火星の後継者の乱から3年後。
 歴史の闇に潜みつづけた一つの存在が光の下に捕われようとしていた。
 ただし、光は光でも救いをもたらす物では無い。断罪の光。
 それは、闇にとり消滅と同義だった。
 それゆえ彼等は抵抗する。自身の存在を賭けて。
 それが、どれほど儚い物であっても。



 激しい振動がユーチャリスの艦橋を襲った。
 右舷に直撃をもらったのだ。瞬時に表示された警告が視界を埋め尽くした。

「っくっ。無事か? ラピス」

 一瞬の動揺を瞬時に押し殺してアキトが問う。

「大丈夫。……私は」

 それに答えるラピスの声には力が無い。グラビティブラストの直撃。戦闘開始から既に1時間。何とかかわして来たその致命打をとうとうもらってしまった。

「現状は?」

「右舷第一から第五ブロック大破。右舷フィールド出力20パーセントに低下。第一、第二グラビティブラスト発射不可。………つまり、右舷は全滅」

 アキトの問いに返されたラピスの報告は絶望的な物だった。360度どころか全包囲敵だらけのこの状況で、死角を作ることは撃沈に等しい。

「そうか……ジャンプはやはり無理か?」

 それが可能ならこんな状況には陥っていない。アキトは太陽系圏でも残り少ないA級ジャンパーだ。その力は強力無比。彼等には戦線と言う物が存在しない。完全な奇襲と撤退を可能とし、補給に関しても自由自在。それは古今のあらゆる軍隊が欲する能力だ。故に、彼等は事実上無敵だった。たった一隻、たった一機にも関わらず、精彩を欠くとはいえ連合の武の一翼たる統合軍を敵に回して。
 その力に頼りすぎたのかもしれない。切り札を封じられ、今彼等は窮地にある。

「うん。イメージングが拒否される。……イメージキャンセラーの情報、漏れたみたい」

 ジャンプイメージキャンセラー。
 イネスがここ数年の研究の結果生み出した技術。A級ジャンパーが人として生きるための、A級ジャンパーの戦略的価値を無くすための技術。それはまだ試作段階の筈だった。世界屈指の天才イネス・フレサンジュが遺跡を手にしてようやく実現した物。他組織にそうそうと実現される物では無い。……筈だった。
 しかし、現在働いている力場は間違いなくその技術。
 考えられるのはただ一つ。情報の漏洩。NSSとラピスの電子戦能力で情報戦では難攻不落と言われたネルガル。その砦も絶対の物ではなかったと言う事だ。

「イネスが理論を完成させた時点で、警戒しておくんだったな」

 それは今更言っても仕方がない。
 だが、正直予想外だった。作り出したイネスですら、まだこれほどの広範囲に効力を及ぼす物は作り上げていない。理論だけだ。それを此方に悟られる事無くこれだけの物を実用化してくるとは。
 世に在る才はイネス・フレサンジュのみに非ず。そう言う事だろう。
 
 そして、彼等のラストカードは封じられた。残ったのは絶望的な戦力差。戦艦だけで16隻。2個艦隊に当たる。個々の性能では覆せない数だ。

「……あと、どれぐらい持ちそうだ?」

 沈黙の後アキトが再び問いを発する。あくまで冷静に、一切の動揺を見せる事無く。

「解らない。……何時沈められても、おかしくないよ」

 ラピスの答えにも恐怖は感じられない。誇張は無い。こうしたやり取りの間も絶え間なく攻撃はユーチャリスを襲っている。無人兵器の壁も後僅かだ。

「すまんな。ラピス」

 初めてアキトの声に感情が篭った。己の戦いに巻き添えにしてしまった少女への謝罪の念が。

「いいよ。私はアキトと共に在る。……最期まで」

 そう言ってラピスが微笑む。そこには様々な感情が読み取れるが唯一後悔だけは存在しない。

「……そうか。なら最期まで足掻いてやるとしようか」

 その顔をみてアキトはそれ以上の言葉を紡ぐのをやめた。後は己の半身と共に最後まで戦うだけだ。
 彼等は足掻く者。
 社会と言う名の個人ではどうしようも無いほど巨大な存在に奪われ、侵されながらも抵抗を止めず足掻き続けた者。
 その意志に絶望と言う物は無い。

