カランと店のドアに取り付けられた鐘がなった。
 慌ててそれまで読んでいた本を置いて接客に出た。
 実は少し本の続きに心残りがあるが何よりもまず仕事である。

(……楽しみは後に取っとっておくのもいいよね)

 そう自分を納得させ仕事に戻る。
 うん、雪に閉じ込められたペンションで起こった連続殺人事件の真相は次の休憩時間までお預けにしておこう。
 ……多分犯人あいつだし。

 しかし、最近気がついたのだがどうも自分は何かにはまり込むと周囲への注意がおろそかになるようだ。昔では考えられない無用心さである。今も危うく客が来たのに気がつかないところだった。
 この店を建てるときにドアに鐘をつけておいてよかったと心底思う。はっきりいってマスターの趣味だけで取り付けられたこの鐘だが、かなり役に立ってたりするのだ、これが。23世紀になったというのになんとも古臭いことだが便利なのはしかたがない。センサーで知らせることもできるがそんなものは無粋極まりないではないか。シックにまとめられたこの店にはやはり古臭いが澄んだ鐘の音がよく似合う。

 で、その音を響かせて開かれたドアから一人の少女が入ってきた。見知った顔だ。この店の常連の一人である。年の頃はローティーンの終わり頃。少し背伸びをすればハイティーンで通るだろう。 長い黒髪をなびかせたかなりの美少女だ。その身を包むのが地球連合軍の士官候補生の制服であるのがかなり惜しい。別に似合っていないわけではない。むしろ彼女の凛とした雰囲気には合っているのだが、なんかこうしっくり来ない。特に理由はないのだがなんとなく和の気配がするのだ。彼女からは。

(やっぱり着物でも着せたほうがいいんじゃないかな。どうしても武器がいるなら薙刀でも持たせて)

 赤袴に鉢巻をさせて薙刀を構えさせる。
 うん、これがいい。これが正しい姿だ。
 薙刀じゃ銃には勝てないかもしれないがその辺は根性でなんとかしてもらおう。
 この店の常連の彼女の教官にでも……いやそれじゃ無理か、さすがに教官程度じゃ軍の服務規程は覆せない。なら裏で握った情報で将官にでも話を通せば……

 結局客を前に接客もせず物思いにふける彼女に当の客からあきれたような声がかかった。

「何を考えてるのか知りませんが……仕事してくれません? ラピスさん」

「……いらっしゃい。イツキ」

 またやっちゃった、と反省しながらこの店「喫茶ユーチャリス」のウェイトレス兼調理助手兼共同経営者のラピス・ラズリはようやく仕事に復帰した。






後継






「あれ、今日はアキトさんはどうしたんですか?」

 ラピスが作ったサンドイッチを食べ終わったイツキが紅茶のカップを傾けながら尋ねた。
 いつもならこの店にはもう一人の人物がいる筈なのだがその姿が見えない。
 店を放り出すような人物ではないので不思議に思っても無理は無い。

「……今頃気がついたの? イツキ……」

 今度はラピスが呆れた。
 いつもはアキトが作っているサンドイッチをラピスが作った時点で気がついてもよさそうなものだ。
 にもかかわらず食べ終わってから気がつくということは……
 
「よっぽどお腹すいてたんだね……」

 同情の眼差しをおくりながらサービスだよといってクッキーの盛り合わせを差し出す。

「いっ、いえ。別に今気がついたわけじゃ…… それに私はそんなに食い意地張ってません! ヤマダさんじゃあるまいし」

 慌てて否定するイツキ。だが、しっかりクッキーを受け取っている彼女の右手がその言動を裏切っている。
 そこにラピスの止めが襲った。

「これっぽちじゃ足らない? ケーキセット追加する? まけたげるよ?」

 この言葉に思わずうなづいた時点でイツキの敗北が決定した。テーブルに突っ伏す。
 その黒髪の間から白旗が揺らめいて見えるのは気のせいだろうか?

「ま、訓練きつかったんでしょ? イツキも育ち盛りだもんねしょうがないよ」

 イツキは今十四。エネルギーはいくらあっても足りないはずだ。

「うう…… 実は、昼ごはん抜いちゃいまして……」

 その言葉にラピスは敏感に反応した。

「それは駄目よ。ご飯はちゃんと食べなきゃ。まさかダイエット? 駄目駄目イツキはまだ必要ないよ。今からそんなことやってると……成長しないよ」

 視線を顔から下げてまくし立てる。具体的にはまだ慎ましい胸の辺り。

「ほ、本当ですか?」

 思わず尋ね返す。この辺の悩みはこの年頃では深刻だ。解決のためにはなりふり構えない。経験者からの助言は謹聴に値する。
 ちなみにラピスは今二十三。やや背が低いがスタイルは全体的にはスレンダーながらも要所要所は人並み以上とある意味理想的だ。相談者にはまさにうってつけ。
 
「うん、これは本当。実際私の知り合いに一人いたからね」

 イツキは真剣極まりない顔で聞いている。

「その子はダイエットってわけじゃなかったんだけど、食事にあんまり興味なかったみたいでね。小さい頃からジャンクフードとサプリメントで済ましてたんだって。一時期同居人のおかげで改善したんだけど、肝心の成長期に一人暮らし、一人じゃ料理なんてできなかったから結局ジャンクフード漬けに戻っちゃったんだってさ」

「……それで、どうなりました?」

 悲劇的な結末を予想してイツキがこわごわと尋ねた。
 それにラピスは沈痛な顔で頷く。

「貴女の予想通りよ。私の親類みたいなものだったから遺伝的にはそこまで酷くなかった筈なんだけど……」

 口ごもったラピスにイツキが問いかける。地獄の蓋を覗き込むように。

「……A?」

「………………………Aよ」

 長い沈黙後にラピスが答えた後、場をさらなる沈黙が覆った。
 二人で思春期における少女たちの闘争における哀れなる敗者に黙祷をささげる。この闘争においては致命的な数字だった。いろんな意味で。


 ………………………………………………………………………………………………………………………


「…………………というわけだから、ダイエットはやめなさい。しっかり食べて、その分動きなさい。地味だけどね、その地道な努力を怠った者に勝利はありえないわ」

 たっぷり三分の黙祷を終えてラピスが仕切りなおした。
 神妙な顔でイツキが頷く。

(あなたの犠牲は無駄にはしません。だから安らかにお眠りください)

 面識のまったくない犠牲者に深い哀悼の意を示し、

(私は、決して、そっちには行きませんから)

