「駄目……。やっぱり見付からない……。」
「ありがとう、オモイカネ。もういいよ。」
「明日は式典か……。今日は早く寝ないと……。」
「アキトさん……、何処に居るんですか……?」
機動戦艦ナデシコ
嵐を呼ぶ乙女達
第三話 お祭前夜
火星の後継者の乱より半年。
南雲の反乱と呼ばれる一連の反乱騒ぎを鎮圧した功績により、連合宇宙軍少佐 ホシノ ルリは中佐に昇進していたが、その事実は彼女に何の感慨ももたらしてはいなかった。
火星の後継者の乱からずっと、彼女はネットワークからテンカワ アキトの行方を探していた。
彼が重犯罪者として一級指名手配されていることは解っていた。
会ってどうするという問いにも答えられはしなかった。
ただ、アキトの顔が見たかった。声が聞きたかった。
もし、ルリがこの時点でアキトを見つけ出せていたなら、彼女はユーチャリスに身を投じる事も躊躇わなかっただろう。
しかし、現実には五ヶ月前の火星の後継者残党との小規模の戦闘を境目に、アキトの消息は完全に途絶えていた。
真っ先に調べたネルガルのどの秘密ドックにもユーチャリスの姿は無く、補給に立ち寄った形跡も無かった。
南雲の反乱の間、もしかしたらアキトが来てくれるかも知れないという、かつての自分が聞いたら鼻で笑うに違いない夢想が頭をよぎる事もあったが、現実にはそんな事も無く、もしやアキトは既にという悪い予感を振り払いながら彼女にできることは、オモイカネの助けを借りてネットワーク内を当ても無くアキトの痕跡を探し回るという、砂漠で針を探すような作業のみであった……。
「もうここの暮らしには慣れたかな。」
雪に覆われた窓の外の風景を眺めながら、征木 勝仁は湯呑を手に目の前の男に問い掛けた。
「ええ、もうすっかり。ラピスは最近池でのスケートがお気に入りですよ。」
勝仁の向かいで笑って見せたのは、ルリが今必死に探している相手、テンカワ アキトであった。
この家に住む男の制服だと初音に言われて作務衣姿である。
初音の申し出を受けて家の管理人を引き受け、早半年近くが過ぎていた。
ラピスは始めて触れる生の自然が珍しかったのか、98をお供に毎日山を歩き回り、すっかり体力もついて近頃は本物の雪を前に大はしゃぎである。
アキト本人も毎日の家事、カンを取り戻すための料理の試行錯誤、にんじん畑の世話、たまに勝仁相手の武術の稽古などの平穏な日々を送っていた。
もちろん外の世界に無関心だったわけではない。情報収集は怠り無くやっていたが、肝心のユーチャリスが未だ修理半ばであり、鷲羽に依頼するのもなんとなく怖くて出来ず、南雲の反乱のときは動くに動けなかったというのが実情であった。
「蘇羅も近頃は忙しいようじゃな。」
「ええ。最近はあまり姿を見せませんね。前に来たときはやっと尻尾を掴めそうだって言ってましたよ。」
カルナギルド。樹雷の領域で近頃徐々に勢力を増してきた新興の海賊ギルドである。その彼らを別件で調べていた津羽輝と響美輝が、地球に彼らの資金調達の為のダミー会社が存在する疑いが有ると言う情報を掴んで来たのはもう五ヶ月も前であった。
「それにしても初音さんも厳しいですね。98の手を借りればとっくに終わってるでしょうに……。」
「あの娘はできん事は言わんよ。初音がやれと言うならそれはやれるという事じゃ。どんなに無理難題に見えてもな。天地の面倒を見ていた十一歳の頃からそれはずっと変わらん……。」
「はあ……、そんな物ですか?」
「ただいま〜〜」
その時、玄関から元気な声が聞こえてきた。そのまま居間にぱたぱたと足音が近付いてきて、98を抱えたラピスが飛び込んでくる。
「お帰り、ラピス。楽しかったか?」
「うん!あ、おじいちゃんいらっしゃい!」
98を下ろして元気良く答えると、ラピスは勝仁に気付きぺこりと頭を下げた。
「おお、お邪魔しとるよ。」
「早く風呂に入って来い。そのままじゃ風邪を引くぞ。」
「うん!98、いこ!」
「ヤレヤレ、忙シナイナ。」