「うん」

 皇子の言葉に妖精が賛意を表す。

「左舷第三、第四グラビティブラストを収束して発射。同時に両舷全速。包囲を突破するぞ」

 それは僅かな生存の可能性。成功すればそのまま逃げ切れるかもしれない。だが、足を止められたなら集中砲火を食らう。そうすれば撃沈は必至。確率は一分を切る。
 それでも、ゼロでは無い。

「了解」

 ラピスの答えと共にそれは実行された。一瞬たりとも躊躇する事無く。
 ユーチャリスから放たれたグラビティブラストは統合軍の包囲網を貫いた。一瞬だけ作り出されたその空間にユーチャリスが突進する。それを防ぐ物はいない。突破は成功したかに見えた。

 それを妨げたのはたった一発のミサイル。フィールドをすり抜けて着弾したのはユーチャリスの機関部。
 それは正しく致命傷となった。

 機関部を破壊され足が止まったユーチャリスを四方八方から攻撃が襲った。フィールドの抵抗は一瞬。一点に収束した漆黒の光束は白亜の戦艦を飲み込んで閃き、消えた。
 その後に一切の痕跡を残す事無く。爆発さえも飲み込んで。



 こうして『亡霊』は光に飲まれた。
 最期まで謎の存在のまま、痕跡すら残さず消滅した。
 多大な損害を統合軍に与えて。
 大破だけで八隻。実に半数が落された。
 その力と共に語り告がれた噂の中に最期の時に虹色の光を見たと言う物が在る。
 噂に過ぎない。
 それに縋り付いた者達がいたが、過ぎ行く時の中で彼等も現実に生きていく。
 時間は残酷で優しい。どんな決意も、思いも風化させていく。
 『亡霊』の存在しない日常の中で、最期まで縋り付いた者が諦めるのに十年は必要としなかった。



 そして、12年の時が流れる。






時間






 地球のとある一角。
 季節は春。穏やかな陽気の中でそこには静寂が漂っていた。
 無理もない。そこは霊場であるから。盆でも彼岸でもないこの時期に人気が無いのは当然だ。
 こんな時期に墓に参る者はそう多くは無い。割と頻繁に彼女は此処を訪れているが、それでも今日と言う日を選んだのには故人の命日だからだ。最愛の義姉の。
 彼女がそんな感傷に浸っていた所を息子の声が引き戻した。

「ママ―っ!早く、早くぅ」

 三歳になる息子は元気いっぱいである。石柱が並ぶ中とてとてと駆けて行く様を見てルリは思わず呟いた。

「誰に似たんでしょうね? あの体力は」

 幼子とはそういうものだと解ってはいるが、振り回されつづける新米の母親としては言いたくもなる。
 まして、ルリ自身にはそういう経験が無い。実感する事が出来ないのだ。冷め切っていた幼少期がこういうとき恨めしく感じる。我侭の一つぐらい言っておくんだった。そんな後悔をしてももう遅い。時は戻らぬ物なのだ。

「少しはおとなしくしなさい。此処は死者が安らかに眠る場所。騒ぐ所ではありませんよ」

 此処に連れて来るたびに言い聞かせている言葉を掛ける。

「はぁい」

 はしゃいでいた息子がしゅんとしてうつむく。
 尤も今だけだ。また今度連れて来た時には今日と同じようにはしゃぐのだろう。それが幼子と言う物だ。彼が死者への敬意を持てるようになるのにはまだ時間が必要だ。だが、繰り返していれば、それは彼の精神に根付くだろう。だから、まだ理解できないとは思いつつも毎回叱るのはやめない。