 きっぱりと見捨てる。道連れになんかされてたまるものか。
 薄情? とんでもない。死者の残した教訓を活かすのは生者の義務だ。 

「ラピスさん。ホットサンドのセット、追加お願いします」

「毎度あり♪ ちょっと待ってね」

 お財布の残りは今は考えまい。将来への投資はケチってはならないのだ。
 ……ここなら付けも利くし。

「でも、食べてばっかでも駄目だよ?」

 手際よく作業をしながらラピスが尋ねる。

「あ、それは心配ないです。この後実家のほうに行く予定ですから」

 イツキの実家は道場だったりする。物心ついたときからやっているのでそれなりの腕はしている。
 同年代の子達なら男子にだって負けたことはない。家の流派の技術だけなら師範代より実は上だ。もっとも少々の技術差では体格や力の差、そして経験は埋められない。だから、師範の父と師範代には勝った事がない。今は勝てる男子達にも彼等の体が成長しきる二年後位には追いつかれてしまいうだろう。……そう簡単に抜かれるつもりもないが。
 ま、それはともかく家に帰るということは、道場に顔を出すということなのだ。イツキの場合。
 ただ顔を出すだけで済むまでもなく、腕が鈍ってないか父に試されたり、弟弟子、妹弟子の指導をしたりと結構体力使うのだ。
 この時間なら指導のほうだろうか? ちょうど幼年組が来てる頃だろうし。
 そんなことを考えていると、

「あ、そうなの? じゃ、アキト帰って来れるかな」

 そんなことを言ってきた。

「? アキトさん、家に来てたんですか?」

 実は前述の師範代はこの店のマスター、テンカワ・アキトだったりする。
 この店を開いた十年前に所場代を取り立てに来た‘ある業界’の人間を返り討ちにしてこの町で勇名をはせた人物である。
 その時たまたま店に来ていたイツキの父親が腕を見込んで師範代にスカウトしたのだ。
 ……腕以前に父がアキトを気に入ったというのもある。なにせ父自身も祖父から道場を告いだ際、似たような事をやったことがあるらしいから。
 そういうわけで師範代といっても彼はイツキの家の流派の出ではない。古流柔術を実戦の中でアレンジしたものだそうだ。つまりは我流である。
 もう十年も師範代をやっているのでカザマの流派も一通りは身に着けているが、やはり本質は異なるのだそうだ。実際彼はあまり指導を行わない。此処はあくまでカザマの道場であり自分は異端なのだそうだ。
 なら、何をやっているのかというと主に組み手である。こと実戦形式の組み手では彼に勝てる者はカザマの道場にはいない。
 相手は上級者がほとんどだ。それも本当に敵を倒すことを求められる者達に対してだけ。どんなに技術が高くとも護身術のつもりで習っている者や肉体あるいは精神の鍛錬のために習っているものとは立ち合わない。逆に戦闘に臨むべくして自らを鍛えているものに対しては少々技術が足りなくても相手をしてくれる。
 軍施設の多いこの町とはいえ、この平和なご時世にそんな者達は決して多くはない。
 だから、アキトが道場に来るのは週に2度だけのはずなのだ。そして、今日はその日ではない。

「カザマのおじさんが風邪を引いたのよ……」

 ラピスがため息をつきながら答えた。その目がこの親不孝者と言っている。

「あ、そうだったんですか…… そういえばそういう時期ですね」

 それなら父の代理をアキトが務めるのが当然だ。
 多分また無茶をやったのだろう。自分の歳も考えずに。たまにはいい薬だ。心配する必要はない。
 何せ父がこの季節に風邪を引くのはほとんど毎年のことなのだ。慣れもする。

「でも、今日って確か幼年組の日ですよ。大丈夫ですかね……」

 アキトの指導法は、実戦組み手から何かを学び取れというのが基本なのだが幼年組にそれをする訳にもいくまい。
 そして、アキトは子供に物を教えるのには本質的に向いてない。手加減が下手だし、なにより子供に甘すぎる。
 まあ、そんなこと言ってるイツキもまだまだ子供だが。
 
「うん、多分困ってるね」

 ラピスがくすくすと笑いながら言った。多分はしゃぎまわる子供達にせがまれて困惑しているだろう。どうも子供に対してピシッと叱る事ができないから。
 
「だからさ、早く帰ってあげてくれない? これはそのお礼ってことでいいから」

 片手で綺麗に盛り付けられたホットサンドを差し出し、片手でお願いとサインを作る。

「…………いいですよ。餌で釣らなくても。もともと私の家の事です」

 ちょっと心が動いたのは事実だけど。
 さすがに580円でプライドは売れない。これでもカザマの一人娘だ。

「そ、ありがとうね、イツキ。よかった……ジロウにも頼んだんだけど不安だったんだ」

 ……………なんか、聞き捨てならない言葉を聞いた。

「……………今、何て、言いました?」

 聞かなかった事にしたいなあと思いつつも確認しない訳にはいかない。

「? だから、ありがとうって……」

「その後です!!」
 
 思わず絶叫。解っててとぼけてんのか、コラ。

「イツキが来る十分位前にジロウが来たから、ジロウにも頼んだよ。道場に顔を出してアキトを手伝ったげてって」

 イツキの心を絶望が襲った。思わず目の前が暗くなる。希望はたぶん本当に光を放つのだろう。それが失われたらこんなにも世界が暗くなるのだから。
 
「ジロウったらマスターがいるのか!! って飛び出して行っちゃったよ」

 餌がいらないから安上がりだったよ、と気楽にラピスが続けた。

「………………」

 声にならない声で呟く。

「? 何か言った? イツキ」

 不思議そうに顔を覗き込んでくるラピスを、

「何てことをしてくれたんです!!」

 反射的に怒鳴りつけた。

「私達がどれだけ苦労して弟弟子達をヤマダさんの影響から守ってきたと思ってるんですか!!」

 ヤマダ・ジロウ。
 本人は魂の名とかいうものを名乗っているが誰もそんなものは憶えていない。
 イツキと同年齢であり、同じ士官学校に通い、イツキと同じく機動兵器のパイロットを志望している少年。
 トラブルに巻き込まれた所をアキトに助けられ彼をマスターと慕って入門してきたカザマ道場の門下生。
 同年代でイツキの次の実力者。
 ただ…………性格に著しく難あり。

 一言で言うなら熱血少年。
 齢十四にして未だヒーローの幻想を抱き続けている今の世の中の絶滅種。
 真っ直ぐで素直な少年である。
 ただ、彼のヒーロー像が何世紀も前のTVアニメそのものであるのが問題だ。
 完璧な勧善懲悪。正義は勝つの人なのだ。
 悪気がないまま起こしたトラブルは数知れない。