風呂場に走っていくラピスを追いかけようとした98をアキトは呼び止めた。
「ナンダイ?」
「いや、一言御礼が言いたくてね。俺も始終ラピスについていられる訳じゃないからな。ありがとう。」
「気ニスルナヨ。僕モ楽シンデヤッテルコトダ。」
そう言い残すと、98はラピスを追いかけてキャタピラを回していった。
「まったく、あのなりでナデシコCを軽く凌ぐ電子作戦艦だっていうんだから……。」
苦笑するアキト。
「どうしてあいつの手を借りちゃ駄目なんです?」
「わからんかね?」
勝仁はそう言うと静かに湯呑を傾けた。
「過ぎた得物は使い手の腕を鈍らせる……。これは一つの課題じゃよ。さほど重要な仕事というわけでもないしの。持って生まれた力を押えて生きていこうと言う以上、相応の技を身に着けねばな。」
「それは……、どういうことです?」
「これ以上は本人に直接聞く事じゃな。あの娘たちの生まれにも関ってくる事じゃて。」
「はあ……。」
その会話から数日たったある晴れた日。
「アキトさん!!」
「あれ、蘇羅ちゃん、そんなに慌ててぐえ!!」
二週間ぶりに顔を出した蘇羅は、たまたま縁側で洗濯物を干していたアキトの首根っこを引っ掴むと玄関に向かって走り出した。玄関から家の中に飛び込むと鷲羽ラボの入口である納戸の扉脇にあるテンキーにナンバーを打ち込んでいく。
「98!!サボってないで発進シークエンス……ええい、私がやるからとっとと来なさい!!」
家の奥に向かって叫ぶ蘇羅。納戸の扉が開くとそこには『多聞』と修理半ばのユーチャリスが鎮座するドックが広がっていた。最近のご時世では迂闊に軌道上に置いておくと何時誰に見られるかわかったものではないので、納戸から繋がる亜空間ドックに隠しているのだ。
「どうしたの?」
98を抱えて二階からラピスが驚いた顔で降りてきた。蘇羅はラピスに笑顔を向けると、
「あ、ラピスちゃん、ごめんね。ちょっとアキトさん借りるから。ほら98!何怠けてんのよ!!」
と、前半と後半でまるで調子を変えて怒鳴る。
「ヤレヤレ、蘇羅モモウ少シ気品トイウモノヲダナ……」
「五月蝿い!あんたの減らず口に付き合ってる暇無いの!!ほらアキトさん早く!!」
「ちょっと待て、一体何がどうなって……」
「後で話しますからとにかく早く!!」
「だからって…………」
「とにかく急ぐんです…………」
わけのわからないままに池の上空に亜空間から出て来て飛び立っていく『多聞』を見送りながら、ラピスはやっと言葉を発する事ができた。
「何なの………………?」
「で、一体何がどうなってるんだ?」
大気圏を離脱し、月に向かう軌道に乗った『多聞』のブリッジでアキトは訊ねた。さすがに機嫌が悪い。
「ルリさんの身が危ないんです。」
真剣そのものな蘇羅の表情を見てアキトの顔も引き締まる。
「どういう事だ?」
「連中の地球での活動を調べていくうちに厄介な計画を嗅ぎ付けまして。」
そう前置きして蘇羅は話し出した。
「実際海賊ギルドのダミー会社そのものは大して珍しいものじゃないんです。」
そう。それこそ死の商人からファーストフード産業まで。便宜上海賊と呼ばれてはいても、彼らの目的は突き詰めていけば金儲けなのだから当然といえば当然である。
今回蘇羅が追っていたのもそんな物の一つ、軍需物資を扱う中堅どころの企業であった。
「戦争や戦後の軍拡に便乗した一時的なものだったんでしょうね。実際既に看板を下ろす準備に掛かってましたし。」
それは良い。かけた手間を無駄にするのは悔しいが、事を荒立てる必要が無いならそれで良いのだ。何と言っても地球は正確には樹雷の領星というわけではないのだから。
「問題は……、連中が行きがけの駄賃とばかりにルリさんを狙っている事なんです。」
「どういう事だ!ルリちゃんを攫って連中に何の得がある!?」
「カルナは新興勢力です。歴史が浅いという事は情報関連に弱いという事でもあります。」
