孫 第1話
テンカワ・アキトは目を覚ました。
目を開くと抜けるような青空と白い雲が広がっていた。
典型的な地球の空である。
「ここはどこだ?」
上半身を起こそうと右手を付いた先に感触があった。
むきむき
「…………?」
妙に屠殺したての牛肉に似た硬い感触に、アキトはそのモノを確認した。
「目覚めたか、テンカワ・アキト」
北辰だった。
記憶にある最後に見たままの北辰である。
蛇のように鋭い無機質な目が不気味なほどにタレ目と化した北辰である。
「ここは一体どこだ?」
「汝はどこまで記憶がある?」
北辰はアキトの問いに答えず、逆に問い返した。
「たしか、ナデシコと残党との混戦になって、混乱の最中に逃げようとジャンプを……」
アキトはそこまで言って、思い出した。
何処の誰かは知らないが、ジャンプフィールドを形成中のユーチャリスに特攻をしかけた馬鹿なエステバリスライダーがいたのだ。
ユーチャリスは、ブラックサレナ改と夜天光改を格納し、逃げる寸前だった。
運が悪いとしか言い様がない。
結果、ジャンプフィールド発生装置に障害を引き起こし、ランダムジャンプとなったのである。
「俺達はランダムジャンプで、地球に来てしまったのか」
「うむ。その通りだ」
感慨深げに呟くアキトの意見を北辰が肯定した。
アキトはふいに桃色の髪の少女の事を思い出した。
ランダムジャンプが行われた時、アキトと北辰は艦橋に向かう途中だった。
艦橋のオペレーター席に居たラピスも近くにいるのかと思い、周囲を確認した。
するとさっきは気付かなかったが、ラピスは北辰に膝枕されて寝ていた。
す〜す〜という気持ちよく寝ている感じである。
「ラピスも無事で良かった」
アキトはホッとすると、北辰の隣に腰を下ろし、ラピスの髪を撫でた。
ラピスの表情が更に気持ち良さそうになる。
しかし、この3人。端から見るとかなり怪しい。
黒尽くめの戦闘服に黒いバイザーの青年、白い着流しの初老の男、桃色の髪の眠り姫。
最低でも職務質問される事請け合いである。
「みゃむみゃむ♪」
ここは雪谷食堂。
あれからラピスの目覚めを待って、3人は食事を取る為にここに来ていた、あの姿のまま。
ランダムジャンプした先がサセボだと気が付いたアキトが連れて来たのだ。
幸い金は腐る程ある。
軍・大企業・電子の魔女の目がある為、ラピスの能力で銀行預金を操作する事を諦め、各地のクリムゾン・ネルガルSSや残党の出張所を襲って逃走資金を確保したのだ。
そして、それは現ナマとして常にいかなる時も財布に入れて持って行く事がアキトと北辰の常識となっている。
戦闘帰りにもお買い物が出来るから。
お買い物の中身は、特選素材+お茶+お茶菓子購入。
逃走資金と言いつつ、3人が好き勝手に食べ歩くのに使われていた。
もっとも雪谷食堂は、サイゾウさんが主人の大衆食堂なのでそんな大金は必要ないのだが。
「みゃむみゃむ♪」
ラピスは天津丼を満面の笑みで食べている。
しかし、ラーメン小炒飯セットを食べているアキトと北辰の顔は険しかった。
別に不味かったわけではない。
注文した後、新聞を読もうとして、ここが2195年の火星会戦当時の時代である事に気付いたからである。
初めは古新聞が混ざっていたのかと思ったが、他の新聞や週刊誌も同じ時代のものであった。
しかも、それらは皆古く変色した様子も無く、新しいものとわかる。
駄目押しに、注文の品を持ってきたのがテンカワ・アキト朴訥少年バージョンだったので間違いなかった。
「ランダムジャンプで過去に戻ったということか?」
「この食堂自体が全て冗談でなくばだが」
「まぁ、どうでもいいか」
「うむ。腹を満たす方が重要だ」
しかし、アキトと北辰は、その過去アキトを見ても別に驚くことなく、あっさりと食事を開始した。
過去に戻った以上、そういう事もありえると予想したのではない。
一々反応しては疲れるというのが理由のようだ。
一方、ラピスはというと、黒くてバイザーをしてないアキトはアキトでないと思ってるらしく無関心である。
ちなみにこの時代のアキトは、黒いバイザー等を付けた怪しげな風体の男を自分の未来の姿と判別できる程非常識ではなかった。
彼の非常識はあくまでナデシコ発進後に助成されたものなのだ。
「ぬぅ、ここの主人侮れぬ腕を持つようだな」
「俺の師匠の一人だからな」
「みゃむみゃむ♪」
ともかく堪能しているようである。
「ズズズーーッ……さて、これから我等は何をすべきか決めねばならぬな」
北辰は、食後にセルフサービスの出涸らしのお茶を飲み一息つくと言った。
話しかけられたアキトは同じようにお茶を飲みながら考えているわけでもなく、オレンジヨーグルトを食べるラピスの口元をハンカチで拭いていた。
見た目12、3歳のラピスにする事とは思えないが、違和感なくやっている。
