二人分の軽い食事を持ってきたレン。
(ルリ、ご飯食べるかな?)
同じIFS強化体質であるルリ、当然カロリー消費も多い。食事を抜くことは出来ない。
(やっぱりご飯食べるのが一番だし)
栄養剤、ビタミンブレッドなどで事足りるかもしれない。点滴でもいい。しかしやはり料理が一番。
そう考えて食堂で用意してもらったものだ。二人分、焼き魚定食である。
「ルリ、大丈夫?」
料理を運ぶときに使う大きなトレイを持ったレンが部屋に着いたとき、ルリはリビングのソファーに仰向け寝転んでいた。顔に当てた小さな手に隠れて、その表情は見えない。
「ご飯、貰ってきたけど、食べる?」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
「そう…」
起き上がりこちらを確認したその表情は沈んでいた。だが、それ以上変化は見られない。キッチン近くのカウンターに料理を並べながら、レンは少しほっとした。
「大丈夫?けがは無いはずだけど」
「ええ、姉さんのおかげで」
「それはいいんだけど、調子悪かったりする?」
「いえ、ちょっとショックだっただけです。大丈夫ですよ」
「よかった」
ルリも急須を用意してお茶を煎れる。急須にポットの湯を注ぎ、軽く円を描きながら揺らす。しばらくそうして、二つの湯呑に茶漉しを沿えて注ぐ。
「ルリってホント、お茶煎れるの上手だね」
「そうですか?」
「うん」
最初、レンが備え付けのティーパックで無造作に湯を注ぎ、飲んでいた。それを見かねたルリが自分で煎れ始めたのだ。ホウメイからもらった茶葉を使っている。質の良いものなのだろう。湯気と共に漂う香りが良い感じで、以来レンはルリの煎れるお茶がすっかり好きになった。
「じゃ、ご飯食べから話そう。あのテンカワ・アキトのこともね」
「ええ」
その名前に少し眉を寄せるルリ
しかし特に何も言うことなく、箸を動かし食事を始めた。
明るめに調整された部屋
しばらく、二人は黙々と目の前の食物を口にしていた。
NADESICO |
「私、こんなに休みもらって大丈夫だったのですか?それに姉さんも。今更ですが」
「え、なんで?」
食事も終え、ソファーのほうに移った二人。
テーブルの上には煎れなおしたお茶、せんべい。
二人は並んで座っていた。
「仕事のことです。二人のオペレーターが長時間抜けています。それに、姉さんは副提督だったはずです」
「でも、今仕事特に無いし」
現在、ナデシコは佐世保から出て鹿児島沖、南に三十キロ、海抜四メートルのところに留まっている。
艦長たちは知らないが、すでにジェステシア四機が哨戒中、敵影は無い。敵が来ない限りオペレーターの仕事は無い。先程の戦闘でのデータチェックなどオモイカネ・ホノカグヅチで充分である。
それに、レンはルリに重要な用件もあった。
「明日朝まで、ナデシコはここに留まるから」
明日乗船するはずだったクルーにはヒナギクを迎えに出した。
パイロット三名と看護士四名。それぞれ同じ場所に滞在している。回収にはでそれほど時間はかからないだろう。
現在午後六時、すでに多くのクルーが休みに入り、食堂で夕食をとっている。食事時の休憩を新たに三交代制に定めたので、食堂はそほど混雑していないだろう。
ブリッジにはホウメイガールズが出前に行っている。
「それで、テンカワ・アキトのことなんだけど…」
「彼の処置はどうしたのですか?」
ルリはずっとこのことが聞きたかった。しかし初対面の人間、しかも自分を人質に取った男を余り気にするのもおかしい。怯えているなら被害者たる自分はその名前も聞きたくないといった態度をとるべきだろう。だから、レンが言った通り食事後まで待っていたのだ。
「処置は、今バーチャルルームで調査及び教育中」
「バーチャルルームで、ですか?」
「そう、まず彼の過去を調べる。重要事項は全て洗う。もうそっちは終わった」
「今、閲覧できますか?」
「いいよ」
一応、ルリの権限で全ての閲覧は無理である。レンの副提督権限でデータを呼び出す。
「テンカワ・アキト、十八歳。火星、ユートピア・コロニー出身。火星で起きたテロ事件で両親は殺害される。以後、施設に移る。IFS処理を行ったのは四歳時」
レンはウインドウをルリに表示しつつ、朗々と読み上げる。
以後、初等、中等教育を終えた彼は、三年前ネルガルの機動兵器・当時実験中だったエステバリスのテストパイロットに志願。エステバリスロールアウト後、経験を買われ教官として火星駐留軍に出向。ユートピアコロニー郊外で訓練を繰り返す。
「前会長と彼の両親は親友だったみたい。罪悪感からか?前会長は彼に色々と便宜を図っていた。密かにね」
そこで、レンは言葉を区切る。
「ここまでが、まぁ表向きの情報。ルリも知ってるね?」
「え?」
「だって、ハッキングしてたでしょ?私がこの部屋に来る少し前まで」
「あ、それは………その」
何故ばれたのか?
