暗闇に身を預けている。
幾度となく変わることのない、絶望と安らぎをもたらす漆黒の空間。
その閉ざされた世界・・・外との繋がりを絶たれた世界に身を任せる。
閉ざされた箱の中で燃えつづける蝋燭の炎のように、
本来ならこのまま表に出てくること無く、朽ち果てる存在だったはずだ。
しかし、俺はここにいる。
周りの献身的な助命、そして何より俺自身が成さんとする使命のため。
俺は帰ってきた。
1メートル先も見渡すことの出来ない漆黒の闇。
その空間に身を置き、静かに、俺は無意識にある存在を待ち続ける。
そして、頭上の遥か上より淡い一筋の光がゆっくりと、静かに広がっていく。
<<アキト様>>
今となっては無二の存在に呼びかけられ・・・俺は覚醒する。
<<アキト様、『鳳凰』より『そよかぜ』の発艦が無事に終了しました。
72時間後には目標の宙域に到達します。ですが・・・>>
普段はハッキリと区切る璃都(リト)ちゃんにしては珍しく歯切れが悪い。
そのことに気付いた俺が彼女に問う。
(どうした?何か問題でもあるようだな)
<<急な発艦により必要な物資が不足しています。
資材、弾薬・・・、全ての資材が規定値を満たしていません。
航行に必要な反物資燃料も二週間分しかなく・・・>>
(そう・・・急な発艦だったからね・・・)
予想していた事態だ。
短期決戦で決める気でいたので特に気にしていない。
しかし、璃都の話はまだ終っていなかった。
<<・・・食料は七日分ありますが、水は三日分も満たしていません。
節約して使用してもかろうじて四日・・・>>
(・・・)
イメージの中で滝汗を流す。
長期間居座る気はないが、辛うじて四日というのはさすがにまず過ぎる。
我慢すればなんとかなる食料と違って水は一日でも欠けば致命的にまずいのだ。
(・・・どうしよう)
等と事の元凶が無責任な発言をかます。
そんな彼に彼女が溜め息を洩らす。
<<・・・アキト様らしいですね。変なところで抜けてるところなんか特に・・・>>
(うっ、うるさい!俺だってミスのひとつやふたつ・・・)
<<致命的なミスですね>>
(ぐう・・・)
グウの根も出ない。
的を得ているだけに反論も出来ない。
そんな俺を見て仕方ないとばかりに・・・。
<<仕方が無いですね。
私に『そよかぜ』干渉を許す権限を与えてくだされば・・・何ですか?その疑いに満ちた視線は?>>
等と反論するが心当たりがあるだけに強気に言い返せない。
今度はアキトが呆れる番だった。
(前回の件で名誉を挽回したい気持ちはわかるよ。でも焦るのはよくない)
<<焦ってなどいません!!>>
(とにかくダメ。はい、とりあえずこの件はおしまい)
<<勝手に終わりにしないでください!根本的な問題が何一つ解決してません>>
(ひとつだけ方法はあるよ)
<<・・・何ですか?その方法とは?>>
(逃げる)
<<・・・すみません。意味不明なのですが?>>
本気で分からないとばかりに璃都ちゃん。
そのまんまの意味なのだけれど親切に説明を加える。
(逃げるんだよ。皆で『そよかぜ』に乗ってどこまでも・・・。
そうすれば死ぬこともないだろうし・・・って何?その軽蔑の眼差しは?)
<<・・・本気ですか?>>
(ああ、本気だよ。君が自分の身を省みないつもりなら本当にやる)
そう言われて押し黙ってしまう璃都。
アキトの真意に気付き彼の気遣いをこれでもか、というほど知ってしまうが・・・。
<<アキト様は私のことがお嫌いになったのですか?>>
(どこで覚えた!!その台詞!!)
そこで怯む彼女ではなかった。
美少女好きにはたまらない懇願に大ダメージを受けるアキト。
なんとか反発するが・・・このままでは撃沈必至だ。
<<私・・・本気ですよ>>
その一言で我に返る。
今にも消え入りそうな儚い呟き。
涙で濡れる黄金色の瞳に少しの冗談も入っていないことにイヤというほど気付かされた。
彼女も必死だ。
冗談でかわしていい雰囲気ではなかった。
もっとも俺も先ほどから冗談をいった覚えはなかったが・・・。
<<・・・アキト様>>
彼女がすがるような眼差しで俺を見上げ、小動物のように体中小さく震え上がらせる。
その怯えの中に譲れぬ一線を見出した。
それを破れば俺との付き合いが壊れることも・・・。
しかし、俺の本気も半端じゃない。
(覗いてみるか?俺の心)
<<えっ!?>>
突然の台詞に理解が追いつかないようだ。
当然だろう、ろくな説明などつけ加えなかったのだから・・・。
だが、彼女が落ち着き、真意を理解するのを待つような真似はさせない。
左手を彼女の後頭部にまわし、勢いよく俺の胸元に強引に引き寄せる。
<<きゃっ>>
かわいい悲鳴、
心の内に苦笑が込み上げて来る。
インナースペース、全ては俺の意中での出来事。
現実ならここから濡れ場になる場面だが、生憎そんな色っぽいイベントが意識の中で起こるはずはない。
ただ、場合によってはリアルの情事より気持ちいいかも知れない。
<<アキト様、いけません!
