『ジレンマ』
エリナ・キンジョウ・ウォンにとって、それは事実以上の価値を持たなかった。
あの時、彼は彼女を選ばなかった。
それが恋の残滓、くだらないと断じながらも捨てきれない思い出の欠片。
大切に、大切にそれを抱き続け、今も彼の背中を未練がましく見つめている自分がいる。
考えてみれば、彼の背中を見てばかりだった気がする。
追いかけることも、縋ることも出来ずに背中を見続けている。
「ねぇ、アキト君」
隣に寝ている男に声を掛ける。
鍛え上げられた筋肉、心地よいとさえ感じる彼の匂い、少し荒い呼吸音、その全てが借り物でしかないと知っているから、天井を見つめ続ける彼の瞳が何を映しているのか、痛いほど分かってしまう。
自分を映してはいない。
それだけが自分の事実。
「……なんだ」
短い返事。
睦言も交わすことなく、冷たい沈黙だけが漂う二人きりの夜。
「昔の貴方は優しい返事をしてくれたはずよ」
「昔は昔、今は今だ」
二人きりの時に繰り返す、言葉遊びにもならない問答。
「……もう戻らない、戻れない」
戻らない日々。
その戻らない日々を取り戻そうと足掻いて、足掻いて、足掻き続けて、さらに傷ついてしまう、そんな彼を『……』していた。
「そうね、昔は昔よね?」
昔のままなら、こんな関係にはなっていなかっただろう。
例え、彼女が望んでいたとしても。
「ねぇ、いつまで続くのかしらね?」
……この関係がとは言えない。
この関係は傷の舐め合いに過ぎないのかも知れない。
温もりを求め合った結果、それだけの関係だ。
求めていたはずの温もりは存在しない、身を寄せ合うほど温もりを失ってしまう。
それなのに彼女は彼の節くれ立った指に自身の指を絡めた。
「何の真似だ?」
離せとは言わない。
それが罪悪感の産物なのか、それとも別のなにかなのか、彼女には関係ない。
「昔は昔、今は今って言うんなら、アキト君の優しさを分けてくれても良いんじゃない?」
身を寄せ合えば、寄せ合うほど互いを傷つけるヤマアラシの寓話。
凍てついた夜、愚かしいほどに温もりを求めて身を寄せ合う二匹の獣たちと同じように肌を重ねる。
それでも傷つけ合った分、互いの温もりは伝わるのだと信じたい。
それが欺瞞だとしても。
眠気に彼女は瞼を閉じながら、
「すまない」
と彼の言葉を聞いた。
少しだけ優しさの込められた、彼自身の温かい言葉だった。
ただ、それだけの微かな温もりを感じた夜。
「復讐……昔の貴方には似合わなかったわ」
吐き捨てるように言う彼女に彼はいつも通り答えた。
……昔は昔、今は今だ……と。
そして、彼女は背中を見つめ続けることしかできない。
彼女は彼の背中を見続けている。
胸に突き刺さる痛みは過去の残滓だ。
温もりのない夜に感じていた微かな温もり。
彼は彼女を愛していない。
彼女も彼に愛を囁くようなことはしなかった。
それなのに彼女はテンカワ・アキトを愛していた。
それだけが彼女の手に入れた真実。
後書き
劇場版に至るまでのアキトのエリナの関係と言うことで。
以前、掲示板にアキトとエリナは男と女の関係だったと言うカキコに触発されて、妄想を膨らませ続けた結果です。
温もりのない、睦言も、馴れ合いも感じさせない夜なのに、それでも愛してると思える、そんな彼女が書きたかったのです。
ちなみにヤマアラシのジレンマとは元々心理学用語ではなく、寓話で人間は傷つけ合い、社会的にベストな距離を見つけるという内容です。
けれど、背景抜きでヤマアラシたちは傷つけ合った分温もりを伝え合えたのではないかと私は思います。
では、読んで下さった皆様に尽きることのない感謝を。
代理人の感想
そもそも愛とはなんでしょう?
人の数だけ愛があるというならば、それは「愛」と言う名の単一の心に起こる現象なのではなく、
さまざまな心の現象、様々な感情に対して「愛」と言う名の「くくり」をつけて
そう呼んでいるだけではないのでしょうか?
ではその「くくり」の共通点はなんでしょうか?
私はその共通点は、つまり愛とは即ち「執着」であると思っています。
人間か物体か、現象か、行為か。
対象がなんであるかに関係なく、心が何物かに結びついている、とらわれている状態。
それが執着であり、愛の本質ではないかと思うのです。
男女間の様々な営み、家族愛に友情、切手などのコレクション、スポーツ選手のトレーニング、
果てはストーカー行為も全てその本質は「執着」からなっています。
よく「歪んだ愛」などと称しますがそれが「愛」であり「執着」であることに違いはありません。
それが何故歪むのかと言えば、「行動」は心から精神を通して起こる物でありますから、
例え「彼女を愛している」という動機が同じでも心と精神次第で
ラブレターになったり、ナンパになったり、あるいはストーカー行為になったりするわけです。
「動機」を入力すると「行動」として出力される、
「人間の心というのは非常に複雑な関数である」とも言えるでしょう。
ここでの「動機」が「愛=執着」であることは無論です。
で、ここでようやく感想になるのですが(爆死)、
そういう観点で見るとエリナは間違いなくアキトを愛しているでしょう。
(もっとも、ここで言う愛とワルキューレさんの言う愛は微妙に別物ですが)
ですが、先に言った通りに人間の心は複雑な関数ですから
同じ「結果」を入力しても関数によっては「満足」「温もりを感じる」という答えが出力されるでしょうし、
同様に「不満」と言う答えも出力されるでしょう。
エリナが温もりを・・満足を得たと、信じたくはありますね。