 問題なのは子供達と話が合ってしまうことだ。
 小学校低学年位までの少年達とやたら話が合ってしまうのだ。
 戦隊物、変身ヒーロー、光の巨人に大怪獣、そして止めがスーパーロボット。
 目を輝かせて語り合える。

 そうなれば影響を受けずにいられまい。事実隔離に失敗し彼の影響を受けた舎弟が三人ほどできてしまった。
 これ以上のヤマダ・ジロウ量産は断固阻止。それがカザマ道場上層部の一致した見解だ。
 彼が師と仰ぐアキトも同意見である。
 だが、ただでさえ苦手な子供達の指導をしているところで合流されては……
 アキトに阻止できるとは思えない。

「……すいません。ホットサンド持ち帰りにしてください。それとお勘定をお願いします」

 一刻も早く援護に向かわなくては。

「あ、うん。じゃ、全部で……千円でいいよ」

 その言葉に甘えてまけて貰った。約3割引。端数切捨て。
 さっきまでなら遠慮しただろうが、こんな問題引き起こされたら遠慮する気が残る訳ない。
 むしろ労力的に赤字だ。

「では、また来ます」

 言葉だけは落ち着いているが焦っているのはばればれだ。
 バスケットにつめたホットサンドをひったくるように受け取って飛び出していった。

 圧倒されつつ見守っていたラピスがポツリと呟く。

「……なんか、面白そうね」

 後で時間できたら見に行ってみよっと、と軽く言い放って後片付けを開始した。

 ………実はわざとやったのかもしれない。




「ガァイッ・スーパーーーァッ・アッパーーーーーーッ!!」

 最大音量で己の必殺技の名を叫び、踏み込む。全身のバネを使って地面すれすれから跳ね上がるように拳を突き上げた。
 タイミング、速度、共に完璧。当たれば倒れない敵はいない。拳を放った瞬間そう確信した。
 ‘拳を振りぬいた後’の姿勢も芸術的。
 降りぬいた拳に引きずられるように片足で地面を蹴る。滞空中に半回転して相手に背を向ける。
 点数をつけるなら十点満点で十二点は硬い。
 欲を言えば三回位Hit数が欲しいが、残念ながら人間は空中では踏み込めない。
 拳撃の基本は踏み込みと体重移動。腕力だけで振り回しても何の意味もない。残念だが滞空中ではHit数はかせげない。

(必殺技は一撃必殺ってことだよな)

 そう、Hit数は必殺技の前に乱打系の崩し技で稼いでおけば……

 ほんのわずかの間の滞空時間中にそこまで考えたのだからたいした物だ。
 状況が状況でさえなければ。
 
「……………むやみに跳び上がるなと言っているだろうが」

 その声と共に放たれた拳が彼の右わき腹―多分、浪漫回路の辺り―に突き刺さった。
 次の瞬間、ヤマダ・ジロウは道場の壁にまで吹き飛ばされ、叩き付けられ、二秒ほど重力に逆らって壁に張り付いた後ずり落ちた。



「いいか、今見せたように空中では攻撃はもちろん受身すら満足に取ることはできない。だから、基本的には足を地から離すな。よほどのことがない限りはな。特に相手の制空権内で跳ぶのは自殺行為だぞ」

 立会いを見守っていた子供達がうんうんと頷く。
 誰もヤマダの事を気にしない当たりいいのだろうか? なんというか、こう教育上というより人道的に。

「あと今のを見ていれば解ったと思うが、どんなに威力があっても当たらなければ意味は無い。人間の知覚速度を超える速度で攻撃を繰り出すことは可能だが、放つ前に読まれればそれでも避けられる。よって、攻撃の予備動作は極力小さくしろ。全身、視線気配、あらゆるものを駆使してフェイントを仕掛け敵に次の手を読ませるな。……間違っても決めポーズをとったり、技名を叫んだりするんじゃないぞ。敵に避けて下さいと言っているようなものだ」

「えー、でもTVとかじゃ皆叫んでるよ?」

 六歳位の少年がそう発言した。ちなみに彼の好みは戦隊物だったりする。

「それはあくまでTVだ。まだ解らないかもしれないが、幻想と現実の間の隔たりは果てしなく大きい。その区別はできるだけ早く身に着けたほうがいい。さもないと……」

「……さもないと?」

 息を呑んで問い返す。その答えに、

「ああいう目にあうぞ」

 アキトはそう言って壁際の物体を指差した。

 片足が頭の上に、片手はまだ壁に張り付いている。上半身と下半身が別の方向を向いているし、顔は背中を向いている。
 人間というよりは壊れたマネキンに見えた。各部のパーツは本当に繋がっているのだろうか?

「……うん。努力する」

 神妙な顔でその子は頷いた。一部を除いた残りの子供達もそれに合わせて頷く。
 見せ鞭といえどもその効果は絶大だ。

「それでは、イツキ、次の相手を……」

 脇でラピスの相手をしていたイツキに声をかける。最初は審判役をしていたのだが、ラピスが突然尋ねてきたのでその相手役をしていたのである。

「はい、解りました」

 そう答えて中央に進み出ようとしたイツキを、

「待てーーっ!!」

 暑苦しい声が遮った。
 子供達とラピスがぎょっとして壁際に目を向けた。ちなみにアキトとイツキは驚いていない。脱力しきった表情にやっぱりなと書いてある。

「まだ、まだやれるっ!! もう一回お願いします。師匠(マスター)」

 やや足元がふらついているが、それ以外特に外傷は見られない。
 壊れたマネキンの状態を確認してから三十秒たっていないのだが…… 妖怪め。
 ほら、大半の子供達が怯えているじゃないか。

「………何か、自信なくなってきたな……」

 確かに手加減はしているが、これは無い。常人なら半日は目を覚まさない位の一撃を叩き込んだのに。
 手加減の仕方がまずいのだろうか? そんなことは無いと思うのだけれど。この間、同じぐらいの力加減で絡んできたよそ者のやーさん―その種の地元の人間は彼に近づこうともしない―相手に試したら何か再起不能っぽくなったのだから。 

「……いいか、こいつは妖怪だ。自分達にもこんなまねができるだなんて、絶対に思うんじゃないぞ」

 子供達は震えながら頷いた。
 隔離政策のかいあって彼等の大半はヤマダ・ジロウと接触するのは初めてである。それでいきなりこんなものを見せられれば怯えるのも当然だ。どんなお化け屋敷にも本物のゾンビはいない。