もっともヨーグルト自体も何となく手持ち無沙汰で足をパタパタさせていたラピスに、サイゾウさんが自宅の冷蔵庫から出して来てくれたものである。
人はラピスに対すると、自然と5、6歳の子供に接する態度になるようだ。
「これからか……」
ラピスの世話をして満足したアキトが呟いた。
「然り。細部は細かい情報収集後に詰めるとしても、方針は決めねばなるまい」
「まず、第一絶対方針はナデシコに乗らない事だな」
「ほ〜ぅ」
北辰は面倒くさげに返答するアキトに面白そうな声を上げ、続けて聞いた。
「ならば、いっそのことナデシコを破壊してしまった方が後腐れなくて良いのではないか?」
その言葉にアキトは眉をしかめた。
「面倒だ」
「確かに」
「それにナデシコは1隻見たら、他にも3隻あると言われている。それらを一つ一つ潰すのは面倒以外の何物でもない」
「……ナデシコは黒き羽を持つモノと一緒か」
「黒と言うな。こげ茶や薄茶と言え」
嫌そうに言う北辰に、こちらも嫌そうに返すアキト。
ナデシコが嫌なのか、面倒が嫌なのか、ゴキが嫌なのか、自分のパーソナルカラーの黒とゴキを一緒にされたのが嫌なのか、判断が分かれる所である。
「となると、どこぞに定住した方が良かろう。いい加減旅にも飽きた」
「全くだな」
殆ど全世界を敵に回しての逃避行を『旅』で片付ける北辰とアキト。
その場の雰囲気と押しに流されて結婚とか行為とかしてしまったので逃げたアキト。
愛憎が交錯するアキト周辺は、常に隣にいるラピスが色々問題になった。
結果、当然ユリカ、ルリを筆頭とするネルガル会長派グループの人知を超えた追撃を受けた。
火星に隠棲していたアキト達と合流する際に、置手紙を残した北辰。
息子夫婦宛ての手紙には、孫の教育次第では火星の後継者と援助者を潰すと書かれていた。
それなら孫を誘拐して来れば良いと思うのだが、それは北辰に言わせると正しい孫道ではないらしい。
ともかく、それが本気だと言うかのように、北辰はヤマサキラボに襲撃をかけた上、行きがけの駄賃としておニューの六連以下部下達をプチッとして来た。
結果、こちらは火星の後継者達の残党とクリムゾングループ連合から執拗な襲撃を受けた。
それでも『旅』と一言で言えるのは、ラピスのおかげである。
砂漠のオアシス。
一服の清涼剤。
月○の中のレン。
閑話休題。
アキトと北辰の話に戻ろう。
「定住先は木連襲撃予定外と我が記憶する都市から選ぶべきだな」
「ああ、このサセボやヨコスカでは絶対にダメだ」
「時に、この時代のテンカワ・アキトの事は放っておくのか?」
何を思ったのか、ふと北辰が尋ねた。
その意図している所は、ここのアキトにプリンス オブ ダークネスと同じ経験をさせるのかという事である。
アキトもこれには眉をしかめた。
「流石に俺と同じ思いを味あわせたくはない。……時が来たら、ナデシコに乗れないようにしとくか」
「我は別に構わん。好きにしろ」
「ああ。一番楽な手をそのうち考えるさ」
いい加減である。
時は流れて、2196年9月。
場所はロシア、もとい、北海道。
『喫茶中華とケーキの店 ハコダテ支店』は、今日は珍しく営業していた。
何故珍しいのかというと、開店して間もないというのに良く休んでいるからである。
更にAM9時開店PM7時閉店という営業時間。
それでも固定客がいたりする。
その妙な名前の喫茶店は、カウンターとテーブル席合わせて15人も座れない狭さだが、珈琲・紅茶がそこそこ旨く、ランチタイムの中華料理と手作りケーキで知られるお店であった。
そこのカウンター内で話している男達がいた。
「今日はお客もいないから、早いけど閉めるか?」
「諾」
不景気に喧嘩を売っているような発言のアキトと賛成する北辰である。
カウンター席の椅子には、メイドタイプの制服を着たウェイトレス、ラピスが足をブランブランさせ暇を持て余している。
この3人、アキト・ラピス・北辰は、
冬は九州、
春は関東、
梅雨から夏は北海道、
住みやすい気候の地を移住していた。
そう移住である。
それぞれの土地で腐っている現ナマをペシペシと使って、喫茶店を買ったのである。
どう見ても採算性が合わない経営をし、気侭に休んでは食い倒れツアーを敢行する3人。
最近では国内をほぼ網羅したので外国まで足を伸ばしたいのだが、木星蜥蜴のせいで我慢を強いられている。
アキトと北辰の二人ならバッタやジョロくらい生身でも倒せそうな気がするが面倒くさいらしい。
ちなみに営業時間が短いのは、ラピスが疲れるからという事と朝晩の食事は普通の家庭と同じような時間に食べたいという配慮である。
「ラピス、表の看板の電源を切って……」
カランコロン♪
アキトがラピスに閉店の準備を頼んでいた時、入口の扉のカウベルが鳴った。
「「いらっしゃいませ」」
すかさず挨拶するアキトとラピス。
一応、やる事はやっているようだが、アキトの方は入ってきた男性二人客を見て、少し驚いた。
