孫 第4話
ナデシコに警報が鳴り響いた後、食堂では何の進展もなかった。
戦闘中に忙しいのは、艦橋と格納庫とオモイカネ位である。
場合によっては、医務室と。
それで暇を持て余したアキト、ラピス、北辰にホウメイさんを加えた4人は、落ち着かないウェイトレス5人を放っておいて食堂で午後の紅茶を楽しんでいた。
もう夕刻という時間で、午後の紅茶という呼び名が正しいかどうかは分からない。
ついでに麒麟でもない。
ともかく楽しんでいた所に、コミュニケの窓が広がった。
Pi!
「お忙しい所申し訳ありませんが──」
プロスはテーブルに広がるティーセットとクッキーを見て話すのを止めた。
敵襲でナデシコが危険に晒されているというのに、見ただけでのんびりとした空気が伝わってきそうだったからである。
プロスは一瞬怒気を覚えるが顔には出さずに話を続けた。
「テンカワさんとホクシンさんのお二人はIFSをお持ちでしたね?」
「ああ」
「うむ」
二人の声を聞いて、プロスの顔に安堵が浮かんだ。
「それは良かった。実は、今、ナデシコのあるドックは木星蜥蜴の無人兵器に襲われていまして、ナデシコが発進するまでの間、お二人に機動兵器で囮に──」
「嫌だ」
「否」
「……なって頂きたいと思いまして──」
「嫌だ」
「否」
プロスは何とか話し続けようとするが、話の途中で速攻拒否するアキトと北辰に、更に拒否されて言葉を詰まらせた。
「……臨時ボーナスの支給もありま──」
「嫌だ」
「否」
プロスは懐から電卓付算盤取り出すが、その金額を見ずにやっぱり拒否する二人。
「大体素人に機動兵器のパイロットをさせ、あまつさえ囮という損な役回りで死地に向かわせようとは、ネルガルの企業としての質が問われるというものだな」
艦橋在住一匹の妖精が『この外道がどの口で素人と』という感想を抱いたが、そんな事は知る由もないプロスは話を続ける事が出来なくなっていた。
格納庫の事故で数箇所の骨折と全身打撲で動けないパイロットの代わりを調達しようとしたのだが、北辰の言葉よりもジッとこちらを見るラピスが目に入り、話すことが出来なくなってしまったのだ。
前回の出会いは、妙なトラウマを与えたようである。
「それに対空砲で地上の建物ごと焼き払えば、我等の出る幕などあるまいに」
北辰の嫌々そうな呟きに艦橋に生えるキノコが少し目を輝かせたが、反対に通信士は顔を嫌悪に歪ませるとコミュニケを繋げて反論した。
Pi!
「それって上に居る軍人さんごとの話ですよね。非人道的です」
北辰は正義感を振りかざす常識人を冷めた目で返した。
「素人に囮を頼むのも十分外道的行為に思えるが」
「そ、それは……」
「そこで言葉に詰まるようなら、初めから口を出すな」
三つ編み通信士は悔しそうに唇をかみ、黙り込んだ。
北辰はそれを見ると言い募った。
「貴様が乗っているのは戦艦であり、戦艦は戦うのが仕事。戦いに人道的も非人道的もない。貴様の非人道的だとの躊躇いが皆を死に追い込む事もありえるのだぞ。死と向かい合う勇気のない者が戦場に出ようとするな」
とても素人と偽っている人間の言葉とは思えない北辰のセリフ。
それは真剣に通信士の事を考えて忠告してる訳ではない。
単に爺になっても元々S属性なので言ってしまっただけだったりする。
ついでに、そんな事を言い合っているうちにも無為な時間が経過し、地上の軍人達が死んでいくことを思えば無駄でもある。
「という訳で、我はナデシコからの対空砲火を提案するのだが?」
「それは無理だ。このナデシコの主砲は前方にしか撃てないから」
北辰のプロスへの提案は、すぐさまアキトが却下した。
「グラビティ・ブラストを撃てと言ってる訳ではないのだが。副砲でも構わん」
「ナデシコに副砲はない。あるのは主砲と対空ミサイルだけだ」
「この際、対空ミサイルでも構わん」
「地上まで届かずにドックの天井が崩れて、ナデシコが生埋めになるだけだ」