「はっ、はっ、はっ…… この胸に熱く燃ええる魂さえあれば、この程度」

 大声で高笑いしている妖怪は無視。全力で無視。

「……………非常識め」

 それ以外に何を言えと言うのだろうか。

「こんなものはヒーローなら当然!! 行きますよ、マスター!! ガァイ・トルネードォ・クラーー……」

 ダメージなどまったく残っていない。道場の中央のアキトまで一瞬で間合いを詰め、後ろ飛び回し蹴りを放った。

「ーーッシュゥ「……だから」!!」

 インパクトの寸前

「むやみに跳び上がるなと言っただろうが!!」

 下から上に綺麗に振り抜かれた拳に顎を跳ね上げられてヤマダ・ジロウは天高く舞った。




「……‘車田落ち’。まさかこの目で見られるとは思わなかったわ」

 天井の辺りから真っ直ぐに落下したヤマダを見てラピスが感嘆の声を上げた。

「‘車田落ち’? 何ですかそれ?」

「いいの、いいの。解らなくて」

 イツキの疑問をはぐらかす。何世紀も前の漫画だ。今となっては入手も困難。と言うかなんでラピスが知っている。

「でも、本当に大丈夫なの? 何か首い逝ってるっぽいよ、あれ」

 頭から落下して道場の床に垂直に突き刺さっている。
 しかし、イツキは肩をすくめて軽く答えた。

「すぐ復活しますよ。………ほら」

 その視線の先でまた何事も無かったかのようにヤマダ・ジロウが立ち上がる。もちろん高笑いつき。密かに首がちょっと曲がったままだが。

「すごいねえ……」

 なんかもう人類を超越している。いろんな意味で。申請したら新種として認められるかもしれない。

「でも、いいの? 子供達にこんなグロテクスな物見せて」

 下手なホラーよりたちが悪い。何しろ現実である。恐怖の余り辞められてしまってはまずくないだろうか?

「いいんです。恐怖を味わっておく事も必要です」

 それは確かにそのとおりだ。‘恐れ’を知る事は、戦略的な思考には欠かせない。
 だが、与える恐怖の種類を明らかに間違えているような気がする。致命的に。

 そんなラピスをよそにイツキは頷いていた。

「この形にして正解でした。師範代の実力、子供達にもよく解ったでしょう」

 イツキが来てみると、アキトは子供達にじゃれ付かれて困惑していた。
 懐かれてはいるのだがどうも威厳と言うものが足りないのだ。悪く言えば舐められていた。
 それをとめるべきヤマダはと言うと子供達と一緒になって奥義を教えてくれと頼み込んでいた。
 とりあえず全体重を乗せたひじの一撃をテンプルに叩き込んで三分ほどヤマダを黙らせている間に子供達を一喝しておとなしくさせ、この形を提案したのである。
 見取り稽古のついでにアキトの実力を子供達にも知らしめるのが目的だ。
 その目的は十分達成されただろう。
 アキトがヤマダに叩き込んでいる一撃は殆ど殺法クラスである。見ていればどんな馬鹿でもその破壊力は解る。
 これ以後親愛だけでなく敬意と畏怖をアキトは向けられるはずだ。

「でも、何かジロウの方を尊敬の目で見ている子達がいるわよ。三人ほど」

 ラピスが冷や汗をたらしながら指摘した。その視線の先にいるのは五歳から六歳の男の子3人組。彼等は「あにきがんばってください」とか「まだ、まだたてます。たってください」とか「いまこそますたーをこえるときです」と熱い(?)声援をヤマダに送っている。
 なんと言うかかなりやばい。

「……彼等は、手遅れです」

 沈痛な表情で黙祷を捧げ、自らの力不足を嘆く。

「手遅れって……」

「御両親には既に父と私で謝罪に行きました」

 菓子折りを持っていって土下座して謝った。父など腹を切りかねなかった。免れたのはひとえに先方の理解による。
 ……ひょっとしたら菓子折りの底の万札に気がついていたのかもしれない。

「ああなってしまっては時と現実が彼等の‘熱血病’を癒してくれるのを願うしかありません。私達にできる事はこれ以上の犠牲者を出さないように‘病原体’を可能な限り隔離する事だけです」

 ありとあらゆる手段を使って。今まではある程度成功してきた。今回の接触を許した原因は……

「……ごめん」
 
 ラピスには謝るしかない。とくに害意はなかったのだが、それだけではすまない。

「御理解いただけて嬉しいです」

 もうしないでくださいね、と視線で念を押す。

「解った。……でも」

「でも?」

「多分、余り気にしないでいいよ」

「えっ?」

 思いもかけない言葉を聴いた。

「ああみえてジロウは責任感が強いからね。自分の舎弟に無理はさせないよ。だから、たぶん危険は無いと思うな」

 自分自身についてはどんな無理でも無茶でも実行するが、守るべきものが無理をしようとしたなら怒鳴りつけてでもやめさせるだろう。そのあと、その無茶を自分が引き受けるはずだ。俺に任せとけと高笑いしながら。

「それに、今時ジロウの気性は貴重だよ。熱すぎるほど熱いもの。冷め切った諦観なんかよりよほどいい。子供のうちはむしろその方が正しいんだから」

 あの子達は多分真っ直ぐに育つ。ヤマダ・ジロウはその点にかけては一点の曇りも無いのだから。

「ま、ジロウほど極端になってしまったら問題かもしれないけどね」

「だから、それを危惧してるんですってば!!」

「たぶん、それはないよ」

 反論は一言できって落とされた。

「言ったでしょう? ジロウの気性は貴重。幼い頃に誰もが抱き、そして忘れていく物。それを持ち続けられる者はそうはいない」

 誰もが彼のようには成れない筈だ。それほどにそれは困難。もし成し遂げられたならそれはそれですばらしい事だ。

「ま、ジロウもこれからが大変なんだけどね」

 まだ、彼は少年だ。これから世に出、現実の厳しさを知るだろう。その時に彼の真価が問われる。

 彼が、そしてイツキが知る事になる現実は彼等の予想をはるかに超えて過酷だ。
 ……今はまだ世は平穏。だが、それも後わずかの間だけ。それをこの時間でアキトとラピスの二人だけは知っている。 

 その現実を前に敗れ去るか、膝を屈するか、それとも勝利するか、それは彼等次第だ。
 二人にできるのは助言と忠告、そして彼等の主体性を尊重した上での指導。それだけだ。
 それが、時の流れを知るが故に直接の干渉を自らに禁じた二人の精一杯。

だが、それだけで変わる物も必ずあるはずだ。
 そう信じて、アキトは彼等を鍛えている。
 関わるまいと決めて落ち着いた町で出会った偶然には、意味があった筈なのだから。