黒縁眼鏡にちょび髭、赤いチョッキの比較的小男。
厳つい糸目の顔とごつい身体でパンパンのスーツ姿の大男。
見忘れようが無い凸凹コンビ、プロスペクターとゴートだったからである。
「もうすぐラストオーダーですけどいいですか?」
「ええ、構いませんとも」
プロスペクターが笑って答えカウンター席に着くと、ゴートも隣に座った。
「失礼します。どうぞ」
すかさずメニューとお水を差し出すラピス。
それ程真面目に仕事をしているようには見えないが、様になっている。
「ゴートさんは何にしますか?」
「うむ」
プロスはゴートの返事を聞くと注文した。
「そうですか。では、コーヒー2つに、ココナッツムースとチーズのフロマージュを」
「ぬ……」
ゴートは糸目の目を見開きプロスに抗議するが、礼儀正しく無視されたので肩を落とした。
あまり甘い物は好きでないのかもしれない。
「すいません、ムースもフロマージュも切れてるんですよ」
ゴートはアキトの申し訳無さそうな言葉を聞くと復活した。
非常にわかりやすい。
が、それもアキトが続きを言うまでだった。
「残っているのは、オレンジショートだけなんです」
「では、それを2つ」
あっさり注文するプロスに、ゴートは諦めのため息を吐いた。
オレンジ果汁を混ぜた生クリームとスポンジで、シロップ漬けのオレンジの果肉をサンドし、上にオレンジゼリーを載せたケーキをフォークで器用に切り分け食べるプロス。
ゴートがむんずと一気に食べたのとは対照的に、一口一口味わって食べている。
「良い仕事をしてますね。貴方が作られたのですかな?」
ほぼ食べ終わったプロスがアキトに尋ねた。
「いえ、俺ではないですが、店の手作りですよ」
「ほう。では、貴方が中華料理担当のテンカワ・アキトさんですな」
プロスの言葉に一瞬アキトが固まった。
奥の厨房からガタンと音が聞こえた所をみると、北辰も驚いたようだ。
北辰は直接はプロスやゴートと面識はないが、ナデシコ乗員、ネルガルSSとして知っているので、警戒して話を聞いてたのであろう。
「何故、俺の名を?」
「驚かれましたか?」
「ええ、俺達は初対面ですよね?」
アキトは心の中で『この時代は』と付け足した。
「実はですね、今、ネットの中で幻の喫茶店として、この店の噂が流行っているのですよ」
驚くアキトを他所に、プロスは説明を続けた。
幻の店『喫茶中華とケーキの店』。
噂に成り出したのは、昨年からだという。
ランチタイム限定の中華料理と手作りのケーキの美味しさから、九州ハカタ周辺で口コミで広がったのだが、店は小さく宣伝もしていない、その上見つけても休業日だったりするので、幻の店と言われたようだ。
しかし、春の訪れと共に繁盛していた筈の店は突然閉店され、本当に幻の店になった。
が、今度はヨコハマ周辺関東地方で同じ店の名前が噂されるようになったのである。
更に梅雨の季節に入ると、噂の拠点は北海道ハコダテにまで移った。
こうしてアキト達の意図を別に、『喫茶中華とケーキの店』は日本を縦断して幻の店という地位を確立したのである。
それが事実かどうかを確かめに来たのですよ、とプロスはうっすらと笑って告げると名刺を差し出した。
「実は私はこういう者でして」
アキトは受取ると、チラッと目を走らせた。
ネルガル重工株式会社 秘書室付渉外担当課長代理 プロスペクター
この社名がクリムゾンとかなら驚く所だが既知の事なので、名刺を隣に来ていた北辰に渡した。
「それでそのプロスペクターさんが何の用ですか?」
「ネルガルはあるプロジェクトを計画してまして、人員の大々的な募集を行っているのですよ。特に腕の良いコックを探していて、お二人を……」
「お断りします」
「断る」
プロスの言葉は、途中で遮られた。
「あの〜最後までお話を聞いて頂きたいのですが……」
「お断りします」
「断る」
プロスは愛想笑いを浮かべて話そうとするが、アキトと北辰ははっきりと断言する。
「え〜お給料はこの位に色を付けまして……」
電卓付そろばんを取り出してパチパチしても見向きもしない二人にプロスは言葉を止めた。
「これで最後だから、食べていいぞ」
「本当?」
「うむ」
「もうすぐ夕飯だから、止めた方がいいんじゃないか?」
「甘い物は別腹だから、問題ない」
「うん♪」
北辰がにこやかにラピスにケーキを勧め、それをアキトが止めていたのだ。
<あとがき>
前回は久しぶりにも関わらず読んで頂き、更に感想まで頂きました。ありがとうございます。
今回は状況説明が多かったので、ちょっと動きが少ないですよね。
じじくさい
ツッコミ所も少ないだろうし、面白味にかけますが、それがほのぼのってことで。
ホシノ ・ ルリ
それにギャグ担当者は未登場ですし^^;
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