「叔父さんと叔母さんが驚いて目を覚ましたらどうするんです?」

 義兄と義姉を叔父、叔母と言うのにもようやく慣れてきた。

「うん。でも僕会った事無いし……」

 息子の気持ちも解る。彼にとってまだ見知らぬ誰かが眠っている所に過ぎないのだ。此処は。

「お母さんの大切な人達でした。だから、貴方にも敬意を持って欲しいんです。特に貴方は叔父さんには名前も頂いたんですからね」

 そう彼女―ミスマル・ルリ―は、息子―ミスマル・アキト―に言い聞かせた。

 

 義姉ミスマル・ユリカは救出後六年後、後遺症で他界した。29歳の若さで。
 義兄を最後の瞬間まで待ち続けた彼女だが奇跡は起こらなかった。
 なぜなら義兄も既にその時この世の人ではなかったのだから。

 義兄テンカワ・アキトはその三年前に統合軍に捕捉され激戦の末に撃沈された。
 彼の乗った艦はグラビティブラストの集中砲火を受けて原子結合すら引き裂かれ何の痕跡も残さず消滅したと言う。最初のうちこそ、それでも彼の生存をルリは信じていた。
 何しろ彼はA級ジャンパーだ身一つでも脱出は出来る。
 だが、彼の最期の状況を詳しく調べれば調べるほど状況が絶望的だった事が解っただけだった。
 イメージキャンセラーによってボソンジャンプは封じられていた。
 そもそもジャンプできたなら捕らえられる事すらなかっただろう。
 彼等が戦闘を選択するしかなかったと言う事実がボソンジャンプが完全に封じられていた事を示している。

 さらに、その戦いの後ネルガルの動きが変わった。
 彼を支援していたのがネルガルだったと言うのは確認は出来なかったが間違いなかった。
 だがその後、それまでは彼女ですら突破できなかったプロテクトに穴が見つかり始めネルガルからも情報が得られるようになったが、解った事は彼らに関する一切の情報が消去されていた事だけ。
 それ以上の情報―彼等のその後―はネルガルすら掴んでいない事が解っただけだった。
 イネスやエリナ、アカツキに直接当たってみた事もある。
 だが、彼等は皆悲しげな顔で押し黙っただけだった。
 その表情から読み取れる事は明らかだったがそれでもルリはそれを拒絶した。

 宇宙軍少佐の権限を最大限に利用して情報を集め、木星圏にまで手を伸ばして彼を探した。
 彼はまだ生きていると必死に自分に言い聞かせて。

 後遺症と戦いながら彼を待っている義姉のために。

 そして何よりも彼女自身の思いゆえに。

 その思いは揺らがない筈だった。そしてそう信じられるぐらい当時のルリの心は硬かった。

 が、時間は残酷だ。
 そうして三年後義姉が逝った。思いを果たす事無く。
 その最期の時ですら彼は現れてはくれなかったのだ。
 生きていたなら必ず一目は会いに来る筈と信じていたのに。

 そして彼を探す理由の半分をルリは失った。同時に諦めに襲われ始めたのもこの時からだ。
 状況の全ては彼の死を指し示している。
 それまで頑なに拒否し続けていた事こそが真実に思えるようになってきた。
 想いでは現実は変わらない。どれ程信じ、願った所で過去は変わらないのだ。
 そろそろ過去に目を向けるのはやめて自身の未来にこそその思いを向けるべきだ、との周囲の言葉も受け入れられるようになってきた。

 ルリの心境の変化に合わせて周りも動いた。

 一人娘のユリカを失ったコウイチロウはルリを正式にミスマルの家に迎えた。
 もともとユリカの義妹として遇されていたが、その現実に形式をあわせた。
 義兄を失った時に失った父性をルリは取り戻し、家族をも得た。
 コウイチロウは相変わらずの親馬鹿を発揮し、ルリもそれに苦笑しながら合わせる。
 共に最愛の存在を失った者同士支えあう関係が出来た。

 日常の軍務を信頼できる仲間達とこなし、たまの休みにはコウイチロウと家族で過ごしたり、嘗ての仲間達と集まって思い出話に花を咲かせる。
 そんな穏やかな日々が続き、その中でルリは義兄の死を受け入れた。
 過去としてその事実を受け入れ、自分の中に残る義兄の思い出こそを大切にしようと思えるようになったから。
 そうしても思い出は色あせる事無くルリの心の支えになってくれたから。
 死者は残された生者の中にのみ自分が生きた証を残す。
 義兄や義姉が残した物は確かにルリの中にあった。
 かけがえのない物として。それでいいと思った。