そう。例えば樹雷にも匹敵する歴史を持つシャンクギルドなど、銀河全体にそれこそ網の目のような情報網を持っている。しかし、カルナにそのような情報網は望むべくも無い。それを作り上げるには何よりも歳月が必要なのだ。
もちろん自前に頼らなくても情報の入手方法は幾らでもある。だが、それにした所で裏付けは必要であるし何より金が掛かる。
「でも、ちょっとした遺伝子操作と特殊なナノマシンで優秀なハッカーを量産できるとしたら……?」
「それは……!」
ルリの体内のナノマシンはそれこそ突然変異とでも言うしかない特殊なものなのだ。地球圏の技術では再現不可能とまで言われる優秀なものであり、彼女自身の技術も合わせて銀河レベルでも一流のハッカーとして通用するだろう。
たかが遺伝子強化体質への調整など、彼らが実戦部隊に施す生体強化に比べれば朝飯前なのだ。その為にルリをサンプルとして事故死を装って攫うくらい躊躇い無くやってのけるだろう。
「火星の後継者に今度の月での記念式典に爆破テロを起こす計画が有ります。カルナもそれに便乗するつもりです。これをようやく掴めたのが昨夜でして……。私達としてはこんな計画を放置するわけには行きません。けど、増援を頼もうにも式典は明日だし、奴らの実行部隊相手に私一人じゃどうにもならないし、アキトさんくらいしか手伝ってもらえそうな人がいなかったんです。すみません。」
そう説明を終わると蘇羅は深々と頭を下げた。
「で、君たちはルリちゃんをどうする気なんだ?」
「……出来ればこちらで保護したいところです。ただ、こればかりは本人の意思次第ですから。」
蘇羅の答えにアキトは満足せず、更に問い掛ける。
「ルリちゃんが拒否した場合は?消すのか?」
アキトがそう言った瞬間、蘇羅の気配の質が変わった。
「アキトさん……、それ以上の言葉は私の母への侮辱と取りますよ?」
「……悪かった。」
アキトは、その言葉の中に彼女たちを結ぶ極めて強固な信頼関係が見えたような気がした。普段散々振り回されていながら、それでも彼女が初音に従うのも、彼女が自分たちの信頼を裏切るような事をする筈が無い、と言う確信が有るからなのだろう。
「信頼してるんだな……。」
「信用は出来ませんけどね。」
そう言って苦笑する蘇羅。
(これが、親子の情って奴なのかもな……。)
八歳で親を無くし、家庭という物を知らずに育ってきた男は内心そう呟いた。
「わかったよ。それはそれとして一つ聞きたいんだけど。」
「何です?」
「君の事だ。」
妙な事を聞いたと言うような顔をする蘇羅。
「私、ですか?」
「ああ。さっき、船を出す準備を自分でやると言ったね?で、このブリッジに入った時には既に各部チェックは終わっていた。それだけじゃない。これまでにも98のハッキングでは説明のつかないことが幾つも起きている。」
「協力してミッションをこなそうと言うなら、隠し事は無しにしておきたい。君はまだ何か隠しているんじゃないのか?」
アキトの追求の間も、蘇羅は静かに笑っていた。
「いつ聞いてくるかとずっと思ってましたけどね。」
「……他人の秘密をむやみにつつき回すような趣味は無い。」
「構いませんよ。隠すような事でもないですから。」
そう言うと、少女はまるで晩御飯の献立を話すような調子で話し出した。
「人間の脳神経も、コンピューターの回路も電気信号の通り道と言う意味では同じですよね?それを利用してナノマシンを中継して機械に操作者の意思を伝えるのがIFSなわけですが。」
「ああ。」
「それを直接行える能力があるとしたら?」
「なに!?」
アキトは少し前から妙な違和感を感じていたが、蘇羅の言い出した事に一瞬それを忘れた。
「馬鹿言え!そんな都合のいい能力有るわけが無いだろう!」
「いいえ。小説の中でだけならそれこそナノマシンなんて発想が出てくるずっと前から有った筈ですよ。」
そこまで言われた瞬間、アキトは先程からの違和感の正体に気付いた。少女はさっきからずっと口を動かしていない!!