自分の腕に絶大な自信を持っていたルリはショックを受ける。
「まぁ、それはいいとして、今度は裏情報。こっちがテンカワ・アキトの重要情報」
言葉と同時に幾つものウインドウが周囲に展開される。
「彼の経歴には十歳まで嘘は無い。十歳の時、クリムゾンのエージェントと接触。両親の死の真相を知らされる。真相は知ってるね。これ一応トップシークレットだから気をつけてね」
どうも全てお見通しらしい。ルリは呆然とするしかない。
それでもアキトの情報は気になる。意識をそちらに集中した。
「ネルガル前会長とテンカワ博士は当時対立していた。原因はボソンジャンプ関連技術、特にCCについての情報開示を巡って。将来ボソンジャンプに関わる全ての利権を独占するつもりだった前会長。公開に拘ったテンカワ博士。そして、前会長はテロを装い博士とその妻を暗殺」
ちなみにアキト自身はその場に居合わせず、難を逃れた。火星を離れる幼馴染達の見送りに出ていたのだ。
接触してきたエージェントによりこれらの情報を知ったアキトはたやすく彼らに懐柔される。前会長も彼に負い目があり、便宜を図る以外監視もしていなかった。すでにネルガル火星支部上層に食い込んでいたクリムゾンはさらに懐にもぐりこむため、彼を利用した。
「で、四年前かな?彼と私が出会ったのは」
「四年前、ですか」
「うん、私は気付かなかったけどね」
火星での機密漏洩を調べ、敵側エージェント排除に向かったレン。クリムゾン側はネルガル各研究所襲撃する実行部隊をすでに送り込んでいた。それを殲滅したのがレンである。
「あの頃、その襲撃者達が、私を『黒天使』と呼んだ。今も昔も、呼んだのは彼らだけ」
だから、アキトがその名前を呟いたとき、気付いたのだ。
ばかばかしいミス、しかし何故この言葉を呟いてしまったのか?
まだ若いとはいえ、幼いときから訓練されたエージェントとしてはあるまじき失敗。
ルリは戸惑った。
意識が深遠の淵より上っていく。
気が付けば見覚えの在る光景が広がっていた。
累々と重なる仲間達の死骸
暗い部屋、大量の血が辺りに流れる。
凄まじい血臭
忘れようにも忘れられない想い出だ。
目の前にある仲間だったもの顔
激痛に引きつったまま固まってしまった表情、虚ろな眼をした死体。
両親の死、その真実を教えてくれた男だった。体格のいい、男臭い笑顔をよく浮かべていた。数少ない信用できる大人で、自分に様々な技術を教えてくれた。
最後まで自分を庇っていた。
だからまだ、生きている。
男は自分を利用しただけでなく、慈しんでくれた。
今、打ち抜かれた胸より血をにじませ、仲間達より流れた血溜まりの中に倒れている。
自分に覆い被さって
だから自分は難を逃れたのだろう。
彼を殺された怒りが湧き出してくる。
しかし、
仇を討ちたいとは、何故か少年は思えなかった。
いや、何故かなどわかっている。
湧き出す怒りを粉々にするほどの、圧倒的な感情の渦が教えてくれる。
恐慌状態一歩手前の頭で理解している。
震えが収まる所か酷くなる一方の体が覚えている。
その理由が男の顔の向こうにある。
累々と重なる仲間の死体の向こうにある。
全ての痕跡を燃やし尽くそうとする炎を背後にこちらに向かってくる影
黒のボディースーツに身を包んでいる。編みこまれていた髪をほどくと、熱風に流される。小柄ではあるが伸びやかな手足と均整の取れた肢体を持つ美しき死神
なんの表情も浮かべていない琥珀色の瞳が光っていた。
「黒天使……」
少年の姿から、今の姿にかわったアキトは呟いた。
今も昔も、抑えきれない恐怖と共に
「気付かなかったんだけどね。殺し損ねてたんだ。彼を」
レンはあっさりと喋った。
当時現会長が就任したばかりで混乱。前会長の方針をそのまま受け継ぐ社長派と改革を進めようとする会長派の対立。社長派はクリムゾンと手を組もうとした。結果、クリムゾンが火星に大きく介入したのだ。それまで以上に。
襲撃者達はユートピアコロニー一角のビルをアジトに、準備を進めていた。いくら社長派が手引きするとはいえ火星はネルガルの牙城。多く拠点を構えるわけにはいかない。
ただ一度、最初の襲撃前、準備のため彼らは集まった。
レンはそれを狙って襲った。
その中にアキトがいたのだ。
研究所関連の清掃を請け負った業者にバイトで潜り込んだ彼。研究所内のセキュリティー等、それまで情報のリークなどで成果を上げてきた。しかし、荒事はあの時が初めてだった。