純粋な戦闘行為の淡々とした会話を聞いて、艦橋のクルーは呆然としていた。
とてもコック二人の言葉とは思えないからだ。
コックでなくとも初搭乗の一般乗員がナデシコの装備を知っていたらおかしいだろう。
約1名+アルファは、違う意味でアキトを見て陶然としていたが。
「ナデシコ、サセボに沈むか。それはいいかもしれん」
「ああ。俺も言ってから気付いたが、ここでナデシコが沈めば、何の問題もなく元の生活に戻れる」
「良き思案なり。だが、生埋め状態から逃げるのは大変かもしれん」
「生埋め状態の所に攻撃を加えられたら、目も当てられないかも」
『生埋め』とか『沈む』とかとの不吉な内容の明るい会話に、艦橋の雰囲気はズンと沈んだ。
「やむなし。囮とならん」
「そうだな。ホウメイさん、ラピスの事頼みますね」
「あいよ、ラピ坊のことは任しときな。しっかりやってきなよ」
ホウメイさんが二人を安心させる声で送り出す。
パタパタパタ
ラピスもお見送りと書かれたアルアルアルの小さい旗を振って、二人を送り出した。
通信士は北辰の台詞に怒りとちょっぴりのドキドキを小さな胸にしまいながら、そんな食堂の様子を見て呟いた。
「何なんでしょう?」
「さぁ?」
操舵士も訳が分からなかったが大きい胸を無意味に張って適当に返した所に、艦長の声が響き渡った。
「メグミちゃんは、エステバリスを地上に誘導。ルリちゃんとミナトさんは、ドックに入水を開始して、相転移エンジンは今のまま出力を維持しつつ、グラビティ・ブラストへのチャージを続けて下さい。海上から地上に出次第、決めます」
「「「はい」」」
エレベーターで地上に上昇中のアキトのエステバリス内に、突然コミュニケの窓が開いた。
Pi!
「アキト!アキト!アキト!アキト!アキト!アキト!アキト!アキト!アキト!アキト!」
限界まで大きく広がった窓一杯に青味がかった黒髪も美しい女性が映し出される。
その昔と変らない様子に、アキトは苦笑を浮かべた。
「久しぶりだな、ユリカ」
「うん♪ 久しぶりだね。さっきは話せなくごめんね。で、で、で、アキトは元気にしてた? ご飯もちゃんと食べてた? しっかり寝てた? 毎日お風呂に入ってる? 歯磨きもかかさずやってる? え〜っと、それから……」
ミスマル・ユリカは速射砲のようにドンドン8時だよ質問をぶつける。
「だぁーっ!子供じゃないんだぞ」
今回は車から落ちてきたトランクとぶつかるという出会いをしてなかったからか、アキトは前とは違うなと思いながら遮った。
しかし、それに不満なユリカは頬を膨らませて文句を言った。
「え〜っ!別にアキトを子供扱いしてる訳じゃないよ。只心配だったんだよ。だって、アキトは、ユリカの──」
『王子様』か。
アサルトピット内でアキトが内心で自嘲気味に呟き、艦橋でルリが面白くなさそうに思ったのに反し、ユリカの言葉は紡がれた。
「旦那様だから♪」
話を聞いていた、或は、聞こえていたユリカを除く全員が固まった。
「アキトはユリカの旦那様♪ ユリカはアキトの若奥様♪ きゃっ♪」
一人浮かれるユリカが恥ずかしそうに両拳を口元に引き寄せ言った瞬間、搬出用エレベーターは地上に到達した。
未だに呆然としたまま無意識に戦闘を開始するアキト。
話を聞いて無かったので、嬉々として無人兵器を滅し始める北辰。
「艦長とあのコックさんって結婚してたんですか〜?」
「二人はそういう関係だったの?」
通信士と操舵士の質問は、次のルリの叫びにかき消された。
「ユリカさん! ユリカさんはユリカさんでこれから先もずっとユリカさん……じゃなくて、こっちのユリカさんじゃなくて、あっちのユリカさんでなんですかぁ!」
ルリはオペレーター席から立ち上がり振り返ると艦長席を見上げた。
そこには全く意味を理解出来ないクルーを他所に、ユリカが莞爾と笑っていた。
天使と悪魔が共存する笑み、そんな笑いのままユリカは言葉を返した。
「そうだよ、ルリちゃん。ユリカを置いてどこかに行こうなんて、プンプンなんだからね」