(まさか……!)
(はい。そのまさかです。電子制御されているあらゆる物を意のままに操る『電子使い』と呼ばれる特殊なテレパス。それが私の能力です。)
その言葉は、確かにアキトの頭に直接響いていた。
「もっとも、今の私じゃ普通テレパシーって言われるような事はせいぜい目の前の人に声を届けるくらいしか出来ないんですけどね。」
「機械制御やハッキングに限定されてるわけか。」
「はい。後は蝶並のスピードで空が飛べるのとせいぜい10メートルくらいの瞬間移動です。」
「結局ハッキングしか役に立たないわけか……。」
「世の中そんなに都合よく出来てませんよ♪」
アキトは溜め息を一つつき、本題に戻る事にした。
「で、ルリちゃんのことだが、具体的にどうするんだ?」
「人数差が有りすぎますし、準備期間も碌に有りませんし、阻止は無理です。ですから。」
「ですから?」
蘇羅は人の悪い笑みを浮かべる。
「横取りします。」
月面最大の都市、フォン・ブラウン。
その建設百五十周年記念式典に出席していたルリはいつもどおりの感情を読み取らせない無表情ながら、実は必死にあくびを噛み殺していた。
冒頭では早く寝なきゃなんて言ってみたが、結局またアキトの捜索を再開して寝たのは五時だったのである。
ただでさえ寝不足だと言うのに、現在行われているのはこの手のイベントに付き物の市長の長いだけの退屈なスピーチだ。
最近はいつも遅くまでアキトの捜索をやっているため、ナデシコBのブリッジで目を開けたまま寝るのが特技になっている彼女だったが、公式の場でそんな事して万一ばれたら洒落では済まない。事が自分一人の問題では収まらない以上、必死に眠気をこらえるしかない。
ちなみに余談だが、彼女がブリッジで寝ているのはサブオペレーター以外のブリッジ要員の間ではとうの昔に知れ渡っており、未だに気付かない黒髪の少年が寝ているルリに話し掛けては無視されたと勘違いして泣きながらブリッジを飛び出す様は、既にナデシコBの新たな名物となっている。
つまるところは、これから自分の人生の重大な転機がやってくるとは知る由も無い彼女なのであった。
続く
後書き
う〜む、ちょっと短いか?
これから大立ち回りとなるわけですが、はてさてどうしたものか。
アクションなんて書いたこと有りませんからねえ。
まあ大筋は決まってるんですが。
では、少しばかり設定公開を。
電子作戦艦『多聞』
三ノ宮姉妹六女、響美輝が趣味で作ったそれぞれの名前から連想する能力を与えられた四隻の戦闘艦の一隻。主に長女、蘇羅が一人で運用する。
と言うか、次女、樟葉はある事情(笑)により樹雷を離れる事がほとんど無いため、蘇羅の専用艦の様になっているだけなのだが。
その名の通り電子戦にほぼ特化された艦であり、一応自衛のための最低限の武装は施されているが、本格的な戦闘に耐えるものではない。
劇中での使われ方などははっきり言って鶏を割くのに牛刀を用いる様な物で、この艦が本来の力を発揮するのは艦隊の指揮、運用に置いてである。
能力を全開にした蘇羅と樟葉がこの艦の性能をフルに発揮したならば、一千の艦隊を完全制御する事もいと容易い。
武装は連装レールキャノン二基、多目的ミサイルランチャー四門。カーゴスペースに機動兵器一機を収容可能。
制御AIは98。