早く離れないと手遅れになります>>
先ほどとは打って変わった緊張で張り詰めた美声。
ここに来てやっと俺の思惑に気付いたのだろうが、もう遅いよ。
思考の融合が始まる。
今まで彼女と交わした共振よりも上位の、
互いを取り込み溶け合わせる行為。
俺は彼女に、彼女は俺になる。
そして彼女の意識が流れ込んで来た。
はあ〜。
先ほどとは違った意味での苦笑。
彼女の望む通り素直に手放す。
反動によりお互いの意識が勢い良く剥がされ、離れる。
<<きゃっ>>
かわいい悲鳴をあげながら尻もちつく璃都ちゃん。
でもそれもしばらくのこと、直ぐに体制を整え俺に駆け寄る。
<<アキト様、大丈夫ですか?>>
涙目で安否を確認する彼女に己の決意が揺らぎそうになる。
(ああ、大丈夫だよ)
とりあえず気付かれないよう返事する。
<<アキト様はアキト様ですよね>>
大丈夫だと言った矢先なのに彼女は未だ安心、いや疑っているのか真摯な眼差しで見つめ続ける。
少しやりすぎたかな・・・。
心の中で少しだけ反省する。
あのまま融合が進めば俺の存在は跡形も無く消えていた。
正確には彼女の一部となり彼女が俺の主になる。
そうなることを彼女は知っていたのだろう。
俺自身はそれでもいいような気がしたが・・・、
まあ、女の子が干からびた男の体を乗っ取っても嬉しくはないだろう。
<<アキト様はアキト様ですよね?アキト様?アキト様??>>
返事の無い俺に業を煮やしたのか同じことを再度問い詰める。
大切な人を見失ってしまったかのような取り乱し振りで、
さすがに罪悪感で一杯になる。
(ああ、俺は俺だよ)
その返事に彼女の表情がパッと明るくなる。
が、それも暫くのこと。直ぐに涙目で恨みがましく見上げ抗議し始めた。
<<もう二度とこんなことをしないでください!
一歩間違えばアキト様の存在が世界から消え去るところだったんですよ。
そうなれば私は・・・>>
(でも俺の心はわかったんだろう)
<<・・・>>
俺の言葉に彼女の顔が真っ赤に染まる。
耳の端まで赤く染める始末だ。
<<・・・ずるいです>>
上目使いで恨めしそうに見上げる彼女がとても愛しく思える。
そんな彼女の姿を見ていると不謹慎ながらも、
もっといじめ貫きたい気持ちになる。
(俺がどれだけ君に感謝しているかわかっただろう。
それなのに璃都ちゃんは俺の気も知らずに無茶ばかりするんだもんな〜、
しかもクソジジイとグルになって俺を苛めるし)
<<・・・ええっと、アキト様(汗;)>>
微妙に話が変わり始めたことに気付いた璃都。
しかし、アキトはここぞとばかり調子に乗って普段の不満をぶちまけ始める。
(あれには裏切られた想いだったな〜。
まあ、璃都ちゃんは立場的にクソジジイに逆らえないというのは理解できるけど、
どうみても率先して苛めたような気がしたな・・・。
例え本意じゃないとしてもやられた俺としては割り切れるものじゃなかったし・・・)
<<あうう、ごめんなさい>>
彼女がお仕置きを受けた子供のように謝り始める。
俺の心に触れたためか強気に出ることが出来ない。
融合の賜物とはいえ、やはり言ってみるものだ。
普段見慣れない別の一面が垣間見れて楽しい。
<<エッチ(ボソッ)>>
(なんか言ったか?)
<<いいえ、何でもありません。はい、そうです、ははは>>
とてつもなく聞き捨てならない言葉を聞いたような気がしたが、あえて触れず(?)に置いてやる。
(・・・まあいい、今度は真面目な話、璃都ちゃんは御剣作戦のことをどう思う?)