「……あのままで在れる筈は無いんですが」

「ジロウなら在れそうでしょ? と言うより変わっちゃったジロウは想像できないよね」

 彼はヤマダ・ジロウ、いや‘ダイゴウジ・ガイ’であり続けそうな気がする。どんな時でも全力で、真っ直ぐに。時に敗れ、挫折する事があったとしても、きっとまた立ち上がる。きっと。

「そのための力を、今身につけようとしてるんだよ。たぶん、無意識に」

 だから、

「ジロウはきっと強く成れるよ。私達なんかよりも、ずっと、ね」

 早すぎるさよならはもう無い。
 今の時点でも殺意を感じれば体が動く。アキトは、その程度には鍛え上げた。相手がプロならともかく素人なら、不意を討たれても最低急所をはずすぐらいはできる。あの場は生き残れるはずだ。この‘ダイゴウジ・ガイ’ならば。
 その次のステージは彼をどう成長させるだろうか。そして、それは未来をどう変えるだろうか。
 自分達がなしえなかったハッピーエンドを、作り上げる事はできるだろうか。彼が憧れるヒーローのように。

「………なんで、そこまで………」

 信じられるのだろう。

「ただの希望よ。そうあって欲しいというね。自分達の、‘後継者’達への」

 果たせなかった願いを託す者達への。

「………羨ましいですね」

 それはイツキの本心だった。
 アキトとラピス、幼い頃から教え、導いてくれた二人。どう言う訳かは知らないが初めて会った時から不思議と二人はイツキとジロウを気にかけてくれた。特に何かを強いはしなかったが、ただ道標として在ってくれた。それを目指したのはイツキとジロウだ。
 他人なんか知らないと言いつつ目の前で事件が起きると必ず助けに飛び出していくアキトも、それを苦笑して見守りつつも影で支えるラピスも、二人の憧れだったのだから。
 その彼等からの期待を受けるヤマダ・ジロウが、心底羨ましい。

「何言ってるのよ。イツキもよ。言ったでしょう? 後継者‘達’って」

 その言葉に、固まった。欲した言葉を余りにストレートにぶつけられて。

「私は、ヤマダさんのようには……」

 咄嗟にでたのは否定の言葉。かけられた期待は大きすぎ、重かった。たとえ望んだ物だとしても。
 まして、自分はヤマダ・ジロウほど純粋ではない。

「それでいいのよ。ジロウはジロウ。イツキはイツキ。私達が貴方達に望むのは、何よりも貴方達が‘自分らしく’在ってくれる事なのだから」

 それで、それだけでいいのだ。他の事はきっとその後についてくる。

「それに、やっぱりジロウにはフォローする人材が必要なのよ」

「……確かに。って私にその役をやらせるつもりですか!?」

 納得し、その後でその言葉の意味に気がついて思わず声が大きくなった。感動もちょっと横に置いておく。

「そ、ジロウがアキトの後継なら、イツキは私の後継。それじゃ、不満?」

「いえ、そんなことは無いんですが……」

 そう、不満は無い。望んだ物だ。欲した物だ。彼女の‘後継’の座は。
 だが、その困難さを思いやると嘆息を禁じえない。

「せめて、アキトさんぐらいに落ち着いてくれればいいんですが……」

「……解ってないわね、イツキは。アキトのほうがよほど頑固よ。ジロウのほうが制御しやすいわ」

 思わずでた愚痴に、ラピスが突っ込んできた。

「まさか……」

「事実よ。どれだけの愚行か理解していて突っ走るんだから始末に終えないわ」

「う」

 確かに思い当たる節はある。

「だから、今の段階で根を上げないでよね。これからもアキトが鍛える以上、貴女の苦労は増える事はあっても減りはしないわよ」

「…………はい」

 頷くのに決意が要った。むしろ世界を敵に回すほうが楽なんじゃないだろうか? この役目は。

「はい、はい、深刻にならないの。思わず話しちゃったけどまだまだ先の話なんだから。今はジロウに追いつかれないように修練に励みなさい。うかうかしてるとすぐに追い越されちゃうわよ」

 その言葉は聞き捨てならなかった。

「馬鹿にしないでください。まだまだあんな力押しには後れを取りません」

 技術的にはイツキのほうが遥かに上だ。指一本触らせること無く完封できる。

「技ではね。でも体力と力ならもうジロウのほうが上。ジロウがなりふりかまわなかったら互角だと思うけど?」

「………」

 言い返せなかった。それは自分でも薄々気がついていた事だったから。
 
「でもね、機動兵器戦なら話は別」

 うつむいたイツキにラピスが続けた。イツキがはっと顔を上げる。

「機動兵器なら操者の力は関係ない。同一の機体なら操者の技術と精神力で勝敗は決まる」

 そこに男女差は無い。長期戦になれば体力が関係するがそれなら短期で決めてしまえばいいのだ。
 そして、IFSは操者の技術を機動に反映させることを可能にする。

「デルフィニウムじゃまだ無理だけどね。できるよ。あと一、二年で。完全に、人型の機動兵器が」

 それでなら、イツキも戦える。守られる存在ではなく。対等な戦友として。

「……どこでそんな情報仕入れてくるんです? 何時もの事ですが」

 励ましに感謝しつつも疑問は消えない。次期主力兵装、機密中の機密のはずだ。

「内緒♪ で、どうする? そういうわけだからもう生身なら負けてもかまわない?」

 唇に人差し指を当てていたずらっぽく続ける。そういう仕草が妙に似合うのだ。悪戯好きの小妖精(ピクシー)がそのまま大人になったような人だから。

「……まさか、そんなに簡単に追いつかれる気はありません。割と負けず嫌いなんですよ、私」

「そ、じゃ、行ってらっしゃい。ちょうどいいタイミングみたいだしね」

 見ればちょうどジロウがアキトに吹き飛ばされたところだった。飛んでくる方向は此方。二人のすぐそばの壁にぶつかって沈黙する。見る限り満身創痍。どうも回復し切れなかった分が蓄積しているようだ。

「よし。今度こそ、立てないだろうな」

 アキトはそんなことを言っている。

「ひょっとして本気でやった? アキト?」

「い、いや、そんな事は無い。……ちゃんと急所ははずした。…………ほんの少し」

 じと目で視線を送ったラピスにアキトが慌てて弁解する。ただ、成功しているとは言いがたい。

「まったく負けず嫌いなんだから。教え子相手にむきになってどうするの」

「……すまん。つい」

 ちなみにこの二人、主導権は完全にラピスにある。ラピスが強いと言うよりアキトが弱いのだ。

「ま、いいわ。じゃ、イツキの相手をしてあげて。せっかく道場に来て私の話し相手ばっかりさせておくのも悪いしね」

「そうだな。じゃ、イツキ、前に出ろ」

「はい、お願いします。師範代」

 そういってイツキが立ち上がりかけたところで

「待てーーっ!? ……グフッ」

 暑苦しい声が上がりかけたがその途中でイツキの踵がその顔面に落ちた。
 よし、これで五分ぐらいは沈黙しているだろう。
 何か顔面がへこんでいるように見えるのは気のせいだ。……多分。