「初の戦闘で私に出くわした。仲間に庇われて難を逃れたけど、殺戮を繰り返すボクの姿をしっかり見ていた。まさか生き残りがいるとは思わなかった。驚いたね」
「何故、そんな話をしてくれるのですか?私に?」
「だって、ボクがネルガルのエージェントであることも知ってるでしょ。ボクが来た日に調べてる」
「は、はぁ」
ハッキングがばれた理由はは、あとで聞くとしよう。ルリはそう思い特に答えなかった。
レンも気にせず話を進める。
「仲間の一人、実行部隊の指揮官だった男。テンカワ・アキトをクリムゾンのエージェントとして引き込んだ男でもあるけど、そいつが覆い被さって見えなかったみたい。庇ったようだね。どうやら。ボクは他の連中相手にするので忙しかったから、気付かなかった。火をつけて終わったと決め付けてた。疲れてたね。なにせ百十一人相手にしたし。あの場だけで」
ミスだな〜と伸びをしながら言うレンを、ルリは複雑な気持ちで見ていた。
テンカワ・アキト、彼女の大切な思い出、その中心にいる“大切な人”だ。
本人でないとしても。
そして、彼を昔殺し損ねたと淡々と呟く目の前の少女もまた、今のルリにとって大切な姉だ。
一応アキトは無事なのだが、やはりそのような言葉を聞くだけでも嬉しくは無い。
それに先程から………
「あの、姉さん?少し前から一人称が…」
「あれ?そうだね。ボクはこっちがホントかな?たまに出るんだ」
何処となく口調も変わっている。
「そういえば、面白いね。月廃棄コロニーの研究所以来、人前で“ボク”なんて、使ったこと無かったのに」
「そ、そうですか」
「ま、いいや。今度からルリだけの前ではそうするね。研究所の連中は皆殺したし、ルリだけだね」
「は、はぁ」
「じゃぁ、テンカワ・アキトの話に戻っていい?」
「あ、はい」
「一応難を逃れた彼。しかしそのときボクが連絡員、内通していた社長派幹部も始末したからクリムゾンと連絡が取れなくなった。誘ってきたエージェントが連絡役兼ねていたんだ。運がいいのか調べ上げても彼は浮かんでこなかった。彼自身、もうクリムゾンと接触したいと思わなかったみたいだね。結果、捕まることなく、見つかることも無かったけどエージェントは休業。その後テストパイロットに志願」
どうもレンに対する恐怖から逃れるため、昔のヒーロー願望まで持ち出したらしい。まっとうに戻ったと喜んでいいのか、ルリは少し判断がつかない。
ともかく、恐怖に打ち勝つだけの力を欲した結果だった。
ちなみに、採用の際、多少問題があった。アキトの身体能力、適正は調べられている。間違いなく特殊な訓練を受けた形跡のあるアキトを雇うことには戸惑いもあった。しかし火星支部、研究所には未だテンカワ博士に親しかった者達が大勢いた。レンによって、すでに大掃除が終わったあと。害は無いだろうと問題にされず、雇われたのだ。
「IFSも通常より遥かに伝達率が高いものにバージョンアップされてる。強化体質のルリやボクには及ばないけど。後経験も豊かだよ。エステに関しては」
当時、火星研究所とネルガル本部技術三課でエステバリスの開発競争をしてた。最終的には技術三課の作品をベースに火星研究所の技術も大幅に取り入れて決着した。その際デザインをやり直したのが技術三課主任・ユリア・シュラーバ。サポートがレン、そして当然本部と火星の研究者による総力である。こうやって生まれた、量産エステバリスの原型となった機体のテストも、彼は行っている。特に火星での運用を調べるため、地球とは別個に行われたのだ。
その後、ロールアウトしたエステを一番早く取り入れたのが火星駐留軍。彼はそこに教官として出向している。彼は開発過程、軍部隊の訓練を通して充分にエステに習熟していた。
通常を遥かに上回る情報伝達率のIFSを持ち、長い経験からその構造を逐一知り尽くしている。それが昼間の戦闘で見せた動きに繋がった。
「第一次火星攻防戦の際、ユートピアコロニーでは善戦した。でも、ユートピアコロニー駐留部隊は彼を残しほぼ全滅。率いていた部隊のパイロットも生死すら確認できない有様」
エステを乗り捨てた彼はシェルターに非難した人々を守ろうと奮戦。突入してきた敵無人兵器の襲撃を受ける。そして気が付いたときは地球にいた。
以後、地球で生活することとなったアキト。一時期のヒーロー熱もユートピアコロニーでの経験から収まった。昔志し密かに修行を続けていたコックを、今度は目指した。雪谷食堂という大衆食堂で働いていた。そして首になり放り出された。偶然出会ったユリカを見て過去の因縁を思い出し、追いかけた結果、ナデシコに乗り込んだ。
