>interlude 2-1

 人は成長しながら、少しずつ変わっていく。
 ほんの僅か、目に入っただけの光景、それに大きく人生を変えられる事もある。だが、人生を変えるものに出会うのではなく、人生を変えてしまうものに出会ってしまったのなら、それは不幸でしかない。
 間桐桜にとって、それまでの自分を壊してくれるものが衛宮士郎と彼を取り巻く人々とするのなら。彼女を壊してしまうものは祖父、間桐臓硯……いや、魔術師マキリゾウケンに他ならない。

 朦朧とする意識の中、彼女は祖父の声を聞いた。
「ふむ…いまだ熟しては居らぬが、これなら術式に耐えられよう」
 一糸纏わぬ肌の上を撫でつける手。それはいやらしさなど微塵も感じさせぬものであるが故に、彼女に自分がただの実験動物と同列の存在である事を、容赦なく思い知らさせる。性的なものを感じさせるのなら、嫌悪を感じるだけで済むというのに。
 桜はやはり朦朧とする意識の中、新たな声を聞く。
「醜悪な光景よな、魔術師殿」
 父は死んだ。
 兄は死んだ。
 祖父は眼前にいる。
 ならばここにいるのは一体何者か。
 それを考える事さえ出来ずにいた。
「亡霊の分際で何をぬかすか、アサシンよ」
「この身はサーヴァントではない。単なる亡霊であると言うたは魔術師殿ではないか。なら何故私をアサシンと呼ぶ」
「名無し、では味気ないからのう」
「それも悪くない。生前の名など忘れているからな。……だが話を逸らしてほしくはない。その女子、魔術師殿の孫娘であろうに、何故その様な真似をするのか」
「魔術の秘奥。そうとしか言えんよ。……だがアサシンよ。忘れるな、わしに逆らえばおぬしなど一瞬で消えるのみ」

 アサシン。
 主君に仕えることの出来なかった彼は、それゆえにただただ剣の腕を磨きつづけ、最後には柳洞寺に葬られた。名も無き剣豪にして、実在するかどうか分からぬ『佐々木小次郎』の技を再現できるが故にそう呼ばれた事もある侍。
 生前主君に仕えられなかった彼は、死後においても主君を持つことが出来ずにいるのか。

 その懊悩など構う事無く、ゾウケンは桜の胸の中央、心臓の上を触れる。
 早く芽吹け、早く生まれいでよ、そして叶えよ。
 そう、狂気だけの目を向けて。

「桜、お前は聖杯なのだ……我が願いをかなえる、万能の釜となれ……」

>interlude out


Fate偽伝/After Fate/Again―第2話『赤い騎士、再び』


 背中を滑り落ちる冷や汗。
 それは、目の前にあるのが衛宮士郎にとって『絶対的な死』が具現したものであると判断したからだ。
 状況ここに至っては、理由も原因も必要が無い。
 生き延びるためにはどうするか、それを模索し、作戦を構築し、そして実行するだけだ。
 彼我の戦力差は絶望的。
 長引けば、朝食を食べに藤ねえや桜やイリヤが来る。そうなったらアーチャーは三人にまで手をかけかねない。最悪の場合……俺が死ねば、あの三人に迷惑は……違う。
 死ねない。
 殺させない。
 俺は、生きる。
『シロウ、貴方を愛している』
 真っ直ぐに俺を見た彼女に並ぶ為に、向かい合える自分になるために、後悔の無い死に挑む為に。

 俺に勝ち目は無い。
 だが負けない、負けてはならない。
 強化では勝てない。
 なら、投影しかない。
 サーヴァントとして召還される程の英霊。
 それに追いつく為には、同じサーヴァントが持ちうるほどの武器を…宝具を投影するしかない。あの時、アインツベルンの森で為しえたほどの、奇跡にも近い強大な力を……
 クツクツと笑うアーチャー。嬲るような目を向け、
「覚悟を決めたようだな。では何を投影する? 聖剣の鞘を失ったお前だ、分を超えればそれだけで自滅するるぞ」
 なんて言いやがった。
「ああ、確かにお前は騎士王の石の魔剣(カリバーン)を投影した。それは誉めてやろう」
 だが、と。
「その反動を受けてどうなった。それにお前は戦うものでは無い。死ぬ方法が変わるだけだ。自滅か、私に殺されるか」
 真っ直ぐに、俺に死の恐怖を与える為に殊更ゆっくりと歩いてくる。
 その手に、陽剣干将・陰剣莫耶を手にして。