 そうして時は過ぎ、義姉の死から五年後現在の夫と結ばれ、その一年後息子を授かった。
 息子の名は義兄からもらいアキトとつけた。
 義兄はルリの初恋の人でもある。
 夫には悪い気もしたが息子に与える名としてそれ以外考えられなかった。
 そう名づける事によってやっと義兄を捕まえられた、そう思えたから。
 捕まえると誓った大切な人が戻ってきてくれたように思えたから。

 息子は健やかに育ちルリはその子育てに忙しい。
 現在息子は三歳。ルリ自身は三十一歳になる。
 息子の出産と同時に予備役に編入され、その後も復帰していない。
 そんな暇を息子は与えてくれなかった。
 人任せにするのを拒否したのはいいが、これが一筋縄ではいかない。
 数百の艦隊を掌握できるルリがたった一つの存在のために完全に振り回され続けている。
 仲間達には連合に名高い‘電子の妖精’の実態がこれかと会う度にからかわれている。
 それにルリは反論できない。

 養父コウイチロウは連合宇宙軍大将として多忙だ。
 夫も同様である。 家に帰ってくることも少ない。
 その所為だろうかどうも反動が激しい。
 コウイチロウは予想できたが夫までそうなのだ。尋常ならざる爺馬鹿、親馬鹿ぶりである。
 本当にあの二人に血のつながりは無いのかと疑うほどだ。
 実際に子育てをしているルリに言わせたら可愛いだけの存在では無いのだが二人には通じない。
 あの二人に任せたら息子がどう育つのか考えただけで恐ろしい。
 おそらく義姉のような性格になる。義姉には悪いがルリにはそのつもりは無い。
 明るさ等見習って欲しい所もあるが出来る事ならもうすこし理性的な性格に育て上げたい。
 そういう意味で自分の存在は重要だとルリは心している。
 おかげで少々説教くさくなってしまい、息子もその所為か歳の割に理屈っぽくなった。
 まあ、許容範囲内だろうと思っている。

 そんな毎日の中でルリがこまめに行なっている事が義兄と義姉の墓参りである。
 義姉はともかく義兄はそこには眠っていない。それでも月命日の参りをルリは欠かさなかった。
 ルリは魂も死後の世界も信じてはいない。
 ただ自分の中の二人に報告する。その為の儀式のような物だ。
 可能な限り息子も連れて行く。自分の息子を二人にも見てもらいたかったから。
 今自分が幸せだと二人に報告するために。



 道端に咲いた桜が満開の花を咲かせている。
 薄桃の花びらが風に舞い、本来不可視の風の通り道を彩っている。
 義姉が逝った時にもこうだったなと九年前に思いをはせていると息子がせかしてきた。

「なにしてるの? 早く行こうよ」

 幼子はじっとしているのが苦手なものだ。力の続く限り動きつづけ、疲れたら眠る。

「ちょっと考え事をしていました。退屈なら先に行っていなさい」

「うんっ!」

 今まで何度も来た所だ。迷う心配もないだろう。そう思ってルリが言うとすぐに元気よく答えを返してきた。すぐに駆け出していく。即断即決。行動力の塊だ。

「もう少し落ち着いてくれると助かるんですけどね」

 少なくとも後二、三年は振り回されつづける。それは確定事項だが愚痴くらいは言いたくなる。元気なのは大いに結構なのだがこっちの体力も考えて欲しい物だ。無理だろうけど。
 返事と共に駆け出していった息子はもう見えない。目的地までわき目も振らず駆けていったのだろう。
 まあ、先に着いても墓には悪戯はしないだろう。その辺はよく言い聞かせてある。
 どんな小さな事でも目新しく面白く感じられる歳だ。自分が着くまで退屈はしまい。
 そう思ってルリはのんびりと歩き出した。

 

