彼を見た事はありますか?
本文中は勿論、あとがきでも示唆された事のない彼を…
孫 副艦長外伝
『孫ナデシコ』には、その短さから描写されなかった人間達は多々存在する。
しかし、最初から登場してしかるべきなのに、たった1人のメールを除き、彼に触れた人間はいなかった。
あまりに不幸な彼の告白をここに。
「アオイ君」
ミスマル中将が重々しく呼びかけてきた。
はぁ〜これで今日は朝から何回目の呼びかけだろうか。
この後に続く言葉と同じだけ聞いているんだけど。
「ユリカは大丈夫だろうか? 慣れない環境で無理をしてないだろうか?」
「ユリカなら問題ありませんよ。大丈夫です」
答えてから横を見ると、本来の副官が一度指を一本立てて、手のひらを広げて、その前に3本指を立てている。
どうやらこの遣り取りは18回目みたいだ。
はぁ〜僕は本当にこんな所で何をしているのだろう?
アオイ・ジュン連合宇宙軍少尉。
それが僕の名前と役職。
とても連合宇宙軍極東艦隊司令官ミスマル中将の横にいるべき人間ではない。
それは僕の隣で黙々と業務をこなしている人の役目なのだから。
しかし、ミスマル家と親交のあった僕は、連合大学士官養成コース卒業後、軍に入隊して問答無用でここに引っ張ってこられた。
中 将 准将 中佐 少佐 以 下
例えて言うなら、──司令官副官補佐代理見習いという位置に。
以前から親馬鹿の傾向があったそうですが、ユリカがネルガル重工のプロジェクトに参加するようになってから、更に悪化したらしい。
僕をこの旗艦トビウメの艦橋に連れて来た時に、副官の准将が両肩に手を置いてわざわざ教えてくれた。
『ミスマル一家を知る君に人柱となって貰いたい』というありがたいお言葉と共に。
「ユリカは大丈夫だろうか? 慣れない環境で無理をしてないだろうか?」
「ユリカなら問題ありませんよ。大丈夫です」
殆ど条件反射で答えられるようになっているが、内心思うのは一つだけかな。
大体あのユリカをどうにか出来る人なんているのだろうか?
一人でもとんでもないというのに、さらに彼を組み合わせる事になるんだから。
個性が強い場合、それぞれの長所が打ち消される心配もあるけど、昔から聞いている限りでは相乗効果になるらしい。
そう、昔から、僕と出会う前から一緒になる事が義務付けられた二人だもんね。
ミスマル・ユリカ。
見た事がない位可愛い女の子と出会ったのは、10年も前の事。
火星から引っ越して来たという彼女の笑顔に僕は目を奪われた。
今思うとアレが僕の初恋だったのかもしれない。
その初恋はその日のうちに破れたけどね。
ユリカの笑顔は偽りのない笑顔だったけれど、テンカワ──テンカワ・アキトの事を話す時の幸せそうな笑顔を見せられては、何も言えなくなったから。
最初に聞いた時は嫉妬したのかもしれない。
それも話の内容を聞いていくにつれ、跡形もなく消えて行った。
そして、思った。
ユリカにあそこまで振り回されても一緒にいたというテンカワは、男として本当に尊敬できるよ。
僕にはそこまでは真似出来ないよ。
そんなクラー○・ケントも真っ青の真似は。
出会った当初のテンカワは、僕達より2歳も下の子供だったらしい。
子供時代は2つも違うと体格も知識も全然違う。
それなのにテンカワは違ったらしい。
ユリカはテンカワが自分を護ってくれる為に強くなったと言ってたけど、僕には、ユリカの我侭を叶える為に強くなってるように聞こえたものだ。
崖から落ちたり、車に引かれたり、野犬と格闘したりなんて、僕にはどだい無理な話さ。
僕はそこに献身の意味を知ったくらいなんだから。
「ユリカは大丈夫だろうか? 慣れない環境で無理をしてないだろうか?」
「ユリカなら問題あり──」
「司令、今、ネルガル製戦艦の情報が入りました」
本日20回目の返答は、准将の言葉に遮られた。
「何事があったのかね?」
「本日、日本標準時間1600、ネルガル製戦艦が係留されているサセボ基地に木星蜥蜴の襲撃がありました」
「何だとぉー!」
クラッ
う、う、う……い、一瞬、頭が跳びそうになった。
ユリカで慣れてると思ったけど、女性と男性の声では、破壊力か性質に差があるのかな?