 チッ。
 干将が寝巻きごと俺の体を掠めていく。
 布地が派手に裂け、その下は切られた皮膚だけが一拍遅れて派手に血を吹き出す。
 チャッ。
 喉を裂こうとする莫耶を、腕一本犠牲にする覚悟で差し出す。
 しかし、やはり莫耶は俺の皮膚だけを掠めていく。そうして溢れる血は、皮膚だけを切ったとは思えないほどに多い。
 必死になって逃げると、物干しが目に付いた。
 竿を手に取り強化を施し構える。上手くいった、一瞬で――
 カラン!
 手元からばっさりと切り裂かれた物干し竿が地面に落ちる。
 七度の斬撃。
 胸の中心、両脇腹、両腕、両足。
 その全てが皮膚を掠めるだけの物であり、出血を増やす為の物であり、致命傷を与え敵を倒すのではなく、体力を奪ってじわりじわりと殺すための剣だ。

 朝とはいえ既に夏、暑さを感じるはずの体は既に凍えそうになっている。手足は震え、耳鳴りが聞こえ、視界にもやが入る。
 死ねない。
 殺させない。
 俺は生きる。
 こんな、簡単に分かる剣筋なんて避けきって――簡単に、分かる?
 あのランサーとやりあったアーチャーの剣筋が、分かる?
 校庭で見た、あの光景がこの現実を否定する。衛宮士郎には見る事さえ困難な剣筋が、分かる事などありえない。
 では何故見えるのか。
 違う。
 見せようとしているとしか思えない。

 怒りと悔しさと恐怖と、かつてこの男の意思に抱いた尊敬の念さえも叩き壊す為に――俺の意思の中に、ガキンと、撃鉄が落ちた。
「―投影、開始(トレース、オン)
 必要なのは武器。
 最低でもアーチャーの剣と同等以上のものを作り出さなければならない。ならば何を造れば良いのか。
 あの剣が他の宝具に比べて数段落ちる存在である事などわかりきっている。だがだからといってそれより強力な宝具――例えばセイバーの剣――を投影すれば、自滅する事は分かっている。
 ならば造るのは最低限でもアイツの剣、干将と莫耶だ。
 アインツベルンの森で投影を行った時、辿り着いた八節の思考、投影の極意。
『創造の理念を鑑定し、
 基本となる骨子を想定し、
 構成された材質を複製し、
 製作に及ぶ技術を模倣し、
 成長に至る経験に共感し、
 蓄積された年月を再現し、
 あらゆる工程を凌駕しつくし、
 ここに、幻想を結び剣と成す』
 ――解析した中に存在する、双剣に秘められた情報、成長に至る経験、蓄積された年月。
 剣の中に秘められた使い手の意識、眼前の干将莫耶に宿る、使い手たるアーチャーの技、それを引き出せるはずだ。

「私の剣を投影したか。だがそれでどうにかなると本気で思っているのか」
「…いや。時間稼ぎにもならない事くらい分かっている」
「有効ではないが正しい判断だ。決定的に一つ間違えているが」
 何を言おうとしていたのか、それは聞き取れなかった。
 ザ、バッ!
 足元の土がめくれる音がして、次の瞬間には斬撃が駆け抜けていた。
 次いで、崩れた体勢を体当たりで弾き飛ばす。単純な戦法であるが、それ以上にこの体がそれを覚えていた。踏み込みのタイミング、剣のタイミング、崩し方、そして体当たりまでの一連の動きの癖そのものに覚えがある。
 この動き――まさか!
「!!」
「そう。お前がセイバーにつけられた稽古、彼女の動きだ」
 確かにあの時、こいつは家の屋根の上で見張りをしていた……けれどここまで再現できるものなのか?!
「アーチャー、お前一体…」
 アーチャーはその問いに答えず、全く別の言葉を切り替えしてきた。
「守護者はあらゆる時代に呼び出される。そう、あらゆる時代にだ。ならば『これから衛宮士郎が行う事実』を知るものが、それを防ぐために過去において抹殺を謀る。別におかしな話ではないだろう。それが歴史にどう影響を与えるかなど、知った事ではない」

 過去の改竄。
 そんな意味の無い事をする為に、アーチャーは此処に現れたのか。
 過去。
 改竄。
 あの時教会の地下で見た光景。
 セイバーの選択。
 過去の、改竄。
 ふざけるな。
 そんな物を許せるか。
 見えるのなら、追いついてやる。
 アーチャーの剣を見る。
 速さではセイバーの剣に及ばず、力ではバーサーカーに及ばず、鋭さではランサーに及ばず、技ではアサシンに及ばない。だが、そんなものでは計れない。この男の力はそんなものではない。
 勝つ。
 負けない。
 ただそれだけ。
 ただ強い。
 まるで、体が剣で出来ているような、確固たる強さを――!!