 ミスマル・アキトは目的地に着いた。
 何時もなら母が来るまで空を眺めるか、虫でも探す所だが今日はそんな必要はない。
 他に明確な観察の対象があったからだ。
 叔父と叔母の墓の前には二つの人影があった。
 共に漆黒の装束をまとった静かに目を瞑っている青年とそれを見つめる薄桃の髪に金の瞳の少女。
 彼等のまとう雰囲気は明らかに通常の物ではなく、穏やかな筈の春の日を何か他の物へと変えていた。
 子供ながらに、いや子供だからこそそれを彼は敏感に感じ取った。
 感じた感情は複雑だ。好奇心に畏怖。彼の本能は近づくなと警告を発しているが同時に強い興味も抑えられない。
 そういう感情を整理できず彼が立ちつくしていると、少女の方が動いた。

「アキト」

「ああ」

 少女の声に青年が目を開くと彼の方に眼を向けた。その瞳もまた漆黒。彼の金の瞳―母譲りである。ちなみに彼の髪も銀色だ―をじっと見詰めてくる。
 その視線に捕われて彼は動く事も出来なくなった。別に何を言われたわけでも、恐怖に震えた訳でもなく。ただその瞳に魅入られて。
 しばらく為す術もなくそうしていたが突然青年が視線を緩めた。声をかけてくる。

「警戒させたか? 大丈夫。君に害為す者では無い」

 声はただ静かで穏やかだった。その声に体の硬直が解ける。何の保証もない。ただ幼子ゆえの直感か彼には理解できた。その言葉に嘘はないと。
 恐怖は去った。残るのは好奇心である。
 そして幼子は基本的に好奇心をこらえない。あらゆる物を知りたがり吸収する事こそ彼等の最も大事な能力である。彼はそれに従った。

