孫 第2話
「ミスター、この二人を勧誘するのは諦めた方が良いのでは」
「何を言われるのですか、ゴートさん。良く衣食住と言いますが、人が働くに当たっての要は『食』にあります。とりあえず旨いモノを食わせておけば、人間文句もなく働いてくれるものなんですよ」
「しかし、嫌がる者を勧誘しても……」
勢い込んで言うプロスペクターにゴートは口を濁した。
12,3歳の少女、ラピスを中心にアキトと北辰がワイワイやっている姿を見せられては、躊躇するのも仕方はない。
同時に何の脈絡もなさそうな3人の関係に頭を捻らせてもいるが。
「ふふふ、そこが交渉のしどころというものです」
眼鏡を中指で押し上げ、キラッと光らせる気合十分のプロスに、ゴートはうむとしか言えなかった。
「テンカワさんに北辰さんでしたな。実は込み入った話があるのですが、よろしいですか?」
「よろしくない」
「もうすぐ営業時間が終わるからな」
「まぁまぁ、慌てる何とかは貰いが少ないと言います。悪い話ではありませんから」
即答プラスあっさりとした否定に益々交渉人としてのプライドを内心で燃やすプロス。
最近日本中を駆け回りナデシコ乗員の確保に励んでいるが、一流の能力を持った人間を探す事は大変でも、勧誘にあたっては交渉と呼べるレベルの話合いはあった例がなく、久々の仕事に腕がなっているようである。
「お二方は、確定申告というモノをご存知ですかな?」
「知らぬ」
北辰は即断したが、アキトはふと昔を思い出していた。
どこかで聞いた事がある。
昔の事だ。
あれは、そう、借金に追われていた時、屋台を引いていた時、一見幸せだった時の事。
「自営業者は国に収支報告を行い税金を支払う事が義務になっているのですよ」
アキトはプロスの言葉に、3月末までに青色申告と教えられたのを思い出していた。
多額の負債と少しの利益の為まともに税金を支払っていなかったが、税務署に並んだ覚えがあった。
「こういう木星蜥蜴が幅を利かせるご時世で軍事費が増え、国の収入が減っています。かような時に役所に睨まれるというのは、マズイ事になりませんかな?」
「うっ」
プロスのニコニコして言う言葉に、アキトは言葉を詰まらせた。
アキトには屋台開業した時の経験で、お役所というモノにどこか苦手意識があるようだ。
屋台の営業許可には、保健所、警察署、消防署への申請・認可が必要だった。
軍人程ではないにしろ、彼等公務員共は税金で食っている癖に尊大な態度でこちらを見下してくれたものである。
更にネチネチ、チマチマと申請した内容を突かれた覚えもある。
喫茶店開業の際にも保健所と消防署から許認可を得ているが、何故か今回の事務手続きはあっさりと終わった。
アキトと北辰の無形の迫力の前に、相手が係わり合いになるのを避けただけなのだが。
「特に脱税ともなると、何かと大変になるのではありませんかな?」
「そ、それは……」
続くプロスの言葉の前に、アキトは口篭もった。
しかし、そのプロスの攻勢を北辰が断ち切った。
「テンカワ・アキトよ、困る必要はない」
「何故だ?」
「遅くなったと謝れば良いのだ。幸い我等が営業して1年に満たぬ以上、税金の納め方を知らなかったとしても不思議ではない。それでガタガタ言うようなら、斬るなり撃つなりすれば良い」
ポン
その手があったかとアキトは手を叩いた。
しかし、『斬るなり撃つなりすれば良い』で了解するあたり、かなり荒んでいるようである。
アキトがプロスを見やると、白々しくも笑顔で言っていた。
「お〜、その手がありましたな。いやぁ〜私とした事が気が付きませんでした」
「プ・ロ・ス・さん?」
一語一語区切り、少々殺気を込めて呼ぶアキトに怯む事無く、プロスは懐から素早く一枚の書類を取り出した。
それはA4版の大きさながら、懐から出して来たにも関わらず折り目がなかったりする。
更にアキトや北辰をして、一瞬と思わせる速さであった。
「これを見て頂けますかな」
「これは?」
アキトが受取った紙には、幾つかの見覚えのある名前が並んでいた。
「この度新たにネルガルが買収を考えている所になります」
「貴様!」
突如、北辰が吠えた。
書類には、
○○牧場
○○養鶏所
○○製粉所
・
・
・
と書かれていたのだ。
「これは我が一件一件自ら吟味し選んだ仕入先ではないか!家畜の状態から、その餌まで確認し、あまつさえ専用ブレンドを確立させた小麦粉メーカーまで買収するとは、見事なり!」
コケッ
アキトとゴートが、北辰の言葉にコケた。
「見事って……」
「ぬう……」
「外道的観点で見れば、そう言わざるを得まい」
腕を組み胸を張っていう北辰は、爺になっても外道に誇りを持っているようである。
「いやいや、この程度でお褒めに預かれると恐悦ですな。ところで、こんな物もあるのですが」
どこか満足そうなプロスは、今度はやはり折り目のないA3版の書類を懐から取り出した。
それにはお店の名前らしきモノがズラッと並んでいた。