 だがそれがどうした。
 俺は、こいつを許せない!!

 ギンッ!
 根っこからへし折れた。
「…けるな…」
「ほう?」
 ギャンッ!
 捻れるほどの衝撃に手元から飛んでいく。
「ふざ……な」
 ガォンッ!
 粉々になって撒き散らされる。
「…ざ…るな」
 ギャォン!!
 一度目は火花を散らし、
 ギギィン!
 二度目は耐え切れずに崩れてしまう。
「…ふざけるなっ!」 
 アーチャーはその言葉をどう捕らえたのか、手を伸ばせば互いに首を切れる位置に立ち、
「ふざけてなどいない。お前に殺すだけの価値をつけようと思っただけだ」
 そう言った。
 互いの手にある干将莫耶は一瞬だけ拮抗し、俺の干将莫耶は砕け散り、アーチャーの手には、全く別の剣があった。
 見た。
 そして理解する。
 ギリシアの英雄ペルセウスが、不死の怪物メデューサの首を刎ねる為に使った剣、ハルペー。
 いや違う! あれは本物じゃない、投影だ!
 けれど……あれは、本物と同じだけの偽物だ。
 あれの能力は…
「そうだ。ハルペーの能力は不死性の剥奪、自然治癒以外の治癒を拒む傷を与えること」
 ぞんっ!
 皮膚を斬り、肉を斬り、血管を斬り、骨を斬った。
 その衝撃に、命その物が吹き飛ばされそうになる。

 何かが…間違っていたのか…?
 なにかが、たりない、の…か…
「間違ってはいないが全ての工程が甘い。自分の魔術の本分も理解できていない。ふむ、これではまだ殺すだけの価値は無いか」
 なにを…い…って…るんだ。
 …あー…ちゃー……
「どうやら客が来たようだ、怪我が治った頃にまた来るとしよう」
 そして意識は闇に落ちる。
 全身に絡みつく死神の腕を感じつつ。

 ……そして。
 理由は分からないけれど、何か、幻を見た。
 ボロボロになって、それでも生きて、殺して、救って、憎まれて、何時までたってもそれを繰り返して最後には殺される、そんな衛宮士郎の幻だった。



>interlude 2-2


 痛み、なんて言葉で片付けられるものでは無い。感覚が欠如するほど、脳が理解を拒むほどのダメージが体にある。それはつまり、まだ死んでいないという事。
「目が醒めたの、シロウ」
「―イリ、ヤ―?」
「動いちゃ駄目! …まだ、動ける体じゃないわ」
「とおさ、か―」
 まぶたは開いているのに、何も見えない。
「今シロウに感覚は殆どないの。治療に邪魔だから一時的に眠らせてあるわ」
「桜や藤村先生には記憶操作を施したわ。――貴方は夏休みを利用して、数日間の旅行に出かけた――そうなっている。だから今は治療に専念して」
「そう、か―」

 その時の衛宮士郎は死んでいたのと変わらない。
 だからこの会話を聞く事は出来なかったし、それが何を意味し、何が始まるのかも理解できるはずはない。

 全身の、特に重要な血管がある所ばかり重点的に治療の施された――そのように狙って斬りつけられた――士郎は、既に血が不足しており、障害が出ないとも限らない。
 だが後遺症の心配をする前に、今はまず命の心配をしなければならない。
 手足を含む末端部の傷は既にふさいだ。だが、一際大きい肩から胸にかけての傷が魔術の治癒を拒む。
「リン、分かっているだろうけどこのままならシロウは死ぬわ」
 イリヤの声は、確定した未来を話すように冷たいものだった。
 人が死ぬ、それはこの少女にしてみれば当たり前の事実であり、実際彼女の手にかかって――もしくは彼女の命令に従ったバーサーカーの手にかかって――死んだものがいる。
 かつて衛宮士郎は致命傷というのも生温い負傷をしておきながら、死ぬことなく勝手に回復した事がある。だがそんな、聖剣の鞘の加護などという例外は関係ない。少なくとも、ライダーのマスターだった間桐慎二は、イリヤの命令でバーサーカーに言葉通り叩き潰され死んだのだから。
「分かってるわ…」
 魔術師である遠坂にとっても、死は身近なものであり取り立てて意識するものではない。