「では、お願いします」

 何事も無かったかのように道場の中央に進み出て、礼をし、構えを取る。

「あ、ああ。いくぞ、イツキ」

 そういってアキトも構える。

「はいっ!!」

 その言葉と共にイツキはアキトに向かって掌打を繰り出した。







 月が真円を描いていた。
 天には雲ひとつ無く、月光が冴え冴えと闇夜を照らす。
 南の空に昇ったオリオンもその光の前に押し負けている。
 プレアデスの乙女を追い詰めた狩人も月の女神―ダイアナ―の前には形無しのようだ。

「すっかり遅くなっちゃったね」

 アキトの左腕にしがみつく様にして隣を歩いていたラピスがそう声をかけた。

「そうだな。つい飲みすぎてしまった」

 稽古が終わったのが七時前。それで帰るつもりだったのだが、イツキの母親に夕食を食べていかないかと誘われた。
 せっかくなので好意に甘えたがその後が問題だった。
 同じように夕食に呼ばれていたジロウとイツキの話に耳を傾けていたら、風邪で寝ていたはずの師範―イツキの父―が起き出し て来て話に加わってきたのだ。ちなみに熱は夕方には下がっていたらしい。大事をとったそうだが、その所為で退屈で死にそうだ ったらしい。どうもじっとしているのが苦手な人なのだ。
 最初のうちの話題は、ジロウとイツキの成長具合とか店の近況とかだったのだが、次第に方向がずれ始めた。多分、酒が入った 所為だろう。ちなみに止められる人材はカザマ家にはいない。夫婦そろって酒飲みなのだ。アキトとラピスはもちろん未成年のジ ロウとイツキまで巻き込まれた。
 終わってみれば十一時を回っていた。イツキとジロウは酔いつぶれ、アキトも眠りこけていたところをラピスに起こされた。こ う見えてラピスはけっこうな酒豪である。一時間近くカザマ夫妻と延々と飲み続けていたらしい。
 この際泊まっていけと言われたのだが明日も店を開けなくてはならないので断った。ユーチャリスのモーニングは結構好評で二 人の朝は早いし忙しいのだ。

「私は楽しかったけどね。アキトちっとも付き合ってくれないし」

「酒には弱いんだから仕方が無いだろう」

 ラピスに付き合って飲んでいるうちに多少は強くなったがそれでも日本酒二合がやっと。一升瓶を開けてもけろりとしているラ ピスとは次元が違う。

「まあ、いいけどね。真っ赤になるアキトもかわいいから」

「……十二も年上の三十路男にかわいいはないと思うが………」

 情けなさそうにアキトは言うがラピスには通じない。 

「私にはかわいいの。それでいいじゃない」

 そういって笑う妖精に反論などできるはずも無い。

 しばらくそのまま寄り添って歩いた後、不意にアキトが表情を改めた。

「今日、イツキと話をしていたな?」

「うん」

「どこまで?」

「何も。ただ希望を告げただけ。ただ、それだけよ」

「そうか」  

 ラピスは誓いを守った。十年前二人で決めた誓いを。だが、それをこれからアキトは破る。

「………なあ、ラピス」

 躊躇いの後空を見上げて声をかける。

「何?」

 ラピスは笑顔。これからアキトが何を言い出すかは解っている。ずっと前、それこそ十年前から予想済みだ。

「あの二人、死なせたくなくなったといったら、反対するか?」

 十年前、この時代にジャンプアウトした二人はある誓いをたてた。散々迷った末に。
 時の流れを知り、ユーチャリスとサレナという実戦力まで保有していた二人は歴史への不干渉を決めた。
 時の流れを知る以上何をやってもそれはじゃんけんの後出しだ。そして、未来の兵装たるユーチャリスとサレナはこの時代では 圧倒的過ぎる。ディストーション・フィールドを貫けるものは無く、グラビティ・ブラストを防げるものも無い。思うが侭に歴史 を操作できただろう。だからこそ、二人は不干渉を決めたのだ。
 上位の立場から人の運命を操る事など望みはしなかったから。
 それに、変えたくない歴史もあった。
 アキトにとってナデシコでの思い出は捨てられないものだったし、ラピスはアキトに出会えただけで充分だった。
 歴史の改変はそれを‘今’の自分達から奪ってしまう。
 その権利は自分達には無いと思った。
 結局、この時代はこの時代の人の物だ。異邦人たる自分達が変えていいものではない。
 その時は、そう思ったから。

 だから、ユーチャリスとサレナを封印し地球に下りた。
 咎人の自分が日常を送る事に罪悪感はあったが、敵も無く、追う者もいなくなってなお戦う気はしなかった。
 アキトが逃げ続けていたのは彼が帰る事により周囲を巻き込むのを防ぐためでもあったから。この時代では追う者どころか彼等 を知る者すらいない。A級ジャンパーとマシンチャイルドという二人の持つ力すら認識されてはいない。使いさえしなければ、そ れを狙われる心配も無かった。
 生計を立てるために小さな店を買い、喫茶店を開いた。ラーメン屋にしなかったのはアキトのこだわりだ。あのレシピは‘あの 時代のホシノ・ルリ’のものだから。

 そうやって始めた生活の中で出会ったのだ

 ヤマダ・ジロウ
 イツキ・カザマ

 共に本来なら死ぬ運命にあった二人に。まったくの偶然に。

 二人は自分の知る人達との接触は注意深く避けていた。
 同じ顔、同じ声、同じ性格。それでも彼等はアキト達の知る彼等ではないのだから。共に過去を共有してはいないのだから。そ して、‘今’の彼等にとってそんなものは関係が無いだろうから。
  
 そう考えていたのだが、偶然とは恐ろしい。
 ショバ代を取り立てに来たやくざを返り討ちにしたら師範代にスカウトされ、断りきれずに引き受けたらそこはイツキの実家だ った。
 無茶をしていた少年を思わず助けたら当時十歳のジロウだった。
 それだけで、歴史は多分変わってしまった。

