わが調査委員会が入手しえた情報である。
“漆黒の戦神”を向うに回して圧倒し、また電子の妖精を相手に
電子戦を挑み、勝利する。
このような人物がナデシコにおり、なおかつそのことが秘匿されていたのである。
ナデシコという一民間企業体が所有する戦艦に、一体どれほどの人材が集まっているのか
まことに驚嘆の念を禁じえない。
今回の調査報告は以上で終了だが、これからもわが調査委員会は、
事実歪曲場の発生が多数報告されている戦艦ナデシコについて、
様々な角度と視点から、調査・報告を続けていくので、
期待していて欲しい。
史実歪曲場発生調査委員会
代表委員 “虚ろなるモノ”
おまけ
後日――。
アキトに叱られたルリとラピスは、1週間アキトの料理を食べれなかったそうだ。
代理人の感想
遂に切れたか(苦笑)。
いや、切れない方がどうかしているとは思いますが。
ここの所某同盟の暴虐に一矢報いるような話が増えていますね。
しかし一方ではやはりお仕置話が人気を得ているわけで。
けなされるのは人気がある証拠と言うところでしょうか(ちょっと違うか)。