人差し指を1本立て、私怒ってますのポーズをとるユリカ。
「そ、そんなぁ……」
ルリは自分の思惑が崩れ去っていくのを感じ、力が抜けたかのように座り込んだ。
「あ〜〜〜っ、ルリちゃん、ユリカの話を信じてないでしょう」
ルリは信じているから脱力しているのだが、喜んでくれると信じていたユリカは別な意味にとったようである。
「ぷんぷん。ね〜アキトなら信じてくれるよね。あっ、そうだ。アキトならコレを言えば、絶対信じてくれる」
ユリカは言ってるうちに何か良い事を思いついたらしく、ポンと手を叩いた。
その頃、アキトと北辰のエステバリスは戦っていた。
100機程のバッタとジョロを順調に殲滅していってる。
最初から面倒くさい囮をする気のない北辰に、惰性で戦闘を開始してしまい何となく滅殺しているアキト。
幸いな事に異常な艦長とオペレーターの会話を聞いてるだけの艦橋要員は、見事な機動戦を演じられていることに気付く事はなかったが。
しかし、そこにユリカの爆弾が一つ落とされた。
「アキトォ〜早いよぉ〜」
ピキーッ
ある想いを極限まで凝縮したと思われるユリカの言葉にアキトは音を立てて凍りついた。
『アキトォ〜早いよぉ〜早いよぉ〜早いよぉ〜早いよぉ〜早いよぉ〜早いよぉ〜……』
アキトの頭の中では何度もその状況がリフレインされる。
潤んだ目で下から自分を見上げるユリカがはっきりと囁いた何の悪意もない言葉。
それは初めてのベッドでの会話だった……
それを同時に聞いていた艦橋の女性達、通信士とオペレーターは首を捻り、操舵士は少しニヤけていた。
プロスとゴート、老提督は、何かを想像したのか顔を赤らめていた。
ズドドドォーーーン!!!
無意識下の戦闘行為すら止めていたアキトにバッタのミサイルが集中する。
今までとは別な意味で静まり返る艦橋に、オモイカネの字幕が表示された。
【テンカワ機、被弾。中破です。自力での機動は難しいと判断します】
「アキトォー!」
「アキトさーんっ!」
「修理費がぁー!」
かろうじて人型を保っていると思われる機体を見て、ユリカとルリが叫んだ。
後、プロスも。
「テンカワ・アキト!何を呆けておる!」
北辰の叫びもアキトに聞こえる事はなかった。
『アキトォ〜早いよぉ〜早いよぉ〜早いよぉ〜早いよぉ〜早いよぉ〜早いよぉ〜……』
エンドレスで頭に鳴り響くフレーズは、きっと若い彼には相当ショックな事だったのだろう。
ミスマル・ユリカ。
あらゆる意味で天真爛漫な彼女の罪は重い。
ミナトさんなら、たとえ思ったとしても口に出す事はなかっただろうに。
白い世界から帰還しないアキトの中破したエステバリスを抱え、北辰はやむなく作戦通りの海方向に逃げた。
そこにはズドンとナデシコが今や遅しと待ち構えていた。
ユリカとルリの二人が見ただけで殺せるような視線でミナトを急かしたのである。
「旦那様の敵は、妻が獲ります!」
「バッタやジョロの分際でアキトさんに被弾させるなんて、100万年早いんです!」
「「撃てぇーーーっ!!!」」
艦長と何故かオペレーターの掛け声で、ナデシコのグラビティ・ブラストが放たれた。
<あとがき>
ちょいとレトロ風味な今回ですが、アキトと北辰の二人はナデシコを沈めたいようです。
でも、人死を出したくないので手段が限定されるアキト。
成り行きで沈めて、ラピスと気ままに食べ歩きがしたい北辰。
ナデシコの前途は多難のようです。
が、そんなことより、次話はホウメイガールズを出したいです。
追伸 【前話のガイの骨折について】
ガイの骨折は、エステから飛び降りた際に怪我したとメールを頂きましたが、やっぱりそれでも何故骨折したか分からないです。エステはMSと違い全長6〜8m位でしたよね。
そこの真中のコックピットから飛び降りる気で飛び降りて、鍛えてる人間は骨折したりしないでしょう。
ご 都 合 主 義
よっぽど不幸なタイミングでもなければ^^
|