<<・・・御剣作戦ですか?>>
話がまた唐突に変わりキョトンとした眼差しで見返す璃都ちゃん。
俺はというと答えの決まった話なので彼女の対応を待つまでもなく話を続ける。
(そう、御剣作戦で戦場に投入される100万の艦隊。
7つの星系、数百、数千の有人惑星、数万のコロニー群より建造された多星系艦隊群。
でも、内情は極めて脆い。
まず後先考えずに建造したばかりで維持することを考えていない。
艦隊を集結させて運用することはおろか建造した物を維持できるかどうかさえ疑わしい。
にわか軍事アナリストが見ても、こんな烏合の艦隊を造るより数十万の艦隊を
長期運用出来るようにした方が遥かに効率がいいのは間違いないはずだ。
しかし、100万の艦隊が間もなく集結する。
それらを運用する物資も揃わない内に・・・多星系構成員の心が一つにまとまらない内に・・・。
ところがこの『そよかぜ』には二つの問題の内に後者の方をあっという間に解決できる
魅力的な要素を抱えている。
ラグーン会戦の英雄、ヤマモト・マサシさん。
その息子であるヤマモト・マコト大尉。
話の流れの持っていきようによっては全てを敵にまわし、
また全てを一つにするだけの可能性を秘めている)
<<その中にはアキト様も含まれているのですよ>>
(横槍入れない、(ビシッ)
とにかく内情を知れば馬鹿げた話だが、それでもラアルゴン帝国から
勝利をもぎ取り、その名声を独り占めしようとする者が惑星連合宇宙軍にいる。
敵にも味方にも気付かれず念入りに計画を進めてきた奴だ。
俺でさえ璃都ちゃんがいなければ指令を受けた今でさえ、その全貌を知ることは無かっただろう。
今の所は穴だらけでも明日になれば完璧に持っていくだけの状況が出来上がるはずだ。
その時になれば俺は、艦長とは名ばかりの飾りになってしまう。
そうなっては何も出来なくなる。
この筋書きを書いた者の流れの通り『そよかぜ』の乗組員を生け贄にして・・・。
大局がどうなろうと知ってしまったからには艦長として守らなければならない。
それが出来るのは、まだ艦長として手腕を存分に振るえる今しかないんだ。
その判断だけは間違っていない。それだけは認めてくれるよな)
<<はい>>
(まあ、俺の中の優先順位で乗組員を導くことなんておまけみたいなモノだったから
気が回らなかったことは確かにある。わるかったね・・・)
<<いいえ、それを仰るなら私が浅はかでした>>
(それこそ、過ぎたことだ。
まあ、何とかなる。いや、するよ)
等と先ほどとは打って変わって建設的な意見が取り交わされ始めたのだった。
<<やはり、私が『そよかぜ』に干渉するしか・・・>>
(ダメ!)
彼女の提案を無下に断る。
<<他に方法がないのですよ>>
子供っぽく頬を膨らませすねるが、当然ながら俺は取り合わない。
(俺の第一優先順位を忘れたのか?
融合でイヤというほど思い知ったはずなのにまだそう言う事を言う?
璃都ちゃんがしようとすることは俺の今までの努力を無にするようなことなんだぞ)
<<ですが・・・>>
(確かに璃都ちゃんがその力を発揮すれば今から迎撃する敵はおろか
ラアルゴンの全軍とも互角に渡り合えるだろうけど、それじゃ駄目なんだ。
璃都ちゃんのためにも、皆のためにも・・・、それとも俺の悲しむ姿が見たいのか?)
<<・・・ごめんなさい・・・>>
(わかればよろしい、少しは俺のことも信じてくれよ。
ちょっと不謹慎かも知れないけど実は水が不足していることに
それほど危機感を感じてないんだ。
なんとか出来るような予感がする。今後のやりようによっては・・・)
<<・・・>>
(やっぱりこんな言葉じゃ駄目か?)
<<・・・わかりました。アキト様がそう仰るのでしたら・・・
ですが代わりに一つだけお願いしてよろしいでしょうか?>>
(・・・何だ?)
先ほどの子供っぽい仕草が消え、
理知的な瞳を宿した彼女が俺に静かに語りかける。
故に俺も軽はずみにあしらうことなく耳を傾けるが・・・。
<<次から私のことを「お前」と呼び捨ててくれないでしょうか?>>
意識の中で器用にズッコける。
どんな無理難関を吹っ掛けられるかと思えばそんな・・・
<<愛称もいいですけどアキト様に「お前」と呼び捨てられると・・・
アキト様の所有物になったようで・・・
不謹慎ながらも安らぎと幸せを感じてしまいました(ポッ)>>
・・・・・ええ、っと・・・
どのように言い返せばいいのだろう。
俺の思考が真っ白になる。
彼女が壊れた?