 ジロウはアキトに心酔し、カザマの門下生となりイツキに出会った。勢いだけで生きてきた少年は師を得て、競い合う相手も手 に入れた。当然身につける物も以前とは違う。
 士官学校に入るというイツキに触発されてジロウも士官学校に入った。機動兵器のパイロットになるには確かにそれが最善だっ たから。アキトに諭され専門の訓練の必要性も理解していた。
 技も見よう見まねの必殺技だけではない。こだわりから普段は相変わらずだが、本当に切羽詰ると自然に体が反応する。その時 にでるものに虚飾は無い。そこまでアキトは鍛え上げてしまった。
 いつしか思ってしまったのだ。自分を師と慕うこの少年にあんな最後は迎えさせたくないと。せめて、あの時をしのぎきるだけ の技術は与えてもいいだろうかと。
 おそらくその時に誓いは破られていたのだ実質的には。
 アキトの思いにジロウは答え、それ以上を学び取っていった。イツキも相乗効果で腕を上げた。
 彼等は‘アキトが知っていた’彼等とは別人だ。彼等は‘この時代で生きた’アキトとラピスがこの時代で出会い、育てた教え 子達である。だから、思いを託した。この時代で得た彼等の後継者に。
 だから、死なせたくは無い。たとえ誓いを破っても。

「まさか。よかった。私から言い出さないといけないかと思った」

 ラピスが微笑んで告げる。実際結構やきもきしていたのだ。そろそろ動きださないと間に合わないかもしれないから。

「それは、悪かったな。すまん」

「ま、実は情報収集はしてたんだけどね。ずっと前から。ダッシュに頼んで」

 ぺろりと舌を出しつつ告白する。

「……いつから」

「実は最初から」

 まったく悪びれたところは無い。
 ダッシュはユーチャリスト共に眠りについたはずだった。
 彼が起動している以上ラピス・ラズリに破れない防壁など存在しない。
 
「お見通しか……」

「そういう事。正直言ってこんなにもつとは思ってなかった」

 もって二年。それがラピスの予想だった。アキトにはじっとしている事なんでできないと解っていたから。
 意外と長くこの生活は続いたがそれでも結局はラピスの予想通りである。

「……そうか。そうだな。よくもった。自分ながら」

 それは、多分あまりにこの生活になじめたからだろう。ただ穏やかで優しい毎日に。それは二人が最も望んだものだったから。
 だから、それを守るためになら、今一度戦場にも戻ろう。

「ラピス。エステのシュミレータープログラムを組んでくれ。俺はそれを使ってあの二人に機動戦闘を仕込む」

 それが第一歩。これまであくまで守り続けた喫茶店のマスターと言う形を捨てる。あの二人が生き残るために確実に必要なスキ ルを身につけさせるために。

「解った。明日にはできるよ。問題はシュミレーター本体だね。処理速度もある程度要るし……」

「貯金もだいぶたまったからな。ヴァーチャル・システムでも買うさ」

 かなり高価だが一般人でも買えないものではない。

「でも、処理速度が……」

 戦闘処理のデータは膨大だ。今の時代でなら軍のホストコンピュータークラスが必要だ。さすがにそんなものは買えない。

「それはいい。ボソン通信で端末とダッシュをリンクさせろ」

 そうすれば、殆ど不可能はない。オモイカネシリーズを使ったヴァーチャルはほとんど現実と変わらない。

「開き直ったね、アキト。ジロウはともかくイツキは不審に思うよ」

 士官学校でも二人はシュミレーターに触っている。だから気づく。軍の物と一介の民間人の有する物、そのどちらが高度なもの なのか。
 そして、当然知るはずだ。アキトとラピスが一介の民間人でなど無い事を。

「それぐらいの信頼は得ているさ。ここで疑ってはむしろあの二人に失礼だ」

「そうだね」

 ジロウは多分疑問にも思わない。さすが師匠だと感嘆するだけだ。そして、イツキも疑問に思いつつも秘密は守ってくれる。そ れだけのものは積み上げてきた。

「他にはどうする?」

「必要以上の干渉はやはり避けるべきだ。俺達は所詮個人。国家間の戦争は止められんよ」

 すべての技術と力、知識を公にすれば可能かもしれないが、そうすれば二人はまた追われる事になる。そんな自己犠牲などする 気は無い。

「そうだね。じゃ、どうする?」

「具体的には何もしないさ。二人に任せよう。そして、今のナデシコに」

 あの二人を得たナデシコがどう変わるかそれが不安であり、楽しみでもある。
 そして、変わった彼らだけがアキト達の知る結果を覆せるだろう。
 枷はむしろアキト達にかかっている。未来を知るが故にアキト達の行動を縛るから。
 アキト達では直前で覆すことしかできず禍根までは立て無い事も、彼等なら根本から引っくり返せるかもしれない。
 その確率に、賭けよう。

「直接介入は一度だけだ。カワサキシティにジンタイプが現れたあの戦闘。あの時だけは干渉しないとイツキは生き残れない」

 パイロットとして有能であるが故に選択する。ジンタイプに取り付いての超接近戦を。それが死に繋がると提示できる条件はそ の時にはない。イツキの死でナデシコはそれを知ったのだから。

「そうだね。警告しても……」

「おそらく信用してもらえないな。正体不明の存在からの言葉を証拠もなしに信じたりするようでは戦場では生き残れない」

 あの状況でイツキの選択は最善手に見えるのだから。

「なら……」

 どうしたらいいのか。

「俺が、サレナで出る」

 その言葉に迷いは無い。

「私は?」

「ユーチャリスは隠しておくさ。サレナだけならまた『幽霊』にしてくれるさ。良識派の人間がな」

 どうせボソンジャンプはあのタイミングで明かされる。なら、それを隠れ蓑に利用するまで。

「そうだね。後は?」

「後は終戦まで裏方に徹しよう。彼らが自由に動けるようにお偉方でも相手にするさ。影でな」

「じゃ、今から弱み集めとくね」

「ああ、頼む」

 直接彼らがゆする必要は無い。ネルガルにでも匿名で垂れ込めばいいのだ。あとはこの時代のエリナ、アカツキが何とかするだ ろう。

「後は、終戦後に考えよう。どんな結末を木製戦役が迎えるかそれを見届けてからでいい筈だ」

 賭けに勝てるなら、その時には見知らぬ未来が待っている。その時になら枷も消える。

「うん。私もそう思う」

 その後しばし沈黙が続いた。

「……どうなるかな」

 不安はやはりある。事態が悪化する可能性も決して低くは無い。戦時には、思いもかけぬ出来事が起こるものだから。嘗て、そ うだったように。

「解らない。信じるだけかな?」

 結局二人も同じ。自分の選択を信じて、行動することに変わりは無い。未来など見ていない人々と同じように。

「だな。できたら、また喫茶店のマスターに戻りたいな」

「私もウェイトレスに戻りたい」

 そういって笑いあった。
 未来からの逆行者が望むには余りに小さい望みに。

「戦争が終わったらジロウとイツキにつれてきてもらおうよ。私達が知らない皆を。私達の店に」

 その時になら会える。この時代に生きる者として。
 ルリにも、ユリカにも、エリナにも、イネスにも。自分達自身の違う可能性にさえ。
 そして名乗ろうジロウとイツキの師匠だと。その立場で再びあの輪の中へ。