周囲を見ると准将は素で平気なようだし、艦橋クルー達はあらかじめ耳を抑えていたようだ。
何か理不尽なものを感じるんだけど。
「すぐさまサセボに向かって出航せよ!
ユリカー!お父さんが助けに行くぞぉー!」
と、そうだった。そんな事を考えている場合じゃないんだ。
流石に中将のように今から行って間に合うとは思ってないけど、ユリカと会った事もないテンカワが心配な事に変りは無い。
万全の状態ならともかく、確か予定ではネルガル製戦艦の出航は1週間先の筈。
そこを襲われたんだから。
「司令、ご安心下さい。サセボ基地は壊滅的被害を受けましたが、ネルガル製戦艦は無事出航できました」
「そ、そうかね、それは良かった。い、いや、サセボ基地に被害が出たのだから不謹慎な言葉だったな」
「いえ、一概に不謹慎とも申せません」
目に見えてホッとした中将だったけど、僕もホッとしてる。
出航準備段階なのに逃げ出せたのは、あの二人が今日搭乗したからかもしれないな。
そう思った僕だったが、続けられた准将の言葉に驚いた。
「ネルガル製戦艦は、出航の際、バッタ型及びジョロ型無人兵器群約100機を殲滅しております。搭載機動兵器2機で無人兵器を誘導し、戦艦主砲グラビティ・ブラストで一掃したとの事です」
艦橋中から声にならないため息が聞こえた。
それも無理はない。
チューリップや駆逐艦、巡洋艦クラスの無人兵器と違い、バッタやジョロ100機程の戦果なら上々だが、特別驚くべき事ではない。
でも、それが戦艦1隻と機動兵器2機の戦果だとしたら話は違う。
今までは同じ戦果を上げるのに相手を大量に上回る物量をぶつけて、初めて落とした数なのだから。
それが意味する事は一つ。
ネルガルは木星蜥蜴と同等、もしくはそれ以上の技術の開発に成功したという事だ。
しいては、この先が不透明な戦争に道標が灯されたという事にもなる。
極東艦隊旗艦の艦橋に勤めているという事がそれらの事を容易に想像させたからの反応なのだろう。
「尚、作戦立案をミスマル・ユリカ艦長が担当したとの報告を受けています。司令、おめでとうございます」
「いや、ありがとう。あの娘も支えてくれる人間がいて作戦が成功したのだろうがな」
中将は内心の嬉しさを隠して謹厳実直に言ってるが、カイゼルひげがピクピクさせている。
本気で嬉しいんだろうな。
僕も同期の一人として友人として、鼻が高いし嬉しいけど。
中将は真面目な雰囲気を何とか出しつつ言葉を続けた。
「ふむ。これは至急ネルガルと連絡を取らねばならんな。あの戦艦の仕様書で武装を見る限り、単艦での行動を考えている訳でもあるまい。運用には我々と協力体制が不可欠だろう」
主砲グラビティ・ブラストが前方に一門。
対空ミサイル左右両舷と前方に40門。但し、弾薬庫の大きさから考えて、何度も撃てない。
近接防御用に、機動兵器エステバリス5体。
これがユリカから聞いていたネルガル製戦艦の全武装である。
最初に聞いた時、僕は真面目な顔で『移動砲台?』と言ったら、ユリカはぷんぷん怒り出した。
『私の大切な家になるんだから』って。
ともかく、これを聞いていた僕には、既存の艦隊に組み入れて重砲撃艦とする以外思いつかなかった。
だから、中将に答える准将の言葉を聞いた時、僕の目の前は真っ暗になった。
ネルガルは折角作った戦艦を破棄する気なのかと。
乗っている僕の友人を殺すつもりなのかと。
「それについてですが、ネルガル本社に不穏な動きがあります。戦艦──正式にナデシコと呼称されましたが、単艦で火星探査に──」
結局僕の想いとは全然他所に事態は進行していった。
そして、ナデシコは今日も元気だという報告が3時間おきにもたらされる。
その僅かな間に、
「ユリカは大丈夫だろうか? 慣れない環境で無理をしてないだろうか?」
何度も訊かれ、
「ユリカなら問題ありませんよ。大丈夫です」
同じ返答をするんだけどね、
この3ヶ月もの間……
<あとがき>
いつかは代理人様も突っ込んでくるかなと思いつつ、無かった彼の話です。
今までは三人称で書いてましたが、彼の心情を出す為に敢えて一人称にしました。
形式を揃えるという意味ではかなりのマイナスですが、ご了承下さい。
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