いや、壊れたのは俺の方なのか・・・?
<<この願い叶えて下されば・・・>>
(え・・・っと、璃都ちゃん?)
危険だ。
<<わたくしはいかなる困難にも立ち向かえる気がするのです>>
このままでは危険だ!
絶対駄目だ!!
(いや、えっと璃都ちゃん、あのね・・・)
<<呼んでくださらないのですか?>>
(だからね、璃都ちゃん・・・)
<<アキト様(ウルウル)>>
(声出してウルウル言わない!)
このままでは取り返しのつかない事になる。
一体何処で間違えた?もしかして融合のせい?
こうなるとわかれば融合なんてしなかった。
そりゃ、彼女の表情が豊かになって可愛いけど・・・、
俺自身も確かにプラスになったけど・・・。
<<アキト様(ウルウル)>>
・・・さすがにこれはまずいだろう。
<<アキト様、この願い、叶えていただけないのですか?>>
媚びるような眼差しで、グイッ、と上半身を俺に預け目先まで迫る璃都ちゃん。
考えろ、考えるんだ(パニック)
諦めたら無垢(?)なる少女の人生を棒にふってしまう(意味不明)
どうすればいい?
どうすれば・・・。
<<無理しなくてもいいのですよ。アキト様が心で思った通りのことを私にしてくださればよろしいのですから・・・>>
(・・・マテ!何だ!?その心で思った通りとは?)
<<・・・あの・・・ですからアキト様の妄想の中で既に私は・・・>>
(更にマテーーー!!これ以上、読者様(?)が誤解するようなことをいうんじゃない!!)
俺は無実だ。これは絶対作者(?)の陰謀だ。
そう、やましいことなんて考えなかったはずだ。
・・・はずだよな(汗;;)
融合直前までの思考の溶け合いは一方通行。
彼女に流れた俺の思考など完全に融合しない限り判るはず無い。
・・・いや、でもそんなはずは・・・。
<<いえ、ですから心の中でため込む位でしたら発散した方が・・・私もアキト様でしたら・・・>>
彼女は俺が落ち着くのを待ってはくれなかった。
(だあーー!!それ以上言うな!
わかった。わかったよ。お前でもお前様でも何でも呼んであげるから・・・)
これ以上言わせてはならないとばかりに取り乱す俺。
<<はい、アキト様。でも「お前」ですよ。「様」は要りませんから♪>>
途端に明るくなる璃都。
・・・とてつもなく面白くなかった。
お前と呼び捨てることに喜びを感じる神経など理解できなかったが
何故か面白くない。
故に俺もそれに見合う妥協案を提示してみた。
(話が出たついでにお前も俺の事はタイラーと呼ぶように努めてくれないかな?)
と、お前以外は下手に語るも、
<<なぜ私がそのようなことを受け入れなければいけないのですか?
確か私が『そよかぜ』に干渉しない代わりの提案だったはずです>>
呼び捨てにされている割には高圧的。
承認でも妥協でも無い、
一言でズパッと切り捨てる。
俺の周りが零度以下に下がるのを感じた。
確かに彼女のいうことは正論さ。
だが、俺がタイラーの性を名乗って数年、
暫くこの名で貫こうと思っても誰かさんのおかげで俺自身、未だ馴染めていない。
このままいけば何時か馬脚をあらわすのは必至。
そのためのお願いだったはずなのに・・・おのれ。
(・・・こ、この小娘が・・・、人が下手に出ればつけあがりやがっ・・・)
ぱーん
言葉を終えるより先に彼女の強烈な平手打ちが炸裂、
インナスペースの宙を勢いよく舞う。
(なぜ?)
ノックダウン。
黄泉を垣間見るほどの破壊力だ。
でも・・・本当に何故??