「誰? 何で此処にいるの?」

「残念ながら君に名は名乗れないな。その名はもう俺の物では無いから。この子の名も君には知らせない方がいい。ややこしい事になりかねないから」

 傍らに控える少女に眼を向けて言う。

「? そうなの?」

 青年の言葉は何がなんだか解らない。名前が無い? そんな事がありうるのか?
 混乱している彼を見て苦笑して青年は続けた。

「気にしなくていい。くだらないこだわりだ。此処に来た理由は墓参りだよ。君と同じだ」

 その笑顔は穏やかで彼を安堵させた。

「叔父さんか叔母さんの知り合い?」

 その墓に眠っているのはその二人だけだ。

「……ああ。古い、知り合いだ」

 青年は少し躊躇った後に続けた。その笑みはどこか寂しげだった。失った者を懐かしむように。

「そうなんだ……。えーと……僕はね」

「いい。知っている」

 話す事がなくなって困惑した挙句とりあえず自己紹介―初対面の常識を彼は既に身につけていた―をしようとした所、いきなり遮られた。

「アキト。ミスマル・アキトだろう? ルリちゃんの息子の」

 出て来た母の名に驚いた。

「お母さんとも知り合いなの?」

 素直に思ったことを尋ねる。

「ああ。……よく、知っている」

「なら、もうすぐ来るよ。お母さん」

 そう、ほんのもう少しで母は来る。五分もいらない。

「会いたいがな。会わない方がいいのさ。過去は、静かに見守るのみ。それでいい」

 そう言って青年は片膝をつき彼と目線をあわせて続けた。

「だから……俺達のことは黙っていてくれないかな。ルリちゃんには」

「内緒?」

「ああ。ただ、先に参っていた人がいた。それだけにしておいてくれ。頼めるか?」

 彼の言う事は相変わらず解らない。ただ、その雰囲気に流されて彼は頷いた。

「いいよ。なんでかは解らないけど」

「いい子だ」

 そう言って青年は彼の頭をゆっくりと撫でた。その掌は大きく父の物とも違った暖かさを感じる。

「頼むよ」

 そう言って青年は彼に背を向けた。少女がそれに続く。その背に彼は思わず声をかけた。

「ねえ!」

「何だ?」

「また……会える?」

 どうしてかは解らない。ただ引き止めたほうがいいような気がした。

「どうかな。過去と異なり未来は流動的に変わる。また俺達と会う必然が生まれるかもしれない。それは、俺には解らんよ」

「? よく解らないけど……会えるかもしれないって事だよね?」

 彼のその言葉に青年は振り返って微笑んだ。

「……そうだな。なら……またな。ミスマル・アキト」

 微笑んだままそう言う。

「またね」

 それまで一言も発していなかった少女もうっすらと微笑んで言った。

「うんっ! またね。真っ黒のお兄ちゃん、お姉ちゃん」

 元気よくそう答えた彼に青年と少女は目を細めるとそれ以上は何も言わず、再び背を向けて去って行った。

 去っていくその背を彼はじっと見詰めていたが、不意に風が舞った。
 思わず一瞬目を瞑る。
 彼が目を開いた時そこに彼等の背は無かった。
 そこにあるのは何の変哲も無い石畳のみ。風に乗ってきた桜の花びらが静かに舞い落ちてくる。
 ただ、目を瞑る一瞬前に虹色の光を見たような気がした。


 
「………何? 今の?」

 いきなり消えた背中を探して辺りを見回す。
 人影は無い。少なくとも彼らが去って行った方向には。

「……おばけ?」

 いきなり消えるような存在を彼は他に知らなかった。夢幻の存在。ただ、話した感触では奇妙な現実感がある。それに今は真昼である。確か幽霊は夜に出る物の筈だ。
 考えていると訳が解らなくなった。話した内容から消え方まで解らない事だらけである。何とか整理しようと考え込んでいた彼はルリが追いついて来た事にも全く気がつかなかった。

「どうしたんです? ぼ―っと突っ立って?」

 いきなり掛かってきた声に文字通り跳び上がった。

「わっ! 何だお母さんか」

「何だは無いでしょう。母親に向かって」

「いや、そうじゃなくてね。えーと。……何だろ?」

 説明し様としてますますこんがらがる。

「えーっと。黒いお兄ちゃんとお姉ちゃんがいてね。あ……これは内緒だったっけ。風が吹いたら消えちゃって。実はおばけで。昼なのに出てきて。……あれ?」

「何を言っているんです。呆けるには早すぎますよ」

 ルリの声には呆れた響きが在る。

「……でもまあ。どなたかが先に参られたのは確かみたいですね」

 墓の周囲を見回して言う。前回参ったのは一月前だが綺麗に片付いている。先客が掃き清めてくれたのだろう。花差しには花が一本だけ立っていた。黒百合の花。あまり墓には供えない花である。

「……? まあ、ユリカさんは好きでしたが……」

 彼を意味する花ゆえに。だが、それを知っているとなると……
 知り合いだろうか?

「会ったんでしょう? どなたでしたか?」 

 息子に聞いてみる。

「……わかんない。教えてくれなかった」

 嘘はついてない。なんとなく約束は守らないといけないような気がした。

「まあ、命日ですからね。どなたか来られていても不思議じゃありません」

 ルリはあっさり引き下がった。実際毎年参っていると誰かに会うのも珍しくないから無理はない。

「今度聞いてみましょうか。しかし、水臭いですね。挨拶ぐらいしていけばいいのに」

 仲間の誰かだと自己完結してそう結論付ける。
 ここまで来たのなら顔ぐらい出してくれてもいいものだ。ミスマル邸まで十分と掛からない。
 子育ての愚痴ぐらい聞いてくれてもいいだろうに。

「まあ、後でいらっしゃるかもしれません。早めに済ませて帰りましょうか」

 そう言って片付けを始める。すぐに済んだので花をいけ始めた。ルリが持ってきたのは白百合の花。ユリカの名前にちなんだ義姉の花。
 それがいけられる。黒百合の花と共に。墓にはあまりあわない筈のその花は奇妙にその場にあっていた。

