小さな公園で、一人の少年が大きなため息をついていた。
「はぁぁぁ…」
彼の名前はテンカワ アキト。
雪谷食堂という食堂で働いているのだが、ときどき攻めてくる木星蜥蜴と地球連合軍の戦闘の音を聞くたびに怯えてしまい、たった今店を追い出されてきたのだ。
(少し頭冷やして来い!)
「はぁ…」
店の主人であるサイゾウに言われた言葉が頭の中でリフレインし、またしてもため息をついてしまう。
別に怯えたくて怯えているわけではないのだ。
ただ、爆撃音を聞くとどうしてもあのときシェルターの中で起こったことを思い出してしまう。
シェルターにいた人々がバッタに殺されていく。
自分にもバッタが迫っていて。
気がつくと、地球にたった一人で佇んでいた。
何度思い出してもゾッとする。
そして同時に、何故自分は生き残れて…そして、地球にいるのかがわからなかった。
ふと、誰かの泣く声が聞こえたような気がして、アキトは思考を中断して顔を上げた。
声のする方を向くと、そこにはべそをかいた幼い少年が蹲っていた。
着ているものは服というよりは布を巻きつけただけといったかんじで、しかもその布は薄汚れている。
洗ったらとても綺麗な色になりそうな紫の髪も、薄汚れている。
しかし、どんなに薄汚れていても金色の瞳だけはきらきらと輝いているようだった。
突然、その瞳がアキトのほうを向いた。
「ここ、どこですか…?」
少年がアキトに問いかけてきた。
アキトは答えようと口を開くが。
「いい…。言われてもわかんないと思います…」
一体どっちなんだよといらつきながらもそれを隠し、優しい笑みを浮かべアキトは少年にきく。
「君、名前は?いくつ?おうちはどこ?お父さんかお母さんは?」
少年はポカンとアキトを見つめ、数秒たってからやっと口を開いた。
「名前…無い。誰もつけてくれないから。お父さんもお母さんも僕にはいないです。気がついたらここにいました」
「名前が無い?…それに家も無いなんて…困ったなあ、どうしよう」
子供が苦手というわけではない。
寧ろ得意なほうだと思う。
けれど、この少年はどうしたものだろう。
名前も家もわからないんじゃあ、どうしたらいいのかこっちもわからない。
と、突然小さくきゅるるるる〜と間抜けな音がした。
「…お腹減った…」
ということで、とりあえず少年を雪谷食堂へ連れて行くことにしたアキトだった。
数分後、少年は一杯のラーメンと格闘していた。
そして、少年には多すぎるくらいのボリュームのあるそれを何分もかけて食べる少年を、微笑ましげにサイゾウとアキトが見ていた。
「やっぱり、おいしそうに食べてくれるお客さんがいると嬉しいなぁ、アキト」
「そうっすね…。それにしてもサイゾウさん、仕事はいいんですか?」
「今の時間帯に来る客なんて滅多にいねぇだろ?それよりアキト、あの子どうするんだ?」
「は?」
いきなり真面目な話をふられて、アキトの思考は一瞬停止する。
「あの子をどうするのかって言ってんだ。名前も家もわからないってお前言ってただろ?」
「…ええ。どうしたもんっすかね…。親がいないって言ってたから、戦災孤児かもしれないし…って、うわっ!」
突然アキトの腰に、少年が抱きついてきた。
「ぼく、お兄ちゃんと一緒にいたいです」
ギュッとアキトの服のすそを握り締め、少年は小さな声で言った。
「…アキト、責任もって育てろよ」
「ええ!?」
サイゾウがアキトの背中をポンと叩く。
「こんな子供がおまえを頼ってんだ、しっかり応えてやれよ。まさか、できねえなんて言わねえよな?」
「…はい、わかりました!」
少年はアキトの決意を持った表情を見て、ふわりと笑った。
それから半年後―――
「とりあえず今日までの給料だ」
暗い店の中で、サイゾウがアキトにカードを渡している。
「くびっすか…」
「ああ。このご時世、臆病者のパイロットを雇ってるっていう噂が流れるとなぁ…」
「これは!違うって…!」
「世間はそうは見ちゃくれねぇよ」
「でも俺コックになりたいんす」
俯いて呟くアキト。
その言葉は本心からの願い。
けれど…。
「おまえ…このままじゃ何にもなれねぇよ。自分から逃げてるうちはな」
ふう、とアキトは小さくため息をついた。
「…わかりました」
「ところでソラ、おめぇはどうすんだ?」
サイゾウは、アキトの隣でずっと黙って話を聞いていた「ソラ」と名づけられたあの少年に話をふった。
「ボク、アキト君についていきます。…アキト君がいいなら。あ、でも…お荷物、ですよね?」