「つまり、今はもう、エージェントではないのですね」
「そうなるね、ルリを人質に逃げようとしたのも、ボクに対する恐怖でちょっとおかしくなっただけみたい。別段ナデシコがネルガルの船だからって今更どうしようとも考えてなかったみたいだから。相変わらずクリムゾンとは連絡とってないから指示も受けてない」
「そうですか……」
少し安心するルリ
彼女の知る彼とは別人。それでもテンカワ・アキトの行く末は気になる。
「それで、処分のほうは…」
「ん、とりあえず現在しごきの最中」
「しごき?」
「そ、教育中ともいう。まずはまだ残る復讐心、ボク見ただけで震えだすあの状態から直さないと」
「……洗脳、ですか?」
その口調が固くなる。
「そこまでやぼじゃないよ。ただちょっと自分のしたこと、してきたことを自覚してもらって、状況を教えて、考え方を改めてもらおうかと……」
「はぁ……」
ルリが向けてくる疑いの眼差しにちょっと引き、微妙に焦るレン
気に入った相手には妙に弱いのだ。
「大丈夫、薬物も使わない。拷問もしない。催眠にもかけない」
「ホントですね」
「ホント、約束する」
念を押すルリに真剣に、
「ルリを人質に取ろうとしたこと、随分と後悔してるみたいだから、それをネタに脅してこき使ってやるといいよ」
すくなくとも当人は真剣に答えているつもりのレン
「そ、それで、アキ、いや彼はどんな部署に配属されるのです?」
「そうだね。一応コック兼パイロット。信用できるまで教育進めば保安担当も。経験あるから最終的にはエステバリス隊隊長を任せたいな」
「本当にこき使うつもりですね」
「優先権はルリにあげるよ。なんかやらせたいことある?」
「いえ、それは後で考えます」
何時もの落ち着いた様子に戻ったルリ
その様子に少し安心するレン
「じゃぁ、話はお終い。お風呂入ろう!」
「銭湯に行きますか?」
「いや、一応プロスが仕事中て、ボクたちのことごまかしてるから………あまり広くないけど、部屋のに入ろう」
ちなみにトイレはちゃんと別である。
「わかりました。入浴剤入れますか?」
「何がある?」
「ええと………」
備え付けのタンスの一番下に入っていた入浴剤を漁りだす二人
(とりあえず、あのテンカワ・アキトさんも無事。ちょっと色々あったけど一緒にナデシコに乗っていられる)
やはりルリは、ナデシコにはアキトがいて欲しかった。
(ちょっと、今どんな状態か不安ですが)
出来れば今すぐにでもハッキングして様子を見たい。しかし手の内はレンに読まれている。彼女を殴り倒して会いに行くのも、ルリには到底出来ない。その意思も無い。能力的には不可能。
聞けば答えてくれるかもしれないが、少し怖くもある。
どうすることも出来ないこと、判断つかないことは考えない。
ルリは割合切り替えが早かった。
しかし、気に掛かることは他にもある。
(でも、私の知る“アキトさん”はどうしたのでしょうね?後、あのとき一緒にいた少女、それに……)
ここに来たのは自分だけなのか?
一瞬よぎる不安
「ルリ!早く入ろう」
「あ、はい。今行きます。姉さん」
だからこそ、今は唯一近しい相手、レンとともにいれるのが嬉しかった。
ナデシコ、”前”とは違うかも知れない。
それでも、ここが”私たちの船”になる。
ルリは、そんなことを考えつつ、姉の待つ部屋のユニットバスに向かった。
もっともこの後、その姉から仕事を押し付けられることになるとは思ってもいなかったが。
後書きのようなもの
アキトが”帰ってきた”アキトではなかったら。でも強いアキト君であるにはどうしたら。
そんなことを考えて作ったのが今回のテンカワ・アキト
ちなみに”帰ってきた”アキト君、その所在、いるいないは話が進むうちに
次回はレンの自身自覚している欠点。ルリへの仕事の押し付け
悪巧みを始める二人
そして、アキトクン躾の巻でしょう。
part2の間は地球を離れません。まだ色々とゴタゴタするでしょう。
それでは、また
約半年ぶりの感想。
ども、皐月です。
自分の作品の更新を放って、後書きを書いている不届き者です(笑)
では、感想を……と言っても書くことなど一つしかないのですが。
こんなの俺のレンじゃねえ!!(血涙)
……ネタ自体存在しない(つまり弥生櫻さんのオリジナル)キャラですが、名前がレンなので取り敢えず言っておこうかと(爆)