<<いかにアキト様といえども、
そのような穢らわしい俗称で私を呼ぶことは許しません>>
黄金色の瞳をすうっと細め仁王立ちで見下す彼女。
普段の『暴君』としての彼女がそこにあった。
唐突に沸き起こる理不尽な思い。
(いてて・・・、一体「お前」と「小娘」という呼び方に・・・
どれほどの違いがあるというのだ・・・)
いくら考えても違いがわからない。
どちらも相手を軽く扱う言葉のはずだ。
しかし、彼女にとっては違うらしく。
<<いいえ、天と地ほどの差があります。
「お前」という言葉からは気兼ねなさとアキト様を強く感じることが出来ました。
けれど「小娘」という呼び方には、ただ軽く扱われたことと
不特定多数の中に私を含めた屈辱しか思い浮かびません>>
などと訳のわからない理屈を並べられ、胸を張って言い切られるのだった。
やっぱり訳わからん。
けど・・・。
(変な奴)
そんな意味不明なやり取りからいつもの彼女を感じ取り
クックックと胸のうちに押しとどめることなく豪快に笑うのだった。
ただ、そんな俺の姿に今度は彼女が気に障ったらしい。
<<変なのはアキト様の方です>>
(俺??)
いきなり矛先が俺に向けられ一瞬呆気にとられる。
<<私が優しく迫った時は蒼白になって
力一杯叩いた時は嬉しそうな顔をして・・・>>
(ちょっと待て!俺がいつ喜んだ?
先ほどから誤解されるような発言ばかりするんじゃない)
<<いいえ、喜んでました。
わたくしも殿方が喜ぶ術を心得ていたはずですけど
まさかアキト様がそのような嗜好の持ち主だとは・・・
長年お供させていただきましたが少しも気付きませんでした。
気は進みませんがアキト様がお喜びになるのでしたら・・・>>
(コラァ!!、でまかせをいうんじゃない!どう考えても変なのはお前だろう)
<<アキト様、もう一度>>
先ほど小馬鹿にした態度は跡形もなく消え、
今度は冗談抜きの真摯な眼差しでお願いされる。
(・・・お前だろう)
不意打ちのような彼女の豹変と迫力に俺は毒気を抜かれ
つられるような形で無意識に喋ってしまう。
その言葉を聞いた彼女がパッと明るくなり
右手を心の臓の上に軽くのせ呟く。
<<・・・「お前」・・・「お前」・・・「お前」・・・>>
心底幸せそうに呟き続ける彼女を見ていると
何かにこだわっていた俺が馬鹿馬鹿しく思える。
(そんなにいいのか?)
<<はい、幸せです>>
間髪いれずに帰ってくる台詞が面白かった。
先ほどの出来事も忘れ心の底から笑う。
(変なの・・・)
<<変でもいいです。
でも勘違いしないでくださいね。
私は融合される以前からこうでしたから>>
彼女の言葉が意味すること、
その意味を理解するにつれ、
俺の頭は水を吸い尽くしたスポンジのように重く、冷たくなる。
(そうか・・・)
気の乱れを表に出すことなく淡々と返す。
<<そうですよ>>
俺の内面を知っても変わることなく明るく言い返す。
気にしてませんよ、と言っている様で・・・
その気遣いが少し迷惑で・・・そしてありがたかった。
(ちょっと疲れた)
<<そうですね、脳波が不安定になっています。
まだ、指定座標に到達するまで時間もあることですし
しばらくグッスリお休みください>>
(そうするよ)
<<では>>
微笑みと共に彼女が俺のテリトリーから静かに身を引く。
彼女の意思が完全に途切れたことを感じると
見慣れた暗闇の中、静かに苦笑する。
融合時に飲み込まれかけた己を思い出し、嗤う。
共にして過して20余年。
・・・あれが俺からの初めての接近だったんだな・・・。
興味は持っていた。
しかし、自分から進んで知ろうとしなかった。
側に居る、というだけで満足していた。
冷たいな。
そのことを思い知って苦笑する。
どれだけカッコつけても・・・彼女のことを思ったフリをしても・・・大切だと力説しても、
本当に俺だけを見て来た彼女からしたらどれだけ滑稽に見えたのだろう。
俺はただ甘えていただけだ。
(・・・俺の存在が打ち消されるはずだよ)
そのことを今更ながら思い知って笑う。
しかし、自らを貶めるような笑いではない。
問題を自ら認識することが出来た。
気の遠い遠回りだが、間違いなく大きな前進を遂げた自分に向けての笑い。
気持ちが安定してきた。
全て吐き出したような心地よい疲労感が辺りを包み込む。
馴染みの空間に全てを預けた。
幾度となく変わることのない、
絶望と安らぎをもたらす漆黒の空間。
その閉ざされた世界、
外との繋がりを絶たれた世界で俺は考える。
俺は帰ってきたんだ・・・。
心地よいまどろみに包まれる中、
そのことを実感し、その心地よい闇に身を委ねる。
ここからが本当の始まりだ。
その3