上目遣いにアキトの顔を窺うソラ。
少し眼が潤んでいるのは気のせいだろうか。
「べつに荷物なんかじゃないよ!俺が責任もって育てるって言ったんだから、ちゃんと最後まで面倒見なくちゃ!」
「…ありがとうございます」
ソラがニッコリ笑う。
その笑みはテンカワスマイルに限りなく近かったとか。
「えー、ゴホン!じゃあ、ソラも出てくんだな。…二人とも、頑張れよ」
「「はい!」」
夜の街を自転車で走る影二つ。
アキトとソラは行くあても無く、ただ走っていた。
「やっぱり月って綺麗です…。でも、あそこって人が住んでるんですよね。…なんか、嫌です」
整った顔を少し歪めていかにも不愉快そうな表情をする。
「嫌って、何で?」
「綺麗だなあってボクらが月を見つめているその瞬間に、月で強盗とか…犯罪がおきてたりするのかもしれないのがとても嫌です。綺麗なものには綺麗なままでいてほしいです」
「ソラ君…?」
そのとき、後ろから猛スピードで一台の車が迫ってきた。
「「うわぁぁぁ!?」」
咄嗟に二人はハンドルをきって車を避ける。
が、車から落ちてきたトランクがアキトの顔に直撃する。
「ごべっ!」
無様な声を上げ自転車もろとも倒れるアキト。
ソラが慌てて自転車を止め、アキトに駆け寄る。
「アキト君!?大丈夫ですか?」
「もうやだ…」
「…あのトランクが直撃したのに意識がしっかりしているあたり、アキト君ってすごいですね」
アキトが起き上がるのを手伝いながらも、妙なところに感心するソラ。
ちょっとズレているのかもしれない。
「すいません!すいません!あの…大丈夫ですか?」
青い髪の女性がアキトに話しかける。
アキトはいろいろ言いながらも、トランクの中身をしまってあげている。
それを見たソラが、「運命の出会い…みたいな?ドラマっぽいです…」と呟いていたとかいなかったとか。
「あのぉ、どこかでお会いしたことありませんか?」
青い髪の女性がアキトに訊ねた。
「いやそんな事ないと思うけど」
「はぁ、そうですか」
「ユリカー!もう行くよ!」
「うん!」
車の運転をしていた男性に呼ばれて、女性はトランクを抱えて去っていった。
二人はしばらく呆然とそこに突っ立っていたが、先に我に返ったのはソラのほうだった。
「運命の出会いに続き逆ナン、そしてそれをスルーしたアキト君…えへへ…」
先ほどの女性の言葉を逆ナンだと受け取ったソラは、怪しい笑みを浮かべていた。
十歳ほどの少年がこんな表情を浮かべていていいのだろうかと、アキトは少しひいた。
「あれ?さっきの人たち何か忘れていってますよ?」
傍に写真たてが落ちているのを見つけて、ソラがそれを拾う。
「これって…アキト君?」
アキトが写真を覗き込むと、そこに写っていたのは幼いアキトと先ほどの女性であった。
「…っている。会っているぞ!」
突然アキトは自転車を起こし飛び乗ると、車の去っていった方角に向けて走っていった。
ソラは何も言わず、自分も自転車に乗りアキトの後を追った。
暗い部屋の中で、アキトとソラは拘束されていた。
「というわけで入り口で暴れていた自転車男とその弟と名乗る少年を捕えました」
入り口を警備していた警備員が赤いチョッキのちょび髭ミドル、プロスペクターに報告している。
「ふむ…兄弟、というには顔も髪や眼の色が違いすぎますね…。しかも金色の眼ですか…」
確かに茶色の髪に茶色の瞳のアキトと、紫の髪に金色の瞳のソラとでは兄弟というのはかなり無茶だった。
「義理の弟…です」
「まぁ、そういうことにしておきましょう。それにしても…貴方はパイロットですかね」
アキトの右手を見ながらプロスペクターは言った。
アキトは右手を隠し、自分はコックだと言い張る。
プロスペクターは小さく唸り、ペンのような機械を取り出した。
その機械をアキトの舌に押し付ける。
「あっなたのお名前なんてーの♪」
そしてアキトのデータが映し出される。
「これは…。どうやって全滅したユートピアコロニーから地球に?」
「わからないんだ。あのときの前後を覚えてないんだ」
「そうですか…」
そう言うと今度はソラの舌に機械を押し付けた。
だが、不明と出るばかりでちゃんとした結果が出ない。
「はて…困りましたねぇ。貴方、名前は?」
「…ソラ」
「名字は?」
「…テンカワ」
機械をまたいじるが、やはり不明だ。
「まぁ、いいでしょう。それにしても、ユリカさんに一体どんな御用事が?」