 だが、少女二人にとって、衛宮士郎という人間は、切り捨てるには少々身近すぎる存在だった。
 治癒の呪いを施し、死ぬはずの体を僅かでも生の側に引き上げる。そうするはずだった。
 しかし、その傷は二人の希望を跳ね除けた。
「なんで?! 何で治らないの!?」
 何かが治療の邪魔をしている。
 おそらくは、この傷をつけた何かが魔術的な特性を帯びていたのだろう。
 だが、寸での所で死んでいない。
 致命傷を受けておきながら、魔術の援護も受けられずに、なのに死なない。
「やっぱり何かあるのよ、こいつの体」
 凛には思い至る事があった。
 アインツベルンの森でバーサーカーを滅ぼした石の魔剣カリバーン、その投影の後に発揮された回復力。今なら、バーサーカーに与えられた傷の回復が聖剣の鞘の加護だったと分かるが、あの時の士郎の体の回復は、それとは異なる要因によるものだった。
 その回復力が、今にも死に向かって落ち続けている士郎を救い上げるだけの力を持たないのに、彼の命を繋ぎつづけていく。
「そうだ……くすり……」
「なに、イリヤ! 何か思いついたの!?」
「ううん。…ただ、アインツベルンの城に持ってきた薬…何かあるかもしれないから……行ってくる!」
 彼女もまた動揺しているのだ。
 今の自分に出来る事が思いつかず、なら手持ちの可能性を探して、見つかったものにすがろうとするくらいに。だから、とりあえず車のある場所――藤村邸――に向かった。


>interlude out


 生きている。
 イリヤが感覚を遮断したと言っていたような気もするが記憶ははっきりしない。
 むしろ、死にかけていて人間としての機能が壊れていて、それで感覚が無い。その方が当たり前のような気がする。
 これだけ体が壊れていて、そのくせ生きているって時点で、それはおかしいから。

 じゃ、と水が落ちる音がする。
 頭に何かが落ちた。ああ、これは冷たく濡らしたタオルだ。なら今聞こえた水音は絞る音か。だったら誰かがそこに居るのだろう。
 目を開こうとして、目が開かない事に気づく。
 …力が入らない。
 たったこれだけの行動をする力も、今の俺には無いのだろうか。
「…とおさか…?」
 痛みが無いおかげか、声は上手く出ているらしい。
「! …起きたのね、士郎…」
「今、一体何時だ?」
「11…いえ23時ちょっと。士郎が倒れてから…16時間くらい…」
「そうか……イリヤは?」
「アインツベルンの城に、薬を探しに行ったわ……士郎の体、どういう事か知らないけど、治癒の呪いの効き目が悪くて…」
「そう、か…」

 言うべきか、言わざるべきか。

「何隠してるのよ。アンタ、顔に出るんだから隠しても駄目よ。……何か大切な事なんでしょ」
 …言うしかない。
 遠坂ならきっと、自分で答えを探し出す。いや、アイツが出てきたとき一瞬でも動揺すれば…それが命取りになりかねない。
「アーチャーだ」
「えっ?」
 その言葉はそれほど唐突なものだったのだろう。本当に不意打ち、という声が返ってくる。
「あいつは守護者……あらゆる時代、あらゆる場所に召還されるといった。これから俺がする事を知って、俺を殺す事で歴史を改竄する…そう言っていた」
「冗談、よね」
「こんな事にあいつの名前を使わない。遠坂があいつの事を大事に想っている事は知っているから」
「本当、なの?」
「……ああ。あいつは…俺なんかよりずっと上の投影魔術を使っていた」
「投影魔術…って士郎より?!」
「ペルセウスの剣ハルペー。魔術の治癒を拒む傷、自然治癒以外の回復は無いらしい」
 息を飲む声が聞こえる。
 本来なら聞こえない声。
 けれど、視覚が閉ざされている事で脳の処理能力が上がったのだろう、聴覚がいつもより格段に向上している。だから聞こえてしまったのだと思う。
『アーチャーの正体……やっぱり……でも、何故? そんな事をして何の得が…』


 体は眠りを欲していた。
 しかし、眠れる訳が無かった。
 何度も目を醒ましては眠り、起き、眠り、起き……それを繰り返すたびに死が近付いてくるのを感じる。
『これじゃ……イリヤが帰って来るまでもたないかもしれない……』
 そんな言葉は、本人のいないところでして欲しい。
 ……何かの重病の宣告をされた人間の心境が分かった気がする。いやむしろ、この心境がそれそのものなんじゃないだろうか。
 ああ、この感覚には覚えがある。
 10年前のあの日、炎の中で感じたもの。
 何もかも分からない理不尽な死の中で、彷徨っていた時の感触に似ている。何も感じず、訪れる死の中から這い出そうとしていたあの時に。
 誰かを助ける為に誰かが死んで、水を欲しがっている人に上げたら水は無くなって。誰かを助ける為には、誰かが死んでしまうのではないか。
 もし俺を助ける為にイリヤや遠坂が危険に晒されるのなら、俺は二人を遠ざけなければならない。