「ネルガル・グループはお菓子の分野で遅れていまして、本社で接客用にもネルガル以外のお菓子をと言われるのですよ。それを改善したいと思いましてな」
サラッと告げるプロスに、アキトと北辰が驚愕の叫び声をあげた。
「ま、まさか!?」
「な、何だと!?」
トテトテトテッ
書類を食い入るように見詰める二人に興味を覚えたのか、ラピスも紙を覗き込んだ。
「麻布十番の○○!ヨコハマの○○軒!」
「カナザワ○○にアカシの○○焼きもだと!」
アキトと北辰はギラついた目で睨みつけるが、プロスは涼しい顔で視線を流した。
しかし、続けて向けられた視線にプロスの顔色が変った。
「ねぇ、もうセンダイの萩○月を食べてはダメなの?」
涙を溜めて、上目使いでプロスを見詰めるラピス。
「萩○月」
ラピスはプロスを見上げて弱々しく呟く。
「うっ……」
その純粋なリトルドリーマーな目にプロスはたじろいだ。
「萩○月」
「そ、それは……」
万感の想いが込められたラピスの瞳に、プロスは自分の汚さを自覚してしまっていた。
「萩○月」
「…………」
交渉人としてはあるまじき事だが、プロスは少女から目を逸らし俯いた。
このいたいけな少女の好物を奪う権利が自分にあるのか、自分の半生を思い返していた。
「萩○月」
更に聞こえてきた少女の声に、プロスは決断した。
「この話……」
「話を聞かせてくれ、プロスさん!」
「然り!話を聞こうではないか、ネルガルよ!」
プロスの言葉を遮り、涙を流しながらアキトと北辰は叫んだ。
プロスペクター、薄氷を踏む思いの勝利の瞬間であった。
どうやらラピスの視線と声は、プロス以上にアキトと北辰にダメージを与えていたようである。
「はい」
プロスは額に大粒の汗をかきながら肯いた。
季節は過ぎ去り、2196年10月。
場所は、サセボ。
「な、何だ、お前は!?」
「遅かりし復讐人よ……」
「やめんか、この外道がぁ!」
ゲシッ
アキトが北辰の側頭部に思いっきり肘を叩き込んだ。
「ぬぅ〜すまん、つい昔の癖が出てしまったようだ」
「癖というが、俺は一度しかその言葉を聞いた覚えがないが」
「ふっ、何を言うかと思えば。我のセリフなど数える程しかないのだ。使い回さずして、どうするというのだ」
北辰は遠い目で呟くように言った。
アキトとしても身に覚えがあって反論しづらい所である。
それは、ラピスも同様である。
しかし、ここにいるもう一人の人物には理解されなかったようで、疑問の声を上げた。
「あ、あんた達、何か用かよ?」
料理道具をはみ出させたリュックを背負い、自転車を引く少年、この時代の雪谷食堂を追い出されたテンカワ・アキトである。
問いかける声が震えているのは、見るからに関連なさそうな怪しい3人だからだろう。
普段着の和服に白い割烹着と三角巾をしている12、3の少女。
白い着流しの初老の男。
黒衣に黒マント、黒い大きなバイザーと黒尽くめの青年。
この時代のテンカワ・アキトには、刺激が強かったようである。
「ふっ、大した用はない。しばらく眠り、我等の礎となれ」
ゲシッ
偉そうに言う北辰の背中を黒いアキトが蹴りつけた。
顔から地面にダイブする北辰。
「何度も同じ事を言わせるな」
爺むさいマスターと呼ばれるアキトであったが、特定のキーワードには体が勝手に反応するようだ。
「繰り返しは世の基本ぞ」
「じじ、それは笑いの基本」
倒れたままの姿勢で顔を上げて言う北辰に、ラピスがツッコミを入れた。
無事、成長を遂げているようである。
「な!?」
「しばらく眠れ」
トン
目の前で繰り広げられる漫才に驚いている現代アキトの延髄に黒アキトは衝撃を与えた。
簡単に膝から崩れ落ちる現代アキト。
「ふむ、では早々に送るとするか」
「あぁ、それがこいつの為だ」
二度の攻撃に何のダメージも見受けられない北辰と攻撃したという意識が見られない黒アキトは、おもむろに現代アキトを箱詰めし始めた。
強化プラスチックの箱に空気穴を開け、水と食料を一緒に梱包する。
「なまもの♪ なまもの♪」
ペタッ
ラピスは妙な節回しで歌いながらシールを貼っている。
「てんちむよう♪ ワレモノちゅうい♪ せいみつきかい♪」
ペタッ ペタッ ペタッ
「どにちはいそう♪ じかんしてい♪」
ペタッ ペタッ
「ラピス、全部貼ったらダメだぞ」
「えっ、ダメなの?」
小首を傾げるラピス。
「うん、もういいから。後は、あの大きい宛先シールを貼ってくれ」
「うん」
ペタッ
ナゴヤの月が付く巫女服で有名なお店宛てのシール。
こうして現代アキトは配送されたのだった。
新しく用意された職場に。
<あとがき>
次回からナデシコ搭乗となります。
一気に登場人物が増える事になりますが、あまり焦点の当たる事のないホウメイガールズの出番が特に増えることと思います。
舞台は艦橋よりも食堂の方が多い予定です。
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