「あいつは俺の両親が殺された理由を知っているかもしれないんだ。だからそれを確認しに…」
「そうですか。貴方も大変ですねぇ」
少し考えこんだプロスペクターだったが、アキトの調理器具を見て、考えをまとめた。
「テンカワさん。今我々が行っているプロジェクトでコックさんが不足しておりましてね、それでよろしければコックさんとして雇いましょうか?」
「え…あ、はい!あ、でもこの子…」
「そのかたにはウェイターさんをしてもらいましょう。どうですか?」
「…アキト君?」
プロスペクターに見つめられ、ソラはアキトの服の袖を掴む。
「それじゃ、お願いします」
頭をさげアキトは言った。
「よろしい!では貴方がたをナデシコのコックさん及びウェイターさんとして雇いましょう!」
「ナデシコ…ですか?」
「そう、ナデシコです!」
「それにしても、金色の眼なのにIFSがないとは…彼は何者なんでしょうかね?」
「うー…ボク、あの人苦手です」
「あの人ってさっきのプロスペクターって人かい?」
二人はナデシコのハンガーにいた。
人型兵器の整備されていく様子を見ながら会話していた。
「うん。……?あれ、何かエステバリス動いてますよ?」
アキトがソラの指差す先を見てみると、そこには。
「ガァァァァァァイ!!スゥゥゥゥゥパァァァァナッパァァァァァァァァ!!」
ポーズをとるエステバリスがあった。
「「……」」
そしてそのままエステバリスは倒れ、中から濃い男性が出てきた。
その男性は足の骨が折れたらしく、整備員たちに連れて行かれた。
アキトに「俺の宝物をとってくれ」と言い残し。
「…骨が折れたっていうか、むしろ足が折れているってかんじですね」
「まあ、そうだね」
言いつつアキトがエステバリスのコクピットの中を覗くと、そこにはゲキガンガーのおもちゃが。
アイツ何歳だよ…と苦笑しつつ、アキトが手を伸ばしたそのとき。
艦全体が揺れ、咄嗟にアキトはソラの腕を掴み、コクピットの中に入った。
「テンカワ アキト、コックっす!」
「テンカワ ソラ、ウェイターですぅ」
きゅうにブリッジから通信がきて、所属と氏名を言うよう言ってきたのでとりあえず二人はそう返事をした。
ブリッジの人々は(アキトたちには見えていないが)「はぁ?」とでも言いたげな表情になる。
そんな中、一人ずっと考え事をしている青い髪の女性―――ミスマル ユリカが、ぽんと手を叩き叫んだ。
「あぁーーー!!アキト!アキトなんでしょう!!」
その大音量に、ブリッジの人々は耳をふさぐ。
「ってユリカ!なんでおまえがそこにいるんだ!」
「だってユリカ、ナデシコの艦長さんだもーん」
アキトは顔を引き攣らせる。
「え、艦長さんなんですか?アキト君、そんな人が知り合いだなんてすごいですねぇ…」
子供らしい無邪気な笑みを浮かべてソラは言った。
その言葉にアキトはぶんぶんと首を振って否定した。
それにしても、とユリカが話題を変えた。
「アキトはどうしてエステバリスに乗ってるの?…はっ!まさかアキト、私のために囮になろうとしているのね」
ユリカは突然キリッとした顔になった。
アキトはユリカの言葉の意味が理解できず、ポカンとしている。
ソラはこれからどういう展開になるのか期待しているらしく、眼がきらきらと輝いている。
ブリッジの人々は呆気にとられている。
「でも、アキトを危険に晒すなんて…でも、アキトは私のために決心してくれたんだもん。その私がアキトの決心を揺らがせてしまってはダメ。わかったわアキト!ナデシコと私の命、貴方にあずけます!」
アキトが必死で誤解を解こうとするが、妄想を通り越して暴走してしまったユリカには誰が何を言おうとも聞こえなくなっていた。
いや、寧ろ彼女にいいように自動変換されていたと言うべきか。
とにかく、アキトの言いたいことはちっとも伝わっていなかったということだけは確かであった。
「アキト君、ファイトですよ」
ソラがアキトの肩をポンと叩く。
ああ、昔からこういうやつだってことはよくわかっていたんだよ、彼女にだけはいつも逆らえなかったなあと情けないことも思い出しつつも敵に向かっていった。
今アキトは絶体絶命だった。
前にはバッタの大群、後ろは海と、逃げる場所がなくなっていた。
空もバッタでいっぱいで、逃げるのは無理そうだった。
さきほど、逃げるだけではダメだと思い反撃もしたのだが、逃げることに徹していたほうがよかったのかもしれない。
ふいに、アキトの頭の中に「死ぬ」という文字が浮かび上がった。
また、守れないのか?