「なんか、あってるね」

 何故か今日はやけにおとなしいアキトが呟く。

「……そうですね。絶妙なバランスです。お墓には合わないと思っていましたが……。今度から黒百合も持ってきましょうか」

 微笑んで目を瞑る。
 こうなったらルリは暫らく物思いにふけってしまう。まだ幼いアキトでも毎月の事となればさすがに察するようになる。邪魔はしないほうがいいのだ。ルリは今自らの内の二人と語り合っているのだから。
 彼はただ、黙っていけられた花を見つめていた。
 季節はずれの白百合と黒百合を。

 その二輪はただそこにあるのが当然のように風になびいて揺れていた。




 地球軌道上にその船は存在した。
 誰にも悟られる事無く。網の目のように張り巡らされた電子の目をかいくぐって。
 
 ナデシコC先行試験艦 ユーチャリス

 希望の花の名を冠した白亜の船はただ静かに存在していた。
 十二年の時を越えて。

 その艦橋に穏やかな目で地上を見守る青年とそれに影のようにつき従う少女の姿がある。
 
 その事実を知るものは誰もいない。

 ただ、見守り、守護する存在としてそこに在る。

 彼らが残した物から生まれた彼らにとっての未来を。



後書き

 どうも第11作です。
 
 ……ごめんなさい。
 やっちゃいけないことですが本編で語りきれなかった設定を説明させていただきます。
 何故アキト達が未来へ跳べたかです。
 といっても単純にアキト達が‘死ぬ’原因となったジャンプイメージキャンセラーは通常のイメージングのみに対応している事にしました。つまり、目的地の設定されないランダムジャンプではイメージングは必要ないためジャンプが可能だっただけの事です。
 本編で語るべきなんですが、此処でキャラが止まっちゃったんです。
 本当はラストにアキトとラピスの語りがあったんですけどね。そこで解説するつもりだったんですが、蛇足に思えまして……でも、後書きでの解説はもっと拙かったかなあ。どっちがよかったんだろう?

 もう一つ謝罪というかなんと言うか……
 今作ルリに何処かの誰かと引っ付いてもらいました。ルリファンの人、特にアキルリ派の人ごめんなさい。
 批判はともかくウイルスはご容赦を。
 ちょっと必要になったんです。今のルリの家族が。
 ……桃色の破壊神は大丈夫だろうけど、電子の妖精の降臨が恐い(汗)

 さらに今回初めてオリキャラも使ってしまったし……
 ミスマル・アキト
 まだ幼児なんで明確な性格付けはしてません。
 ただ時の経過を表すのにルリの息子はちょうどいいと思ったので使いました。
 どうですかねえ

 本作のテーマは「時間」
 その優しさと残酷さを書いて見ようと思いました。
 今作でのルリには‘闇’のルリとは違いアキトの生存を裏付ける証拠を一切与えませんでした。むしろ絶望的状況を意図して与えました。
 死者を思いつづけるのもまた物語になりますが、過去として乗り越えて現実を生きるのもまた大切な事だと思いますので。今回のルリにはその役を当てました。
 
 思いついたネタは未来遡行。
 逆行は多いですがその逆は滅多に見ませんから。自分達が死んだ事になっている未来をアキト達に見せようと思いました。未来を見てどう行動するかは動かすに任せました。
 時間に癒される存在としてルリを使ったんですがちょっと説明的過ぎたかなと思ってます。
 最初はアキトとルリが会う筈だったんですが、会えませんでした。既に今のルリに過去の存在は不要とアキトが言ったんですよ。書いてるうちに。結果見守る存在として落ち着きました。何事も無い限り今後も現れる事は無いでしょう。戦う理由も過去のものとなったアキト達は嘗ての仲間を影で見守りながらひっそりと生きていくでしょう。その中で彼等自身にも癒しがもたらせられたらいいなあと思ってます。
 そこまで書くのもいいかと思ったんですが、キャラが止まったので此処であえて切ります。
 また動き始めたらかいてみたい気もします。今は想像できませんけど。

 それでは、この辺りで
 またありましたら次回作で

 乱文失礼いたしました。
 

 

 

代理人の感想

・・・・・・・・・・・・・・・ふむ。

これはこれであり。

と、言っていいのかな?

正直うまい言葉が思いつきませんね。

悪くはないんですが。