「入りきらないぞ」 

「いいじゃない。席も料理も取り合ってもらえば。あぶれたらカザマ道場にでも行って貰えばいいんだし」

 とにかく会いたい。招待者としては失格かもしれないけれど、それぐらいは願ってもいい筈だ。

「そうだな。パーッとやるか」

「うん」

 その日を楽しみにこの手に再び剣を取る。
 希望の白剣と呪いの黒剣を、自らの意志で。
 未来を託した後継者を死の運命から守るために。
 彼らが作る未来をこの目で見るために。
 もう一度、彼等と共に夢を見よう。
 仲間達に囲まれて笑いあって生きていける未来の夢を。
 嘗て実現できなかったその夢を、今度こそつかむために。










後書き


 どうも、お久しぶりです。第十三作です。
 ナデシコの新作は、えーと九ヶ月ぶりですか……
 遅くなって申し訳ありません。いやもうなんか書けなくて。

 戦犯はゼノサーガUと幻水W、ドラクエ[にスパロボMX、FEの聖魔、あとPCがいくつか(汗)
 あ、PS2のデモベもやった……

 ようするにゲームしまくってました。よくやったよな自分ながら……

 一応書こうとはしてたんです。完成しなかっただけで。プロット三個ぐらいは後書き出すだけだったんですが、なんかきっちり 決めちゃったら逆に書き出せなくて。行き当たりばったりのほうが書きやすいんだからまずいですよねえ。うう、未熟。


 反省はこれぐらいにして今作の話を。

 最初の動機は単純でした。今までに使ってないキャラを使うと言う趣旨でガイを選んだだけです。
 このタイプはまったく書いたことが無かったので。彼を使えば熱血が少しは解るかなあと。どうも私冷めた所がありますから。

 で、すぐ挫折。いや、シリアスならともかく日常パートでガイをメインで使うと際限なく暴走しますね。シリアスがギャグに侵 食されるという経験を初めてしました。メインと視点を切り替えて修正しましたがそれでも痕跡があちこちに……
 ダイゴウジ・ガイ、恐るべし!
 そこで師弟を直接書くのではなく、それぞれの相方をメインにして間接的に書いてみました。


 そういうわけでメインはラピスとイツキです。
 今回のヒロインのキャスティングの理由は、

 まずラピス。
 彼女は実はルリやユリカでも別にいいんですよね。彼女ならではのエピソードは今回ないです。ただ、アキトと一緒に逆行する のにもっとも自然だったんです。ルリやユリカだと逆行前にアキトと合流するためのシーンが要りますが、今回のテーマにはその シーンは要らなかったので、それが必要ないラピスになりました。
 それだけではあんまりなので、成長させてみました。人当たりもよくなってすっかり近所のお姉さんになってしまい。いっそ教 師でもやらしてやろうかとチラッと思ったのは秘密です(爆)ギャルゲーじゃ無いんですが、必須キャラとして混ぜても違和感無 いかも…… 電波の所為でスタイルよくなってしまったし(笑)
 
 次にイツキ。
 彼女はガイと同じくTV本編で死亡するキャラでガイの相方になりうるキャラを探したら一人しかいなかったんです。別に親友 でもよかったので男でもよかったんですけどねえ。意外と死んでないんですよナデシコって。さすがに九十九は使えませんし。 
 使ってみてその便利さに驚きました。設定は殆ど無いから好き勝手やらしてもらいました。一応ゲーム版であるみたいですが選 択肢ごとに変わるような設定なら尊重しなくてもいいでしょう。いや、実際彼女でなければガイとアキトをうまく出会わせられな かったでしょうね。世のSSで増殖している理由がわかりました。
 
 しかし、メインのヒロインが二人ともほぼオリキャラ。……まずかったかなあ。やっぱり。
  
 
 最後に決まったのがテーマ。
 ……この時点でなんか致命的に間違ってますね。普通最初に決めるものです……
 キャラを動かした結果なんですけど……
 「異邦人に戦う理由を与える」です。
 まあ、決まってみるとテーマ自体は前々から書いてみたいものだったのでラストは割とすんなり書けました。
 ただちょっとそのラストが不満。
 ちょっと理想的過ぎた様な気がします。現実的に対処させるならもっと干渉させないと駄目でしょうね。ただ、極力干渉させた くなかったんです。この二人、直接干渉させたら強すぎますから。
 理想と現実で折り合いをつけさせて、この辺で落ち着いたんですが、どうでしょうか?


 長々と解説してみました。
 全部読まなくてもいいですよ。言い訳が殆どですから(切腹)
 ……ブランク意外と大きかったです。
 それでは、長くなりましたがこのあたりで
 乱文失礼いたしました。
 


 

 

感想代理人プロフィール

戻る

 

 

 

 

 


ゴールドアームの久々の感想。

 すっかり年一作家と化しているゴールドアームです。
 久々の夕瞬さんの新作。うん、すっきりきれいに決めてくれています。
 今回、以前より夕瞬さんの弱点だった「構成の弱さ」がだいぶ払拭されている気がします。そのせいで本来大きな事件も山場となる展開も無い物語に、心地よい起伏が付いています。
 特にOPでいきなり『ラピス23歳』と『イツキ14歳』をぶつけたのが秀逸。ここのSSを読みつけている読者ならすぐに「ずいぶん昔に戻っているなあ」と考えるでしょうが、それをふまえてさえ、実にいい感じの意外性を出すことに成功しています。
 そして細やかな描写で日常を綴ってゆき、ラストにアキトとラピスが己の思いと共に物語全体の構成を明かしていく。
 文句の付け所の無い構成です。
 長いブランクも、いい方向へ働いたのかも知れませんね。この場合、ブランクというより、熟成といった方がいいかもしれません。
 夕瞬さん自身が、成長するという意味での。



 細かい問題点はいくつかあるでしょうが、この作品のバランスを考えるならば、細かいところに気を遣うより全体としての妙を取るべきだと思います。よって注文は無し。
 これからも頑張って面白い作品を書いてください。

 ゴールドアームでした。


PS 1カ所だけ明らかに句読点のおかしいところがあったので直しました。