また、失うのか?
あのときはなぜか生き残れたけれど、今度こそ絶対生き残れないだろう。
そしたらナデシコの人たちも死ぬ。
そしてユリカも。
アキトが果てしない思考の海に呑まれそうになったその時、アキトの右手に小さな手が重なった。
「諦めないでください。ボクは戦えないけれど…微力ながらお手伝いさせていただきます」
ソラの右腕に奇妙な紋様が浮かび上がり、ソラの金色の眼は青色に変わる。
「ソラ?」
「少し変な感じがするかもしれませんけど、我慢してくださいね」
紋様が光りだした…とアキトが思ったとき、一気に視界が開けた。
今アキトの眼に見えるのはコクピットの中の景色ではなく、外の景色。
アキトはエステバリスそのものになっていた。
(逃げ道がないわけではありません。今まで見えなかっただけです。今のアキト君になら、見えるはずです)
頭の中にソラの声が響く。
確かに、今のアキトには逃げることができそうな道がいくつか見えた。
しかし、そこにも敵はいる。
(大丈夫、生身で喧嘩するのと同じようなもんですよ)
ソラは自分に戦えと言いたいらしい。
(後ろから敵が近づいてきたりしたときはボクが知らせます。だからアキト君は、この状況を突破してください)
「っ…あーもう!わかったよ!戦えばいいんだろ!?」
アキトは叫ぶと、バッタの少ない箇所に突っ込んでいった。
バッタにあたらないように脇をすり抜け、跳んでかわし、群れの中を抜けていく。
そのとき、バッタが放ったミサイルが他のバッタにあたり、爆発した。
爆風に飛ばされ、エステバリスは海に落ちそうになる。
「うわぁぁぁって、あれ?」
エステバリスが海に落ち、沈んでいく…かと思われたが、エステバリスは沈まない。
「グラビティブラスト発射!!」
ユリカの声が聞こえると同時に、ナデシコから発射された重力波がバッタたちを次々と飲み込んでいく。
エステバリスは、ナデシコの上に立っていた。
ふと気がつくとアキトの感覚は身体に戻っていた。
「ごめんなさいアキト君。さっき時間がなかったから無理やり機体と同化させちゃいました…。あ、このこと誰にも言っちゃだめですよ。アキト君とボクの両方が不幸になるだけですから」
「同化って?それにさっき、俺がエステバリスになってたような…」
「同化っていうのは、機械とか生物と一つになることです。その能力で、アキト君の感覚をエステバリスに繋げたんです。他人を繋げたのは初めてだったんですけどうまくいってよかったです」
説明はよくわからないが、ソラがただの少年ではないということはアキトにもよくわかった。
「君は…何者なんだい?」
「ボクは、アキト君の弟のソラですよ。ただ、ちょっと変な能力を持ってる」
ソラが小さく微笑んだ。
そのとき、ブリッジから通信が入った。
ユリカの顔が映し出される。
「…まだ十分経ってないよな?」
「ええ」
「アキト、貴方のために急いできたの!」
満面の笑みを浮かべるユリカ。
一瞬アキトはそれに見惚れてしまい…。
「アキト?アーキートー?」
ユリカに呼びかけられて気がつき、顔を赤らめた。
「じゃあアキト君、帰艦しましょうか」
「そうだね」
「アキト、早く私に逢いに来て!」
ユリカの一言でブリッジのメンバーとエステバリスに乗った二人はずっこけたのだった。
代理人の感想
文章がちょっとこなれてませんかね。
もう一歩進めば独自の味が出るように思いますが、今はどっちつかずと言った感じです。
ソラがちょっとメタな発言をしているのが気になりますが、まあそれは次回以降のお楽しみってことで。