「……遠坂」
「…あ、気がついたのね」
「……アーチャーが次に来た時、誰かが巻き添えになるかもしれない。遠坂はイリヤと一緒に逃げてくれ」
「――!!」
「あいつの狙いが俺なら、二人には危害を加えないはずだ……だから、遠坂はイリヤを護って…」
「馬鹿にしないで」
「え」
「馬鹿にしないでって言ったのよ!」
 その声を聞いて分かった。
 遠坂は、泣いている。
「何言ってるのよ! 士郎はあんなに苦労したじゃない、苦しんだじゃない、あんなに、あんなに!! なのに士郎が幸せになれないなんて嘘よ! ……そんな事あってたまるもんですか!! 私もイリヤも桜も藤村先生に綾子に三枝さんに氷室さんに蒔寺に柳洞君に、……それにアンタだって!!」
 俺なんかのために、遠坂が泣いてくれている。
「みんな、幸せになるために生まれてきたんじゃない……」
 ぽつりと、何かが落ちてきた。動かない右腕を無理やり動かす。麻痺した感覚がそれで戻ってきた。
 痛み。
 その一言でしか表現できない、純粋な痛みが。けれどそれを振り切って伸ばした先に、遠坂がいた。手に触れるのは遠坂の頬、そして涙。
「……ごめん」
「何よ、謝ったって…」
「許されるとは思ってない。けれど、遠坂には死んで欲しくない」
 左腕を動かす。やはり痛みが襲ってくるがそんな物を気にしているほど、俺に余裕は無い。
 目隠し代わりのタオルを取り、魔力を集中させて視界を取り戻す。
 それだけで全身が軋んだ。
 けれど。俺に覆い被さるようにして、あの綺麗で生意気な顔をボロボロにして泣いている遠坂の顔を見て、全部吹っ飛んだ。俺は、あの遠坂をこんな風に悲しませていたのかって。悔しくて、バカな自分を殴りつけてやりたかった。

「士郎」
 唐突に、遠坂が今までのことを全て捨て去るような声で俺の名前を呼んだ。その声に含まれていたものが一体何か俺には分からないけれど、とても大切な決意をした事だけは分かった。
「決めた。何をしてでもアンタを助ける」
「でも、魔術じゃこの怪我は…」
「魔術じゃなくて、魔力。あんたの魔力を上げて、治癒力を強制的に上げるの。魔力は生命力そのものなんだから、アンタ本来の、あの怪しげな治癒力だけでこの怪我を治すのよ」
 そんな事が出来るのだろうか。
 たった二つしかない、俺の魔術回路。
 これを使って生成できる魔力なんてタカが知れているってのに…?
「無いなら他から持ってきてでも使う、それが魔術師よ」
 だから、何処からどうやって……って、まさか?!
「私と士郎をラインで繋いで、私の魔力を送り込むの」
 分かる。
 分かるけど、それは――
「言ったはずよ。何をしてでもアンタを助けるって」
「やめろ、遠坂…そんな事をしても駄目だったら…」

「後悔はしないわ。……こんな時に言うのは卑怯だって分かってる。でも、言うわ」
 有無を言わさない遠坂の瞳。
 けれどそれは、いつもの彼女とは違う表情をしていた。
 この表情を見た事は無い。
 けれど。
 あの時教会の地下で見た、告白するセイバーの表情と重なったんだ。
「4年前、生徒会の都合で別の中学校に行った事があったの。その時見たのが走り高跳びに挑戦している男の子。飛べもしない高さをずっと飛ぼうとして何時間も挑戦しつづけていた。……その時見た男の子が、この心の中にずっと刻み込まれている」
 それは、俺も覚えている。
 オヤジが死んで、塞ぎこみたくなくて、ずっと壁を打ち壊そうとしていた時のことだ。ずっと、ずっと昔の事なのに……遠坂はまるで今、それを見ているように語っている。
「刻み込まれたそれが言ってるの。遠坂凛は、その男の子にずっと恋をしているって。今、遠坂凛は衛宮士郎に恋しているって」

 赤い、遠坂の顔。
 俺もきっとそうなんだろう。

「セイバーには悪いけど、もう決めたから」
 あ……遠坂の唇の感触だ。
 一瞬、あの廃屋の事が蘇った。けれど、今のこれは違う。全く別の熱さが伝わってくる。もしかすると遠坂の想いの熱さなのかもしれない。
「士郎。……私の初めて、あんたにあげる」



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